自分の荒い息が、頭蓋骨の中で反響し続ける。冷や汗が体を伝い、顎からしたたり落ちる。彼に伸ばそうとした手が震えているのが嫌でも分かった。思考がバグって、まとまらなくなっていく。
「大丈夫。僕は待ってるよ」
あいつの声は、まるでお母さんみたいに、優しかった。
こうなったのは、一時間ほど前のこと。
「克服したいんだ」
エラーはいつになく真剣そうな目をして、僕にそう言った。今日は珍しく、僕がエラーに呼ばれたのだ。『話したいことがあるから今すぐ来い』と。ちょうどそのときはAUの見回りは終えた頃で、僕はすぐにエラーのいるAnti-voidへと向かった。
そこにはクッションに背を預けずに正座をするエラーの姿があって、僕は(ある程度距離をおいて)その前に正座した。そして、今に至る。
「克服するって……
そう言うと、エラーはためらいがちに頷いた。僕は驚かざるを得なかった。
エラーは接触恐怖症という設定を持っている。接触恐怖症っていうのは……うーん……。簡単に言うと触れられたり、近づかれたりすることに対する恐怖症だ。僕にはとても分からないけど、エラー曰く「すごく嫌悪感がして気持ち悪い」とのこと。
その設定はクリエイター様によって作られたもの。クリエイター様は世界を作った神様みたいなもので、神様の作った設定はキャラクターの個性として現れる。年齢とか、恐怖症とか、容姿とか。
クリエイター様の設定は絶対だ。キャラクターが変えることなどできるわけがない。僕どころかエラーだって、それを知っているはず、なのに。
「なんで? なんで克服したいと思ったの?」
心がない僕が抱いた純粋な質問。どっかのAUにあった本で読んだ気がするけれど、恐怖症というのは克服するのが難しい。それそのものに恐怖を抱いているからだ。エラーの握られた拳が、コートの裾をつかんでいた。
「……だって、お前に触れたい、から……」
エラーは俯きながらそう言った。ああ、いい忘れてた。僕とエラーは付き合っている。
「……そっか。それは、どうしても?」
そう言うと、エラーは俯いたまま頷いた。
「……エラー」
僕は彼の名前を優しく呼んだ。エラーはゆっくりと顔を上げる。黄色に染まっていて、可愛い。シリアスみたいな展開でこんなこと言ったら殺されそうだから、言わないけど。
「恐怖症っていうのは、克服するのにとても時間がかかる。それは、分かってる?」
「……当たり前だろ、んなこと」
エラーは強がるが、その声は震えていた。そりゃそうだ。今まで目を背けてきた恐怖に、向き合わなきゃいけないのだから。でも、彼が選んだことだ。僕は……。
「クリエイター様がつけた設定を、変えるんだよ。クリエイター様、悲しむかもね。君が克服するなんか言い出したら」
「……知るか、俺は自分が決めたことをやる。誰にも縛られたくねぇんだよ」
エラーの顔が険しくなった。ああ、本気なんだと、改めて感じる。ソウルなんかないはずなのにね。
「そっか……。うん、分かったよ。エラーが本気なら、僕は文句なんか言わない」
エラーの目は決意で満ちている。その姿がかっこよくて、僕は少しだけ目をそらした。かっこいいよ、エラー。なんて、言えない。
そして、今。
沈黙に満ちたAnti-voidの真ん中には、向かい合って正座をする二人の姿があった。インクは俺に手を差し伸べたまま、動かない。その目は、微かな期待を含んでいるように見える。
対して俺は、カタカタと震えながら、インクの手に触れようとしていた。でも、伸びない。伸ばせない。接触するという恐怖がソウルを蝕む。
気持ち悪い、寒い。背中を這う悪寒に、体が震える。呼吸が荒くなり、冷や汗をかきはじめた。離れたい、この気持ち悪さから、悪寒から逃げ出したい。そんなことを思っては、激しく頭を振った。
何を思っているんだ俺は! 克服するって言ったのは俺だろ!! 自分に渇を入れ、深呼吸をして落ち着かせる。ダメだ、焦るな俺!!
手が、だらりと下がる。ダメだ、下げちゃ、ダメなのに……! 顔が俯く。
「大丈夫だよ」
ごちゃ混ぜになった俺に。インクはそう言った。その声は、まるでお母さんみたいで。お母さんなんていないはずなのに、インクの声が、そう聞こえて。
ゆるゆると顔を上げると、そこには聖母みたいな微笑みを浮かべたインクがいた。
「大丈夫。僕はここにいるから、エラーが触れてくれるまで、いつまでも待ってるから」
エラーの好きなタイミングでいいんだよ。インクはそう言った。
「イ、ンク……」
「大丈夫。僕は待ってるよ」
お前は……俺の、お母さんかよ……。そんなことを思ってしまった。………………負けてられっかよ。俺は細く息をはいて拳を握りしめる。克服したいって言ったのは俺なんだ。有言実行しないでどーすんだよ!!
俺は手を動かし、インクの手に近づく。少しずつ、本当に少しずつだが、距離が縮まっていく。それにつれて、引いてきた嫌悪感や悪寒が再発し始めた。
気持ち悪い、寒いっ……。でもそんなことは思ってられない。ここまで来たんだ、やってやる!!
大丈夫、大丈夫だから。インクの声が反響する。そうだ、大丈夫。俺なら出来るだろ! インクの手まで、あと少し……。思考がバグり始め、視界がめちゃくちゃになる。それでも。
それでも、触れたいから。
手を伸ばして、かつん。触れた。
「あ、エラー……エラー……!」
流れていた沈黙が、インクの声によって破られる。
「エラー!!」
ひどく安心した。と同時に、意識が朦朧としてきた。
「は、ハはっ……、ヨかっ、タ……」
ひどくバグった声を発した。それを最後に、俺の意識は闇に溶けていった。
……インクの声は聞こえなかった。
お疲れ様、エラー……。
スマホ買い換えたい。どうも花影です。
pixivに引きこもって(?)おりました……。
書くことはありませんが生きてますという報告だけさせていただきました。
すいません最後のおまけの文書き忘れてたんで更新しました……!