それからというもの、市蔵はわたしのところへ来て色々と話すようになった。
家の話、寺子屋でいじめられた話、それを先生が頭突きでお仕置きした話、そうしたらいじめっ子達に陰で殴られたりするようになった話。
けっして良い話なんか一つもなかったけど、不幸な境遇や出来事を共有できる相手ができたことは、少年にとってもわたしにとっても非常に良い事だった。それだけで心が救われるような思いだった。
そんなある日のことだった。
いつものように市蔵やわたしの身に起こった不幸な出来事を話していたところ、不意に夢・・・つまりはいずれなりたいものの話になった。
「紫苑ねーちゃんは何になりたいんだ?」
「んー・・・そうだな」
わたしは貧乏神だ。何にもなれず、その有り様のままにあることしかできない。
他人と関わればその人間を不幸にしてしまう。
だから、せめて。夢を語るなら、せめて。
「わたしは・・・誰かのお嫁さんになりたいかな」
「・・・お嫁さん?」
「そう。一緒に暮らして、一緒に食事をして、一緒に寝て起きて一日を過ごすの」
叶わぬ夢だ。人の温もりなど得られる訳がない。いずれ全て離れてゆく。
だけど、夢を見るくらいは構わないじゃないか。
「そ・・・そっかぁ」
隣で市蔵少年は何やら顔を赤らめていた。可愛らしいところもあるものだ。
顔立ちが良いだけになんだか心の底がむずむずする。
「おや、照れたの?存外に可愛いところもあるんだね」
「うるさいやい!ねーちゃんが・・・可愛いこと言うから・・・」
今なんと言った?可愛い?わたしが?
「可愛い?」
「だって、お嫁さんだなんて、女の子らしくって可愛いじゃないか」
顔が熱い。赤面しているのが鏡を見なくてもわかる。
ああ、なんてことだ。
心が高揚するのを感じる。
可愛いだなんて言われたのは生まれて初めてだ。
「紫苑ねーちゃんも真っ赤じゃないか。照れたのかい?」
まだ赤みの残る顔で意地悪を言う少年。
なんだかたまらなく抱きしめたくなった。
流石にそれは自制しつつ、私もたどたどしく聞き返す。
「そ、それよりも、君は?市蔵くんは何になりたいんだい?」
「僕かい?僕はねぇ」
一呼吸置いて立ち上がる。そして
「里一番の商人になる!!」
大音声で叫んだ。
耳がざわつく。鼓膜が大きく震えている。うるさい。
「・・・声、大きすぎ・・・」
「あ、ごめんねーちゃん!」
あわてて謝る市蔵少年。
ちょっと気合を入れすぎたようだ。
「別に大丈夫だけど・・・それより、里一番の商人って?」
「ほら、僕んち、商売ダメになっちゃっただろ?だから僕が家の名前と屋号をもう一度この里中に知らしめるんだ。今度こそ、悪いことはせずに、誰かのためになる商売をするんだよ」
それは少年の境遇からすれば、至極真っ当な話で。
「そうすれば、誰ももう石を投げたり虐めたりしなくなるだろう?僕は、人を助けて、強くなって、誰にも文句を言わせなくしたい」
同時に、歪んでいた。
この年頃の少年が持つ夢の類の話ではない。それほどまでにこの少年の周囲の環境は良くなかった。
「・・・そっか」
けれども、仕方ないのだろう。生まれた時から母親に疎まれ、悪党の一族だと謗られ、そうして歪まない方がおかしいのだ。悪いのは市蔵ではない。市蔵の周りの人間が、この少年に悪意を向けて、この少年を壊している。
守ってあげたかった。
けれどもわたしと一緒に居れば今まで以上に不幸な目に遭うことになる。
だからこの関係は、いずれ終わらせなければならない。
何よりもわたしの存在が、貧乏神という存在そのものが市蔵少年の夢の邪魔をすることになる。
わたしは、悩んでいた。
「叶うといいね」
わたしは、やっとの事で言葉を紡いだ。
「絶対叶えるともさ!」
市蔵少年は、無邪気に笑って答えた。
「と、言うことなんだけどさ、女苑」
「姉さんが年端もいかない男の子誑かして悦に入ってることは理解したわ」
わたしは妹の女苑に相談することにした。女苑は疫病神だ。
わたしよりも気が強く、また思ったことをはっきりと言ってくれる。
「んで、姉さんはどうしたいのよ」
「あの子を守りたい。けど、わたしの存在そのものがあの子の夢の邪魔をしてしまう」
「なーんだ、ちゃんと自覚してるのね」
なんだかつまらなそうに言う妹。
なにか期待していたのだろうか。
「その自覚すらも無いようなら一発ブッ飛ばしてやろうかと思ったのだけれど、あーあ、つまらない」
「物騒だなぁ・・・」
「とにかく分かってるならやることは一つよ。姉さん、今すぐその少年と縁を切りなさい」
やっぱりそうなるか。
「・・・他に方法は無いかな?」
「ある訳無いでしょ?私たちは人間を不幸にする神様なの。そして不幸にされて喜ぶ人間なんか居ないの。とっとと縁を切って、草葉の陰で幸せを祈ってた方がよっぽどマシよ」
「・・・そうだよね」
未練はあった。けど、本当にあの子を思うのであれば・・・わたしは。
そうしてわたしは、少年の前から姿を消すことにした。
未練の塊、置き手紙を一つ残し。
あの日交わした約束の事すら忘れて。