自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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風邪を引いて撃沈してました。次回から最終章です。


番外編その三 シモンの末裔

〝この森から、一歩足りとも出てはいけませんよ〟

 

 ある日、神父さまはぼくにそう言った。

 神父さまの言うことはいつだって正しい。だから、ぼくは訊いた。その言葉を疑うためじゃなくて、その言葉の背景を知るために。

 

〝どうしてですか?〟

〝それは──────〟

 

 神父さまは、全てを教えてくれた。

 子どもだからといって耳に障る部分を柔らかく言い換えたりせず、理解に難い部分を飛ばしたりもせずに。

 魔術協会と聖堂教会の因縁。ぼくの存在が露呈した際の危険性。二つの組織に捕捉されれば、死ぬまで飼い殺しにされるであろうこと。特に魔術協会の場合はホルマリン漬けにされる可能性もあるようで、どんな悪の組織かと訝しんで……自分を戒めた。

 何が悪で、何が善かを決めるのはぼくじゃない。それは神様であるべきだ。最初の人間たちが身勝手に善悪を判断するようになってしまったからこそ、楽園を追放されてしまったのだから。

 事情を語り終えて、神父さまは深く咳き込んだ。木枯らしみたいな不吉な咳の音が数度、口元を押さえていた手は真っ赤な粘液で濡れていた。

 

〝治します〟

〝あなたのその気持ちだけで充分ですよ。天の御力は私なぞには過分にすぎます〟

 

 聖堂教会の代行者。神父さまは元々それを生業としていた。長年、教会が定める異端の者と戦い、数え切れない傷と呪いを受けたその体はもはや如何なる力を以ってしても完治など望めないものになっている。

 魔術師を殺し、魔獣を滅し、死徒を裁いた。

 ───主の威光を代行する、その大義名分のもとに。

 

〝私はいくつもの命を奪いました。それが異端とあらば、目につく限りを。傷つき倒れていく仲間を置き去りにしてでも、せめて彼らの仇を果たせるようにと〟

 

 だが、それは間違いだった。

 代行者とは天の主に代わって神罰を執行する者。異端の魔性たちを裁くのは人ではなく、あくまで神の法だ。その在り方に余分は要らない。代行者はただ、敵へと振り落とされる刃でさえあれば良いのだ。

 だから、それは間違いだった。

 代行者が異端者へ振るう刃は仲間の仇を取るためではなく、主の裁きを代行するためであったから。

 聖なる裁きに、殺人者如きの感情を乗せてしまった。その時点で既に、代行者たる自覚は自分の中から消えていた。

 神父さまは、どこか乾いた笑みをぼくに向けて、

 

〝迷ったのならば、主の御言葉に従いなさい〟

 

 そんな言葉を、遺した。

 人は過つ。人が人である限りそれは揺るがない。だったら、この身を預けるべきは人ではなく神の御意志だ。正しさの道を生きることこそが幸福だから。

 

 

 

〝───君が、聖杯か〟

 

 

 

 これも、不幸ではない。

 誰も訪れることのなかった森の教会に、突然彼は現れた。

 茶色がかった金髪。薄い褐色の肌の魔術師。彼はどこからか、いつからか、ぼくのことを知って、地下の魔術工房に連れ攫った。それがなぜだかは分からない。

 

〝次元跳躍。初代が操ったとされる御業は失われた。なにしろ我々三次元空間の生物が四次元に行くだけで致命的だ。閉じた箱の中身を閉じたままに取り出せるかの場所においては、身動きひとつで血液は血管をすり抜け、内臓は皮膚を貫通する。とても生身では生きていられまい〟

 

 ならば、どうするか。

 彼はぼくの体を切り刻みながら、訥々と語る。

 

〝遥か過去、水の中でしか生きられなかった生物は己がカタチを変え、陸に空に適応した。故に、ヒトもまたカタチを変えて高次元に適応することができるはずだ〟

 

 数十億年前。海の底で生まれた単細胞生物はやがて多細胞生物へと進歩を遂げ、カンブリア紀にて爆発的で多様的な生物の増殖を果たした。

 長い長い時間をかけて、数度の大量絶滅を経てもなお、生命はしぶとくこの星に広がり続けた。その時々の環境に適応することで。

 

〝そこで、考えた。ヒトは一体どのようなカタチに成るべきなのか〟

 

 その部屋には無数の残骸があった。眼球だけで生き続けるモノ。色味の異なるツギハギの脳みそ。心臓だらけのナニカ。そんな人間たちが、掃除下手な子ども部屋のおもちゃみたいに、乱雑に転がっている。

 恐怖はあった。

 憎悪もあった。

 けれど、それ故に、ぼくは神様の御言葉に縋った。

 マタイ伝5章39節〝しかし、わたしはあなたがたに言っておく。悪人に手向かってはならない。もし、だれかがあなたの右の頬を打つのなら、左の頬をも差し出しなさい〟

 そして、かの救世主は〝汝の敵を愛せよ〟とも言われた。正しさの中にあることで、自分の心を保とうとした。

 

〝───天使だよ。ある詩人は天界を昇り、無数の天使を目撃した。天界の上昇とは次元の上昇。ヒトならざる異形を有する天使たちは、高次元に適応したがためにあのような姿になったのではないか?〟

 

 狂っている。

 腕を、脚を、臓物を切り取られていく最中で、そんな感想だけが浮かび上がった。目の前の彼が、悪魔の大王か何かに見えた。ぼくは決してこの人から逃れられないのだと確信した。

 だけど、いま。

 

 

 

「───()()()()()()()

 

 

 

 彼は、地面を這いつくばっていた。

 血の塊と吐瀉物が混じったものを吐いて、眼球を真っ赤に染めて、咳にははらわたの欠片が入っている。

 あれほど絶対的に思えた人間は、やはり人間の域を出なかったのだと思い知らされて。

 地に伏せた彼の前に立つのは、無傷の男。見上げるほど大きい背丈に、肌も髪も真っ白な、人間離れした容姿の魔術師だった。

 

「こいつを殺すか、生かすか、どうするか。おまえが、いま、考えて決めろ。誰の言葉でもなく、おまえの言葉で俺に告げろ」

 

 ぼくが、選んだのは────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中東、シリア・アラブ共和国。

 アラブの春を発端として、この国には現在も続く内戦が勃発した。いつもどこかで人が殺され、気付けば隣人が物言わぬ姿で見つかる。ここはそんな場所だった。

 ただ、どんな場所であっても、人が住まう限りあらゆる営みは発生する。

 時刻は夕方。夕暮れの赤光が傷ついた街に射し、より一層影の暗さを引き立てる。そこは閑散とした表通りに面した理容室。褪せた色彩の店には珍しく、客が訪れていた。

 

「…………おい、おっさん。どういうことだこりゃ」

 

 シャンプーハットを被った長身の男───ノアトゥール・スヴェン・ナーストレンド。もこもこと泡立つ頭をマッサージされつつ、彼は不機嫌に呟いた。その視線は、どこかで見たことのある麦わら帽子のゴム人間が表紙の漫画を差している。

 店主は巧みに指を動かしながら、漫画の中身を覗いた。

 

「え、何が?」

「何がじゃねえ。この店の漫画全部海賊版じゃねえか。海賊漫画の海賊版とか洒落にしてもくだらなさすぎるだろ。集○社にチクってやろうか」

「ふふふ……それはね、おっさんも昔は海賊だったからだよ。俺の必殺技ゴムゴムのRPG-7(バズーカ)は百発百中でね、それはそれは海軍の連中を震え上がらせたものさ」

「何がゴムゴムのバズーカだぶっ飛ばすぞ。おまえなんか良いとこドン・クリークだろ。ニカじゃなくてバカだろ」

 

 というツッコミを無視して、店主のおっさんは昔を懐かしむように喋り続ける。

 

「いやあ、あの頃は仲間もたくさんいて楽しかったなぁ……証拠捏造した考古学者のロビンに、難聴のフリした音楽家のブルック、嘘つきのウソップ────」

「それ全員ウソップだろうがァァァ!!! 麦わらの一味じゃなくて長鼻の一味じゃねえか!! 逆にウソップだけ特徴が無さすぎて得体が知れねえよ!!」

「おいおい、逸っちゃいけないぜ兄ちゃん。あとはほら、戦闘員のガンゾリグとかいたから」

「そこはゾロだろ!! 誰だガンゾリグって、名前がいかつすぎんだよ!! ドラクエの世界にFFのキャラクターが混入してるくらい違和感あるだろうが!!」

 

 ノアはがなり立てるが、元海賊現床屋のおっさんにその声は届かなかった。彼はノアの頭をシャワーで流しながら、だくだくと涙をこぼした。

 

「ウソップのやつがソマリ───世界政府にさえ捕まらなければ、今もみんなで海賊やれてたんだけどなぁ……」

「今ソマリアって言ったか?」

「アイツが俺たちのアジトゲロったせいでロビンもブルックも……結局ウソップが真実を話したのはその時だけだったな。肝心なとこでウソつかなかったな、アイツ」

「おいガンゾリグはどうした。死んだのか? まさかガンゾリグも死んだのか!?」

 

 おっさんは答えなかった。真っ白な頭をドライヤーで乾かし、正面の鏡に写るノアの顔を見据える。

 

「まあそれは良いとしてだよ、兄ちゃん。ヒゲ生やそうぜヒゲ。ツラ良いしタッパもあるから絶対似合うって。剃るのもったいないって」

「ふざけんな面倒くせえ。言っとくがヒゲに幻想抱いてんのはおまえらおっさんだけだからな。ワイルドさとか言ってるけど不潔でしかねえからな」

「何言ってんの兄ちゃん!? この世のありとあらゆるヒゲオヤジを今の一瞬で敵に回したよ!? 世界政府の旗撃ち抜くみたいなもんだよ!?」

「おう望むところだ。そいつら全員ここに連れてこい。全身の毛ぇ剃って誰が誰だか分からなくしてやるよ」

「ちょっと、誰かこの兄ちゃんにバスターコールして!!」

 

 ノアは温めたタオルで顔を拭く。おっさんがしぶしぶ椅子の背もたれを倒すと、不意に横の席の人間と目があった。

 猛獣を思わせるスカーフェイスの巨漢。光沢のある黒のジャケットに、これまた黒いサングラスをかけた、とても床屋には似合わない服装の男である。

 彼はサングラスを指で押し上げ、嘲るように鼻を鳴らした。

 

「フッ、若造の青臭い持論は聞くに堪えねえな。いいか、ヒゲってのは男の勲章なんだよ。言わば年の功の可視化だな。尻の青さがケツ毛で隠れてから出直してこい」

「年の功とか言ってる時点でズレてることに気付いてねえのか? ヒゲ生やす前にその古い価値観毛根から叩き直してきやがれ。俺が認めるヒゲ面はカーネルだけだ」

「違うな。おまえが好きなのはカーネルのヒゲじゃなくてカーネルのフライドチキンだろ? チキンだけの関係なんだろ?」

「は? 俺とカーネルがフライドチキンだけの浅い仲だと思ってんのか? ……アレだよ、クリスピーもうめーよ」

「それ関係ないよね!!?」

 

 店主のおっさんは思わず叫んだ。

 ケン○ッキーにて最強のメニューはビスケットであるというのが全世界共通の認識ではあるが、彼らのような異端も少なくない。所詮奴らはアウトローなのだ───というのは置いておいて。

 ノアは目の形をのっぺりとさせて、サングラスの男を言い咎める。

 

「おまえも所詮カーネルを利用して俺を論破しようとしただけなんだろ。浅ましいんだよ。カーネルを都合の良い欲望の捌け口にしやがって」

「黙れェェェ!! 俺とアイツをそんな風に語るんじゃねえ!! 俺のカーネルはドリンク割り引きしてくれるから!!」

「じゃあおまえの負けだな。俺のカーネルはドラム多めに入れてくれる」

「いや、俺のカーネルの方が揚げるの上手い」

「俺のカーネルの方が骨しゃぶるの上手い」

「カーネル挟んで殴り合いするのやめてくんない!!?」

 

 というよりも、カーネルを武器にして殴り合っている図なのであった。結局、二人は顔面に泡を塗りたくられた時点で黙り込み、床屋のサービスを堪能した。

 そうして、二人揃って会計を終え、店を出ることになった際。日はすっかり地平線の裏側に遠ざかっていた。サングラスの男は店主に多めの駄賃を握らせて、

 

「ありがとよ、良い腕だったぜ。アンタ、名前は?」

「ドナルドです」

 

 ノアとサングラス男は目を合わせ、一筋の冷や汗を垂らした。

 

「…………お、俺はハンバーガーも好きだぜ?」

「ピエロは廃業したのか? 靴のサイズハンバーガー四個分って本当か?」

「そっちじゃねーよ!!」

 

 で。

 ノアとサングラス男はしばらく通りを歩いた。どちらともなく方向を選び、合わせるまでもなく歩調が並ぶ。

 ひっそりと大気が冷え込んでいくみたいな沈黙。大男二人が並んで威圧感を振りまく様は異様であったが、閑散としたこの街では警戒する人間もいない。

 ざり、と靴の先が土を削る。彼らは同時に立ち止まり、そしてまた同時に口を開いた。

 

「俺は時計塔の依頼でここに来た。アンタは?」

「俺は中国で贋札偽造犯の濡れ衣を着せられてここに流れついた。どうやら事情は被ってねえらしいな」

「被るわけねえだろ!!!」

 

 サングラス男の怒号が街中に響き渡る。

 両者はとうに互いが魔術の世界に属する者であることを見抜いていた。その世界でも有数の巨大組織、時計塔は権力闘争の嵐が吹き荒れる魔境だ。

 サングラス男が受けた仕事の関係上、相手の事情によっては一戦交える可能性もあった。どうやらその心配は杞憂どころか的外れだったようだが。

 

「時計塔? 嘘だろ? てっきりナヨついた奴らの巣窟かと思ってたが、おまえみたいなのがいるのかよ。ちゃおに北斗の拳紛れ込んだみたいなもんだぞ」

「誰が作画原哲夫だ!! お前こそ今話した事情はマジなんだろうな!?」

「マジのガチに決まってんだろ。何なら本物の人民元と見比べてみるか? 透かしのところが雑なんだよな」

「ああ、確かによく見てみると……って違うわ!!」

 

 サングラス男は手渡された人民元(贋作)を地面に叩きつける。ノアは興味なさげに視線を中空へと投げかけた。

 

「で、おまえはバケモノ退治でも依頼されたのか?」

「は?」

 

 その直後、二人が立っていた場所が爆発する。それに火薬のような火種はなく、空間のある一点に突如として発生した。白き閃光が空気を焦がし、地面を抉る。

 もうもうと立ち込める煙。白く霞む風景の中に、赤熱した地面の光が点々と淡い光を放っている。

 ばさり、とはためく翼が空気を掻き分ける。その羽音は限りない不吉な響きを伴って、辺りに満ちていった。

 二つの影が、月明かりに照らし出される。

 

「『Nearer, my God, to Thee, Nearer to Thee(主よ、御許に近づかん。御許に近づかん)E'en though it be a cross That raiseth me,(如何なる苦難が待ち受けようとも) Still all my song shall be,(あなたに我が歌を捧げん)』」

 

 一方は、四つの顔面と二対の翼を有する異形。ソレが持つ顔はそれぞれ、人間と牛と獅子と鷲とに分かれている。しかし胴体は存在せず、前後左右を取り囲むように光輪が配されていた。

 

「『|Though like the wanderer, The sun gone to down,《,(放浪の最中、暮れゆく陽の暗闇が私を覆い》 |Darkness be over me, My rest a stone, Yet in my dreams I'd be,《石を枕に眠るとしても、私はただあなたの御許を夢に見る》』」

 

 もう一方はいくつかの車輪が大小重なり合ったような姿だった。ただし、それらの表面は無数の眼球が群生しており、輪の中心にはひときわ大きな瞳が輝いている。

 

「『「『Nearer, my God, to Thee, Nearer,(御許へ、主よ、御許に近づかん。) my God, to Thee, Nearer to Thee.(御許へ、主よ、御許に近づかん)』」』」

 

 原生生物の形状を嘲笑うかのような異形にして畸形。宙を風船のように滞空し、肺や声帯があるべき部位もないはずなのに、朗々と賛美歌を歌い上げる。まるで、はぐれた親を呼ぶ子どものように。

 

「おいおいおい、なんだありゃ。悪趣味にも程があんだろ」

 

 散乱した瓦礫の中に、サングラス男とノアは身を隠していた。位置としては二体の異形の背───どちらが前か後ろかも定かでないが───を目視できる場所である。

 爆発の瞬間、彼らは独自の防御手段を展開し、異形たちの目を欺く隠形でもって移動していたのだ。

 ぼやく男に対して、ノアは異形たちの姿に眉をひそめる。

 

「それに関しちゃ同意見だな。天使のカタチを人体を素材にして、無理やり構築してやがる。放っときゃ一秒と持たずに死ぬガラクタだ。あんなのが依頼の対象か?」

 

 観念したように、男は言った。

 

「……俺の仕事はこの辺りに潜伏してる魔術師の拠点調査と抹殺だ」

 

 彼が言うところによると。

 事の発端は時計塔所属の魔術師数人が、この地域にて立て続けに失踪したことだった。彼らの間に深い繋がりはなく、また、この地を訪れた理由もそれぞれだったという。

 これを不審に思った法政科の人間が、独自に調査を開始。表の世界の機関にも干渉して得た情報は、シリア内戦の勃発と近い時期にこの地域での失踪者数が異常なほどに増加しているというものであった。

 そして、法政科は考える。

 何らかの目的のために魔術師も一般人も手当り次第に攫い、身を隠す最低限の知恵もある狂人がいるのではないか。

 これはひとつの可能性に過ぎない。偶然、この地域での失踪者が増えていることだって有り得る。

 けれど、法政科の別名は『第一原則執行局』。魔術師たちを統制し、表の世界への介入を図り、神秘の隠匿という第一原則を執行する組織だ。

 失踪そのものは大した問題ではない。法政科にとっての最悪は、この異常な失踪者数が世間に知られ、ひいては魔術の存在まで露呈してしまうことに尽きる。

 

「……だから調べに来ましたってか。よかったな、こりゃ十中八九クロだ。あの天使モドキのおかげでな」

「全くもってよくねえよ。もう前金受け取ってんだぞ。楽な仕事かと思ったら大損だ」

「そもそも、どうしておまえみたいな名も無き修羅が送り込まれてきたんだよ。法政科なら手駒には困らねえだろ」

「ここは聖堂教会の縄張り───エルサレムが近いからな。俺みたいな外部の人間の方がイザコザも少ないんだよ」

 

 聖堂教会。その単語を聞いて、ノアは舌打ちした。

 

「あいつらもロクな組織じゃねえからな。魔術師が異端ならソロモン王の扱いとかどうなんだ?」

「しかも数年前の聖墳墓教会出火事件のせいで関係も悪くなってるしな。魔術師は聖地に近付いただけで殺られてもおかしくねえ」

「…………()()()()()()()()()?」

「あ? 知らないのかよ」

 

 聖墳墓教会出火事件。数年前に起きたこの事件は、表の世界の住人にとっては字面の通り、聖墳墓教会でのボヤ騒ぎとして認識された。が、裏の世界ではそれは違う。

 過日の聖地では代行者と魔術師がすったもんだの大戦争を繰り広げた。教会のボヤ騒ぎはその過程に過ぎず、戦火を広げた裏にはあるひとつの影があったと言われる。

 代行者たちは口々に証言した。

 罵詈雑言を撒き散らしながら、街を縦横無尽神出鬼没に逃げ回るクソガキがいた────と。

 あまりに突拍子のない内容から、その少年の存在は半ば都市伝説のように語られている。あるいは、年端もいかない子どもに手玉に取られたことを認めたくなかったのか。

 

「……なんて与太話が出てくるくらいでな。表の世界でも一面ニュースになったもんだから、」

「ああ、それ俺だな」

「……ん?」

「だから、それは俺だ。裏の世界の方でも騒ぎになってるとは知らなかった。ガキひとりに躍起になるとか人の心ねえのか?」

「────お前だったのかよォォォ!!!」

 

 瞬間、またもや爆発が巻き起こる。

 四つの顔面と二対の翼の天使───ケルビムは四面の内、人面の眼による視線を爆破地点へと差し向けていた。

 それは先程の焼き直し。魔術師たちは爆破を難なく回避していた。ただひとつ、先と異なるのは隠れるでなく、天使モドキたちの前に姿を晒したこと。

 ノアは帽子を被り直しながら、さらりと述べる。

 

「よし、じゃあ俺は逃げる。おまえはおまえで頑張れ。あとグラサン似合ってねえぞ」

「うるせえ!! ここまで話聞いといてイモ引こうなんて通るかよ! せめてこいつらだけでも片付けていきやがれ!!」

「それが人に物を頼む態度か? 天才の手を借りたいなら、さっさと土下座して誠意を金額にして見せてみろ」

「ふざけんなドS野郎!!」

 

 と、言葉を交わしている間にも天使の攻撃は止まらない。

 不可視の斬撃、前兆無く襲い掛かる爆撃、鉄槌の如き突風。息もつかせぬ連撃はしかし、魔術師たちに掠り傷さえ与えられていなかった。

 サングラス男は懐から得物を抜き出す。二連のソードオフショットガン。その銃口を、ノアへと突きつける。

 

「お前こそいいのか!? 聖墳墓教会出火事件の元凶だってことが知れれば、時計塔と聖堂教会に付け狙われるぞ!!」

「ハッ、証拠もナシで誰が信じるってんだ!? チクりてえなら勝手にチクってろ!!」

 

 そこで、男はポケットから小さな端末を抜き取って見せた。

 ボイスレコーダー。その再生ボタンを押すと、聖墳墓教会出火事件の会話が再生された。ノアは無言で人差し指をかざし、ガンドを放つが、手首の動きだけでさっと躱される。

 

「それよこせ!! そのナリでボイレコ持ってるとか職質されたら一発アウトだろうが、もっと自分のことを大切にしろ!! そして生きとし生けるものに感謝しろ!!」

「この天使モドキを片付けた後なら考えてやるよ!! やるのか、やらねえのか、どっちだ!!?」

 

 問い掛けとともに、乾いた銃声が鳴り響く。

 ショットガンより放たれたのは、人の指を加工した弾丸。標的の体温を感知することで自動追尾し、体内の奥深くで呪いを撒き散らす必殺の魔弾であった。

 二発の指弾は二体の異形を狙う。弾丸の軌跡が空中で弧を描き、着弾するその寸前、

 

「『「『There let the way appear, Steps unto heaven.(現れし道は天国への階段) All that thou sendest me(あなたが与えし賜物), In mercy given(憐れみによる授かり物). Angels to beckon me(天使が私を手招きする).』」』」

 

 異形の身中より発せられし、無垢なる光。

 澄み切った清浄な閃光が指弾を触れたそばから風化させ、同質量の塵へと還す。

 

「『「『Nearer, my God, to Thee, Nearer,(御許へ、主よ、御許に近づかん。) my God, to Thee, Nearer to Thee.(御許へ、主よ、御許に近づかん)』」』」

「───チッ! 予想してはいたが、相性最悪か!!」

 

 彼が扱うのは死霊魔術。主に生物の死体を利用する魔術であり、指弾はシンプルながらも戦闘用に特化した一撃必殺の礼装だ。

 しかし、相手は天使を模した異形。類感呪術の遠隔作用の理論によって、カタチが同じモノは影響を及ぼし合う───つまり、この異形たちが天使を模している以上、そこにはほんの微量ながらも本物の天使の力が宿る。

 その力の総量が全体の1%に満たないとしても、それが天使の力であるのなら、魔術師にとっては天敵と言っても良い。なぜなら、十字架の教えにおいて奇跡と魔術は区別され、後者は駆逐される存在であるからだ。

 魔術、とりわけ死霊魔術など以ての外。死体とは審判の日に復活するための器。それを弄ぶ術の存在を、天使の力が許すはずがない。

 ───だからこそ、男はノアを戦いに引き込んだ。

 異形たちが天使の力を宿していることと、自身の魔術が通用しないことを一瞥で見抜いた上で、イレギュラーたるノアの力を頼ろうとした。

 本来は見ず知らずの魔術師を仕事に巻き込むなど考えられないが────死霊術師には、ひとつの誤算があった。

 

「『「『Then with my waking(そして私は目を覚まし) thoughts Bright with Thy praise(あなたへの賛美で心を晴れ渡らせる), Out of my stony griefs(石のような嘆きを捨)』」』」

「───元素変換」

 

 その瞬間、暗き夜の底が強く照らされる。

 二体の異形を呑み込み、天へと昇る炎の柱。赤く輝く灼熱の業火。風の元素たる空気を火の元素へと変換した一撃。想像を絶する高温に晒されながらも、異形は平然と佇んでいた。

 だというのに、彼らは糸が切れた操り人形みたいにぱったりと倒れる。

 炎の陰りとともに、ノアは地に伏せる異形へと歩を進めた。

 

「こいつらの動力源は散々歌ってやがった賛美歌だ。互いに互いを祝福することで、自律行動する半永久機関……だったら、歌が届かなくしてやればいい」

 

 故に、ノアは元素変換を用いた。

 音声(振動)を伝える媒質である空気。その一切を火へと変換し、相互に歌が届く余地を奪ったのだ。

 死霊術師は口角を軋ませ、ノアは邪悪で極悪な笑みを浮かべる。

 …………ひとつ、誤算があるとすれば───────

 

「ボイレコ渡せ。この天才とガチのタイマン張りてえってんなら、心置きなくボコして奪ってやるよ!!」

「───どうして、お前みたいなのが今まで表に出てこなかったんだよ、クソッタレ……!!」

 

 ────無理やり巻き込んだこの男がふざけたことに、自身の知る中でも最高峰の魔術師であったこと。

 優秀な魔術師であることと、戦闘に長けることは必ずしもイコールではない。奇襲・暗殺の土俵に持ち込めば分はあるが、面と向かい合ったこの状況は言うまでもなく不利だ。

 加えて、指弾という手の内も知られている。相手が用いた元素変換は魔術において基礎中の基礎、それがあのレベル。

 男はレコーダーを放り投げる。ノアはそれを受け取りつつ、何の気無しに問う。

 

「おまえ、名前は」

「獅子劫界離。お前は?」

「ノアトゥール・スヴェン・ナーストレンド。……日本人か? 名前のカロリー高すぎだろ」

「お前もな!?」

 

 ノアは土の塊を握り潰すかのような気軽さで、ボイスレコーダーを無数の破片にする。

 獅子劫とノアは異形たちの前に立ち、まじまじと見つめる。彼らは賛美歌を紡ぐ余力もなく、ただ電池が切れたラジコンのように停止していた。

 どこぞの天才美少女外科医天才美少女外科医(フラン○ンふらん)のような芸術的な身体改造を施しているならともかく、これは人を材料に天使のカタチを造った模型だ。動力源たる賛美歌が途切れた今、再起動の手段すら持たない。

 ノアは指先を、獅子劫は銃を突きつけ、魔弾を放つ。

 

「ま、待ってください!!」

 

 そのとどめを、甲高い声が遮った。

 煤けた廃墟から、小さな影が飛び出す。

 その姿に、獅子劫とノアははからずも目を剥いた。

 硝子細工のように儚げな少年。蜂蜜のように濃厚な金色の髪が四方八方に伸び散らかし、前髪の奥から淡い橙の眼光が煌めいていた。身に纏う手術衣は元の色が分からないほどに血痕と土の汚れで塗り潰されている。

 そして、少年には常人とはあまりにかけ離れた部分があった。

 翼。それは先端に行くほど炎のように揺らめいている。背から伸びる翼が一対。加えて、頭部を両側から包むような翼が一対。さらに、両脚の付け根から踵までぐるりと巻き付く翼が一対。

 計三対六翼の羽を持つ少年は、異形のもとに駆け寄った。

 

「ぼくが治します。だから、その人たちを殺さないでください」

 

 獅子劫は苦々しい表情で、言葉を返す。

 

「殺すなとは言うがな、こいつらはそもそも生きるように造られてない。どっかのアホにこき使われるくらいなら、ここで終わらせてやるのも温情だと思うがな」

「───天にまします我らの父よ」

 

 両手を組み、祈りを捧げる。

 魔術師たちは見た。

 少年の全身を巡る魔術回路、魔術刻印の発光。魔力が掌中に収束し、圧縮され、雫と化したそれが異形たちに注がれる。

 すると、彼らは弾かれたように居直った。

 歌を捧げ合うこともなく、己の力のみで浮遊する。治す、とは言うが、それはこの生物の根底から機能を造り替えたようなものだ。なにしろ、自力では生きられないモノが自力で生きているのだから。

 本日何度目かの絶句をする獅子劫の横で、ノアはぎしりと奥歯を軋ませた。

 一見、笑みにも見える表情。だが、その顔貌は紛うことなき敗北感で彩られている。

 ノアの見立てもまた獅子劫と同じだった。生きるように造られていない生命体を、どのようにして治すというのか。けれど、あろうことか少年は最善を超えた最高の結果をもたらしてみせた。

 それはノアの矜持を大いに傷つけたのである。

 

「おい、その魔術───いや、まずは名前を教えろ。天才の糧となる栄誉をくれてやる」

「か、カリス・グラダーレです」

 

 カリス。グラダーレ。魔術師ならばその言葉の意味は当然知っている。二つの単語が同じ意味であることも。

 すなわち。ノアは唇の端を歪めて、

 

「パチこいてんじゃねえ。なんだ聖杯(カリス)聖杯(グラダーレ)って。大事なことだから二回言いましたってか? HUNTER×HUNTERなのか? いつになったら暗黒大陸着くんだァァァ!!!」

「そ、そんなこと言われましても、お父さんとお母さんに貰った名前だから仕方ないというか……」

「おまえの意見は求めてない。まずはその魔術で冨○先生を癒やしに行くぞ」

「待てェェェ!! その子多分めっちゃ重要な手掛かりだから!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 で。

 人通りが少ないとはいえ、いつまでも道の真ん中で駄弁っていたら神秘の秘匿もクソもなかった。幸い、戦闘中は天使モドキたちが人払いの術式を張っていたようだが、それがあるからと言って、通りに屯する利点もないだろう。

 そんな訳で、ノアと獅子劫とカリス、天使モドキたちは手頃な空き地に転がり込んだ。四方を建物に囲まれ、人気もない絶好の密談スポットである。

 念には念を入れて人払いと簡易的な結界を施し、彼らは腰を落ち着けた。

 

「ぼくは、シモン・マグスという人のところから逃げ出してきました」

 

 カリスは一切を打ち明けた。

 森の教会で生まれ、外界を知らずに暮らしてきたこと。シモン・マグスを名乗る魔術師に攫われたこと。体を弄くられたこと。

 ノアは一部始終を聞き終えて、口元にじゃ○りこを運んだ。

 

「……随分と大物の名前が出てきたな。大方そいつはシモン・マグスの子孫か」

「飛行魔術に次元跳躍とか、ますます相性最悪かよ……いや、そいつの言い分だと次元跳躍はリスクが高すぎて使えないんだったか?」

「だから天使なんてもんを造り出そうとしたんだろ。こいつらを実験台にして、天使になる方法が確立したら自分の体に術式を施すつもりだったはずだ」

「だろうな。だいたい、どうやって魔術工房から逃げ出してきたんだ?」

 

 獅子劫はカリスに問いかける。

 魔術工房はしばしば要塞に喩えられる。外部の干渉に抵抗する物理的・魔術的防御はもちろん、内部も主たる魔術師のために最適化された構造となっている。重要な実験体であるカリスをやすやすと逃がすような警備はしていないだろう。

 カリスはたどたどしく言った。

 

「次元跳躍……を、使ったんだと思います。たぶん。この体になって、逃げたいと願ったら、うにゃうにゃした場所を通って、気付いたらここに……」

「なるほどな、そういうことか」

「知ったかぶりか?」

「違えよグラサンおっさん。高次元に適応した天使なら飛行魔術も次元跳躍も使えて当然だ。別次元を通って地上に出たんなら、魔術工房から逃げられた説明もつく。問題はそこの天使モドキも使えるかだが」

 

 ノアの眼差しが二体の異形を射抜く。

 彼らはぎくりと震えると、小刻みに首を振った。首に当たる部位がないので振動しているようにしか見えないのだが。

 

「……つまり、こいつらは人攫いのための手駒で、カリスは次元跳躍を使えるほどの成功体。シモン・マグスの末裔はカリスを囲ってたがいつの間にか逃げられたドジ野郎。こんなもんだろ」

 

 ノアは四面の異形の口をがこんと開け、菓子を箱ごと放り込んだ。

 

「もうそのドジ野郎の拠点を探すだけだ。後はおまえの仕事だろ、獅子劫のおっさん。俺は帰って寝る」

 

 そう言って、彼は宿へと戻っていった。

 カリスは獅子劫を流し見る。

 

「止めなくてよかったんですか?」

「俺が無理やり巻き込んだだけだしな。手伝う義理もない。アンタはどうする?」

 

 思わぬ問いかけに、カリスは言葉を詰まらせた。

 いつものように、主の御言葉に従えばいい。それで迷うことなんてない。だというのに、なぜか今この時だけは、主の御言葉が頭の中から取り出せなかった。

 

「獅子劫さんは、あの人を殺すんですか」

「ああ、それが俺の仕事だしな」

 

 んむむむむ、とカリスは唸る。

 人を殺す。それも仕事で。思うところがないではないし、一般的な倫理観で頭ごなしに否定してしまうのは簡単だろう。

 けれど、それをすることに意味はない。どんなに言葉を用いたところで彼は変わらないだろうし、主の御言葉は他者を否定するためにあるのではないのだから。

 

「ぼくは、あの人に問いたいと思います。どうして、あんなことをしたのか」

 

 獅子劫は頷き、たばこを咥える。

 何かが腑に落ちる感覚。恐らく、カリスは他者へ報復するという感情が働いていない。それが抑制されているのか、持っていないのかは不明だが、普通自分の体を切り刻まれたら、大抵の人間は負の感情を抱くだろう。

 カリスの願いを聞いたからと言って叶えてやる義理も義務も獅子劫にはないし、情報も得た以上、適当に遠ざけた方が両者にとって身の危険は少ない。

 だがしかし。

 カリスは有益な協力者で。

 プロとして、借りは返さなくてはならない。

 

「分かった。シモンの工房を見つけたら一緒に乗り込む。ただし、俺の言うことは絶対に聞いてもらうぞ」

「はい! よろしくお願いします!」

 

 そんなこんなで、翌日。

 二人が訪れたのはとある露店。ケバブ用の巨大な肉が回転する横で、電子機器を模した無数の魔術礼装に囲まれた男が、スマートフォンを弄くり倒していた。

 

「と言う訳で、俺がシモンを見つけるまでカリスの面倒を頼んだ」

「ふざけろボケ。こっちは仮想通貨のマイニングとFXとケバブ屋で忙しいんだよ」

「ケバブ屋は捨ててもよくねぇ!?」

「は? ケバブはみんな大好きだろうが」

「アホだよこいつ! すげーアホ!!」

 

 ケバブ屋の店番をしながらマイニング用の魔術礼装を稼働させ、FXをやるアホことノアがそこにいた。ちなみに服装はタンクトップにタオルを額に巻いたものである。無駄に見た目とスタイルが良いせいで着こなしてしまっているのが癪に障るポイントだ。

 数十分の交渉の末、獅子劫の報酬を分け前として分配してもらうことを約束し、ノアはカリスのお守りを引き受けた。ちなみに天使モドキたちは人払いをかけた手頃な廃墟に待機している。

 カリスはもっさもっさとノアお手製のケバブを頬張りながら、

 

「かそーつーか……のマイニング? ってなんですか? お金を掘るんですか?」

「ああ、うまくいけばコンピュータ動かしてるだけで大金が入る魔法のお仕事だ。俺の場合は礼装に占術を代行させて、ハッシュ値とナンスを予言させてる。無駄な計算が必要ないから競争相手を楽勝で出し抜けるって話だ。ついでに言えば、魔力で動かしてる分電気代も─────」

「よく分からないけどすごいんですね!!」

「そういうことだ、もっと俺を褒め称えろ」

 

 ノアは液晶の画面をしかめっ面で睨んで言う。

 

「ただ、あのおっさんには文句くらい言ってやれ。安請け合いした挙句俺に押し付けるとかクズの所業だぞ」

「それが〝子どものお守りは苦手〟とかなんとか……なんででしょう?」

「───ギャンブルと酒に溺れて、嫁と子どもに逃げられたからだろうな。間違いない。落ちに落ちて殺し屋になった哀しきモンスターなんだろ」

「そんな深い業を背負っていたんですね……!! 聖書では賭け事もお酒も厳しく禁止してはいませんが、依存となると話は別です!」

 

 むん、とカリスは使命感に燃え上がる。

 その姿を眠たげな眼で眺めながら、ノアはケバブを作っていた。片手で。無駄な器用さを見せつける彼に、カリスは詰め寄った。

 

「そういえば、ノアさんは世界中を旅してきてるんですよね。色々お話を聞かせてもらいたいです」

「……だったらマイニング用の礼装におまえも魔力回してろ。保つ限りは付き合ってやる」

 

 占術礼装を渡すノア。カリスは意気揚々と魔力を込め、話を始めた。

 

 

 

「エジプト───モーセ様がエクソダスを果たした土地ですね! 今でもナイル川の水は血になってるんですか?」

「いいや、今では普通の水だ。汚え水が見たいならガンジス川がいいぞ、あそこで泳いだら二日寝込んだ」

「なんと……もしかして神様はガンジス川にも呪いをかけたのでは……!?」

「深きものでもガンジス川に入れたら死ぬだろうからな」

 

 本場のヒンドゥー教徒が聞けば助走をつけて殴りかかってくるであろう話をしたり、

 

「へぇ~これがマーライオン……かわいいです。世界三大がっかりなんて嘘じゃないですか」

「そしてこれが人魚姫の像だ」

「これが人魚姫の像なんですか。世界三大がっかりって本当だったんですね」

「手首モーターで出来てんのか?」

 

 ノアが実際に現地で撮った写真を見てああだこうだと雑談したり、

 

「え、兄ちゃん何やってんの。ケバブ屋やりながらマイニングとFXしながら天使っぽい子と駄弁ってるって情報量多すぎない?」

「ノアさん、どうしてこの人はこんなに説明口調なんですか」

「気にするな。この世界の理だ。それよりもおまえの姿を見られた。こいつの記憶を消すぞ」

「ちょっ、やめっ……助けてガンゾリグゥゥゥ!!!」

 

 偶然散歩中だった床屋のおっさん、ドナルドが亡き戦闘員ガンゾリグに助けを求めたり、などなど。

 ノアにとって予想外だったのは、カリスの魔力量が一流と呼ばれる魔術師のそれが足元にも及ばないほど多かったことだ。

 マイニング用の礼装は並の魔術師なら数十分で息切れする代物。それを一台とはいえ、夜中まで稼働させてもカリスには疲弊の色すら見えない。

 おそらくは自身魔力総量の半分程度。これがカリスの限界値だろう。

 

(しかも次元跳躍と、改造前から使えたであろうふざけた治癒? 魔術……成功体つっても上手く行き過ぎてる)

 

 ノアにシモン・マグスへの興味がなかったと言えば嘘になる。

 皇帝ネロの前で自らの首を斬ってみせ、復活した怪人。シモン・ペテロに敗れたものの、グノーシス主義の開祖とも謳われた魔術師。

 一説には、『悪い魔術師』の原型であるとも噂されているシモン・マグスだが────その子孫の腕前が、本来カリスほどの人造天使を造れるものでないとしたら。

 むしろ、真に異常なのは──────

 

「…………ノアさんは、これからも旅を続けるんですか?」

「まあ、当分はな。今回の件が終わったらおまえもやりたいことをやれ」

「それじゃあ、なにかお店とかが良いですね! 〝すべて重荷を背負っている者は、私のもとに来なさい。あなたがたを休ませてあげよう〟みたいな感じで、みんなの憩いの場的な!!」

「……その理由は?」

 

 カリスは想いを仕舞い込むように答えた。

 

「独りは、寂しいじゃないですか」

 

 その言葉を受けて。

 ノアは観念したみたいに、小さく笑った。

 

「───そうだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二日後、獅子劫はノアのケバブ屋兼仮想通貨マイニング基地を訪れた。

 わざわざあの悪魔の棲家に足を運ぶ理由はただひとつ、シモン・マグスの末裔のものと思われる魔術工房を発見したためである。

 魔術師が行動を起こすなら夜。多くの儀式が執り行われ、魔力が高まる時間帯であり、何より人目を避けられる。後ろ暗い事情を持つ人間にとって、他者の目線を気にせずに済むが故に、魔術師に好まれるのだ。

 ただし、ケバブ屋にはぽつねんとカリスがいるだけで、ノアの姿はなかった。

 

「なんでも、長すぎる王位継承戦を俺が終わらせてくるとかなんとかで、お昼からいなくなりました」

「どこの世界線の人間だアイツ!?」

 

 と、失踪した人間のことはそこそこに、獅子劫とカリスはシモン・マグスの潜伏地へと向かう。

 魔術師の拠点の置き方は二つ。人里から離れた場所に隠れ住むか、都市の中に紛れ込むか。今回、シモンの末裔が取った手段は後者であった。

 長き内戦で傷ついた街並みに点在する廃墟。瓦礫で巧妙に偽装された地下への入り口───の先に広がる蟻の巣の如き地下道───に用意されたいくつかの扉の内の一枚。そこに仕掛けられた魔術の施錠を突破したところにシモンの工房はある。

 魔術師は各々、工房の入り口には独自の鍵を設定している。その形状も方式も千差万別だが、目の前の扉に設置されたモノは一見して普通の鍵穴だった。

 

「触るなよ。正しい鍵を差し込まなきゃ致死の呪いが発動するタイプだ」

「どうするんですか? 次元跳躍ですり抜け……あ、おじさんはバラバラになっちゃいますね」

「これでも魔術師なんでね、こういう対策は当然してある」

 

 獅子劫は懐からプラスティネーションされた右手を取り出し、骨製の針をその人差し指と中指の間に挟ませる。

 右手は親指と薬指と小指だけで器用に歩き出し、蜘蛛のように扉に張り付いた。骨針を鍵穴に差し込むと、かちゃかちゃという音が鳴った。

 それと同時に、見るからに禍々しい色気の紫電が弾けているが、右手は微動だにしていない。

 

「こ、これは?」

「俺の礼装だ。解錠を間違えたら死ぬ機構でも、既に死んでるモノならノーダメージって寸法だ。どこぞの平穏に生きたい爆弾魔殺人鬼と一緒にしてくれるなよ」

「大丈夫です、おじさんはモナ・リザの手に興奮するような人じゃないですから。でもギャンブルとお酒は控えた方がいいと思います。元奥さんとよりを戻すためにも」

「なんだその偏見!? 誰に吹き込まれた!?」

 

 数十秒後、工房のセキュリティは何事もなく突破された。

 獅子劫はショットガンを抜き、カリスを背後に下がらせる。とうに入り口を開けた時点で、侵入者の存在は悟られた。ここからは、怪物の胃の中へ飛び込むようなものだ。

 魔力の灯が点々と配置された照明。空気は湿り気を帯び、死の気配を充満させている。

 死霊術師である獅子劫には慣れた環境。だが、そこを見た瞬間に怖気が背筋を這うのを感じた。

 

「なるほど、イカれてやがる」

 

 あるいは、SF作品のワンシーン。星間航行船の内部にずらりと並んだ冷凍睡眠装置のような。

 あるいは、スプラッタ映画の一幕。イカれた殺人鬼が、手にかけた被害者たちで造った家具や道具が詰められた部屋のような。

 一体、何人の人間を殺してどれほどの作品を製作したのか。狂気にも妄執にも似た、天使の模造品たちが所狭しと敷き詰められていた。

 

「この人たちは全員生きて……?」

「死んでる。どいつもこいつも例外なくな。……次に行くぞ」

 

 獅子劫は天使たちをひとりひとり、労うように撫ぜる。

 人造天使の霊安室を抜けて、待ち受ける重厚な石の扉。獅子劫は勢い良く扉を蹴破り、銃口を向ける。

 そこで見たモノに、獅子劫とカリスは思考を空白にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「根源流出説を採用するならセレマを参照しろ。おまえの理論で根源を目指せば、必ずセフィラを渡る際に深淵が立ちはだかることになる。そこにはおそらく────」

「───赤い影がいる。根源への道を阻むと言われる抑止力の影。私たちの間ではおとぎ話のようなものだが、実際にそれはあり得るのかもしれない。その点で私の理論は不完全、そういうことだろう?」

「そうだ。おとぎ話じみた噂ではあるが、信頼するに値する根拠はある。アレイスター・クロウリーが語る、深淵に棲む悪魔コロンゾン。そいつはその赤い影だったという可能性が…………」

 

 茶菓子と紅茶が置かれたテーブルを囲む二人の男。一方は金髪と褐色の男で、もう一方は昼頃王位継承戦を終わらせると豪語したアホ、ノアトゥールであった。

 獅子劫はサングラスを突き破る勢いで目を飛び出させる。

 

「何やってんだお前!!?!?」

「よう、遅かったじゃねえか。こんな時間までどこで駄弁ってやがったんだ?」

「それはこっちの台詞だ!! どんなとこで駄弁ってやがんだ!?」

「いいや、駄弁っているのではない。魔術師同士、有益な意見交換をしていたところだ」

 

 金髪褐色の魔術師───シモン・マグスは柔和な笑みを浮かべて言った。

 

「おかえり、カリス。外の世界は楽しめたかい?」

「何人も人を殺して、あんな姿にしておいて、よくそんな態度でいられますね?」

「何人も人を殺して、あんな姿にしたからこそ毅然としていなくてはな。恐れ怯え、竦んでいるようでは、彼らの命に対して不義理を働くことになってしまう」

「…………理解できません。あなたの言っていることが」

 

 カリスの声音に冷徹さが宿り、シモンは足を組み替える。

 

「いや、私も君たちに申し訳なさを感じているんだ。寄り道に大分付き合わせてしまった」

 

 彼の根源到達の理論。

 それは高次元に適応した肉体を持つことで、次元跳躍を繰り返し、根源に辿り着くというもの。肉体のモデルとして天使のカタチを採用し、そのために多くの実験を繰り返してきた。

 

「だけど、まあ、やめたんだ。結構前に」

「やめたのか」

「うん、やめたんだ。ノアくんは知っているけどね」

 

 シモンは紅茶を口に運び、ぬるい息を吐き出す。

 

「自身を固有結界で囲うことで外部の影響を遮断し、次元跳躍を繰り返す。以前よりも断然スマートな方法だと思わないか?」

「次元跳躍のための魔力はどうするつもりだ? 根源まで移動するってんなら、かかる魔力も膨大なはずだ」

「その通りだ、獅子劫界離。そこで人造天使の出番だよ。彼らが確保した人間を魔力結晶にして、必要分の貯蔵を用意する」

「…………魔力炉でも買うか造れよ。アホかお前」

 

 獅子劫は苦虫を噛み潰したみたいな表情をした。

 それひとつで魔力を生み出す炉心があれば、わざわざ人間を捕らえて結晶にする必要はない。その過程でこうして命を狙われているのだから、本末転倒というものだ。

 シモンは首を横に振って否定した。

 

「魔力炉心は複雑な機構を有するだろう。根源に近付く度に物質的な要素の世界は薄まるから、そういう物質として複雑なものにはあまり頼れない。その点、結晶ならば構造も単純で、最悪中身の魔力さえ利用できれば良いから好都合だ」

「だとしても馬鹿だな。この辺りは聖地の霊脈の影響を受けた土地だ。結晶が欲しいなら土地から魔力を吸い上げて、コツコツ貯めてりゃ時計塔に目をつけられることもなかった」

 

 獅子劫はナイフの切っ先を突き立てるように言った。

 魔術師とは根源到達の望みを子孫へと受け継いでいく生き物。言ってしまえば、根源に辿り着くのは自分でなくとも良い。

 故に、シモンは待つべきだった。理論を実現するリソースが確保できるまで。いつの日か子孫が理論の実践に挑戦できるなら、魔術師としてこれほど分の良い博打はない。この世の多くの魔術師は、根源到達の理論さえ確立していないのだから。

 ただし、それは。

 

「───()()()()()()()()()()()()?」

 

 子孫が生きる、未来が保障されていた場合の話。

 誰も考えはしない。大多数の人間がこう思っている。〝自分が生きている間に、この世界が終わることはない〟と。

 負け惜しみ、苦し紛れにしか聞こえないはずのその言葉は、言い表しようのない真実味に溢れていた。

 さて、と彼は言い返すことも忘れたノアと獅子劫へ眼差しを送る。

 

「ここまでで君たちに問いたい。この理論を以って、私は根源に到れるか否か」

 

 暫時、沈黙が場を覆い。

 獅子劫はため息をついて、首肯した。

 

「根源到達可能性はある。だとしても封印指定だがな。どの道八方塞がりだ。満足したか?」

「ふむ。ノアくんは?」

「獅子劫のおっさんは的外れだと言わざるを得ねえな。人類史最大最高の天才に言わせれば、その理論で根源に到れるかどうかくらいすぐに分かる」

 

 ノアは紅茶を飲み干すと、ティーカップを机に叩きつける。

 

「───そんなゴミクソ理論じゃあ、根源には行けない。なぜなら前提から間違えてる」

「前提とは?」

「おまえがここで死ぬってことに決まってんだろーがバァァァカ!!!」

 

 跳ね上がるテーブル。足首の力のみで蹴り上げたそれに向かって、椅子を振りかぶった。向こう側にいる男を殴り飛ばすように。

 しかし、机と椅子の破片はその場で固定されたかのように、空中に留まった。

 

「ならば、その前提を覆すしかないな」

 

 ふわり、とシモンは浮き上がる。

 伝承に語られし魔術師の御業。空中をその身ひとつで飛翔する────現代では使い手の数少ない高等魔術。そして、彼が飛ばすのは己が肉体のみならず。

 シモンの周囲を浮遊する、十二個の球体。それらは色とりどりの光芒を発し、同時に光線を撃ち出した。

 

「『Eihwaz』」

 

 ノアは獅子劫とカリスに飛び込みつつ、簡明な詠唱を唱える。

 ルーンの刻印とともに紡がれる魔力防壁。衛星が放つ光を受け止め、ぢりぢりと火花を散らした。

 獅子劫はノアの肩を掴んで、

 

「お前王位継承戦はどうした!? なんでここにいやがる!!」

「適当に言った言い訳天丼してきてんじゃねえ。シモン・マグスの末裔とやらに興味があったから来たまでだ。期待外れだったがな!!」

「…………まさか、カリスのた」

「頭下げてろ」

 

 獅子劫の言葉を遮るように、ノアは何やらスイッチを押した。

 直後、腹の底に響くような轟音と同時に石造りの天井が崩落する。石の雪崩が続いたのは十数秒、街の一角に巨大な窪地が出来上がる。

 構造物の残骸を掻き分けて、ノアたちは地上に這い出た。

 

「シモンの野郎は潰れたか?」

「俺たちの方が潰れかけてただろうが。爆破するなら先に言え!」

「……神秘は隠さないといけないんじゃ?」

「そこら辺は魔術協会がガス爆発だとか地盤沈下だとかのせいにすんだろ」

 

 すると、破片がひとりでに持ち上がり、シモンが姿を現す。

 

「中々に驚いたが……良いのかね? 地下の方が君たちには有利だったと思うのだが」

「はあ? 天才をおまえの範疇で推し量んじゃねえ。───『Thurisaz』」

 

 スリサズ。植物などの棘を意味する言葉。転じてそれは心のトゲ、悪感情、総じて恐ろしいものといった意味を纏うようになり、呪いのルーンとして用いられることもあった。

 象徴される色は白と赤。ノアの手元でルーンが霧散したその時、世界の色はまさしく眩き白と赤に染め上げられる。

 ───まるで、最初からそこに書きつけられていたかのように。

 

「俺はペテロみてえに神には祈らない。信仰力で飛ぶおまえを堕としたりもしない。おまえは飛んでろ、この呪いのルーンの檻の中で!!」

 

 一帯をドーム状に覆う、ルーンの鳥籠。物量は語るに及ばず、込められた呪いの質も人間には致死に値する、必殺の結界。

 シモンは唇を引きつらせる。

 

「これほどのルーン……数日前から用意していたのか。私を囚えるためだけに」

「おまえの居場所を見つけたのもルーンを刻んだのも今日だ。後は勝手に考えてろ」

 

 ノアが用いたのは自己複製の機能を搭載した、言わば自動書記のルーン。一度元となる文字を設置すれば、ひとりでに増える性質の文字であった。

 数を揃えることに時間が必要であり、単一の文字しか複製できないデメリットはあるが、ある地点を狙い撃つ場合はこの上ない威力を発揮する。

 逃げ場はない。それでも、シモンの優位は変わらない。戦闘における飛行魔術の強みは高所の利と機動力だ。戦車に戦闘機が落とせないように、シモンは上空から攻撃を続行すれば良い。

 

「全魔導衛星、攻撃目標をホロスコープに従い決定。各自射撃を開始」

 

 唯一懸念すべきは魔力の枯渇。だが、彼には人々を犠牲にした魔力結晶がある。飛行と攻撃に費やすリソースは十分。確たる勝算を描き、シモンは攻勢を展開した。

 ルーンの檻を縦横無尽に駆け巡る光条。ノアはカリスを脇に抱え、防御のルーンを張り直す。

 

「ノアさん。あの人は、ぼくたちのことを何とも思ってなかったんですね」

「……今更か?」

「はい。今更、分かりました」

「じゃあ、覚悟しておけ。俺たちが今からアイツを引きずり落とす」

 

 どういう意味か。問おうと口を開きかけた瞬間、足元の瓦礫がふわりと浮かんだ。

 否、足元だけではない。周辺の至る所から同じ現象が生じ、地下より無数の眼光が閃いた。

 獅子劫は声に魔力を乗せ、叫んだ。

 

「───恨みを、ぶちまけろ!!!」

 

 それは死したる天使たちへの号令。

 打ち捨てられた霊安室より、彼らは仮初めの生を得る。

 

「『「『「『「『「『───Nearer, my God, to Thee, Nearer,(御許へ、主よ、御許に近づかん。) my God, to Thee, Nearer to Thee.(御許へ、主よ、御許に近づかん)』」』」』」』」』」

 

 カリスのような成功体ではなく。ノアと獅子劫を襲った個体のように安定もしていない、失敗作の群れ。彼らはシモンへと殺到していく。

 彼らがなぜ起動したのか。

 カリスは記憶の糸を辿り、勘付く。

 獅子劫は霊安室の天使たちにひとりひとり触れていた。あの時既に、死体を動かすための術式を仕込んでいたのだ。

 驚くべきは、短時間の接触にも関わらず、目標を絞り魔術を用いて攻撃するまでの魔術式を書き込んだこと。

 

「───く……!!」

 

 乱舞する魔導衛星。灼熱を帯びる光線が、迫る人造天使たちを貫き、焼き切り、地へと堕とす。

 失敗作は所詮失敗作。かろうじて飛行魔術を用い、追いすがるだけのモノも少なくない。たとえ多勢を揃えようと、衛星を駆使すれば始末できる。

 そんな結論を、銃声が切って落とした。

 

「指弾を熱源追尾にしておいて良かったぜ。その礼装は良い標的だ!!」

 

 衛星に直撃し、破裂する呪いの弾丸。

 銃声が三度鳴り響き、三つの星が堕ちる。

 

「やるじゃねえか。俺が知る中だとトップクラスのおっさんだ───!!」

「魔術師のジャンルじゃなくておっさんのジャンルで評価すんな!!」

 

 ノアはルーンを閉じ込めた右手を横に振り抜く。

 木の根の如く広がった雷電が魔導衛星のおよそ半分を貫く。散らばる礼装の破片。過たず人造天使が殺到し、シモンの目前に迫った。

 

(───次元、跳躍)

 

 否、それを使ったところでその場しのぎだ。別次元を通って三次元上の離れた地点に出ても、稼げる距離は高が知れている。

 緩く、のどやかに流れる視界。時間の感覚が平時のそれとは切り離され、何もかもがゆっくりと進む。

 奥歯が軋み、犬歯が下唇を突き刺す。

 ───あんな未来さえ見なければ、こんなことにはならなかった。

 誰ひとりとして知らぬ、次元跳躍の副作用。

 それは、魂を別次元に置き去りにしてしまうこと。

 四次元空間においては、閉じた箱の中身を閉じたまま取り出すことができる。故に、人間の内臓や血液も皮膚をすり抜けてしまう。

 その現象は魂にも起きた。

 かつて一度、次元跳躍を試行した時。

 シモンはいくつかの臓器を欠き、魂の一部を向こう側に置き去りにしてしまった。

 肉体という器を失った魂はどうなるか。当然、生物が死を迎えた時と同じく、根源の渦へと還る。

 一部とはいえ、紛れもなくシモンの魂。

 その繋がりゆえに、彼は見た。

 魂の欠片が根源に還った際、無限に渦を巻く情報、可能性の一端を。

 そして知った。この人類史は、2017年を見ずして滅ぶということを。

 だからこそ、急いだ。根源から得た情報で隠れ住んでいたカリスを探し当て、彼の特異性を目の当たりにして天使化の道を断念し、次元跳躍のリソースを求めた。

 

「面白いもん持ってんじゃねえか。それ貸せ!!」

「良いとこ取りする気かお前───!?」

 

 いつかきっと、子孫が根源に辿り着く?

 そんなものは明日も世界が続くと盲信している連中の腑抜けた戯言だ。この世界はひとつ舵取りを間違えただけで崩れ去る、砂上の楼閣だというのに。

 滅びに追いつかれる訳にはいかない。

 せめて、この悲願だけは果たしてみせる───!!!

 

「あ」

 

 なれど、光は無情に終わりをもたらす。

 眼前にて炸裂する心臓。歯や爪を破片として撒き散らす手榴弾。呪詛の閃光が、空飛ぶ魔術師を撃墜する。

 五体が地面に叩きつけられ、魔術師は血反吐を垂れ流しながらも即座に立ち上がった。およそ2000年受け継がれた魔術刻印が、呪いへの耐性が、生命の終わりを否定した。

 

「詰みだ」

 

 空気の壁を突き破る速度をもって、ノアが接近する。

 徒手格闘。それが相手が講じた詰みの一手であることを悟り、シモンは体内に仕込まれた礼装を起動した。

 右の手のひらを破り、突き出す骨の刃。

 それこそは『掻爬の尖爪』。嬰児の骨によって編まれ、この世に生まれ得なかった悲嘆の呪いが込められた武装。

 間合いの分、こちらが先手を取る。

 爪の先が敵の額に食い込む────瞬間、ノアが身をよじると同時に、ぬるりと斬撃の軌道が捻じ曲げられた。

 神秘の類を一切用いぬ、技術による受け流し。それが中国武術における化勁であると知ることはついぞ無く。

 受け流した斬撃の勢いに、全ての速度と力が乗せられた拳が、魔術師の鳩尾を打ち抜いた。

 

「─────…………!!!!」

 

 内臓が風船のように破裂する。背骨がぐるぐると螺子を巻く。目に映る景色がミキサーにかけられたように撹拌され、潰したトマトみたいに赤く染まる。

 ノアが強化魔術を併用した上で、全力で人体を打てば豆腐のように弾ける。しかし、シモンの肉体はかろうじてカタチを保っていた。

 発勁。打撃のエネルギーはシモンの体内を暴れ回り、ぐちゃぐちゃに掻き乱していた。ノアは手首を鳴らし、カリスへと振り向く。

 

「───おまえが決めろ」

 

 彼は言う。

 シモンなどいないかのように、カリスだけを見据えて。

 

「こいつを殺すか、生かすか、どうするか。おまえが、いま、考えて決めろ。誰の言葉でもなく、おまえの言葉で俺に告げろ」

 

 それで、ぼくは考えた。

 言葉ひとつで、あの人の命運は決まる。

 ノアさんはきっと、いや、絶対に躊躇わない。ぼくがそうと言えば必ずそうする。

 〝汝の敵を愛せよ〟───救世主様はそう言われた。とても難しいことだけど、きっと彼は、人にしてもらって嬉しいことは人にもしなさいと伝えたかったのだと思う。

 それならば、あの人を生かすしかない。

 無数の人の命を奪い、肉体を弄んだあの人を。

 そう言おうとして、顔を上げたその時。

 辺りに転がる、人造天使たちの残骸が見えた。光線に焼かれ、刻まれたいくつもの死体とその欠片が、ぼくの周りを真っ赤に彩っていた。

 ふと、青い瞳と目があった。

 地面にへばりついた、半分だけの頭。

 虚ろなその眼差しに射抜かれて、ぼくは決めた。

 

「ノアさん、その人を」

 

 神様や救世主様が彼を許しても。

 この人たちとぼくだけは、彼を許さない。

 

 

 

 

 

「───みんなと、同じ目に遭わせてください」

 

 

 

 

 

 そこから先は、あまり覚えていない。

 ノアさんがあの人を部屋に押し込んで。

 一日か二日、ぼうっと過ごして、返り血にまみれたノアさんが、

 

「あいつは産まれてきたことを後悔して死んだ」

 

 それで、決着がついたのだと確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、カリスはノアと獅子劫が何やら話し合っているのを見て。

 結果、カリスは魔術協会に預けられることになった。聖堂教会に、とも考えはしたが、根無し草のノアとバリバリ殺し屋の獅子劫にそんな伝手があるわけがなかった。

 カリスは仕事の報告のため、ロンドンに向かうことになった獅子劫と短い旅路を共にすることになる。シリアを発つ直前、獅子劫は何の気無しに訊いた。

 

「これからもプー太郎生活か?」

「表現が古い。……もうしばらく中東を見たら、ロンドンに行くつもりだ。天才の凱旋に打ち震えろ」

「…………これから荒れるな、魔術協会」

「ぼくは嬉しいですよ! ロンドンに来たらまた会いましょう!!」

 

 そして、イギリス・ロンドン。

 獅子劫の伝手で預けられることになったのは、世に名高きロードの教室。しかも『グレートビックベン☆ロンドンスター』や『時計塔で一番抱かれたい男』などなどの称号を恣にする辣腕の名物講師である。

 そんな彼の一室。従者である灰色の少女と、ニタニタと含み笑いをする義妹にその礼装である水銀メイドに囲まれて、ロード・エルメロイⅡ世は手紙を読み耽っていた。

 カリスはテーブルの対面に座り、エルメロイⅡ世の反応を今かと待ち侘びる。

 卓上に広がる、いくつもの資料。それはノアと獅子劫がシモンの魔術工房跡地からサルベージしたものだった。

 

「いや、これは驚いた。イカれた魔術師の実験の産物が、君のような存在を生み出すとは。鳶が鷹を生む、とはよく言ったものだ」

 

 エルメロイⅡ世の義妹───ライネスは古ぼけた羊皮紙を眺めながら言った。紙を透かすようにカリスを覗く瞳は、隠す気のない好奇にまみれている。

 もっとも、その好奇心の半分は義兄に向けられているが。またもや厄介事を押し付けられた彼がどんな無様を見せてくれるのか、そんな意地の悪い期待が透けて見える言動だ。

 エルメロイⅡ世は深くため息をつくと、懐から携帯端末を取り出す。彼はその端と端を両手で握ると、

 

「ふんっっ!!!」

 

 携帯端末を真っ二つにへし折った。

 沈黙に包まれる室内。なにか可哀想なものを見る視線に突き刺されながら、二つになったスマートフォンをカリスに差し出す。

 

「これを直すことはできるか?」

「あ、はい」

 

 ここに来るまでに、獅子劫と何度か自身の魔術の検証をした。そこから分かったのは、治す魔術は生物だけでなく無機物にも有効であるという事実だった。

 故に、難なく端末は修復される。カリスから手渡されたそれを、エルメロイⅡ世は電源をつけたり消したりして、こくりと頷く。

 

「君の魔術は、治す類のものではない」

「そうなんですか?」

「ああ。この端末の電池は実は0%だった。しかし、これは充電した状態で直されている」

 

 そして、と言って、彼は一本の花を手に取った。

 それは獅子劫との検証の際、枯れた花を治したもの。百合の花はまるで今手折ったかのように、瑞々しい光沢を帯びている。

 

「三日前の花が、切り離されたままであるにも関わらず、萎れもしていない。それどころか光合成を行い、呼吸をしている」

 

 つまり。

 

「君の魔術は治癒などではなく、そのモノの状態を理想に近づける、もしくはより高次の段階に引き上げる───あえて言うならば、聖別……浄化術式(コンセクレーション)。魔術の領域を半歩踏み出した、驚くべき力だ」

 

 対象を理想の状態にする。あるいは、より進歩したモノにする。魔術の世界においてその力がどれほどの利用価値を持つのか、理解できぬ者はこの場にカリスしかいなかった。

 ライネスは苦笑とも微笑ともつかぬ表情を、紅茶を口に運ぶことで覆い隠す。

 

「なるほど、これは随分と外れクジ……いいや、大当たりを引かされたようだ。物体の状態を理想の姿にする、素晴らしいじゃないか。エルメロイの源流刻印も修復できるかもしれないぞ?」

「ああ、君が曲がりなりにも女性だから堪えているが、そうでなければアイアンクローをかけていたところだよ」

「おっと、性別を引き合いにするのはよくないぞ? 昨今の流行りではどんな発言が炎上するか分からないからね」

「ならば男女平等アイアンクローをしてやろうか!?」

 

 なぜそこまでアイアンクローにこだわるのか。カリスは訝しんだ。

 すると、今まで沈黙を保っていた灰色の少女が、閃いたような顔をして呟く。

 

「ということは、カリスさんがiPh○○ne14に浄化術式を使うと、iPh○ne15に───?」

「話の流れをぶった切ってきたな? まあ14が15になったからと言って、カメラの画素数が増えただけのマイナーチェンジ……」

「やめろ、色々と角が立つ!!」

 

 このままではまずいことになりかねない。破滅的な予感を感じ取り、エルメロイⅡ世はカリスの手を柔らかく引いた。

 

「まずは身なりを整えることだ。その翼の偽装方法は後々考えるとして……グレイ、男物の服は────」

「あ、ぼく、女の子です。一応……」

「なに───…………!!?!?」

「まったく、我が義兄と来たらこれだから。まだまだ真の英国紳士への道は遠いな」

 

 獅子劫とノアトゥールとやらはそんな重大な情報を伝えていなかったのか。エルメロイⅡ世の中でふつふつと怒りが沸き立ったところで、ライネスが追撃を見舞う。

 

「ところで、こちらもそれなりの衝撃ニュースなのだが」

「……なんだ?」

「カリスはどうやら、シモンの末裔らしい。これは彼女の血筋を記録した家系図のようだね」

 

 ライネスは古ぼけた羊皮紙をぴらぴらと踊らせた。

 エルメロイⅡ世は滝のように冷や汗を流す。胃がきりきりと悲鳴をあげ始め、恐る恐る言葉を口にする。

 

「……どのシモンだ。シモン・マグスということはないだろうが、まさかシモン・ペテロか」

「いや、ただのシモンさ。便宜的に名付けるなら、ナザレのシモンか。まあ重要なのはそのシモンの母親の方だ」

「────まさか」

 

 ライネスは諦めの色が濃い笑みを浮かべて、

 

 

 

()()()()()。カリスが受け継ぐのはその血だ」

 

 

 

 その直後、とても放送コードには乗せられないFワードの絶叫が轟いた。なお、後日カリスが天使モドキ二体を密航させていたことが発覚。初のアイアンクローを喰らうのだった。

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