―――何を私は期待していたのだろう。何もない私が、空っぽな私が、いったい何を掴むことができたというのだろう。
勢いのままに教室を飛び出したものの、どうするというあてもなく、凪夢は校舎を歩いて回る。すると、凪夢の耳にキーンコーンカーンコーンと、授業の始まりを知らせる鐘の音が聞こえてくきた。このまま教室に戻る気にもなれない凪夢は、その足を気が付けば屋上へと向けていた。
当たり前といえば当たり前だが、屋上に人の気配はなかった。屋上から見える景色は、3年前のあの日に見たものと同じ、どこまでも澄んだ青い海に、境界線が曖昧な青空が重なっている。浦の星女学院の屋上でも見た光景と重なってしまい、不随するように彼女、白音との記憶も戻ってくる。
あの日から、きっと白音は宣言通り、ラブライブに出場することを目標にやってきたのだろう。私が踏み出すことができず、あの屋上から動き出せなかったのとは違い、彼女はきっと進み続けていたのだ。わき目も振らず、一身に前だけを見ていたのだろう。私なんかと約束を守るために。
「――――何でよ、何で、私なのよ」
嗚咽交じりに零れる泣き言は、春先の空気に消えていく。幸いなことに屋上には彼女以外の存在はいない。その悲し気に響き渡る涙交じりの声はいつまでも誰に聞かれるということもなく、しばらくの間流れ続けていた。
――――――――――――――――――――――――
凪夢が教室を飛び出した瞬間、光莉は彼女を追いかけるか考えて、考えた挙句、追いかけるのを後回しにすることにした。それなりに長い付き合いだ。こういう時の凪夢がどうなっているか察しくらいはつく。
だから、光莉はもう一つの要件を片付けることにした。
「へーい、ちょっと良いかい転校生。お姉さんと良いとこ行かない?」
「……生憎、校舎案内は別の方にしてもらう予定ですので」
「察しが悪いな、面貸せって言ってんのよ、こっちは」
「お互い様でしょ? とっとと視界から消えてって遠回しに言ってあげているのに」
苛立たしいのだろう、先ほどまでの余所行きの受け答えは鳴りを潜め、けんか腰に言葉を返してくる。ああ、たぶんこいつはこっちが素だな、と光莉は初めて話した間柄のはずなのに、白音の性格について確信に近いものを感じた。
「転校生の目的も凪夢fちなんでしょ? それなら、きっとお互いの目的は一致していると思わない?」
挑発するように、光莉は白音を見た。その視線に真っ向から睨みつけながら、白音は
「……良いわ、行きましょう」
といい、立ち上がり教室から光莉と一緒に出ようとする。
「おい、お前たちもうすぐ授業……」
そんな二人を慌てて止めようと、次の授業のために来ていた教師が声をかける。しかし、その瞬間、歩き出していた二人の足はピタリ止まり、くるりと顔を先生に向けた。
彼はの後にこう語った。微笑みって威嚇と同意って本当だったなと。
「ごめん先生、今からトイレ行ってくるから」
「私もお花を摘みに行きたいので」
『ちょっと待ってて(くださいますか)?』
「あ、はい」
こうして二人は連れ立って教室から出ていく。姿が見えなくなった瞬間、教室中から安堵のため息がこぼれたのは言うまでもない。
「この辺でいいかな、転校生は何を飲む?」
そういって光莉が連れてきたのは学校の自販機コーナーだった。
「私のおススメは長崎名物カステラソーダなんだけど?」
「……どこをどう聞いても悪意しか感じないのだけど……私は紅茶にするわ」
光莉は白音の言葉に小さく「そっか」と返事をし、買ったものを白音に向かって軽く投げて渡す。落ち着いて受け取ったように白音だったが、それが思った以上に熱く、握った瞬間に「キャッ」と声を上げた。
「言い忘れてたけど、うちの自販機、温度設定バクってるのよね、ホットだけ異様に熱いの」
「絶対に分かっててやったでしょ」
「まあね」
「いい性格してるわよ、ほんと。それで、わざわざ授業を抜け出してまでつれてきたのだから、話したいことがあるんでしょ?」
目を細め、睨むように白音は光莉を見た。それに対し、光莉は特に気にした様子もなく、白音に話しかける。
「凪夢っちとの関係についてちょっとね、聞きたいことがあった」
「……あの子との関係、ね。そうね、私にも良くわからないのよ」
本当に、心の底から分からないという風に白音は答える。そんな様子の白音に警戒心をむき出しにしながら光莉は尋ねる。
「――――面倒だから直球で聞くけど、お前が、昔に凪夢をいじめてたってのは?」
「……は? そんなわけないじゃない。私、あの子と会ったのは1回だけよ」
白音の言葉に、光莉は目を見開き、額にぶわっと脂汗をにじませた後、「あちゃぁ……」と顔に手を当てた。そして大きくため息をつくと、がばっと頭を白音に下げた。
「ごめん! 完全に私の早とちりだった!!」
「……まあいいわ。何となくそんな感じはしていたし」
そんな光莉を冷めた目で見る白音に、光莉は必死に頭を下げ続けた。
「逆に聞くけど、あの子、凪夢とあなたは知り合ってどれくらいになるの?」
「凪夢っちと? 確か中学3年の時にこっちに越してきたから、2年くらいかな」
「その間に、あの子の口から『スクールアイドルになりたい』って言葉を聞いたことはある?」
白音の質問に対し、光莉はどうだっただろうと昔を思い出そうとする。覚えている限り、一度も彼女の口からそう言ったことを聞いたことはなかった気がする。
―――待って、一度だけ、そう、一度だけあった気がする。
「……確か、私に、高校入学前に動画を妙に勧めてきたような。確か、Aquarsってスクールアイドルの動画で……」
引っ込み事案な凪夢があの時だけは妙に押しが強く、見終わった後に動画の感想を聞かれたはずだと、光莉は思い出す。その時に自分はなんて答えたのか。
「確か、みんな綺麗で、輝いてて、私には到底できないって……」
白音は光莉の言葉を聞き、そして腰に手を当てながら大きく息を吸い込むと、はあ~と大きくため息をつく。
「……馬鹿ね、凪夢。あなたが気にすることなんて何もないじゃない」
そして、少しだけ嬉しそうに頬を緩ませた。そんな白音の様子が気になった光莉はもう一つ、気になっていたことを尋ねた。
「ねえ、転校生。あなたが凪夢っちと出会った時のこと、私にも教えてほしいの」
「良いわよ。でも、聞いたからにはあなたも巻き込むことになる知れないわよ?」
「巻き込む、ね。私もたいがい察しが悪いほうなんだけど、今思っていることが確かなら、私は凪夢に謝らないといけないからさ。だから、白音。凪夢としたって約束、私にも教えてよ」