ブーイングが飛び交うアウェー、数的不利を押し付けられる状況、休憩もない三連戦。
そんなものはトリックスターにとっては何の障害にもならない。
『……、………………』
ジョーカーは卑怯な手を使っても勝とうとした相手を呆気なく返り討ちにした。下馬評を覆した会場は冷えきっており、実況も空気の読めないヤツを見る目で絶句している。その冷ややかな空気を全身に浴びて彼は心地よさそうに笑った。
対してそれを見た胡桃は引き攣った顔をしていた。
(おいおい……マジで最低限で済ましやがった)
三連戦で使ったペルソナはたった二体のみ。
一体目は高い『魔』を有し、敵をダウンさせる専用に8属性の攻撃魔法を習得させて常に使いまわしているトランペッター。
そして二体目は物理反射耐性を持っているギリメカラである。
一戦目、二戦目まではトランぺッターで蹂躙していたが、三戦目で敵のシャドウが『チャージ』を使うと、何か閃いたようにペルソナをギリメカラに変えた。そして所持していた【激怒の小ビン】というアイテムで相手を激怒状態にさせた。
この『激怒』という状態異常は、魔法を使う余裕がないくらいに怒り狂って物理で殴りかかってくる。そして攻撃力は2倍に上昇するが、防御力が半減する。そんなところにチャージを乗せた物理攻撃なんてものを反射させてしまえば、自滅待ったなし。案の定殴りかかってきた相手の攻撃を反射し、三戦目は相手を攻撃することなく快勝した。
(だけど咄嗟にアイテム使う発想が浮かぶか普通? 俺なんて一週目はごり押しで突破したぞ)
手札が多ければ多いほど有利だが、それを使いこなせなければ意味がない。時には、スペードの3が最強になることもあれば、最弱になることもある。手札の強さは、状況や持ち手によって刻々と変わる──そしてジョーカーは、その駆け引きを完璧に操るようになっていた。かつてのカモシダパレスの頃とは比べ物にならないほど、戦闘IQを研ぎ澄まし、戦場での判断力と柔軟さが格段に向上していたのだ。
ジョーカーは相手の動きや手札を瞬時に見抜き、最適なペルソナを選び出す。もはや「多くのカードに頼るだけの戦い方」ではなく、真の意味での戦略がそこにあった。
観客席にいる怪盗団に向かって、親指と人差し指そして小指を立てたガッツポーズでアピールし、余裕綽々といった感じでコートを翻してリングから去っていく。
「なんというか……彼って目立ちたがり?」
「カッコつけではあるかもね」
「負けず嫌いでもある」
「……さて、リーダーが勝ち上がったおかげで支配人フロアに行ける資金は集まったわ。オタカラの元へ行きましょう」
***
『現実世界に帰還しました。お疲れ様でした』
オタカラまでのルートを確保し、無事怪盗団は現実世界に戻ってきて、
「残るは予告状を出して、オタカラを獲るだけだね」
──ただし、これが表向きの段取りでしかないことは全員が承知している。お互いの腹の底には別の目的が秘められていた。
「強制捜査は11/20なのは覚えてるかい? 予告状を出すのはその前日の11/19がいい」
「なんでだよ。早い方がいいんじゃねーの?」
「……冴さんはリアリストだ。怪盗団の実在は信じてるとしても、心を盗む手口なんて現実にあると考えてるかな? それに怪盗団を悪だと思っているなら、自分が狙われる可能性を考えているかもしれない」
「……つまり心の準備が出来ているせいで、オタカラが現れるほどには予告状が刺さらないってこと?」
「だからせめて期限ギリギリまで待って、追い込まれたところに畳みかけるのが良いと思う。猶予がない状態ならさすがの冴さんも少しは動揺するだろう」
オタカラの出現の確実性を結び付けた理に適った提案。しかしその裏の目論見を怪盗団は知っている。
(日程の指定……。おそらくその日が私達を現行犯で捕らえるタイミング……!)
「確かにその方がよさそうね」
「よかった。他の皆は?」
「怪盗団の頭脳担当がそういうなら、俺も賛成」
「同じく」
「以下同文」
全員が異議なしと首を縦に振った。
「それじゃあその日までに準備を怠らないようにしよう」
その場で解散となって、各々が散り散りに帰り始めた。
***
街灯がまばらに灯る夜道を胡桃が歩いていると、不意に背後から呼び止められた。振り返ると、少し離れた場所に佇む明智の姿が見える。
「少し、話があるんだけど」
声をかけた明智が視線で合図し、胡桃は促されるように人気のない路地へと歩を進める。二人が静かな場所に辿り着いたところで、明智は口を開き、当日の計画について詳細に話し始めた。
「──……という感じ。わかった?」
明智の説明が一通り終わると、胡桃は黙って頷いたが、すぐに疑問を投げかけた。
「警察をあの世界に入り込ませるのは分かった。でも改心した後に起こるパレスの崩壊に巻き込まれないか?」
「警察には異世界には入れさせるけど、パレスには踏み込ませない。それにパレスから脱出するルートは限られてる。オタカラを盗まれてからパレスの崩壊までのラグを使って急いで、脱出する怪盗団を捕らえる」
「全員?」と胡桃が問うと、明智は肩をすくめる。
「いや、さっきも話した通りリーダーのアイツさえ確実に捕まえられればいい。怪盗団はアイツのワンマンだ。それ以外は逃したところで大した影響はないし、警察に手を出せない」
「双葉は? あいつハッカーだぞ?」
「だから? ネットを使って牢にいる人間を助けられるかい?」
その冷淡な態度に、胡桃はなおも食い下がるも、明智は淡々とした調子で返した。
「ふーん。じゃあ他のメンバーは作戦後は放置か」
「しばらくしたら怪盗団の残党が起こした不幸な事故にでも遭うんじゃない?」
「うわ悪趣味」
「ま、君の仕事は脱出時にリーダーを孤立させること。そして隙を見て僕らは怪盗団から離れて別口から脱出する。君の仕事はオタカラを盗った後に、その流れを作ること」
「りょーかい。……リーダーは捕らえた後どうする? 色々と知ってるみたいだけど?」
「知らない方がいいと思うけど?」
明智の表情は柔らかい笑みを浮かべているが、その裏に本心を隠した「仮面」が見え隠れしていた。
(獄中自殺に見せかけて殺すことまでは、さすがに教えてくれないか。まぁ信頼を得すぎて誰かを殺すように指示されたくはないからいいけど)
「おっけー、聞かなかったことにする」
胡桃はさらりと受け流し、話を切り上げた。
「それで、もう質問はない?」
「無い。解散でいいか?」
「ああ。……あと僕は11月19日までは怪盗団との接触はないから。君はスパイしていることを怪しまれないようにね」
「はいはい」
「……僕が先に路地裏から出て行くから、君はしばらくしたら出て行け」
明智は振り返ることなく路地裏から立ち去っていく。
その姿が見えなくなった頃、胡桃はスマホを取り出して電話をかけた。
「あ、もしもし。真? 今、明智から当日の作戦を説明されたからざっと説明するわ」
『助かるわ。双葉が仕込んでくれた盗聴は電話してる時しか機能しないから』
そう言うと、近くに双葉がいたらしく『常にONにしとくと、バッテリーの消費がエグいからさすがに気づかれる』とスマホからかろうじて拾えた双葉の声がきこえてくる。
「なんだ。もしかしてそこに全員いる?」
『あなたが明智君と二人で話しそうな事を察してね』
「さすがブレイン。……詳しいことは明日で今は掻い摘まんで説明するぞ、まず──」
***
「……そう分かったわ。こっち側の作戦は後日練りましょう」
『あいよ。じゃあ切るわ』
通話が切れたのを確認すると、真は暗くなった画面から、ルブランに集まったメンバーに視線を向ける。
「スピーカーにしてたから聞こえてたわよね」
「ばっちし」
「……聞いた限り、前に考案した作戦が良さそうだな」
「ええ、むしろそれしかないって感じね」
各自の脳裏を過ってる一つの作戦。それこそ胡桃が望んでいるゲーム通りの作戦だった。
「一時はどうなるかと思ったけど、いい風向きになってきたな」
「…………ええ」
「なんだよスミレ。浮かない顔して」
「ああ……いえ」
「十中八九、胡桃のことだろう。恋煩いか」
「そうじゃなくて…………いや全然違いますよ!! 本当に!!」
「ムキになるとむしろガチっぽいぞ」
顔を赤くして否定するすみれを、どうどうと周りが落ち着かせる。
「なんか上手くいきすぎてるなって思っただけです! ……正直あの作戦ってかなり綱渡りだと思うんです。うまくそんな状況になるかなって思ったんですけど、こんな運良くはまると思わなかったんです」
「ま、確かに上手くいきすぎてる感はあるけど考えすぎだろ」
「それにすみれは胡桃と仲直りすることを考えろ。予告状を出すまでまだ期間があるし」
「……実は11月は新体操の練習がみっちり入ってて、そんなに時間が取れなかったり……」
「あ、言い訳」
「いーいーわーけーじゃーなーいーでーすー!」
追い込まれた状況から希望が見え始めて、勝利するために前へ進めているという実感は怪盗団の雰囲気を明るくさせる。
「……」
しかし蓮だけは口元に手をあてて考え込んでいた。歯に何か詰まったような違和感。だがこの流れで水を差すことは憚られ、口を噤んだ。
***
11月18日 昼 晴れ
──ルート確保日から二週間後、作戦決行日前日。
体育館の壇上に立つ丸喜が静かに語り始めると、体育館のあちこちから鼻をすすりあげる音が聞こえてきた。丸喜先生の温厚な人柄と、その柔らかい笑顔が多くの生徒に愛されていた証拠だろう。教え子たちは、それぞれの理由で丸喜先生の言葉に思いを巡らせているように見えた。
彼が最後に話した言葉には、いつも通りの優しい調子ながらも、どこかいつも以上に心に深く響くものがあった。いつも温かく見守ってくれる彼の言葉に、生徒たちは自然と引き込まれていく。
「──……以上です。半年間、ありがとうございました」
社交辞令のように機械的な拍手ではなく、心の底から感謝する暖かい拍手が上がる。生徒たちの間に漂う名残惜しさが、彼の短い挨拶に詰め込まれた思いに触れた瞬間だった。
全校集会が終わって自教室に戻る流れになっても、生徒の中には体育館に残って丸喜の元に感謝を言いに来る生徒がいた。泣きながら別れを告げる者や、小さく包まれた贈り物を渡している者もいた。
丸喜と関わりがあった怪盗団はそれを遠めに見ていた。
「お礼を言いたかったけど、少し時間を置いた方がよさそうね」
「うん。私達が入れる隙、なさそうだもんね」
丸喜は生徒に囲まれても、保険室にやってきた生徒の顔と名前を把握しているようで、一人一人に優しい言葉をかけていった。自分を一生徒ではなく、
沢山の生徒に囲まれて困りつつもどこか嬉しそうにする丸喜の姿は、他の先生が教室に戻らない生徒を注意をするまで続いた。
***
朝の全校集会から時は経って昼休み。保健室では、蓮と丸喜が向かい合って座っており、その対面している机には、上質な店で頼んだであろうどんぶりが三つ置かれていた。
「来てもらって悪いね。今日は僕の研究に付き合ってもらったお礼と、秀尽で食べる最後のお昼ということで最高のお昼を用意したよ」
出来立てであろう目の前のどんぶりの器は汗をかいていて、閉じた蓋の隙間から漏れ出る湯気には、ふっくらした米と甘いタレが撹拌した匂いが混ざり二人の鼻孔をくすぐる。
「この天丼、ここに勤務になった時から気になってた店のなんだ。値段で見送ってたけど、今日は特別。しかも上天丼だ!」
「……この、もう一つのどんぶりは?」
「それは乙守君の分だったんだけど……実は今日学校に来てなくてね。残すのも勿体ないし、食べれたら食べてもいいよ」
「遠慮なく」
スッと、もう一つのどんぶりを自分の方へと寄せる蓮。ビッグバンバーガーのビッグバン・チャレンジを全てクリアしている蓮にとって、天丼二杯など太陽系から見た地球のようなものだった。
「それじゃ早速食べようか」
二人が天丼の蓋を開けると、湯気を顔に浴び、一口目の味が想像される。そして互いのメガネは湯気で曇った。二人は割りばしをとって冷めないうちに天丼を食べ始めた。
一口目を口に運ぶと、衣のサクサク感とご飯にしみ込んだタレの甘さが絶妙に絡み合う。最初は言葉を交わす余裕もなく、ただ夢中で箸を動かし続ける二人。やがて、それぞれが黙々と食べ続ける中で会話は自然と途切れ、室内の静かな音だけが響く。茶碗を口元へ運ぶ動きが少しずつゆっくりとなり、天丼の山も徐々に平らになっていく。
やっと手が止まるころ、湯飲みを手に二人が深く息をつきながら、しみじみと満足した表情を浮かべた。
「ごちそうさまでした」
「まさか本当に二杯食べるなんてね……」
蓮は丸喜が食べ終わった頃にはすでに二杯目を完食していた。怪盗団ではなくフードファイターとして生きていく道が見えるくらいの食べっぷりだった。
「……さて、食事も済んだし本題に入ろっか」
深い呼吸を一回し、姿勢を整えて、分かりやすく場の空気を切り替える。
「論文、完成したよ」
「……おめでとう」
「前にも言ったけど。雨宮君と乙守君のおかげだよ。君たちの言葉や経験がなかったらこの論文は完成しなかった。改めて言わせてほしい。秀尽の生徒としての君らと──」
丸喜は一拍置いて言った。
「──怪盗団の君たちにね」
「……なぜ知ってる」
「今から全部白状するよ」
そうして丸喜の口から語られたのは事の顛末。
元は認知訶学の研究をしてきた事。蓮たちが何もない路地裏から出てきたことを目撃した事と、直後に起こった鴨志田先生の改心。それを繋ぎ合わせて彼らが怪盗団だと確信したこと。それを分かった上で接触を謀り、自分の研究のために利用したこと。
そしてそれを黙っていたのは警戒されないため。
「これで全部かな。……僕を軽蔑したかい?」
「取引だから」
「取引……か、そう言ってくれるとありがたいよ。ちなみに僕はこのことを誰にも話すつもりはないよ。……信じられないなら僕をここで改心してくれてもいい」
「しない。先生はそんなことはしないと信じてる」
「……
蓮はじっと丸喜を見据えたまま続けた。
「この事を胡桃には?」
「今日欠席さえしてなければ、ここで打ち明けるつもりではあったかな……彼が心配なのかい?」
「心配よりも……引っかかっていることがある」
「引っかかっている事?」
丸喜は、蓮の言葉に微かに目を細め、慎重に言葉を選んでいるのを察したように「聞かせて?」と促した。蓮は、椅子に深く腰を掛け直し、ゆっくりと絞り出すように話した。
「……たとえるなら。十回連続でじゃんけんに勝たなければならない勝負があるとして、俺の隣に立っている人間の言う通りに手を出したら見事に十連勝してしまった。でも八連勝目ぐらいで『上手くいきすぎてる』と違和感を覚えて、ふと隣の人間を見たら、何かに引っかかるものがあって…………何か隠しているんじゃないかって」
「……それが乙守君で、雨宮君は彼をどこか怪しんでいる、と?」
蓮の言葉に、丸喜は短く頷いた。その表情には、一瞬だけ深い思索が垣間見えた。
「胡桃は俺たちの不利益になるようなことはしないって信じてはいる。気になっているのはむしろ……抱え込みすぎてるのかもしれない。この間も負担の大きい事を任せたし、最近ではらしくない行動もあった」
らしくない、というのはすみれとの言い合いのことだった。彼ならもっとうまく折り合いがつけられるはずだと蓮は思っていた。
「……なるほど。まぁ今日の乙守君の行動を一つ教えるなら、学校サボって散歩してると思うよ」
「散歩?」
「そう、僕が勧めたんだ。乙守君は常に何かを考え続けて、何も考えない時間が存在しないからね」
長い話になるかもしれないと、丸喜は声を整えるために一つ咳をした。
「彼は、24時間365日、朝起きてから寝るまでずっと自分自身や頭の中に住む誰かと対話し続けている。でも、そんなことを続けていると、やがて疲れて擦り切れ、精神が摩耗してしまうんだ。……人はずっと走り続けることなんてできないからね。……でも、彼にはそれがやめられない。考えることを止めることができないんだ。むしろ、何も考えない時間が訪れてはならないという、強迫観念すら抱いているんだよ」
「……そうなった原因は?」
「原因なんて無いよ。強いて言えばそれが彼の個性だからかな。答えの出ないような問いを延々と頭の中で繰り返して、思考の渦に飲まれて溺れてる。……きっと彼にとってこの世界は出口の無い迷路に見えるんだろうね」
「……」
「だけどそれは普通の事なんだよ。心を擦り減らしてまで選んだ道が正しいのか疑心暗鬼になったり、あの時の選択は間違ってたと後悔してしまう内に、いずれ選択する行為にすら苦痛を感じて立ち止まってしまう。彼だけじゃなくて多くの人がそうなんだ。……だから僕はそういう人たちを導ける存在になりたいんだ」
丸喜は、蓮の疑念に気づき、柔らかな口調で蓮を見つめた。
「雨宮君、彼がどれだけ自分に厳しい人間かは、君が一番よく知っているだろう? 彼は……他人に迷惑をかけないために、考えすぎるほどに自分を律している。おそらく、何か些細な失敗さえ彼にとっては罪悪感に似た重荷になっているんじゃないかな。僕も、彼が自分を責めすぎていないか、いつも少しだけ心配してるんだよ」
丸喜は微笑みながら続けた。
「君のように仲間を信じている人間なら、仲間のためにこそ踏みとどまる。だから君が信じ続けている限り、彼もその信頼に報いるよう、決して裏切ったりはしないと思うよ」
蓮はその言葉をじっと聞き入ると、静かに頷く。そして同時に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。
「ああっマズい! 話したいことまだあるのに! あと散歩を勧めた理由だけど、脳には『作業記憶』っていうのがあって、まぁいわゆる脳のワーキングスペースみたいなものなんだけどそこには考えられる上限があって、胡桃君の考えすぎて圧迫してしまう脳を、散歩して見た景色を、視覚情報として無理やり上書きさせてなるべく考えないようにさせるみたいな。うん、ちょっと早口で説明しすぎたかも!」
チャイムに焦って早口になるも噛んでいないのは、人と話し慣れているが故だろうか。
「でも最後に言っておきたいのは、君たちのおかげで僕はなすべきことが分かったということ。完成させたこの研究でもっと世の中を良くしてみせるよ。……怪盗団の世直しとは少し種類が違うかもしれないけどね」
「正義は人それぞれ。……先生に恥じないように、自分も頑張る」
「……君はいつだって自分の中の正義を見失わない。そんな君と出会えて僕は本当によかった」
丸喜は立ち上がって蓮の方へ歩くと握手を求める。
「本当にありがとう」
蓮はその感謝の握手に応えた。
「いつかこの道の先で君の助けになれる時が来るといいな。……たとえ望まれてないおせっかいだとしてもね」
そうして蓮は丸喜との絆を深めた。
互いに互いの信じた正義で人を助ける道を往く。その道が離れてしまっても、同じところを見ているのなら、いずれまたその道は交わるであろうと期待して──。
***
11月18日 夜 晴れ
国会議事堂前。胡桃は電柱に寄りかかりながら空を仰いだ。時刻は23時前。冷たい風が頬を撫で、首元から入り込む寒さに思わず身を縮める。
「……っあー……クソっ」
今日は胡桃のシドウパレス単独攻略、オタカラルート確保の期限だった。しかし、パレスから帰還した彼の浮かない表情は、その計画が失敗に終わったことを物語っている。
(なんで、紹介状を持ってる奴に会えないんだよ……! 偽の明智すら見ねぇし……!)
前回同様、イベントが起こると見込んだ場所に行っても、人影すらない。慎重に足を踏み入れると、待ち伏せていたシャドウが一斉に襲いかかり、消耗するばかりで目的の人物には一向に会えなかった。
計画した場所を隈なく回り、イベントが起きるはずのポイントをいくつも試したが、いずれも空振り。胡桃は焦りを感じつつも進むが、またしてもシャドウの待ち伏せにあい、体力が奪われていく。特に立ちはだかる「処理役」と呼ばれる特殊なシャドウたちは、足止め役として配備されており、速戦即決を狙って片っ端から倒していったものの、想像以上にしぶとく、消耗戦が続いた。
拳を握りしめたまま、胡桃は自分が描いていた計画が破綻したことを悟る。今できるサブプランを考えるが、冷たい風が彼の焦りを煽った。
(明智の死を回避するには……アイツにバレずに攻略するか、イベントでの死そのものを覆すしかないか。……前者は俺が敵側の行動を把握できるとしても、その意図がアイツらにバレたら俺もただじゃ済まない)
胡桃は後者の計画を練り始める。
明智を倒した後にシドウパレスに現れる「偽明智」が現実の明智を処理しようとする──。
(偽明智が現れた瞬間にそいつを撃ち抜くか、倒すことで明智の死を防げる。俺しか知らないタイミング……いけるか?)
小さく何度も作戦を確認しながら、胡桃は拳を握りしめた。偽明智を排除するという後者の策は、胡桃にとってもギリギリの手段であるが、今の状況で選べる策は他になかった。
そして時は同じく、11月18日23時頃。
すみれは自室にて、机に頬杖をつきながら悩みこんでいた。
悩みの種は明日のこと、乙守胡桃とどのような顔で会えばいいのかと考えていた。やはりオタカラルート確保後、二週間も胡桃と顔を合わせていないのである。
同じ学校に通ってると言えど学年が違って、新体操の練習もあるすみれは、胡桃と会おうとしない限りは中々会えないものなのである。
しかし顔を合わせたからと言って、何をどう話していいのかも分からない。
(今まで通り話せるのかな……?)
僅かとはいえ、二人の関係は変わってしまった。
今までは怪盗団の仲間であり先輩後輩だった関係が、心の内の小さな違和感を見て見ぬフリをして接するようになってしまう。
願うなら、そのきっかけである文化祭での出来事を無かったことにしたいと何度も考えたことがある。文化祭での出来事が、彼女と胡桃の間に微妙な変化をもたらしたのは確かだった。言葉や視線、いつもと違う空気感……あの時の一瞬が、二人の関係に薄い膜を張ってしまったように感じる。
でもあの行動は間違いだったのかと自分自身に問うてもきっと『いいえ』と答えるだろう。
──だとしても。
(……また、前みたいに話したいなぁ)
今のすみれにはまた前みたいに乙守胡桃と話したいという気持ちが大きくなっていた。
「……変わらない、か」
すみれはつぶやいたその言葉の意味を、噛みしめるように胸の奥で反芻していた。胡桃がよく言っていたその言葉。「変わらない」というその響きに、彼のどんな思いが込められているのだろうと、ずっと考えていた。仲間としての関係も、戦いに挑む覚悟も、彼はいつも「変わらない」姿勢で臨んでいた。けれど、すみれには胡桃がそう言うたびにどこかで無理をしているのではないかという、不安のようなものが拭えなかった。
(胡桃先輩だって……本当は変わってるかもしれないのに)
すみれの心には、二週間も顔を合わせていない胡桃への想いが募るばかりだった。仲間でありながら、少しずつ惹かれていった自分の気持ちをどう扱えばよいか分からず、ただ彼の無言の強さに寄りかかることでしか支えになれなかったように感じている自分が、もどかしかった。
もし明日、彼とまた話せたなら、その「変わらない」という言葉の奥にあるものに少しでも触れられるだろうか。胡桃が守ろうとしているもの、そのために抱えている不安や迷い──すみれはそれを知りたいと思った。胡桃の傍にいることで、少しでも彼の力になれるように。
「……明日は、少しでも近くに寄りたいな」
小さく呟き、すみれはそっと目を閉じた。胡桃の言葉の中にある強さとともに、ほんのわずかでも自分の気持ちを彼に伝えられるよう、明日への決意を胸に秘めながら、すみれは静かに夜を過ごした。