自称カルデア最強マスターとぐだ子の人理修復録   作:なまゆっけ

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最終章前編開始です。魔術師がいっぱい出てきます。よろしくお願いします。


奉唱幻影島 聖なる杯の魔女 不朽薔薇十字・マルクト
第85話 風雅なおじさんとめちゃかわ皇帝ソル子くんと四人の魔女


 アメリカ合衆国、スノーフィールド。

 ネバダ州のラスベガスから北に位置するこの土地はかつて先住民たちの住まう場所であり、しかし、多くの地がそうであったように────歴史の流れの中で合衆国に併合されることとなる。

 第二次世界大戦以来、この街は急速な発展を遂げ、八十万人規模の都市となった。

 表の世界で、まことしやかに囁かれる噂がある。

 スノーフィールドは何らかの目的のために、アメリカ政府が先住民から土地を奪い、その後押しを受けて発展した都市であると。

 無論、噂は噂だ。都市開発は国家の事業である訳だし、それを政府の陰謀だと言ってしまえば人間世界の構成要素はほぼほぼ陰謀で埋め尽くされてしまう。

 そもそも何らかの目的、なんて都市伝説にしても無責任すぎる……というのが、スノーフィールドに対する風評への反応の大半であった。

 だが、裏の世界では違う。

 裏と言っても、深層ウェブだとか犯罪組織だとかの存在が確実視されたモノではない。真のそれは表の人間にはその尻尾すら掴ませず、闇の中で蠢動する。

 彼らの世界ではこう言われている。スノーフィールドは聖杯降臨の儀を遂行するための土地であり、急速な成長の影には政府と魔術師の存在があると。

 すなわち、聖杯戦争。七人のマスターと七騎のサーヴァントが鎬を削る殺し合い。その名を冠した儀式は歴史上数あれど、唯一正統と目されたのは冬木市の戦いのみ。その他の儀式は例外なく、聖杯の降臨さえ果たさずに倒れた。

 故に、スノーフィールドで行われるのは冬木市のシステムを模した偽りの聖杯戦争。器の真贋を度外視し、シロもクロもない灰色の戦い。

 ただし、そこに懸ける願いや想いは確かに本物。

 今此処に、七日限りの聖杯戦争が幕を開ける────!!!

 

 

 

 

 

「…………と、思ってたのになぁ」

 

 

 

 

 

 スノーフィールド市街、警察署。魔術師の血を引く署長の手によって、数多の魔術的防御が施された要塞とも言うべき根城。

 その屋上。夜の闇に負けじと輝く摩天楼の煌めきを背景に、二つの人影が向かい合っていた。

 ひとつは壁に身を預ける少女。彼女の体を包むゴシックな白いロリータファッションは、その血によって真っ赤に染め上げられている。

 

「……いや、真面目に焦ったぞ。魔術協会も聖堂教会も大わらわなこの時期を狙って、事を始めようとするとはな」

「あら、それは偶然よ。人理焼却が起きていたなんてまったく知らなかったもの。我ながら天運を信じかけたけれど……あなたたちに阻まれてしまったわね」

「それほど貴女たちの準備が入念だったということだ。よもや全戦力を投入する羽目になるとは思わなかった」

「わあ、見え透いたお世辞をどうもありがとう。私たち(まじゅつし)相手なら、薔薇のお爺様独りで十分だったでしょうに」

「アレは一種のバグだ。サーヴァントと生身で殴り合える人間など考慮から外して当然だろう」

 

 もうひとつの影は、少女を見下ろしていた。

 腰の下まで伸びる長い黒髪。白いワイシャツとスキニージーンズの細いシルエットが、夜闇と摩天楼のコントラストの中に浮かび上がっている。

 彼女は無造作に一本のたばこを咥える。すると、ひとりでに火が灯り、たばこの先を赤熱させた。

 怜悧な切れ長の眼は、ブレることなく視線を相手へと注ぎ続ける。魔術師同士の戦いにおいて、たとえ敵が死の淵にあろうとも油断することはできない。彼女の眼差しは未だ警戒の最中にあることを如実に物語る。

 反撃の可能性が潰えた事実を思い知り、少女はぐったりと鎌首をもたげた。

 

「……で、殺していかないのかしら?」

「貴女にしては出来の悪い冗談だ。殺して死ぬようなタマでもないだろうに」

「そう、優しいのね。傷赤ちゃんならさっさと首を刎ねていたところなのだけれど」

「これでも紳士でな。人は殺さないと決めている。それに、そのザマでは当分悪巧みもできまい」

 

 かつかつ、と革靴が硬質な音を立て、女は屋上の縁に向かった。少女はその背へと声を投げかける。

 

「───女の子になった気分はどう? 『黄金』の伯爵サマ?」

 

 けたけたとからかうような声音。

 女は横顔だけを傾け、苦々しく微笑む。

 

「…………フッ。顔から火が出そうなくらい恥ずかしいが?」

 

 彼女は逃げるように、ビルを飛び降りた。

 それは落下というよりも浮遊だった。紙飛行機が空を滑り落ちていくように、魚が水中を泳ぐように、夜の合間を引き裂いていく。

 ───ともかく、スノーフィールドにおける騒乱はこうして終わった。世界の可能性は偽りの聖杯戦争へと枝を伸ばすことなく、それが芽であるうちに摘み取られた。

 丹念に、丁寧に、余すところなく。

 さながら、コーヒー豆のハンドピックをするように。

 あたかも、盆栽の枝葉をひとつひとつ剪定するように。

 あらゆる要因は遠ざけられ、英霊たちは現世に降臨すらせずに幕を閉じた。それが、この世界におけるスノーフィールドの結末。

 だが。

 それでも。

 彼らにそんなことを知る由はなく、また、知っていたとしても行動は変わらなかっただろう。

 合衆国の奥深くにまで根を張るマフィア組織、スクラディオ・ファミリー。その頭領であるガルヴァロッソは居場所を失った魔術師たちを取り込み、勢力を拡大させた。

 結果、スクラディオ・ファミリーは魔術協会とて容易に手出しができない勢力を有するに至った。かつての禁酒法時代、暗黒街を仕切った暴君としての威風を備えたままに。

 ───血の報復を。

 縄張りを荒らした不届き者に待つ最期はただひとつ、凄惨なる死のみだ。

 

「『あ゙ー、こちら聖遺物の回収完了しましたわ。状況終了。夜更かしはお肌にバチクソ悪ィですので帰ってねんねさせていただきます』」

「承知した」

 

 黒髪の女は短く告げ、通信礼装を切る。

 同時に、棚引く髪の側方で金属音が弾けた。ざらりと鉛の粉が霧散し、冷たい風に流されていく。その背後には銃撃の怒号が狼の遠吠えの如く響き渡っていた。

 彼女は手を伸ばす。鉛の粉末が手元に集まり、指の腹でそれをすり潰した。

 ───対魔力の術式が施された銃弾。汎用的な魔術防御ならば、容易く貫通する魔術師殺しの弾丸。女は手をはたき、敵の正体を把握する。

 スクラディオ・ファミリーの最精鋭。魔術師と傭兵を混成した抹殺部隊。ガルヴァロッソの懐刀が首元に滑り込んでいる。それを認識し、女はたばこを投げ捨てた。

 

「────素晴らしい」

 

 まるで、散歩をするかのような気軽さで。

 黒い影は敵が潜む街路を進む。

 

「魔術と科学の融合。アトラス院やカルデアを始め、今となっては珍しいことではないが、君たちの技術は執拗なほどに殺しに特化している。衛宮切嗣を想起させる狡猾さだ。私が戦ってきた執行者の中にも、君たちほど魔術を殺しの道具と割り切る潔さを持った人間はいなかった」

 

 いっそ、空々しいほどの褒め言葉。

 それぞれの地点に潜む部隊の構成員たちは思わず唇を噛む。朗々と語るその言葉には、一切の侮りも慢心も含まれていない。女はどこまでも真摯に、自らの敵を讃えている。

 けれど、彼らにとってそれは屈辱に他ならない。

 初めて喋った子どもに嫉妬する大人がいないように、両者の間に隔たる格の違いを露呈させてしまっているから。

 

「故に、魔術には魔術をもって報いよう」

 

 女はどこからともなく杖を取り出し、虚空に向かって宣言する。

 

()()()()()()()()()()()()()()。確実に気絶するほど強く」

 

 杖が形を変え、金槌のそれとなる。

 柄から先まで重厚な金属で鍛造された槌。だが、それは物体の形状を変化させたのではない。杖に金槌の幻像を被せただけの代物だ。

 しかし彼女には、その虚勢で事足りた。

 こほん、と咳払いして、金槌を振るう。

 

「────万物照応『マジカル☆膝カックン(ミクロコスモス・レゾナンス)』」

 

 瞬間、彼女を視界に捉える者全員が同じ未来を思い描いた。

 確実に気絶するほど強く殴る。どうやってかは分からないが、何らかの魔術的手段によってそれを成し遂げるのだと。

 そう考えた時点で、彼らは終わりだった。

 物陰の至る所でどさりと倒れる音が響く。女はたばこを取り出しながら路地へと歩を進め、ゴミ箱の裏を覗き見る。

 そこには軍用の装備に身を包んだ男が蹲っていた。目と耳を潰し、血液を垂れ流して。

 

「優秀だな。視覚と聴覚を絶って無理やりイメージを塗り変えたか」

 

 女は彼に手をかざす。ぽうと光が灯ると、潰れた眼球と鼓膜は時間を巻き戻すみたいに修復された。

 男は観念したように両手を挙げる。

 

「今日のところは、俺たちの負けだ。だが良かったのか? 魔術師で今のを知らないやつはいない。身振り手振り(パントマイム)で他者の内宇宙(ミクロコスモス)に干渉する野郎なんてな」

 

 女は紫煙を長く長く吐き出しながら、しばし黙考した。

 そうして、嘯くように笑みを広げ、

 

「ククク、その通りだ。お前が思い描いたその男で間違いない。黙示録の獣、マスターテリオンとは私のことである───!!」

 

 たばこを口に運び、煙を肺に入れる。

 威風堂々とそれを吐こうとすると、

 

「…………けほっ! んげほぉっ!?」

「吸い慣れてねえのかよ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人理継続保障機関フィニス・カルデア。

 人類の未来を繋ぐため、魔術と科学の粋を結集して創り上げられた組織である。場所は遥か南極大陸、標高6000メートルの山の地下に居を構えている。

 魔術王ソロモンの眷属、七十二柱の魔神。その総体たるゲーティアが引き起こした人理焼却はカルデアに多数の犠牲をもたらした。

 人類史に穿たれた七つの特異点と、ひとつのイレギュラー。数多の英雄がひしめく、異なる時代の異なる戦場を、カルデアは見事勝ち抜き、ゲーティアを打倒したのである。

 しかし、その過程で馬脚を露わした存在がいた。

 魔術師シモン。マグス(魔術師)を名に冠する、次元の飛翔者。彼はゲーティアの計画の水面下にて蠢動し、Aチームのコフィンから中身を抜き出しつつも、カルデアの目を欺き続けた。

 …………とはいえ、魔術協会からすればカルデアに求めるのはシモンの計画を探ることではない。それ以前に確かめるべきことは無数にある。こうして世界が元に戻った以上、それは責務ではあるが急務ではない。

 人類史を救った二人のマスターと、契約したサーヴァントたち。

 時計塔の法政科諸君はカルデアが辿った人理修復の旅の記録を閲覧し、一週間にも渡る議論───というよりも口論───の末、とりあえずひとつの結論を出した。

 

「〝Eチームのマスターを呼び出せ〟……というのが我らがカルデアのご主人様、魔術協会は時計塔のお達しだ。迎えの飛行機も来てるみたいだし、サクッとロンドンに行ってきてくれるかい?」

 

 カルデア、管制室。もはやEチームにとっては親の管制室より見慣れた管制室の中で、ダ・ヴィンチちゃんはへらへらと笑う。

 彼女の前にはいつものEチームのサーヴァントたちと、既にリュックとスーツケースを引きずり、おめかしまでキメたマスター二人がいた。

 立香はギラリと額のサングラスを輝かせて、ノアの腕を引く。

 

「久しぶりの任務で、しかもダ・ヴィンチちゃんの頼みとなったら断れませんね! 時計塔の人にする言い訳は私たちにどんと任せてください!!」

「うん、カルデアの立場は言わば授業中にキレて職員室に帰った先生を呼び戻しに行く生徒に近い。ノアくんはできるだけ先生に口答えしないようにね」

「人を火薬庫みたいに言うんじゃねえ。自己暗示一発で理想の受け答えをしてやるよ」

「それで所長に叩き出されたの忘れたんですか?」

 

 立香は言葉の刃でノアを刺す。が、分厚いふてぶてしさに護られた彼にはまったく通用しなかった。

 マシュはそんな二人をじろりと見つめて、言い咎める。

 

「……お二人とも、これは旅行ではありません。おやつは500円までとし、私服ではなくカルデアの制服に身を包んでください」

「あ、それでノアは行くとこ決めてくれました? 私の希望はフォトジェニックな映えスポットなんですけど」

「ナメんな立香。俺の完璧なチョイスで致死量の映えを味わわせてやる」

「ちょっと! 私の脳を破壊しようとしてもそうはいきませんよ!?」

「ひとり相撲やめてくれません?」

 

 暴走しかけるマシュの脳天に、ジャンヌは旗を振り落とす。なすびの凄惨な殺害現場が作り出されると、ジャンヌ以下サーヴァントらは次々と言った。

 

「お土産はモニターアームでいいわ。そろそろディスプレイ増やしたいと思ってたのよね」

「あ、私はワイヤレスイヤホンでお願いします。図書館でも音楽を聞きながら読書できるなんて最高ですよねえ」

「オレはソーダーメーカーで頼む。いつでもどこでも炭酸水作れるとかほとんど魔法だよな」

「私は液タブが欲しいですわ。ジャンヌさんとの同人誌製作もそろそろデジタルに手を出したいので」

フォウフォフォフォウ(お前らイギリスにちなめよ)

 

 すっかり現代文明に染まりきったサーヴァントたちなのだった。ちなみにダンテはウォシュレットがなくては生きていけない体に、リースは電動マッサージ器の誤った使い方を習得している染まりようである。

 立香は床の上の金魚みたいになっているマシュのそばにしゃがみこむ。

 

「マシュは?」

「ほ、包帯でお願いします…………」

「それならカルデアにもあるけど!?」

 

 颯爽と医務室へと運び込まれていくマシュ。一体どこで育て方を間違えたのか、彼女がかつては薄幸の美少女だったと言っても信じる者はいないだろう。

 なにはともあれ、出発の時間。ノアと立香は管制室の中枢に据えられたカルデアス───その前に建てられた慰霊碑を見つめる。

 硬質な碑石の表面にはいくつもの名前が彫られていた。人理焼却が起きたあの日に亡くなった職員と、己が全霊を賭してゲーティアを斃した男の名が。

 眠るには騒々しい場所だが、それでいい。

 彼らは確かに、このカルデアの仲間だったのだから。

 ノアはロマニ・アーキマンの名を親指でなぞり、呟く。

 

 

 

「おまえが救った世界だ。精々楽しんできてやる」

 

 

 

 ───それが、およそ三日前のこと。

 台風の目であるマスターたちがしばしカルデアを後にし、長らく無縁だった平穏の二文字が帰還を果たした。最も喜んだのがムニエルであることは言うまでもない。

 しかし、ある巨大な問題がカルデアを取り巻いていた。

 ゲーティアの打倒を果たしてから二ヶ月。カルデアの飼い主である魔術協会と国連、その他諸々の組織は人理焼却の勃発と解決という事後処理に右往左往していた。なにせ、戦いの顛末は全てが事後報告。彼らの心境は崖の上で犯人に種明かしを披露する探偵……の後ろの登場人物Bと近しいものであっただろう。

 率直に言えば、カルデアに手出しできる仕事はなかった。精々が外部機関との問答くらいであり、職員たちには念願の長期休暇が与えられた。協会と国連では汚い政治的闘争が繰り広げられていたが、なおさら口出しできるものではない。

 人間は休まないと生きていけない。が、休みすぎはそれはそれで肉体にも精神にも悪影響を及ぼす。

 まるで夏休み終盤、刻一刻と迫る登校日とベランダに打ち捨てられたアサガオから目を背けてゲームに没頭するような時間がカルデアに蔓延していた。

 

「…………これは、わたしが体験した本当にあった怖い話です」

 

 図書室。暇を持て余し、突如開催されたカルデア百物語。外出中の立香とノアを除いた全員が集まる場所で、マシュは重々しく口を開いた。

 ろうそくの火でぼんやりと照らし出される顔面。マシュの瞳には色も艶もなく、薄皮一枚隔てたみたいな無感情さだけがある。

 

「一週間前の朝、わたしはいつものように食堂への廊下を歩いていました」

 

 ───マシュはその道で、ばったりと立香に遭遇した。

 それ自体はなんら珍しいことではない。食堂の前は一本道。必然と移動経路は絞られ、人間が集まることになる。

 

〝おはようございます、先輩〟

〝うん、おはよう〟

 

 その時、マシュは衝撃の雷に打たれた。

 

「……なぜか、先輩が人語を発していたのです───!!」

フォフォウ(オチが早すぎる)

「いや、立香がなんぼアホでも言葉くらいは話せるでしょ。まさかそれが怖い話ってわけ?」

「いいえ違いますジャンヌさん。分かりませんか、この違和感が。この時は朝だったのですよ?」

 

 立香は朝が弱い。それはカルデアのみなが知るところだ。その様子は腐ってないだけのゾンビと評されるほどであるが、その日はどういう訳か人間性を喪失してはいなかったのである。

 当時のマシュもまた違和感を抱き、無意識に探る視線を送ると、ふと気付いた。

 

〝先輩。首のところが赤くなっているようですが……〟

〝……あ。えっと、虫に刺されちゃって〟

 

 そそくさと襟を正す立香。

 なるほど、とマシュは頷いて立香と一緒に食堂で朝食をとった。いつもならノアの隣か対面に座るはずが、その日は不思議と少し離れたところで食事をして。

 戦いが終わったあの日から、立香のそんな挙動は度々見受けられた。何がおかしいとは言い切れないが、何かがおかしい。マシュがもんもんと日々を過ごしていると、突如天啓の如き閃きが舞い降りた。

 ───南極に蚊はいない。

 カルデアにいる虫は遥々大陸から密航して住み着いたゴキブリくらいなものだ。研究用の生物は専用の区画で完璧に管理されている。

 つまり、あの虫さされとは。

 

「その真相に気付いた瞬間、わたしの脳みそは爆裂し、1800の肉片となって散らばりました」

 

 マシュはろうそくの火を吹き消し、床に置く。

 いたたまれない空気が場を支配する。いっそ南極の吹雪の方が寒々しい雰囲気の中で、リースはにこにこと微笑んでいた。

 

「純度の高いコイバナを摂取できて、空気がめちゃんこうめーですわ」

「今のどこがコイバナ!? ただのポップコーンと化したなすびの怪異が語られただけでしょうが!! 空気が淀みまくってるでしょうが!!」

フォフォウフォフォウ(怪談か猥談かどっちかにしろ)

「まあ精霊に空気を読む機能は搭載されてないからな。むしろそこが可愛いよな」

「ペレアスさんは伴侶に甘すぎませんかねえ」

 

 ダンテはほのぼのとお茶を口に運んだ。その横で、Eチーム最大の犠牲者ことムニエルは自らのスマートフォンに手を伸ばしていた。この会話に巻き込まれまいと空気化する目論見である。

 SNSのアプリを開き、するすると画面を送っていく。その途上でセンシティブなイラストが多数表示されるが、卓越した指の動きで早送りした。周囲に己の性癖を知らさぬ妙技だ。

 親指の動きがぴたりと止まる。目が画面の情報を追い、達観したみたいに言う。

 

「今からでも、俺もロンドン行けないかな」

 

 虚空を───否、遥か彼方のロンドンを眺めるが如き眼差し。やんわりとしながらも冷たい視線が集まるが、世界にひとつだけのなすびは輝く瞳で賛同した。

 

「良い考えです、ムニエルさん。是非わたしたちでリーダー炎上編〜先輩を求めて三千里〜といきましょう」

「南極なすび脱走編じゃなくて?」

「オレたちサーヴァントが外出ると不都合なのは分かるが、流石に退屈だよな。現代のブリテンも見てみたい」

「それは私もまったく同感ではありますが……ムニエルさんはどうしていきなりそう思ったのです?」

 

 ムニエルはダンテの問いに対して、面を伏せながら声を捻り出す。

 

「最近好きになった配信者のオフ会がロンドンであるんです……!! 死んでも行きたい! ケツから手が出るほど行きたい! 俺みたいなただ魔術刻印継いだだけのオタクは解放してくれてもよくない!!?」

「その事情については後でダ・ヴィンチちゃんから解説するとして、その配信者のことならノアくんと立香ちゃんに連絡すればサインくらいは貰ってきてくれるかもしれないぜ?」

「……立香はともかく、あっちの外道には頼まない方が良いでしょうけど。だいたい、なんて配信者なのよ」

「『めちゃかわ皇帝(カイザー)ソル子くん』ですが?」

 

 ムニエルに向けられていた視線が硬度を帯び、鋭く研ぎ澄まされる。並のオタクなら涙目敗走を決め込むアウェー感だが、生憎と彼は十数年前のオタク迫害の時代を生き抜いた猛者であった。

 彼は端末の画面を一同に向ける。

 液晶に閉じ込められた、件の配信者。桃色がかった金の髪と、やや赤みの差した白い肌。妖艶さの見え隠れする美貌は挑発的な笑みを浮かべている。衣装は体に貼り付くようなスポーツウェア。筋肉の上に薄い脂肪が乗ったしなやかな肢体を余すことなく見せつけていた。

 まぶたをもったりとさせたムニエルは、森林を流れる清流を思わせる調子で喋り始める。

 

「まず何が良いって顔ですよね。見た目って意味だけじゃなくて表情が良い。一枚の写真でもその背後にあるストーリーを妄想させてくれます。しかもこれで男の子ですからね。ついててお得ですよね。この世のバグと言っても過言じゃない。というか本当にバグってるのは俺の方なのかもしれない。俺という醜い存在なのかもしれない。だけどソル子くんはサービス精神旺盛なので、実際に会ったら握手とかツーショットとかだけじゃなくて、ハグはおろかほっぺたにちゅーまでしてくれ──────」

「ムニエルさん、長いので三行でまとめてください」

「────俺だってチューがしたいよォォォォォ!!!!」

「一行で済みましたわ」

「それどころか性欲の二文字で終わりでしょ」

 

 リースとジャンヌはお茶請けのせんべいを貪った。

 場の人間は全方位に性癖を撒き散らした腫れ物から距離を取る。テーブルに突っ伏してすすり泣くムニエル。すると、彼を慰めるように、柔らかな手つきが背中を擦る。

 その手の持ち主は、

 

「───優雅たれ」

「うるせェェェェ!!! お前なんかもう味のしないガムなんだよ!! 賞味期限はとっくのとうに切れてんだよ!! つーかこいつが本当の世界のバグなんじゃないの、魔術協会は俺たち監禁するより先にこのおじさんを退去させた方がいいんじゃないの!?」

「ああそうそう、サーヴァントのみならず職員まで外出を許されてないのには理由があってね」

「どういう話の繋げ方?」

「ジャンヌさん、ムニエルさんの発狂に文字数を割くよりはマシだとわたしは考えます」

 

 ダ・ヴィンチちゃんは優雅なおじさんの愛用のティーカップに紅茶を注ぎつつ、端的に述べた。

 

「実は職員の補充に先駆けて、カルデアに新しい所長がやってくるんだ」

 

 しん、と辺りが静まり返る。

 カルデアの新所長。人理修復の始まり、特異点Fにて命を落としたオルガマリー・アニムスフィア。彼女の代わりとなる人物がここにやってくるのだ。

 魔術協会の息がかかっていることは確実。組織は再編成され、カルデアは新しく作り替えられるのであろう。それが善悪どちらに転ぶかは不明だが。

 ただし、このカルデアのトップに着任するということは、本来冷や飯喰らいの立場だったにも関わらず、何の因果か人理修復を成し遂げてしまったあの二人のアホを統制しなければならないわけで。

 マシュは未だ見ぬ新所長へと合掌を捧げた。

 

「その人が先輩とリーダーの犠牲になるのですね。せめてその御霊が安らかならんことを祈っておきましょう」

「そうだね、大量の胃薬を用意しておこうか。ロマニは在庫が空になる勢いで消費していたし」

「……アンタらも胃痛の原因でしょう。草葉の陰で血涙流してるのが容易に想像できるわ」

「とにかく、新所長が気の毒なのは間違いねえな。名前とか顔写真とかはねえのか?」

 

 ペレアスは一同の感想をまとめ、ダ・ヴィンチに訊く。彼女は頷き、空中に新所長を切り抜いたホログラムを投影する。

 

「この御仁こそが栄えあるカルデアの新所長、ゴルドルフ・ムジークだ!!」

 

 ティーポットを持ったメイドと、余裕のある笑みを見せるふくよかな金髪の男性。ジェントルマンのお手本のような髭が芸術的なカーブを描き、その下の口元は静かに微笑んでいた。

 極めつけには、顔の横に寄せたティーカップ。澄んだ色の紅茶の水面から、見るも香り高い湯気を漂わせている。

 一同は強烈な既視感を覚え、カルデアのマスコットキャラクターである優雅なおじさんを見やった。

 おじさんはくすりと微笑み、

 

「───優雅たれ」

フォフォウフォフォウ(それしか言わねえなこいつ)

「優雅というよりは風雅ですわ」

「どう違うんですか? それ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───南極海、ドレーク海峡上空10000m。

 南極に向かう出港便があるキングジョージ島への航路上を、ムジーク家自家用機『フライング・セレスティアル・ゴッフ号』は風雅に空の旅を突き進んでいた。

 ムジーク家はかつてアインツベルンとも並び称された、錬金術の名家である。厳しい時代の荒波を乗り切り、現代にまで血筋を繋げた高貴なる一族。ムジーク家の資金力はカルデアそのものを買い取れるほどであったが、今もなお国連と協会の管理下に置かれている。

 その理由は、シモン・マグスの存在にある。人理焼却より端を発する事象が未だ解決を迎えていないことから、サーヴァントという戦力を有するカルデアの管理権は据え置きにされていた。無論、ムジーク家がカルデアを独占し、勢力を拡大することへの警戒もあっただろう。

 とはいえ、ゴルドルフが所長に選ばれた経緯はムジーク家の財産を駆使したとか、有り余る権威で他の候補者の頭を押さえつけたといったことではなかった。

 ノアと立香、この二匹のアホの手綱を誰が握らされるのか。この不名誉な大役を免れるため、時計塔では熾烈な暗闘が繰り広げられた。その結果、優秀な魔術師ではあるものの、特に功績を立てていないゴルドルフにお鉢が回ったのである。

 要は、体の良い生け贄。

 しかし、そこでめげるようではムジーク家の男子にあらず。この立場を利用して、輝かんばかりの功績を打ち立てるのだ───!!!

 

「……………………ふぅ」

 

 豪奢な装飾が施された機内。ゴルドルフは備え付けの大インチモニターが暗転すると、ティーカップを置いて一息つく。

 数秒前まで放映されていたのは、レイシフトEチームの人理修復の軌跡をまとめたものであった。特異点Fから終局特異点までの長大なビデオだったが、こつこつと視聴してようやくゲーティアを打倒した最終章を見終えたのだった。

 編集者はレオナルド・ダ・ヴィンチ。万能の天才の面目躍如と言ったところか、ビデオの出来に文句のつけようはない。

 が、しかし。ゴルドルフは全てを諦めた虚無顔で呟いた。

 

「────どこからツッコめと?」

 

 どうしてこんな奴らに世界が救えたのか。一部始終を見たにも関わらず、ゴルドルフの脳は内容の理解を拒んだ。

 事実確認のためにこれを確認した法政科の人間の多くは視聴後にふて寝したというが、そこは不死鳥のゴッフ。生真面目に憤りを爆発させる。

 

「聖女マルタが拳でタラスクを鎮めた……沈めたって何? ローマ三国志って何? コロンブスのタマが卵だけに……ってくだらんわァァァ!!! Eチームの行動の九割九分がアホなのに敗けるとか魔神王は恥を知るべきでは!!? こんな奴らに世界の命運が託されていたなど、冗談にしてもたちが悪い!! よく滅ばなかったな世界!? いや、滅んでから救われた訳だけども!! ここにレフ・ライノールがいたら我が鉄拳で夜空の星にしてくれるものを!!!」

 

 心なしか機体の揺れが増すほどの怒号を吐き散らかしたゴルドルフ。この世界の存続が如何に薄氷の上にあったのかを存分に思い知る結果であった。

 怒りを紛々とさせる彼の横に、ひとりのメイドがやってくる。

 艷やかな黒髪と蒼い瞳。彼女はクラシカルな服装を纏い、ひっそりと咲く華のような出で立ちをしていた。

 メイドは手慣れた仕草でお茶請けを差し出しながら、

 

「落ち着いてくださいませ、ご主人様。心は熱くなられても、頭はクールを保つのが貴族の男子たる振る舞いでございます」

「う、うむ。これは見苦しいところを見せてしまったな。今のは忘れてくれたまえ、メリア」

 

 メリア。そう呼ばれたメイドの少女はくすくすと笑う。

 

「はい。私の心の中だけに留めておきますね。もしかしたら、従者の間で話題になってしまうかもしれませんが」

「ふふふ、口が軽いのは感心しないぞ?」

「メイドとはお喋りな生き物なのです。噂になるのが嫌でしたら、私とご主人様だけの秘密にいたしましょう。秘密の共有……なんだかワクワクしませんか?」

「……そ、そうだな! なんとも甘やかな響きだ!」

 

 ゴルドルフはニヤつく口角を必死で抑える。

 ムジーク家は錬金術の大家。それ故、ホムンクルスの製造技術も並外れて高い。ゴルドルフは幼い頃から身の回りの世話をするホムンクルスに囲まれ、当然、カルデアへの航路にも連れてきたが、メリアは唯一人間の従者だ。

 その出会いは半年前。ゴルドルフは降りしきる雨の中で、手酷い扱いをする魔術師の元から逃げ出してきたという彼女を保護した。

 当初は生まれたばかりのホムンクルスのように口数が少なく、表情も固かった。が、ある日、彼女はゴルドルフの手を握り、告げる。

 

〝私に、新しい名前をつけてください〟

 

 表情豊か、とは言えないけれど。

 顔を耳まで赤らめて。

 震える声で、彼女は言った。

 

〝良いだろう。ならば──────〟

 

 だから、『内気な乙女』という花言葉のプルメリアにちなんで、メリアと名付けた。今となっては小悪魔っぷりを発揮するようになり、アルストロメリアの方が合っているかもしれないが。

 メリアはゴルドルフと肩を寄せるように腰を降ろすと、手を握った。

 

「ご主人様は優しく聡明なお方です。そんな貴方なら、きっとEチームの方々にも寄り添えるはず」

(ん? この娘私のこと好きなのかね?)

「だって、こんな私にも貴方は善くしてくれましたから……」

(やっぱり好きだよね。この娘私のこと好きだよね。惚れていいかな。惚れちゃっていいかな)

 

 と、逸る心をぐっとこらえて、ゴルドルフは表情を取り繕う。

 

「た、確かに、Eチームの戦果それ自体は認めるべきだろう。むしろ責めなければならないのはアニムスフィア家時代の所業か。あらかじめ短命を定められたデザイナーベビーをサーヴァントの器にするなど常軌を逸している」

「藤丸立香さんも同じです。類を見ないレイシフト適性の高さだけで、目をつけられ、権力を用いて連れてこられたのですから」

「ああ、魔道とは外道だが、それは裏の世界の理屈であって表の世界に持ち込むべきではない。ある意味、神秘の秘匿という大原則を自ら侵す愚行だ。挙句彼女に世界を護られるとは、全ての魔術師の名を地に落とす事実だ」

「それで、ノアトゥールさんについては……」

 

 カルデアが誇る最低最悪のアホの名が出ると、ゴルドルフは途端に顔をしかめた。

 

「その男はどうでもいい!! 過去の境遇には同情してやらんでもないが、そこからの振る舞いについては自業自得だからな!! あんなのがバルドルの生まれ変わりと知れれば、全北欧の魔術師が泣くぞ!! フリッグは予言を間違えたのではないか!?」

 

 あんまりな言いようだったが、誰も文句を言えないであろうことは確かだった。ビデオの内容は限られた人間にしか公開されていないが、一時は封印指定の話まで持ち上がったほどである。

 それが見送られたのは、ノアの木綿糸より脆い堪忍袋の緒が切れた場合、もたらされる被害が未知数なためだ。

 下手に手を出さず、カルデアの一員としてこき使う。法政科の意見はそのようにまとまった。触らぬ神に祟りなしとはまさにこのことだった。

 メリアは目を細めた微妙な顔をして、ゴルドルフを励ます。

 

「ま、まあ、マスターのお二人はロンドンにいるようですし、この間にカルデアの人心を掴むチャンスです」

 

 ゴルドルフは首肯する。マスターたちと行き違いになったことは不幸中の幸いだ。少なくとも、あの悪魔に口答えされる可能性はないのだから。おそらくは時計塔によるせめてものはからいだろう。

 

「将を射んと欲すれば、まず馬を射よ。真っ先に接近すべきはペレアス卿とジャンヌ・ダルク……!! アホどものストッパーの信頼を得て、必ずやEチームを躾けるのだ!!」

 

 なお、ダンテが候補から外された理由は彼がノアの圧力に弱いからだった。喩えるならオークに対する女騎士やエルフである。

 ゴルドルフは使命感と功名心に燃える。メリアはその横顔を眺め、唐突に言った。

 

「将を射んと欲すれば、まず馬を射よ。良い言葉ですね」

「盛唐の詩人、杜甫が由来の言葉だそうだ。カルデアは多人種が集まる場所だからね、勉強してきたとも」

「さすが、抜け目ないですね。それに、とっても優しい」

「そう褒めてくれるな、この程度人の上に立つ者には当然の努力だ!」

 

 どん、と胸と腹を突き出すゴルドルフ。メリアはそのたくましい体に一層寄りかかり、彼の胸板にか細い五指を這わせる。

 高鳴る鼓動。それが伝わらないように悪戦苦闘するが、心臓の律動が意思でどうにかできるはずもなく。

 メリアは小さく鼻を鳴らし、蠱惑的な笑みを浮かべた。

 

「────だから、私みたいなのに騙されるんですよ?」

 

 不思議と、ゴルドルフはある映画のワンシーンを思い出す。

 主人公たちを付け狙う軍人。彼は主人公の打撃を受けて、軍隊アリの群れに倒れ込み、全身を喰らい尽くされてしまう。頭の天辺までアリに覆われていく映像は、なかなかに恐ろしかった。

 これは、まるで、あの映画の軍隊アリだ。

 黒い影で形作られたアルファベット。その群れがメリアの手のひらを起点に広がっていく───否、炎が燃え立つように、彼女自身を中心に文字が増殖していく。

 アルファベットが幾重にも折り重なり、肉体を、機体を侵食していく影。ゴルドルフ・ムジークの目はそれが紛れもない魔術による現象であることを察し、魔術師としての性故か、驚嘆に喉を震わせた。

 

「虚数属性の影───!? なぜ君がそんなものを持っている!?」

「このソラの外から堕とされたもので」

「どういうこ」

「それじゃあ、行きましょうか。カルデアを射んと欲すれば、まず所長を射よ───です」

「それは逆じゃないかね!?」

 

 その叫びを最後に、意識は深みへと連れ去られていく。胸に触れる手で魂を揺すられているかのように。

 母親に寝かしつけられるみたいな、安穏とした平和的な意識の埋没。薄れゆく視界は影の文字を捉え、そこで気付く。

 なぜ、アルファベットなのか。

 それは、ある単語を表すためだ。

 文章ではなくただ執拗に、その一単語のみを綴り、周囲を塗り潰している。

 

(R、OA───────)

 

 ついに、全てが漆黒に包まれる直前。

 ゴルドルフは、その単語を判読した。

 

(──────R()O()A()N()O()K()E()?)

 

 南極海、ドレーク海峡上空約10000m。

 『フライング・セレスティアル・ゴッフ号』は突如レーダーから消失。数十人の乗組員とともに、忽然と失踪した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 イギリスはなにかとオカルトに縁が深い国だ。

 探偵小説の金字塔、シャーロック・ホームズシリーズで知られるアーサー・コナン・ドイルが、後に偽造と告白される妖精写真に太鼓判を押したり。

 ロンドンのハマースミス・ブライスロード36番地にて、稀代の魔術師にして稀代の変人───現代日本では培養液の中で逆さまになっているあの姿が有名───な奇人がすったもんだの魔術バトルを繰り広げ、結局警察のお縄についたり。

 エレナ・ブラヴァツキーをはじめとして、近代を代表する高名な魔術師たちは少なからずイギリス、とりわけロンドンと縁がある。

 それは、魔術協会の最大勢力たる時計塔がその地にあることと決して無関係ではないだろう。

 魔術王ソロモンの弟子が設立した組織。西洋魔術の本場。今も神秘が根付くこの地に、我らがカルデアのマスターどもは降り立った。

 

「そこの道行くお嬢さん。初めてロンドンに来たならフィッシュアンドチップスがおすすめだよ。なんたって我が国が誇るマズメシだからね。今ならカップル割引もしてあげちゃうよ」

 

 ロンドン市街。時計塔に指定された日時には一日の余裕があった。立香とノアは遊び散らかすべく、意気揚々とロンドンシティ空港を出発し、バスを降りた矢先に呼び止められる。

 褪せた色彩の屋台。親の仇の如く揚げに揚げられた魚の成れの果てが並べられている。店主の老婆はジャンヌよりも魔女らしい笑みで呼び込みをしていた。

 ノアは嫌悪感を隠しもせずに、顔をしかめて言う。

 

「そんな産業廃棄物食えるか。最終処理場にでもブチ込」

「───はい! 私この人の彼女! 彼女です!! とりあえず並べてるやつ全部ください!!」

「気前が良いね、まいどあり」

「このクソアホが!!!」

 

 目にも留まらぬ速度で屋台へダッシュし、老婆からフィッシュアンドチップスを受け取る立香。その脳天にノアの手刀が見舞われる。

 立香は両手でつむじを鷲掴みにして、涙目で振り向いた。

 

「ちょっと、ツッコミが強すぎませんか!? 少しは彼女を労る気持ちを見せてください!!」

「そうだよお兄さん。突っ込むのが強いのは夜だけで良いんだよ」

「ふざけんなババア! 一足先に地面の下に埋めてやろうか!?」

「あ、私仏教徒だから火葬にしてくれるかい?」

「そのナリで仏教徒なんて言い分が通るか!! 触れづらい話題持ち出してきやがって!!」

 

 で、数分後。

 結局二人はタダ同然でフィッシュアンドチップスを受け取り、当初の目的である観光に繰り出した。

 立香はボリボリと哀れな姿の魚を貪りながら、

 

「…………半分いります?」

「自業自得だ、自分のケツは自分で拭け」

「いや、まずくはないですよ。全然まずくないです。むしろこの破壊的な油っこさが逆にクセになるっていうか」

「白々しいにも程があんだろ。……だが、特別に騙されてやる」

 

 ノアは立香の手を上から握り込むと、上半身を倒す。

 ほんの少しの間、二人の息遣いは重なり、言葉が途切れる。

 上体を起こし、親指で唇を拭う。ノアは白い歯を覗かせて意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「……やっぱり、クソまずいじゃねえか」

「…………馬鹿」

 

 と、ベタなやり取りをしたところで。

 北のアホと東のアホはようやく観光という名のデートに繰り出した。当初はノアの計画でロンドンを見て回るつもりだったのだが、

 

「フリーメイソン博物館にブライスロード36番地……って魔術ゆかりの場所ばっかりじゃないですか。とても彼女を連れてく場所じゃないんですが」

「今は堂々とロンドン市街を歩ける身分だからな。おまえも付き合え」

「じゃあこの二つだけで。後は私のエスコートに従ってもらうんで。私の注文忘れてたんですか」

「オカルトは映えまくるだろ」

「アングラでいてこそなのに!?」

 

 そんなこんなで、そういうことになった。

 まずはオカルトの聖地を巡っている途中。バスの車内で、立香は出し抜けに発言する。

 

「この前、旅行資金引き出すために口座見たんですけど、残高の桁がとんでもないことになってたんですよね。人理修復で一生分のガチャ資金稼いじゃったかもしれません」

「俺たちの苦労からすれば端金だがな。……そもそも、何のゲームやってんだおまえ」

「最近は『あやかせ! あやかしアイドルアイランド』ですね。新キャラのバックベアードちゃんが、全ての幼女妖怪アイドルに特攻を持つぶっ壊れで─────」

「そいつが効果抜群なのは幼女妖怪使ってるプレイヤーの方だろ」

 

 流石は国連と言ったところか、破格の報酬が振り込まれていた。口止め料には高すぎる気もするが、お金で黙らせられるなら安いという考えなのだろう。

 なお、『あやかせ! あやかしアイドルアイランド』では姑獲鳥のスキルで相手に幼女属性を付与し、バックベアードで叩き潰す戦法が流行している。そのため、幼女妖怪アイドル愛好家たちの不満が爆発。SNSにて公式アカウントがバックベアードの某ネットミーム画像で煽り返す騒動が勃発し、現在炎上中となっている。

 金銭という点においてもタガが外れている二人が向かったのは、ロンドンの中心部。コヴェントガーデンというショッピングエリアだった。

 バルーンなどで華やかに装飾された、吹き抜け式の商店街。古風で情緒豊かな街並みから人気を博す観光スポットだ。

 

「写真撮りましょう写真! ノアはタッパがデカすぎるんで、自撮り棒だと風景が入らないですよね。ちょっとあそこの人に頼んできます!」

「いや、スマホ用の三脚使えよ」

「そこの華やかな衣装が素敵なお姉さん! 写真お願いしてもいいですか!」

「対人距離ショートカットしてんのか?」

 

 ノアが言えたことではなかった。立香が凄まじい勢いで迫ると、メルヘンチックな服装のお姉さんはぎょっとして振り向く。

 膝にまで届く、ローズピンクのふわふわとした長髪。これまた近い色合いの鮮やかなドレスを着込んでおり、高い身長も相まってその姿は人混みで異彩を放っていた。真紅の瞳は大きく見開かれ、驚いた目つきで立香とノアを眺めている。

 彼女は頭部を彩るヘッドドレスを指先で直しつつ、呆れた声音で口を開いた。

 

「あ゙〜……あたくしに目をつけたのは慧眼ですわ。街中で話しかけてくるようなのはナンパ野郎くらいなものでしたけれど、お写真ならドンと来やがれでございます」

 

 語調とは裏腹に、豊満な胸部を自信有りげに突き出す女性。

 何かを履き違えているお嬢様口調だが、カルデアには何もかもを履き違えているお嬢様口調のリースがいるので立香は気にしなかった。

 

「お姉さん綺麗ですもんね。この服どこで買ったんですか?」

「アタマからケツまであたくしの手作りですの。アナタこそその髪留め、一点モノでございましょう? よく似合っていますわ」

「ふふん、どうもありがとうございます! こっちの私の彼氏が作ってくれたんですよ! vガンダムの代わりに!」

「おう、見た目にそぐわぬクレイジーガールですわね?」

 

 ドレスの女性もこういった手合いには慣れているのか、さらりと立香の狂言を流しつつ、スマートフォンを受け取る。

 彼女はカメラを二人に向ける。満面に笑みを広げる立香とは対照的に、ノアは全ての感情が消え失せた仏頂面をしていた。

 

「んじゃ撮りますわよ〜。そこの彼氏はもっとにこやかになりやがれですわ。表情筋死んでやがりますの?」

「うるせえメルヘン女。アクシズぶつけんぞ」

「その発言、伊達じゃないガンダムで叩き返しますわ。文句つける暇があるなら、その情けないモビルスーツみたいな顔面をどうにかしてくださいませ」

「黙れ俺の顔面はサイコフレーム搭載済みだ」

「いいから早く撮りません?」

 

 ノアの腕を両腕で拘束する立香。二人の様子を見て、ドレスの女性は微かに口角を上げる。

 

「はい。おチーズ様、でございますわ」

「おまえの世界の言語どうなってんだ?」

 

 かしゃり、とシャッターが切られる。

 二、三度ほど構図を変えて写真を撮り終えて、彼女は立香に端末を渡した。

 立香は写真を確認して、感嘆の声をあげる。

 

「すごい良い感じに撮れてますね! ありがとうございます! もしかして本業ですか?」

「いえ、とあるクソ……クソインフルエンサーのマネージャーをさせられているものでして。無駄に写真を盛る技術が身につきましたの」

「言い直す必要ありました?」

「つーか見た目的におまえが撮られる側だろ」

 

 ドレスの女性はニヤリと口角を上げ、

 

「あら、殊勝なことも言えるんですのね? てっきり、きったねえ罵倒語しかほざけないのかと思ってましたわ」

「は? 勘違いすんな。珍獣って意味で目を引くだけだ。おまえこそそのエセお嬢様口調をどうにかしろ。心のチンピラが隠せてねえぞ。ラーの鏡で正体暴いてやろうか」

「むしろノアが暴かれる方ですけどね」

「おい」

 

 背後から奇襲をくらい、ノアの矛先が立香に向きかけたところで。ドレスの女性はため息をつき、その場を後にしようとする。

 

「犬も食わないやり取りに付き合う気はないので、あたくしはこれで。精々イギリスを楽しむといいですわ」

「うちのアホがすみませんでした。あ、せっかくですし名前を訊いてもいいですか? 私は藤丸立香です」

 

 彼女は首肯し、

 

「───()()()、と申しますわ。また逢えるといいですわね? 藤丸立香さん」

 

 ローズピンクの背中が街の往来に溶け込んでいく。明らかに浮いた色合いだというのに、絵の具を水に落とすように。ノアは眉根を寄せて、その影が見えなくなるまで睨み続けた。

 立香はむっと唇をとがらせる。

 

「……同じ名前でしたね? ノアの初恋の人と」

「あの名前のやつは変人しかいねえのか? 余計な会話で腹が減った。どっか店入るぞ」

「フィッシュアンドチップスの味を掻き消したいんでカレーでいいですか? なんかコ○イチがあるみたいで……」

「マジかよ最高じゃねえか。とっとと行くぞ」

 

 遠方まで来たにも関わらず、入るのは馴染みのあるお店という、無軌道な旅行にありがちな展開だった。

 そして、彼らはロンドンを隅々まで巡り尽くし、夜も更けてきた頃。いっぱいの荷物を抱えて、ロンドン郊外に居を構える喫茶店を訪れた。

 かつてノアがロンドンでの生活を過ごした場所。家主であるアリスは己が死期を悟っていたのだろう、遺言状に所有権をノアへ移譲することを書き残していた。

 店内はここを発った時とさほど変わらない様相を保っていた。幾度となく歓談を交わした机の上には、数枚の手紙が置かれている。

 どうやら、常連客たちが暇を見つけては店内を清掃していたらしい。同時に、周辺住民の溜まり場と化していたようだが、使われない家はすぐに劣化する。アリスも本望だろう。

 立香はきょろきょろと室内を見回して、

 

「落ち着いた雰囲気……あ、そうだ、WiFiのパスワード教えてください。私WiFiないと生きていけないんで」

「この現代っ子が───!!」

 

 荷物を部屋に置き、WiFiのパスワードを聞き出して。アリス直伝のレシピによるビーフシチューを喰らいながら、明日の算段を立てる。

 

「明日は大英博物館でお話するみたいですけど、物騒なことにはなりませんよね?」

「ねえな。仮に俺たちが喧嘩売ったとしても〝カルデア潰す〟の一言で終わりだ。あいつらにとっちゃ箱だけ残して人員入れ替えりゃ済む話だからな」

「……魔術師の人たちって、人口少ないのに人材はどんぶり勘定ですよね」

「だから封印指定なんてものがある。逆に言えば、カルデアをそういう処分にできるやつが出てくる可能性が高い。最低でも法政科────ロードが顔を出すことも有り得る」

 

 時計塔には現在、法政科を除いて十二の学科が存在する。大雑把に言えばロードとはそれぞれの学科を統括する長であり、狭義の意味においては時計塔を掌握する貴族たちを指す。

 どちらの意味にせよ、彼らは生き馬の目を抜く曲者揃い。魔術の研究の片手間に熾烈な政争を繰り広げる妖物だ。

 そこまで聞いて、立香は呑気に首を傾げる。

 

「…………貴族の人たちにさっき買ったお土産のチョコとかあげても怒られません? 住む世界が違いすぎてなかなか想像がつかないです」

 

 藤丸立香は日本の一般市民である。一口に貴族と言われても、浮かんでくるイメージは限りなくふわふわしていた。ちなみに彼女が本当に一般的なのかという疑問は一切受け付けない。

 

「おいおい、おまえがいつも話してるペレアスとダンテも貴族だぞ。つまりはアホだ」

「偏見が過ぎません!? 貴族がアホなんじゃなくて、アホな貴族があの二人じゃないですか!!」

「要は堂々としてりゃいいんだよ。ロードだろうが何だろうが俺より格下なのは間違いねえからな」

「それについてはノーコメントで。ノアはロード・エルメロイⅡ世っていう人と知り合いなんでしたっけ。その人が来るんじゃないですか?」

 

 ロード・エルメロイⅡ世。時計塔における最も新しい学科、現代魔術科の講師。どういう訳か、第二特異点では三国志の名軍師諸葛孔明の依代となっていた苦労人だ。

 ノアは馬鹿にするような笑みで、

 

「ハッ、あのお飾りロードがか? 断言してやるよ、絶対にありえない。現代魔術科が出てくる幕じゃねえ」

 

 で。

 翌日、大英博物館中央部、図書閲覧室。19世紀以来の歴史を持つ世界最大級の図書館。日々多くの人々が訪れるこの場所は今、ただひとつの会談のために貸し切られていた。

 

「……ロード・エルメロイⅡ世だ。初めまして、レディ藤丸。君の来客を歓迎する」

「第三者の意図を感じるフラグ回収の早さ────!!!」

 

 第二特異点の記憶と寸分違わぬロード・エルメロイⅡ世が、立香とノアを待ち受けていた。彼の横にはフードの少女。立香は彼女の容貌にどこか既視感を覚える。

 立香がそれを記憶から引きずり出す前に、エルメロイⅡ世とノアは激しく視線を衝突させた。

 

「───お前がこの国を発った翌日、私の部屋にロンドン中のゴキブリが押し寄せてきたのだが。心当たりはないか」

「そりゃ災難だったな。普段の行いが祟ったか? 旅立つ若者に交通費もやらない狭量さが招いた自業自得だろ」

「よくもそこまで開き直れるな!? もう調べはついている! なぜなら共謀者のフラットとカリスがお前の仕業と吐いたからな! このように!!」

「がああああああああ!!!」

 

 エルメロイⅡ世は身を乗り出し、ノアの顔面にアイアンクローをかける。

 凄惨なプロレス現場を横目に、立香はお土産のチョコとティーケーキを少女に差し出した。

 

「えっと、つまらないものですがどうぞ」

「……ご丁寧にありがとうございます。拙のことはグレイと。まかり間違っても宇宙人の方ではありませんのでご注意ください」

「ロビン・フッドさんが一緒に銀河を旅した宇宙人の似顔絵とは似ても似つかないので安心してください! むしろ、宇宙人というよりは騎士王に似て……」

 

 と言って、立香がグレイのフードを覗いた瞬間、

 

「ブォエアアッ」

「ええ!!?!?」

 

 彼女は盛大に鮮血を吐き出した。

 すると、グレイの外套の内側からもぞりとキューブ状の物体が顔を出す。

 

「やっちまったな嬢ちゃん。それは地雷を踏み抜いたってヤツだ。騎士王とグレイにはちょっとした関わりがあってな」

「そ、そうだったんですか。ごめんなさい。私が会った王様は黒いのと黒くておっきいのとおっきいのだったんですけど」

「…………どんだけ増殖してんだ? 同じ顔が三人いるとかのレベルじゃねえぞ」

「そうですね。ペレアスさんもたまに思い返して宇宙猫になってるくらいですし」

 

 顔を出す、とは言ったが、実際その箱には顔があった。硬質な見た目の反面、その表情は豊かに変わっている。

 ペレアス。Eチームの縁の下を地味に支える地味な騎士の名前を聞いて、箱は何だか微妙な顔をした。

 エルメロイⅡ世とノアの攻防が終結する。ノアは頭の形を変形させられ、ぐったりと背もたれに寄りかかっていた。

 

「……まずは雑事を済ませておこう。今回の功績を鑑みて、協会より階位が贈られることになった。一応───念のために訊いておくが、希望はあるか」

「そもそも階位ってなんですか?」

 

 立香の問いに、エルメロイⅡ世は以下のようなことを語る。

 階位とは魔術師の功績を評価して贈られる称号。その数は七つ。下から末子、長氏、開位、祭位、典位、色位、冠位。最高位の冠位に至っては一国に匹敵すると言われる魔術師であり、ロードたちでさえ色位がほとんどの高い壁があるのだ。

 立香とノアは息を合わせるまでもなく、同時に言った。

 

「「じゃあ、冠位で」」

「ふざけろ!!!!」

 

 予測可能回避不可能な答えだった。ノアはまたもやアイアンクローを実行しかねないエルメロイⅡ世に対して、ニタニタと告げる。

 

「ああん? 何だその言い草は。誰が世界救ってやったと思ってんだ。冠位くらいポンと渡せよ。ロードのくせに性根が卑しいぞ」

「お前に! だけは!! 言われたくはない!!!」

「ま、まあ、お二人に贈られるのは開位と決まっていますが。師匠にそんな権限はないので」

「貰えるものは貰っておきますけど……エルメロイⅡ世さんはロードっていうくらいだから色位なんですか?」

 

 グレイはぶんぶんと頭を横に振った。

 

「いえ、師匠は祭位です。それも生徒を育てた実績を評価されたものなので、本人の実力はギリギリ開位です」

「なるほど、じゃあ俺は開位でいい。今はそこに甘んじてやるよ」

「え、ノアらしくないですね。悪いものでも食べました?」

「アホか立香。よく考えろ」

 

 ノアはエルメロイⅡ世にメンチを切って、

 

「超天才カルデア最強マスターの俺と、お情け祭位で開位級の実力のロード……分かるか? これは時計塔の評価基準の歪みを糾すと同時に、こいつが如何に中身スッカスカで権威主義の俗物なのかを物語っているんだよ!!!!」

「おいグレイ!! 今すぐこいつにロンゴミニアドを撃て!! 私が許す!!!」

「神体化を使うまでもなく、粒子魔術で反射されるか北欧神話の投影宝具で防がれるのがオチだと思いますが……」

「とにかく大英博物館が焦土と化すのは目に見えてますね」

 

 そこで、不意に声が響く。

 

「確かに、そこの坊やの言うことは急所を突いてる。時計塔は権威主義の巣窟───実力と実績を正当に評価することで成り立っている。ヒトはモノを判断する時、必ず何らかの権威を参照するが、オレたちにとってのそれは魔術の腕前と産物だ」

 

 ヒトのカタチを取る色砂の彫像。その表面は常に流動し、音声を発する度に輪郭が茫洋と変形していた。

 明らかに尋常ならざる、立体の砂絵。困惑する立香とノアの対面で、エルメロイⅡ世とグレイの二人が顔色を青褪めさせている。

 

「───ロード・バリュエレータ……!?」

「そこの坊やは黒妖精(ドヴェルグ)の末裔で二千年続く家系の出身者。血統、才能、功績。貴族主義連中からすれば、三拍子揃ってやがる垂涎モノの存在だ」

 

 貴族主義。その名の通り、魔術師の血統を重視する勢力。アニムスフィアの天体科、エルメロイⅡ世の現代魔術科もこれに属している。

 だが、砂絵の操り手……ロード・バリュエレータはそれに反立する民主主義派閥だ。

 そんな彼女が、ここにいる。さしものエルメロイⅡ世もその意図を察しかねて、バリュエレータの一挙一動が成す成り行きを眺めることしかできなかった。

 砂絵はノアを指して言う。

 

「ノアトゥール坊や。冠位が欲しいかね?」

「貰っておくのも悪くはねえ。少なくとも、称号の上ではソロモン王(グランドキャスター)と同列になれるからな」

「良いねえ。嫌いじゃないぜ、そういう青臭い熱情。じゃあ坊やは色位な。冠位に昇るにはまだまだ功績が足りんよ」

 

 からかうような口調。ノアは不機嫌に舌打ちして、砂絵を睨む。

 

「とっとと本題に入れ。仮にもロードが二人もいやがる。階位如きの話で終わるつもりはねえはずだ」

 

 エルメロイⅡ世は観念して、

 

「……先日、アメリカのスノーフィールド市で、魔術協会の関与しない大規模な交戦が起きた。これは、その後に市内にバラまかれた文書だ」

 

 懐から一枚の紙を取り出し、ノアに手渡す。

 ノアと立香は紙面に書かれた文章を覗き込む。そこには、丁寧にもあらゆる言語で同じ意味の言葉が綴られていた。

 

「〝我は秘密の首領。薔薇十字の復活を宣言する。世界の普遍的改革のため、魔術の徒は己が知識と存在を開示せよ〟───〝P.S.パラケルススくん死んだってほんと? 時計塔が殺したとかじゃないよね? あと誰か牛乳買ってきて〟…………ですって」

「何がP.S.だ!! 宣言書を書き置き代わりにしてんじゃねえよ!! あとパラケルススなら俺が殺した!!」

「お前が戦ったのはサーヴァントの方だろう。……実は、これと同じものが世界中の都市に撒かれている。日本では謎のゴスロリ美少女がコミケで頒布していたとか…………」

「もっとも、誰も顔は覚えていないし写真もなかったそうですが。果てしなく手の込んだイタズラとして、表の世界では大騒ぎになっています」

 

 頭を抱えるエルメロイⅡ世の横で、グレイは苦々しい面持ちになった。表の世界の人間にはただのニュースだが、その反対側に属する者にとっては頭の痛い問題だ。

 魔術協会に気取られることなく宣言書をばら撒き、しかも時計塔の存在を露呈させるかのような部分まである。それだけでも大事だが───────

 

「───薔薇十字……そういえば、アト・エンナさんがそんなこと言ってませんでした?」

「〝薔薇十字の系譜を辿れ〟。第七特異点における、アト・エンナの発言はこちらでも確認している。つまり、これもシモン・マグス同様人理焼却に端を発する…………いや、それ以前からの事件かもしれない」

「師匠。薔薇十字とは一体?」

「…………これは補習が必要だな。薔薇十字団は現代魔術科の必修科目だぞ」

 

 薔薇十字団。15世紀に設立されたとされる秘密結社。17世紀には神聖ローマ帝国、現代のドイツはカッセルに当たる地域で宣言書が流布され、その名を知らしめた。

 宣言書の内容は〝人類を苦しみから救う組織と人物の存在〟と、〝知識層がひた隠す秘密の知識の公開を訴える〟ものだったという。

 この謎の組織は後世の神秘主義に多大な影響を与え、近代神智学・近代魔術の思想の基盤となった。そしてそれは、時計塔にも大きな改革をもたらしたのである。

 

「現代魔術科は17世紀、在り方を疑問視され学科から転落した法政科に代わり、18世紀に設立された部門だ。その発端はカリオストロ伯爵の活動や、産業革命下のオカルトブームが原因でもある」

 

 ノアはエルメロイⅡ世のうんちく話を乗っ取って、

 

「カリオストロ伯爵は薔薇十字団の団員だったなんて話がある。ついでにサンジェルマン伯爵もな。現代魔術科設立の遠因は薔薇十字団にある……そういうことだろ? 開位、あっ間違えた、祭位のロード(笑)」

「黙れ人格破綻者。カルデアには、この薔薇十字団に関する事件を解決してもらいたい。現代魔術科の私がここにいるのはその意味もある」

「私たちだけでですか? マシュたちがいれば魔術師くらいイチコロですよ?」

「サーヴァントはそうそう表に出せないので……代わりと言っては何ですが、現代魔術科も協力します」

 

 そこで、ロード・バリュエレータの砂絵はiPh○neの液晶画面を四人に向けて言った。

 

「呼び出していきなりで悪いが、どうやら早速仕事みたいだ」

 

 そこには、とある配信サイトの生放送が映し出されていた。

 ───大英博物館周辺。カムデン区ブルームズベリー、ラッセル・スクエア。ロンドンで二番目に広い風靡な公園は、大観衆で埋め尽くされている。

 自撮り棒で中継された画面は観衆たちをぐるりと映すと、その持ち手を画角に収めた。

 

「『───よう! 見てるかオレの愛しき市民(キヴィス)ども!! 来られなかったヤツらはオレの顔見て元気出せ〜?』」

 

 その配信者は『めちゃかわ皇帝(カイザー)ソル子くん』。彼はあざとく笑って、巧みにカメラの角度を操っている。

 画面の端にはローズピンクのメルヘンチックな女性が小さく映っている。彼女の表情は一切の無であり、諦観で彩られていた。

 ソル子くんは彼女の隣にくっついて、おちょくるような仕草をする。

 

「『マネージャーがそんな暗い顔してどうした? あ〜ん? せっかくカワイイんだから笑ってないともったいないぜ。更年期か?』」

「『はー、マジで死なねえかなこいつ、ですわぁ〜。シバき倒されてえんですの?』」

「『え、マジで? ご褒美じゃん。ケツ出すからちょっと待ってくんない?』」

「『おい運営!! 今ですわよ! このクソド変態をBANしやがれくださいませぇ〜〜っっ!!!』」

 

 メルヘンチックな女性───アンナの鬼気迫った表情が画面を独占する。が、むなしくもその訴えは運営に届かなかった。

 ソル子くんはアンナを押し退け、自身と観衆たちをカメラに入れる。

 

「『ところで、お前らは世界中で配られてるっつう薔薇十字のビラ知ってるか? 魔術の徒って冗談みてえな話だが……今回はウチのマネージャーが真相を掴んだらしくてな。みんなで確かめようって話だ!!』」

 

 彼は画面の向こう側にばちくりと星が飛ぶような目配せをキメた。

 

「『今日の配信タイトルは〝大英博物館の謎を暴け! 地下に巣食うオカルティストの真実とは!?〟───さあ、行くぜ!! 見てろよオレのカワイイ市民ども!!』」

 

 ノアとエルメロイⅡ世はしばし沈黙し、大きく目を見開く。

 

「「……………………はぁ!!?!?」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寄せては返す波の音に誘われて、意識が緩く引き戻される。

 ざり、と手をつく地面の感触は柔らかい。手のひらにいくつもの細かい砂が付着し、曖昧な思考のままにそれをはたき落とした。

 立ち上がり、辺りを見渡す。

 そこは海辺の砂浜。濃い霧に太陽光が遮られ、ひんやりとした空気が肺に満たされる。自家用機が砂浜に体を横たえ、そこかしこに従者たちが転がっていた。

 彼女らの安否を確認すべく、駆け寄ろうとしたところで、ふと音が聞こえる。

 それはまるで、朗々と響く歌声のような音。ただし人間の音声によるものではなく、鈴を鳴らしているような、金管楽器を吹いているような音色だった。

 

(まるで、この土地そのものが歌っているような───────)

 

 ゴルドルフ・ムジーク。彼は靄がかった思考をする頭を擦り、深く息を吸い、そして吐く。自己の管理は魔術師の基本だ。たったそれだけで、彼は清涼な思考を取り戻す。

 

「安心するといい。みな眠っているだけだ。傷ひとつついてはいない」

 

 不意に背中を刺す声。直前まで気配さえ悟らせなかったことに戦慄しつつ、ゴルドルフは振り返った。

 そこにいたのは、片手に牛乳パックを握った少女────というより、幼女だった。薄い紫色を帯びた白い長髪は白浪の如く波打ち、各所に薔薇の意匠をあしらったゴスロリ衣装を身に纏っている。

 さらには、薔薇の花弁をそのまま摘み取ったかのような眼帯。右眼をそれで覆い、対となる蒼い左の瞳がゴルドルフを愉しげに眺めていた。

 

「今、彼女らを目覚めさせよう」

 

 薔薇の幼女が指を弾く。

 その動作だけで眠りこけていたホムンクルスたちは覚醒し、ゆっくりと体を起こし始めた。

 ゴルドルフは拳を堅く握りしめ、幼女を見据える。

 

「君は、誰だ?」

「うむ、よくぞ訊いてくれた。自慢するほどの名ではないが、貴殿らに知ってもらいたいと思っていたんだ」

 

 幼女は、島中に響くような大声で叫ぶ。

 

「───我こそは『秘密の首領(The Secret Chief)』、()()()()()()()()()()()()()()!!! 貴殿らの到着を全霊で歓迎するぞ! 是非我らで世界をともに救おうではないか!!」

 

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