幸せなバッドエンドを目指して   作:ぽんしゅー

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#78 逃げるんだよォ!

 

「うおっ!?」

 

 先頭を走る竜司が大きな揺れと音でつんのめる。床が大きくうねるように震え、壁に掛けられた装飾灯が激しく明滅する。天井のシャンデリアが耳障りな音を立てて揺れ、回廊の奥からぱらぱらと細かな破片が降ってきた。

 

「な、何!? 今の!?」

「爆発……いや、違う」

 

 崩落の気配ではない。だが、局所的な戦闘の衝撃では済まない。この広いパレス全体をまとめて揺らすほどの、桁違いの一撃だ。

 

「……あいつらか?」

「ビンゴ。今の、すっげぇエネルギー反応。場所は少し離れたフロア」

「なにやったんだよ、あいつら……!」

「この規模の揺れを起こす攻撃なんて、普通じゃないわ。急ぎましょう!」

 

 真が鋭く言い、全員が駆け出そうとした時、別の通路の奥から、駆けてくる足音が聞こえた。床を強く蹴る、速い足音。迷いなく、一直線にこちらへ向かってくる。

 

「……誰か来る!」

 

 杏が身構える。竜司も即座に武器に手をかけた。

 角を曲がって飛び込んできたのは、見覚えのあるシルエットだった。

 

「はぁっ、はぁ……今の音、こっちで──」

 

 茶色の髪が揺れる。すみれの目が大きく見開かれた。

 

「……かすみ!?」

「すみれ!? ……っ、よかったぁ……! 無事だったんだ!」

「どうして、ここに……!?」

 

 安堵がこみ上げたのも束の間、疑問がそれをすぐに塗り替えた。肩で息をしながらも、かすみはすぐに言葉を継いだ。

 

「さっき、パレス全体が揺れたでしょ? あれだけ大きな音なら、誰かが戦ってるか、少なくとも人がいると思って。だから発生源の方に向かってきたの」

「いや、そこじゃなくて! なんで“そっちに向かったか”じゃなくて、なんでそもそもこんなところにいるのかって話!」

「あー……それは、そのー……話すと長くなるというか、心配とか好奇心って一言で済ませると、すごく誤解を招きそうというか……」

「ストップ」

 

 真が一歩前へ出る。

 

「聞きたいことは山ほどあるけど、感動の再会をしている場合じゃないわ。……かすみさん。あなたは敵じゃない、そう判断していいのよね?」

「はい! 敵じゃありません! 嘘ついてないです、怪盗服は真っ赤ですけど!」

「……悪ぃ、どういう意味?」

「真っ赤な嘘とかけているんだろう」

「解説しないでください、余計恥ずかしいので!」

「わ、私は面白いと思うよ……! かすみちゃんのギャグ……!」

 

 春が必死にフォローを入れる。だが、すみれは姉に向ける時だけ妙に遠慮のない顔で、すぱっと言った。

 

「ノワール先輩、フォローしなくていいですよ。今の全然面白くないし、滑ってるので触れたら怪我します」

「すみれ!?」

 

 心配はしている。無事でよかったとも思っている。けれど、それはそれとして、姉の滑った冗談を甘やかす気はなかった。

 

 だが、かすみもかすみで、警戒されていると分かっているはずなのにそこで妙に縮こまったりしない。相手の懐へ無遠慮に踏み込むわけでもなく、だからといって壁を作るわけでもない。気づけば当たり前のように会話の輪の中にいる。

 すみれのまっすぐな誠実さとは、また違う種類の人懐っこさだった。

 

「あ、でもこれ、信頼の証になりません?」

 

 そう言って彼女が取り出したのは、一枚の紙。それは怪盗団が探していた紹介状だ。

 

「怪盗団が探してるものだって、敵のシャドウが話してるのを聞いたんです。それで、持ってた相手から奪いました」

「奪ったって、お前……」

「ちゃんと戦って勝ってからです! そこは安心してください!」

 

 なぜそこを誇らしげに言うのか。真が紹介状を受け取る。

 

「私たちが持っているのと一緒……。ということは胡桃の認知存在に会ったということかしら」

「……? なんで乙守先輩? 無線機では話しましたが……」

 

 そこですみれが口を挟む。

 

「あっ、それは実は認知のブル先輩が持っていたのは偽物で、怪盗団のメンバーを分離させるため吐いた嘘でして……」

「……ややこしい話になってきたな、その話は後にして今はアイツらと合流しないか?」

「そうね。彼らと合流して、パレスを脱出してから状況を整理しましょうか。かすみさん、一緒に付いてきてくれる?」

「はい!」

 

 かすみは迷いのない声で返事をした。疲労の色は濃いが、その瞳は少しも伏せられていなかった。真が短く頷き、双葉へ視線を送る。

 

「ナビ。三人の位置は?」

「反応はまだ動いてる。けど、さっきより弱くなってる……たぶん消耗してるんだ。急いだ方がいい」

 

 その言葉で全員が顔を見合わせ頷き、誰からともなく走り出す。

 走りながら、すみれはかすみの隣に並んだ。

 

「……かすみ怪我してるよね」

「これくらいなら全然へーき。フィジカルには自信あるから」

「そういう話じゃなくて」

「分かってる」

 

 かすみは笑った。誤魔化しの笑いではなかった。ちゃんと受け取ったうえで、それでも笑った。

 

「心配してくれてありがとう、すみれ」

「……今は私が先輩だから」

「そうだね。フォローよろしくね。すみれ先輩」

 

 二人はそれ以上何も言わず前を向いた。

 

 三叉路を左へ。崩れた柱を飛び越え、煤けた扉を蹴り開ける。空気の質が変わった。焦げたような、熱のにおい。金属が過熱した時の、あの独特の刺激臭。

 

「近い」

 

 次の角を曲がった瞬間、視界が開けた。

 

 そこは、広間だった。

 

 高い天井は闇に沈み、床には大きなひびが幾筋も走っている。壁の一面は内側から抉られたように吹き飛び、そこから夜の空気が流れ込んでいた。冷えた風が煤と焦げ臭さを運び、床に散らばったシャドウの残骸をかすかに揺らす。

 

 戦闘があった、などという生易しいものではない。

 

 ここで何かが爆ぜたのだ。空間ごと力任せに捻じ伏せるような、無茶苦茶な一撃が。

 

 その中央に、三つの影があった。

 

 ひとつは、膝をついている明智。片膝を立て、呼吸を整えているように見えるが、肩の上下は普段より明らかに重い。

 

 もうひとつは、壁にもたれて立つ胡桃。右手に巻かれた包帯には、じわりと血が滲んでいた。立っているというより、壁に身体を預けて倒れずにいる、という方が近い。

 

 そして最後のひとつが、ゆっくりとこちらへ顔を向ける。

 

「……来るのが遅い」

 

 蓮が言った。声はいつも通りだった。マスクの奥の目も、いつも通りだった。ただ、立ち姿が普段より僅かに低い。それだけが、消耗の証拠だった。

 

「軽口言ってるなら大丈夫そうだな」

 

 そう返しながらも、視線は蓮だけに留まらなかった。

 

 壁にもたれている胡桃へ、全員の目が吸い寄せられる。生きているとは聞いていた。けれど、実際にその姿を見るまでは、誰も本当には信じ切れていなかった。

 

 あの時、確かに死んだと思ったのだ。

 

 その感覚だけが、まだ胸の奥に残っていた。

 

「ブル……本当に、生きてた……!」

 

 誰かの声が、震えていた。

 

 生きているとは聞いていた。けれどそれはまだ言葉でしかなかった。頭では分かっている。信じたいとも思っている。だがあの時たしかに死んだと思った感覚だけが、胸の奥にこびりついて離れなかった。

 

 だから、目の前に胡桃が立っているのを見た瞬間、ようやくその事実を理解する。

 

 張り詰めていたものが、胸の奥からほどけかけた。膝から力が抜けそうになるほどの安堵が、遅れて押し寄せる。

 

 全員が、弾かれたようにへ駆け寄る。

 

「ブル! 大丈夫なの!?」

「おい、無事なんだよな!?」

「今度は本物か?」

「というか怪我、包帯! 拷問受けたのは本当なんだ……!」

「うるさうるさ……。無事に見えるなら眼科行った方がいいよ」

 

 胡桃は壁にもたれたまま、いつもの調子でそう返した。

 

 その声を聞いた瞬間、誰かが小さく息を吐いた。姿を見るだけでは足りなかった。声を聞いて、減らず口を叩くのを聞いて、ようやく最後の疑いがほどけていく。

 

「……ほんと、心臓に悪いんだから」

「それはこっちのセリフ。わりと死ぬかと思った」

「笑えない」

 

 杏が眉を寄せる。けれど、その声は少しだけ震えていた。真が胡桃の包帯に視線を落とし、それから広間を見渡した。

 

「この部屋の有様……」

「ああ、コレのせいだ」

 

 そう言って、蓮は懐から“ホシ”を取り出す。

 

「大量の敵に囲まれて、敵を一掃しようと三人同時にメギドラオンを撃ったらこれが反応して……ただ特殊なケースだったからか、消耗が激しくてな」

「……そこの脳筋バカのせいで、出力が引っ張られて根こそぎ体力持ってかれた」

「ハァ……えぇ? あちゃー、俺またなんかやっちゃいましたか……ハァ……」

「そのセリフは余裕あるやつが言うセリフなんだよ」

 

 蓮が短く息を吐いた。それからふと、集まった顔ぶれを一人ずつ確認するように視線を動かし、止まった。

 かすみを見ている。

 

「かすみ?」

「あ、えっと……どうも。お久しぶりです」

 

 かすみが少し困ったように笑った。蓮はすぐには言葉を返さなかった。一拍置いてから、静かに口を開く。

 

「なんでここにいる」

「話すと長くなるんですけど」

「要約して」

「心配と好奇心、七対三くらいで」

 

 蓮がしばらく、かすみを見ていた。怒るには状況が悪い。驚くには遅すぎる。かといって、何も思っていないわけでもない。そんな微妙な間が落ちる。

 

「……そうか」

 

 それだけ言って、視線を外した。追及も、感謝も、まだしない。ただ、いることを受け入れた、というような間だった。

 

「ブル、動けるか」

「オッケー全ッ然戦える」

「戦わなくていい」

 

 すみれがそっと胡桃の隣に寄り、何も言わず肩を貸そうとするが、まだ歩けると手で制した。

 

 包帯に滲んだ赤は、さっきよりも濃くなっている。すみれは一瞬だけそこに視線を落としたが、何も言わなかったが、胡桃の隣からは離れない。

 

 拒まれても、すぐに支えられる距離にいる。それが今の彼女にできる、最大限の譲歩だった。

 

 竜司は明智の前にしゃがみ込み、肩を差し出した。

 

「ほら、つかまれ」

「……何の真似だ」

「強がってんじゃねぇよ。さっきから起き上がろうとして、腕が震えてんだろ」

 

 明智が黙った。それが、反論できない証拠だった。

 

「別に格好つける相手でもないだろ、俺は」

 

 短くそう言うと、明智は小さく息を吐いてから、観念したように手を伸ばした。肩に触れる指先に、じわりと力がこもる。竜司はそれを当たり前のように受け止めて、ゆっくり立ち上がった。

 

「重いわー、お前」

「余計なことを言うな」

 

 さっきの戦闘の仕返しとばかりに言う竜司に、明智が舌打ちした。竜司は特に気にした様子もなく、そのまま支え続けた。

 

「行きましょう。ナビ、ルートを」

「オッケー。北の通路、シャドウの反応も薄い。今なら抜けられる」

 

 通路は広間より静かだった。シャドウの気配は薄い。それもそのはずだ。怪盗団による一日でルートを確保するほどの電撃攻略に、さきほどの大量のシャドウを木端微塵にした三人の一撃。パレスの警戒度はMAXなものの、シャドウの数は無限ではなく、相当数が減っていた。それでも誰も気を抜かない。双葉だけが小声でナビを続け、あとは黙って前を進んだ。

 

 通路の終わりが見えてきた頃、双葉が小さく声を上げた。

 

「……出口、近い。このまま進んだら甲板に出られる。そこから脱出できる」

 

 出口は船の外壁に面した重厚な金属扉だった。扉を蹴り開けると、潮の気配を帯びた夜気が一気に押し寄せた。

 

 

 眼下には沈没した東京の夜景が広がっていた。誰も、すぐには動かなかった。

 

「……出た」

 

 竜司がぽつりと言った。「出たな」と祐介が返した。

 

 それだけで、どこかの肩から力が抜けた。明智が静かに手すりに背を預け、自力で立った。竜司の手を払うでも、礼を言うでもなく、ただそうした。竜司も何も言わずに手を引いた。

 

 潮風が甲板を吹き抜けていく。遠くで海鳥の声がした。

 

「ここから離れましょう。長居は得策じゃないわ」

「了解」「おう」「はい」

 

 口々に返事が重なる。

 

 かすみはその輪の少し外から、全員の顔を見ていた。疲弊して、傷ついて、それでも互いに当たり前のように動いている。言葉が少なくても、呼吸が合っている。そういうチームだと、なんとなく分かった。

 

「……かすみさん。私たちのことを知ってしまった以上、こちらの事情はできるだけ話すわ。その代わりあなたのことも聞かせて」

「はい。全部話します。ただ……少し長くなるかもしれないので、最寄りの駅まで移動しながらでもいいですか」

「構わない」

 

 答えたのは蓮だった。

 

「ありがとうございます。ジョーカー、先輩?」

「ああ」

 

 短い返事だった。それで充分だというように、かすみは小さく頷く。

 

「というかブル。あなたにも聞きたいことが──」

 

 そう問い詰めようとした瞬間だった。

 

 ──すみれの隣で、足音が途切れた。規則的に重なっていたはずの靴音から、ひとり分が抜け落ちる。その違和感に、すみれの背筋が冷えた。振り向くと、胡桃の体は、糸の切れた人形のように傾いでいた。

 

「先輩っ!」

 

 声が甲板に響いて、前を歩いていた全員が振り返った。

 

 すみれが咄嗟に腕を伸ばす。胸元へ滑り込ませた腕に、胡桃の体重が一気にかかった。脱力しきった体は思いのほか重く、勢いを殺しきれない。たたらを踏んだすみれごと、二人分の重みが甲板へ引きずられる。

 膝をついたすみれの腕の中で、胡桃の体がぐったりと沈み込んだ。胡桃の目が閉じている。呼吸はある。浅いが、ある。体は完全に脱力していた。

 

「気絶してる……!」

「包帯が……。さっきから血が滲んでたんだ。思ったより深かったのかも……!」

「運ぶわ。誰か、手を——」

 

 そこで、言葉が止まる。胡桃へ集まっていた視線が、ひとつ遅れて周囲へ散る。

 

 先ほどまでそこにいたはずの人物が、いない。

 

 竜司のそばで、手すりに背を預けていたはずの明智の姿が消えていた。真が周囲を見渡す動きで、全員が同じことに気づいた。

 

「……反応、ない。もう現実に出てる」

「……っ、アイツ」

「今は追えない」

 

 すみれの腕の中で、胡桃は意識を失ったまま動かない。包帯に滲んだ赤が、夜風の中でやけに鮮やかに見えた。

 

「今は、胡桃を優先する」

 

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