幸せなバッドエンドを目指して   作:ぽんしゅー

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#56 そ……ッッ そうきたかァ~~~~ッッッ

 10/26 水曜日 晴れ

 

 文化祭二日目。今日は明智の講演がある。明智が怪盗団と取引をする重要なイベントだ。

 

 メンバー全員を講演に向かわせることが必要だが、怪盗団のトークを見る限り俺が何も言わなくても全員参加するようだ。

 あとは明智がうまいこと取引の状況をセッティングできるか……まぁ、アイツなら大丈夫だろう。なんだかんだ言って頭いいし。

 

 特に何もしなくてもいいし、講演まで時間があるというわけで……

 

「じゃあ、杏のクラス行こっか」

 

 約束した通り、俺は志保さんと杏のクラスへ向かうことになった。行くのは二回目だが、今の時間は杏がシフトに入っているらしい。志保さんと俺はそれを冷やかしに行くつもりだ。

 

「おー……人多くて通れないね……」

 

 だが、早速それを阻む壁が現れる。

 廊下を埋め尽くすような人の波。昨日よりもさらに一般の人を多く見かけるのは気のせいではなく、時折「明智」というワードが耳に入ってくる。どうやら彼目当てに来ているファンが多いらしい。

 

「一旦中庭から回っていこう」

「そうだね」

 

 正面突破は無理と判断し、回り道を選択する。しかし、中庭を通る道も完全に空いているわけではなく、そこにも一定の人の密度があった。

 

「うーん……乙守くん、飛べる?」

「今も微妙に三センチくらい浮いてるよ」

「そっか。あ、あそこ! 左の方が空いてるから、強行突破しよう!」

「……ボケスルーは悲しいものなんですけど……」

 

 というか、そのボケ、そっちから振ってこなかったか? そう心の中でぼやいている間に、志保さんは人の群れに飛び込んでいった。が、哀れ鈴井志保。遠慮がちな優しさの持ち主である彼女に、我の強い魑魅魍魎の群れに割って入るのは難しいようだ。

 

 案の定、弾かれてしまい、こちらに助けを求める目を向けてくる。

 

「俺、前に行くから、ついてきて」

「お、エスコート頼むね」

 

 素直に従う志保さんを引き連れ、人の群れに割って入る。こういう状況は、多少ぶつかりながらも強引に進んだ方が前に行きやすい。通り過ぎる人たちも、それを承知で肩をぶつけ合っているのだから。

 

「ね、離れちゃいそうだから掴まってもいい?」

「どうぞ」

 

 後ろにぴったりついてきている志保さんが耳元で囁いてきた。周囲の雑音に掻き消されないようにしたのだろうが、少しドキッとする。

 その後、志保さんは俺の手を掴んできた。てっきりシャツの裾でも掴むのかと思ったら、まさかの手を握ってくるとは。しかも、小指と薬指だけを握る、妙にぎこちない掴み方。

 

「「……………………」」

 

 ……背中がむず痒くなるような感覚と、それに気づいてしまったことへの罪悪感が入り混じる。

 

「……よし、ここまで抜ければ、並んで歩けるよ」

「うん……」

 

 余裕のあるスペースまで来たところで、志保さんはそっと手を離した。俺は握られていた手をぐっぱーと動かして、握られていた感覚を忘れようとする。

 そんな俺の横で、志保さんは自分の手をまじまじと見つめたあと、鼻に近づけて匂いを嗅いでいた。

 

「え、待って。俺、そんなに臭いかな? もしそうなら傷つくんだけど」

 

 冗談半分で言ったつもりだが、正直「臭い」と言われるのは「うざい」や「キモい」よりもダメージがでかい。

 

「いや、手の匂いを嗅いでるわけじゃなくて……そういうのじゃないよ! なんか……変な手の握り方しちゃったな〜って思ってさ」

「それが?」

 

 志保さんは「ん〜〜」と唸りつつ、手をグーパーと開いたり閉じたりしている。そして、急にその動きをピタリと止め、俺の顔をじっと見た後、ふっと笑って言った。

 

「……この話題掘り下げるの、やめよっか」

「え、どうしたの? 文化祭でテンション上がって、頭おかしくなっちゃった?」

「失礼な! ほら、早く行こ、杏のクラス!」

 

 志保さんは軽く笑いながら、俺の横をすり抜けて先に進んでいく。やっぱり文化祭のテンションに少し引っ張られているのか、彼女の耳がほんのり赤く見えた。

 

 それに追いつくように隣を歩く。遠くから聞こえる笑い声や、模擬店から漂ってくる甘い匂いが、秋の冷たい空気と混じり合って心地よい。志保さんと一緒に校内を歩きながら、目的の教室に目を向けた。

 

「ここだよ、杏のメイド喫茶」

 

 扉の窓から見える杏の姿に、なんとも言えない違和感を覚えた。いつものスタイルが出てしまう怪盗姿の彼女とは全く違う、可愛らしいメイド姿だ。印象は大分違うが、似合っていることには間違いなく、さすが読モだなぁと感心していた。志保さんも、それに気づいたのか軽く俺の袖を引っ張った。

 

「杏、頑張ってるみたいだね。……じゃあ、行く?」

 

 志保さんが微笑みながら問いかける。彼女に続いて教室のドアを開けた。

 教室に設置された簡素な飾りつけは、学生祭らしい手作り感を醸し出していた。テーブルクロスは少しシワが寄っていて、紙製のメニューには消えかけたペンで書かれた料理名が並ぶ。

 

 その時、カウンターの向こうで働いていた杏がこちらに気づいた。

 

「あ、志保! いらっしゃいませ!」

「ふふっ、そこはおかえりなさいませじゃないの?」

 

 と、志保さんがすかさず突っ込む。杏も、それに気づいたのか、急に背筋を伸ばしてやけに丁寧な動きで一歩前に出た。

 

「そうだね、んん゛っ……おかえりなさいませお嬢様。こちらのお席へどうぞ」

「あらありがとう」

 

 保さんも芝居がかった口調で応じ、上品に振る舞う。そんなふたりのやりとりに、俺は思わず苦笑してしまう。

 

「あ、胡桃。らっしゃっせ~~。空いてる席にどうぞ」

「客で態度変えすぎだろ」

 

 俺に対する態度は相変わらずだった。メイドとしてのキャラを完全に無視して、親しげに片手を挙げる。もはやこれが彼女の通常運転なのだと理解しつつも、ツッコまざるを得ない。

 

「え、待って、杏これ服の生地薄くない?」

 

 志保さんは杏が着ているメイド服のスカート生地を掴んでペラペラしている。裾はミニスカートより少し長いサイズだから杏の太ももがチラリと見える。

 

「ちょっと志保、パンツ見えるから」

「ごめんごめん、思わず気になっちゃって」

「もう……はい水。ご注文どうぞ」

 

 席に座った俺たちにお冷を出しながら、オーダーを確認する。

 

「じゃあロシアンたこ焼き一つ」

「はーい。ロシアンたこ焼き一丁」

「初手それ頼むんだ」

「うん。リアクション面白そうだし」

「俺に食べさせる予定なら、それはもうロシアンじゃなくない?」

 

 数秒後、『チン』という冷凍食品であることを隠さない電子音の後に杏がロシアンたこ焼きを持ってくる。相変わらず提供が早い。

 

「わぁ、当たりが分かりやすいね! じゃあ胡桃くん一気にどうぞ」

「鬼?」

 

 多少の悪戯心もあるんだろうけど、それを純粋な笑顔で言っている無垢さが怖い。

 

「ちなみにさっきふざけて頼んだ男子は、口に入れた瞬間そのままトイレに直行してたよ。味見役の人によるとデスソースとか唐辛子とか入れてるから辛いというより痛いが先にくるみたい」

「なんで説明した?」

「毒物の効力を説明したら威力が上がるかなって……余計なお世話だった、かな……?」

 

 杏はしおらしい演技をして、俺の糾弾を避けようとするがむしろ癪に障る。恐怖を煽ってただ人の覚悟を鈍らしただけだ。

 

「もー……しょうがないなぁ……」

 

 俺が“当たり”を食べるのを渋ってると志保さんがそれを爪楊枝で刺した。まさか志保さんが食べてくれるかと思ったが、刺した“当たり”をグイっと俺に差し出した。

 

「はい、あーん」

 

 その行為に思わず俺は面を食らって、僅かに顔を引くけど、その分志保さんが持ってる“それ”を詰めてくる。

 

「お、いけー! 男を見せろー!」

 

 杏がわざとらしく騒いでいるがやかましい。これは一見、美少女にあーんされる羨ましいシチュエーションに見えるが、実際には激辛のたこ焼きを無理やり食べさせようとしているだけだ。芸能人に熱々のおでんを食べさせようとしてるのと大差ない。

 

「ほら早く……は、恥ずかしいから……!」

 

 志保さんは口を開けるように促す。だけど段々とこの行為が恥ずかしくなってきたのか、顔を見ると少し赤くなってた。

 互いのために早く終わらせようと覚悟してその毒物を口にした。

 

「……んぐっ……どうも」

「おー……あはは……文化祭の空気に当てられて、ちょっとテンションが上がっちゃったかなーなんて……」

 

 志保さんは目を逸らして、恥ずかしそうに頬をかく。照れるならやめておけばいいのに。

 

 というかこのたこ焼きそんな辛くな──。

 

「──ッッ!?!???」

「あ、時間差で来たみたい」

 

 口内を蹂躙する刺激と唇を針で刺された後にバーナーで焼かれたような痛みがやってきて、全身の毛穴から汗が噴き出すのを自覚する。机に置いてある水をひったくるように取って、毒物を飲み下した。

 

「はぁ……はぁ……客に出していいものじゃないだろこれ……」

 

 いつか飲んだ闇鍋缶が可愛く思えるほどの地獄を味わった気がする。明智が胃の中が大炎上と言っていたのも頷ける激辛具合だった。

 

「大丈夫? まだ水飲む? 私の分のお冷もあげるよ、まだ口付けてないし」

「飲む。助かるー……」

「ほら、他のたこ焼きを食べて口休めした方がいいよ? 私の分も食べていいから」

「えー優しい好……いや元凶志保さんだったわ。危うく騙されるとこだった」

「あ、よかった気付いてくれて。私ってDVの才能があるのかなって思うところだった」

 

 いやDVの才能は無くても割とSなとこあると思う。

 

「ねぇ、杏も一緒にソフトドリンク頼んで三人で話そ?」

「あ、いいねそれ! 二人はなんか飲みたいものある?」

「私はオレンジジュース」

「俺は……カルピス」

「オッケーすぐに持ってくるね!」

 

 杏は裏方まで引っ込んで飲み物を取っていった。一つのテーブルに居付くのは接客としてどうなのかと思うけど、全く客が入ってこないし特に気にしないことにした。

 

「ふふっ……」

「なんか随分楽しそう」

「うん? うん、そうだね。楽しいよ。……前より、ずっと」

 

 志保さんは一瞬遠くを見つめるようにしてから、俺を見つめ直し、穏やかな笑顔を浮かべた。

 

「……そっか。それならよかった」

 

 少しの沈黙が訪れ、俺たちは互いに微笑み合った。文化祭という非日常の中、いつもの日常とは少し違った形で志保さんとの距離が縮まった気がした。その温かさが、秋の冷たい空気にほんのりと溶け込んでいくのを感じた。

 

 

 

 ***

 

 

 

「あ、時間。明智の講演ってそろそろ始まるよね?」

 

 三人で駄弁って過ごすこと数十分。時計を見ると、明智の講演が始まるまであと十数分しかなかった。

 

「ごめん志保。私ちょっと講演聞きにいきたいんだよね」

「へーそうなんだ。珍しいね杏がそういうの聞きに行くの」

「そうかな? でも結構話題の人物だし一目見にいこうかな~~って」

「ふーん。胡桃くんも講演に興味ある感じ?」

「うん、せっかくなら」

「……そっか」

 

 志保さんは手元のオレンジジュースをストローでぐるぐるとかき混ぜた。氷がグラスにぶつかり、軽くカランと音を鳴らす。その音を合図にしたかのように、彼女は静かに口を開いた。

 

「私はいいや。二人で行ってきて」

「え、そうなの?」

 

 杏が驚いた表情で聞き直す。俺も少し意外だった。てっきり一緒に行くものだと思っていたから。

 

「うん。ちょっと自分のクラスの出し物が気になってきちゃってさ」

「そうなんだ……。じゃあ行こうか胡桃」

「おう」

 

 志保さんを残して、俺と杏は二人で教室を出た。廊下にはまだ人が多かったが、体育館まで歩いても講演には十分間に合いそうだった。

 

「もうみんないるって。双葉も体育館の観客席にいるっぽい」

 

 予定通りに全員が明智の講演に参加して安堵の息が漏れた。

 

「ならよかった。少し急ぐか、っと……?」

 

 そして怪盗団と合流するため早歩きへと移行したが、ポケットの中でスマホが震えてその足が止まった。メッセージではなく電話の通知で、マナーモードにしているからずっと震え続けていた。

 

 そして画面に表示されている名前を見た。

 

「……あー、悪い杏。ちょっと用事できたから先行っててくれ」

「え? ……わかったけど、ちゃんと来てね?」

 

 少し不安げな表情を残しながら、杏は先に体育館へと向かう。俺は電話には出ず、足を止めて立ち尽くす。画面を見つめた後、ふと踵を返した。

 

  いつの間にか、人の波に逆らうように歩き出していた俺は、教室へと戻っていた。『メイドたこ焼き』の看板が視界に入る。そのまま扉を開けて中に入ると──。

 

「あ、来た」

 

 志保さんが頬杖をついて俺を待っていた。そして、テーブルの上に置かれたスマホを手に取って、軽く画面に触れると、着信を切る仕草を見せた。

 まるで最初から俺は電話には出ないことを想定していたみたいだった。

 

「なんで俺だけ呼び戻したの?」

 

 俺は少し困惑しながら、志保さんに問いかけた。明智の講演が始まる時間は刻一刻と迫っている。彼女の表情は変わらないまま、柔らかい微笑みを浮かべていた。

 

「ごめんね。講演に行く前に、ちょっと話しておきたかったの」

 

 彼女の声は穏やかで、急いでいる様子は全くない。それが逆に不安を掻き立てる。志保さんは自分の正面に座るように促した。

 

「そんなに大事な話?」

 

 教室の中は祭りの賑わいとは無縁で、どこか静まり返っていた。たこ焼きの香ばしい匂いが微かに漂う中、席に座った俺は志保さんの横顔をじっと見つめる。

 

「……ごめん。今、衝動的に胡桃くんを引き留めちゃったから話す内容そこまで纏まってないんだよね。それに段々これ話すの今じゃなくてもいいかもなって気がしてきてさ。……なんで今引き留めたんだろうって思っちゃって」

「今、聞くよちゃんと。……後でってタイミングは訪れるか分かんないし」

 

 その時言いたかった言葉は、別のタイミングでも良かったなんてことはない。本人が今、言いたかったなら今言うべきで、俺はそれを聞き逃したくない。見て見ぬふりをして、聞き逃した結果を俺は身をもって知ってるから。

 

「……ありがと。私も話しながら整理していくよ」

 

 志保さんはストローに口をつけて、オレンジジュースを一口飲んだ。

 

 そしてグラスをテーブルに置いて一拍。

 

 

「杏は、嘘が上手くなったよ」

 

 

 そう言った。

 

「この前聞いたの。ミカってモデルのライバルが出来て切磋琢磨してるんだって。この間の撮影もミカを意識したらうまくいったって言っててね? トップモデルを目指すぞ! とまで言ってるの」

 

「その人、杏が昔憧れてた悪役に似てるんだって。綺麗で強くて悪いけど芯が強い人。……前はなんか杏に意地悪してて? 印象悪かったけど? 杏にいい影響を与えてくれるんのならまぁいいのかなって。その分、友達としては複雑って訳。……待って違うこういう話がしたいわけじゃない」

 

「……杏が変わったのは半年前、あの事件の後からだよね」

 

「それからモデルとしての意識も変わった。昔はバイト感覚だったのに、今はプロ意識が強くなってる。『保湿のコツ教えて!』なんて言うようになるなんてね。今まであんな肌綺麗で何もしてなかったのかって驚くよ。羨ましい限りだよ、ほんと」

 

「ごめん、また話が逸れちゃったね」

 

「……昔までは気のせいなのかなとは思ってたよ。でもさ杏が露骨に怪盗団の話を避けるようになって、坂本くんとか雨宮くんとか君とかと関わり始めてさ。そして今日の講演会でしょ? ……私も()()()()()()()が上手くなったなって」

 

「応援したい気持ちはもちろんあるよ。正しいと思ってるし、何より杏がそう決めてやってることなら止めたくない。でもさもう事態が大きくてさ、警察とか国とか色々動いててネットでも言われててさ。大丈夫だって思ってるし、そう思うしかないのは分かってるよ。でもさ──!」

 

 

「…………………………心配、だよ」

 

 

 とめどなく溢れる感情をせき止めて、喉の奥の掠れた声で出したシンプルな一言だった。心に重く響くくらいの本音だった。

 

「ねぇ、私、杏の手を掴める位置にいるの。行かないでって言いたい。全部知ってるって言いたい」

 

 志保さんの目が俺を捉える。そしてその目には圧があった。明智の毒蛇のような圧や、獅童の傲慢な獣のように攻撃的ではなく、こちらの良心に訴えかけるような圧力。だがその全ての共通点は一つだ。

 

「どうしたらいいかな?」

 

 試されている。

 

 あの志帆さんに。誰にも隔てなく優しいあの鈴井志帆に。

 ここで俺が言葉を間違えたら、きっと志帆さんは杏を止めにいく。

 志帆さんは納得が欲しいんだ。自分が親友の怪盗の活動を見て見ぬフリをして待てるような納得が。

 

【心配ない】

【安心してくれ】

【大丈夫】

 

 どの言葉も陳腐で志帆さんに届く気はしない。

 ……俺が、俺が志帆さんの立場だったら、なんて言葉が欲しい? 何が安心する? どの言葉なら納得がいく? 

 

「わからない」

「……」

「多分、俺がここで何を言っても志帆さんの行動を止めることはできない」

 

 納得させるのなんて無理だ。だって今の俺が志帆さんの立場でも、きっと手を伸ばして杏をとめる。

 

「でもそれはこっちも一緒だ。何を言おうと俺たちは止まらない。それは杏も同じだ」

「……私が警察にチクるって脅しても?」

「志保さんはそんなことはしないでしょ」

「……ハァ~~~~~~~」

 

 志保さんは座っていたパイプ椅子に深く腰を掛けて、大きくため息をついて天を仰いだ。

 

「ごめんね。胡桃くんの言う通りそんな事する気はないよ。なんか分かんないけど言ってみたかっただけ。……本当は杏にこういう話をすべきなのにね。なんでだろうね」

「わかるよ」

「……」

「俺には、わかる」

 

 志保さんはずっと、目の前のオレンジジュースを見つめていた。ストローをくわえて、何度か吸い込むが、もうほとんど飲み終わっていて、口の中に残るのはほんの少しの甘さだけ。

 

 きっと心の中では、ずっと葛藤していたんだ。杏が何をしているのか、どこで何を見ているのか、彼女が選んだ道を心から応援するべきか、それとも止めるべきなのか。

 

 本当は止めたい。けれど、それが杏にとって正しい選択かはわからない。だが、もし杏が危険な目に遭ったとき、何もできなかった自分を許せるのだろうか――そんな不安が、志保さんの中で大きく膨れ上がって……俺に話した。

 

「……杏は志保さんの傍からはいなくならない。心配する事は何もない」

 

 でも理解は出来ても、なんて言葉を吐けば納得させればいいのかわからない。どれほど多くの言葉を尽くしても、行動で示した方が早いと思ってしまう。行動は言葉より雄弁なんてよく言ったものだ。

 

「だから俺を信じ「ストップ」」

 

 言い切る前に言葉を差し込まれた。

 

「その言葉はズルいからダメ。それを言われたら私が言うことは一つになっちゃうし、それを言うつもりだったら私は最初から黙って見送ってた」

「……ごめん」

「……胡桃くんは乙女心を察するのが下手だね?」

「な、なんでそこで乙女心?」

「聞いたことない? 女子が悩みとか愚痴とか打ち明けたら、解決策が欲しいんじゃなくて、共感が欲しいって話」

 

 聞いた事はあるけど、今それが適しているかというとそうでもない気がする。いやそれに全く触れてこなかったわけでもない。

 

「ふふっ、冗談冗談。ちょっとからかってみたくなっただけ」

「そ、そう」

「……本当はね、ここに来てくれて、私と向かいあって話を聞いてくれただけで満足しちゃったんだよ私」

「それは乙女心的な話?」

「ん? どちらかと言うと、君に納得したかな」

「俺?」

「誤魔化さずにちゃんと向き合ってくれた。どうせくだらない冗談でも言って席を立つと思ってたから。それが嬉しかった」

 

 ……以前の俺ならそうしたのかもしれない。俺は大丈夫だから関わらないでほしいって言って、志保さんの心配を見ないフリをしたかもしれない。

 

「……ここで逃げちゃダメだって思ったから」

 

 自分に反吐が出そうだった。逃げてもいいと、変わらないことが美徳だと宣いながら、矛盾している。

 

 結局、目を逸らし続けているのは自分の心だ。丸喜先生の目的を達成するためだけなら、もっと卑劣に狡猾に出来たはずなのに、怪盗団に誠実でいたい自分もいる。居なくなる人間を見捨てた方が楽だったのに、その犠牲を割り切れない自分もいる。

 

 獅童や明智、怪盗団の前ですら偽ってきた狡猾な誠実さと、中途半端な自分の覚悟が、志保さんと話していると浮き彫りになっていく。

 

「……今更だけど、私になにか出来ることってある?」

「ただ待ってるのは苦しい?」

「苦しいし、怖いかな。もしものことがあったら、何もしなかったことを後悔しそうだから」

「……出来ることは、今は思いつかないけど、俺は志帆さんが待っててくれてた方が安心する」

「それは私が力不足だから?」

「日常の象徴だからだよ。今の非日常が普通にならないように、志保さんの立ってるところが俺らの帰るべき場所なんだって安心できる」

 

 だから。と、一言区切って言った。先程は口を挟まれて言えなかった言葉を。

 

「信じて待っていてほしい」

「……ずるいって言った。それ言われたら『わかった』って納得するしかないもん」

「もうこれ以上は言葉より行動で示すしかないから。志帆さんの愚痴もちゃんと聞いたし、それに……」

「それに?」

「言わせないのもずるいと思う」

 

 確かに今の言葉は志帆さんを引き下がらせる魔法の一言だと思う。狡いかもしれない。

 もし今の言葉を反故するようなことがあれば、それは信頼を裏切る行為だ。俺は志帆さんを信頼を裏切るようなことはしたくない。

 

 俺だって覚悟も無いまま言っているわけではない。

 

「……わかった」

 

 志保さんはやや不服そうに唇を尖らせて言った。

 もうこれ以上の追及はない。そう思って俺は席を立ちあがった。

 

「そろそろ行くよ」

「うん」

「杏は絶対に無事に帰らせる。約束する」

「……」

 

 志保さんはおもむろに立ち上がり、俺の隣へと歩いてくる。

 

「ほらあっち向いて」

「……?」

 

 なすがまま体の方向を変えさせられ、志保さんに対して背を向けるかたちになった。

 

 そして直後、──バチンッ!! と背中を思いきり叩かれた。

 

「痛っっっっっって!」

 

 多分気合の注入のため叩いたと思うが、女子と言えどバレーでサーブ打ってる人の叩きは流石に痛い。

 

「痛ってて……」

「き・み・も! 親友だからね、大事な。伝わってないと思って」

「痛いぐらいに伝わったよ……」

「ならいいよ。……一人にさせないでね」

「わかった」

 

 そう言って俺は教室を出て、怪盗団の元へと向かった。

 

 志保さんの強い叱咤、その背中を叩く手の感触がまだ生々しく残っている。体育館に辿り着くまで、廊下を早足で進みながら、背中に残る痛みを感じるたび、彼女の言葉がまるで鐘の音のように心の中で鳴り響いていた。

 

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