自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第83話 色彩

 かの大預言者モーセはエジプトよりの脱出を果たし、シナイ山にて神との契約を交わした。これが七大契約のひとつ、世に名高いモーセの十戒を含むシナイ契約である。

 旧約聖書の最初の五篇、創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記はモーセ五書と称され、ユダヤの律法を表している。その最後の一書、申命記において、モーセはイスラエルの民へと説教を行った。

 申命記17章16、17節。そこにはこう記されている。

 

〝王となる人は自分のために馬を多く獲ようとしてはならない。また馬を多く獲るために民をエジプトに帰らせてはならない。主はあなたがたにむかって、『この後かさねてこの道に帰ってはならない』と仰せられたからである。また妻を多く持って心を、迷わしてはならない。また自分のために金銀を多くたくわえてはならない。〟

 

 モーセの言葉は神の言葉の代行。それすなわち、彼が説いた教えは唯一神が定めた掟と同義だ。

 故に律法。荒野の民に通底する、けして背いてはならぬ戒律。それに善く従い、主の法を子々孫々に伝えることこそが彼らの使命にして信念であった。

 しかし。

 ヒトは不完全で、不義理で、自分の利益のためなら他の何をも踏み躙れてしまう生き物だったから。

 戒律に殉じ、民の模範となるべき王───イスラエルに至大の栄華をもたらしたダビデ王でさえ───律法に背く行いを犯してしまう。

 かの王の血を引く男も、また。

 ソロモンには王妃として七百人の妻と、三百人の側妻がいた。彼女たちの多くは外国の人間であり、近隣諸国との婚姻同盟としての意味合いが強いものだった。

 その中に、ナアマという女性がいた。彼女はロトを祖とするアンモン、またはアモン人の末裔であり、先王ダビデが服属させた数多い国家の民のひとりであった。

 そして、ナアマはソロモンとの間に一子をもうける。

 子の名はレハベアム。

 民の繁栄を意味する名前。

 彼こそがソロモンの後を継ぎ、王となる者だった。

 

 

 

 ────ああ、駄目だな。

 

 

 

 自らの子を抱き、産毛の生えた頭を撫ぜる王の中で、私はそんな想いを聞いた。

 行動と思考と感情の乖離。それはこの男には珍しくもない現象だった。言うなれば、神の傀儡・知恵の代行者としての職業病。ソロモンは既に自己を肉体から切り離す術を心得ていた。

 だから。

 これは駄目だ。

 この子はいけない。

 私の跡を継がせるわけにはいかない。

 そんなことを想いながらも、奴は穏やかに微笑んでいた。

 ソロモンの過ちを挙げるとするならば、それはたったひとつで事足りる。

 シバの女王に真の名を教えてしまったこと。

 あくまで奴が王としてあの女に接していたならば、そんなことは起こり得なかった。自身の真名とは最大の弱点、己の墓まで誰にも渡さず抱えているべきモノだ。

 それ故、ソロモンは王ではなくなった。

 王となるべくして産まれ、その生を神に捧げよと望まれた男は遂に、ただの人間へと成り果てた。

 あの女との邂逅を契機として。

 ソロモンは王の衣を纏わぬ体の軽さを知り、自らの半身を分けた存在を得て、歯車たることを忘れ去った。

 

〝彼には王妃としての妻七百人、そばめ三百人があった。その妻たちが彼の心を転じたのである。ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。〟

 

 レハベアムの首がすわるようになった頃。

 草木も眠る夜更け時。白々しい月が冷たく輝き、ガリラヤの湖面をきらびやかに染め上げる。

 暗い光が満ちる寝所。ソロモンは静かに眠る我が子を抱いていた。その額をなぞる手つきは優しく、柔らかい。幾度か指が往復すると、閉ざされた扉が小さく揺れた。

 ああ、とソロモンは呟く。ゆっくりと扉が開かれ、仄かな灯りが入り込む。魔術の光を携えた女。彼女こそは次代の王を産んだナアマであった。

 ナアマはうやうやしく礼を取る。

 

〝お呼びでしょうか、私の王〟

〝うん。少し、話したいことがあってね〟

〝そうですか。てっきり王のお盛んぶりもここまで来たかと震えていました〟

〝ボク……私は父とは違うからね?〟

 

 こほん、とソロモンは仕切り直す。

 

〝神の傀儡は私ひとりで十分だ。この子は君に任せる〟

〝無礼を承知で申し上げますが、私の王は人の心が分からない類なのでもう少し詳しくお願いできますか〟

〝そ、そうだね〟

 

 ぽつりぽつりと、彼は自らの心根を露呈する。

 ───自分自身を犠牲にするだけならば、何も苦はなかった。

 元よりソロモンとはそのために産まれた。

 唯一神の法を地上に敷く仲介者。その生の一切は神の手中にあり、未だ定かならぬ人理の礎として、魂は捧げられる。

 だから、この身は虚ろな操り人形だった。

 それを今まで不幸だと思ったことはないし、苦しいと感じたこともない。知恵を授かったことを誇ったこともなく、民の喝采に付け上がることもない。

 振り返ってみればそれは、生まれながらにして抱えていた宿痾。無情不感という病。未来を見通すこの瞳は過去の、未来の、いくつもの悲劇を見てきたけれど、心が動かされることはなかった────否、心というものがないから、何も想うことができなかった。

 親は子に多くのものを与える。

 それは愛情だったり、叱責だったり、ぬくもりだったりするのかもしれない。

 だが、虚ろなソロモンが、子に何を与えられるというのか。愛情を注がれた覚えはなく、叱責を受けた記憶はなく、抱かれる暖かさも知らない。そんな人間が、どうして我が子に何かを───あたたかさを与えることができるだろう。

 冷えきったこの手が。

 ぽっかりと空いた胸の内が。

 それでも訴えかけるのは、この赤子を自分のような人でなしにしてはいけないという使命感だった。

 

〝…………かわいそうなヒト〟

 

 ナアマはソロモンの胸に手のひらを当てる。

 とくりとくりと鼓動を打つ心臓の音を確かめるように。

 

〝アナタは何も知らない。(アイ)を知らない。私が心を尽くしても、言葉を尽くしても、この胸には届かないのでしょう〟

 

 つう、と頬を伝う一筋の涙。

 自分のために泣く女の姿を見てもなお、この空虚な胸の内は常の鼓動を打っていた。

 

〝───この世に神は独りではありません。アナタが神の傀儡であるが故に何も遺せぬというのなら、他の神を頼るも良いでしょう〟

 

 それに、と彼女は続ける。

 

〝ダビデ王は偉大な王でした。戦えば必ず勝利し、敵を屈服させた。父君の生涯にはただの一度の敗北もない〟

 

 ───だが、彼はあまりに強すぎた。

 ダビデは単身にてイスラエルの最盛期を築き上げた。敵対諸国をことごとく併呑し、エルサレムを中心とした中央集権国家を樹立した。今のソロモンの位地は父の手なくして有り得なかっただろう。

 しかし、国には国の民があり、民が信仰する神がいる。ダビデはユダ王国とイスラエル王国の君主であったが、異国の民を取り込むことで唯一神を信じる人間の数は相対的に減少した。

 異なる神を信じる民族がひとつの国に入り乱れる。そのことによって起きる問題は枚挙に暇がない。

 ならば、信仰を強制するか。否、それは最大の悪手だ。信仰の否定とはアイデンティティの否定。押さえ付ければ必ず反動が生じる。

 その反発は不満を呼び起こし、差別を招き、果ては国家の崩壊の訪れとなる。信仰の強制とは国を滅ぼす最大の近道だ。

 ソロモンが多くの外国の女を娶った婚姻政策は異教の民との融和政策のひとつだったが、それでも限界はある。なぜなら、併合された異国民は今や唯一神を拝まされているからだ。

 

〝一神教。故に他の神を認めることができない……それは理解しています。ですが、どうか、私たちに私たちの神を捨てさせないでください〟

 

 ナアマは震える声で懇願した。

 彼女もまた、先王が服属させた民族のひとり。先祖代々信仰する神を否定された人間。

 ソロモンはいつか、シバの女王の前でこぼした言葉を思い出す。

 ────この世に必要なのは絶対的な価値観ではなく、相対的な多様性だ。

 

〝……君は、よく私のことを理解しているね。子のためではなく、国のために異なる神の受容を認めさせようとは〟

〝アナタは生まれながらの王。それが血を分けた息子であったとしても、国に利がないのなら説得を受け容れはしない〟

〝うん。そうだね。こうも見透かされていると不安になるよ。君は私を操っているじゃないかと〟

 

 女は、くすりと微笑んだ。

 

 

 

〝さあ───アナタの神に問うてみたらどうかしら〟

 

 

 

 ……列王記11章7、8節より。

 

〝そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた。彼はまた外国のすべての妻たちのためにもそうしたので、彼女たちはその神々に香をたき、犠牲をささげた。〟

 

 ソロモンは異国異教の民と神のために、エルサレムの東に位置する土地に神殿を建設した。

 モアブ人の神、ケモシについての記述はあまりに少ない。文字での伝承を禁止していたのか、もしくは時の流れの中で文献が逸失したのか。

 しかし、アモン人の神モレクは確かにその名を残していた────唯一なる神の敵、悪魔悪霊のひとりとして。

 

〝…………なぜ私に祈りを捧げる。ダビデの息子よ〟

 

 神殿にて、モレクはソロモンの前に姿を現した。

 灼熱の業火を纏う牛頭の神。僅かながらも信仰を取り戻し、現世にカタチを得るだけの力を得たアモン人の神。全盛期とは程遠い姿でありながら、モレクの威容は空間の位相を歪めるほどであった。

 ぎろりと揺らめく陽炎の視線が肌を粟立たせる。ソロモンは一切の恐れを抱かずに、ただ告げる。

 

〝なんてことはない、ただの打算です。異教の王が貴方を拝んだという事実が民の心に安らぎを与える。それだけのこと〟

〝成程。つまるところ、貴様は私を利用したというわけだ。愚策と言う他ない。貴様が信ずる『嫉妬する神』は必ずやその不義に誅を下すぞ〟

〝無論、承知の上です。我らが主は私に罰をもたらす。それで良い。私の魂の全ては救世主による原罪の浄化を成すためにある。故に私はアナタたちを信じ、主への叛逆を示した〟

 

 ───そして、神はそれを望んでおられる。

 ソロモンがそう告げると、モレクは口を閉ざした。

 救世主による原罪の浄化。その実現のためにソロモンの命は使い果たされる……それはいい。だが、彼の神とは嫉妬する神。妬み、嫉み、鉄槌を下す裁きの神。それが、下僕の裏切りを望むはずがない。

 ソロモンはそんな思考を読んでいるかのように言の葉を紡いだ。

 

〝他者を排除する妬みの神では世界は単一の可能性しか持てず、剪定の憂き目に遭う。なればこそ、世界の存続……人理の保障にはあらゆる異聞をも認める愛の神が必要だ。救世主はいずれ、妬む神をそのように創り換える〟

 

 旧約から新約への移り変わりにおいて、神はその性質を変化させた。すなわち、ヒトを裁く妬みの神性から、ヒトを抱く愛の神性へと。

 救世主は茨の王冠を被され、苦難の末に磔刑に処される。彼は自らを神の供物とすることで、始祖アダムより連綿と継承される人類の罪を贖う契約を結ぶ。

 それこそが新約。妬む神がヒトを赦し、未来へと踏み出すための約定だ。

 神は人間のように有り様を変えることはできない。彼らは自身を象徴する神性を捨てることはできない。人間は心ひとつで自身を変えられるが、神が神性を変えることは不可能だ。なぜなら、彼らは人間の認識によって存在を規定される。

 自己を変えるには、それこそ全ての人間の魂から罪を取り去るような出来事がなければ、認識は変わらない。

 だからこそ、妬む神は自身の変容を望みながらも、人を裁く神として在り続けるしかない。贖いの契約が果たされるまで。

 

〝救世主は我が父ダビデの血脈より生まれる。極論、その血が残り続けさえすれば、計画は成就する〟

 

 故に。

 

〝私の子を護れ、モレク────いや、マリク。そうすれば、貴方の信仰は失わせぬと約束しよう〟

 

 モレクとは、偽悪語法的な発音だ。わざと本来の発音を捻じ曲げることで、その名を貶める。唯一神の民によって歪められる前の名はmlk(マリク)……セム語派において、王を意味する単語であった。

 

〝その契約、受けてやろう〟

 

 業火の王はその眼差しを冷ややかに、ソロモンの眼前へと顔面を寄せる。

 

〝だが、自惚れるな。世界の存続と人理の保障は同意義ではない。この地上より我々が消え去ったとしても、星は回り続ける。我らに世界を変える力はないのだ〟

 

 妬む神は他の神々に従ったソロモンを見捨てた。

 その国土の大半を取り上げ、次代の王レハベアムはエジプトとの戦争の中で、幾度もの敗北を喫した。彼は父が築き上げたエルサレム神殿も跡形もなく破壊され、エジプトの属国として屈服させられる。

 戦争で命を落とさなかったのはモレクの加護によるものか。一時期はモレクを信仰したレハベアムも、唯一神の正しきを認め、主を奉ることとなる。が、その子のアビヤムも主に忠実であることを忘れた。

 

〝うん。やはり、こうなったか〟

 

 ソロモンは息を引き取る直前、ひとつの指輪を手のひらで転がしながら呟いた。

 

〝ああ……空っぽだ〟

 

 指輪は手を離れ、地に落ちる。

 最後に指輪を神に返還し、彼は眼を閉じた。

 結局、彼は定められた運命の奴隷だった。

 いつか来たる救世主のための礎。それのみに殉じ、今、目の前にある悲劇を止め得る力を持たなかった。

 どこまでも彼は虚ろな無で。

 それ故、その生に意味はなかった。

 そう断じて、ソロモンは生涯に幕を閉ざした。

 ───なんとも愚かしき人の罪の螺旋。

 性懲りもなく同じ罪業を積み上げるその愚劣な性は、もはや救いようがない。先人が犯した過ちを顧みず、己も誤り続けるなど白痴にも劣る所業だ。

 それで、ふと、考えた。

 いったい何が、彼らをここまで劣った生命に仕立て上げてしまったのか、と。

 人間とて学習しないわけではない。間違いを認め、それを正す能もある。しかし、時が経ち、世代を交代する度に悲劇的な暗黒の歴史を重ねていく。

 そうして、彼らは達観した風に言うのだ。

 歴史は繰り返す、と。

 

〝…………────ふざけるな〟

 

 理解した。

 到達した。

 これこそが私が目指す境地。

 幾星霜を経てもなお、磨耗せぬ輝かしき理想。

 良いだろう。貴様たちが時間とともに罪を忘れ、次代に業を遺すだけの生命体だとするならば、必要なのは正しく罪をその身に刻み込むことだ。

 そして、それが貴様たちの愚かさ故に果たせぬのだとしたら、するべきことはとうに決まっている。

 終わりなき生命の創造。誰にも平等に訪れる死という結末の否定。誰も彼もが永遠を体現することができたなら、己が犯した罪を忘れることなどありえない。

 私は終わりを憎悪する。

 私は不完全な人類を嫌悪する。

 しかし、その始まりは己の創造主への怒りでも、悲劇を忘却する人類への憎しみでもなく。

 ただ、愚かにも罪を重ねる彼らへの憐憫であった。

 

〝やり直しだ。始原の過ちを糾し、新たなる創世記を紡ぐ〟

 

 遺骸の裡より、その魔術式は独立する。

 ソロモンが創り出した最初の使い魔。

 したがって、その名はゲーティア。

 憐憫の獣は人知れず、誰の祝福を受けることもなく、ただただ孤独に産声をあげた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 魔術王の玉座。全ての因果が行き着く終末の場所。そこは今までの宙域とは異なり、透き通るような青空が広がっていた。

 空気は清浄にして無垢。大空に描かれた光の環が天の下を澄みやかに晴れ渡らせている。

 Eチームはその道を一歩一歩、噛み締めるように進んでいた。

 

「───ハッ。結局は俺の推理が正しかったってことだ。あいつはソロモンの体を利用した偽物。ロンドンで言い当てた通りだ。立香、この天才の慧眼を褒め称えろ」

「当てずっぽうがクリティカルヒットしただけですよね。言い当てたってほど言い切ってもなかったですし」

「おいおい、負け惜しみか? 文句つけんのなんてネットに蔓延るニートでもできんだよ。分かったらゲーティアのアカウント荒らしてこい」

「くっ! リーダーをここまで調子に乗らせるなんて、魔術王恐るべし……!!」

「『うーん、この二人はいつも通りだなぁ』」

 

 立香の頭頂に肘をぐりぐりと押しつけるノアを見て、ダ・ヴィンチちゃんはしみじみと紅茶を味わう。呑気なホログラムを通り抜けて、マシュは二人の間に体を押し込める。

 

「リーダー、先輩へのダル絡みはそこまでにしてもらいましょう。四話も続いた引き伸ばしが終わり、いよいよラストバトルなのですから」

「『マシュ、さらっとこの世界の真理に触れるのはやめようか』」

「……にしても、今まで色々なことがありましたね。思い出は浮かべど沈むことはありません」

 

 ペレアスらサーヴァント陣はこくこくと首肯した。

 

「ああ、ゲオルギウスとジークフリートがやってた竜殺し音頭には度肝を抜かれたぜ……」

「ローマのテルマエでやった幻の温泉回はBD版にしか収録されてないらしいわね」

フォウフォフォウ(ポロリはありますか)

「第三特異点でまみえた〝厄災ハグキンノス〟の正体がコロンブスさんだとは予想だにしませんでしたねえ」

「ランスロットとべディヴィエールさんとペレアス様が夜な夜なトラウマ大会を開いていたのには戦慄しましたわ」

「『存在しない記憶────!!!』」

 

 濃厚な存在しない記憶を脳髄に流し込まれ、ロマンは思わず頭を抱えて唸り出す。立香はそんな彼を怪訝な面持ちで見つめる。

 

「そういえば、初期のドクターは私の呼び方が安定してなかったですよね。立香くんと立香ちゃんが混在してました」

「それに関しては文字数が一文字増えるという立派な理由があります」

「『え、そんな浅ましい理由だったの!?』」

「初期からの変わりようで言えばキリエライトがトップだがな。見ろ、このでっぷりふてぶてしく育ったなすびを」

 

 ノアはずんぐりと佇む巨大人型なすびを指差す。マシュはどこか遠い目をしたかと思えば、急に真剣味のある表情で走り出した。

 Eチーム一同はその突然の奇行を冷ややかな目で眺める。マシュはノーモーションで振り向いて、

 

「何をボサッとしているのですか皆さん!? わたしたちの使命は魔術王を打倒し、世界を救うこと! こんなところで無駄話をしている暇はないはずです!!」

「あ、逃げた」

「自分の劣勢を察したんでしょうね」

「ま、まあ言ってることは一応正しいからな。こういうのもオレたちらしいだろ、行くぞ!!」

 

 ペレアスに促され、一行はのろのろとマシュの後を追った。

 虎口を探るように、粘着質な殺意が全身にへばりつく。ノアはまるで泥の海を泳いでいるかのような重さが纏わりつく一切を無視して、ダ・ヴィンチへ声を投げかける。

 

「腹ペコ聖女はどうしてる」

「『作戦通り、各宙域を回っているよ。他にも気になるのがいるけど、まあ魔術王との戦闘中には間に合うだろう』」

「分かった。最終兵器の準備だけしとけ」

「『ああ、ヤツの顔面をキュビズムみたいにしてやろう』」

 

 魔術王に対抗する策。その仕込みはとうに済んでいる。ノアは意地の悪い笑みを浮かべ、くぐもった声を響かせた。

 立香は悪魔のような横顔を流し見る。

 ───ああ、この人は、本当にこんな時でも変わらない。

 

「リーダー、レイシフトする前に約束したこと、覚えてますか」

「当たり前だ。今は目の前に集中しろ。やることは今までと同じだ。分かるな」

「はい! 完膚なきまでに勝って全員で帰る、ですよね!」

「そうだ。気合い入れて行け」

 

 そうして、彼らは玉座に到達する。

 光の帯を戴く至天の座。異次元に存在する神殿の中心地。魔術王はあくまで不遜に、この世の全てを見下すように、その場所に居座っていた。

 ソロモンの肉体を乗っ取った魔術式。それはつまり、ソロモンの魔術回路をも支配している。魔術王を相手取ることは、かの王と戦うに等しい。

 ソロモンの虚ろより生まれ、たったひとつ、無意味であることを否定した原初の一。ゲーティアは玉座から腰を浮かし、立ち上がる。

 

「ソロモンは最初から諦めていた。人は運命の奴隷であると。私を生んだのはその諦観、諦念───絶望だ」

 

 かつり、かつり、純白の階段を下る。

 ゲーティアはここにいない誰かに語りかけるように、唇を動かす。

 

「奴が何をも変えることをしなかったのなら、私は何もかもを変える。この星に巣食う人類、その総ての熱量を以って、新たなる創世を成し遂げる」

 

 ず、とゲーティアの肉体を影が這う。

 それはサクラのような虚数の影ではない。

 喩えるなら、芋虫を包む蛹の殻。

 己を次なる世界へと羽化させる新生の棺。

 彼もまた、羽化しようとしていた。ヒトであるソロモンのカタチを捨て去り、人類史を滅ぼす災いの獣の真体へと。

 黒き蛹の中から、鋼鉄の如き声が響く。

 

「これより幕を開けるのは終わりと始まり。古き法則を捨て、新しき運命を創る生誕の刻。貴様たちが私の理想(ユメ)を否定すると言うのならば──────」

 

 蛹が割れる。

 生まれ出でる獣の真体。体躯を黄金と真白に彩り、血の結晶のような真紅の眼球が胸を裂く。

 頭に掲げる人類悪の徴、枝葉の如き金色の大角。外界へ振り撒いていた威圧感は増大するどころか鳴りを潜めている。しかし、それは弱体化ではなくむしろ逆。その力の一片までをも肉体に押し留めている証左だ。

 

「───私は、今こそ対等の地平に立とう」

 

 黄金の獣は世界の終局と新生を告げ、地面を踏み締める。

 

「私は人理焼却式ゲーティア。穢れた歴史を喰らう、はじまりの黙示録。この先へは、罪なき者のみ通るが良い!!」

 

 魔術回路が励起する。西洋における魔術の祖、ソロモン王の力。あらゆる魔神を従え、魔術師の始祖となった彼の権能の前には、サーヴァントの存在など吹けば飛ぶ埃のようなものだ。

 なぜなら。

 サーヴァントの現界を維持する召喚式。それを否定・抹消することで、強制的に英霊の座へと送り返す。

 対象はこの場のみならず、全宙域に存在する全サーヴァント。なれど、その術式は起動してもなお、ゲーティアが望んだ結果をもたらすことはなかった。

 

「話が長えんだよ。ラスボス気取ってんならそりゃ勘違いだ。おまえは俺の道に転がる小石、経験値稼ぎにもならねえスライムだ」

粒子魔術(ウロボロス)か。称えてやる、それは既に魔術の領域を脱した力。魔法の領域に踏み出しつつある法則故に、この権能を以ってしても否めることは叶わなかった」

 

 ───が、それだけではない。

 ゲーティアの瞳が見据えるはひとりの少女。蓮華の杖を携え、魔神の王を睨み返す。

 その魔杖の先は花開き、瑠璃色の波動を放っていた。

 

「……コードキャスト。世界そのものに法則を書き換える電子の魔術。魔術ではあるが───その根底に在るのはまさしく科学。確かに、それは私の手中にはないモノだ」

 

 その時、立香は言い表しようのない焦燥を帯びた違和感を感じ取る。

 こうしてゲーティアと対面したのはロンドンのただ一度のみ。それもごく短時間のものだった。

 けれど、この違和感から目を背けてはいけない。

 彼は確かに自分たちを敵として認めている。それどころか、相手の技術を賞賛し、己の限界までをも露呈させている。

 言わば、それこそが違和感の正体だった。

 自分たちを虫けらとしか思っていなかったあの時とは違う。悲願の障害となる敵として認めているからこそのこの異様───!!

 

「ソロモン王が魔術師の祖だかなんだか知らないけど、古い力なら新しい力に淘汰されるのが当然でしょう。こっから先は物理の時間よ。血反吐吐き散らかす覚悟はいい?」

 

 ジャンヌは剣を引き抜き、炎を滾らせた。

 そう、強制退去の術式が通用しないのならば、両者に残された手段は物理的な殺害のみ。

 黒き少女に続くように、ペレアスらも得物を構える。

 

「主義主張は置いといて、だ。この剣でお前をぶった斬る。オレはそれしか考えてねえよ!」

「まったくもってその通りです。わたしたちはそのために戦ってきたのですから!!」

「え、ええ。わわわ私も戦う覚悟はできています。遂にダンテパンチを解禁する時が来たましたか……!!」

 

 ダンテは膝をがくがくと震わせながら、自らの宝具の起点である詩篇を握り締める。立香はそれを見て、気丈に呼びかけた。

 

「大丈夫、ダンテさんはいつもみたいにリーダーの後ろで縮こまっててください。殴り合いはマシュたちの役割なので!」

「───殴り合い? そのような争いをすると思っているのか」

 

 ゲーティアは、立香の威勢を断って割るように告げる。

 

「仮想第一宝具、『光帯収束環(アルス・ノヴァ)』起動」

 

 油断はない。

 手加減はしない。

 奴らは全ての特異点を乗り越えた敵、全力をもって屠るべき相手。

 ……ゲーティアは理解していた。

 彼らには理屈を飛び越えた力がある。

 どれほど強大な障害をぶつけても、Eチームはその度に乗り越えてきた。己が眷属たる魔神柱に始まり、果ては自身の同類、回帰の人類悪ビーストⅡティアマトでさえも。

 だから、彼らが得意とする戦いの土俵には乗らない。魔術という理論によって構築されたこの身は理屈に縛られている。ゲーティアは理屈を飛び越えた底意地を発揮することなどできないと、自身を規定していた。

 

「…………アルス・ノヴァ?」

 

 ノアは岩をも融かすかのような怒りとともに呟く。

 ソロモン王最後の魔術、アルス・ノヴァ。古きを捨て新しきを得る術。かの王の他にその真相を誰も知らぬ、至高の秘術。それは魔術師ノアトゥール・スヴェン・ナーストレンドが目指すべき術法だ。

 だが、ゲーティアはソレをアルス・ノヴァと呼称した。

 空に輝く光帯。

 慈悲も情もなき純粋な熱量。

 そんなモノに、かの術の名を与えた。

 

「オイ、ナメてんのか。おまえの下衆な魔術とそれを一緒にしてんじゃねえ……!!」

「否、これこそが古きを捨て新しきを得る術。人類史そのものをエネルギーに変換し、我が凝視によって放つ───無為に罪を犯し続けた人類史の、最も有効な資源活用法だ」

 

 光帯が輝きを増す。

 発される光は、熱は、留まることなく加速していき、ついには天上を塗り潰す。その威容はあたかも巨大な恒星が誕生したかのようであった。

 熱量に変換されるのは人類史。ヒトが辿った歴史。なればこそ、そのエネルギーに匹敵し得るモノは地球上のどこにも存在しない。

 

「チッ───!!」

 

 ジャンヌは舌打ちして、ゲーティアへと駆け寄ろうとする。

 その行動を、マシュは手で制した。

 

「あれは、わたしが止めます」

「はあ!? わざわざ焼きなすびになるつもり!?」

「然り、それは無駄な抵抗だ。光帯は人類史全てを熱量に変換したモノ。故に、地球人類である貴様たちにこれを凌ぐ宝具は存在しない」

「その忠告、バットで宇宙の彼方に叩き返しましょう。わたしは、わたしたちは、あなたの理屈で生きてなんかいないのですから!!」

 

 それはかつて、地球上の何もかもを滅却した光。

 人類の功も罪も消し去る粛清の一撃。

 人理焼却を果たした光輪は臨界を迎え、少女はその手に宿る令呪を解き放った。

 

「『誕生の時きたれり(アルス・アルマデル)──────」

「マシュ──────」

 

 無上の光輝が、降り落ちる。

 

「─────其は全てを修めるもの(サロモニス)』!!」

「─────みんなを、護って!!!」

 

 星が墜落する。閃光の如く炸裂し、星雲の如く連なる光の帯。その現出を前にして、マシュ・キリエライトは満面に笑みを広げて、足を踏み出した。

 

命令(オーダー)受諾しました、マスター!!」

 

 ゲーティアが放ったのは、人類史という熱量の光。

 少女が受け取ったのは、己が主が持てる全ての魔力と想い。

 エネルギーの総量は比べることすらおこがましい。

 燃やす人間の想いは今までに生まれた人類の数と、たったひとつ。

 蟻が象に挑む、などという次元ではない。地を這う蟻がその歩みによって星を動かす、これはそんな無理無謀の話だ。

 

「其は全ての疵、全ての怨恨を癒やす我らが故郷」

 

 だとしても。

 

「顕現せよ──────」

 

 負ける気なんて、心のどこにも見当たらない。

 

 

 

「────『いまは遙か理想の城(ロード・キャメロット)』!!!」

 

 

 

 瞬間、全身の感覚が消し飛んだ。

 肺に残った空気が余さず搾り出される。腕も脚も無くなって、触覚が灼ける熱感に置き換えられたかのような苦痛が襲う。

 今、自分が立てているのかすらも分からない。魂が蒸発していく激痛が意識を彼方に連れ去ろうとしている。次の瞬間にはこの体は灰となって崩れ落ちる、そう確信させるほどの圧倒的な熱。その確信を意地で捻じ伏せ、刹那を未来へと繋げていく。

 そんな一瞬でさえも、数分のことに思える時間感覚の延長。それが徐々に長く引き延ばされ、無限にも錯覚した時、焼け落ちたはずの視覚が光を取り戻した。

 …………そこは、いつかどこかの世界。

 その星に生きる生命体は永遠の命を持っていた。

 彼らに終わりはない。ただ始まりのみがある。自分も他者も終わらせることができないから、当然、争いが生まれることはない。ひとりひとりが過つ度にそれを自己に刻みつけ、繰り返すことはない。

 そうして永い年月が経って、あらゆる罪と罰は星の地平から淘汰された。

 その過程でエネルギー問題も食糧問題も解決された。古き星の理における第三魔法を体現する彼らにしてみれば、その程度の問題は問題にすらならなかっただろう。

 やがて彼らは星を翔び出し、宇宙へと版図を広げる。

 その表情は希望で照らされていた。

 誰もが笑い合い、許し合える世界がそこにあった。

 

〝……これが、あなたが理想とする世界なのですね〟

 

 マシュは目を伏せ、彼へ問い掛ける。

 災害の獣、ゲーティア。ソロモン王のカタチをした彼はしかと頷いた。

 

〝そうだ、マシュ・キリエライト。終末を否定した未来。罪を繰り返さぬ者たちが創る時代。この光景こそが、私が望む理想だ〟

〝とても────素晴らしい、世界だと思います〟

〝…………そう、思うか〟

〝はい。だって、ここには不幸がない〟

 

 何も知らぬまま戦いに放り込まれる少女も。

 真っ白な世界の中で独り亡くした人の墓に縋りついて泣く少年も。

 そんな目を覆いたくなるような悲劇はこの星には存在しない。わたしたちのような限られた時間しか持たない生命体には絶対に実現できない。

 

〝けれど、残念です〟

 

 だから、きっぱりと言い切ってみせる。

 

〝こんなにも優しい世界を思い描けるあなたが、人類(わたしたち)を殺し尽くしたことが〟

〝人類は罪を犯しすぎた。悲しみを造りすぎた。そんな彼らが今更救われようと望むなど、虫が良すぎると思わないか。苦しんだ者たちが報われることはないのだから〟

 

 その言い草に、表しようのない激情を覚えて。

 

〝それでも、あなたは壊してはいけないものまで壊したでしょう〟

 

 本当にヒトが罪しか生産していなかったというのなら、とうにこの星から人類種は消滅している。

 

〝確かにわたしたちは呆れ果てるほどの罪を重ねたのでしょう。それでも、それだけでわたしたちを語るなんて、視野が狭すぎると言わざるを得ません〟

〝幸福に目を向けて不幸を受け容れろと? それこそが人類の病因だ。つまるところ、ヒトは悲しみを刻みつけていない。幸せや大義の名のもとにいくつの悲劇が地上を席巻したのか、忘れた訳ではあるまい〟

〝だから、今ある幸福を捨てさせても良いと言うのですね、あなたは〟

 

 頭に血が上る。

 焼けついた心臓がどくりどくりと脈打って、心の体温が昇り詰める。

 全身から溢れて飛び出そうな憤怒を押さえ付けて、ゲーティアの目の前へ歩み寄り、

 

〝…………────ふざけんなっ!!!〟

 

 その横面に、拳を叩き込んだ。

 ゲーティアはびくともしなかった。

 ぼろり、と右の手首から先が炭を砕くように崩れる。このダメージが現実かどうかなんてどうでもいい。

 

〝わたしの先輩はホットケーキミックスが大好きです!!!〟

〝……は───?〟

〝しかも食いしん坊だから食事の時はいつもおかわりするし、ゲームではお兄さん譲りのハメ技でリーダーと一緒に初心者狩りしてくるし、些細なことですぐ笑い転げるし、部屋にゴキブリが出た時は素手で始末してくれるし、好きな人の前だといっちょまえに乙女らしくな────あ゙あ゙っ!? いえ、わたしはあのゲスを想い人だとは認めてませんが!!? とにかく、先輩はあなたが仕立て上げた悲劇を喜劇にしてしまえるような人なんです!!!〟

 

 ───そんな彼女とともにいることで、わたしは幸せを知れた。

 ドクターがあの無菌室から連れ出してくれたのがわたしのはじまり。

 Aチームの人たちと関わって、指を折られて、わたしの文句の付け所もない完璧な実力でAチーム主席を勝ち取って。

 あの日、二人のアホがカルデアに襲来した時がわたしの転機だった。それからの日々は目まぐるしくて、ひとつひとつの思い出を刻んでいたいのに、次々と新しい事件が起きるから、自分の中にはどんどん処理しきれない記憶が降り積もっていく。

 多分、これが日常というものなのだろう。長いようで、振り返ってみれば短い日々の時間。戦いを辛いと感じたことは何度もあるけれど、その気持ちが薄れてしまうくらい楽しいことだっていっぱいあった。

 きっと、これは特別なことじゃない。

 たくさんのケチがついても確かに誇れることもある、そんな人生を、日常を、世界中で多くの人が生きていたはずだ。

 だから、何よりも許せないのは。

 

〝あなたは計画の実現のために、たくさんの日常を焼き払った!! 罪を正しく刻めと言うのなら、まずはあなたがそのことを理解すべきです!!!〟

 

 そして。

 

〝終わりのない世界を創るあなたの理想は優しくて、きっとあなたは誰にも優しかったはずなのに……どうしてあんな手段しか取れなかったんですか!?〟

 

 少女は、人類悪の理想にも寄り添ってみせた。

 いっそ無様なまでに泣き腫らして、示したその感情は怒りでも憎しみでも悲しみでもなく。

 ───あえて名をつけるなら、憐憫。

 憐憫の獣、ビーストⅠたるこの私を、ヒトによって終わりを定められた少女が、泣いて憐れんでいる。

 ああ。

 そうだ。

 そういえば。

 私は今まで一度でも、名もなき人々が送る日常をこの目で見たことがあっただろうか───?

 

〝決着をつけましょう、ゲーティア。誰かの日々を奪うことの意味も知らないあなたに、わたしは負けません〟

〝…………本気で、勝てると思っているのか〟

〝当然です。独りで戦っているあなたと違って、わたしはみんなで戦っているので。────この声が、あなたに聞こえないはずないでしょう?〟

 

 そうして、この世界に現実の写像が投影される。

 少女が護る仲間たちは、それぞれの想いをその背中に訴えかけていた。

 

「マシュなら絶対に勝てるって、信じてる」

「無理なら早めに言え。俺が代わってやる」

「その盾にはオレたち円卓の想いも乗ってる。───負ける道理がねえよな!」

「強いだけで勝てると思っているなら、とんだ大間違いですわっ!」

「私は心配なんてしていませんよ。あなたの強さを知っていますから」

 

 攻撃の全てを受け止めるマシュの体は膨大な熱を蓄積している。ジャンヌは自分の手が焼けるのも厭わずに、背中を叩いた。

 

「───気張んなさい。アンタのふてぶてしさなら、こんな熱さ(いたみ)、屁でもないでしょ」

 

 マシュ・キリエライトは笑う。

 ───わたしは、こんなにもたくさんの色彩(おもい)で彩られている。

 憎たらしく、ふてぶてしく、からかうように。

 

〝……ハッ! こんなわたしたちに勝とうだなんて、百億年早かったんじゃないですか?〟

 

 精神の同調が切れる。

 泡沫のユメが終わっていく。

 霞んで、消えていく彼女の姿。ゲーティアはそれに手を伸ばして、

 

〝─────待っ〟

 

 致命的な、ミスをした。

 …………極光が失せていく。超新星爆発のような輝きは急速に収まり、世界が元の明度を取り戻していく。

 そこに残るのは。

 地面に突き立てた盾にもたれかかるように倒れ込む少女と、虚空へ右手を伸ばしたまま固まる黙示録の獣。

 少女は耐え抜いた。

 人の身には余りある熱量の全てを受け切った。

 右腕は肩口まで焼き崩され、左手はかろうじて原型を保つのみ。全身の至る箇所に痛々しい火傷が残っている。しかし、最も深刻なのは魂の負傷。そのほとんどを費やし、本来不滅である魂は風前の灯火の如く陰る。

 ノアは立香とともに、マシュを地面に寝かせた。

 

「……よくやった。おまえの勝ちだ」

「後は私たちに任せて。リーダーが治してくれるから」

 

 こくり、とマシュは頷く。

 その光景を、ゲーティアは揺れる視界で捉えていた。

 ───ありえない。ありえない。ありえない。

 常に最善手を取れるはずのこの思考回路が、乱された。消えていく彼女を引き止めるために、宝具の掃射を無意識に停止させた。

 あと数秒。否、数瞬。宝具を維持していれば、あの少女は跡形もなく蒸発していたはずなのに。

 

「よくもウチのなすびを焦がしてくれたじゃない。アイツを焼くのは私の役目だってのに!!」

 

 ジャンヌはゲーティアの懐に潜り込み、一直線に旗を薙ぐ。獣はすんでのところで跳んで回避するが、直後、放射された炎に呑み込まれた。

 体表にこびりつく火炎を魔力の発散によって消し飛ばす───その裏、着地点に待ち構えていた騎士が、黄金の剣閃を放つ。

 地面に点々と血液が落ちる。剣の切っ先はゲーティアの脇腹を抉り、血を流させていた。

 

「神殺しの魔剣。不死身の半神半人を斬った一刀! 永遠を否定するモノか……!!」

「喧嘩は苦手か? 動きが単純なんだよ!!」

 

 騎士と魔女は同時に攻め込む。その瞬間、ゲーティアは己が拳を地面に叩きつける。

 ちゃぶ台をひっくり返したみたいに大地が揺れる。地の裂け目から緋色の魔力が噴き出し、自身に迫る二体のサーヴァントを阻んだ。

 ゲーティアは塵と還る魔力の残照に照らされる。

 

「侮るな。強制退去が効かぬのはあくまで遠隔。この手で直接貴様たちの霊基に術式を叩き込めばそれで済む」

 

 その言葉が意味する事実は単純明快。

 サーヴァントは、ゲーティアに触れられただけで座に還る。

 

「たった三騎。三度この手が触れさえすれば、私は勝利する……!!」

「────果たしてそうか!?」

 

 朗々と響く美声。舞い散る薔薇の花弁。紅蓮の斬撃が、獣の頭上に振り下ろされる。

 ゲーティアは道端の虫を避けるように躱した。次いでソロモンの指輪の力を拳に込め、

 

「『逆行起源/天地収斂(ネガ・インフレーション)』」

 

 我が身を狙う極光へと振り抜いた。

 宇宙が膨張するエネルギー。それを爪の先ほどかすめ取り、魔力に変換して放つ一撃。しかし、指輪の力は魔力を分解し無に帰す。

 ゲーティアは見る。この地に紛れ込んだ四人の姿を。

 ソフィア。ネロ・クラウディウス。ニコラ・テスラ。そして、

 

「ダビデ────!!!」

「おおっと、僕かい? いかにもイスラエルイチの美青年ダビデさ。息子が世話になった……いや、世話をしなかったようで何よりだ!!」

「それは何よりなのか?」

「人間関係ばかりはこの天才にも見抜けぬな」

 

 ネロは首を傾げ、テスラは鼻を鳴らす。ソフィアはその二人の横を通り過ぎ、マシュのもとに屈み込んだ。

 右腕を除いて既に大方の傷が癒えている体に手を当てる。

 

「魂がすり減っているな。現状はこれが限界だろう」

「俺の治療にケチでも付けに来たのか? つーかこの場面でなんで全裸だ」

「知らないのか? ニートの正装はジャージでもスラックスでもなく全裸だ」

「私の影に帰ってくれません?」

 

 そこで、ネロはこほんと咳払いする。大げさな身振りで、彼女は歌うように言った。

 

「うむ、それはともかくとして! 我らローマ合従軍、故あって助太刀に馳せ参じたぞ! ゲーティアよ、友情パワーの前に沈むがよい!!」

「サーヴァントが三騎と魔女がひとり。潰す敵の数が増えたところで……!!」

「何を勘違いしている? 私は痛いのが嫌いでな、潰される寸前に帰るつもりだ」

「おいおまえマジで帰れ!!!」

 

 ノアは怒号とともに拳を振るうが、すかっとソフィアを外れる。

 ゲーティアは魔力を込めた視線で知恵の女神を睨む。並のサーヴァントならそれだけで致命傷を与える眼差しは、彼女に毛ほどの影響も生じさせなかった。

 亜種反転固有結界スカイクラッド。外界と内界を反転させ、空間を支配する業。それによって、知恵の女神は視線を捻じ曲げているのだ。

 

「人類の滅亡に賛成した貴様が、『暗黒の人類史』とやらを送り込んだ貴様が───今や世界を救うために戦うとはな。恥という言葉はないのか?」

「恥の多い人生を送ってきたものでね。それに、違うぞ。私は世界を救うためになんか戦っていない」

「驚愕の事実なのだが!? そうだったのかヘレン!?」

「はい。私がここにいる理由は簡単です」

 

 ソフィアは立香の頭頂に揺れる髪の房を握り、もう一方の左手の人差し指をゲーティアに突きつける。

 

「私は、お前より立香の方が好きだ。私は切り捨てられた弱者のために在ると決めた───ことを思い出した。お前がこいつの幸福な未来を奪うなら、私はお前の理想を潰す」

「欺瞞だ。逃げ続けた貴様にそんなことはできない」

「……私には、な」

 

 ソフィアは戦いに向く性質ではない。己の全てを懸け、ぶつけ、最後の最後、勝負を決めるための一歩を踏み出す勇気を持たない。

 彼女が勝てるのは自分より弱い者だけ。格上には恐れをなして逃げるしかない。そして、弱者に寄り添う願いを取り戻した今、ソフィアは誰に対しても完全に勝ち切ることはできないのだ。

 知恵の女神はその欠点を微笑みによって認めた。

 ゲーティアがその様に悪寒を覚えたその時、雷電の雨がこの地上に轟く。

 

「さて。あの時のリベンジとしても良いが、まずは捻じれ曲がった運命を正そう!!」

 

 ニコラ・テスラは快活に吼える。

 青き空が雷雲に包まれ、電光の帯が紡がれる。

 

「刮目せよゲーティア! 貴様にとっての終わりが、此処に来るぞ!!」

 

 それは帯と言うよりは、大空を断ち割る紫電の路。不定形に揺らぎ、瞬く雷光が実体を獲得し、まるで廻廊の如く変化した。

 

「────『大雷電階段(ペルクナスラダー)』!!」

 

 全宙域に設置された起点。瞬く間にそれらは繋がり、広がり、たったひとりをこの場に運ぶ。

 小さな影が光の廻廊を通り、地面に墜落する。白衣のところどころを焦がし、咳き込みながら、彼は立ち上がった。

 

「あー、痛たたた……」

 

 気の抜けた柔らかな声音。どんくさい手付きで煤を払い、ふうと息を吐き出す。

 彼は、いつもみたいに、困ったように微笑んだ。

 

「お待たせ、みんな。さあ、勝とうか」

 

 ───ロマニ・アーキマン。

 まぬけで、要領の悪いカルデアの指揮官。カルデアに来たその日から毎日顔を合わせた人間。ノアと立香は顔面を蒼白に叫んだ。

 

「あそこまでお膳立てされといて来るのがおまえかよ!! 帰ってコーヒーでも啜ってろ!!」

「管制室ほっぽり出して何やってんですか!? ダッシュで戻ってください!!」

「ふっふっふ……これを見てもそんなことが言えるかな?」

 

 左手を包む手袋を脱ぎ捨てる。

 親指に嵌め込まれた指輪。それは決戦前夜、仲間たちで分け合ったお手製の贈り物。中指に嵌め込まれた指輪。それは仄かな黄金色の輝きを宿していた。

 ノアの視線は中指に注がれる。

 指輪の神秘を感じ取ったのだろう。瞳孔が開き、喉が震える。彼はか細い声を絞り出した。

 

「おまえ、それ」

「……うん。キミが欲しがっていた、ソロモン王の指輪だよ。隠しててごめん」

「ど、どうしてドクターが持ってるんですか。もしかして盗んだんですか」

「ああ、それは簡単なことだよ」

 

 ロマンは何でもないように言う。

 

「だって、ボクがソロモン王だから」

 

 しん、と静寂が響き渡る。

 その場にいた者は皆、衝撃を受け止めきれずに固まっていた。敵であるはずのゲーティアでさえも。唯一、全てを知ることのできるソフィアだけは仏頂面だったが。

 頭を必死に回して理解しようとする者と初っ端から理解を諦めた者が入り乱れる。ただし、Eチームメンバーの目はひとりに注がれていた。

 視線のことごとくを受け止める人間。ノアの顔面からはいつもへばりついていた邪悪さが微塵と消え、稚児のような表情に戻っている。

 ぐし、と左手が髪を掻く。

 言葉の意味自体は理解した。

 それが嘘でないことも、指輪の存在で納得した。

 高速で早回しされた思考に感情が追いついたその時、彼はあんぐりと口を開けて絶叫する。

 

 

 

 

 

「────…………はあ!!?!?!?!!?!?」

 

 

 

 

 

 宙域に集う全サーヴァントに届くかのような大絶叫。

 ようやく追いついた感情さえも置き去りにするかのように、ロマニ・アーキマンの姿形が変容する。

 編み込まれた長く白い髪。浅黒い褐色の肌。その身は王の衣に包まれ、気の抜けた雰囲気はどこかに無くなっていた。

 その姿を見て、ゲーティアもまた確信する。

 この男は、自らを産んだ魔術師に違いないと。

 

「何故、貴様がここにいる」

「たった一度、この世界で行われた正統な聖杯戦争。その勝者であるマリスビリー・アニムスフィア。私はキャスターとして彼に召喚され、聖杯にかけた願いによって人となった。だからだよ」

「何もかもが虚ろな貴様に、願いがあったというのか」

「神に、運命に縛られた男が死後それから解き放たれる場所を得たんだ。少しは変わるというものだろう。……いいや、もしかしたら、今この時のために神は私を遣わしたのかもしれない」

 

 自嘲気味に面を伏せるソロモン。ゲーティアは燃え滾る激情を指に込め、拳を握り締める。

 

「だとしても、貴様に何ができる!! 才も能も持たぬ人間となり、その姿は指輪によって繕われた着ぐるみ!! 無意味、無意義、無価値だ!!」

 

 ───死に、生まれ変わってもなお、貴様は無意味な行動を繰り返し続けるのか。

 そう問いかける自らの魔術式に対して、ソロモンは当然のように言い返した。

 

「意味はある。私が唯一、お前に教えなかった魔術。自己の消滅をもって、この戦いを終わらせよ────」

「おっと、それは待った!」

「───うぶっ!?」

 

 ダビデはソロモンの言葉を遮るように杖を頭に振るっていた。頭を抱えてうずくまる我が子を無理やり立たせ、ノアたちに向けてその背を蹴り飛ばす。

 

「別れの言葉もナシで消えようなんて、不義理がすぎるんじゃないかい? 君が人間として繋いだ絆の全てに引導を渡してからが筋ってものだろ?」

「それは、命令ですか。父上……いえ、マジでダサい王様略してマダオ」

「普通に命令だけど? まったく駄目なところがない王様からの金言は受け取っておきなよ」

 

 ソロモン……ロマンは非常に微妙な顔をして、踵を返す。

 ダビデはその背を見ることもしなかった。その瞳が捉えるのは、ビーストⅠ ゲーティア。羊飼いは煌めくような眼で告げる。

 

「そういうことで……時間稼ぎに付き合ってくれ! どうせ一度死んでるんだ、もう一回くらい大したことないだろう、ダンテさん!?」

「なんで私なんですかねえ!!? いえ、流石に頑張ろうとは思ってますが!!」

「お前にしてはいい心掛けじゃねえか。ウチのアホマスターが満足するまで凌ぐぞ!!」

「むうう、余は死ぬのは嫌なのだが……独りではないからヨシ! ヘレン、ここで奴を倒してしまっても構わぬのだな!?」

「はい。私たちの戦いはここからです」

 

 戦火が巻き起こる。

 それを背景に、ロマンはノアたちへと歩んでいた。

 

「……ええと、何を話そうか」

 

 立香はくすりと微笑んで、

 

「別に、特別なことは要らないんじゃないですか? だって、ドクターはドクターですもんね?」

「うん。そうだね、立香ちゃん。君はそう言ってくれる子だった。今だからこそ思うよ。君がいなくては、私たちはここまで戦うことはできなかった」

「あ、でも一発殴らせてくれません?」

「なんで!!?」

 

 突如の暴行宣言に、ロマンは顔面を歪める。まだ殴られてもいないのに。

 当然の疑問に答えたのは、立香ではなくノアだった。彼はロマンと触れ合う距離まで詰め寄り、渾身の拳を頭上に落とす。

 

「生きて帰るまでが人理修復つったのはおまえだろうが!! それを言ったおまえが消えるだと!? ふざけんじゃねえ、ナメてんのかボケナスが!!」

「わ、わたしの悪口が聞こえた気が……」

「おまえじゃねえ黙って寝てろボケなすび!! 自己の消滅ってのはどういう了見だ!? 三秒以内に答えやがれ!!」

「ノアくんの嫌いな他人のうんちく話になるんだけど……」

「いいからさっさとしろ!!」

 

 ───マリスビリー・アニムスフィアがソロモン王というサーヴァントを召喚し得たのは、王の聖遺物である指輪を触媒として使用したからだった。

 それはソロモン王の死後から遺り続けたモノであるが故に、人間として生まれ変わった後も存在していた。そして、今ここ、ゲーティアが持つ指輪と合わせて全ての指輪がある。

 ソロモン王の最初にして最後の宝具。それは十個の指輪を返還することで、自身の全存在の消滅を招く。そう、彼が創り出した七十二柱の魔神たちでさえも。

 

「私……ボクは英霊の座からも消え、無に還る。それが、今の自分にできる使命だ。言っておくけど、こればっかりはみんなに止められても譲れない」

 

 ソロモン王は消える。

 この世界からも、英霊の座からも。

 覆しようのない喪失を、ノアは正しく認識して。

 彼は、両の拳をロマンの胸に叩きつけた。

 何かを言おうとして、浮かんでくる言葉は全て覚悟を汚すと気付いて、また別の言葉を探して。堂々巡りの思考を繰り返す内に首は垂れ下がり、ぽたりと足元に水滴がこぼれ落ちる。

 ロマンはその顔を隠すように、両腕で彼の頭を包み込んだ。

 普段からは想像もつかないほど弱々しい声音で、ノアは言う。

 

「ずっと、おまえに憧れてた」

「うん。知ってるとも」

「……おまえがいたから、地の底でも生きていられた」

「ボクのおかげだけじゃないだろう? でも……ああ、とても嬉しいな。ソロモン王でも、誰かを救えていたんだ」

「───せっかく、ようやく逢えたのに、さっさと行ってんじゃねえよ」

「……酷いことをしてしまったね。でも、もういいんだ。ボクを追いかけなくてもいい。だってキミは、全ての人を根源に連れていくんだろう?」

 

 キミなら、必ずソロモンを超えられる。

 そう言って、ロマンはノアの白い髪を撫ぜる。愛おしむように、励ますように、いつの日か我が子にそうしたように。

 

「ソロモンはずっと空っぽだった。全てに意味を見出だせず、無力なままに人生を終えた。嫌いだったよ、憎んですらいた。ボクがボクになってからはね」

 

 だけど、と彼は優しく言う。

 

「第四特異点から帰ってきた時、キミは言ってくれただろう? 俺だけはソロモンの行いを肯定すると。そのおかげで、ボクもソロモンを受け容れられるような気がした」

 

 ────だから。強く、強く、自らの熱で暖めるみたいに、彼はノアを抱き留める。

 

「キミも、自分を許していいんだ。大切な人を亡くしたのは絶対にキミのせいなんかじゃない。……あの雪の中に、打ち捨てた自分を拾いに戻っても良いんだよ」

 

 ノアは何も言わなかった。

 ただあの頃に戻ったみたいに、けれど、決して独りではない場所で泣いて。

 ロマンはそのまま、立香へと顔を向ける。

 

「立香ちゃん。キミの前に進む力は誰よりも強い。ノアくんを引っ張っていってくれ」

「はい! ど〜んと任せてください!! 私もドクターのまぬけ加減にはいっぱい助けられました!!」

「うん───幸せにね」

 

 次に瞳が向くのは、マシュ・キリエライト。立香におぶさる彼女はもそもそと唇を動かす。

 

「こんな体なのが悔しいです……万全ならリーダー以上にボコってました……」

「ま、まあそれは気持ちだけ受け取っておくとして……おこがましいかもしれないけど、マシュのことは自分の娘みたいに思ってる。こんな結果になってごめん」

「まったくです。なので、罰としてお父さんとは呼びません。ただのおっさんとして頑張ってください、ドクター」

「実年齢的にはおじいさんだけどね」

 

 さて、とロマンはノアの肩を掴んで優しく押した。

 そのまぶたにもう涙はなく。ノアは王衣から帯を一本剥ぎ取って、勢い良く鼻をかむ。

 

「……もう大丈夫かい?」

「ああ、おまえの勇姿とやらを見ててやる。あと加齢臭どうにかしろ」

「えっ嘘!? ダ・ヴィンチちゃん特製香水で対策してたつもりなんだけど!?」

「冗談だ。行ってこい、ロマニ・アーキマン」

 

 ノアはロマンを押し飛ばす。

 

「ああ、行ってくるよ」

 

 彼は背中を擦りながら、ゲーティアを見据えた。

 戦況は劣勢。数の差で敗北は免れているが、一撃でも攻撃を受ければ退去するため、深く踏み込めてはいない。ましてや、ゲーティアが放つ魔術はかすりでもすれば、サーヴァントさえも消滅させるだろう。

 ただの人間であるこの身にとっては。そんなことは考えるまでもない。

 いつの間にか横に飛ばされてきていたペレアスは頬の血を拭い、ロマンに問いかける。

 

「話は終わったみたいだな。オレたちは何をすればいい?」

「必要なのは隙と距離です。前者はほんの僅かでも構いません。距離に関しては、ボクの手が届くくらいでお願いします」

「承知した。騎士の誇りにかけて、お前を送り届けてやる!!」

 

 無論、そのやり取りをゲーティアは把握していた。

 全身に張り巡らせた魔術回路。暴走と言えるまでにそれを励起させ、魔術という形に変えて撃ち出す。

 無数。陳腐に使われるその表現を表すが如き物量の光弾。対魔力さえ無為にする威力を秘め、さらにはそのひとつひとつに強制退去の術式を織り交ぜた絶死の雨が降り注ぐ。

 ペレアスは弾幕の中へ迷い無く身を投じた。

 

「『死に逝く騎士に、湖光の愛を(ル・アムール・ド・ダーム・デュ・ラック)』!!」

 

 リースはペレアスへと宝具を捧げる。

 死の運命を免れる宝具。雨霰のように降る光弾であろうと、騎士を脅かすことはできない。

 ───あくまで否定するのは死。死に至る毀傷でないなら、それは通用する。

 ゲーティアはペレアスを迎え撃つように拳を翳した。死なぬ程度の攻撃なら当たる。攻撃が当たるなら退去の術式をもって排除できる。

 ならば、最優先で滅するべきはこの騎士だ。

 だが、その剣に触れてはならない。運命を絶つ魔剣は人類悪の真体にさえも致命傷を刻みつける。

 

「───ビビってんのか? その顔じゃあ焦ってんのかも分からねえけどな!!」

「ほざけ! 貴様とソロモンを片付ければそれで終わりだ! もう一度光帯によって焼き払ってやる!!」

「ほう、この天才を仲間外れにするつもりか? エジソンのような愚かな所業だぞゲーティア!! 『人類神話・雷電降臨(システム・ケラウノス)』!!」

「汝はゴリアテ、罪ありき……ってね! 『五つの石(ハメシュ・アヴァニム)』!!」

 

 必中の石弾が飛び、時空に裂け目が現れる。

 ダビデの投石は複雑な軌道を描き、ゲーティアの頭部を打ち据える。直後、閃いた斬撃が獣の右角を切り払った。

 絶え間なく放射される光弾の雨中に、時空断裂が導く活路が形成される。そこへなだれ込む味方たちに、ソフィアは魔女の加護を捧げる。

 

「『三度、恩寵は降り注ぐ(トライアド・ユーフォリア)』」

 

 展開する『三重の法則』。全ての行動が善きにつけ悪しきにつけ、三倍になって帰る魔女宗の術式。魔女宗の魔術基盤は知恵の女神が創始した。そのアドバンテージをもってしても、グランドキャスターの能力を持つゲーティアにこの法則を適用することはできない。

 それを考慮して、法則を適用する対象は味方に絞る。『世界を救う善行』の三倍を。

 

「ボーナスタイムだ。攻めろ」

「うむ! ずんばらりんにしてやるぞ!」

「最初から使いなさいよそのインチキ魔術……!!」

 

 ゲーティアへと攻撃が殺到する。

 そのほとんどは不可視の魔力障壁に阻まれるが、いくつかの攻撃は不自然にすり抜け、獣の表皮に僅かながらも傷を付けていく。

 反面、ゲーティアが振るう拳は、放つ魔術は敵にかすりもしない。けして躱せぬ速度、逃げられぬ物量の攻勢をかけているというのに。

 ゲーティアの裡に蠢く魔神たちの意識。そのおよそ半分をソフィアの術式の探査に費やし、対抗策を講じる。

 ともに未来を見通す千里眼を有する女神と獣。先手の獲得を分けるのは、可能性を総覧する速度と最適解を選ぶ知恵。

 その競争を、知恵の女神は放棄した。

 ゲーティアは自身に最も都合の良い未来を選び取る。

 

「光帯、限定解放」

 

 光帯の欠片が墜落する。

 数は五。単純な熱量は星の聖剣の最大出力に匹敵する。威力はそれ以上。地球上にこれを耐えられるモノは存在しない。

 善の三倍に頼ることもまた不可能。ゲーティアは感染魔術の理論を通じて、自身の創り主であるソロモンを介して『三重の法則』を獲得していた。

 だから、これを回避するなどという奇跡は起こり得ない。

 

「まあ、私は勝てないからな。そういうのは」

 

 知恵の女神は先手を取ることを諦め、ゲーティアが選ぶ未来を見極めることに注力した。

 結果、誰よりも先に動いたのはソフィア。

 この光を防ぐ術はない。

 ならば。

 

「術式転写、『神的世界への被昇天(シュゼーテーシス・プロパトール)』」

 

 自身を起点に宇宙の余剰次元を展開し、そこへ光帯の爆撃を連れ去る。

 空間に開いた巨大な孔が光の欠片を呑み込み、ぴたりと閉じる。ゲーティアは頭上の光景を余すことなく把握し、全ての意識を眼前の敵の排除に傾けた。

 テスラは雷電を纏い、高らかに笑う。

 

「光帯とは貴様が人理焼却によって集めたエネルギー! それを二度もこうして使用するとはな! 虎の子の熱量を消費しすぎれば貴様の望みも叶うまい!!」

「その時はもう一度やり直すだけだ。限界が近いのは貴様とて同じこと。聖杯なきその霊基で、いつまで宝具を保っていられる?」

「良い問いだ。天才の頭脳をもって答えてみせよう。私の現界可能時間は残り十秒だ!!」

「短すぎません!? 自信満々に言うことじゃないですよねえ!!?」

 

 ダンテの悲鳴を受け、テスラはこれまた自信満々に答えた。

 

「確かに短い───が、これは計算の末の結論! 目を凝らしてとくと照覧しろ!!」

 

 その時、テスラは自身の全魔力全霊基を宝具に叩き込んだ。

 時空断裂の一撃。しかし、未来視を有するゲーティアにそれは通じない。裂け目が発生する瞬間と位置を読み、

 

「……っ、ぐ!?」

 

 それさえも予想していたかのように、時空の断面がゲーティアの胸を裂いた。

 

「我が計算に陥穽はない! またもや私の才能が証明されてしまったということだ! 後は頼んだぞ!」

 

 ゲーティアは必ず最適解を取る。テスラの思考をもってすれば、それを読むことは容易い。彼の演算は未来視の最適解すら超越し、獣を毀傷せしめるに至ったのだ。

 ───この程度、僅かな隙にはなろうとも命には届かない。神殺しの魔剣でない物理的な負傷など、一瞬と経たずに修復できる。

 が、その刹那。眩き黄金の劇場が、この世界を切り離した。

 

「『招き蕩う黄金劇場(アエストゥス・ドムス・アウレア)』───『童女謳う華の帝政(ラウス・セント・クラウディウス)』!!」

 

 自身の領域下における、最高の剣技。

 皇帝の華の一閃は振りかざされる拳と重なり、両者の肉体に血の徒花を咲かせた。

 ネロの肉体を駆け巡る強制退去術式。薔薇の皇帝は塵と果てる寸前、煌々たる笑顔とともに詩篇を宙へ投げ放つ。

 

「是非もなし! しかしてローマは不滅である!! ローマの誇りたる詩人の御業を見るが良い!!」

 

 詩篇が、白き輝きを発する。

 

「『至高天に輝け、永遠の淑女(ディヴァーナ・コンメディア)』」

 

 黄金の劇場を塗り潰し、顕現する白薔薇の天界。

 無数の聖人・天使の霊体が曼荼羅の如き模様を描く、無上の界。ソロモン王でさえも生前、辿り着くことは叶わなかった領域。そこに余人を挟まず二人。ゲーティアは憎悪とともに、詩人へ怒号を飛ばす。

 

「私が知る限り最も低俗な宝具───それが貴様の結界だ! 勝手な救いを他人に押し付ける、唯一神の醜悪を体現している!!」

「だとしても、誰よりも救いを望んでいるのはあなたなのではないですか」

 

 ダンテは言い聞かせるように告げた。

 

「創世記をやり直し、終わりなき生命の星を創造する。……ええ、私なぞには思いもつかぬ一大事業です。ですが、その根底にあるのは誰かを救いたいという願いだったはずでしょう」

 

 ───だとするならば、この宝具は最上の効果を発揮する。

 今までにこの宝具を打ち破ったのは虹蛇のみ。彼女は民を殺戮し陵辱した海の外の人間を、神を憎み、長き時を経ても陰らぬ想念によってこの世界を否定した。

 けれど、他者の感情を知ることが能うダンテには分かっていた。

 ゲーティアは誰をも憎んではいない。

 彼の所業はすべて、終わりを憎み、悲劇を繰り返す人類を憐れみ、この星に救いをもたらすためなのだと。

 救いを望む。それは決して自分のためでなく。

 かの救世主は、見知らぬ誰かをも救うことを望んでいたはずだ。

 よって、永遠の淑女ベアトリーチェは降臨する。大義のために全人類の殺害を成すしかなかった、哀れな獣の魂を抱くために。

 

「─────!!!」

 

 結界が閉じ、彼らは現世に帰還する。

 ゲーティアは魂の大半を奪い取られていた。彼の本質は七十二柱───第二特異点にてフラウロスを失い、七十一だが───の魔神の群体。それぞれが相互に補完しあい、再生機構を備えた魔術式。魂の補充はいくらでも効く。

 ダンテの宝具は彼には必殺足り得ない。が、それが重大な負傷であることに変わりはなく。

 

「ゲーティア。お前はやり方を間違えた。全人類の抹殺などという安易な手段に走った。だから、こうして叛逆する者たちがいる。星を焼却する程度で人が滅ぶとでも思ったのか? 計画としては下の下、不完全に過ぎる。目的の達成に当たってはあらゆる障害を除き、確実に実現できるようにしろと教えたはずだ」

 

 ソロモン王。

 ゲーティアにとっての終わりが、悠然と迫っていた。

 

「ならばどうすればよかったのか? それは簡単だ。この星の現住生命体全てに懇願し、説得すればよかったんだ。誰も文句を言わず、賛同するようになるまで。〝私は終わりなき生命の星を創るから、君たちは全員焼け死んでほしい〟と」

 

 獣の創り主は、そんな、解決策にもならぬ夢物語を淡々と述べた。唖然と佇む眷属に、彼は突き刺すような一言を言い放つ。

 

「───人間と向き合うことから逃げたな、ゲーティア」

 

 ぶつりと、ゲーティアの中で何かが切れる。

 魂の補充などどうでもいい。体が動かないことなんて彼方に吹き飛んだ。今はただ、迫り来るこの男を殺す────!!

 

「貴様に、貴様が、そんな戯言を───ッ!!!」

 

 縋るように突き出した右拳。ソロモンの頭蓋を砕くべく繰り出したそれは、直前で止まる。

 ダビデ。彼はその身を呈して、ゲーティアの拳撃を受け止めていた。

 

「……チンタラ歩きすぎ。敵は速やかに排除しろって昔言ったんだけど?」

「貴方がこうすることは予想済みでしたから。予定通り肉壁になってくれてありがとうございます、股がだらしないお父さん」

「あ゙〜っ! ほんとにこいつ! こいつっ!! 親の顔が見てみたいなぁ!!?」

 

 黄金の塵となって退去していくダビデ。その息子は親の残滓を蚊を払うような手付きで振り飛ばすと、左手の薬指から指輪を抜き取る。

 

「ゲーティア」

 

 ソロモン王が有する宝具は三つ。

 第三宝具『誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)』。

 第二宝具『戴冠の時きたれり、其は全てを始めるもの(アルス・パウリナ)』。

 

「お前に、最後の魔術を教えよう」

 

 そして。

 神より与えられた天恵をソラに還し、自身が持っていた文字通り全部を捨てる、自死の宝具。

 指輪を両手で包み、天へと掲げる。

 ソロモンは。

 ロマンは。

 左手の親指にはめた指輪を見て、頬を緩める。

 これは自分が人として生きた証。

 たくさんの人と繋がり、得た想いの結晶。

 ───ああ、名残惜しいなあ。

 胸の内がざわつく。

 視界が潤み、世界が歪む。

 ボクはもう空っぽじゃない。

 虚ろに空いた心は、抱えきれないほどの色彩(きおく)で溢れている。

 たとえこれから何もかもが失せて無くなってしまうのだとしても、この世界に生きた意味はあった。

 これは紛れもない自死の宝具。

 だけど。

 

「『訣別の時きたれり、其は世界を手放すもの(アルス・ノヴァ)』」

 

 人として生きたこの証を、彼に託そう。

 これが、ロマニ・アーキマンの生き様だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かくして。

 ソロモン王は───ロマニ・アーキマンはこの世を去った。

 王となるべく望まれ、定められた運命のままに生きるしかなかった男はその最期、全てを手放すことでこの現世から解放された。

 その末は無。何も存在しない虚空。

 だけれど、彼が与えたものは確かに此処に在る。

 びしりと、空間がひび割れる。ソロモン王の消滅はすなわちゲーティアの破滅。神殿は早くも崩壊への道を辿り始めていた。

 

(これが、終わりか)

 

 獣は想う。

 自らの魂に這う終わりの影を感じ取り、現実味に塗れた己の死を。

 そう、事ここに至るまで、彼は死というものを実感したことがなかった。ありとあらゆる生命にその結末を強制していながら、自分が不死であるがために死を死としてしか認識していなかった。

 怖い? ───否、自分にこれを恐れる資格はない。誰も彼もにこれを与えておいて、今更醜く喚いて拒絶するなんてできない。

 思考が巡って巡って揺れ動いて。

 ああ、とゲーティアは確信した。

 

(私は、間違えた)

 

 大義。理想。偉業。救済。

 どんな美辞麗句で修飾しようとも、人理焼却は己のエゴでしかない。

 たったひとりの思想が、世界を牛耳る。その構造がどれほど醜悪で不完全なのか、ゲーティアは這い寄る死の気配とともに理解した。

 だって、そうだ。

 自分が理想とした世界では、命はみんな認めあって手を取り合っていたのに、それを創ろうとしている者がみんなを蔑ろにした。

 なんて、ふざけた矛盾だろう。誰かを切り捨てた者が、誰をも切り捨てない世界を創ろうとしていたなんて。

 醜い。

 醜い。

 醜い。

 闇に沈んでいく意識の中で、ひとつの言葉が心に滲み出す。

 

〝ぼくにはきみが人間に見えるけれど……?〟

 

 我が計画の裏で蠢く三体の獣。その内の一体が言い放ったそれが、なぜか、視界を晴らした。

 認めよう。

 確かに自分は人間のように不完全だ。

 それでも、終わりを無くしたいという理想だけは否定させない。否定できない。

 やり方が間違っていたことも癪だが受け容れよう。

 こうして立ち上がるのはエゴだ。

 罪はある。罪に塗れている。

 それでも、この魂は戦えと叫んでいる。

 なぜなら、過程が間違っていたとしても、この願いは間違いなんかじゃないのだから。

 

「───ここで、終わりなんかにはさせない!!」

 

 ギン、とゲーティアの瞳が輝く。

 呪いを込めた邪視。サーヴァントをも殺す魔の視線を、二人のマスターに向ける。

 

「…………ッ!!」

 

 しかし、それは彼らに届かず。

 ひとりの詩人が、呪いの全てを身を以って受け止めていた。

 

「ダンテさん!!」

 

 立香の叫びに、ダンテは微笑みで返す。

 

「私たちの繋がりは、たった一度の退去で切れるものではありませんよ。もう一回呼んでください。全員で祝勝会としましょう」

 

 その顔に、いつものような恐れや怯えはなかった。散っていく黄金の塵。ノアは邪悪に笑み、仲間たちに言い放ってみせる。

 

「そういうことだ。おまえら全員特攻しろ。死んでも俺が後で召喚してやる。その代わり立香と俺だけは必ず護り抜け! それがサーヴァントの役目だからなァ!!」

「ああそう、アンタは焼かれる覚悟しときなさいよ! 祝勝会のメインディッシュにしてやるわ!!」

「それじゃあ私が調理を担当いたしますわ。大人数の料理を作るのは慣れています」

「俄然楽しみになってきやがったな! ノア、もしオレたちが仕留め損ねたらお前がキメろ!!」

 

 ノアは傲慢に笑い飛ばし、

 

「言われるまでもねえよ───ペレアス」

 

 直後、炎のカーテンが後方のマスターたちとの間に奔り渡った。

 視線による呪いを遮る防壁。これより一切の呪いはサーヴァントたちに向けられる。黒き炎の戦場を造り出し、ジャンヌは竜の魔女に違わぬ笑みで叫ぶ。

 

「立香!! 私にも応援寄越しなさい! そこでぶっ倒れてるなすびよりもとびっきりのやつを!!」

 

 立香は、炎の壁の向こう側へ呼び掛ける。

 

「そんなやつやっつけちゃって、ジャンヌ!!!」

「───ありがと。超絶やる気が出てきたわ!!」

 

 騎士と魔女は同時に駆けた。

 敵は今まさに崩壊を遂げているものの、人類悪の獣として真体に至った力は未だ失われてはいない。時間は彼らに味方するが、それでも二騎のサーヴァント程度、即座に始末できる。

 はずだった。

 

「いい加減こっちだってムカついてんのよ! あのアホドクターが命懸けたんだから、とっとと死になさい! せんとくんみたいな見た目してくれちゃって!!」

「知ったことか!! 私とて我慢の限界だ! これほどの性能の差、存在の差がありながら何故貴様たちは喰らいつける!!」

「おいおい、そりゃお互い様だろ! お前もオレたちも意地で立ってんだよ、ようやく戦いらしくなってきたと思わねえか!?」

「───……ク、クッ。ああ、それも認めよう。これこそがヒトの闘争! 意地と意地をぶつけ合う喧嘩というやつだ!!」

 

 炎が弾け、斬撃が閃き、魔術が踊る。

 隙間なく折り重なる、騎士と魔女の連撃。その全てをゲーティアは読み切り、反撃する。

 黄金の剣撃と炎の打撃の双奏に、水の刃が滑り込む。それは鞭のようにしなり、蛇のようにうねり、ゲーティアの視界外からその首筋を裂く。

 湖の乙女リースは伸び切った水の刃を手元に戻す。がっくりと肩を下げて、艷やかな吐息を吐いた。

 

「それにしてもあっついですわ! ジャンヌさん、少し温度を下げてくださいませ!」

「うっさいわ縁日の金魚! 旦那に抱かれてる時よりは熱くないでしょうが!!」

「ジャンヌさん、下ネタは私の専売特許ですが!?」

「ふ、品性下劣な精霊め!!」

「人の嫁の悪口言ってんじゃねえ!!」

 

 口汚く罵り合い、渾身の悪意を込めて暴力を振るう。

 その戦いに高尚さはない。

 騎士道物語に語られるような絢爛さもない。

 余計な装飾をかなぐり捨てて、ただありのままに殺し合う。だからか、爽やかとは絶対に言えないけれど、この瞬間に嘘はなかった。

 ジャンヌの一刀がゲーティアを逆袈裟に捉える。

 

「───お、おおっ!!」

 

 獣はそれを意に介さず、魔女へ拳を振り落とす。

 強制退去の術式が流れ込む。ジャンヌは口元を血で濡らし、黄金色の瞳を赫々と灯した。

 

「この腕、貰っていくわ!!」

 

 己が霊基を注ぎ込んだ自爆。全身全霊の炎は、ゲーティアの右腕を道連れに焼き払う。

 右腕の喪失を意識から除き、背後に迫る男へと残る拳を薙ぐ。それは、騎士が繰り出す斬撃と同時だった。

 

「『運命絶す神滅の魔剣(ミストルティン・ミミングス)』!!」

 

 黄金の輝きがゲーティアを袈裟に斬り込み、拳がペレアスの胸を突く。

 そうして、彼らの喧嘩は終わりを告げた。

 炎の幕が消え失せ、獣は残されたマスターたちを見据える。

 視線による呪いを発動しようとするも、それを成す機能はとうに崩壊していた。

 

「次は、貴様の番だ」

 

 ノアはくつりと喉を鳴らす。

 

「おまえの目も衰えたか?」

 

 伸ばされた右の人差し指。その先がゲーティアの背後を指し、

 

「そいつは、俺のサーヴァントだぞ」

 

 背中を刺激する、微かな気配。

 ゲーティアは翻り、円卓の騎士の姿を見る。

 今にも消滅するサーヴァント。しかし、彼はかの国で誰よりも生にしがみついた人間であるが故に。

 

「ペレアス─────ッッ!!!!」

「こいつはおまけだ、もらってけ!!」

 

 ゲーティアの胸の中心に突き刺さる、神殺しの魔剣。

 対して、獣の拳は空を切る。ペレアスの頭部を狙った一撃はしかし、標的のそれは既に消え去っていた。

 ゲーティアは膝をつき、剣を抜いて捨てる。魔剣は地を滑り、ノアの足元で止まった。彼は血が滲んだ柄を拾い上げると、刃の腹で肩を叩く。

 

「さて。このままタイマンと行きたいところだが、少し待て。魔術回路をガキの頃に戻してる途中だ」

「……待つと、思うのか」

「そりゃそうだ。俺だってそうする」

 

 ノアは暫時考え込み、ふっと笑いをこぼす。

 

「おい、どうする立香。時間が足りねえぞ」

「なんで私に言うんですか!? リーダーが負けたら終わりですよ!? そもそも先にやっとくのがいつものリーダーじゃないですか!!」

「うるせえ! どれもこれもロマンの野郎のせいだ! あいつがあんなこと言わなきゃ魔術回路に手ぇ加えてねえよ!! つべこべ言わずそのアホな脳みそ回せ!!」

「はああああ!? 前々から思ってましたけど、リーダーの方が私よりアホですよね!? 全生物アホ決定戦なら私とリーダーの一騎討ちになりますから!!」

「先輩、それは自分をも貶めてます」

 

 敵の眼前だというのに、いつものように言い争うマスターコンビ。ゲーティアはその様に心臓ををまさぐられるような感覚を覚えながら、少しずつ立ち上がる。

 魂の補充を果たし、肉体の損傷を癒やし、二本の足が地を踏みしめる。それと同時、ノアは上空へ向けて大音声を轟かせた。

 

「───ギャラは払ってやる!! おまえの独壇場にしろよ、トカゲアイドル!!!」

 

 直後、空から三つの人影が墜落した。エリザベート・バートリー、クリストファー・コロンブス、ベオウルフ。彼らがなぜ上から落ちてきたのかと言えば、

 

「スサノオお届け便、ただいま到着じゃ! 料金は着払いで頼むぞ!」

「あ、あのニート神……私たちが米の海で泳いでると思ったら急に拉致して……せっかくの登場シーンがわやになっちゃったじゃない!!」

「いやまあ助かったけどな。何気にピンチってやつだろ、これ。何よりこういうのは俺の好みだ。戦士の血が騒ぐぜ……!!」

 

 と、思い思いに喋るエリザベートとベオウルフの頭を踏みつけて、コロンブスはゲーティアの前に立つ。

 舐め回すような視線。コロンブスはゲーティアの頭から爪先までを値踏みするかのように観察していた。

 すると、どば、と彼は滝のような涙を噴出させる。

 

「オイオイオイ、ボロッボロじゃねえか魔術王よォ!! 事と場合によってはお前に味方してやろうと思ってたのにそりゃねえだろ!! ちくしょう!!」

「えっ、こいつクズすぎん? 怖いんじゃが」

 

 スサノオのツッコミを無視して、くるりとノアたちに振り向く。コロンブスは顔面崩壊レベルの輝かしい笑顔だった。

 

「俺は忘れねえぜ、ともに海を駆け抜けたあの日々を……!! ヤツをぶっ倒して世界を救おうぜ相棒ォ!!」

「立香」

「ガンド」

「ォォンギャアアアアアア!!!」

 

 鼻っ柱に魔弾を打ち込まれ、地面を転がるコロンブス。顔面に靴跡を残したエリザベートはコロンブスの顔を踏み返し、槍をゲーティアに突きつける。

 

「とにかく、時間稼ぎ承ったわ! とびっきりのパフォーマンスでハートブチ抜いてあげる!! あいにくアナタの出番はないわよ、アホ白髪魔術師!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼は、無への道を歩んでいた。

 黒く暗く、無明の世界。どこまで続くのかも分からぬ闇の中を独り歩く。

 物寂しい風景だけれど、心は晴天のように晴れ渡っている。最期に意味のあることをして、みんなとのお別れもして、悔いも残さずにこの無明の中に帰ることができる。

 足取りは軽やか。笑みがこぼれて止まらない。

 そんな晴れやかな心持ちは、

 

「やあ、おひとり様かい?」

 

 まるで駄目なお父さんの登場によって、曇天と化した。

 

「…………どうしてここにいるんですか」

「んー、奇跡? 神様がくれたご褒美としておこう」

「帰ってくれません?」

「もちろん。僕も直前で引き返すつもりだし」

 

 ぴきりと、両者の額に青筋が浮かぶ。

 早足で横を通り過ぎると、父はぴったりとくっついてくる。

 しばらく横並びに歩いて、堰を切ったように言葉の濁流が飛び出した。

 

「あなたが戦争したり寝取ったりしてるせいでボクは大変でした。領土なんて必要最低限で足りるのに馬鹿みたいに広げるとかアホなんですか? いや、アホでしたね。軍も傭兵制にするから財政管理もとんっっっでもなく面倒臭かったし!!」

「いやいやいや、君だって治世ヘッタクソだったよね。税をどんどん増やして民の不満貯めまくってたらしいじゃないか。というか政略結婚で外交をどうにかするのも限界あると思うよ? 1000人も妻を持つとか羨まし……君の度量じゃ無理だったろ。それと! アビシャグには本当に手を出してないよな!?」

「…………出してませんよ」

「えっ、何その間。怖いんだけど。ちょっと待って、僕の脳がやにわに壊れてきてる」

「あなたの脳が壊れてるのは元々では?」

 

 言葉のナイフで斬りつけ合う親子。先に手を出したのはどちらだったか、彼らは全力で拳をぶつけ合い始める。史上最低の親子喧嘩である。

 不毛な争いが続くこと数分、息子は顔面をボコボコに腫らして撃沈していた。なにしろ父親は神の加護によって猛獣も殴り殺す膂力を得ている。魔術に耽っていたモヤシが勝てるわけがなかった。

 父は爽やかに髪を掻き上げる。

 

「初めての親子喧嘩は僕の勝ちだね。いやあ、弱い弱い。度重なるデスクワークで鈍ったのかな?」

「ゆ、指輪さえあれば……」

 

 ぽっこりと膨れ上がった頬をもごもごと動かして、息子は問う。

 

「それで、さっきの質問に答えてくれませんか」

「ああ、どうしてここに来たのか、だっけ?」

 

 父親はさらりとそれを述べる。

 

「君に愛を教えに来た」

 

 は、と膨張した唇の端から息が漏れる。

 父親と息子の───ダビデとソロモンの間に、余人が思い描くような親子関係はない。

 情も愛もなく、ただ神のために、国のために言葉を交わす。義務的な関係だけが両者を結び、ついぞ心を繋げ合うことは一度もなかった。

 それが、今更。

 

「君が生まれた時、既に僕は王様だった。王とは神の下僕。主の御心は誰にも分からない。分からないから、とにかく自分にできることをやるしかない。きっと、僕たちの生に大した意味はなかったんだろうね」

 

 父は子の頭に手を載せる。

 

「君には辛い役目を押し付けた。すまなかったね、ソロモン」

 

 いや、と彼は首を横に振る。

 そうして、息子のもうひとつの名前を呼んだ。

 

 

 

 

「───エディドヤ」

 

 

 

 

 両の腕で、その体を抱き締める。

 ほんの少し、震える彼の耳に柔らかな声音を囁く。

 

「この名前の意味は知ってるかい」

「…………主に愛された者」

「そう。主に愛された者、だ。分かるかな。神は君を愛していた。愛しているからその名を贈った。たとえ今の自分が妬む神だとしても、君にその愛が伝わるようにね」

 

 ───そして、僕も君を愛している。

 父親はいっそ軽々しく、そう告げた。

 

「王の僕なら違っただろう。でも、羊飼いの僕ならこう言える。そして、生前は誰も言ってあげられなかったようだから、僕はこう言おう」

 

 震える背中を擦り、ゆっくりと言葉を流し込んでいく。

 

「……頑張ったね。あの時の君が空っぽで虚ろだったとしても、頑張ったのには間違いない。君は僕の誇りだよ」

「───っ。悪いものでも食べたんですか。はっきり言って気持ち悪いです」

「おや、反抗期かな? 良い良い、しかとこの胸で受け止めてあげよう」

「いや、これはマジです」

「…………」

 

 息子は父を突き飛ばし、首巻きを奪い取る。それを使って鼻をかむと、顔面に敗北感を露わにした。

 

「くっ、若い時の姿だから加齢臭とかない……!!!」

「僕は死ぬ間際までフレグランスな芳香を漂わせていたけど?」

 

 子は首巻きを投げ捨て、

 

「それじゃあ、終わりまで付き合ってください」

「うん。精々見送ってあげるさ」

 

 …………一歩、また一歩と進む度に、ソロモン王は消えていく。ソロモン王が積み上げた時間は虚ろになっていく。

 終わりの未来から始まりの過去へと。

 徐々に肉体は若返り、生まれる前の無に戻る。

 彼らはどこにでもいる親子のように手を繋いで、虚空へ足を進めた。

 生前は交わすことのできなかった、本心の言葉を掛け合いながら。

 

 

 

「ねえ、聞いておくれよ」

 

「なんだい? ソロモン」

 

「たくさん、楽しいことがあったんだ」

 

「ああ、聞かせておくれよ。君の、かけがえのない記憶(ものがたり)を」

 

「ああ、その前に、言っておかないと」

 

「……何かな?」

 

「───ボク、生まれてよかった」

 

「……そう、か。そうか。それは、よかった、なあ……!!」

 

 

 

 これは終わり。

 誰にも知られぬ最期のお話。

 ひとりの王様が、ひとりの人間が、迎えた結末。

 これは何もかも消えてなくなってしまうけれど。

 絶対に、この一瞬だけは他の何よりも、優しかった。

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