愛宕の大天狗は好かれ妖怪 作:FXで有り金全部溶かしてそう
酷く懐かしい夢だった。
無意識に細部は忘れてしまっていたが、記憶には残っていた。その無意識の記憶は、夢という世界において隠れていた世界を呼び起こす。
酒呑童子は、定住地を持っては居なかった。
今でこそお気に入りの鬼、茨木童子に好かれて好意の下で大江山に巣食い、どちらが首領か分からないとまで言われているが、酒呑は大江山の生まれという訳では無くて昔は拠点も持たない旅人ならぬ旅鬼であった。
比較的に妖怪としての生も浅く大江山に至る時よりも前の前、酒呑童子という名すら多くの人が知らず、漠然と日を過ごしていた頃。
愛宕山を訪れたのは完全な気まぐれであった。
当時、「愛宕山の天狗」太郎坊の名は既に多くの人々の間で行き交うほどに轟いていたが、それは決して畏怖や軽蔑を含んだ物では無く、むしろ好意的な物が多かったと覚えている。
「居なくなったと思っていた子が帰ってきた」
「足を悪くした祖父に変わって畑を耕してくれた」
「近所の盗賊を懲らしめてくれた」
そんな普通では信じられない程の人間からの評判、初めて聞いた時は酷く驚いたものだ。妖怪が人の話題に挙がる時と言えば暗い事しかない。それが普通にも関わらず聞けば聞くほど太郎坊という妖怪への評判は揃いも揃って良い物ばかり。
そして何よりも
「形容の出来ない程に美しい」
「影ですら輝いて見えた」
「仕草の一つ一つが人を惹き付ける」
と言った「美貌」に関する噂も絶えなかった。
(そそるわぁ…)
酒呑童子は、当時から美しい物には目がなかった。
百人に問えば百人が彼の所行、そして万人に通じる美しさを認め、褒めて、讃えた。愛宕山に近付くにつれてその声は大きくなっていく。
無論、あくまで彼の話は全て噂の域を出ないが京の人々の噂話は馬鹿には出来ない。
国の中枢である都が置かれ、多くの美しい物に触れて育つ京の人々の見る目は育つ過程で嫌でも肥え、確かな物となるだろう。
それなりに大きな人里の通りを周りに流され、押されて前に進む。流石に角を晒して人里を歩けば騒ぎになってしまうので酒呑は飾り付きの笠を被って角を隠していた。
笠に付いた紐通しの鉱物類が歩く度にしゃらりと揺れる。角が今ばかりは少し邪魔で、人に流される度に不安定な笠がぐらぐら揺れる。外してしまえば大騒ぎで防人やら衛士やらを呼ばれ、厄介極まりない事になると分かっているので、外す事も出来ない。
(あっ、ちょっと押さんといてや。ちょっと通らせて…だから押さんといて!?)
決して広くない通り、そこを通り抜けるまでまだまだ時間は必要だろう。それも片手を気にした状態ならば尚更だ。
結局、彼女が通りを抜ける頃には真ん中に登っていた白光色に日は橙色の陽となり、奇しくも妖怪にとって最も活発になる時間帯だった。
この時間帯ともなれば屋敷を警護する衛士を見かける事もあるが、滅多に人は居ない。節介な衛士であれば、幼い少女が夜歩きをしているのを咎めでもしそうではあるが、生憎多くの衛士は面倒事に触れようとしない。ただ自身の主人が無事であれば咎められる事も無い。
昼間の喧騒は、まるで引いた波のような静けさでかき消され、聞こえる音と言えば歩く度に擦る砂音だけ。それが所狭しと四角詰めになった建物に当たっては響く。
しかし、人里を抜ける頃には陽は沈み夜と始まっていた。行き先は未だ遠く、これから何日も有るき続け無ければならないが、それはあくまで人間の話だ。
酒呑は妖怪、それも鬼という指折りで高位に君臨する程の。彼女にとっては今からが本番であり、人が少なくなったからこそ全力で駆ける事が出来るという物。
不夜とまでは言えないものの、篝火の
「ふぅ…疲れたわぁ、少し堪えるなぁ」
愛宕山へ付いたのはそれから一刻もしない時間。鬼特有の驚異的な身体能力を余すこと無く使い、愛宕山の麓へと到着した。
登山道もろくに整備されていないこの時代、昼間ですら山を登るのは大変であるのに夜に山を登るような酔狂な人物は居ないだろうが、酒呑が見たのは愛宕山の入山道に並ぶ長蛇の人の列であった。そして辺りには、あまりにも多い篝火が掲げられていて昼のように明るい。不夜と呼んで差し支え無いような明るさだ。
しかし人がここまで集まっているのは何事だろうか、幾ら太郎坊が友好的だとは言えわざわざ訪れる理由もあるのだろうか?
「あのぅ、すんまへん」
「うん?お嬢ちゃん、最後尾は此処だけど」
「そうちゃうくて…これは何の列どすか?」
酒呑が話しかけたのは列の後ろで並び、「最後尾」と書かれた布旗を掲げていた烏天狗。よくよく見れば烏天狗は一人だけでは無く、篝火に薪を焚べる者、人列の乱れを防ぐ者、慌ただしく飛び回る者などと、何かに対して団結して動いている様子。
「ああ、お嬢ちゃんは知らないのかもしれないけどね…難波の都の宮室が燃えちまったんだとよ。んで火が収まったから
火産霊命、別の名をまた
日本を生み出した創世神の一柱、伊弉諾尊を焼き殺した火の体を持つ神の名。それが此処、愛宕山の愛宕神社の祭神だったか。しかしそれもまた妙な事だと、酒呑は思う。
人間の作ったモノ。それもまた自分とは殆ど関係ないものに何故そこまで関心を寄せるのか。
それを疑問に思ったものの、この妖怪は元々変だった事を思い出すと最後尾に並んだ。そしてそれから二刻ほど待ってから、漸く列が動き出す。
(やっとかいな…)
この時点で酒呑は大分疲れていた。肉体的にはまだまだ余力はあるのだが一睡もしていないと言う事実が精神を疲弊させた。パッと見たら早く帰ってそこらで眠ってしまおうと思いながら、少し高い畳の上に座った。
正面には木の梁で作られた二間程の周り大きさの台がある。周りには橙色の提灯が重なり、必要以上に明る過ぎず、暗くもない。
しゃらり。と
鈴の音が鳴った。一呼吸遅れて乾いた木を踏む音が耳に滑り込む。
美しい麗人だった
いや、美しいと一言で済ませて良い物では無い。むしろ何かを形容する事すら合わない、それほどまでだった。
無機質では無い薄紅白の顔には計算されつくされた位置で目鼻が飾られ、淡雪の中に紅蓮の花を咲かせるように赤よりも紅い口が在る。酒呑はこの人物こそが太郎坊だと悟った。
無垢で、無邪気で、不浄で、それでいて淫靡だった。
『神の
声までも美しいのか、と酒呑は呆然と思ったばかり。それ以外は考えられる事も考えられない。麗人が一礼すると舞は始まった。
時に、燃え盛る火のように激しく
時に、
時に、風のように雅に
時に、鳥のように豪快に
酒呑は何も思えず、ただ目の前に広がる圧倒的な「雅」に心を震わせていた。
しかし、それもやがて終わりを迎える。最期に一際高く鈴の音が響くと同時に舞の動きは止まった。出口際まで引き下がると麗人は一礼し、最初と同様に闇に飲まれて退場をした。
(あかん…うちとしたことが…すっかり蕩けさせられてもうた…)
自分の体が、角が、火口のように火照っているのを感じる。
触れることもなく、ただ姿を見ただけだと言うのに酷く高揚している。ならば触れてしまえば本当に溶けてしまうのではないか。でもそれもまた良いと酒呑は笑む。
その笑みは、酷く無邪気で愉悦に歪んでいた。
「なあなあ、そこの人ちょいとええか?」
「ん?何かy…」
「眠っておくれやす」
愛宕天狗の屋敷、そこでも最も大きな屋敷に酒呑は忍び込んだ。首領であるのなら最も大きな屋敷に住むのが道理であるものだろう。屋敷を警護していた天狗には自分の持つ最も強い酒の匂いを嗅がせた。鬼でも一口で酔い潰れてしまうような強い酒の匂いに、天狗は瞬く間に気絶した。「かんにんなぁ」と天狗に声を掛けて屋敷の中に侵入を果たした。
ヒバの柔らかい感触を足に感じながら廊下を静かに歩く。屋敷の中は外見相応に大きな物で部屋の数も一つや二つでは収まらない。屋敷内を彷徨い続け、二階に向かう。
(こことちゃうか?)
其処は唐突に広がっていた。
床の色があからさまに変わり、廊下にも関わらず壺や絵が等間隔に飾られていて、そこだけの雰囲気が浮いていた。
床を歩こうと一歩、足を動かす途中で酒呑は動きを止めて右足を空に浮かせた。
(鶯張り…用心深いなあ)
踏めば軋みによって音が鳴る防犯用の床、用意に歩けば瞬く間に侵入者の居場所を示すだろう。とは言え、昏睡した見張りもそろそろ見つかっても可笑しくは無いのだが
しかし床が歩けないとなれば少し面倒だ、しかし——手段が無い訳ではない
酒呑は少し下がると助走を付けて壁を踏む。そしてそのまま一歩、二歩と音を立てずに壁を走破しきる勢いのままで。曲がり角の度に壁を飛び移り、長い長い廊下の邪道を駆ける。
「ほっ…思うとったでり長かったわぁ…」
横開きの戸の前に音も無く着地する。廊下の全長は蛇行していて、予想以上に時間が掛かった。
戸の中とまで行けば流石に鶯張りでは無い。一々生活する上で音が鳴るのは煩わしいだろう、よほど大らかでなければ気が参ってしまう。
部屋の中には一つの仏壇と高鼻と赤顔が特徴的な面、そして僅かな花が花瓶に生けられているだけだ。一族の首領としてはあまりにも質素な部屋。酒呑はそれらの装飾品類には目もくれず、上着を脱ぎ払って部屋を隔てる唯一の襖を開く。
「ふふっ、おばんどす。太郎坊はん」
すっかり更けた夜、自分の見立てに間違いはなく。その部屋は太郎坊の部屋だった。
行灯は完全に消され、寝室の光加減が僅かに変わるがそれも一瞬のこと。激しい舞を終えた太郎坊は完全に疲労困憊と言った様子で横たわって眠っていた。
本来であればこのまま布団に忍び込んで愉しむつもりであったが…酒呑の目にソレが映る。
妖しく、一度目に付けば惹かれてしまうソレは酒呑の「愉しみ」を遅らせるほどの爆発的な破壊力を持っていた。
おずおずと、酒呑の手は震え動く。そして…ソレに触れた。
「あぁ…柔いわぁ…」
ソレは翼だった。
天狗が天狗たる特徴。色も質も輝きも千差万別な物だが太郎坊のソレは、天狗の首領らしく他者とは一線を画す物だった。
翼の色は黒、しかし光っている黒、例えるなら墨ではなく黒い金剛石の色。触り心地は何に例えよう、この靭やかで柔く滑らかな感触を。ようやく生まれつく比喩は「人を駄目にする」と言う物。
酒呑は共に美しい翼の感触を味わいながら、所有者の眉目秀麗な寝顔を見つめる。
正に至福
そんな極上の時間を酒呑は過ごしていた
「太郎坊はぁん…」
「お呼びですか?」
突然、声がした。
体が、脳が止まる。あまりにも予想外だったので本当に脳が止まったのかもしれない、またひょっとすると一種の現実逃避なのかもしれない。
「何か私に御用ですか?」
――目が合った。
驚くというレベルじゃない、だって完全に眠っていると思っていたのだから。
何を話そう、なんて弁明しよう。そんな思考が一瞬だけ浮き上がり泡と消えた。
数秒間、静寂が訪れる。
それは脳が再始動するのに掛かった時間だった、そしてようやく自分が置かれた状況に気が付く。
勝手に人の部屋に忍び込んで、下着一枚姿で勝手に体を撫で回す?それってただの…
「変態ちゃうかあああっ!!」
酒呑の脳が選んだ答えは、拳
鬼の持つ怪力を込められた必殺の拳は吸い込むように太郎坊の鳩尾へと滑り込んで、確かな手応えと「ぐっ」と言う音を起こした。その為の右手、あとその為の拳
しかし悲しいかな、拳と言う物が他人との間に縁を結ぶのは男と男が殴り合ったときだけ。太郎坊は拳を食らった直後に再び眠りに付いた。
「やってもうたあああああぁ!!」
後の大妖怪。酒呑童子の悲痛な叫びが愛宕山に谺した。
不定期更新だよ、俺だもの
色々増えると嬉しいよ、俺だもの
感想もらえると喜ぶよ、作者だもの