「はぁ……はぁ」
ひどく頭が痛む。吐き気も、した。
「生き……てる?」
ぼやけた頭を働かす。
破けた記憶から、何をされたか思い出そうとした。
朝、目が覚めて。森を抜け、酒を飲まされてそれから……
「また、殺されたんだ」
自分でも驚くほど落ち着いている声が出た。
もう、二回だ。殺されたのは。
死ぬことや遊ばれることに慣れてしまったのかも。自分の感情ほど自分は分からないものだからそれも仕方がない。
窓から入ってくる光は思っていた以上に暖かい。現実の世界になくなってしまった心地良さがある。
「現実……か」
ぽそりと懐かしむように呟く。
ここは、夢なんだろう。死んでも生き返るし、私の体も現実離れした綺麗さがある。
でも、食事や歩くのが妙に夢っぽくない。呼吸も歩く動作も一つ一つが現実に近いようにも思えた。
コン、コン、コン。
「入るわよ、赤ずきん」
ノックの音で考える時間は終わった。今日をどうするか考えなきゃ。
「はい」
「あら、起きてたのね」
カチャリと聞こえて慌てて扉の向こうの女性に声をかける。
「着替えたら、すぐ下に行くよ」
「そう? ゆっくり着替えてからで良いからね」
扉は開かずに、ドアノブの音だけが部屋に響く。
「早く着替えないとね」
窓ガラスに映る私が呟いた。
体を起き上がらせて、クローゼットから一組の服を取る。
服を脱いで、改めて自分の体をまじまじと見る。
容姿は十代前半くらいだろうか? 胸の膨らみは少しだけ。煤に焼かれていない白い肌もつやがあって、ぷにぷにと柔らかい。それに――
はっ。
自分で遊んでいる場合じゃなかった。急いで赤ずきんに着替えてお使いに行かなきゃ。
階段を下る。キッチンに向かう。席に着く。
「いただきます」
変わらない。自然と体が三回目の動きをする。
毎回、同じメニューは同じ。おかげで早く食べることができた。紅茶を飲みながら、女性に顔を向ける。
「ねえ、お母さん」
今は、とにかく庭の場所を聞かないと。
「なあに?」
「おばあさんの家に庭ってある?」
「庭?」
女性は悩んだ仕草をしてから紅茶を飲む。
ごくりと喉を鳴らしてから、口を開いた。
「玄関の扉の左側にあった気がするけど、どうしたの?」
「お、お花とか咲いてるかなって?」
見た目は十歳くらいだし、たどたどしく話していても大丈夫だよね?
「うーん、あんまりそういうのが好きな人じゃないから、育ててないと思うけど」
「ううん、良いの自分で確かめてくるよ」
「そうね、もしかしたら咲いてるかもしれないしね」
あるならそれで良い。狼は庭に見つけられたくない物を隠しているはず。
そうと決まれば――
「それじゃあ、行ってくるね」
ガタンと勢いよく立ち上がり、軽くストレッチをしてから、置いてあるバスケットをひったくるように、掴むと玄関まで走る。
ブーツを履き、扉に手をかけた。
「あ、赤ずきん。森に狼が出るかもしれないから気をつけるのよ」
女性の驚いたような声が後ろから聞こえた気がした。
――
「そこのお嬢さん」
「ごめん、急いでいるんだ」
カタカタと赤ワインが小突く音と走りながら、茶色の彼が目の前に現れて、声をかけてきた。
私は止まらずに、彼の真横を通り過ぎる。
「えっ?」
「お話なら後で聞くから、また後で」
「えっ? え?」
後ろから戸惑う声をぽそぽそと呟いているけど、私にも時間がない。
そんな私の背中を押すように風が吹く。
後ろにいた彼には申し訳ないけど追い抜く。追いかけてくる気はないみたいだ。
庭で探し物をするなら、なるべく早く着きたい。
ごめん、後で来るからその時に話そう。
――
日が少しだけ傾いている。それでも前回よりも断然早く森を抜けられた。
まだ夜からは遠い。
森を抜けて少ししたところにある、家を見てから、走る。
肺が痛い。息もしづらい。足も棒のようになっている。だけど走る。
ぜぇぜぇと肩で息をしながら、家の前で座りこむ。
「……あそが、庭?」
玄関から少し左にそれた場所に、私の腰くらいの簡素な柵が立っている場所があった。
いかにもと雰囲気を出していて、すぐにあれだと思った。
キョロキョロと回りを見渡す。もしも、狼が見ていたら危ないから。
二回のおばあさんの部屋の窓が見える。板が打ちつけられていて、外は見えそうにないのを確認してから柵をまたぐ。
「うっ……」
柵を境に強烈な臭いがした。
血。
体から出る不純物。
――それと腐った死体の臭い。
庭の真ん中には一つの死体があった。
首から上がない両手を投げ出した死体。
両足が膝からなくなって、服は着ていない。腹からは全部の臓器が支えもなく外に飛び出ている。
鼻をつまみながらその死体に近づく。
近くまで来て気がついた。
この死体、何かを握っている?
死体の左側に屈んで手に持っている物を確認する。
「……これ。拳銃?」
右手には、拳銃が握られている。
「なんで?」
赤ずきんに拳銃は出なかったはず。
「けど」
これを使えば、狼も。
少し悩んでから手を合わす。
『ごめん、借りるね』声には出なかったが、この言葉が伝わっていると信じて銃を死体から拝借した。
右手からグチュリと腐った肉の音。
あまり、心地良い物でもない。でも、悪い気もしない。
左手から長いチェーンが見えた。
ペンダントだろうか。
結局、左手は開けずに柵をまたいだ。
何となく目の前の人にとって大切な物が握られている気がしたから。
扉の前に立ち乱暴に開ける。いざ、逃げられるように扉は閉めなかった。
玄関から休みなく階段を駆け上がる。階段は外れそうな音がした気もしたけど、無視をして上がる。
狼はこの音に気がついていない? 今から殺しに行く私が思うのもおかしいけど、もう少し用心しても良いんじゃないか?
まあ、良いか。
奥の部屋に立ち、深呼吸をする。今までのと違う呼吸。
息を止めて目を開き、ノックをせずに扉を開ける。
「おや? 赤ずきん?」
驚いた声を狼はしたが無視をして近づく。拳銃を背中に隠し、狼には見えないように少しずつ。
「ごめんなさい。おばあさん、興奮してしまってノックするのを忘れてしまったわ」
近づく。
心の中の興奮は止まない。
「おやおや。でも、通り所からありがとうね」
近づく。
狼はまだ、気づいていない。
「お薬とお酒はテーブルの上に置いていいよね?」
――3
「ええ、そうしてちょうだい」
銃を隠しながら、バスケットを置く。
――2
銃が後ろのテーブルにぶつかり狼の肩をぴくんとすくめて軽く上がった。
かんと小さく音がたち、ドクドクと私の心臓が鳴っているが気がついていないようだ。
はぁとため息をついてから、狼に近づき、ゆっくりと構える。
暗闇のせいでこちらもよく見えていないのが幸いして、外さないであろう位置で銃を構えられた。
――1
「所で赤ず――」
赤ずきんそう言いながら私に振り向こうとした瞬間に、指に力を込める。
バンッ。
静かに銃声がなる。
銃の口から煙が上がり火薬の匂いがした。
「グぁ?」
狼は何が起きたのか分からないのか、銃が命中した腹部に両手を押さえながら変な声を出した。
「ふふっ」
笑顔になり、ふがいなく声が漏れた。
こんなにも笑顔になれたのは何年ぶりだろうか。
続けて右足を大きく上げて、そのまま踏みつける。
「ぎイィ、ぃぃぃ」
足を擦るように動かすと、悲鳴が聞こえる。
顔を覗くと涙や鼻水が顔いっぱいにためて、みすぼらしく泣きはじめた。
まだ、銃で撃たれたことが現実だと思っていないのか、あまりの痛さに「やめてくれ」と連呼している。
これが、私を弄んだ狼? 涙で顔面をぐちゃぐちゃにしているこれが?
「がいしんするがらぁ。な、何でも。何でもじまず」
銃を構えていると、譫言のようなことを口にしている。
何でもする?
「じゃあ、死ねよ」
バンッ。
二発目の銃弾は狼の胸の左側に当たる。火薬の匂いと焼けた肉の匂いがひどく混ざった。
「ガヴッ」
撃たれた場所から血が出て狼は脇腹を押さえていた。その狼に近づき銃口を向けると、涙をひたすら出し「ごめん、やめて」とぼそぼそと祈るように呟いている。
ふっ。
私が鼻で笑うと、狼は化け物を見たように恐怖した顔をした。
もう一度、銃口を向ける。
最初に頭。次に足。最後に胸の左側に合わせてから、スゥッと軽く息を吐いてから、指に力を入れた。
カチ、カチ。
引き金に力を入れても、音が鳴るだけで銃弾は一向に出てくる気配はない。
「まあ、いいや」
がらんからん。銃が音をたてながら滑る。
銃が壁に当たったのを目で追って見終わり、テーブルの方に行く。
バスケットから、赤ワインのボトルを両手で持ち上げる。
ツカツカと狼の方に歩む。
「好きなんでしょ? ワイン」
「ヒィ、ヒィィ」
情けない声にゾクッとする。
「じゃあ、これで死ね」
ワインボトルを振りかぶる。両手で握りしめて、逃げられない血だらけの狼に正面から。
頬が熱くなる。口角が上がる。心がもっと痛めつけろと語ってきた。
くるくるとちかちかとくらくらと溢れて混ざる。
楽しい。
嬉しい。
笑いたい。
愉快な感情が快楽を求める。全身が下半身がきゅんとうずいて、涙が出た。
涙?
ああ、涙か。
私は何をやっているんだろう。
手を離したい。痛めつけたくない。殺したくない。
痛めつけて弄ぶなんて、目の前の狼と同じじゃないか。そんなことやりたくない。
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
手を離さなきゃ。逃げなきゃ。謝らなきゃ。
「あああぁぁぁぁぁぁっ!?」
カラダハイウコトヲキカナイ。
振りかぶったワインボトルを、放せない。
――そうか。
私はもう、人間じゃないんだ。目の前の狼と一緒なんだ。
バキッン。
割れる音がした。
ふと、見た壁に新たにこびりついた血が反射して、鏡のように映る。
倒れる狼と、笑っている私がいた。
――
夜の森を走る。
「はぁ……はぁ……」
吐く息は白い。
帰りは手に持っている物がないおかげで、行きよりもずっと速く走れた。
私が逃げるように走っているのは、罪悪感があるから。
殺されなきゃ、殺される。だから、仕方がなかったのかもしれない。だけど――
考えれば考えるほど、血だらけの狼を殴る光景が延々と繰り返している。
ふいに頬に温もりを感じた。頬をぬらして、熱かった頬を垂れてくる一粒の後から、段々と冷めていく。指ですくい上げる。
私の涙か、葉っぱについていた雨粒か。正直どちらでも良いが何となく助かったと思ってしまった。
でも今は家に帰ること。それだけを考えれば良いか。
「お母さん、ただいま」
扉に鍵は掛かっていなった。ノックもせずに開ける。
「お帰り、赤ずきん」
女性の声が聞こえた、緊張がほぐれたのかその場で項垂れるように座りこんでしまった。
「赤ずきん?」
何時までも来ない私を心配して、リビングの方から女性の声が聞こえる。
「どうして。どうしてこんなに血だらけなの!」
全身についている赤が、元々の赤ずきんの赤じゃないことで血に気づき、焦ったようにこっちらに近づく。
「おばあさんが死んでて」
上手く言葉が出ない。どこから話さなきゃいけないのかも分からない。けどしっかりと話さなければいけないそんな気がした。
「狼を殺したの」
「そう……」
狼の血で汚れているのに女性は私を無言で抱きしめた。
「汚れるよ? お母さん」
「いいの、いいの……」
女性は泣いている。自分が狼を殺してしまったことのようにすすり泣いている。
「無事で良かった。貴女まで死んだら私どうなるか分からなかった」
泣くのを止めて、私の顔を覗きこむ。
そんな女性の薄い緑色の目に、私は改めて見とれてしまう。
「とりあえず、今日は赤ずきんが疲れてると思うから寝て。明日また、考えましょう?」
「分かった」
明日。
その言葉にドキドキとした。
待ち望んでいた明日が今日を終わればくる。
「それじゃあ、おやすみ赤ずきん」
「おやすみ、お母さん」
お別れの言葉を吐いて階段を上り、自分の部屋に戻る。
血だらけの服を脱ぎ捨てて寝間着に着替えてからベッドに横になった。
「明日は良い日でありますように」
窓から見える初めて見た月に呟いてからまぶたを閉じる。
時間もかけずに眠気が私を呑み込んだ。