通信機から聞こえる明智と胡桃の会話に、怪盗団のメンバーは立ち止まり、その言葉を静かに耳に傾けていた。主に響いてくるのは胡桃の声だけだったが、その勢いに押されるように、他のメンバーは彼の状況を想像しながら不安に包まれていた。やがて、ガシャという破壊音が響き渡り、その瞬間に通信機から胡桃の声が途絶えた。
その音が響き渡った瞬間、場の空気が一変し、メンバーたちの心にも冷や汗が流れ落ちる。緊張感が張り詰め、顔を見合わせる中で、彼らは互いの目の中に不安を読み取った。
「マズいんじゃねぇのか、これ……?」
竜司が口を開いたが、その言葉には疑念だけでなく、どこか恐れを含んだ響きがあった。目を伏せ、唇を噛む真が抑えた声で応じる。
「……ええ……明智くんが胡桃を裏切った」
その瞬間、すみれの体が弾かれたように前へと動き、胡桃の元へ駆け出そうとする。しかし、それより早く真が彼女の肩をしっかりと押さえた。
「っ、なんで止めるんですか! 離してください! 助けにいかないと!」
すみれの言葉は荒れ、声が震えていた。真は冷静な瞳で彼女を見つめ、優しくも力強く双葉に頼んだ。
「……ナビ、通信は?」
「さっき明智にだけは聞こえないように、ペルソナで全員の音声チャンネル弄った」
「ありがとう」
真は双葉にお礼を言うと、すみれの両肩をしっかりと掴んで向き合わせる。その目をしっかりと見つめ、言葉を選んで伝えた。
「……いい? みんなもよく聞いて。今、胡桃は明智くんに裏切られた。経緯や思惑はどうあれ、ここで蓮と一緒に捕まえるつもりよ。……でも、まだ本命の作戦がバレたわけじゃない」
真の言葉には、冷静さと共に強い意志がこもっていた。そして最後の言葉には含みがあった。想定外ではあるが最悪ではない。肉は切られたが、敵の骨を断つ刃は今だ健在だと。
その含まれた意味を汲んで次の言葉を察するのは容易だった。
「…………まさか、胡桃先輩を見捨てろって言うんですか」
その答えに全員が押し黙った。怪盗団のメンバーは、齢二十にも満たない若者たち。彼らにとって、仲間を見捨てるという選択は心が引き裂かれるような残酷なものだった。すみれの瞳には、怒りと悲しみが交錯しており、彼女の全身が微かに震えているのが見て取れた。
「──っ、ふざけないでくださいっ!!」
その叫びは場の静寂を引き裂き、すみれは掴まれた手を乱暴に振り払った。しかし、真は彼女の二の腕を再びしっかりと掴み、強引にその場に留めた。すみれの動きはそこで止まり、再び視線が交差する。
「聞いて時間がない! ……胡桃は最後に金目的で怪盗団を裏切る予定だった事を、通信機で私達が聞いてる前で明智くんに話した。つまり明智くんには、胡桃が自ら裏切者であると私たちにばらしたように見える。
……そんな
真の声には冷静な分析が込められていた。怒りに揺れるすみれに対して、あくまで理性的に、そして何よりも胡桃の意図を伝えようとしている。
「っでも! それでも仲間の命よりも作戦が重いわけないですっ!」
「そういう事を言ってるわけじゃないわ。頭の回る彼がそんな事を感情のままに言ったわけがない、あえて明智くんの前で言ったのよ」
真は強い言葉でそう断言した。その言葉の裏にある、胡桃の覚悟と深い計算を読み取った上での確信だった。
「……『助けに来るな』ってことですか……?」
すみれが問いかけると、真は掴んだ手にさらに力を込める。肯定の意を示すその力に、すみれは目を伏せ、唇を噛んだ。全身が無力感に襲われ、どうしようもない思いに心が引き裂かれるようだった。胡桃を助けたいという思いと、真の言葉に込められた冷静な判断の間で板挟みになっていた。
「……なぁ、俺たちが最速でアイツの元に行って、明智の野郎をぶっ飛ばして全員で脱出じゃダメなのかよ?」
「悪いスカル。それはもう遅い。ブルの元にも警察が向かってる。ここで最速でも鉢合わせて一網打尽にされる」
竜司の声には、どこか焦りと今すぐ行動に移したいという衝動が見て取れた。だが、その提案は冷静な一言で制された。
「警察ぐらい俺らにでも──」
「警察を殴るのか?」
「……いや、それは無しだ。悪ぃ」
その一言で、竜司は言葉を飲み込んだ。
現実の人間に対して暴力を振るうのは明確な罪。異世界の力を使って、無闇やたらに暴力を振るうのは怪盗団ではなく暴力団だ、その一線は越えられない。
「でも……それでも、どうしても、嫌、です……だって、私……まだ……!」
目を伏せたまま、彼女は再び拳を握りしめた。怪盗団の他のメンバーも、それぞれの葛藤が顔に現れていた。誰もが胡桃を見捨てることに抵抗を感じていた。
そんな中突然、通信機から割れたような音が再び響き、短い静寂の後に低く落ち着いた声が入ってきた。
『聞こえるか?』
蓮の声だった。
『話は全部聞いてた。作戦通りなら、多分これが最後の通信になるから伝えとく。……俺と胡桃を信じろ』
「でも」
蓮の言葉に皆が無言で耳を傾ける中、すみれが震えた声で応じる。
『胡桃は俺たちの作戦が絶対に成功することを信じて、自らを切り捨てる選択をしたんだ。なら俺たちはその信頼に応えるべきだ。それに向こうが胡桃を捕まえる以上、殺すメリットよりも生かして利用するメリットの方が大きいはず。……だとしたら俺たちの作戦が成功したら一緒に脱出できるかもしれない』
蓮の言葉には確かな理論はなく、あくまで「はず」「かもしれない」という不確かな推測に過ぎなかった。しかし、蓮の落ち着いた口調と決意が、その言葉に不思議な説得力を与えていた。焦燥の中で藁にもすがりたい思いの怪盗団の面々にとって、その根拠のない希望は、一縷の光のように見えた。
『大丈夫だ。信じてくれ。俺も、お前たちを信じる』
ただ、その根拠のない言葉で、絶望から前を向かせるのはリーダーに必要な素質なのかもしれない。
蓮の言葉が通信機から響き渡ると、一同は静かに顔を上げた。その一言に、何かを取り戻したかのような感覚が広がる。彼の落ち着いた声と決意に、メンバーたちは無言のまま信じるしかなかった。
「……わかった。お前がそう言うなら、信じる」
『ああ。後は頼む』
通信機越しにそれを聞いた蓮も、無言で応えるように通信機を切り、最後の静寂が怪盗団の面々を包んだ。
すみれは震える手を必死に握りしめ、ゆっくりと息を吸い込んだ。深呼吸をして心を落ち着けようと努めながら、蓮と胡桃の信頼に応えようと決意を新たにした。そして顔を上げ、その瞳にはすでに決心が固まっている。
「……信じます、二人を」
他のメンバーもそれに続いて頷いた。彼らはそれぞれに不安を抱えながらも、蓮と胡桃を信じることで自らを支え、再び作戦に集中する決意を固めていた。
「作戦を完遂させるために、今は彼らの決断に応えましょう」
怪盗団は再び動き出す。蓮の言葉に託された信頼を胸に、彼らは互いに支え合いながら、次の一手を打つために進んでいく。
***
(……………………詰んだな、最悪)
明智が嗾けてくるシャドウを捌きながら、胡桃は冷静に状況を分析して、心の内でボヤく。
(この敵の数……さっきのメギドラオンでかなり間引いたつもりだったけど、1WAVE目の敵を全滅させただけって感じだな。まだ囲まれてるし放置して逃げるのは無理、それにこの量の暴走シャドウをパレスに放置したら、新島冴の精神にどんな影響が出るか分からんから放置はしたくねぇ……)
振り返りざま槍を振るい、シャドウの頭と同を切り離す。攻撃の隙を見て背後から襲い掛かる敵には彼のアステリオスが巨掌を振るって虫をはたくように叩き潰す。
(……つかなんでこのタイミングなんだ? 俺が俺を切るなら、この作戦成功後に油断しているところを現実世界で拉致して殺す。認知世界よりも現実の方が全然弱いしな。それに俺を切るメリット……まぁ怪しいヤツは傍に置く気はないってことだろうな。でも怪盗団のリーダーを捕まえる重要な作戦に、もう一人捕まえる作戦を組み込むか? ……でも明智は戦わず配下のシャドウに戦わせてるところを見るに時間稼ぎっぽいし……)
持っていたライフルの銃弾が切れ、代わりに槍を投げて遠距離で撃ってくる敵を仕留める。近距離武器を手放してチャンスとばかりに近づくシャドウを、ライフルの銃身を両手で握ってフルスイングして強打をかます。
(うーん、つまり俺を捕まえる作戦は突貫で立ち上げたものだと思うんだけど、なんでそうなった? ……自分の臣従は二人もいらないとか? でもゲームでも結局明智のことも切るつもりだったし……でも獅童は明智の目的のことを知っても傍に置いてるよな? 普通、自分のことを恨んでる奴より、欲望に目を眩んだ奴の方が危険度無いから俺を手元に残しそうだけどな……なんか突然心変わりしたとか?)
胡桃はまだ気付いてないが、この状況を招いた原因は胡桃の『シドウパレスの単独攻略』である。
パレスとは要はその持ち主の精神。そんなところで暴れたら精神に影響を及ぼす。実際にゲームでもシドウパレスを攻略している最中に、獅童が心変わりして明智に身内を処分しろと命令する描写がある。
胡桃のシドウパレスの攻略と共に獅童の心の警戒度は上がり、胡桃を利用するメリットよりも、彼を早々に切り捨てる方の天秤に傾いた。
つまるところ彼が良かれと思って打った先手は悪手であり、胡桃が余計なことをしなければこの状況は生まれなかったのだ。
(っと……危ね、今の攻撃当たるところだった。……まぁ、怪盗団が助けに来ないってことはさっきのブチ切れ通信の意図は伝わったっぽいし、今は暴走シャドウの殲滅に集中するべきだな。……後は癪だけどここの勝ちは譲る。ここでもし俺が明智を倒して切り抜けたとしても、どうせ現実世界で警察使って追い込まれる。……最悪、俺が牢の中でも蓮の生還トリックは実行できるし。敵を下手に刺激して怪盗団捕獲に躍起させるよりも、俺一人が捕まって敵に順調に事が進んでると錯覚させたほうがいい。……捕まった後の、俺自身の事はマジでノープランだけど……)
まるでトカゲのしっぽ切りだと自嘲気味に笑いつつ、先ほど投げた槍を取ってシャドウの駆逐を続けた。
──胡桃がシャドウの群れを着実に駆逐していく様子を眺めながら、明智は冷静に時間を計っていた。彼の目的は胡桃を倒すことではなく、警察が到着するまでの時間稼ぎだ。
(……思ったよりしぶといな。これだけの数を相手にして、まだ余裕があるように見える)
明智は胡桃の動きを冷ややかに観察しつつ、その洗練された戦闘センスに内心で感心していた。何十体ものシャドウを相手にしながらも、胡桃は巧みに動いて隙を見せず、無駄のない一撃で確実に仕留めていく。彼が次々と繰り出す技は一見粗削りだが、その全てが緻密な計算のもとに成り立っている。
(ま、意味はないけど)
明智は片手で通信機に触れ、内蔵されたタイマーが刻む時間を確認した。予定通りなら、警察が到着するまであと少し。この場を胡桃に突破されることさえなければ、最終的な勝利は確実に明智の手の内にある。
──……そして約十分後。
明智が使役していた暴走シャドウを全滅させた胡桃は、無傷のまま地上に立っていた。その周囲を取り囲むようにして、警察の銃口が一斉に彼に向けられる。
「……」
戦場の静寂が戻り、胡桃は自ら武器を手放し、両手をゆっくりと掲げる。それを見た警察が即座に彼の両腕を掴み、無慈悲に床へと押さえつけた。肩と背に重くのしかかる圧力を感じながら、胡桃は顔を少し上げ、明智の顔を見据えた。
その視線の先で、明智は冷たく歪んだ笑みを浮かべ、計画通りに進んだことへの満足感を隠そうともせずに口元を緩めている。
「僕の勝ちだ」
明智の冷ややかな声が降り注ぎ、その言葉には揺るぎない勝者の確信が滲んでいた。しかし、胡桃は挑発的な笑みを浮かべ、無言の抵抗を示すように微かに笑う。
「ああ、負けだよ」
胡桃の短い返答に、瞬間、明智の眉がわずかに動いたかのようにも見えたが、その反応に気づく暇もなく、警察のひとりが銃の底を振り上げ、胡桃の頭を叩きつける。その衝撃が視界を暗闇で覆い尽くし、胡桃の意識はゆっくりと途絶えていった。