自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第78話 ヒトは回帰を超え、終局へと/落陽を告げる晩鐘は喝采に沈む

 ───ティアマトは、狂気に微睡んでいた。

 永き眠りから目覚め、メソポタミアの大地を己が泥で埋め尽くしてもなお飽き足らぬ衝動。激流の如きその疼きを、創世母神はガラス一枚を隔てた壁の向こうで眺める。

 ヒトがそうであるように。

 神もまた、二律背反の両面性を持つ。

 全ての生命の根源であり、あらゆるモノを慈しみ抱き締める母の相。

 単騎にて人類史を相手取り、不可逆の滅亡をもたらす獣の相。

 そのどちらもがティアマトの偽りなき真実。誰の目にも明らかな矛盾を恥じることなく体現する在り方こそが地母神たるティアマトの本性であった。

 人類の歴史を喰らうビーストⅡ。回帰の理を担う獣はただ、その獣性のままに振る舞う。たとえ偽りの造物主と知恵の女神の思惑通りだったとしても、それは母の背に乗る子どものようなもの。毛程の煩わしさも抱かせる要因にはならない。

 ───しかし。

 その巨躯は冥界の奈落へと堕ちていく。

 

「ここは不帰の国。神も王も民も、分け隔てなく名も無き影へと還る無常の都。アナタ、例外ではないのだわ」

 

 冥界の女主人、エレシュキガル。

 生を司るティアマトとは真逆。死を本領とする女神の全権能が、母へと牙を剥いた。

 

「少し遅めの反抗期よ───『霊峰踏抱く冥府の鞴(クル・キガル・イルカルラ)』!!!」

 

 雷轟。ただしそれは天より堕ちる光ではなく、地より天へ伸びる神雷であった。灼熱の閃光が幾本もの槍と化し、ティアマトの全身を射抜く。

 母神が地の底に激突するまでの十数秒間。奈落の常闇は雷撃によって隙間なく照らし出された。

 許可なき者が立ち入ることを見逃さぬ冥界の機構。瞬間を追うごとに激しく苛烈に瞬く灼雷の雨が、ティアマトの自己修復速度を超えて襲い掛かる。

 血を蒸発させ、肉を焦がし、骨を焼く。

 刹那、母なる獣は初めて抱いた。人が耳元を飛び交う羽虫に向ける程度の煩わしさを。

 人なら手を払うか頭を振るか。なれど、彼女は母なる海の化身。鬱陶しい羽虫は押し流してしまうに限る───────

 

「『悠か妙なる幻氷塔(トゥール・デ・ダーム・デュ・ラック)』」

「『其は太陽を喰らいし牙(ヨワリ・エエカトル)』!!」

「『永久に閉ざされた理想郷(ガーデン・オブ・アヴァロン)』」

 

 ────だが、その思惑が成されることはなかった。

 冥界の大地が雪に覆われ。

 漆黒の闇が天を閉ざし。

 滴る混沌の泥が花と散っていく。

 それなるはエレイン、テペヨロトル、マーリンの手による三重の異界法則の展開。冥界神の名の元に、本来相反するはずの異界はあり得ぬ共存を果たしていた。

 エレインは氷塔を起動する。凍てつく魔力が励起し、周囲の温度を急激に低下させる。

 

「さて、レイドバトルといきましょう。万年ニート暮らしのマーリンも珍しくやる気があるようだし」

「うん、キミも気合い十分なのは良いことなんだが……」

「……何か言いたいことでもあるのかしら?」

「いいや、言うより見た方が早いかな」

 

 マーリンはエレインの足元をつつくように指差す。素直に視線を下げた先には、芋虫みたいに丸まりながら痙攣するテペヨロトルの姿があった。

 

「さ、寒い……寒すぎる。このままでは冥界が世にも珍しいサーヴァントの氷像が立ち並ぶさっぽろ雪まつりと化してしまう……!!」

「猫は寒がりと言うじゃない。このトンチキキャットがどうしたの」

「フッフッフ……やはり湖の乙女最大のドジっ娘はキミのようだ。今のキミは本体であることを忘れていないかい? 術の完成度と出力は写し身とは比べ物にならない」

「……あっ」

 

 サーヴァントとは英霊をクラスに当てはめた写し身。本来いくつもの側面を持つ存在をひとつの面に切り離すことで成り立つ術式だ。それ故、サーヴァントと英霊本体の実力は等しくはならない。無論、生前は魔術を毛程も扱えなかったダンテのような例外もあるが。

 エレインの異界は雪と氷の世界。本体が扱うそれは慣らしの段階で既に極低温へと向かっていた。

 ティアマトに続き、冥界の底を目指すEチーム。彼らが騎乗する太古の翼竜ケツアルコアトルスの羽ばたきが鈍くなる。隕石衝突の影響で絶滅した恐竜にとって、エレインの異界はすこぶる相性が悪いのだ。

 ダンテはふらつく翼竜の首元に全身でしがみつきながら、背後の仲間に迫真の顔を向ける。

 

「何をしているんですか皆さん!? 私が身を挺して彼を温めているというのに!! 恐竜は爬虫類の仲間……変温動物なので寒さに弱いんですよ!?」

「お前はただそうしてないとバランス取れないだけだろ」

「そもそも恐竜が全員変温動物なんてのは古い考え方なんだよ。俺がモンゴルの化石盗掘市場で贋作流しまくって荒稼ぎした時なんて────」

「リーダー、人理修復したらまず警察に行きましょう」

 

 と言いつつも、寒さに辟易しているのは彼らも同じ。だが、ティアマト相手に氷塔の出力を制限することもできない。全力を尽してもなお及ばぬ敵に手加減をするなど、愚策ですらない行為だ。

 この場で最も薄着なマシュは体を震わせることも諦めて、死んだ魚みたいな目をする。

 

「……ギャラハッドさんはなぜわたしにこんな格好をさせたのでしょうか。ふつふつと怒りが湧いてきました」

「ギャラハッドさんもマシュと一緒の服装だったんじゃない?」

「立香ちゃん、あいつはまともな格好だったしランスロットと違って真面目だったからな?」

「そこの冷凍なすび、私が焼いてあげても良いんだけど。気の利いた魔術でどうにかならないわけ?」

 

 ジャンヌはじとりとした視線をノアに突き刺す。彼が手中にルーンの明かりを灯したその時、冥界にエレシュキガルの声が響き渡る。

 

「いいえ、その必要はないのだわ。若干名とっても癪なのだけれど───アナタたちに冥界ファストパスを進呈してあげる!!」

 

 この地の底は許可なき者が立ち入ることを許さない。ティアマトがそうであったように、冥界の機構は異物を除去するため苛烈に働く。

 しかし、エレシュキガルが味方に与えたのは冥界における行動権。言うなれば、冥界神の加護であった。今や三重の異界を内包する世界の女神の加護は、極低温に近づきつつあるこの領域での生存を保障する。

 イシュタルは空中からエレシュキガルを見据え、誰にも届かぬ言葉をこぼす。

 

「……そう。見上げた覚悟ね」

 

 テペヨロトルはがばりと跳ね起き、黒曜石の矛を掲げた。

 

「よおっしゃあああああああ!! 完・全・復・活!!! ククるんとサクラに散々コケにされた恨み、ティアマトをボコって晴らしてやるぜェ!!」

フォウフォフォウ(動機が卑屈すぎる)

「円卓の騎士たちにもこんな下っ端根性があったらなあ」

「この歪みっぷりはなかなか近しいけれど……」

 

 テペヨロトルはエレインの呟きを背に、ティアマトへと突撃する。

 雪の花園を駆け抜ける黒い影。ウルクの大地と同等の質量を得たテペヨロトルの踏み込みが地響きとなって冥界を揺らす。

 一瞬が悠長にも思える速度。衝撃波とともに走り抜け、黒曜石の刃が閃く。

 

「ニ゙ャアアアアアアアア!!?」

 

 ───寸前、テペヨロトルは目にも留まらぬ勢いで弾き出された。黒き体躯が色とりどりの雪の園を何度もバウンドし、氷塔に衝突してようやく止まる。

 絶え間なく降り注ぐ雷雨の向こう。巨大な母神の右手が、氷雪が昇華した水蒸気の幕を引き裂いていた。

 まさしく蚊を払うかのような一撃。たったそれだけでティアマトはテペヨロトルの極大の質量を弾いてみせたのだ。

 その一撃が示す事実は単純にして明快だ。

 母なる獣は冥界の攻撃機構に順応した。エレシュキガルの権能を無効化するでもなく、ただ自身の肉体の変化を以って。

 獣が湛える神気が破裂し、その御形を顕す直前、蒼き極光が解き放たれる。

 

「ロンゴミニアド!!」

 

 最果ての槍ロンゴミニアドを魔術として再現した、光の奔流。悠久の時を重ねた湖の乙女の全霊は過たず、母神の象徴たる左角を切り離した。

 既にケツァル・コアトルとテペヨロトル、レオニダスによって傷ついていたとはいえ、ティアマトを表す部位の片割れを奪い去る戦果。が、エレインは表情を崩すことなく、唇を切り結ぶ。

 

「……まずいわね」

 

 雷撃が砕ける。

 水蒸気が拡散する。

 露わになる巨躯。それはヒトのカタチから、より原初の生命に近付いていた。

 およそ二億年前。遥かソラより滅びの星が落ちるその時まで、地球上において植物に次いで最も繁栄した生物種。

 すなわち竜。ティアマトは太古の生命体へ回帰し、竜体を形作っていた。

 灼熱の雷電が鱗に覆われた体表を流れ、地面に伝導する。侵入者を否定する権能はもはや、母なる獣を輝かしく彩る装飾と成り果てる。

 

「『ティアマト、新たな形態に移行!! 内包魔力量、霊基規模、神秘の古さ、なんかもうとにかく色々とんでもないことになってるぞ!!?』」

「ドクター、そんな報告は何も言っていないようなものです!! 通信量の無駄なので切ってもらっていいですか!?」

「ようこそロマニさん、これが役立たずの世界です」

「『なんか前回から言動がおかしくないですかダンテさん!? って、そんなこと言ってる場合じゃな』」

 

 カルデアとの通信が途切れる。その原因はマシュが通話を絶ったからではなく、目の前の光景こそにあった。

 ティアマトの瞳が赤光を放つ。

 光が宿す魔力は空間を歪めるほどに大きく、カルデアとの通信を容易に断ち切っていた。

 刹那、瞬く閃光がEチームを消し飛ばす─────

 

「『遥か永き湖霧城(シャトー・デ・ダーム・デュ・ラック)』feat.キャメロット、ですわ!!」

 

 ────直前、幽玄なる湖城の正門が赤光を受け止める。

 エレインの氷塔が最果ての塔を表すなら、リースの城はキャメロットに準ずる。その防御能力はマシュの宝具にも匹敵していた。

 湖の乙女は三者それぞれが同一存在。ゴルゴーンとの戦いにおいて、リースがエレインの異界内でサーヴァント級の力を発揮したように、彼女はこの場限りで生前の力を取り戻しているのだ。

 かくして姉妹は並び立つ。エレインはティアマトから目を離さず、妹に問いかけた。

 

「ペレアスの隣にいなくて良いのかしら?」

「これまでもこれからも、私はあの人のそばにいるつもりですから。この一瞬だけは大好きなお姉様とともにいさせてくださいませ」

「……本当、私にはもったいないくらいの妹だわ」

 

 エレインは頬を染めて微笑む。霧が無数の剣槍となって飛翔し、氷塔の光線がティアマトを襲う。怒涛の攻撃はしかし、獣を僅かに後退させるのみだった。

 それを見て、マーリンは空中のイシュタルと地上のエレシュキガルに告げる。

 

「という訳だけど、マーリンさんとしては天と冥界の女主人姉妹の活躍も見せてほしいな! 優しいお兄さんから仲直りの機会をプレゼントだ!!」

「「余計なお世話よ!!!」」

 

 光条と雷撃がマーリンを叩きのめした瞬間、夜に閉ざされた冥界を巨大な影が覆う。

 竜体と化したティアマトの翼。彼女は己の逆説的不死性を否める冥界から離脱するため、その羽を広げた。

 この千載一遇の好機は二度と訪れない。ティアマトを逃がせば最後、高高度からの魔力砲撃を続けられるだけで敗北は確定する。

 ノアは右手にヤドリギを忍ばせる。ケイオスタイドを糧に成長した、たった一度の切り札。未来を視たギルガメッシュが求めた、母神殺しの秘策。ティアマトが飛び去るのなら、刺し違えてでも空中で仕留める。ノアは密かに決意を固めた。

 母なる獣は雷電の檻を振り払い、地を離れていく。瞬間、二柱の女神がノアたちの側方を駆け抜ける。

 

「二度と飛び立てないようにブチ落とすわ!! あなたも手を貸しなさい、アステカの太陽神!!」

「オー、タッグマッチの申し込みとあらば断る理由はありまセーン!! 金星神&太陽神によるルール無用の残虐デスマッチといきましょう!!」

「ルチャかプロレスかどっちにしてくれる!?」

 

 穿つは両翼。

 二柱の女神はティアマト目掛けて全身全霊の宝具を解放した。

 

「『炎、神をも灼き尽くせ(シウ・コアトル)』!!!」

「『山脈震撼す明星の薪(アンガルタ・キガルシュ)』!!!」

 

 その威容はまさしく中天に現れし恒星。

 神霊たる霊基、魂魄の一片までをも燃やし尽くす勢いで放たれた双つの光芒。テペヨロトルが展開した夜の異界を砕くほどの熱量が冥界の色彩を真白に塗り替える。

 ティアマトの両翼が融解する。太陽フレアに匹敵する熱がその羽根を半ばまで消し去った時、彼女は天を仰ぐように鎌首をもたげた。

 

「─────Aaaaaaaaaaa!!」

 

 苦悶の呻き声にも似た叫喚。なれど、その咆哮は恒星を貫き、二柱の女神にまで到達する。

 世界が正常な明度を取り戻し、Eチームは見た。

 満身創痍で空を滑り落ちていく、女神たちの姿を。

 

「…………ッ!!」

 

 果たして、それは誰が漏らした声だったか。

 イシュタル、ケツァル・コアトルの戦線離脱。辛くも命を繋ぎ止めていたのは宝具の掃射が盾となったが故だ。文字通り全霊を使い果たした彼女たちは如何な治療を受けようと復帰することはないだろう。

 戦場に空白が満ちる。立香とノアはその虚ろを穿つかのように叫んだ。

 

「───大チャンス!! ここが最後の踏ん張りどころです!!」

「ここでティアマトを倒す!! いい加減体張りやがれ、ダンテ!!」

 

 ノアはダンテの胸ぐらを片手で掴むと、オーバースローで成人男性ひとりを投げ飛ばす。

 向かう先は当然ティアマト。竜体化を経たことで野性的な殺意を漲らせる巨大な顔貌を目の当たりにして、ダンテは恥も外聞もなく喚き散らした。

 

「えええええええええ!!?!?」

 

 どんな馬鹿力だ、と文句を付ける余裕もない。

 彼には超常の膂力もなければ鍛え上げた武術もない。そんな詩人にできることはただひとつ、己の作品に運命を委ねることだけだった。

 

「で、『至高天に輝け、永遠の(ディヴァーナ・コンメ)────」

 

 詩篇を書き連ねた紙束を右手で振り上げた瞬間、ぞくりと全身の肌が震える。

 背骨に直接冷水を流し込まれているかのような感覚。

 これはジャック・ザ・リッパーの呪いの影響か、否、ダンテは即座に思い出した。

 かつて、敬愛する先達とともに巡った地獄の風情。九つの圏域を下った地の底の底、最奥にて幽閉された、かくも恐ろしき魔王の気配。

 それは冥界という環境故か。はたまた、かの第九圏に近しき凍てつく氷原に誘われたのか。詩人の他に全てを理解していた花の魔術師は、すぐそこに訪れる未来の光景に対して冷や汗を流した。

 

「まったく、今まで視てきた中でも群を抜いてふざけた宝具だよ」

 

 エレインとリースは横目でマーリンの顔を見やり、そして驚愕する。

 常に草原に吹く風のようにのどやかで、咲き誇る花のように悠長だった彼の表情が、青褪め凍りついていたことに。

 

「救世主が原罪とともに持ち去ったはずの第六架空要素───人知無能の真性悪魔がこうして顔を出すなんてね…………!!!」

 

 ───この門をくぐる者、一切の望みを棄てよ。

 

 

 

〝『無間氷獄(コキュートス)永劫凍結する第九魔圏(リンフェルノ・デル・ルチーフェロ)』〟

 

 

 

 エレシュキガルの冥界を基盤とし。

 エレインの異界を糧として。

 ひとりでに、地獄は空間に満ちた。

 

「■■■■■■、■■■■■────!!!!」

 

 この世の終わりも、ここまで悍ましくはないだろうと確信させる景色。

 母なる獣、原初の混沌、創世母神。あらゆる異名を以ってしても飽き足らず、人類史の滅びを担うビーストⅡが敵と認識せざるを得ないほどの存在。

 堕天の王。

 明けの明星。

 かつて神の右方に坐すことを赦された、唯一の者。

 輝ける明けの星が顕現を果たしたのは、たったの三秒足らずのことだった。

 

「Aaaaaaaaaaaaa!!!」

「■■■■■■■■■■!!!」

 

 天地を揺るがす絶叫が巻き起こり、獣と悪魔によるたった三秒間の殺し合いが幕を上げる。

 ティアマトの全身が一瞬にして凍りつく。果てのない重力によって押し潰される。が、獣はそれを意にも介さない。極大の魔力を惜しげもなく叩きつけ、乱雑に拳を振るう。

 三秒。それは両者には欠伸の出るような時間。母神と明星は互いの総力を以って殺し殺され合う。冥界が消滅する規模の戦いはしかし、曲がりなりにもダンテの固有結界内に在ることでその被害を外界に浸透させはしなかった。

 しかして、勝敗は決まっている。

 魔王の敗北。ダンテの宝具を介した限定的な顕現である上に時間制限を課された状態では、ティアマトに敵うはずがない。

 残り0.5秒。マーリンは思考を巡らせる。

 

(思えば、条件は揃っていた。この時代が神代であること、第六架空要素の否定がなされていないこと、冥界にして氷原という環境が地獄の最下層と酷似していること)

 

 そうして、ひとつの疑問が解けた。

 なぜ、悪魔の王が一介の詩人を見逃したのか。それは──────

 

「■■■■■■……!!」

 

 魔王の体が塵となって消えていく。

 人類悪と悪魔の戦いは前者の勝利で幕を閉じた。

 一方、ダンテはと言うと。

 

「……ハッ! ここは一体!? ウェルギリウス先生やホメロスさんたちとお茶会をしていたはずでは!?」

 

 空中から投げ出されたはずが、無傷で雪原の上に横たわっていた。たわ言を並べる彼の頭に、こつんと硬質な感触が走る。

 ダンテは銀髪の少女がナイフの柄頭を落としたのだと理解して、

 

「ジャックさん。あなたが助けてくれたのですね」

「うん。今日はわたしたちの出番はないみたい。あの神様、なんだかとってもおかあさんって感じで気になるけど……」

「ええ、彼女を解体するのは無理がありますねえ。もう行かれてしまうので?」

 

 ジャック・ザ・リッパーはこくりと頷く。

 

「……気をつけて。あの王様は誰の言うことも聞かないから。油断してると〝オレサマ、オマエ、マルカジリ〟なんてことになっちゃうかも」

「それはもう、身に沁みて分かっていますとも。ユダさんやブルータスさんがアレのおやつになっているのを見ましたし」

「でも、やっぱり心配かな。もしかしたら、本当に世界を滅ぼすのはあなたなのかもしれない」

 

 それは、どういう。ダンテが意図を尋ねるより早く、少女は固有結界ごと霞と散っていく。その間際、彼女は言い残した。

 

「───……()()()()()()()()()()()()

 

 …………ティアマトは四つ足で自らの体を支えていた。

 竜体となった自身は元より四脚の獣。手を地面に着くことなど当然。だが、圧倒的な再生能力を誇る我が身を、意識して支えねばならぬという異常。

 さらには、歩くこともままならない。手足が氷によって地面と接合している。並の戒めならば解くまでもないが、それは母神を拘束するという不条理を成し遂げていた。

 だから、手足を引きちぎって再生する。

 

「な、なによ今の怪獣大戦争は!? ダンテの宝具の地獄バージョンがあんなのなんて聞いてないんですけど!!」

「落ち着いてくださいジャンヌさん。あれはただの幻覚です。悪い夢です! 絶対そうに違いありません!!」

「マシュもしかしてSANチェック失敗してない?」

「黙ってろアホ三人娘!! さっさと仕留めるぞ!!」

 

 その隙に人間たちが接近することも想定内。彼ら相手ならば視線と声だけで事足りる。

 ティアマトは口を開き、瞳孔に赤光を灯す。

 

「させません!!」

 

 先の攻防の焼き直し。赤き視線を霧の城が防ぐ。それと同時に、Eチームを運ぶ翼竜ががくりと頭を垂れ下げ、平衡を崩した。

 

「ん、ぐっ……!!」

 

 翼竜のみならず、立香たちもまた同様にそれは起きる。脳の芯を乱暴に揺さぶるような頭痛が生じ、圧迫感が胸の奥を締め付ける。

 ロマニ・アーキマンは当人たちより正確に攻撃の正体を把握していた。

 

「『人間の可聴域を下回る低周波! こんな小技までやってくるなんて、ティアマトは意外と知能派か!?』」

 

 低周波。通常、人間が聞き取れる音域は20Hzから20000Hzだが、低周波は20Hzに届かない音を指す。

 人間の体は繊細だ。微細な気圧の変化ひとつで体調を崩したり、聞こえぬはずの低周波でさえも頭痛を引き起こしたりする。生命の母たるティアマトが、人の脆さを知らぬ道理がなかった。

 ノアは表情をやや歪めて、

 

「剣振るしか能がねえペレアスよりは賢いな」

「そのオレよりもアホなのがお前だろ。低周波とやらをなんとかしろ」

「俺に命令すんじゃねえ、もうやった!」

 

 ルーンの光が点灯し、魔術障壁が翼竜ごとノアたちを取り囲む。ティアマトの直接攻撃の前には土壁も同然だが、音を防ぐ気休めにはなるだろう。

 射程圏内には未だ遠く。

 ティアマトは身中に堆積する激情の波濤をそのまま、魔力に変えて撃ち放った。

 体に宿す超級の魔力炉心の全力解放。暴走に等しい炉心の運用。その負担を肉体の強靭さひとつで踏み倒す。

 全身から発散する魔の奔流。その様は一際煌めく星のように。数え切れぬ光の束が、取り巻く何もかもを塵すら残さぬ無に変えていく。

 

「「「3fffffffffff!!!」」」

 

 産声をあげる異形。泥中より湧き出す蛭のように、翼を携えたラフムが飛翔する。

 体外へ漏出するケイオスタイドはマーリンの手によって花と化す。故に、ティアマトは体内より己の眷属を産生した。

 絢爛なる光の園を、異形が飛び交う。次々と増殖するラフムはまるで蝗の群れ。あるいは冥界の機構に、あるいは湖の乙女たちの異界に葬り去られていくが、彼らに同胞の死に怯えるような無駄な感情は搭載されていない。

 だからこそ、彼らはひたすらに進む。

 自らの時代を望み、旧人類を廃滅するために。

 

「またラフムかよ! 確かこいつら全員殺さないとティアマトも死なないんだったか!?」

 

 ペレアスは翼竜に取り付いたラフムの首を一刀の下に伏せる。マシュとジャンヌもまた、周囲の敵を叩き潰し、焼き払っていた。

 

「いえ、〝冥界には死者しかいない〟という法則はラフムたちにも適用されています! 元を辿れば彼らもティアマトの一部ですから!!」

「じゃあ私たちはこのゴキブリみたいに出てくるキモ歯茎どもを片付けながら、アホ白髪と立香を送り届ければいいってわけね!!」

「そういうことだ。おまえらサーヴァントどもは俺と立香を蝶よりも花よりも丁寧に扱え」

「立香ちゃんはともかく、お前はそういう訳にはいかねえな!!」

 

 それには常に変化する光の網を潜り抜けて、という但し書きが付くが。ノアは黄金の腕輪を『獣縛の幻鎖(グレイプニル)』───フェンリルを戒めた唯一の鎖───に変え、翼竜の首に巻きつけた。

 彼はそれを手綱のように握り締め、哀れな翼竜にドスの効いた声を投げかける。

 

「俺の指示に従え。少しでも意に反したらケツにヤドリギぶっ刺してやる」

「立香ちゃん、こいつのケツにコードキャストだ」

「はい」

「うがああああああああ!!!」

 

 倒れ込んで痙攣するノアを尻目に、マシュとジャンヌはラフムを叩き落とした。

 ───手が足りない。底の見えぬ魔力放出、眷属の産出。後者の対応にエレシュキガルと湖の乙女が手間取られ、前者に至っては止める手段など見出だせない。

 せめてラフムさえ退けられたならば、ティアマトに接近できるものを。

 

「行くぞレオニダス、牛若丸、テペヨロトル!! ジェットストリームアタックだァーッ!!」

「貴女は一体誰なんです!?」

「そもそも黒いのはこの人だけですが?」

 

 空中に現れる霧と氷の足場。三人はそれらを足蹴に跳び回り、ラフムの群れを殲滅していく。

 レオニダスは言った。

 

「露払いは我らにお任せください! ただ前を見て進むのです!!」

 

 その言葉に背を押されるように、彼らは進む。

 あらゆる敵を灰燼と帰す、光輝の結界へと。

 他の何物にも目をくれず。ティアマトもまた、迫り来る人間たちをその眼差しで射抜いた。

 如何に相手が矮小であろうと、母なる獣に油断はない。強者も弱者も分け隔てなく、平等に丁寧に潰し殺す。

 なればこそ、この展開は彼女の狙い通りだった。

 口腔に溜め込んだ燐光を一気に──────

 

「『いまは遙か理想の城(ロード・キャメロット)』!!」

 

 ─────解き放つ!!

 その瞬間、盾を担う少女は自身の感覚という感覚が全て消し飛んでいくのを感じた。

 知恵の女神が放った一撃は淡白で無感情で、転がり落ちる大岩を押し留めるような感触だった。けれど、ティアマトのそれはさながら、荒れた海流の渦に放り込まれているかのようだ。

 抵抗は無意味。人間ひとりが大海に勝る道理はない。

 だとしても。それでも。

 もがいてもがいてもがき続けて。

 永遠にも思える一瞬が過ぎ去った時、ティアマトは眼前に迫っていた。

 ごう、と旋風が巻き起こる。

 隕石さえも思わせる様相。母神はその拳を振り抜いていた。

 

「今度は─────」

「─────オレたちの番だろ!!」

 

 だが、それは苦し紛れにすぎない。

 騎士と魔女は交差するように剣を振りかざした。

 

「『吼え立てよ、我が憤怒(ラ・グロンドメント・デュ・ヘイン)』!!」

「『運命絶す神滅の魔剣(ミストルティン・ミミングス)』!!」

 

 宝具の同時解放。

 双つの剣光が閃く。

 かたや竜の息吹を体現した炎の一刀。

 かたや不死の半神を斬った直死の剣。

 けれど、ティアマトほどの質量を、ましてやとめどない魔力を宿したそれをサーヴァント二騎の宝具如きが斬ることが叶う都合の良い展開は存在しない。

 熱量は上回っている。そして、そもそも今のティアマトに斬るべき死線は有り得ない─────だからどうした。

 呆れ果てるくらいに積み上げられた不可能に立ち向かい、打ち破ってきたのが英雄であり人類だ。

 故に、この現実だって超えてみせる。

 その矜持があれば後は簡単だ。

 この剣に魂を込める。魔力だとか霊基だとか、数値で表せる燃料だけじゃない。

 魂を込めるとはすなわち、

 

「竜殺しナメんなァァァッ!!!」

 

 ───己の心を振り絞ることだ。

 鮮烈に、劇的に、血の華が咲き乱れる。

 紅き雨の中を、立香とノアは振り返らずに駆けた。

 翼竜の背を蹴り、空に身を任せる。

 その刹那、ティアマトは感じた。

 この魂魄に届き得る、黄金の殺意を。

 

「…………あ」

 

 獣は初めて、怒りと憎しみ以外の感情で色付いた声を唇の端から落とした。

 数々の神霊が、英霊が、その力を尽くした。

 たったふたりの人間を獣へ届けるために。

 そして、ついに辿り着いた。最古の王が垣間見た、ティアマト打倒の未来が今ここに実現す、

 

「Aaaaaaa────!!」

 

 星の内海を写す眼光が輝く。

 ───創世の母神に底はない。最後の一手の先の先、彼女はどこまでも底なしだった。

 赤光が人間を突き刺す。

 奇跡にも限度がある。それを耐えるなんて結果はヒトに赦されたモノではなく、例えば、そう、絶対無敵のバルドルのような者が掴み取れる可能性だ。

 

「……使わねえって言っただろ」

 

 ────ああ、そうだろうね。

 誰かが、そう答えた。

 

「そんな奇跡は、私が実現しておいたとも」

 

 花の魔術師は笑った。

 鏡面が無数の破片に散るように、視界が砕ける。

 赤光は彼らを穿ってなどいなかった。

 明後日の方向に放たれたそれは掠りすらしていなかった。

 微睡みから覚めたような意識の狭間で、ティアマトが見たのは真の現実。

 少女を右腕で抱え、左手をかざす魔術師の姿。

 

「〝───聖なる神々よ、天を司りし者共よ。おまえたちの企みは私には届かない〟」

 

 ぽう、と黄金の鏃が小さく灯る。

 

「〝誰も味わったことのない苦渋を私に舐めさせようと、誰も苦しんだことのない辱めを私に与えようと、我が黄金は水底でなおも強く輝く〟」

 

 その詠唱は、自己に働きかけるものだった。

 誰も見たことがない神殺しのヤドリギのその先。

 神話にさえも語られぬ一矢を放つため、魔術師は自己を矢の担い手として創り上げる。

 

「……ノアトゥール」

 

 少女はその名を呼んだ。

 彼にしか聞こえぬ小さな声で。

 髪飾りを解き、その手を彼の左手に重ねる。

 少女の魔力は知恵の女神を喚び出したことでとうに底をついている。それでも懸けられるものはあった。

 魔力を蓄積する髪飾り。

 恋しき人から贈られたモノ。

 彼女は、告げる。

 

「私の想いを、受け取って」

 

 ノアは応える。

 その信念を込めた詠唱でもって。

 かつて出逢った人間から貰った、あの感情を思い返しながら。

 

「〝私は、愛を捨てたりしない〟」

 

 戦乙女(ブリュンヒルデ)が愛しき竜殺し(シグルド)を想い紡いだ言の葉。

 

「〝誰も私から愛を奪えはしない〟」

 

 その詩を、ノアは朗々と謳い上げた。

 

「〝たとえ、荘厳なるヴァルハラが瓦礫となって崩れたとしても〟────『真約・蒼天の嚆矢(フォレルスケット・ミストルティン)』!!!」

 

 幼き未熟な神殺しのヤドリギの成体。

 たった一度きり、二度と再現できぬ鏃の一撃。

 その一矢が刻む軌跡はテクスチャを裂き、裸の世界を露わにする。

 それは神話を超えた一矢。全知の大神オーディンすらも知らぬ、黄昏を過ぎた先の未来。

 未知の矢は、母なる獣を貫いた。

 

「──────あ、ああ、」

 

 ティアマトに死の概念はない。

 死を持たぬ獣を、どうして殺すことができようか。

 不死と言うよりは無死。死なないのではなく死がない。彼女の理を破壊することは誰も未だ知らぬヤドリギにもできなかった。

 しかし、ティアマトは此処に在る。

 彼女を構成する肉体、魂、精神はどうしようもなく存在している。

 だから、その矢は否定した。

 此処に在るという事実を。

 つまり、完成したヤドリギがもたらす結果は。

 神でもなく。

 不死でもなく。

 その存在を、現世から消し去る。

 たったそれだけの、つまらない結末だった。

 ───そして、ノアは見た。

 拡散する獣の裡より、彼女の真実を。

 生命を辿る。

 生命の歴史を垣間見る。

 星屑の川みたいにきらきらと繋がっていく、生命の連環。

 太古の海の底で生まれたひとつの細胞が何度も何度も進化と絶滅を繰り返し、地球に繁茂していく様を追う。

 その中で、微かな声が聞こえた。

 

「いかないで」

 

 今にも泣き出しそうな声音。

 

「はなれないで」

 

 それこそが、滅びの獣の真相。

 

「わたしを、おいていかないで」

 

 その昔、ティアマトはアプスーと交わり神々を産んだ。愛すべき子らは父を殺し、次いで母にも反旗を翻し、その体を割いて天地を創造した。

 夫であるアプスーの殺害は見逃した。

 子どもたちが選択したことだからと自分を納得させた。

 だけど、自分が否定された時。ティアマトは嘆き、狂し、新たに産んだ十一の魔獣を率いて戦争を仕掛けたのだ。

 

「ああ、なんて、みにくいのでしょう」

 

 我が子らの否定を、優しく受け止めることができなかった自分自身が。

 結局、彼女はなんてことのない母親で。

 それだから、自分の子どもだけには否定されたくなかった。

 その結果があれだ。怒り嘆き悲しみ、自らが産んだ神々と魔獣を争い合わせ、愛していたはずの子を手にかけようとした。

 

「ごめんなさい」

 

 なんたる本末転倒。

 

「ごめんなさい」

 

 なんたる自己矛盾。

 

「ごめんなさい……っ」

 

 どこまでも醜く愚かしい。

 結局、そう、彼女は、

 

「きっと、わたしはあいされたかっただけで」

 

 ────あなたたちを、あいしてはいなかった。

 だって、そうに違いない。

 他人が否められることは良くて、自分だけは違うなんて傲慢にもほどがある。それは自分さえ優しいものに囲まれていれば良いという、自己愛に他ならない。

 だから。

 だから、もう。

 

「わたしを、あいさないで」

 

 それが、ティアマトの独白だった。

 ────あの日の冷たさが、重なる。

 愛されたかった子どもが。

 愛してくれる人たちと出逢って。

 それをあっさり奪われ、殺し尽くして。

 降り積もる雪の冷たさの中で、何もかもを拒絶し、諦めて、眠りに就こうとしたあの日を。

 今の彼女はその時の自分と同じだ。

 自分を否定することでしか意識を保てない。

 我が子へと注いでいた愛をも貶めることしかできない。

 そんな残酷なことが、あってたまるか。

 その自傷行為は、大切にしていたはずのぬくもりさえも否定している。

 

「言いたいのはそんなことか」

 

 なぜ、自分は怒っているのか。

 その理由は明白だった。

 

「おまえは母親だろ。子どもの反抗期如きをいつまでも気にしてんじゃねえ」

 

 まるで、自分を見ているようだったから。

 

「俺は根源に行く。他の誰も置き去りにしないで、全員でおまえに会いに行ってやる。その時はおまえも母ちゃんらしく〝おかえり〟なんて言って、シチューでも振る舞えよ」

 

 他人が聞いたら笑われてしまうような、甘ったるい家族像。でも、彼が知る母親の姿は二つしかなかった。

 怨嗟とともに子の首を絞め、殺そうとする母。

 笑顔で出迎えて、手料理を振る舞ってくれる母。

 せめて、ティアマトは優しく在ることができるように。ノアは拙い家族のカタチを口にした。

 

「母親が、自分のもとを離れる子どもにかける言葉は、ごめんなさいなんてものじゃないだろうが…………!!!」

 

 ああ、そうか、そうだった。

 するべきは自分を否定することじゃない。

 犯した罪も、どうしようもない醜さも、吐き出したい弱音も、ぐっと心の中に抱え込んで、笑顔を形作る。

 なぜなら。

 わたしはまだ。

 おかあさんでいたいから。

 

「───いってらっしゃい。あいしてるわ」

 

 滅びの獣はもう、どこにもいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 澄み切った青空の下で、彼らは殺し合う。

 それはまるで、

 

「『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』!!」

 

 世界が滅び、

 

「『母よ、始まりの叫をあげよ(ナンム・ドゥルアンキ)』───!!」

 

 そしてまた、新たに生まれいづるような光景だった。

 幾度目かの宝具の衝突。天から振るわれる一閃を、地より突き立つ光の槍の穂先が受け止める。

 何人も立ち入ることを許さぬ天地の乱舞。空間が軋み、世界の位相が歪む。大地はめくられたカーペットみたいにうねり、大気が押し出されて上空の雲までをも吹き飛ばす。

 それらすべての現象が、彼らの戦いの余波にすぎなかった。

 凄絶な争いの中心。ぶつかり合う二人は瞬きもせずに相手を見据え、獣のように口角を吊り上げて犬歯を覗かせていた。

 キングゥは打ち震える。

 敗北を経て獲得した新たな個の強さ。

 その全部をぶつけても、ギルガメッシュは揺るがない。それどころか常にこちらを上回り、苛烈に攻め立ててくる。

 故に、キングゥは進化を余儀なくされる。一合の度に新しい自分に生まれ変わらなくては、いつか縋りようもなくなるくらいに追い離されてしまうから。

 進化に次ぐ進化。キングゥは自身の可能性に歓喜していた。

 

(───エルキドゥ。我が友よ。未だ其処にいるのか)

 

 一寸の狂いが敗北に直結する戦闘の最中。

 英雄王は己が敵の姿に友を見た。

 エルキドゥ。あらゆる他者より隔絶し、世の頂点を恣にした王の唯一無二の親友。その者の顔を、声を、匂いを、たとえ幾星霜の月日を重ねようと片時も忘れることはできない。

 彼と駆け抜けた日々は鮮烈だった。

 武を競い合った邂逅の日から。

 レバノン杉の森の魔獣フンババを討伐し。

 都市を襲う天牛グガランナと殺し合い。

 そして、友が神々の死の呪いによって命を落としたその時まで。

 断言できる。あらゆる宝物を蔵に収めた英雄王の最も尊き宝は、あの日々であったと。

 叙事詩に曰く、ギルガメッシュは友の死に際して狂乱するほどに泣き叫んだ。友の思い出を何度も反芻し、冷たい胸の動かぬ鼓動を何回も確かめ、その亡骸に花嫁の如き薄いベールを掛けたのである。

 次に王の心を支配したのは死への恐怖。不死を得たと言われる聖王ウトナピシュテムを訪れ、不死の霊薬を手にするも、神々が遣わした蛇にそれを奪われてしまう。

 そこで、王は気付いたのだ。

 人の強さとは────────

 

「こんな時に余所見かい!?」

 

 キングゥの足刀がギルガメッシュの胸を掠める。

 王の玉体に走る、一筋の傷。彼は流れる血を拭いもせずに告げた。

 

「許せ、キングゥ。我は真の貴様を見ていなかった」

「キミだって半分は人間だ。何もかもを見通すことなんてできやしない。だから、許すさ」

 

 王は獰猛に笑み、

 

「詫びを贈ろう。望みを申すが良い」

「無論、キミの全力(すべて)を。ボクという個はきっと、キミを超えることで完成する」

「よかろう。その夢物語、現実に変えてみせろ!」

 

 天が震撼する。

 地が胎動する。

 彼らが放つ一撃はまったく同時だった。

 

 

 

「『天地乖離す開闢の星(エヌマ・エリシュ)』!!!」

「『人よ、神を繋ぎ止めよう(エヌマ・エリシュ)』!!!」

 

 

 

 鳴動する天地が静まり返るような激突。

 眼球を焼き潰すほどに光り輝く槍の突進を、無上の一刀が迎え撃つ。

 ふたつの究極が交錯し、戦いの結末はたったの数秒で訪れた。

 青き空に、鮮血が飛び散る。

 先に口を開いたのはキングゥだった。

 

「……やっぱり、強いな。キミは」

 

 鼻の先が触れてしまいそうな距離。王の剣が、キングゥの胸の中心を突き刺していた。

 

「それでも」

 

 彼は蒼天を仰ぐ。

 太陽の光に目を細め、呟いた。

 

「ボクは、こんなところにまで来れたのか」

 

 緩やかな風とともに、彼の像は解けていく。金色の粒子が風に運ばれて、どこまでも高く昇っていく。王はそれを目に焼き付けて、唇の端から血を吐いた。

 

「見事であった、天の鎖よ」

 

 おびただしい量の血が、大地に降り落ちる。

 ギルガメッシュは腹を半ばまで抉り取られ、臓腑を垂れ流していた。

 

「貴様という個が成した究極は、確かに我が命に届いたぞ」

 

 ───だが、まだ絶えるわけにはいかない。

 王は地面に降り立つ。腹の半分を失う致命傷でありながらも、その歩みに乱れるところは微塵もなかった。

 紅き瞳は前を望む。そこには、冥界にて命を賭した者たちがいた。その内のひとり、ノアの手中にはティアマトが取り込んでいた聖杯が握り締められている。

 ギルガメッシュは言った。

 

「大儀である。ティアマトは確かに討たれた。これはまさしく、貴様たちの成果だ。誇るが良い」

「物理的に腹の中さらけ出してるだけあって今日は素直じゃねえか。おまえの蔵の中身と交換で治してやってもいいぞ」

「ほざけ、下郎が。これも我の想定の内だ」

「それが、ですか?」

 

 立香の問いに、ギルガメッシュは頷きで返した。

 

「これより先の未来に我の存在は不要だ。故に、我が死を以って人と神の訣別とする」

 

 人の強さとは────死を受容すること。怯えるでもなく、諦めるでもなく、それがありのままであると受け容れて共にあること。

 なればこそ、彼は正しく人の王だった。

 それであることを教えてくれたのは、紛れもなく彼の親友だ。死の呪いに苛まれながらも、友は穏やかに息を引き取った。その姿こそが、人が迎えるべき幕引きだ。

 王は立香とノア、マシュを一瞥する。

 ほんの数瞬の眼差し。彼は剣先を差し向け、言い放つ。

 

「今を生きる人間よ。これは貴様たちの物語(みち)だ。膨大なる過去の宿痾を、不確かな未来の災厄を、その足で乗り越え進め!! 抱く理想に溺れぬようもがきながらな!!!」

 

 ギルガメッシュは蔵よりひとつの杯を抜き出し、乱雑に投げつける。

 立香は慌ててそれをキャッチし、それを見て目を丸めた。

 

「これ、もしかして聖杯ですか!?」

「ウルクの大杯よ。相応の働きには相応の報いを与えるが王である。持っていくがよい」

「リーダー! これ売ったらいくらになりますかね!?」

「おまえの人生百回分のガチャ代金でも足りないくらいだな。リーダー特権だ、俺がしっかり管理してやるから渡せ」

「『あ、新しい特異点ができそうだ……』」

 

 カルデアへの退去が始まる。

 魔術王の玉座の前に立ちはだかる最後の特異点が幕を閉じる。全てが露と消え去っていく途上で、湖の乙女エレインは彼らへ微笑みかけた。

 

「忘れないで。あなたたちが結んだ繋がりはいつまでも消えずに残る。敵も味方も、あなたたちとともに在る。その足で進み続ける限り、ね」

 

 ───だから、お別れは言わないわ。

 …………彼らが消えた後。イシュタルは乱れた髪の毛を払い、エレシュキガルへと歩み寄った。

 

「人間に冥界での行動権を与えるなんて、耄碌したわね。盟約を破ったアナタはここで戦った記憶ごと消えてしまうっていうのに」

 

 棘のある語調。エレシュキガルは険のある視線を正面から受けて、くすりと笑う。

 

「ええ、そうね。でも、それで構わない。だって色んなことを知れたのだから」

 

 冥界の女主人は指折り数える。

 大切なものを愛おしげになぞるように。

 

「自分の好き勝手にできる自由。誰かと一緒に戦うことの心強さ。陽のあたる場所の暖かさ。……ねえ、イシュタル」

 

 彼女は太陽を見上げた。

 中天に坐す星はどこまでも輝かしく。

 その熱をもって、地上を隅々まで照らしている。

 

「───(ソラ)って、こんなに綺麗なのね」

 

 陽に照らされたその顔は。

 美の女神たるイシュタルでさえいっそ、両手を上げて降参したくなるくらいに美しかった。

 天の女主人はそっぽを向き、忌々しげに呟く。

 

「……そんなので良いなら、一回くらいは見せてあげたわよ」

 

 ───第七特異点、定礎復元。

 訣別の時は今、人間の幼年期はここに終わりを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────神樹聖杯(セフィロト)、第■階層ダアト。

 光無く闇無く、無上無辺の虚空が広がる空間。只人の理解及ばぬ領域を、幽谷の暗殺者は風のように駆け抜ける。

 

「其はこの世に蔓延るたけのこ派を鏖殺せし神秘の毒────ヒャッハー!! きのこの時間だぜグランドアサシン!! 今日は全員きのこ食っていいしおかわりもいいぞぉ!!!」

 

 暗殺者の行く手を阻む、茸の雨あられ。

 グランドアサシン───山の翁はそれらに目を配ることなく、その外套を振り払った。

 砂塵を含んだ豪風が吹き荒れる。途端に巻き起こった砂嵐は、凄まじい勢いで茸を投擲する女を彼方へと浚っていく。

 

「おんぎゃああああああああ!!!」

「…………やはりきのこ食ってるようなのは駄目だな。たけのここそが至高ということを知らぬ輩には相応の結末だ」

「うるせぇー変態TS魔術師!! 後でおめーのたけのこの里を全部きのこに入れ替えとくからなァーッ!!」

「ふむ、砂嵐のせいでよく聞こえんが仕方ない。私もきのことたけのこを誤認する呪いをかけておくとしよう」

 

 さて、と金髪褐色の女は振り返る。

 次元を渡る魔術師、シモン・マグス。彼は疾駆する暗殺者に向けて言った。

 

「たったいま、カルデアは最後の特異点を攻略した。貴方の力を借りることなく。晩鐘は誰がために鳴るのか───見えているのだろう?」

 

 身の丈ほどの大剣が振るわれる。

 その寸前でシモンは次元を超え、斬撃を免れる……免れたはずだった。

 すぱり、とシモンの肌を袈裟に割る切り傷。山の翁の刃は薄皮一枚を裂くであれ、無数の次元を隔てた魔術師に届いていた。

 

「然り。汝との鬼事も終幕だ。晩鐘が指し示したるは汝に非ず。ただ斬るべきものを斬るために、我は此処に在る」

「それは竜か? 私か? それとも────」

「否、余であろう。鐘の音は劇の主演にこそ相応しい」

 

 虚空を割り、現れる女。

 理性を抱き融かす闇のような美貌。布切れのような赤衣がはちきれんばかりの肢体を瀬戸際で押さえ込む。

 その手に戴くは黄金の杯。

 絶えず泥を湧き出す魔の杯。

 彼女は赤き竜に乗っていた。かつての第六特異点、その像のみで数多の人間を戮してみせた竜の真体を。

 

「喝采せよ。その手を打ち鳴らし、喉を震わせ、眼を広げよ。ビーストⅦ『三位一体の獣(トリニティ・ビースト)』が主役、バビロンの大淫婦───ネロ・クラウディウスの来臨である!!」

 

 人類悪、喝采。

 バビロンの大淫婦は柳眉を歪め、魔術師を見据えて、朗々と謳う。

 

「余をこのような場に呼びつけた不敬、赦すぞシモンよ。不遜なりし冠位の英霊をこの目に焼き付けることができた」

「有り難き幸せ。王の寛大なる御心に報いるため、私が今より彼を遠ざけてみせましょう」

 

 獣は嗤う。命を啜るに相応しき、柔らかく艷やかな唇を吊り上げて。蠱惑的なその仕草はそれ以上の悪意に満ちていた。

 冠位の暗殺者は微動だにしなかった。蒼炎の眼は獣を観ているものの、視てはいない。どこか別の場所を覗いているように、その視線を据えている。

 魔術師は手のひらを山の翁に差し向ける。虚空に巨大な魔法陣が浮かび上がり、標的へと言い渡す。

 

「ダアトに足を踏み入れた時点で貴方は負けていた。ここは私の領域。獅子王の城より続く追いかけっこも終わりにしよう」

 

 ────数光年を隔てた空間に飛べ。

 

「『神的世界への被昇天(シュゼーテーシス・プロパトール)』!!」

 

 次元転送。超常の武威を誇る山の翁を正面から打倒するのは愚策。魔術師はその御業をもって、遥か彼方の場所へと敵を送り飛ばす。

 暗殺者は抵抗すらしなかった。

 代わりに、彼は揺るがぬ事実を伝える。

 

「───バビロンの大淫婦。()()()()()()()()()()()()()

 

 しかし、と前言を翻して、

 

「それは常に傍に在る。三度の落陽を経てもなお、その背に忍んでいる」

「……貴様」

「受け容れよ。かつて迎えた結末を」

「────シモン!!!」

 

 かくして、山の翁は消える。

 人智の及ばぬ彼方。その姿がなくなったことを認め、バビロンの大淫婦は唇を噛んだ。

 

「死んでたまるものか。余はあのような最期を、決して認めぬ……!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カルデアに帰還したEチームが聞いたのは、けたたましいアラーム音だった。

 赤く染まるカルデアス。燃え上がるような色彩が管制室を照らし尽くす。その様相はさながら、レフの手によってこの場所が焼き尽くされた時のようだった。

 機械音声によるアナウンスが鳴り響く。

 

「『緊急事態発生。緊急事態発生。カルデア外周部第七から第三までの攻性理論、消滅。不在証明に失敗しました』」

 

 それが意味するところを、この場の誰もが知っていた。

 

「『館内を形成する疑似霊子の強度に揺らぎが発生。量子記録固定帯に引き寄せられています。カルデア外周部が2016年に確定するまで、あとマイナス4368時間。カルデア中心部が2016年12月31日に確定するまで、あと─────』」

 

 ロマニ・アーキマンとダ・ヴィンチはEチームの帰還を待っていた。いつものように喜びと安堵の表情ではなく、何かの覚悟を秘めた顔で。

 

「遂にボクたちは魔術王の玉座に至る聖杯を手に入れた。だけど、それはあちらもまたカルデアとの繋がりを得たということだ」

「つまり、我々は敵の本拠地に向かっている。ただ、存在の規模はあちらが遥かに上だ。コーヒーにミルクを一滴垂らすみたいに、接触した瞬間カルデアは溶けて消える」

「じゃあ、その前に私たちはレイシフトして魔術王を倒すんですね」

 

 二人は首肯する。

 迫る人理焼却の、人理修復の幕引き。

 ロマンはぎこちなく顔を緩めた。

 

「まあ、やることはいつもと同じだ! ボクたちがサポートして、Eチームが特異点を攻略する!! まずは、戦いの疲れを癒やしてくれ!!」

「これが最後の休息だ。何も特別なことなんてない。キミたちはキミたちらしく、決戦前の休日を過ごすと良い」

 

 ノアは満足したみたいに鼻を鳴らし、

 

「上等だ。ソロモン王のパクリ野郎の顔面を現代アートみたいにしてやる」

「はい! EチームのEはエリートのEだってところをみんなに見せつけてあげます!!」








一度日常回を挟んでいよいよ終局特異点です。長くなりましたがよろしくお願いします。
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