自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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第84話 Believer

「とにかく、時間稼ぎ承ったわ! とびっきりのパフォーマンスでハートブチ抜いてあげる!! あいにくアナタの出番はないわよ、アホ白髪魔術師!!!」

 

 凛と響き渡る宣言。エリザベート・バートリーはさらりと髪をなびかせ、星が飛び散るようなウィンクをすると、槍を地面に突き立てる。

 それは槍であって槍でなく。一番星の如く煌めくアイドルが、夢と希望をファンたちに伝えるためのメインウェポン。そして、かつて彼女が血の伯爵夫人として君臨した城が立ち現れ、ノアと立香は両耳の穴を手で閉ざした。

 次いで、マシュは耳を塞ぐ手がないことに気付き、最後の力を振り絞って、天敵が間近に迫った時のダチョウみたいに頭を地面に突っ込んだ。

 

「私の歌に酔い痴れなさい、『鮮血魔嬢(バートリ・エルジェーベト)』!! んボエエェェ〜〜♫♫」

 

 瞬間、強烈な衝撃波が拡散する。

 大地が波のようにたわみ、歪み、ついには耐え切れず爆散する。硬質の岩石を電子レンジにかけられた卵みたいに破裂させるその歌声は、かの怪獣王もかくやとばかりの音色だった。

 彼女の歌のおぞましさを知るEチームとベオウルフはすんでのところで防御していたものの、スサノオとコロンブスは真正面から歌声を受け止めてしまう。

 

「なんじゃあこの歌はァァァ!! ヤマタノオロチの咆哮がエレクトリカルパレードに聞こえるくらい酷いんじゃが!!?」

「見える、見えるぜ……サン・サルバドルの鮮やかな陸地がよォ……!!」

「そこのニート神とおっさん歯茎は黙ってなさい! これは私のライブよ、アナタたちに許されてるのは合いの手とペンライトぶんぶん丸だけなんだから!!」

 

 ゲーティアは思わず眉間にしわを寄せ、体表に無数の眼球を浮かび上がらせる。

 

「頭が愚劣なら口から吐く声は下劣極まる。そのふざけた宝具ごと燃え尽きろ!!」

 

 ソロモン王の死により、消滅の一途を辿るゲーティア。もはやここでEチームを斃そうとも、いずれ彼は跡形も消えてなくなる。既に勝利は失われ、求めることができる最上の結果は引き分けしかない。

 だというのなら。

 魔術式たるゲーティアは最善を手に入れるため、最適な一手を弾き出した。

 二度はない。

 去りゆく少女を引き止め、手を止めること。

 人類史という物語を熱量へと変換した一撃さえ耐え抜く盾。

 それらは理屈と理合を信じ、未来を見通す視野を持つゲーティアを狂わせた躊躇と誤算。

 ───どちらも、繰り返すことはない。

 

「『誕生の時きたれり、其は全てを修めるもの(アルス・アルマデル・サロモニス)』!!!」

 

 正真正銘、最後の真名解放。

 ソロモンは、ロマニ・アーキマンは、己の全てを擲った。後を託す仲間を信じ、人理焼却という悲劇を覆すために、自分にできる精一杯をやり遂げた。

 刻一刻と崩壊する自己。獣の真体を維持できているものの、数分数秒先にはそれさえも泡沫と化していてもおかしくはない。

 だが、ソロモンが何をも捨てたのなら、ゲーティアは何も手放さないことを選んだ。己が罪の象徴たる天上の光帯も、ソロモンより教わった魔術も。

 本来抗えぬはずの消滅を留めているのは、造り主への反抗と意地。強制退去術式を打ち込まれながらもこの心臓を穿った騎士のような、激しい渇望だった。

 

「な、なによアレ!? せっかくの私のライブが台無しじゃない!!」

「安心しろトカゲの嬢ちゃん。お前のライブは遅かれ早かれ台無しになるのが宿命だろ」

「もう少し地に足付いた生き方をすべきだな。俺みてえに」

「黙りなさい半裸ジーンズおっさんと横ラフムおっさん!!」

「横ラフムってただの歯茎ですよね!?」

 

 スサノオは舞い降りる極光をしげしげと眺め、獲物を前にした肉食獣のように微笑む。

 

「う〜む、これは死んだのぉ。姉ちゃんの核融合ビームにも勝る威容じゃな!」

「この瀬戸際で諦めてんじゃねえニート神! おまえがなんとかしろ!!」

「そうですよ! 前も任せろとか言って微妙な活躍だったんですから、良いとこ見せてください!!」

「いやはや、人草に頼られると弱いんじゃよな、儂。いっちょやってやるわい。それに、どうにもできないとは言っておらぬしな!!」

 

 スサノオは腰に佩いた剣を引き抜く。

 刀身の一部が欠けた青銅の剣。それなるは八つ首の怪物を討伐した神剣、天羽々斬。迫り来る極光を前に、その刀剣がそり返す光は一層照り映える。

 ゲーティアは稀なる剣の輝きを見据え、噛みつくように叫ぶ。

 

「無駄だ。この星に光帯の熱量を超える存在はあり得ない。ましてや今の貴様は神霊ならぬ英霊の規格! その身で何ができる!!」

「んなこたぁ知るかバァ〜カ!! 〝英霊のスペックじゃあ無理です〟だの、〝このビームは人類史の何よりも強いから無駄です〟だの、つくづくくだらねえと思わねえか!? そういうのは俺以外でやってろ!!」

「────傲慢な愚か者め!!」

「────姉ちゃんにも同じこと言われたよ!!」

 

 スサノオは猛り、刀を振りかぶる。

 

「『神剣────────」

 

 それは、紛れもない神話の再現。

 遥か遠き神代の時代、スサノオは天上にて悪行乱行の限りを尽くし、その報いとして手足の爪を抜かれ髭を切り取られて地上に追放された。

 誰も頼りとすべき者がいない、地上の世界。未だ豊葦原は天津神のモノでなく、国津神の法下なりしその地にとって、スサノオは異物でしかなかった。彼はたった独り出雲の船通山に降り立ち、孤独に生きることを定められたのだ。

 絹織物のように薄く細く、さらさらと流れる肥の川。スサノオの足取りはかつての支配域たる海原へ繋がる水の路を辿っていた。もはや帰ることも叶わぬ、二つの故郷を偲ぶように。

 その川のほとりで、彼はひとりの女神と出会う。

 艶がかった黒い髪の先を水に晒し、涙で袖を濡らす女。触れれば砕けてしまいそうなほどに儚げで、今にも消えそうなほどに落ち沈んだ風情。それを目の当たりにして、脳天に雷が落ちた。

 一目惚れ───には違わないのだが、その表現でもまだこの恋の衝撃を表すには心許ない。スサノオは初めて知る情動に支配され、女の目の前にしゃがみ込んだ。

 

〝お前を泣かせてんのはどこのどいつだ? 言え、それが何だろうと俺がこの手でブッ殺してきてやる〟

〝……アレは星の涙、星の怒り、星の嘆き。私たちの罪より生まれた、涙の龍。それ故、人や神にアレを弑することはできません〟

〝だが、俺にはできる。しかも誰も傷つけさせずにそいつを倒す。俺たちの罪から生まれたってんなら、せめて苦しませずに逝かせてやらねえとな。そしたら嫁になれ〟

〝─────…………はぃ?〟

 

 …………とまあ、なんやかんや色々あってヤマタノオロチを酔わせた上でぶっ殺した訳だが、ヤツを殺した者にしか分からぬということもある。

 あの龍は、星の涙だった。

 もしこの星が一個の生命体だとして、それには生物と相応の器官が存在する。星の臍、星の肺、そういうものが在るのだとしたら、ヤツはまさしく星が流した涙だ。

 人類は農耕という食糧自給の手段を得て、爆発的に数を増やした。土地を耕し、水を引き、作物を育てる。それは言うなれば自然の改変。元の場所にあった多数の生物を虐殺し、他所へ追い立て、自らの都合の良いように作り変える。

 故に星は嘆き、涙を流した。

 神を生贄とし、人を喰らう怪物ヤマタノオロチ。この星から産まれた全ての神と人への特攻概念を有する終末装置の如き最古の妖怪はしかし、神たるスサノオの手によって討たれた。

 神には討てぬはずの敵を、神が討ったのだ。

 それは何故か。八塩折之酒によって眠らされたから?───否、あくまで手段として選んだだけで、他の誰かが同じ手を取ったとしてもヤマタノオロチは斃せなかっただろう。

 かの魍魎は、スサノオにしか討てなかった。

 なぜなら、

 

「─────天羽々斬』!!!!」

 

 自身の全魔力、全霊基を叩き込んだ一刀。

 日ノ本の天地における最強の斬撃は、けして斬れぬはずの極光を真っ二つに切り裂いた。

 自らの宝具をも犠牲にする『壊れた幻想(ブロークン・ファンタズム)』。本来陽の目を見ることはないその力まで行使したスサノオの体と剣が、無数の金色の粒子となって解けていく。

 ゲーティアは骨肉を焦がすかの如き屈辱に打ち震え、大げさな手振りとともに叫んだ。

 

「貴、様───ッ!! 神たる貴様が星の熱量を凌駕するだと!? 無法無体極まる! この世を嘲笑う矛盾の体現!! そんなモノがあり得てたまるか!!」

「そりゃ心外ってやつだ! 今さっき言っただろうが、そういうのは俺以外でやってろとなァ!!!」

 

 ───なぜなら。

 ヤマタノオロチ討伐の神話は一説において、水害を鎮める治水業を表しているとされる。スサノオが降り立った奥出雲の船通山は斐伊川という川が流れており、奥出雲は古くはたたら製鉄が盛んに行われていた。

 製鉄には大量の炭を必要とする。古代の人々は斐伊川周辺の木を伐採し木炭を得ていたが、それは同時に洪水を引き起こすことにもなった。スサノオはヤマタノオロチを殺し、鉄剣である天叢雲剣を手にする。

 すなわち。スサノオは洪水という名の龍を討ち、製鉄業という名の天叢雲剣を手に入れた。彼は自然から産まれた神でありながら、ヒトのように自然を屈服させ、己が利益としたのだ。

 それこそが、彼の真の権能。

 嵐神としてではなく。

 海神としてでもなく。

 はたまた、厄神の相とは正反対に位置する究極の一。

 英雄神スサノオとしての権能────それは、()()()()()。星より生まれながらにして星を否定する、人間の如き矛盾の神性であった。

 故に、光帯は英雄神の一刀のもとに敗れ去った。ソレが星より産まれた人類の歴史を薪としていたがために。

 

「さあ征け、異国の勇者よ! 我らが愛しき未来の人草のため、その命を燃やし尽くすがよい!!」

 

 最期、スサノオの体はするりと解け、辺りに涼やかな旋風を棚引かせる。

 ベオウルフは風の勢いのままに駆けた。二振りの剣を投げ捨て、拳を握り締める。獣が牙を剥くように笑う彼の相貌は、猛き意気によって彩られていた。

 

「どこの神様か知らねえが、魅せてくれるじゃねえか! アンタは根っから人間(俺たち)のケツをぶっ叩いてくれる神様だったって訳だ!!」

 

 五体の血が滾る。

 心臓の鼓動が全身の隅々に響き渡る。

 闘争に不要な全てが抜け落ちていく。

 灼けた鉄を叩いて不純物を飛ばすように、ベオウルフはただそれを成す一点へと練り上げられていく。彼は肺の空気を搾り出し、固く握り締めた拳を振り抜いた。

 

「『源流闘争(グレンデル・バスター)』!!」

 

 全膂力全体重を乗せた一撃は獣の鳩尾を捉え、その巨躯を弾き飛ばす。

 ゲーティアは幾度となく土の上を転がり、右の五指を突き立てることでようやく停止する。既に眼前へと迫る英雄へと、獣は左腕を振るった。

 魔女に跡形もなく焼かれ、再構成した左腕。超高密度の魔力で取り繕ったそれは、命中すれば退去術式など流し込むまでもなく、触れたそばから対象を消滅させるだろう。

 それを、ベオウルフは避けもしなかった。

 

「んあっつゥッ!!? サウナ100時間耐久配信やった時より熱いんだけど!?」

 

 エリザベート・バートリー。彼女はステージを飛び出し、槍をもって光熱の拳を押し留めていた。しかし、得物の穂先はどろりと溶け、その肌を痛々しく焦がしている。

 ベオウルフの肉体は淀みなく動いていた。弧を描く回し蹴りがゲーティアの顎を打ち抜き、鼻っ柱にストレートを突き刺した。

 

「良い根性じゃねえかトカゲの嬢ちゃん! その意気で突っ込め!!」

「あったりまえでしょうが!! 私はここで伝説を残して芸能界を席巻してやるのよ!」

「お前みたいなキワモノキャラでそれは無理だろ。人類史最大級のプロデューサーである俺に任せりゃ今にもトップアイドルだぜ?」

「アンタがプロデュースしたのは奴隷じゃない!!!」

 

 エリザベートはゲーティアの間合いから離れた位置で応戦するコロンブスの髭を掴んで引き寄せる。

 彼女はそのまま腕を振るい、コロンブスを使ってゲーティアを殴りつけた。ぶちん、と毛根から髭が千切れ、地面に打ち捨てられたコロンブスは顎を押さえてのたうち回った。

 

「俺のダンディなヒゲがァァァ!! 伸ばすのにどんだけ掛かったと思ってんだ!?」

「ざまあないわね! 清潔感が増してよかったじゃない!」

「……ッ。真面目にやれ、英霊ども!!」

「分かってねえな、戦ってのは真面目にやるもんじゃねえ! 馬鹿笑いしながら暴れんのが醍醐味だろうが!!」

 

 ベオウルフが放った蹴撃がゲーティアの頬を穿つ。返しの右拳は身を反らすだけで躱され、反撃が伸び切った肘を砕く。

 その時、憐憫の獣は強烈な既視感を覚えた。

 この胸を貫いた騎士。左腕を奪った魔女。あらゆる能力で上回っていたにもかかわらず、奴らは食らいついてきた。あらゆる攻撃が通じなかった。単純な数値などでは表せない、意地だの根性だのの何かで。

 ───欲しい。

 その意地が。

 その根性が。

 盾の少女が、英雄神が見せた何かが。

 ソロモンの魔術式たる自分には望むべくもない、ヒトの心が生む何かが欲しい。

 縋りつくように拳を振るう。ベオウルフはその姿を見据え、唇の間から犬歯を覗かせる。

 

(───お前はもう、それを持ってる。ただ、気付いてないだけだ)

 

 拍子を打つように、ゲーティアの攻撃に対してカウンターを返す。

 スウェーデン・デンマークにおける伝説の王ベオウルフ。数多の物語の源流となった巨人殺し、竜殺しの英雄。彼の至高の武器は二振りの魔剣ではなく、巨人をも殴殺した天与の肉体だった。

 なればこそ、徒手による格闘こそがベオウルフの真髄。

 己以外の何も恃みにせず、俗世の全てを忘れ去り、戦いに没頭する。それが英雄の能力を最大限に引き出す状況であった─────

 

(───いいや、違うな)

 

 思い返すのは人生の終わり。

 国を荒らし、民を殺す火竜との戦い。

 とうに老い衰え、全盛期とは比較にならぬほどにさらばえた体で、それでもなお王は竜を打倒した。

 国を護るために。

 民を護るために。

 多くの人の平穏の背負い、それを護り抜くために戦ったから、竜種にだってか細い勝ち目を掴み取ることができた。

 

(そうだ。そうだろ。そうだったはずだ)

 

 結局、ベオウルフという英雄はそんな人間だった。顔も名も知らぬ誰かのために、誰かのためだからこそ全力で拳を振るうことができる。

 ならば、今この瞬間はベオウルフの真骨頂で最高潮で全盛期。

 その背に負うは全ての人の未来。

 故に、ベオウルフの拳は何よりも重く響く。

 

「────ッ」

 

 それは果たして、誰がこぼした声だったか。

 ざらり、とベオウルフの右手が金色の粒子と化して崩れる。

 サーヴァントが退去する際に見せる反応。彼はその拳足をもってゲーティアに触れ続けていた。それぞれは極一瞬の接触だとしても、幾度と重ねることでベオウルフには強制退去の術式が流れ込んでいたのだ。

 武器を使わぬ戦法が裏目に出た。そして、彼に術式が発動したのなら、ゲーティアが次に取るべき行動は決定していた。

 

「…………終わりだ」

 

 ゲーティアの掌中に浮かび上がる魔術式。

 それが解き放たれた瞬間、エリザベートとコロンブスの五体から金の粒子が立ち昇った。

 感染呪術。一度接触したものは離れても影響を及ぼし合うという魔術理論。ベオウルフと接触していたエリザベートとコロンブスは、共感の理論によって退去術式を浸透させられたのだ。

 消滅を迎えるのは数秒か数十秒か。

 三者は顔を見合わせ、

 

「「「まだ終わってねェェェェ!!!」」」

 

 それぞれの武器を、同時に叩きつけた。

 彼らは後退するゲーティアを追い、次々と攻撃を重ねていく。

 

「チート魔術も大概にしなさい、このデビルせんとくんが!! せっかくあのアホ白髪からギャラふんだくってやろうと思ったのに、私の計画がパァになっちゃったじゃない!!」

「終わりだなんて宣う暇があんならさっさとトドメを刺しておくんだったな!! 自分が不死だからって調子乗ってんのか!?」

「この程度で俺が退去すると思ったら大間違いだぜ魔術王よォ!! 仕方ねえ、大特価出血セールだ。今の内ならまだお前に寝返ってやってもいいぜ!?」

「「そこの歯茎はとっとと退去しろ!!!」」

 

 刻一刻と薄れていく存在。彼らはその事実を無視するかのように攻撃の密度を増加させていく。ゲーティアはそれらを防ぎ切りながら、激しく哮り立つ。

 

「くだらん! 貴様らが三人寄り集まろうと出てくるのは下卑た言葉ばかり……この命に届くものか!!」

「さあね! でも忘れたのかしら!? 私たちが今ここで戦ってる意味を!!」

 

 エリザベートは天に中指を突き立て、

 

「悔しいけど、センター交代よ! いい加減時間稼ぎは十分でしょ!!」

 

 空気に溶ける眼差し。ノアはそれを受け、ごきりと首を鳴らした。

 体内の淀みを排出するみたいに息を吐き、手袋を外して投げ捨てる。宝石をはめ込んだかのような碧い瞳は鋭い光を湛え、獣を突き刺す。

 ゲーティアの脳裏に滲む違和感。

 所詮は一介の魔術師。人間たちの中では飛び抜けた才能を有していようと、獣の真体に勝るはずはない。ソロモンの特攻さえなければ、今にも奴の命数を断っていただろう。

 違和感を覚えたのは、彼が纏う空気。

 柄の悪い目つきも振る舞いもそのままに、辺りへ振り撒いていた威圧感のようなものがまるきり消失している。

 しかし、それは内へと引っ込んだだけ。むしろ地中で煮えたぎるマグマのように胎動し、解放される瞬間を待っているのだ。

 その原因は体内を巡る魔力の流れ。一見して姿形は変わっていないが、その魔力はノアの全身をまるで清流のように、一切のロスを生じさせずに通っていた。

 ノアは告げる。

 

「ああ、十分だ。よくやった」

 

 一歩、二歩と歩き、地面に転がる指輪を手に取る。ソロモンならぬロマニ・アーキマンが造り、遺した指輪。ノアはそれを右手の人差し指に通した。

 

「───こっからは、ガチのタイマンだ」

 

 その時。

 ゲーティアは見た。

 ノアの背後。茫漠と広がる獣の星海。星々が点々と輝く宙域を、無数の黄金の軌跡が埋め尽くす。

 光条が織り成す、金色の流星雨。それらひとつひとつが神を殺し、不死を滅する絶死の閃光。絢爛なるヤドリギの乱舞を視界に収め、獣はその思考ごと魂の芯を凍りつかせた。

 消える。

 消える。

 消える。

 魔術式を構築する要素の何もかもが。憐憫の人類悪が内包する魂の数々が。永遠を否定する枝に貫かれ、成す術なく死んでいく。

 たったひとつ、残るのは死した七十二柱を統括する本体の魂のみ。すなわち、ゲーティアは抑え難い戦慄とともに、眼前に巻き起こる状況を把握する。

 

「時間稼ぎは、これが狙いか……!!」

「ダ・ヴィンチ風に言うなら『対終局特異点ひみつ道具、抹殺のラストウェポン ヤドリギ流星群』ってとこか。お互い体はひとつで魂もひとつ、これでようやく対等だ!!」

 

 

 

 

 

 ───生命院サブナック。八つの宙域の最終地点に位置する場所で、少女は旗を支えに荒々しい息を吐いた。

 顔の輪郭を伝う汗を拭い、Eチームとの別れ際に手渡された袋を握る。

 聖女ジャンヌ・ダルクは溶鉱炉より七つの宙域を渡り歩き、この場所に辿り着いた。その一部始終を知るギルガメッシュは苦笑じみた表情をして、鼻を鳴らした。

 

「神殺しのヤドリギによる全魔神の同時撃破。成程、あの獣を正面から倒すとなれば、その策しかあるまい。あの阿呆もそれなりに知恵は回るようだな」

「……は、はい、その通りです」

 

 ジャンヌはこくりと頷く。

 ノアに渡された袋に入っていたのは、残存する魔神と同数の七十一個のヤドリギだった。ジャンヌは各宙域を行脚し、サーヴァントたちに分けることで、この状況を作り出した。

 エルキドゥは空を縦横無尽に駆け巡る黄金の光を見上げる。

 

「だけど、彼の不死のカタチは魂の補充だろう? 本当に倒すつもりなら、彼も含めて一気にやるべきだったんじゃないか?」

 

 ゲーティアは七十二柱の魔神が群体を成した個体であり総体。彼らの一部にして彼らの心臓であるゲーティアは、たとえ何度魂が欠けようともそれを補充して復活させることができるのだ。

 いまや獣に七十二の魂は存在しない。在るのはゲーティアという名前と自己のみ。しかし、抜け殻であろうと存在する限りは再生の権能を失いはしない。

 ギルガメッシュはあらゆる未来を見通す眼を細め、

 

「神殺しのヤドリギとは死を以って魂の穢れを祓う浄罪の矢。即ち、再生を果たせば以前のそれとは異なる存在に成り果てる」

「音痴でヤンチャなガキ大将が劇場版だと良い男になる、みたいな具合かい?」

「…………然り。それでなくとも、奴は自己の変革を認めぬだろう。不変(えいえん)など無いのだと、己が証明することになるのだからな」

 

 くつり、とギルガメッシュは喉を鳴らす。その笑みは獣を嘲るようであり、劇を愉しむようであり、そして、紅き瞳に映る未来を弄ぶかのようだった。

 

「確たる自己など、まやかしに過ぎぬというのにな」

 

 

 

 

 

 …………白き魔術師は人類悪を睨めつける。

 かつて、世界を旅する前に造り替えた魔術回路。それをもう一度幼少の頃のカタチに作り戻した。

 魔力が体を巡る。迸り、爆ぜる力の流体が自然に内界を行き渡る。激流にも等しい魔力の瀑布は、その水滴ひとつ取りこぼさずに回路を循環する。

 魔術回路を美術館に喩えるなら、質は作品の出来で量は所蔵する作品の数だ。が、魔術回路を評価する指標は質と量だけではない。それこそが回路の編成。如何に高名な作家の作品を数多く取り揃えていようと、その配置が疎かなら、美術館としては不完全だ。

 つまるところ、ノアの魔術回路も同じだった。

 比類なき質と量を備えていながら、回路の編成は不自然。元の形を崩していた以上、造り替えた魔術回路が真価を発揮することはできない。

 ───ゲーティアは、それを見抜いていた。

 

「貴様は、今まで生半可な魔術回路で戦い抜いたということか」

「生半可だと? 俺の天才的な頭脳から出来た魔術回路を欠陥品みてえに言うんじゃねえ。今も昔も俺は完璧なんだよ!!」

「ほざけ、魔術師。生まれ持ったカタチを歪めるとはそういうことだ! 欠けた力で高みを目指す魔術師など、矛盾も甚だしい!」

「オイオイオイ、耳糞詰まってんのかおまえは。俺は欠けてなんかいねえ、今も昔も完璧だっつっただろうが!!」

 

 刹那、ノアは膨大な魔力を組み上げた術式にブチ込んだ。

 

「おまえは、ソロモンが遺した魔術で倒す」

 

 ソロモン王が創始した西洋魔術。

 グランドキャスターを偽称し、あらゆる魔術を支配する獣を弑する刃は、その魔術こそが相応しい。

 

「───〝偉大なる王。唯一無二の知恵を持つ者よ。貴方の決意に穢れはない〟」

 

 詠唱が紡がれる。

 それは心象を具象へと昇華する言霊。

 無へと還りし男へ捧ぐ、魔術師の詩であった。

 

「〝天と地において、貴方は貴方を信ずる人々を決して裏切りはしなかった〟」

 

 万全の状態だったのなら、その詠唱は小指一本動かさずとも止めることができただろう。だが、今や崩壊するゲーティアからはそんな権能は失われていた。

 故に、全力をもって詠唱を止める。魔術が発動する前に奴を屠り、決着をつける。

 獣は弾かれたように動き出す。

 

「『新天地探索航(サンタマリア・ドロップアンカー)』!!!」

 

 全身を束縛する鎖。現界を維持する魔力を消費しきり、コロンブスは高笑いを響かせた。

 

「ハッハァ!! 置土産ってやつだノアトゥール!! この借りは熨斗付けて返せ!!」

「ふざけんな。踏み倒すに決まってんだろ───〝貴方が自分に価値がないと言うのなら、私が貴方の価値を証明してみせよう。気高き王の、比類なき輝きを〟」

 

 ノアはゲーティアへと迫る。

 あの時、カルデアを焼いた男にそうしたように。

 

「〝黄金の陽光が丘の端に沈む時。小川の水面を太陽が照らす時。私はいつだって貴方を思い出す〟」

 

 巻き付く鎖が砕ける。大気を揺るがす魔力の発露。ノアの術式の完成を予感し、地面を踏みしめた瞬間、がくりと膝が崩れ落ちた。

 この身に幾度となく打ち込まれたベオウルフの打撃。その痛痒は確かにゲーティアの内に堆積し、ここに力を奪うに至ったのだ。

 ノアはゲーティアの目と鼻の先に到達する。獲物を喰らわんとする狼のように、彼は続く言の葉を唱える。

 

「〝そして、貴方は聞くだろう〟」

 

 魔術における秘奥。

 内界と外界を反転させる大魔術。

 自らの心をもって、現実を凌駕する御業。

 

「─────〝不滅の王への賛美を〟!!」

 

 心より解き放たれた幻想が今、現実を塗り潰す。

 

 

 

 

 

 

「『冠位指定(グランドオーダー)/未来福音(アルス・スブティリオル)』」

 

 

 

 

 

 

 魔術世界の最高位の名を以って、その世界は現れた。

 どこまでも続く一面の銀世界。混じり気のない純白の雪の中に埋もれる、いくつもの墓標。空は蒼く高く澄み渡り、天の中心には輝ける星───太陽が居座っている。

 星は全てを包み込むように、柔らかな陽光を放つ。一点の穢れもない雪面は光を優しく反り返し、世界を清らかな光で満たしていた。

 現実を喰らう幻想。

 具象化する心象。

 ───()()()()。この現実こそが、彼の心象風景を反映した世界だった。

 白銀の心象の最中。ノアは突き立つ墓標に積もる雪を手のひらに閉じ込め、五指で潰す。透明な水滴が指の間からこぼれ落ち、足元の雪を暗い色に染める。

 

「あの時、おまえに奪われたモノを取り返す」

 

 刺し殺すような眼差しが獣を射抜く。

 

「おまえは殺した。誰も彼も、何もかもをな。だから、こうして俺たちにやられる。夢や理想には叶え方ってのがあんだよ、それをおまえは間違えた」

「私の道を誤りと断ずるならば、示してみせろ。私がどこで間違い、何を見誤り、この終着に至ったのかを」

「自分で見つけろ。……と言いたいところだが、いいぜ、教えてやるよ。たけのこの里ときのこの山のどっちが美味いかってくらい簡単で単純な答えだ。一言で済む」

 

 ノアは唾を吐き捨てるように笑い、

 

「おまえは、独りだった。それがおまえが犯したたったひとつの間違いだ」

 

 名もなき墓標の頭を撫ぜた。

 まるで、自分の飼い犬を慈しむように。

 

「おまえは独りだったから、自分のやり方が過ちであることに気付かなかった。今ここにいない誰かを救うために、星の全員を焼き尽くすなんて本末転倒にも気付かなかった」

 

 ───だから。

 

「勝手に諦めて、勝手に見捨ててんじゃねえよアホが。せめて、誰かを知ろうとしてたら、この世には壊しちゃいけねえもんがひとつくらいはあるって思えたかもな」

 

 それは、自らを刺すような言葉だった。

 ゲーティアは他人ではない。

 いつか、どこか、今まで生きてきた道の中で何かが食い違っていれば、きっとこうなっていた。何にも意味を見出だせず、手当たりしだいに誰かを焼く。そうなっていたはずだから。

 けれど、それは考えても仕方のないことだ。この自分は何人ものかけがえのない人々と出会い、別れて、こうしてここにいる。

 そんな奇跡は、自分にだって否定させやしない。

 ゲーティアの脳裏に言葉が蘇る。

 

〝───人間と向き合うことから逃げたな、ゲーティア〟

 

 ひとりで理屈をこねくり回して突っ走って、辿り着いた末はこの結果。全員が幸せになってほしいと願い、今を生きるみんなを切り捨てた。

 本当に救うべきは、本当に救われるべきは、そんな切り捨てられた者たちのはずだったのに。

 ノアは右手を横に伸ばす。ばきり、と光の断面が空間を割き、それは柱のように立ち昇っていく。

 

「俺はおまえを全力で殺す。だから、おまえも俺を全力で殺しに来い」

「貴様らしくない言葉だ。貴様は今まで敵の意思や目的を踏み躙るかのように振る舞い、その通りに勝利してきた。私に全力を求める意味など無いと、知っているはずだ」

「違えよ馬鹿。おまえが俺の行動の意味を決めんな。どんな奴にも戦う理由がある。その理由を形振り構わずぶつけ合うのが戦いだろ」

 

 それに、とノアは微笑んだ。

 

「───おまえがここで諦めたら、今まで努力し続けたおまえの想いが無駄になるだろうが」

 

 そうして、ゲーティアは理解する。

 この人間が戦いにおいても傍若無人に振る舞うのは、そのためだったのだと。

 誰にだって戦う理由はある。そのために他人が命を懸ける理由を踏み躙る覚悟がある。

 彼はそれを知っていた。

 知っていたから、どんな相手にも全力を引き出そうとする。戦いである以上勝敗は必ず存在し、逃れることはできない。ならばせめて、敵が懸けた想いを引き継がなければならない。

 誰も何も切り捨てず、根源に向かうという理想があるから。

 それは、彼にとっては敵でさえも例外ではなかったのだ。

 故に、ゲーティアは微笑った。

 

「……不器用な男だ。誰も彼をも切り捨てた私でさえも、お前は見捨てることができないのだな」

「勘違いするなよ。おまえは俺の部下(げぼく)になるはずだった奴らを殺した。俺が敬意を払うのは、おまえが理想を果たそうとした意思だけだ」

「その末に、敗けるとしてもか」

「ナメんな。俺が敗けるわけねえだろ」

 

 ゲーティアの魔術回路が奔る。

 発火する魔力は術式によってカタチを得、彼の戦意を火薬として発射された。

 小細工を排除した魔力の砲弾。魔術師が、ましてや人間が防げるはずもない純粋な力の塊。それが、ノアの頭部へ飛翔する。

 

「盾」

 

 簡潔な一言。ぐにゅりと空間が渦巻き、不定形の防壁を形成する。砲弾が渦の盾に着弾し、音も立てずにどこかへと吸い込まれていった。

 ノアは光の断層を掴む右手に満身の力を込める。

 

「『これは絶対に命中する』。『刺された者は必ず死滅する』。そして、『光の速度を超えて翔ぶ』」

 

 光の柱が花開く。複雑な幾何学模様を描いて空間へ広がり、位相を侵食していく。織り紡がれる光彩は一本の樹のようだった。

 ───無属性魔術。現世ではあり得ない事象・事物を創造する、黒妖精の秘儀。ノアが紡ぐ言霊は創造物の性質を決定するものだと、ゲーティアは直感した。

 だが、その内容があり得ない。

 『絶対に』、『必ず』なんて性質を付与すれば、それは世界に否められ、実体を得る前に消えてしまう。かつて、ノアが立香の前で『絶対に壊れず、インクが尽きないボールペン』を創ろうとして失敗したように。

 だからあり得ない───と、否定する感情を、ゲーティアは回転させた思考で叩き潰した。

 

「そうか、それは道理だ。現世では否定される性質であっても、貴様の世界ではそれが通る!! 認めよう、この結界とその魔術は冠位を戴くに相応しい───!!」

「上から目線で物を言ってんじゃねえ!! おまえは吠え面かく準備だけしておけ!!」

 

 ノアは言霊を重ねる。

 

「『これは因果を外れ』、『マイナス1秒で放たれる』。『移動経路は十一次元であり』、『誰にも止めることはできない』」

 

 子どもがチラシの上に綴るような、荒唐無稽で実現不可能な絵空事。けれど、だからこそ、どんな理屈をもってしても否定できない無上の幻想。それは、この世界だけに存在することを許された。

 ばさり、と羽音が鳴り響く。

 澄み切った青空を旋回する二羽の烏。

 この世界にとっての異物を、ノアは忌々しげに睨めつけた。

 

「…………見てんじゃねえよ、親馬鹿野郎」

 

 そして、ノアは決定した。

 この幻想が得るべき名前を。

 煌めく幾何学模様が束ねられ、一本の槍を象る。

 

 

 

「─────『極光星槍(グングニル)』!!」

 

 

 

 北欧神話最強の槍の名を冠したソレは、この世界でのみ原典を遥かに超越していた。

 抗う手段など存在しない。神としての全能を失い、搭載されたあらゆる機能を壊され、自身を構成する七十二の魂を奪われたゲーティアがこの世界に囚われた時点で、敗北は決まりきっていた。

 胸を貫く光槍。

 死滅の理が牙を剥く。

 魔神王ゲーティアは敗北した。

 どこにも文句をつけるところはなく。

 決定的に、憐憫の獣は負けて死んだ。

 世界が閉じる。内界と外界が入れ替わる。

 崩れゆく宙域に勝者だけが残されて、未来を奪い返す戦いは終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──────まだだ!!!!」

 

 それでも、彼は立ち上がった。

 獣の真体を捨て去り。

 どんな理屈も理合も乗り越えて。

 ゲーティアは、人間としてこの天地を踏みしめた。

 

「私の獣性は崩れ去り、私の理想は破滅した。文句のつけようもなく私は負けた。───だが!! 私は人として、お前たちに勝ちを譲るわけにはいかない……!!!」

 

 意地と根性で、我が身を現世に繋ぎ止める。

 もはや手を下さずとも、この肉体は自壊する。───だからどうした。そんなことは敗北を受け容れる理由にはならない。たとえ醜くとも、魂の一片まで燃やし尽くして戦い抜く。

 それが、ソロモンを継ぐ魔術師が敵に望むことだから。

 

「ハッ! そりゃそうだ、俺だってそうする! んな死に体で何ができんのか見物だなァ!!」

「抜かせ! 貴様とて底は見えている!! 魔力の尽きかけた体で何ができる!!」

 

 ノアは立香を庇うように立ちはだかる。頬を伝う汗は彼の限界を示していた。ただでさえ魔力を消費する無属性魔術と固有結界の併用。しかも、無茶な性質を付与したせいで、ノアの膨大な魔力は底を尽きかけている。

 立香は体温の抜けたノアの手を握って、

 

「え、あれだけ大口叩いておいて仕留め損ねたんですか!? というか魔力全ツッパするとか正気じゃないんですけど!!」

「黙ってろ立香! んなこと言う暇があんなら、おまえの魔力寄越しやがれ!」

「り、リーダー……魔力供給なんてハレンチなこと、わたしは絶対に認めませんよ……」

「俺がいつおまえに発言を許可したってんだ!? ボケなすびは大人しく気絶してろ!! 立香、髪飾り渡せ!!」

 

 立香は慌てて髪留めを抜き取り、ノアにパスする。彼はそれを右の手首に通すと、もう片方の手で立香を背後に下がらせる。

 ノアは深く息を吸い、一瞬で吐く。いつもみたいに意地の悪い獰猛な笑みで、少女に告げた。

 

「おまえは、俺が護る」

 

 ずきりと心臓が跳ねて、立香は言った。

 

「あの、マシュは?」

「そいつもおまけで護ってやるよ。人間ひとりとなすび一本くれえ、俺には造作もない」

「……き、帰還したらボコボコにします」

「それを言う余裕があんなら心配はいらねえな。そこで見とけ」

 

 莫大な魔術式が天空に紡がれていく。

 もはやゲーティアにあるのは、ソロモンの指輪と彼から与えられた魔術の知識のみ。

 故にこそ、人王ゲーティアが振るう力はソロモンのそれに等しい。最期の最期、肉体にも魂魄にも魔力は残っていなかったが、その事実を足蹴にして魔術式を形成する。

 そう、彼は、とうに理屈を超えていた。

 本来あり得ぬ復活。どこにもない魔力を捻り出す異常。残り数秒の人生に、ゲーティアは奇跡を実現する。

 ───古き獣の真体は捨てた。

 たとえ刹那の内に終わるとしても、この新しいヒトの生こそを私は肯定する。

 

「これが私の────アルス・ノヴァだ!!!」

 

 完成した魔術を解き放つ。

 因果を超越したエネルギーの奔流。自己を余すことなく消費し尽くした、散華の一撃。ノアトゥールは術式を用意することもなく、ただ、仁王立ちする。

 

〝キミも、自分を許していいんだ。大切な人を亡くしたのは絶対にキミのせいなんかじゃない。……あの雪の中に、打ち捨てた自分を拾いに戻っても良いんだよ〟

 

 ───ああ。分かったよ。おまえがそう言うなら、俺は逃げたりなんかしない。

 時間が止まる。

 時間が巻き戻る。

 全てを失ったあの時に自己が還る。

 憎たらしいほどに星が眩く瞬く夜の闇。しんしんと雪が降り積もる森の中。吐く息が白く色付き、鋭い冷気が肌に刺さる。

 さくり、さくり、と歩を進める。凍てついた夜闇の底で、墓標に縋る小さな影があった。それは全身を雪で白く染め上げ、声にもならない声を垂れ流していた。

 喉は張り裂け、血を撒き散らしている。

 目の血管が破れ、赤い赤い涙を流している。

 だというのに、体の隅々から血を掻き集めて、絶え間なくそれを排出していた。まるで、温かな血を流し切って凍りつこうとしているかのように。

 でも、それで良かった。

 魂の芯まで凍って、誰にも見つからずに死んでいくのが、ユリとリッカにできる償いだったから。

 ゆっくりと歩いて、ついに彼の元に辿り着く。雪に埋もれた少年は息が白くなるほどの温度も持たず、震えることもできずに血を垂らしていた。

 地面に膝をつき、少年に降り積もる雪を振り払う。まぶたから痛々しい跡を刻む血の線を拭い、温度のない体を抱き寄せる。

 強く強く、自分のあたたかさを分け与えるように、彼を抱き留める。

 彼は何も持っていない。全てを失った。

 だけど、今、ここにいる自分は。

 たくさんの人たちと逢って、たくさんのあたたかさを受け取ったから。

 誰も彼に熱を与えないというのなら、自分が彼にそれを注ごう。アリスの婆さんが言ってくれたみたいに。

 

〝…………バルデルス〟

 

 忌むべきその名を、優しく呼びかける。

 

〝置いていって、すまなかった〟

 

 おまえは俺で、俺はおまえで、俺は俺だ。

 神がどうだの人がどうだの、知ったことか。

 もう二度と、忌々しくても、神たる己を捨てたりはしない。

 誰も見捨てない。それは自分が決めたことだから。

 青白く冷えた指先に力が籠もる。

 弱々しい力は腕へと昇り、そっと背を抱き返す。

 

〝───うん〟

 

 

 

 

 

「『神体化・断罪の光明(アルス・テウルギア・バルドル)』!!!」

 

 

 

 

 

 体表を彩る真紅の紋様。

 背後に顕れる日の光輪。

 はじまりの魔法使いが生誕する以前、神代の現象を再現する神代回帰の現出。絶対無敵にして完全無謬の光神バルドルが、現世に再生する。

 ヤドリギの他、ありとあらゆる世界の全てに侵されぬ肉体。ノアはバルドルと化した身を呈して、ゲーティアの一撃を受け止めた。

 だけど、ゲーティアは止まりはしない。

 バルドルを倒す手段はないというのに、それでも、手を止めるわけにはいかなかった。

 なぜなら、この瞬間だけが人たるゲーティアに許された生の時間。一秒一瞬でも生を長く繋ぎ留め、勝利を掴もうとする。

 産声とともに死んでいく命。ノアは狂おしいまでの閃光を見つめる。

 ───半ばで終わらせはしない。全て受け切って、ここに生きた命の想いを背負ってみせる。

 

〝あいつは、必死で生きてるんだ。たとえ短くても自分の人生を生きて、死のうとしてる〟

〝……そうだな〟

〝おまえは───そうか、生き方はもう決まってるんだった。ただ、ありのままで……そうして生きて、ここまで来た〟

〝話は手っ取り早くしろ。何が言いたい〟

 

 バルデルスは落ち着いた声音で問い掛ける。

 

〝ノアトゥール。おまえは、どうやって死にたい?〟

 

 ノアは艶やかに表情を綻ばせて、

 

「決まってんだろ。部屋が満杯になるくらいたくさんのガキと孫に看取られて、穏やかに息を引き取ってやるよ!!」

 

 光の奔流を押し返す。

 拳を叩きつけ、真っ二つに引き裂く。

 ゲーティアは唇を噛み切り、なけなしの魔力を即興の術式に移し替える。

 

「───く、っ。まだ……!!」

「いいや、終わりだ」

 

 ノアは振り向き、笑って告げた。

 

「あとは、おまえがやれ」

 

 少女は既に走り出していた。

 ひとり、ゲーティアの一撃を受け止める彼の背を追って。彼が護り抜くと言ったのだから、力の一欠片も通さないと信じて。

 すれ違いざま、立香は叫ぶように応えた。

 

「───はい!!」

 

 右手を強く握り固め、投げつけるような勢いで振り切る。

 拳に走る衝撃は自身の反動とは思えないほどに重く、びりびりと感覚を痺れさせる。だとしても、ゲーティアが今まで受けてきた英霊の一撃には程遠いけれど。

 彼の体はその一刺しでひび割れ、ガラスみたいに砕けた。

 

「…………ああ、くそ。私の敗けか」

「とか言って、復活したりしませんよね」

「できることならしたいものだが。それは野暮というやつだろう。足掻いてなお、私は敗けた。この結果は紛れもなく、お前たちの成果だ」

「だったら、本当に終わりなんですね」

 

 ゲーティアは首肯する。

 

「勝ち取った未来を、生きるがいい。人類最後のマスターよ。お前の幸福は、誰にも渡すな」

 

 ざ、と砂が風に吹かれるように、ゲーティアは消滅する。それと同時、地面をひっくり返すかのような地鳴りが足元を揺らした。

 地面が砕け、空間が割れる。玉座を残して全てが塵に還っていく。

 立香は思わず尻もちをつきかけたところを、ノアに受け止められる。彼女は青褪めた顔をして、なんとか言葉を口にした。

 

「リーダー、もしかしてこれって」

「…………勇者が魔王を倒した時のお決まりパターンだ」

「うわあああああやっぱり!! 魔王の城が崩壊するやつですよね!? アレフガルドに閉じ込められるやつですよね!? 嫌ですよ私は!!」

「喚く余力があるなら心配いらねえな。全速力でアリアハン───カルデアに帰るぞ!!」

 

 ゲーティアという最後の楔さえも失った時間神殿。この特異点はソロモンの消滅に手引きされ、一気に崩れようとしている。これに巻き込まれれば良くて即死、悪くて異次元を永遠に彷徨うことになるだろう。

 マシュは完全に気を失い、日向の猫みたいにぐったりと伸び切っていた。立香は急いでマシュを背負い、ノアは放置されていた盾を引きずる。

 

「くそ、重たすぎるだろこのクソ盾!! おいやっぱ捨てていくか!?」

「でも、それがないとカルデアの召喚サークルがなくなっちゃうんじゃないですか!?」

「……だったら、円卓の部分だけ取り外して他は置いていく。キリエライトには上手く言っておけ」

「なんで私が!?」

 

 ノアは立ち止まり、力尽くで盾の核である円卓を引き剥がそうとする。すると、立香が背負っていたマシュの左足がひとりでに動き、ノアの頭を打った。

 彼は盾をげしりと踏みつけて、

 

「よし、そいつも置いてくぞ。盾と一緒ならそこのなすびも本望だろ」

「寝言は寝て言ってください。だいたい、いつものリーダーなら馬鹿力でなんとかするじゃないですか。気の利いた魔術とかないんですか?」

「久々に神体化術式を使ったせいで魔術回路に反動がきてる。神代回帰のおかげで魔力は満タンだが……数分寝ていいか?」

「駄目に決まってるんですけど!!?」

 

 ぎゃあぎゃあと喚き散らかすノアと立香。そんな愚にもつかないやり取り繰り返す二人に、聞き馴染んだ声がかかる。

 

「こんな時にまで何やってんだお前ら。盾は持ってってやるから、さっさと逃げるぞ」

「言うなれば、Eチーム愛の逃避行ですわ〜〜っ!!」

「そこのなすびは私に預けなさい。ふてぶてしく育ち切ったせいで重いでしょうから」

「あ、じゃあノアさんは私を背負ってくれませんかねえ。ステータス的に遅れるのは目に見えてるんで」

 

 立香とノアはまぶたを限界まで見開いて、口をあんぐりと開ける。ほんの風情も感慨もなく、さも当然であるかのように唐突に、Eチームのサーヴァントたちが視線の先にいた。

 マスターコンビは顔を見合わせると、口元を手で隠してぼそぼそと喋り出す。

 

「リーダー、これ絶対罠ですよね。エリートのEを冠するEチームのサーヴァントが、こんな感動もへったくれもない再会するはずないです」

「たまには良いこと言うじゃねえか。騙されるなよ藤丸。あいつらがいくらアホでも物語の妙味くらいは弁えてるだろうからな」

「くっ! 私たちの仲間の姿を使うなんて、これをやったのは全裸陰陽師やサクラに匹敵するゲスじゃないですか……!!」

「貴重な時間使ってまでアホを見せつけないでくれますぅ!? 私たちは頭のてっぺんから足の爪先までモノホンよ!!」

 

 ジャンヌは立香とノアの頭上に鉄拳を落とす。なんとか意識を保ったノアに対し、立香は見事に撃沈する。ジャンヌはマシュと立香の首根っこを掴み、大股で進み出した。

 一方、悶絶するノアの両脇をペレアスとダンテが支え上げる。ノアは舌打ちし、口をとがらせて言う。

 

「……どういう風の吹き回しだ。俺は自力で歩ける」

「とのことですが、どう思いますかペレアスさん」

「現代で言うツンデレってやつか? マスターはマスターらしくサーヴァントの手を借りてろ」

「そもそも、おまえらどうやってここに来た?」

 

 リースは端的に答える。

 

「気付いたら召喚されてましたわ」

「オレとリースの愛がなせる業、ってわけじゃなさそうだな」

「きゃーっ!!♡♡ そんなことを言われるなんて、嬉しすぎてゲロ吐きそうですわぁーっ!!♡♡♡」

「「…………」」

 

 ノアとダンテは同時に足元に唾を吐き捨てた。

 愚にもつかないやり取りを繰り返しながら、Eチームはカルデアへの道を辿っていく。そんな珍道中を見て、彼女は腹の底からため息をついた。

 

「───……はぁ。本当に、しょうがない人たちですねぇ」

 

 黒白の偽神、サクラ。ふよふよと空中を漂う少女は、白い髪の毛先を指に巻く。眉根を寄せて、頬を膨らませるその表情はその不機嫌さを大いに表している。

 

「私の手にかかれば、英霊召喚なんてちょちょいのちょい……なんですが、感謝されないのもそれはそれでムカつくというか? いえ、別に誰かに褒められたかったとかそういうんじゃないですけど?」

 

 まあいいか、と黒白の少女は身を翻す。

 

「ひとつ、貸しということで。あっちのアホ白髪はクソほどどうでもいいとして……いずれ必ず取り立てますからね────立香さん」

 

 くすくす、とサクラは微笑む。

 それは、かつての人類を嘲笑う悪辣ではなく。

 初めて恋を知った乙女が想い人を慕うような、蕩けた顔をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〝起きなさい───起きるのです、マシュ・キリエライトよ〟

 

 微睡む意識の中で、そんな声が響き渡る。

 最近のわたしはこういった謎空間には造詣が深い。その経験値を活かして勢い良く跳ね起きると、そこにはフォウさんがちょこんと座っていました。

 彼? のことを知らない人たちに説明すると、この謎生物は現カルデアの大人気マスコットキャラクター優雅なおじさんに次ぐ第二のアイドル、フォウくんです。一部では文字数稼ぎの魔術師とも言われています。

 

〝待って? ボクは優雅なおじさんを超えるマスコットだよ? 紅茶飲むしか能がないおっさんと比べられること自体が異常なんだけど?〟

 

 という謎生物ジョークを繰り出すフォウさんは流石と言わざるを得ません。優雅なおじさんさえいなければ、カルデアの天下を取っていたという言説は間違いではなかったようです。

 

〝殴っていいかなぁ!?〟

 

 ところで、フォウさんはなぜこんなところに?

 今更人語を話せるようになってイメチェンをしようとしても、手遅れがすぎると思うのですが。

 

〝人語に関しては今後ムニエルと合体して手に入れるから良いとして……今回は、マシュにちょっとしたご褒美を与えようと思うんだ〟

 

 そうですか。ではいただくとしましょう。早急にお願いします。

 

〝え、質問とかないの!? ボク一応キャスパリーグって言って、第四のビースト───〟

 

 それを訊いたとしても、わたしにとってはフォウさんはフォウさんです。たとえ普段のゲスな喋り方を辞めて猫を被っているとしても、その事実は揺るぎませんから。

 まあ、質問と言えばひとつ、あるにはあります。

 

〝なんだい?〟

 

 どうしてフォウさんは、マーリンさんに辛辣だったんですか?

 

〝ビーストⅣは『比較』の獣。人類が持つ『他者より優れたい』、『他者に勝りたい』、『他者の上に立ちたい』といった心を喰らって成長する。だからボクは人の世を避けて、あの花びら野郎がいるアヴァロンの塔に引き篭もっていたんだけど〟

 

 だけど?

 

〝王様の悔いのない最期を見てテンション上がったアイツが、美しいものを見てこいとかほざいて地上数百メートルから紐なしバンジーさせられてね。やり返す機会を虎視眈々と狙っていたんだよ〟

 

 なるほど。よく分かりました。フォウさんの塩対応の理由が。

 

〝だろう?〟

 

 ええ────フォウさんはなんだかんだで塔の生活も気に入っていたのに、無理やり追放させられたから拗ねて怒っていたのですね。

 

〝──────…………………いや、ナイ! それだけはナイ! 断じてありえない!! 王様が殿方の悦ばせ方を知ってるくらいありえない!!!〟

 

 語るに落ちましたね。で、そろそろ元の場所に帰してくれますか。

 

〝くっ! ええい、ままよ! キミの体も魂も寿命も、なんかいい感じになりたまえ!!〟

 

 ───そうして、意識は光の中に引き戻されていく。

 明滅する視界。強い光に目の奥が刺激されて、思わず涙が滲む。ぼんやりと霞む目を、焼け落ちたはずの右手で擦った。

 そこで気付く。自分の体の軽さに。魂を燃やしたが故の圧倒的な気怠さは露と消え、肉体が意思より先んじているみたいに滑らかに駆動する。

 近い内に死を迎えると宣告されていたその身は、それが嘘のように絶好調だった。

 しかし、そのことを喜ぶ間もなく。

 

「───マシュ!!」

 

 たったひとりのマスターに、体当りされるみたいに抱き締められた。

 わけの分からないままに辺りを見回すと、そこは見慣れた医務室で。カルデアのみんなが、ひとつの寝台をぞろぞろと取り囲んでいる。

 マシュは己が主を抱き返して、みんなに聞こえるように言った。

 

「…………マシュ・キリエライト、ただいま完全体となって戻ってきました!!」

 

 すっかり狭くなった医務室が、声で割れるんじゃないかと心配になるくらいに揺れる。

 白き獣はその光景を余すことなく網膜に焼き付けるために、離れた場所でそれを眺めていた。

 ───美しいものに触れてきなさい。

 花の魔術師はあの時そう言った。

 このカルデアで送った日常は確かにかけがえのないものだったけれど、美しいかと言われると大いに疑問が残る。

 だけど。

 もうそんなことは、どうでもいい。

 どうでもよくなるくらい、彼らは馬鹿馬鹿しくて愉快だった。

 だからきっと、これで良いのだと思う。

 ボクが数百年間溜めた力は、この瞬間のためにあったのだろう。

 これこそが、彼らが命懸けで掴んだ未来だ。

 …………第四の獣は何も傷つけることすらなく、人知れず討伐された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 終局特異点での戦いを終えて。

 人理焼却は否定され、外界は元通りにその形を取り戻した。カルデアの管制室は瞬く間に事態の説明を求める外部からの通信音で埋め尽くされ、けたたましい音響に支配された。

 それに対して、カルデアの全職員が取った行動は〝少しは休ませろ〟というメッセージを送り返し、自室に退散することだった。国連や魔術協会からすればたまったものではないが、現実的に、戦いを終えた直後で働ける人員はどこにもいなかったのである。

 静寂に満たされたカルデア。立香は開戦前に取り付けた約束の通り、自室にノアを呼びつけていた。

 部屋の隅に設置された寝台に、二人並んで腰掛ける。彼らは数分の間、一言も交わさずにそうしていた。立香はようやく意を決して、口を開く。

 

「終わりましたね」

 

「ああ。とりあえずはな」

 

「外に出たら真っ先に何します?」

 

「今週のジャンプ買いに行く」

 

「いや、購買とか電子とかで何とかなるじゃないですか。もっと特別なこととかないんですか」

 

「それだったら─────まずは墓参りだな。おまえにデンマークとロンドンの歩き方ってのを教えてやる」

 

「ノアの歩き方とか期待できそうにないですけど、一応楽しみにしててあげます。お供え物とかは?」

 

「…………ホットケーキミックスでもぶっかけてやれ」

 

「マジですか、最高のお供え物じゃないですか。私なら地面の下から這いずり出てくるくらいですよ」

 

「何言ってんだこのバケモノ?」

 

 そこで、会話が途切れて。

 立香はノアの二の腕辺りの服をつまんで、

 

「ところで、なんですけど」

 

 燃えるみたいに熱くなった顔を伏せて、小さく言う。

 

 

 

「好きです」

 

 

 

 どくりどくりと、心臓が収縮する。

 指先の感覚がおぼろげになり、どれだけ息を吸っても酸素を取り込んでいる気がしない。響く静寂が鼓膜を揺らし、カメラのピントを絞るみたいに視界が狭まった。

 ノアの沈黙は数秒。絞首台に登らされた囚人のような気持ちで彼の返答を待つ。視界を遮る前髪の隙間から、彼の唇が動き出そうとしたのを見て、ぎゅっと目を閉じる。

 そして、

 

「知ってた」

「え゙」

 

 一気に立香は開眼する。ノアの横顔を見上げると、その眼差しはこちらではないどこかへ向けられていた。

 ───いつから、どうして。

 そんな、か細いうめき声みたいな言葉が喉を抜け出す。対照的に、ノアは平坦な声音で答えを返す。

 

「ウルクの研究室でぶっ倒れた時、同じようなことを言ってただろ。俺に聞こえてないとでも思ったか」

 

 ああ、なるほど。と、立香は自らの失策を思い知る。それと同時に爆ぜるような熱が身中で炸裂し、上半身だけを横に倒して枕に顔を埋めた。

 

「うぐおおおおおごごごごご!!!!」

 

 藤丸立香、一生の不覚。中学二年生の時分、吸血鬼に憧れてトマトジュースを常飲していた黒歴史よりも抹消したい過去が、猛烈に羞恥心を掻き立てる。

 一分もの間そうして、彼女の精神はヤケクソの域に到達し、枕を勢い良くベッドに叩きつける。立香は即座に振り返って、ノアに詰め寄った。

 

「はい! じゃあ話は終わりです! おしまい!! 解散!!!」

「本当にそれでいいのか?」

 

 え、と口の端から音が漏れる。

 ノアの両手が立香の両肩を捕まえる。自身の手が子どものそれに見えるくらい大きな手。血管が浮き、骨ばった手の感触に、思わず射竦められてしまう。

 

「ひとつ、条件がある」

 

 こくりと、意味も理解しないままに頷く。

 

「おまえは、俺だけのものだ」

 

 なんで彼もこの気持ちに至ったのか。気にはなったけれど、どうせ語ってはくれないだろうから、その碧い瞳と優しい声音だけを信じて。

 でも、一方的にやられるのは癪だったから、思い切って言い返した。

 

「それなら、あなたも私だけのものです」

 

 ノアは微笑む。

 今まで、誰にも見せたことのない艶めいた顔で。

 

「それで良い」

 

 右手が離れ、立香の顔の端を撫ぜるようにあてがわれる。

 ずい、と顔が今にも触れ合いそうなくらいに近付いて、反射的に目を閉じたその時、暗闇の中で鼓膜が揺れた。

 

「────おまえが、責任を取れ」

 

 そして、両者の距離は零になった。

 触れ合った時間は決して長くはない。

 軽く押し付け、ゆっくりと離れる。

 たったそれだけの口づけ。

 立香はうっすらと目を開けて、未だ至近距離にある彼へと問うた。

 

「ど、どどどどうでしたか」

「…………鼻息が鬱陶しい」

「はああ!? 乙女のファーストキスがその感想とか許されざるんですけど!! やり直しを所望します───っ!!」

 

 言いつつ、立香は唇を尖らせて突撃する。

 直後、ガチン、という音が鳴り響く。あまりの勢いに前歯同士が衝突し、鈍い痛みを迸らせた。

 

「痛えなアホが!! 人がせっかく真面目にやってやろうとしたのに台無しにしやがって!!」

「いーえ、これはノアが悪いです!! 感触とかより前に鼻息のこと言うとか流石はノンデリカシーの化身ですね!!」

「うるせえ!! くそ、こんなんでシメにしてたまるか! 今度は早とちんじゃねえぞ!!」

「それはこっちの台詞です!!」

 

 気を取り直して、息を整える。

 再度、二人の距離は極限まで狭まった。

 ふに、と唇が触れ合う感触。蛇のように舌が滑り込み、おずおずと歯を開いて受け容れる。

 押し付けられるそれを必死に受け止め、絡み合い、時になぞり返す。しばらくして名残惜しげに距離は離れていき、荒い息とともに感想を述べた。

 

「「これはこれで何か行き過ぎてる気がする────!!!」」

 

 …………結局、この二人に真っ当な始まりなんて期待できなくて。

 だが、まあ、それでいいと、ノアは自分を納得させる。

 もう、目の前のこいつは俺のもので。誰にも渡さないし、俺の側以外の何処にも行かせはしない。それはどうしようもなく決定している。

 だから、いつから立香のことを想うようになったのかなんて、考える意味はない。順序を辿っていけば見つかるのかもしれないが、目の前の現実が俺の全てだ。

 こいつはいつの間にか、俺の心の大半を占めるようになって、気付けば誰よりも特別な位置を掻っ攫っていって、こいつがいない未来なんて考えられなくなってしまった。このぬくもりを手放せなくなってしまった。

 俺が立香を求める理由なんて、つまるところはそんなもの。

 そんな理由だとしても、俺はコイツのためになら何度だって世界を救える。

 

 ───それは、自らの熱で互いが互いを融かすような。

 

 ただ、ひとつ気掛かりがあるとすれば。

 俺はこいつを壊さずに■することができるのか。

 最初の記憶は自分にまたがり、首を絞めてくる母親の姿。才能を奪われたと自分を憎む弟と、俺を人とも思っていなかった父親と一族に囲まれて育って。

 俺の初めての友達と、ユリとリッカと、アンナと、アリスの婆さんと────みんなと出逢うことで、ようやく■を受け取ることができた。でも、それはあまりに美しすぎて。自分がそれを注がれているという現実でさえ、まるで夢みたいで実感がなかった。

 そんな、正しい■し方も、正しい■され方も知らない人間が、こんなにも大切な人を得て、正しく■せるとは思えない。

 

 ───互いの吐息が混ざる。悩ましげに眉を寄せる立香は手を伸ばし、ノアの頬に伝う涙を拭き取る。

 

「…………大丈夫」

 

 気丈に微笑む口元と、縋りつくように自分を見上げる潤んだ瞳。それで、心臓が締め付けられるような気がして、考えもせずに口走った。

 

「……この先、何度も言わないことだから、よく聴け」

「……だったら、私は何度だって言わせてみせます」

 

 ■し方を知らなくても。

 ■され方を知らなくても。

 これだけは間違いなく真実だから、

 

 

 

 

「────愛してる」

 

 

 

 

 誰にも心の底から言わなかった、言えなかったその言葉を、初めて告げることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ここまで読んでくださって本当にありがとうございます。次回から三話ほど番外編を挟んで、最終章となります。是非お付き合いくださると幸いです。
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