恋人となって、二人で帰り道を歩く放課後。歩幅を合わせ、気を遣って車道側を歩くのは新鮮だった。
「老いが怖い」
立ち寄ったコンビニで二人で肉まんを頬張りながら歩いていると、ゆりは脈略もなくそう言った。あまりに突然の告白だったから「なんで?」と聞き返す凡庸な返ししか出来なかった。
「今日ね。学校に行く途中に白髪のおじいちゃんが電車のドアを蹴って怒鳴ってたの。それでふと思っちゃった」
「それはそのおじいちゃんが怖いんじゃなくて?」
「ううん。その人自体は何にも怖くなかったよ。……でも私もいつか、ああなってしまうかもしれないって考えたら怖くなっちゃった」
「そうなることは……」
無いとも言い切れないから言葉が詰まった。ゆりの未来なんて誰にも分からない。本人が思うようになってしまうかもしれないし、俺の母親みたいになるのかもしれない。だから軽率なことは言えなかった。
「だってもしそうなったら、私…………深夜にアニソンを熱唱して走り回ってるかもしれないじゃん!!」
……多分そんな重い話でもなかったらしい。心配して損した。
「あぁ……アニソンならまだしも、ネットだけで流行ってる自分だけが面白いと思ってるネタを擦り続けたら終わりだ……」
「それはもう十代にも結構居るから気にすることじゃないし、ゆりもたまに手遅れだと思うこともあるから心配いらないと思う」
「フォロー下手くそどころか刺してきたなコイツめ……」
刺したお返しとばかりに、すでに食べ終わった肉まんの敷き紙を俺の制服へと入れてくる。嫌がらせという割には、制服が汚れないように丁寧に折りたたんで、気を遣ってくれている。
「……」
「……」
肉まん一つ食べても、ゆりの小腹が満たされないのか、自分の手に持っている肉まんをジッと見つめられる。
「……あむ」
ゆりの口元に近づけると、そのまま大きく口を開いてぱくりとかぶりつき、半分持ってかれた。してやったりな顔でもぐもぐしているゆりを横目に、俺は残った半分を一口で食べて、肉まんを敷き紙を折りたたんでポケットに入れた。
「……みくるって全然怒らないよね。今ちょっと怒られたくてやったのに」
「怒られたい……? ……まぁ、怒る要素無いし」
「勝手にポケットにゴミ入れられるのと肉まん食べられるのは怒ってもいいと思う」
「でも、ゆりって俺より美味しそうに食べるから見てるだけで幸せな気持ちになるし、それを見ると俺も幸せになる」
「……」
肩を軽くパンチされた。無言で。
「君はさぁ……そういうところあるよねぇ……私のこと好きすぎじゃん」
「好き」
「はー、もうお腹いっぱい。恥ずかしくないの?」
「結構いっぱいいっぱい」
「だよね。顔赤いもん」
手の甲で自分の頬に触れると、確かに熱を持っていた。
「でも……なんだろう。ゆりの笑顔を見ると幸せになる。だから余計にあげたくなるのかも。そっちの方が俺も幸せだから」
一緒に過ごして、笑ってくれると、多幸感で釣られて笑ってしまう。空っぽな俺の中身が満たされていくような感覚。これを『愛しい』って言うんだろうか。
「……功利の怪物」
「なにか言った?」
「別に。この話照れくさいから老いの話に戻そう。まぁその、さっき言った奇怪な行動もそうだけど、私としてはさ。忘れるのと、自覚が怖い」
老化で物覚えが悪くなって忘れるのが怖いのは分かる。でも。
「自覚するのが怖い?」
「……出来ることが出来なくなったり、忘れてることを思いだせなくなったりするんだよ? もし、大切な思い出を忘れてるとして、思い出せないくせにそれを自覚してしまうのが怖い。そうやって日に日に死に向かって生きていくのって地獄じゃん」
あんまりそういうことは考えたことなかった。大人びたことを言う。
「じゃあ忘れないように日記をつけるとか。ほら、忘れたら見返せるからいいんじゃない?」
「日記かぁ……続いたことないんだよね」
「だったらスケジュール帳でも買って、何かしたい予定を書くだけでもいい。未来の予定を書くとワクワクしてこない?」
「……そうじゃ、なくて」
ふと、宙ぶらりんになった手に生暖かい感触。ゆりが手の甲をくっつけては離れをいじらしく繰り返し、やがて擦り付けるように手の甲同士をピタリと密着させる。
「……私は、一緒の思い出が欲しいな。例えば、今週、日曜に……水族館に行ったり……とか」
「い、いこう! すぐ行こう! どこがいい!?」
「……実は、もう……チケットあったりする。……懸賞で当たったやつ」
「え……あ。もしかしてそういうお誘いをするためにそういう話をした?」
「っ……! き、君はさぁ……! わざわざそれ口に出さないでよ! 私付き合うとか初めてだから可愛い誘い方とか分かんないし、私……そんな、アレ、じゃない、し……」
「……」
彼はピタリと手の甲にくっついてる彼女の手を握った。
「行きたい。一緒に」
「……わかった。……楽しみにする……」
彼女もそれに応え、指を絡ませる。彼から顔を背けていても、手のひらから伝わる熱で感情は察せられる。
言葉はいらずとも気持ちはわかっている。知っている。彼はそう信じていた。
この先も幸せが続くのだと信じていた。
目が覚めた。なにか夢を見ていた気がする。
……………………だめだ。何も思い出せない。憶える価値もない大したことない夢ということにしておこう。
というか今はそんなことよりも考えるべきことがある。それに予定ではおそらく今日──
9/20 火曜日 晴れ
奥村春が、嫁ぎ先に飛ばされるのが10月10日。今日を含めて身売りの期限まであと21日だ。春の身を守るため、そして世間の怪盗団に対する期待に応えるため、俺達は奥村邦和の改心を決めた。今度は怪盗団の意志も一緒だ。
春は力には目覚めているが、ペルソナは出せない。戦闘をさせないように春を後方に置き、生体認証の扉まで進む。
【ニンショウセイコウ】
厳重な生体認証も身内に来られれば形無しだ。侵入者を拒むその扉は呆気なく開く。
「そういや、前にここに来た時に、すっげぇ張り切ってたよな。あれモナに言われたキャラ? 美少女なんとかって」
「あれは……その……」
竜司の素朴な疑問に奥村春は、いじらしくも真面目な顔で話し始める。
「正義のヒロインなの」
「ここ笑うとこ?」
「ばか!」
奥村春の口から『正義のヒロイン』などというワードが出たからか、ギャップがすごい。それでも彼女は真面目な顔で話し続ける。
「小さな頃から周りの人達は私を見てなかった。私に優しくしたらお父様に気に入ってもらえる。お金やプレゼントだって貰える。大人も、先生も、友達だってそう。皆、損得のために笑う……そう思ってた」
「だから学校では伏せてたのね」
社長の娘という立場は周りが思っている以上に煩わしく、本人が思わっている以上に利用価値があるんだろう。生まれた環境が違うだけで、ここまで生き方の立ち振る舞いが違うのは、少し同情する。
「でもね、テレビの変身ヒロインはかっこよかった!」
「わかる」
「同意がはやい」
「いつでも他の誰かのために無償で戦って、自分も笑ってる。そんな風になりたかったの! 空想だってわかってたけど……憧れてた」
子供の頃は誰だってヒーローに憧れる。どこに惹かれたかと聞かれれば九割はビジュアルと子供の頃は答えるかもしれないけど、残りの一割はそのヒーローの在り方だと答える。多分それが一番重要で、奥村春はその在り方に惹かれたんだ。
「誰だって一度はそういうのに憧れるだろ。なぁブル」
「そうだ。俺も今もヒーローに憧れてるし、なんなら日曜の朝は早起きして見てる」
「そうなんだ! じゃあもしかして私が憧れてるヒロインって分かる?」
「めっちゃ候補多いんだよな……月に変わってお仕置きするやつ? それとも強気に本気で素敵で無敵なやつ?」
「どっちもある! それに大人の事情だったり、時代で色々受難があった作品と、あと一つは印象的な決め台詞があって『愛ある限り戦いましょう』……えっと」
「 『命、燃え尽きるまで』か? ああ、前者は主人公の表の顔がシスターの作品だよな。……随分昔だな」
「そう! えっとね私あのシーンの──」
「わかる、ていうか最終回がアツ過ぎるんだよな、やっぱり──」
「……おかしいな。俺も二人と同じ時代に生まれたはずなのに全然話題についていけない」
「別に気にすることはないぞジョーカー。今話してる作品は私達が生まれる以前に放送してたものだ。ついていけないのも無理はない。おかしいのは二人だ」
俺達は互いにその作品に話したあと、お互いに向き合って握手をした。
「なんか変な絆が生まれてる」
「変っていうな。趣味の一致だ」
「そう。『話せる』タイプの人だっただけだよ」
「会話が完全にオタクだなコイツら」
奥村春との絆が深まるのを感じる……とか言ってコープ上がってるような気がする。こういう話出来るの双葉ぐらいだからな~。同志が増えて嬉しい。
「そこで何をしている!」
そんなほっこりした空気を壊すように、怒鳴り声で会話に水を差したのは、オクムラパレスの主『シャドウオクムラ』だった。
「お、お父様? それにそっちは……!」
十数メートル先、扉の前には、あの春のフィアンセと共に立っていた。フィアンセの姿は変わっていない一方で、オクムラは漆を塗ったようなツヤのある黒い宇宙服を身に纏っていた。
「ハル、あれは認知上の存在だ! 本物じゃねぇ。説明しただろ?」
「認知上の……そっか」
モルガナに過去教えられた事の実感が湧いたのか、春は目の前の存在に納得する。
「なにをゴチャゴチャ言っているんだ」
宇宙服のヘルメットは声を遮断するため、服についてるスピーカーからオクムラの声が聞こえる。
「……前に言いましたよね。『お父様のために私なりの最善を尽くす』と」
春はカツカツと歩き、怪盗団より一歩先に出る。
「これが、その答えです!」
彼女は威風堂々とオクムラに見せつけた。怪盗団を使って改心をする。それこそが“最善”なのだと。
「そやつら……例の怪盗団か? ああ、そうか!」
オクムラは合点がいったように頬を吊り上げる。
「許しを請うために差し出すか! 『損は裏切ってでも取り返せ』……奥村の娘らしくなってきたじゃないか!」
そんな春の覚悟を嘲笑うかのように見当違いの受け取り方をした。きっとあの社長はもう損益でしか測れない価値観しか持っていない。
「何故そう損得ばかりなのです! 会社の悪評だってそう。人をモノのように扱っているからでしょう?」
「得るためには差し出す……人の上に立つには、より多くのものを差し出す覚悟を持つしかない。土俵が違うのだ。……間もなく私は、政界という新たなステージへと上がるのだからな! 冷酷さこそビジネス! 情だの仁義などは敗者の言葉だ! オクムラフーズ……ふふふ、私の勝利の礎となれ!」
元々は、オクムラフーズはコーヒー店だったらしい。だが春の祖父のホスピタリティが経営難に陥らせ、ついには店は潰れた。店を閉めた日に常連の客から花を貰ったりと祖父の想いは無駄ではなかったが、奥村邦和は納得が出来なかった。祖父の経営の結果、形のあるものは何も残らなかったのだから。金が、利益が出ない経営に価値は無い。
成り上がりたい。その欲望が彼を突き動かした。墜ちるとこまで墜ちたとも言えるかもしれない。
「社長、こんな賊の手垢に塗れた女はウチには要らない。何か譲歩をいただけないと、父にはとりつげないな」
オクムラの隣にいたフィアンセが口を開いた。
「もはや正妻など望まない、愛人でもなんでも好きにするがいい」
「いいでしょう。手を打ちます」
都合のいいように使われて、飽きたら捨てられるオモチャになるのは見えている。男のニヤケ顔を見れば嫌な想像はつく。
「っ……会社の為ならと、一度は政略結婚を受けました……ですが、これじゃあ話が違います! お父様個人の野心のために、この男のオモチャになれと!?」
「ふん、何を今更。奥村の娘にとっては、それこそが悦びだ。お前など……初めからその程度の価値しかないわ!」
オクムラは娘のことを自分の道具としか認識してないんだろう。自分に利益を生み出すのが彼女の価値だと考えている。価値は自分で決められるものじゃない。他者の価値観によって形成されるものだ。オクムラの言っていることは間違ってはいない。
ただそれに納得があるかどうかだ。少なくとも、オクムラの言っている価値に納得している怪盗団は見当たらない。
「私は……」
「さぁ……来てもらおうか。俺の家へ」
婚約者はわざとらしく足音を立てて春に近づく。その音は次第に鉄の擦れる金属音へと変化する。オクムラの認知存在である彼は姿を変え、目の前まで立ち止まった彼は巨大なロボットへと変化していた。
「飽きるまで、たぁっぷり遊んでやるよぉ! 女子高生のイイナズケとかチョー楽しそうじゃん!」
興奮するように両腕の機械腕を上下に動かす。
「………………下の下ね」
春の低く、冷たい声を発する。大声ではないはずなのに、その場の人間の耳にははっきりと届いた。
巨大ロボは腕を振り上げ、目の前にいる春を攻撃しようとする。
「マズい! 今のハルじゃ……!」
「大丈夫! 今まではちゃんと目が覚めていなかっただけ!」
丸太のように太い巨大ロボの腕が振り下ろされる。その刹那、フラッシュと衝撃波が辺りを包んだ。
時にして一秒も満たない間だったが、白に包まれた視界が回復し、目に映ったのは、華憐なドレスを着た貴婦人が巨大ロボの攻撃を受け止める光景だった。
ペルソナの顕現、抑圧された自由の意志の解放。その反逆が軽々と巨大ロボの腕を弾き返す。
「なっ……オレに歯向かったな……!」
シャドウとなって表情は見えないが、男がしかめっ面してる顔が目に浮かぶ。
「……ッ」
頭を抑え、その場で膝をつく春。いつの間にか周囲は暗くなり、スポットライトが春に照らされる。比喩じゃない。認知世界ゆえの演出なんだろう。
『──ようやく腹を決めたようね。宿命の家のお嬢様』
『──貴女には、裏切り無しでは、自由も無い』
『──それでも求めるというのなら……間違っちゃダメ』
『──さぁ、貴女は誰を裏切るの?』
「……心はとうに決まっています」
春が意志を眼差しに宿し、裏切るべきものを見据える。
『──いいわ……その眼。これでやっと本当の力が振るえる』
『──我は汝、汝は我……』
『──美しい裏切りで、自由の門出を飾りましょう』
春の想いに応えるようにペルソナが覚醒する。貴婦人のようなスカートの前面部が豪快に開き、そこから機関銃やミサイルなどの銃火器を覗かせる。
「さようなら、お父様」
そして春はハッキリと告げた。
「私はもう、あなたには従わない!」
指を差し、反逆の意志を父親に叩きつけた。
「ならばお前も、“廃棄”だな……適当にあしらっておけ」
オクムラはそれだけ言うと、あとは巨大ロボになった婚約者に任せ、パレスの奧へと引っ込んでいった。
「全力で弄んでやるよ! 壊れるまでなぁっ!!」
コケにされた怒りか春に拒絶された怒りかは知らないが、威嚇するように手首の関節をグルグルと回し、物騒な機械音を鳴らす。
「お前が道理を理解するとは思ってない」
「ああ、テメーには最初っからこう言うべきだったぜ」
「──貴様の花嫁は、我々怪盗団が頂いた!!」