気付けば目の前にもう顔も思い出せない前世の母親が立っていた。
ああ、なんだろう。意識はハッキリしてるし、夢だと分かるのに目覚められない。視界が目まぐるしく回っていって体が思い通りに動かない。
周囲を見渡すと立っているのは家の玄関のようだった。もちろん前世の。そして俺は赤く大きな靴下を持っていた。中を覗いても空っぽだった。辛うじて見つけたのは、押し入れに入れっぱなしだったのだろう証拠の糸くずと埃の塊が入っていた。
「みくるが悪い子だったからサンタさん来なかったねぇ」
懐かしい。多分この言葉がきっかけで俺は良い子になろうとしたんだと思う。でもいつまで経っても俺にクリスマスプレゼントは無かった。小学校を卒業するあたりからはもう母親にプレゼントをねだらなくなった。
再び視界が流転し、荒れているリビングに俺は立っていた。
テーブルから垂れ落ちたテーブルクロス。カップ麺の残骸。夏なのにまだしまっていない炬燵。洗っていない食器。くしゃくしゃになったカーペット。
「…………ねぇ、みくる」
母親が背後から声を掛けてきた。憎悪と愛情と依存が混ざったその声を聞く度、俺は心臓が凍り付くような感覚だった。
「……みくるはどこにも行かないよね?」
俺の前世の父親は浮気が原因でいなくなった。母は慰謝料を取ったし親権も勝ち取ったが、心は耐え切れなかった。
次第に食べ物は喉を通らなくなって体はやせ細っていき、突然脈略もなく涙が止まらなくなる。その様子から母はご近所で噂されるようになり、パート以外では外に出ないようになってしまった。
「みくる?」
「うん。俺はどこにも行かないよ」
「ああっ……! ああっ!」
背後から強く抱きしめられ、頭を乱暴に撫でられる。母の伸びた爪が撫でられた拍子に頭皮を切り裂いて血が流れた。
平気だ。こんなの痛くもなんともない。
「みくるは! 良い子だね……! ううっ……!」
俺は良い子じゃないと母は壊れてしまうから。
だから友達にも、先生にも、近所のおばさんにも、先輩にも、後輩にもそして母親に対しても顔色を窺って生きてきた。人の顔を見て怒らせず、機嫌を取り、波風を起こさない。母に迷惑と心配を掛けないように。
たとえその生き方のせいで自己が希薄になるほど空っぽな人間になったとしても。
だから俺はおまじないのように母に言葉を繰り返す。
「――大丈夫」と。
その一言を呟いた瞬間またも景色が一変した。
今度は学校だ。廊下の真ん中に立っている。窓から入る胸やけしそうな程に濃いオレンジ色の日差しと、廊下を騒いで歩く生徒から、時刻は夕方ぐらいだろう。おそらく放課後だ。
「ねぇ実行委員会頑張ろうね! まぁ気張らずに行こうよ!」
もう覚えていない同級生の元気な声が真後ろから聞こえる。振り返ろうとしても身体が上手く動かない。スローモーションのようにゆっくりと後ろに首を回す。
「どうしたの? そっかお互いのことそんな知らないから気まずいか。まぁ話してくうちに仲良くなると思うけど自己紹介しとく?」
ああどうしてだろう。もう思い出せないはずなのに、懐かしい、こ え――……
「私の名前はね――……」
***
スマホのアラームで目が覚めた。頭痛い。
「っあークソ……」
……なんか夢を見ていた気がするけど思い出せない。まぁ忘れるぐらいなら大したことない夢だろ。……二度寝決め込むか。せっかくの夏休みだし。
「……あ?」
二度寝決め込もうとしたら、スマホに通知が来た。怪盗団のグループで蓮からだった。
『今日予告状を出す。行けそうか?』
「…………あ゛あ゛あ゛あぁっぁぁぁぁぁあああ……」
ゾンビのような声を出して気合い入れて起き、怠い体を動かして返信した。
『大丈夫』
7月27日
・フタバパレス攻略予定日
***
7月27日 水曜日 雨
「何というか恒例になってきたよな。オタカラルートを確保した翌日に予告状出すの」
「まぁ間が空いて体が鈍るよりはいいんじゃねぇの」
「それに上手くすみれの予定も空いたしな」
「……実はルートを確保した翌日予告状出すだろうって見越して予定空けてます」
「だってよ蓮。読み合い負けてるな」
「いや関係無いだろ」
「ごめんなさい。遅れたわ」
「いや、そんなには待っていない」
「じゃあこれで全員揃ったね」
「よし。じゃあ乗り込むか、双葉の部屋に」
***
佐倉家に不法侵入し、双葉の部屋に前に立つ。何度もお邪魔してごめんマスター。
「ねぇ双葉いるんでしょ? 返事をして」
真がノックをして声を掛けるが返事はない。
「……アリババ。いるんでしょ? チャットでも構わないから返事をして」
今度は蓮のチャットに返事が返ってきた。
『来るなら先に言え』
「心を盗むにはここを開けてもらわないといけないの。そうしないと改心出来ないから私達を部屋に入れて頂戴」
『心の準備が出来ていない!』
蓮がチャットで『今から準備できないか?』と返す。
『急すぎだ』
「心の中のもう一人の貴方が『開けてもらえ』と言っていたわ。貴方、本当は開けたいと思ってるんじゃないの?」
『もう一人の、わたし?』
真の話す言葉は傍から聞くと突拍子もないような発言だが、双葉自身は俺達がここに来る直前に『イセカイナビ』を手に入れ、もう一人の自分と接触している。心当たりがあるから言葉を受け入れるはずだ。
「そう。私達は約束を果たそうとしているの。それを拒んでいるの貴方」
『少し時間をくれ』
「10秒」
『短い! 3分……頼む!』
「わかった。ただしマスターが来たら蹴破ってでも入る」
ドタドタと部屋の中で慌てて準備している音が返信代わりだった。
「……なんつーか、真って話の主導権握るの上手いよな。俺も怪盗団のブレインとして見習うものがあるわ」
「ええっとそれはツッコミ待ちなのかしら?」
「何が?」
「たまに胡桃って天然でボケてくるから分からないんだよね」
「お前はどちらかというと“パワー”だろ」
「そんなことは……なく……な、い?」
「自分でも自信無くしてんじゃねぇか!」
そう言えば最近はスキルぶっ放せば戦闘終わるし、戦闘の司令塔も真に一任してる。
「最近、俺、影薄いか?」
「そんなことないですよ」
「ていうかお前らが強くなるから俺の秘密兵器としての出番が無くなってるじゃん。カモシダの頃は滅茶苦茶頼られてたのに。……強くなったなお前達」
「どこ目線だよ」
「強いて言えば仲間目線だろ?」
「オメーよぉ……」
竜司に肩を小突かれたところで蓮のスマホにメッセージが来た。
「『少し、静かにしろ』だってさ」
「ういっす」
***
「3分経った。時間よアリババ」
『分かった今開ける』
準備は出来たようだが、認知を変えてパレスのあの扉を開くには双葉が招き入れた形にしなくてはならない。引きこもりには鬼畜だが自分から開けてもらう。
「双葉、自分から扉を開けて」
数秒した後に、部屋の扉がゆっくりと動いた。
「入ろう」
「うん」
部屋に入ると目に飛び込んでくるのは、ゴミと散らかった論文らしきもの、そして映画やアニメでしか見ないような高性能のパソコン。
「というか双葉がどこに……」
ゴトンッ! という音が押し入れから聞こえた。
「あくまで引きこもるか」
「どうする? このままだとあの扉が開いたところで中でまた足止めを喰らうぞ。オタカラの前に柵でも出るんじゃないか?」
「……い、意味が分からないぞ! 説明しろ!」
「お、しゃべった」
俺達が部屋に押し入ってごちゃごちゃ話していると、押し入れから若い少女の声が聞こえてきた。
「貴方の認知を変える必要があったの。そうしないと盗むことが出来ないから」
「説明したところで到底理解出来ると思えんが……」
「……つまり私の認知が障害となって、認知世界の核に到達できないってことか?」
「え、理解してる?」
「双葉、あなたは何者なの? なんで知ってるの?」
「…………」
真の問いかけに双葉は黙ってしまった。これ以上は意味ないというとこで質問を変えた。
「お前アリババなんて名乗って、なんでややこしいことをしたんだ?」
「…………ずかしかったから」
「ん? 悪りぃ。聞こえなかった」
「……恥ずかしかったから」
「……なるほどな」
「でも私、分かる気がする。『助けて欲しい』って伝えるのそんな簡単じゃないんだよ……」
「ねぇ双葉。教えて。なんで認知世界のことを知ってたの?」
「……知ってたから」
答えを知ってそうだけど隠そうとしてんな。俺の出番か。
「認知科学ってあれだろ? 情報処理的な……」
「それは認知科学だ! 私が言ってるのは認知“訶”学! 摩訶不思議の“訶”な! そこ間違えんなよ!」
「どうやら当たりみたいだな」
【オタクは間違ったにわか知識を披露されると、全速力で殴ってきてそれを訂正しにかかる】性質を持つ。オタクって面倒くせぇな。
「認知訶学……? 双葉、もしかしてお母さんはそれと関係しているの?」
「…………」
再び口を閉ざしてしまった。この話題も地雷のようだ。
「今はやめといた方がいいんじゃね? 昔ヒデェ目に遭ったみたいだし」
「そうね。『死ぬ』なんて言ってたし」
「……待って」
今まで黙ってた杏が口火を切った。
「双葉ちゃん。お母さんは本当にあなたが殺したの?」
「ちょ、お前」
杏が見えてる地雷に突っ込んだ。
「お母さんは事故死じゃ無いの? どういうこと?」
「杏」
周りが制止を促すが杏は止まらない。
だがそれでいい。本気で人を救うなら、話題の地雷なんて気にしていられない。相手と自分諸共傷つく勢いで相手の手を引っ張りあげなければ、何も救われない。
「あなたの心見させてもらった。でも全然わからない。だってマスターが語ってくれたお母さんの話と全然違うんだもの。
……あなたの口から、本当のことが聞きたい。」
優しい声音で杏が双葉に語り掛ける。
「お、お母さん……は……ころ、したの……は……うぅ……」
双葉が言葉を紡ごうとしても、歪んだ記憶のせいでしどろもどろになってしまう。
「……今は、心が歪んでて思い出せないかもしれないですね」
「……双葉ちゃん。ごめんなさい。私、その、色々あって、ごめん」
杏の謝罪の後に訪れる僅かな沈黙。
だがしかしその沈黙を破ったのは他でもない、押し入れから飛び出した双葉だった。
「――さ、さぁ盗め!」
声は裏返り、体は小刻みに震え、目を力強く瞑っている。
「ほ、ほらさっさとしろ!」
「えっと、心を盗みに来たんだけど今ここで盗むんじゃなくて、開けてくれればよかったんだけど……」
「へ?」
「早とちりさせてゴメンね」
「そ、そうか」
双葉は顔を俯かせながら逆再生のような動きで押し入れへと戻っていった。
「だ、騙したな!」
「いえ、そういうわけじゃなくて」
「認知世界のことは知っていても改心の方法までは知らないか」
「双葉、認知世界のことはどこまで知っている?」
「認知する別の世界があることまでは知っている。だけど、行く方法までは知らない。お前達『心を見た』って言ったよな。……もしかしていけるのか?」
「ああ、【名前】【場所】【歪み】の三つを入力したらな」
「ねぇ双葉、何か変なアプリとか入って無いわよね?」
「……これ。……………………無い」
嘘を吐いたが、ここで言及しても意味が無い。この後本人にパレスに入ってもらわなければならないから。
「よし、あとは俺達に任せとけ」
「うん。じゃあ、任せた」
「おう、そっちも忘れんなよ!」
全員が退室していく中、竜司が忘れてたと言って、予告状を押し入れの中に入れる。
「これ読まないとオタカラ盗めねぇんだよ。しっかり読めよ」
「…………わかった」
俺は部屋に残り、押し入れの前に立った。この部屋に残っているのは俺とモルガナ、そして押し入れ戸を挟んで向こうにいる双葉のみ。一つの戸を挟んで俺は双葉に話しかけた。
「双葉。俺がもしお前の立場だったら、俺はずっとそこに引きこもってた。辛くて苦しいことから逃げ続けるのは悪い事じゃないし誰も責められないと思ってるからだ」
「…………」
「だから双葉自らが変わろうとして、自分に向き合おうと一歩前に進もうとした決断を俺は心の底から尊敬する。死ぬほど」
「…………」
「だから頑張れ、きっと大丈夫だから」
それだけ言って俺は部屋を出て行った。
家の外には怪盗団の面々が揃って待っていた。
「さて、それじゃあ行くか。
"彼"が誤魔化すときに咄嗟に嘘を吐くことや話を逸らすのは、前世の母親の影響です。心配させないように当たり障りのない会話を続けていました。それが転生して記憶が薄れていっても癖になって残り続けています。
『まぁ』という口癖が自分のものなのかそれとも他人から影響されたものなのか、それを判断できる記憶はもう持ち合わせていないでしょう。