また、今回の話は飛ばしても大丈夫です。
差し込む光、鼻をくすぐる、木製の香り。そんな部屋で私はまた目が覚めた。
上半身を上げて、指横にある窓に指輪当てる。
外にある木を順番に、指で右に動かせば右の、左に指を動かせば左の木に視線を移していった。昔誰かに聞いたネコみたいに目を動かしてみる。
数回、繰り返すと目が十分に覚めて昨日のことを次第に思い出していく。
「そっか、私……生き残れたんだ」
朝この部屋で目が覚め。女性と話してからご飯を食べて。茶色い彼を追い抜いて森から庭に行った。
……それからのことも全部覚えている。
「そっか……そっ、かぁ」
私が、殺した。
「でも、もう良いんだ。死ななくて、殺さなくて」
ベッドに上半身を投げる。
見上げた天井を端から端まで見渡しても、天井はシミ一つなく白い。掴もうと右手を挙げる。天井が私には羨ましく思えた。
……でも、なんで夢から覚めないんだろう?
力なく手を下げて、そのまま下半身を触った。汚れていない、穢れた体。
何となく、嫌な予感がする。
コン、コン、コン。
ノックの音だ。朝を告げる彼女のノック。四回目の朝を私に教えてくれた。
「赤ずきん。入るわよ」
上半身を上げて、扉を見ていると変わらない顔で彼女が入ってきた。
「おはよう。赤ずきん」
「ねえ、お母さん」
不安定な声を出さないように振り絞る。
私には聞かないといけないことがあった。
「なあに?」
「今日、もしかして私に頼みたいこと何か在る?」
ひどく不安になる。全身の血液が勢いよく走るのを黙止し、私は彼女に「ない」よと言われることを願って聞いた。
「良く分かったわね」
数分の沈黙。空気が重く冷たく感じる。彼女は笑顔だ。だからこの間は彼女には意味は無いのかもしれない。急に私が黙ったから、合わせて黙っているだけだ。
口に出す言葉を探す。
無意識に握っていた掛け布団から力を口に移す。
「それって……どんなこと?」
おそるおそる、口を開く私の顔は彼女にはどんな風に映っているのだろうか。
頬から顎を伝って一滴の液体が落ちた。
「おばあさんの家に」
ドックン。
心臓がうるさく動く度に全身の熱が心臓に集まる。
ドックン。
嫌だ。
耳をリョウテデ塞ぎたくなる。私はその先は聞きたくない。
「お使いをしてきて欲しいの」
ギシリ。
何かが壊れる音がした。
「じゃあ、お母さん朝ご飯作ってくるから。着替えて下に来てね」
私が呆然としていると「ゆっくりで良いからね」と付け足して、笑ってから女性は部屋を出ていった。
「うっぷ」
震える嗚咽の声。息が詰まって上手く吸えない。手と足は冷たい。熱を奪った心臓は思い出させるために働く。
覚えている。
綺麗な光と空気の中で歩く感覚を。
「いやだっ」
覚えている。
狼に無理やり弄ばれたことを。
「なんで……なんでよ」
覚えている。
――私の手で狼を殺した感触を。
『あぁ、美味しそうに熟して。本当はお前も望んでいたのだろう?』
狼が無抵抗な体を撫でている。私の体の指導権なんてとっくに睡眠薬で狼の物になっている。
体からクチャリといやらしい水の音をたてた。
『頬もそんなに赤くして、嬉しいんだな』
気持ち悪い。
そんなこ、ただの人間の生理現象だ。体を傷つけないようにする生物学のプログラム。
私が殺されるまで続いた狼のモノが私の中をかき混ぜる行為には不愉快しかなかった。
赤ワインの後にナニを飲まされた?
『あぁ、飲み過ぎたなぁ』
ゲラゲラと下品に笑っている。
『少し、用を足そうか』
トイレに行く。狼は確かにそう言った。
行っている間に、この部屋から逃げ――
『よいしょっと』
『らり……してりゅ?』
狼は外の扉に近寄らずに酔っているこちらに近づいて来た。
『何って、分かるだろ?』
『やりゃ……』
『汚すなよ』
鼻に押しつけてから、口を広げて喉仏に押し込む。
『ウぐっ』
『あはは』
狼は笑っていた。私を見てただ笑いながら、アンモニア臭のする液体を私の口の中に注いだ。
黄色い液体まみれになった私を誰かが嗤っている。
「あぁぁ」
手を握って、自分の足を殴打する。何回殴って手も足も赤く腫れた。
それでも、自分の体を殴り続ける。
「うっぷ」
自傷行為をして、痺れて痛みを感じなくなった。疲れて手は高く上がらない。
「いやだ。おねがい、上がってよ。上がってよ!」
腕が少し上がった。狙いが足から逸れて力ない音がベッドからする。
動きを止めると思い出したくなかった臭いとつられて食道が無理やり開けられる感覚。味も思い出したせいで、気持ち悪く感じた。
「ぉぇ」
片手で口を押さえても、指の隙間から黄色い吐しゃ物が溢れる。ぽたぽたと、液体がベッドに垂れるのをただ見ていることしかできない。
不快だ。
嘔吐物の臭いはあの死体を連想させられる。
何もできずに、何もやり遂げられずに、死んでしまった人間。私も、あんな風に殺されたのだろうか。
狼の欲を発散するために白色に汚して。何日も奴隷のように扱われる。やりたい放題してからあんな風に。
換気をしないと。この臭いは、私は嗅ぎたくない。
窓の縁を横に開けようと口を押さえていない手を伸ばす。
手は空を切ってしまった。
「あれっ?」
もう一度、手を伸ばす。今度は壁に爪を引っかける。
「なんでよ」
もう一度、手を伸ばす。角に手が当たる。
もう一度、手を伸ばす。キィィと爪と金属が擦れた。
「なんで」
何度手を伸ばしても、私には窓を開けることができないと告げた。誰が? 私が。
「あぁぁぁ」
声が出る。涙と一緒に。
涙を押さえようと黄色い液体だらけの手を顔に押しつけた。胃液と涙が混ざる。大きく開いた口に混合物が入り込む。
しょっぱくて、苦くて、酸っぱくて。
分からない。もう、分からない。
どこからか風の音が聞こえた。遠くから吹いて窓を叩いた。汚い液体だらけの醜い私を責めるように風は強くなっていく。
「……いやだ。嫌だ」
うずくまる。勢いをつけて誰も支えないまま音をたてて顔を打ちつけた。
涙が私を燃料にしてまた、溢れ出る。
この涙が枯れたら、私は死ぬのだろうか?
――それでもいいか。
「ご飯冷めちゃうわよ?」
扉の外側から誰かの声が聞こえた。
窓はまだカタカタと嘲笑うように揺れている。
「赤ずきん?」
「赤ずきん?!」
目の縁に扉が勢いよく開いたのが見えた。部屋に充満する臭いを嗅いだからか、ベッドの上でうずくまっている私を見たからなのか目を丸くしているように見える。
しばらくそうしてから慌てて私に近づいて来た。
「私……私……」
「赤ずきん」
名前を優しく呟いてベッドに腰掛けている私の横に座る。
「あっ」
そこは私の嘔吐した場所だった。
「いいのよ、気にしなくて」
唾液と胃液だらけの私を身を引き寄せ抱きしめた。女性が汚れるのに。ためらいもなく私に触れる。
「うっ、うっ……」
「今は泣きなさい」
私は泣いた。一人じゃなくて、初めて誰かと一緒に。
背中をトントンと女性は子供をあやすように耳元で呟く。
子守歌のような彼女の言葉が、耳から脳へ直接流れてくる。
眠気がお互いの熱や言葉を伝ってまぶたが閉じていく。女性の顔を見上げる。何も伝えていないのに、何か悟ったのか私が何かを言う前に彼女の口が先に開かれた。
「おやすみ、赤ずきん」
私はその言葉を聞いて、ゆっくりと意識が落ちていった。
それから、私は何日も優しく抱かれ、私は
……だから、これでオシマイ。