愛宕の大天狗は好かれ妖怪 作:FXで有り金全部溶かしてそう
「うぅ…完全にやってもうた…」
その日は気持ちの良い朝だった。
カラリと程よく乾燥した空気が漂い、風も温かい、雲と青空の比率も百点満点だ。にも関わらず酒呑の気持ちは下降する一方。理由は明白で、昨日に起こした自身の過ちだ。
今さら思い直せば彼が起きたと分かっても、そのまま事に及んでしまえば問題はなかっただろう。しかし何の気の迷いか、酒呑は全力で腹パンを叩き込むという常軌を逸した行動を決め込んだ。
「うちの莫迦ぁ…」
半ば八つ当たり気味に側の木を殴る。ずどーんと間抜けした音が響いて、木が倒れると共に巻き込まれる形で何本かの木々が倒れる。それでも今のネガティヴ思考が完全に消える訳でもなく、今度は後ろに在る木を蹴り飛ばした。もう一度木が薙ぎ倒れる
そうして破壊活動をしていると、次第に楽しく気分が高調してきたのを感じる。昨日の失敗が何のその、だって地球上に男は何人居ると思っているの?三十五億人も居るじゃないか。
そんな何処ぞのキャリアウーマンのような思考に至ると、心が大分持ち直す。ふと気が付けば辺りの木は無くなって丸坊主となっている。きっと地上から見れば、此処だけ木々の織り成す緑色では無く味気のない土気色になっている事だろう。
じんじんと熱を籠めた手の感覚を嫌という程に感じながら山から降りようとすると、一際大きな木が自分の右近くに在ると気が付く。
「大きいなぁ…うちの何倍やろ」
近くで見れば見るほどその木は立派な物だ、見上げても先端部分は見えるか見えないか程高く、幹も他の杉と比べて一回りも二回りも大きい。
ほぼ無意識に拳を振り上げて そのまま殴る
ずどーんと音が鳴った。
「――!?」
しかしそれは酒呑の拳から鳴った音だった。声にならない悲鳴を上げて悶絶する。痛い、物凄く痛い。多分すごいグロデスクな事になってるから怖くて手が見れない、そしてやっぱり痛い。
恐らく見るに堪えない惨状になっている右手を左手で抑えて蹲る。殴り付けた木にはべっとりと血の後が付いてるし、本当に最悪な気分だ。妖怪だから比較的早く治るのかもしれないが痛いのは痛いし極力そんな思いはしたくない。
「あれれ。こんな所に居たんだね」
凛とした声が響く。
この声の持ち主は酒呑ではない、この言葉は今の状況とはあまりにも不適切だ。しかも声は女ほど高くもなく男ほど低くも無い。そんな絶妙なラインを針の糸の如くすり抜けた、そんな特徴的で美しい声色の持ち主を酒呑は知っている。というより昨日知った。
身体がどんどんと熱くなっていく。
昨日、手篭めにしようと息巻いていた男に今の痴態を見られた事が酷く恥ずかしい。気分も急下降するばかりだ。
せめて見栄を張ろうと無理やり立ち上がって、怪我した手を見られないように背中に回す。痛みから出た少量の涙は一瞬で拭き取った。
「こんにちは、御神木を叩いたりしたら駄目だよ?」
軽く注意したようにそう言うと、酒呑には目もくれずに大木の元に寄る、そうして片手に持った木桶をから水を汲み出して水撒きを始めだした。酒呑の血が付着した場所にも水が掛けられて泥のように流れ落ちる。
…これってもしかして忘れてるのでは?水撒きを続ける太郎坊の背中を見つめながら酒呑そう考える。そもそも昨日忍び入った所では光がなく、顔もまともに見えなかったかもしれない。そうに違いない。
そんな希望的な観測だったが、そう思わなければやってられない。思い込みとは言え急激に正気値が回復する、よしリスタートだ
「あっそう言えば、昨日忘れ物してたよ」
前言撤回、希望など無かった神は死んだ。
寝込みを襲った妖怪を目の当たりにして襲いかからない辺り、この妖怪の優しさを感じる。しかしそれが辛い、辛すぎる。誰か殺してくれ
そんな一喜一憂が心の中で激動しているにも関わらず、顔に何も表さない酒呑のポーカーフェイスは見事なものだろう。現に目の前の男は酒呑の内心の動乱に全くと言って良い程、気が付いていない。
「多分だけど君のだよね?私の部下もこんなに小さくないって言ってたし」
そう言って太郎坊は何処からか紫色の布を取り出す、よく見ればそれは小さな着物だった。
酒呑の思考がまた止まる。昨日から脳の不具合が起こり過ぎな気がすして止まない、これが2000年問題ならぬ686年問題か。
そうしてまた、昨日の再現であるように一時の静寂が訪れる。酒呑の脳が再起動するまでの時間、電話の保留音代わりのように鳥が可愛らしい鳴き声を上げる。
たっぷり十秒間、脳の機能が停止して漸く再起動する。そして優秀な脳が自分の現在状況を瞬時に導きだす
(そう言えばうち…昨日あのまま…)
酒呑の今の服装は…大分過激だった。それも、もし町中をその格好で歩けば公然わいせつ罪で御用になるレベルで。
下着しか着ていない。それも普通の物ではない
言葉で伝えるのも難しい独特の物で上と下が繋がっている、それも胸の半分と下を隠すだけでそれ以外は丸出し。何処ぞの変態黒髭に大変嬉しいデザインだ。
『最高ですか〜!?』
『最高です!』
全世界の
「見ぃひんでええええぇぇ!!」
「ごふっ」
昨日に引き続いて太郎坊に二つ目の拳が突き刺さった。
謝った、土下座の如く頭を下げた
「――あはははは!気にしてないよ!全然!」
笑われた、声を上げて思いっきり。
それがまた酷く恥ずかしくて、下げた頭から顔を上げる事が上手く出来ない。先が尖った自分の耳も先端まで焼けるように熱い。多分顔も真っ赤になっている事だろう。
「ほら、早く服着なさい。ここって普通に野外地だから」
「うぅ…」
顔を半ば無理矢理起こされそうになるのを酒呑は頭を振って抵抗しようとする。顎の下に手を回されて上に力が掛かるが、嫌だ嫌だと首を振る。自分の顔に触れられている事がまた恥ずかしくてなお顔を見られたくない。
しかし相手は今や名を轟かす大妖怪。酒呑の抵抗虚しく顔顔を起こされてしまうが、最期の抵抗として両手で顔を覆った。
「えっ?泣いてる?」
「…泣いてまへん」
泣いてはいない。確かに泣いているように見えるのかもしれないけれど決して泣いていない、心の中では自分の惨状を嘆いて悲しみの涙で溢れているけれど泣いていない
しかし今は自分の顔を晒すことがあまりにも羞恥的で何もままらない。顔を晒してしまえばその羞恥に染まった顔を見られる事になる、しかし何時までも服を着ない訳にはいかないので酒呑はどうにもならない。
「ほら、泣かないで」
「本当に泣いてまへぇん…」
剥き出しの背中に優しく滑らかな布の感触が伝う。その上から背中を優しく擦られて心地が良い、だけどそれは泣いている人を慰める動きだ。
優しい感触が上下左右に動く、すっかり泣きん坊をあやしているようだ。講義をしようにも手を使えない今はどうしようもない、それに…悪くない気分だと思う。だから別に止めろと言うつもりもない。
「落ち着いたかい?」
「見しんどいとこを見しました」
着物に袖を通して髪を払う動作、ついでに顔周辺に手を当てて平熱に戻った事を確かめる。この間僅かに3秒未満
状況は良くは無い。腹パン二発を叩き込まれて好感を抱く人物や妖怪など、被虐趣味者くらいであろう。そして彼はその類ではないのは明白、つまり好感度はゼロからのスタートになる。
腹パン二発を食らわせた相手なのだから、マイナスに踏み入っても可笑しくないのだが…本人は気にしていないと言っていたし問題は無いと思う、思いたい
こんな短時間でも分かるほど、彼は「お人好し」を極めていた。だから大抵の事はマイナスではなくプラスへと傾くだろう。
ニコニコと彼が微笑みながら彼と目が合っている。それもまた、慈愛に満ち溢れていた
「うちは酒呑童子言います。よろしゅう」
先程の土下座よりも圧倒的に浅く頭を下げる。一瞬だけ髪が目に掛かって視界が遮られるが、直ぐに元の視界に戻る。そして太郎坊の瞳には少しばかりの驚愕が在った。
「少しだけ君のことを知ってるよ、若くも恐ろしい鬼だってね。」
「うちなんてまだまだ未熟どす、太郎坊はん。」
そう謙遜して雰囲気を正す酒呑だが、実は内心でめちゃくちゃ嬉しいのとめちゃくちゃ後悔している。という二つの勘定が渦巻き、何とも言い難い気分なのだがそれを悟られない様に表情筋を全力で酷使する。
話をするのに座れもしない場所は無粋だと彼は言い。歩き始めた。決して早くもないゆったりとした歩幅で、遮られる物の無い禿げの原を歩く。
「太郎坊はんは何で人と生きとるん?」
雲を歩くような軽い足取りで歩く太郎坊に、何の脈絡もなく聞いてみる。それも割と気になっていた事を
人と妖怪という垣根は厚く、交わる事は無いのだと思っていた。妖怪は人襲い人は妖怪を恐れて絶とうとする。獅子や狗が牙を持たない動物を食って生きる事と変わりないとも思っていた。
だから此処は異常だと、そう思う。
人が居る、妖が居る、強者が居る、弱者が居る
そして――その中心に彼が居る。
きっとこの場所に生まれ落ちた赤ん坊は、妖怪を良い物と知って生きていくのだろう。それが普通だと、それが世界の常識だと言うように。
この地の話を聞けば他の者は「莫迦なことだ」と笑い飛ばすのかもしれない。けれど此処では間違いなくそれが「当たり前」なのだ。
「そんなに特別でも無いよ、割と人間って嫌いじゃないから」
そう言うけれど、その答えに酒呑はその答えに一層疑問を深めた。だって…美味いのだ、人の肉は。
人間はハレの日くらいしか肉を食べないけれど、妖怪は結構日常的に食べていると思う。実際自分がそうだし、妖怪の群れに人を放れば待つ暇もなく骨だけが残るだろう。
人間の肉とは美味いのだ、それ程までに
そして人は学ぶ生き物だ。妖怪を断つ術を見つけ、妖怪を根絶する事を望み始めた。
その時代の中で此処、愛宕山だけが「共生」を可能としているのだ
だからこそ――気になってしょうがない
その疑惑に勘付いたのか太郎坊は口を開いた。
「じゃあ少しだけ住んでみるかい?みんな良い人と良い妖怪だよ」
るんるんと、そんな形容が似合うような軽やかな足取りを緩めずに彼はそう言った。まるで何一つ疑ってないみたいで、目に見えるものを全て信じ切ってるみたいに。
思わず見惚れてしまって、少しだけ惚けてしまった。
▲▲▲
酒呑はそれから、愛宕山に暫しの住を取った
「な、なぁ…羽触ってもええか?」
「こんな物で良ければ」
「あんがと…うわぁ…」
その柔い羽を、堪能しながら過ごした
「太郎坊はん…暇やわ…」
「そうだねぇ、散歩にでも行くかい?」
「今日だけで25回目やよ?」
だらだらと、時間を浪費して過ごした
「うち、鬼やよ!?何でうちより力有るん!?」
「年齢かなぁ…」
「分かってるけど…狡いわぁ…」
力を比べて、体を動かして過ごした
「なぁ…太郎って呼んでもええか?」
「じゃあ私は酒呑って呼ぼうかな」
同じ時を過ごして、距離が縮まった
「太郎〜!何でうちのモノにならんの〜!!」
「はいはい、呑み過ぎだね」
「まだ足りへんでぇ〜!」
恥ずかしい場所を、見せたりもした
「太郎…何処行くん?」
「村長が亡くなったからね、お葬式だよ」
「…うちも行く」
人の死を見て命の重さも、知る事も出来た
「――そしたらその狐が良妻とか言い出すんだよ?」
「ははははは!何やそれ…可笑しゅうて可笑しゅうて…」
でも――それ以上に、笑いあった。
退屈な事もあった。悲しい事もあった。傷付いて、涙で濡れる事もあった。
でも――それを上塗りするくらいに、きっと喜んで笑った。
そしてその側には何時も――太郎坊が居た
「ああ…そや、太郎はん」
だからきっと
「えろう慕っとります」
そうなってしまう事も、きっと不思議じゃないんだろう
▲▲▲
(懐かしいなぁ…確かこんなんやったわ)
鮮明で鮮烈な夢の余韻。
とても忘れられない、自分の大事な大事な記憶。それをもう一度味わえた事に強く幸福感を覚えた酒呑は体を起こす。
太郎坊の元を離れたのは、既に何十年と前。引き止めて欲しいと心の何処かで思ってたりもしたけれど、それが酷く恥ずかしくて結局は無理だった。
こうしてもう一度、会うことが叶ったのであればするべき事は山程ある。
そう酒呑は思うと、自分が眠りについていた場所から跳ね起きる。
その勢いは、激しさの中に軽やかさを交えた物だった。
次の更新は少し遅れます。首を長くしてお待ち下されば幸いです