幸せなバッドエンドを目指して   作:ぽんしゅー

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#62 真に戦う人間にのみ “運”は平等に降り続ける

 

「……急ですね。何か彼が気に障ったのでしょうか?」

 

 そう問いかける明智の声は慎重そのものであり、感情を一切漏らさぬ冷静な響きがあった。だがその内心では、予想外の指示に隠せぬ疑念が渦巻いている。これまで築いてきた盤上の駒のひとつを、あまりに無造作に切り捨てようとする獅童の変心。それには理由があるはずだと考えざるを得なかった。

 

 獅童は、明智の問いを不快そうに睨み返した。彼の眼には苛立ちと鋭い警戒が宿り、どんな意図で聞いているのか、そのひとつひとつを見透かそうとするかのようだった。

 

「私が決めたことだ。黙って従え」

 

 どこまでも冷酷な声音が、部屋の空気をさらに重苦しく染めていく。その口調には、相手の異論を完全に封じ込めようとする、絶対的な権力を振るう者特有の威圧があった。明智の理性は、無言の圧力に押し潰されそうになるが、それでも冷静さを失わないよう自身を律する。

 

「……彼にはまだ利用価値があります。切るのはもう少し後にしたほうがいい。それに利用すべきと言ったのは獅童さんですよ」

 

 慎重に言葉を選びながらも、僅かな抗議を滲ませてそう進言する。今まで冷静に駒を操ってきた獅童自身が、突然の気まぐれで策略を揺るがすとは思いたくなかった。彼の立場を守るためにも、少しでも穏便に思いとどまらせたいと考えたのだ。

 

 だが獅童はさらに顔を曇らせ、低く笑うように明智を睨みつけた。

 

「なんだ? 私に口を挟めるほど偉くなったつもりか?」

 

 この男は決して、他人の意見に耳を貸すようなタイプではないのだ。獅童の権威を揺るがすような提案などもってのほか、たとえ些細な異議であっても、徹底的に叩き潰そうとする。彼が君臨するこの世界において、自分以外の者に立場を譲るつもりはない。それを明智は痛いほど理解していた。

 

「……いえ。わかりました」

 

 無理に食い下がるべきではないと判断した明智は、頭を垂れてその場を引き下がる意志を見せた。

 

「分かったら、さっさと下がれ」

 

 さらに冷たく突き放すような言葉が響くと、明智はひとつ息をつき、音も立てずに静かに部屋を出ていった。背後の扉が閉まる瞬間まで、獅童の鋭い視線が突き刺さるのを感じながらも、決してその表情には出さなかった。

 

 廊下に出た明智は、彼の足音が徐々に獅童から遠ざかるにつれ、ようやく冷たい面持ちを僅かに崩した。思考の波が怒涛のように押し寄せ、脳裏に張り巡らせた糸が絡まり始める。

 

(僕の知らないところでアイツと獅童が接触したのか? それとも、彼の協力者について何か掴んだとか……)

 

 明智は眉を寄せ、立ち止まると冷静に推論を巡らせる。獅童のこの突然の変心は、単なる気まぐれや計画の進行では片付けられない。急に縄張りを侵された獣のように、何かに警戒し苛立っているように見えた。その要因が何であれ、通常の感情を超えたものが彼に影響していることは明らかだった。

 

(だけどこのタイミングで……)

 

 


 

 

 

功を競う者たちへの妬み嫉みに我を忘れ、出世欲に取りつかれた嫉妬の罪人、新島冴殿。

 出世のための「不正義」すら「正義」と唱える不実。

 全ての罪をお前の口から、告白させることにした。

 その歪んだ欲望を頂戴する

 心の怪盗団『ザ・ファントム』より

 

 

 


 

 

 11月19日 土曜日 晴れ

 

 作戦決行日。アジトから出発した怪盗団は、それぞれの想いを胸に秘めながらも、今はただ目の前のことに集中すべきと、ただならぬ覚悟でパレスに乗り込んでいった。

 

 オタカラのルートを辿り、支配人フロアに入っていく。内装と間取りは他フロアに似ているが、ここは他とは異なる何かがあった。色褪せた壁と重厚な装飾が、不気味な静けさの中で薄暗く光っている。まるで隔絶された異空間のように、人が一人もいないこの広い空間には奇妙なまでの静寂が漂っていた。

 

 そして、それだけではなかった──そこにあるはずのオタカラもまた、忽然と姿を消していたのだ。

 

「あ? なんだ⁉ オタカラがねぇぞ⁉」

 

 パレスの最奥、支配人フロアの部屋に存在したはずのオタカラが忽然と姿を消していた。

 

『よく来たわね。まずは褒めてあげるわ、本当にここまで来るなんてね』

 

 怪盗団が訪れるのを待っていたかのように、シャドウ冴の声が部屋に備えられたスピーカーから低く響く。その声は冷ややかで、どこか嘲笑めいている。

 

 怪盗団たちが部屋に見回していると、支配人フロアの奥の扉がゆっくりと開かれた。その先には、見上げるほど大きなエレベーターが、大口を開けて彼らを待っていた。

 

「お褒めの言葉より、オタカラが欲しいな。何処に隠したんです?」

 

 怪盗団の声に応えるように、スピーカーから再び冴の声が響き渡る。

 

『フフ、来なさい。決着をつけましょう』

 

 自分の世界の核を狙われているというのに、シャドウ冴は微塵も慌てることはなかった。その余裕の裏には、怪盗団に勝つ腹積もりがあるのだろうと、誰もが口に出さずとも理解していた。

 

 ただ怪盗団も、一筋縄ではいかない相手と何度も戦ってきた。今更、罠の一つなど恐れるものかと、それぞれが覚悟を決め、彼女の誘いに乗ってフィールドへと足を踏み入れた。

 

  シャドウ冴が用意したフィールドは、ルーレットを模した巨大な円盤状のステージだった。ルーレットの結果を映し出すためか、頭上には映画のスクリーンよりも大きなモニターがそびえ立ち、そこにシャドウ冴の姿が映し出される。

 

「さて、今度はどんな勝負です? 何をしようと僕たちが勝ちますけど」

『私を追い詰めてるなどと考えているならそれは大きな誤り。ここなら思う存分暴れられるから案内してあげただけのこと』

「お姉ちゃん……」

 

 唯一の肉親である真を一瞥すると、シャドウ冴は口を開き、過去の苦悩を語り始めた。

 

『……お父さんが殉職した時、犯人を心底、憎んだわ』

 

 シャドウ冴の言葉は真を見つめながらも、彼女自身の心の奥に向けられているかのようだった。

 

『正義の殉職って言えば美談だけどね、遺された方はたまんないわよ! 私がどれだけ苦労したと思ってるの!』

 

 妹を養いながら、男社会で闘い続けた新島冴。隙を見せれば足元をすくわれ、踏みつぶされる。そうした現実に対抗するため、彼女は決して折れぬように、芯を強く持ち続けてきた。しかし、周囲の重圧と果てしないストレスが、芯を尖らせ、冷たく鋭い刃へと変えさせた彼女のその苦労や大変さは、家族の真以外のメンバーも想像できた。

 

 ただ、罪無き者に、罪を被せる事を怪盗団は看過できない。

 

「僕の買い被りすぎでしたかね。もっと高尚な言い分だと思ってましたけど」

『正義は悪に屈してはならない! 私は勝たなければならないのっ!』

 

 その叫びはかつての正義の守護者からは程遠い、狂気に近いものだった。

 

「正義が行き過ぎた結果の暴走だな……」

「こんなの間違ってる……」

『どちらが正しいかは……戦って決めればいい。──それじゃあ、始めましょう』

 

 シャドウ冴がそう言うと、フィールドに仕掛けられた舞台装置が動き始める。立っていた場所が変形し始め、ルーレット盤の赤と黒の区画にそれぞれ番号が振られた巨大なルーレット盤が現れる。

 

「ただ力をぶつけ合うなんてこの場にふさわしくないわ」

 

 画面に映っていたシャドウ冴は、いつの間にか怪盗団と同じフィールドに立って、こちらを睨みつけていた。

 

「もうコインは関係ねぇ! ルールなんざ付き合うかよ!」

「いいえ、貴方たちは従うしかない。すぐに理解するわ」

「ッ……!」

 

 その瞬間、パレスの認知が歪み、シャドウ冴の姿にちらつくように不気味なノイズが走る。目にした者が思わず息を呑むほど、シャドウ冴の体は一瞬、グロテスクな化け物へと変貌した。その姿はまるで怒りと憎悪が具現化した怪物で、彼女の苦悩が暴走した形そのものだった。

 

「──来なさい」

 

 大切な姉の暴走を目の前で見た真はショックを受けて目を瞑る。刺激物のような姉の本音、目を逸らしたくなるのも無理はない。そんな真の肩に明智が肩を置く。

 

「救うんだろ?」

「……うん……!」

 

 その明智の一言で真はやるべき事とここにいる意味を再確認し、目の前の姉を見据える。

 

「最大限注意してかかれよ……!」

 

 モルガナの一声が怪盗団に緊張感をもたらす。かくして、賭博場の支配人シャドウ冴と怪盗団の勝負の幕が、ついに切って落とされた。

 

「さぁ、正々堂々いきましょう!」

 

 怪盗団が攻撃を身構える前にシャドウ冴は指をパチンと鳴らす。すると、先ほどまでシャドウ冴が映っていた画面に『HPを賭ける』という文字が浮かび上がっていた。

 

「さぁ、このルーレットでお互いの命運を賭けた勝負をしましょう。もちろん暴力行為は禁止よ。ルールは守ってもらうわ」

 

 シャドウ冴の冷たい声が響き渡る中、彼女の指が空気を切ってパチンと鳴ると、重厚なルーレットが動き出した。鈍い金属音が周囲に響き、機械じみた回転音がじわじわと緊迫感を増幅させる。まるで空間全体がその音に縛られ、時の流れさえも狂わされたような感覚に、怪盗団の誰もが息をのむ。視界に次々と流れる色と数字が行き交うたび、ひりつくような緊張が仲間たちに伝染し、皆の鼓動も速さを増していった。

 

 だがその時、竜司がシャドウ冴に向けて吠えるように言い放つ。

 

「だから、今更ルールなんて従うわけないだろ! イカサマありのクソゲーもここまでだ!」

「構わないわよ? そういう人にはペナルティを受けてもらうだけだもの……」

 

 シャドウ冴の挑発的な言葉に、竜司は迷うことなくペルソナを呼び出すためのポーズを取るが、その腕が突然、胡桃に制された。

 

「現実でもルールを破って暴力に訴えてくる人間を、社会は守ってはくれない……だろ?」

 

 胡桃の静かな声には、冷静でありながらも強い確信がこもっている。その言葉に一瞬、竜司がためらい、胡桃の顔を見やる。

 

「っ、でもここは認知の世界だろうが」

「認知の世界だからこそ、冴さんの見る現実がこのパレスに適応される……提示したルールを破ったら碌なことにならないと思う」

 

 明智の助言に少しの静寂が再び二人の間に落ちる。竜司は小さく舌打ちし、視線をそらしながらも、渋々と引き下がる姿勢を示した。

 

「……わあったよ。一旦様子見だ」

「……話し合いは終わった? さあ、一度目の勝負よ。どのポケットに玉が入るか予想しなさい」

 

 画面が切り替わり、そこには広大なベッティングエリアが映し出される。真っ白なライトに照らされ、異様なまでに輝いて見えるエリアには、怪盗団をあざ笑うかのように赤と黒の数字がずらりと並ぶ。

 

「さぁ! 賭けなさい!」

 

 シャドウ冴の高圧的な声が響く中、モルガナが低い声でジョーカーに囁きかけた。

 

「……ジョーカー。十中八九イカサマされるだろうが、ここは大人しく賭けて、イカサマを看破してやろうぜ」

 

 モルガナの提案にジョーカーは静かに頷いて肯定する。

 

「……【赤】に賭ける」

 

 ジョーカーはモルガナの提案に冷静に頷き、ベッティングエリアを見据えた。慎重に【赤】のエリアに賭ける。高配当には期待できないが、その分リスクが低いカラーベット──可能な限りの安全策を選んだ。

 

「選んだ? なら結果を見てみましょう!」

 

 転がる玉は徐々に速度を落としながら、ポケットに吸い込まれるように揺らめく。怪盗団のメンバーたちは皆、息を潜めて「赤」に落ちることを祈りながらその行方を見守っていた。

 

しかし、その中でただ一人、胡桃だけは玉の軌跡を冷静に見定めていた。その視線はまるで獲物を捉える鷹のように鋭く、ただ「祈る」他の者とは違う気迫が漂っている。

 

 彼はすでに知っていた。このルーレットの構造には、プレイヤーを欺く仕掛けが隠されていることを。選んだポケットに入ろうとした瞬間、ルーレット内部のガラス蓋が玉を弾き、あらかじめ設定された隣のポケットに誘導する罠が仕込まれているのだ。

 

(赤のポケットに玉が入った瞬間、あのガラスの蓋を銃で打ち抜けば……!)

 

 タネを知る胡桃は、メンバーのようにイカサマを見破るための様子見をする必要などない。彼は有利な結果を奪うため、先手を打ってこの仕掛けを打破できる。それが彼にとって最も効果的で、確実なカウンターだった。しかし、彼の右手が銃に触れかけた瞬間、その動きが止まる。

 

(……見られてる)

 

 気配を感じて背後に視線をやると、すみれがじっと自分の利き手である右肘を見つめていた。その視線は、胡桃が手を伸ばした瞬間にだけ向けられた特別な関心を帯びている。

 

 今までの胡桃なら、その視線に構うことなく、思うがままに銃を手に取り行動していただろう。攻略法を知っているからこそ、彼は必要なイベントやフラグを最小限に留め、あらゆる展開を力ずくで突き進んできた。

 

 しかし、先日の文化祭で、すみれに怪しまれたことが記憶に残っている。あの一件が、胡桃の心にわずかな迷いを生じさせていた。警告をもらった選手が次に強気なプレイを控えるように、すみれの視線は胡桃の行動にブレーキをかける役割を果たしていた。彼にとってすみれは、無意識のうちに審判として行動を釘刺す存在となっていたのだ。

 

 胡桃はゆっくりと、銃にかけた手を下ろす。彼は今、心の中でわずかに不利な結果をも受け入れる覚悟を決めた。

 

 転がる玉がスローモーションで最後の一周を描くとき、静寂が場を支配した。怪盗団もシャドウ冴も、全員が息を飲んで結果を見守る。

 

 見送った玉が向かうポケットは【赤の7】、入れば怪盗の取り分だが、【赤の7】のポケットに玉が収まろうとした瞬間、弾かれたように隣のポケットに入ってしまう。結果は【黒の20】、怪盗団側の負けである。

 

「ぐっ……!」

 

 そしてベットした怪盗団全員の体力が奪われ、シャドウ冴がその取り分の体力を回復する。ジョーカーは顎に手を当て「なるほど」と低く呟いた。鋭い視線でルーレットを見据え、確信めいた口調で告げる。

 

「ポケットに透明なガラスで蓋されている……。ブル、割ってくれ」

「了解」

 

 待ってましたとばかりに胡桃は銃を取り出し撃つ構えをとる。が、ジョーカーがそれを止めた。

 

「いや、銃だと外す可能性あるだろ。最初から全部割ってくれ。ペルソナで」

 

 その指示を聞いて、胡桃は一瞬、彫刻のように動きを止める。地面を指さしながらさらりと提案してくるジョーカーの姿に、胡桃は驚きと呆れの入り混じった視線を向けるが、その提案に心の奥が熱く揺れた。

 

「暴れ足りなかっただろ?」

 

 正直、このパレス以外にもシドウパレスを単独で潜っているので特段戦闘に飢えているわけではないが、胡桃の闘争心は打てば響く。

 

「…………はは」

 

 笑いながら低く声を漏らした。呆れ半分、感心半分の表情だが、確実に胸の奥で興奮が滾っているのを感じている。

 

「いいんだな?」

「ああ、正々堂々っていうのはこういうことだ」

 

 胡桃が仮面を握り潰すように手をかければ、青い炎が噴出し、アステリオスが顕現する。

 

 その巨躯に備えられた、破壊を齎す両手を頭上に掲げ、まるで運命の神に祈るように両の掌を組み合わせる。

 

 ギリ……! と、両掌が歪んだ音が聞こえてくるほど強く固く握りしめて力を溜める。

 

「──……っ、せぇ──のぉっ‼︎」

 

 胡桃の掛け声と共に、アステリオスは一つの鉄塊と化した両手を、天から地へと勢いよく叩きつけた。

 

「なっ……!」

「うおっと……!」

「ちょ……アブな!」

 

 まるで隕石が落ちたかのような衝撃がフロアを揺るがし、一瞬の浮遊感を全員が味わう。激しい振動がフィールド全体を襲い、ジョーカーの狙い通り、ガラスで封じられていたポケットは全て粉々に砕け散った。割れたガラスの破片が光を反射して、眩い雨のように舞い降りる。

 

「──……次は【2nd12(セカンド・ダズン)】だ」

「……なんですって……?」

 

 ガラスの雨が静かに舞い落ちる中、ジョーカーはポケットに手を入れ、シャドウ冴を鋭く見据えて宣告する。

 

「お望みの正々堂々の勝負だ。それともイカサマ無しだと、2/3の確率に賭けるのも怖いか?」

「っ……いいわ……! 乗ってあげるわその勝負……!」

 

 シャドウ冴の表情に僅かな焦りが見え隠れするが、毅然とした態度を崩さず、大画面に賭ける対象が映し出される。

 

『HPを賭ける』

 

 ルーレットが再び回転し、玉が転がっていく。今回は純粋な運にのみ委ねられた勝負であり、イカサマの仕掛けもない真剣勝負だ。

 

 確率で言えばシャドウ冴が有利であるものの、外れる30%という数字は彼女を少なからず不安にさせる。

 

(私の方が確率は有利……! 負けるはずがない、私が勝つ……! ……勝て!)

 

 シャドウ冴は心の中で、己を鼓舞して当たるように祈る。

 

 対するジョーカーは、ポケットに手を入れたまま余裕の態度を崩さない。自信に満ちたその姿には、不安や焦りの影は微塵も見えない。冷静さの中に鋭い観察力を湛え、ルーレットを見つめる彼の表情には、圧倒的な信念が宿っていた。

 

 イカサマで裏付けされていた自信など所詮まやかし。持ってる人間は、恐れ、不安、焦りに支配されない心が外面に現れる。

 

 転がる白い玉は勢いを徐々に失いながら、ポケットの淵で跳ねては流れ、最後の行き先を品定めするかのように方向を変える。止まる先を選ぶように見えたその一瞬、玉は滑らかに淵を超え、鮮やかな赤のポケットへと吸い込まれていった。

 

「なっ……⁉︎」

 

 幸運の女神は彼に微笑んだ。

 

 ダメージはシャドウ冴に入り、受けたダメージ分のHPを怪盗団は回復する。イカサマの代償を受けて膝をつく彼女を、すかさず怪盗団は包囲する。

 

「まさか……っ、そんな当たるわけないっ……! 私の方が確率は高いはずなのにっ……! どうして……!」

「別にこっちの33%もそんな低くないと思いますけど?」

「それにこっちは全員分の運を合わせりゃ10000%ぐらいあんだよ!」

「スカルそれバカっぽいからやめて」

「っ、ふざけないで……! 運が味方してくれたぐらいで勝った気にならないで……! まだ負けてない、負けてないわ……!」

 

 シャドウ冴はその拳を握りしめ、悔しさで歯を軋ませながら怪盗団たちを睨みつける。その瞳は敗北の絶対的な恐怖と異常なまでの勝利への渇望で、己が正義すら見失ってしまった眼差しを発している。

 

 最後に立って笑っているのは私だと。身勝手な正義で私を見下ろすなと思考が真っ赤に染まる。

 

「私は……、私は勝たなければならないのよっ!!」

 

 勝利への執着が彼女自身の姿を変えていく。

 

 シャドウの体から出た黒い靄と液体は彼女を飲み込むようにして覆い隠す。そうして瞬く間に黒が消えると、彼らが知っている「冴」という人物は欲望に取りつかれた悪魔の姿となって出てくる。

 

 右手にガトリングガン、左手に巨大な剣を持ち、鉄仮面に覆われ、返り血を浴びたグロテスクな処刑人が怪盗団を睨みつける。

 

 これこそがニイジマパレスの主であるシャドウ冴の真の姿。ニイジマ・レビアタン・サエである。

 

「ここは私の世界! 私がルールで私が正義で私が全て! この世界の勝者は私一人だけでいい!」

「……たとえ、イカサマで勝ったとしても?」

「イカサマがなに? 卑怯がなに? 小癪でも陰湿でも生き汚くても勝てばいいのよ! 勝てば正義! 正しさはいつも勝者側にあるのよ!」

 

 そう言い放つと同時に、フィールドのルーレット盤が変化する。赤と黒の数字の目盛りが、属性を示す絵柄へと変わった。再び回り始めたルーレットの玉が落ちたのは【火炎】のポケット。

 

「私の正義は示した……灼熱の地獄は悪を裁くためにあると!」

 

 頭上に現れた火球が怪盗団へと向かって飛び、地面に着弾と同時に爆発する。爆炎が走り、周囲の空間が熱で歪む。

 怪盗団のメンバーは即座に飛び散り、火球の衝撃を回避する。だが、熱気が肌を焦がし、轟音が耳を打つ。

 

「ぐっ……! だったらこっちもやってやるよ!!」

 

 竜司が地面を蹴り、煙の中から姿を現す。彼は自身のペルソナである【キャプテンキッド】が覚醒した姿、【セイテンタイセイ】を召喚し、電撃をまとった大砲を構える。

 

 一閃、青白い稲妻がシャドウ冴に襲いかかる。だが彼女は瞬時に剣を振りかざし、雷を弾き返す。電撃は壁に当たり、火花を散らした。

 

「クソッ……んだアイツ雷に耐性あんのかよ。全然効いてるように見えねぇ」

「ううん。ルーレットで耐性が変わったと考えるべき。多分、火炎の絵柄に入ったから火炎属性の攻撃をしてきて、火炎とそれ以外の耐性は上がってる。もしかしたら相反する属性は効くかも!」

「ならば俺が、──カムスサノヲ!」

 

 双葉が推察した言葉を信じ、今度は祐介がペルソナを出す。

 

「……あ、ブル。ちょっとカバーやって。私も攻撃する!」

「は? お前ナビの話を聞いて「ヘカーテ!」……おい!」

 

 そして何を思ったのか、杏も自身のペルソナを出して火炎属性の攻撃を繰り出す。左から氷結、右から火炎の挟撃がシャドウ冴に襲い掛かり、シャドウ冴はそれを避けずに受けた。

 

「ぐっ……!」

 

 祐介が繰り出した氷はガトリングガンに当たり、先ほどの電撃よりもダメージが入る。だが案の定、火炎属性の攻撃の方は反射され、火球は杏の方へ向かう。あと数メートルで当たるという距離で、胡桃がその間に割り込み、彼の近接武器である槍で弾いて防いだ。

 

「……おい」

「ナイスパリィ。同じ属性使える仲間がいるとこういうこと出来ていいね」

「おい」

「いやほら本当に炎が効くか試しただけ。それ分かればルーレットで当たった属性以外のメンバーでタコ殴り出来るし、今だとしたら私達はその補助とか壁に回れるでしょ。それに一番火力が低いやつで攻撃したから痛くなかったでしょ?」

「試すんだったらジョーカーの持ってる火炎瓶でよかっただろうが」

「…………sorry♪ あ痛っ」

 

 杏はばつが悪そうに笑い、つい失念していた火炎瓶のことをらしくないぶりっ子で謝りつつ、槍の柄で頭を小突かれる。

 

「ジョーカー」

「ああ、しっかり聞いてた。俺もそれで行こうと思ってたから、作戦の伝達が省けた」

 

 蓮が全員に目配せすると全員が話を聞いてたのか、一人を除いて同意の頷きを返す。

 

「君らっていつもこうなの? いい加減というかゴリ押し気味というか……、さっきの賭けだってイカサマを見抜いたなら、ポケットに落ちた瞬間に銃でその部分だけ壊せば外れるリスク無しで、リターンを得られたのに」

「クロウは無属性の攻撃使えたよな。ルーレットでどの属性が当たっても補助に回らず攻撃に専念してくれ」

「……まったく人使いが荒いな。僕、新入りなのに」

 

 頷きを返さなかった一人が諦めたようにため息を吐いた後、ペルソナを呼び出してスイッチを切り替える。仮面の下のその眼光は、猛禽類が獲物を狙い定めるが如く鋭く光る。

 

 やる気に満ちたメンバーを前に、ルーレットが回り始める。次に玉が入った属性は──【念動】

 

「ノワールはサポートを! それ以外のメンバーは攻撃に集中!」

「了解!」

 

 念動属性を持つ春以外のメンバーが蓮の合図で一斉に動き、シャドウ冴に対して総攻撃を仕掛ける。次々と炸裂する技や力が、怒涛の如くシャドウ冴へと叩き込まれる。

 

「ぐぅ……このっ……!」

 

 シャドウ冴は怪盗団の猛攻に耐えつつ、歯を食いしばり、ガトリングガンを振りかざして全体に掃射する。

 

 しかし、銃弾の嵐は怪盗団の皮膚に到達する前に全て反射され、再びシャドウ冴へと跳ね返る。春が攻撃の前に唱えていた【テトラカーン】が効果を発揮し、怪盗団は無傷のまま立ち続け、シャドウ冴はその反射ダメージにより苦しそうに膝をついた。

 

「はぁ……はぁ……、……………………負けたくない。敗北に……正しさは無い」

「……! お姉ちゃん!」

「私は正しい……正しいのよ……! だから勝者じゃなきゃいけないのよ!! 邪魔をするなら叩き潰してあげる!!」

 

 体力を使い果たし、精神も疲弊しきった彼女は、もはや目の前の敵をただ叩き潰すことしか考えられなくなっていた。その焦点の合わない瞳が怪盗団を捉え、『勝者=正義』という単純な解に固執し続ける。妹からの必死の呼びかけも、彼女の耳には届かない。

 

 怒りに駆られた彼女の視線の先で、ルーレットが狂ったように回り始める。盤上を跳ね回る玉は、どこかに落ち着く気配を全く見せず、外枠を叩きながら暴れ回っている。

 

 ――そして、ビタッと、誰かが見えない手でルーレットを掴んだかのように急停止し、玉が不自然な跳ね方をして『万能属性』のポケットに入る。

 

「勝つ……勝てさえすれば、それできっと……!」

 

 興奮したように肩を上下させ、漲った肉体はその在り余った力を発散させるために両腕をぶつけ合い、火花が散る。様子が変わったシャドウ冴を見て、怪盗団は一瞬、猛攻を止め、一歩引いた。

 

 だが、その集団の一歩前に雄牛の仮面を被った男が、勢いよく前に出る。彼はシャドウ冴の目の前で滑り込むように立ちふさがると、ペルソナを呼び出し、全身全霊の攻撃を叩き込むために拳を構えた。

 

「バカね! 隙だらけよ!」

 

 しかし目の前で隙を晒してしまっては、自ら首を差し出してきた下手人にすぎない。シャドウ冴は左手の大剣を空高く掲げ、ギロチンのように振り下ろす──。

 

(この状態になればHPを半分切ってるのは確定……! ここからバカみたいな攻撃バンバン打ってくるから、超火力でぶっ飛ばすのが効率的……!)

 

 だがシャドウ冴も怪盗団も気づいていない。彼女がイカサマを用いているように、こちら側にもまたイカサマをしている者が一人いるということを。

 

 敵の行動パターンを把握し、HPを逆算し、弱点を突く──転生した前世の経験値を使ったイカサマを。

 

(今の全部使っても、白衣さんをギリ倒せないレベルだから、まだ約半分残ってるボスを倒すには足りない。だから特性を発動させてダメージを上乗せさせる……!)

 

 振り下ろされた剣は胡桃の体を一刀両断しようと、肩から胸にかけて斜めに斬りおろす。

 胡桃の上半身と下半身は真っ二つに分かれ、赤と黄色と黒が混じったグロテスクな中身が飛び出し、彼女の左手の大剣は処刑人に相応しい色に染まる。

 

 ──はずだった。

 

「……はい……、勝ち……!」

 

 二つに裂くはずだった巨大な剣は、彼の僅かに彼の肉を抉るものの鎖骨あたりで止まっていた。

 

 ここは認知世界であり、ペルソナの力で強化された肉体が、彼の体を異常なまでに頑強にしていたのだ。もちろん痛みは感じるものの、それすら彼は無視する。彼のペルソナ、アステリオスは、主君の痛みに呼応して怒り狂うように咆哮を上げ、その目が赤く光を帯びる。

 

 アステリオスの特性は【逆上の雄牛】(HPが半分以下の時、敵へのダメージが二倍)

 百倍返しとばかりにアステリオスは拳を万力の如く握りしめ全エネルギーをその一撃に籠めた。

 

 迸る大紅蓮。彼女の眼前に迫る赤色の隕石。

 

「ぶっっっ、壊れろっっ──!」

「────ぁ」

 

 直撃した巨拳は、鬱陶しい小細工を一掃するような一撃だった。シャドウ冴は吹き飛ばされ、後ろにバウンドしてから地面にうつ伏せに倒れる。

 

「ぐっ……う……」

 

 必死に立ち上がろうとも、四肢に力が入らず、また地に倒れ込む。もう勝負はついたも同然だった。

 

 イカサマを駆使しても、シャドウ冴は怪盗団に勝てなかった。その理由は様々あるが、彼女の敗因を一言で表すならば──。

 

「運が悪かったな」

 

 

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