幸せなバッドエンドを目指して   作:ぽんしゅー

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#76 エッホエッホ

 

 ──激戦だった。

 

 最初にぶつかったのは、客室区画へ続く通路だった。

 

 だが、そこは明智吾郎と怪盗団が総力を尽くして戦うには、あまりに狭かった。ペルソナの一撃が壁を抉り、銃弾が照明を砕き、炎と雷撃が豪奢な絨毯を焼いていく。避けるにも限界があり、防ぐにも足場が足りなかった。誰かが踏み込めば、誰かが押し返され、そのたびに壁や床へ衝撃が逃げていった。

 

 幾度目かの衝突で、それは起きた。

 

 明智の刃とジョーカーの短剣が噛み合い、その背後で放たれたペルソナの攻撃が床を直撃する。亀裂は一瞬で放射状に走り、次の瞬間、足元が大きく沈んだ。

 

「まずい、床が──!」

 

 誰かの声は、最後まで届かなかった。

 

 轟音とともに床が抜ける。絨毯も、砕けた照明も、抉れた壁材もろとも、怪盗団と明智は下層へ叩き落とされた。

 

 落ちた先は、客室区画の優雅さがもうどこにも残っていない場所だった。

 

 むき出しの配管。鉄骨の梁。低く唸る機械音。鼻を刺す油と焼けた金属の臭い。足元からは、船そのものの鼓動のような振動が絶え間なく伝わってくる。

 

 怪盗団が次に向かうはずだった地下区画の機関室。そのすぐ手前。

 

 崩落した天井から粉塵が降り注ぐ中、明智吾郎と怪盗団は、それでも互いから目を逸らさなかった。

 

 落下の衝撃から立ち直るより早く、戦いは再開していた。狭い通路から開けた地下へ場所を移しても、刃と銃弾とペルソナの応酬は止まらない。

 

 だが、数の差は残酷だった。怪盗団は誰かが崩れれば誰かが前に出る。傷ついた仲間を庇い、隙を埋め、呼吸を合わせて明智を追い詰めていく。対して、明智にはそれがない。受け損ねた一撃も、踏み外した足場も、乱れた呼吸も、すべて一人で立て直すしかなかった。

 

 それでも明智は退かなかった。孤立しているから弱いのではない。孤立してなお、怪盗団全員を相手に戦い続けている。その事実が、彼の異様な強さと、どうしようもない歪さを際立たせていた。

 

 

 そして今──その戦いも、ようやく終息に向かおうとしていた。

 

 

 床は焦げ、壁は裂け、空気は硝煙と鉄で満ちている。仲間の息は荒く、明智もまた剣を支えに立つのがやっとだった。

 

「なんで……ッ、お前なんだよ……ッ、クソが! お前みたいなゴミがァッ! なんで俺より上なんだよッ!!」

 

 血に濡れた眼光は、追い詰められた獣そのもの。剣を振り抜くたびに、己を焼き尽くす炎のような怒りが噴き出す。喉が裂けるほどの叫びは、仮面の内側に貼りついていた。

 

 明智は血の味を噛み、踏み込み──以後はほとんど反射の連続だ。撃って、斬って、呪いを重ね、読み合いを一手ごとに上書きする。総攻撃の形は組ませない。

 対しジョーカーは受けて、捌いて、仲間の隙を覆う。バトンタッチの流れは断ち切らない。重ねた手数のどこにも“逃げ”はない。

 

 ──やがて、最後の交錯。

 

 フロアを揺らす規模の轟音の後、明智は膝から崩れ落ちる。胸の奥を焼いていた激情はまだ熱を残しながらも、急速に冷えはじめていた。肩で荒い息を繰り返し、歪んだ笑みを浮かべ、視線を床に落とす。

 

 決着を悟った竜司が言った。

 

「……もう、いいだろ」

「……ああ……わかってる……懲りたよ」

 

 嗄れた声は、さっきまでの怒号とは別物で、まるで熱を吐き出してしまった炉の残響のようだった。あれだけ剥き出しだった激情が、崩れ落ちた膝と共に急速に冷えていく。

 

「いいよな。お前は……」

 

 蓮を見る。呟きは弱々しくも、ねっとりとした棘を含んでいた。胸の奥では妬みと苛立ちが渦巻いている。羨望と憎悪が混じり合い、どうしようもなく認めたくない感情が滲み出る。

 

「……仲間に囲まれて、認められて……」

 

 かつて『探偵王子』と呼ばれ、世間の注目を浴びた少年の姿はそこにはなく、ただ敗北を受け入れた一人の人間がいるだけだった。

 

「しかも獅童が罪を告白すれば、お前らは英雄。俺は過去の推理も自作自演だとバレて名声も信用もすべて無くなる」

「……なるほど。自分で暴走させたターゲットを自分で解決してたってことか」

「……結局特別な存在になんてなれなかった」

 

 明智の嗤いが硝煙に紛れ、空気に溶けて消えかけた時、竜司が、低く、真っ直ぐな声で言った。

 

「──お前だって十分特別だろーが」

「……!」

 

 不意の敵からの称賛に、明智は言葉を失った。

 

「悔しいけど……私たち、全員でかからないとあなたと互角に戦えなかった」

「あなたは確かに、間違った選択をした。でも……力も頭脳も、努力も、全部本物で私たちの誰よりも上。そこは、否定できない」

「ペルソナだって、一人一体のところを、お前は複数使えてた。もしかしたら、ジョーカーと同じ才能があったんじゃねぇの? なのに人生ソロプレイだったから目覚めた力は自前の「嘘」と「恨み」の二つだけ。でもそれで十分だって思ってたんだろ? わかる。……それはすっげぇわかる」

 

 明智の胸に、怪盗団の仲間の言葉がひとつずつ落ちていく。否定したいのに、皮肉で返したいのに声が出ない。ただ心臓がざわめき、これまでに感じたことのない痛みに似た熱がこみ上げる。

 

「……あと一枚なんだ紹介状。それを奪い取ったら予告状を出す」

「邪魔されるのも困るし、一緒にケジメつけにいく?」

 

 その言葉に、明智は嗤うこともできず、ただ唇を震わせた。

 

「……邪魔ならここで処分しとけばいいだろ。理解を超えてるよ……お前らは」

 

 顔を上げた明智の表情には、怒りでも嘲りでもない。ただ疲れ切った笑みが残るだけだった。誰も言葉を継げず、廊下に沈黙が落ちる。

 

 その時──。

 

「──話は終わった?」

 

 冷ややかな声が割り込み、全員の視線が音の主へと向いた。 そこに立っていたのは、本物と寸分違わぬ顔をしたもう一人の明智だった。

 

「明智が二人……いや、認知上の明智か!」

「正解」

 

 認知の明智は懐から拳銃を抜き、その銃口を本物の明智へと向ける。

 

「お前……!」

「動いたらこいつを殺す」

 

 反射的に動こうとした怪盗団を、銃口をちらつかせて牽制する。誰もが固唾を呑んで、身動きを止めた。

 

「ったく。期待してたのに、失敗しやがって」

 

 認知の明智は、心底つまらなそうに言った。

 

「まぁいいか。選挙が終わったら始末する予定だったしな。散々人を殺しておいて、自分だけは大丈夫だと思ってたのか? 頼られてるって、内心舞い上がってた? おめでたいな」

 

 その声音は明智のものだった。けれど、そこに明智の怒りも、焦りも、執念もない。ただ他人を見下すためだけに作られた、薄汚い嘲笑だけがあった。

 

「ああ、そうそう。船長からの伝言だ」

 

 銃口が、明智の額へ向けられる。

 

「『廃人化の報いを受けろ』だとさ」

「……なるほどな。パレスに入れる僕が、もしここで暴れたらどうするのかと思っていたが、そういう事か……」

 

 怒りや悔しさよりも先に納得があった。

 

「お前がその係。同じ顔した人形に殺させるわけだ。……あの男らしい」

「そうとも俺は人形さ。……けど、俺の人形なら、お前も人形だろ?」

「は?」

 

 言葉通り、人形のように表情筋をピクリともさせずに話していた認知の明智の顔に、初めて“表情”らしきものが浮かんだ。粘ついた笑み。底意地の悪い、薄汚れた歪曲。

 

 まるで本物の心の傷を楽しむように。

 

「認められたかったんだろ? 愛されたかったんだろ? お前はさ、ハナから人形だったんだよ」

 

 その言葉は、明智本人に向けられているはずだった。けれど、怪盗団の誰もが理解してしまった。

 明智吾郎という人間を、獅童正義がどう見ていたか。その答えが、同じ顔をした口から吐き出されているのだ。

 

 利用できる限りは近くに置き、都合が悪くなれば切り捨てる。ただ命令通りに動き、罪を背負わせるための道具。それを、あまりにも当然のように告げている。

 

「テメェ……!」

「これが獅童が考えている明智吾郎……」

「今からでも改心させよう! たとえ実の親でも……ううん、実の親だからこそ」

 

 怪盗団が必死に言葉を投げかけるが、認知の明智はうんざりしたように片目を細めた。

 

「ごちゃごちゃうるさいなぁ……先にお前らからやってやろうか?」

 

 発した言葉に呼ばれるように、認知の明智の周囲に黒い影が沸き上がる。床の亀裂からにじむように数体のシャドウが現れ、通路を塞ぐように姿勢を低くした。

 

「シャドウまで従えてんのかよ……!」

「何なら誰か身代わりを志願しろよ。少しはこいつの死が遠のくかも知れないぜ。『誰かのため』がモットーなんだろ? ……ああ、俺と同じだな船長のためならいくらでも罪を被って死ぬ気だし」

 

 その言葉に、蓮が眉をひそめる。怒りと嫌悪と、何より“そんな風に思われていたのか”という衝撃が入り混じった表情だった。

 

「人殺しを手伝わせた上にこんな風に思ってるなんて……」

 

 認知体の冷酷さは、まさに獅童の心をそのままトレースしたもの。明智が“便利な駒”としてしか見られていなかった事実が、あまりにも露骨に見せつけられている。

 

「そうだ最後のチャンスをやるよ。お前が奴らを撃て」

「…………はは……」

 

 その声音には怒りも焦りもない。代わりにあったのは、ようやく腑に落ちたような、残酷な真実にようやく形がついた時の、乾いた笑いだった。

 

「……俺が馬鹿だったよ」

 

 まるで、自分が信じた“期待”という言葉の実体をはじめて目撃したかのように。明智の視線は認知体に向けられているが、その奥にはもっと深い場所、獅童正義という男の、歪んだ価値観が透けて見えていた。

 

 そして改めて怪盗団の方を向いて、蓮に銃口を向ける。その動作に、怪盗団らの喉が一斉に鳴る。息が止まる。認知の明智は満足げに顎を上げ、「それでいい」と言わんばかりの笑みを浮かべる。

 

「そう。それが船長が望むお前だ」

「……勘違いするなよ」

 

 だが──明智の目だけは違った。銃口が、蓮から一瞬で“横へ”跳ねる。その先にいたのは、認知の明智。

 

「消えるのはお前だっ!」

 

 認知の明智が目を見開く。驚愕すら追いつかないほんの一瞬。その間隙に閃光が走った。蓮ではなく“己のコピー”へと引き金が引かれた。認知の明智の肩口に弾丸が突き刺さり、黒い霧のような粒子が弾け飛んだ。

 

 だが、そのまま終わらない。明智の指は、すでに“次弾”を呼び出している。

 

 ──直線ではなく、斜め。

 ──敵ではなく、背後。

 ──殺意ではなく、突破口。

 

 第二の銃弾は、怪盗団へ向けて撃たれた。だが、それは誰一人として狙っていない。弾丸が一直線に飛び、水密隔壁の操作スイッチに吸い込まれるように着弾した。ガラスの保護ケースが砕け散り、内部の配線へ火花が走る。直後──天井に設置された赤いランプが、警告のように点滅を始めた。

 

『水密隔壁が閉鎖されます隔壁の内側にいる作業員は直ちに避難してください』

 

 機械的な女声が、無機質な残響を伴って通路中に響き渡ると、怪盗団と明智の間を分かつように隔壁が上がる。金属が軋み、鋼の壁が明智の逃げ場を塞ぐように起き上がっていく。

 

 その黒い面が上昇するにつれて、蓮の視界から明智の姿が削り取られていく。存在そのものが、鋼鉄に塗り潰されていく。

 

 ──把握。理解。思考。

 

 今から走り込む余地はあるか。

 失敗した場合の着地点は。

 隔壁に挟まれたらどうなる。

 仲間は。

 明智は。

 この状況で、正しい選択はどれだ。

 

 判断を──。

 

「──飛べ!」

 

 ──咄嗟に、身体が動いた。

 

 その声の主が乙守胡桃だと認識したのは、ほんの少し後のこと。その時の蓮は、思考よりも先に跳んでいた。何が起こるのか。隔壁の速度がどれほどか。飛んだ先が安全か。

 

 そんな問いは、全部後回しになった。

 

 蓮の足が開口部の境界線を越えた瞬間、隔壁が噛み合うように上昇し続ける。靴裏が床に着地したと同時に隔壁が完全に閉鎖された。

 

「ジョーカーッ!!」

 

 隔壁の向こうから、怪盗団の叫び声だけがかすかに聞こえる。蓮は着地の衝撃を膝で吸収しながら、ゆっくりと顔を上げた。赤い非常灯が回転し、細かい影が通路の壁に揺らいでいる。

 

 体勢を整え、前を向く。

 

 そこに、胡桃がいた。隠れることもなく、通路の奥に静かに立っている。

 

 蓮は一瞬、呼吸を忘れた。

 

 胸の奥で、何かが鈍く揺れた。安堵と呼ぶには遅すぎて、怒りと呼ぶには形が定まらない。死んだと思っていた。少なくとも、そう思わされていた。なのにその相手が、何食わぬ顔で目の前にいて、ほんの一言で自分をこちら側へ呼び込んだ。

 

 生きていたのか。

 

 その問いは、声にはならなかった。

 

 言いたいことも、聞きたいことも、責めたいこともある。けれど今は、そのすべてを置き去りにして、胡桃がそこにいるという事実だけが蓮の意識を掴んでいた。

 

 隔壁際の蓮。通路の奥の胡桃。そして、その間に認知の明智。挟み撃ちの形だった。

 

「ッ、クソが! アイツ、失敗しやがっ──」

「──目を離すなよ」

 

 認知の明智が二人に目を奪われている内に、その対面にいた明智がもう一度引き金を引く。今度は肩ではなく、脳天目掛け銃弾は飛んでいき──見事、命中した。黒い粒子が、霧のように弾け散る。

 

「……ふぅ」

 

 指揮役を失ったシャドウたちが、動揺したように身じろぎする。その中で、明智はひとつ息を吐いた。そして、心底うんざりしたように言い放つ。

 

「……なんで、どいつもこいつも、殺したと思った奴が生きてんだっ!」

「胡桃に関しては俺も聞きたい。……認知存在、じゃないよな? どうやってここに来た? お前は獅童に囚われてるんじゃ?」

「ルブランでお前たちが今どういうことをしてるかをマスターから聞いて、ここまで来た。……最後の質問はよくわからないけど、聞き方的に、このパレスの俺の認知存在に会ってあることないこと吹き込まれたな?」

「……待て。それだとこのパレスに、認知存在のお前がいることがおかしい。それか獅童が乙守胡桃が生きてると認知していないと出てこないだろ」

「まぁ、考えることは多々あるがまずは……」

 

 三人は思考を切り替えるように、シャドウに視線を移す。

 

「話はこいつらを片した後」

 

 

 ***

 

 一方、隔壁の向こう側。

 

 分厚い鋼鉄に遮られた通路には、怪盗団の叫びだけが虚しく反響していた。

 

「ジョーカー! おい、返事しろよ!」

「落ち着いて、皆。今は──」

 

 真が声を整えようとした、その時だった。通路の向こうから、ひときわ軽い足音が駆け込んでくる。

 

「みなさん!!」

 

 息を切らし、肩で呼吸をしながら姿を現したのは──芳澤すみれだった。

 

「ヴァイオレット! 無事だったのね!」

「はい。先輩のおかげで」

 

 戦場の匂いに遅れて飛び込んできた視線が、すぐに隔壁へと吸い寄せられる。

 

「隔壁……っ、閉じたんですか!?」

「ああ。今、明智との戦闘中に──……」

「……先輩の言った通りだ……」

 

 すみれは、すでに何かを察していたように小さく頷いた。そして、誰にも聞こえないほどの声でそう呟く。

 

「混乱するかもしれないんですけど……胡桃先輩は、生きてます!」

「なっ──」

 

 どよめきかけた空気を、すみれは慌てて両手で制した。

 

「聞きたいこと、たくさんあると思います。でも、それはパレスから脱出しながら話します!」

「待って。壁の向こうの彼らは?」

「それも、走りながら説明します!」

 

 すみれは一度、隔壁を強く見据えた。その向こうにいるはずの蓮と胡桃を、信じるように。

 

「胡桃先輩は、こうなることを見越していました。だから、私に皆さんを連れて脱出するようにって」

「胡桃が……?」

「はい」

 

 すみれはきっぱりと頷く。

 

「だから、敵に囲まれる前に急いで脱出しましょう!」

 

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