声が、聞こえる――。
無数の光が舞う金色の草原で、誰かが俺を呼んでいる。
誰だ? 聞き覚えのある声。
いつ、どこで、誰の声だっただろうか。
思い出そうとしても、まるで靄がかかったように上手く思い出せなかった。
「――起きなさいよっ!」
耳元で、大声が響いた。
驚いて、目を開く。何だか、視界がチカチカして見えた。
「やっと起きたわね」
まるで、呆れ果てたと言わんばかりの声色。
聞いた限り、女子の声。さっきの声だろうか。
いや、違う気がする。どうしてだろうか、よく分からないけど、そう言える自信があるのは――。
ただ、視界がぼやけているせいで、相手の顔が上手く識別できない。
「お前......誰だ?」
「あ、あんたねぇ......!」
目の前の女子は、何か長方形状のぶ厚い物を頭の上で振りかぶった。
「お、おい、やめろ! 殺す気か!?」
彼女の手には、重量感満点の英和辞典が握られていた。
正体が判明、同じクラスの委員長だ。
「あんたがケンカ売ったからでしょーがっ!」
「寝ぼけてたんだよ。許してくれ、悪かった」
「......今回だけだかんねっ?」
振り上げた、英和辞典を降ろした。
とりあえず、ひと安心。改めて用件を伺う。
「で、何の用だよ?」
「何の用? とはお言葉ね。わざわざ起こしてあげたんじゃない。もう、放課後よ」
「ああ......そっか。そりゃどうも」
礼を言って、空を見上げると、鮮やかなオレンジ色の空が目に入った。もう、夕暮れ時、東の空には星も見え始めている。どうやら、思った以上に寝過ごしてしまっていたらしい。
「帰んないの?」
「帰るけどさ......なんだか、長い夢を見てた気がする」
「夢? どんな夢よ?」
「......分からん」
「はぁ? 何よ、それ」
「夢なんて、そんなもんだろ?」
良い夢でも、悪夢でも、起きたら大抵は忘れる。夢なんて、そんなモノだ。そもそもの話し、他人の夢の話しなんて聞いても面白いとも何とも思わない。
「ああ、そうだ。そう言えばさ、何ともなかったか?」
「何が?」
「前に、ぶつかっただろ? 町の商店街で」
「ほんと何の話しよ? あっ、あんたまさか!」
眉をつり上げ、再び英和辞典を振りかざした。
「あの子にケガさせたんじゃないでしょうねっ!」
「してねーよ! つーか、もう間違えねーっての!」
あんなゲーム、二度とごめんだ。
自身が双子であることを利用して始めた、間違い探し。
姉妹に扮して近づき、識別に失敗すると、英和を始めとした数種類の辞書で、容赦なく制裁を加えてくる。本人の場合は直接攻撃を、姉妹だった場合は「よくも悲しませたわね!」と、十数メートル離れていようともお構いなしに、ピンポイントで頭部を狙って投擲してくる。
正に、世界で一番理不尽で凶悪なゲーム。
己の身を守るため、自己愛ゆえに、見分ける前に制裁を避ける方が先に上手くなったほどだ。
「......なら、いいけど! てゆーか、頭どうかしたの?」
「あん?」
「さっきから、ずっと抑えるじゃない」
指摘されて、初めて気がついた。
左手で、左側の額を抑えてることに。
「あれ? ホントだ」
「ついにボケた?」
「ついにって、どう言う意味だよ?」
「言葉通りよ。ほら、帰るわよ」
立ち上がった彼女は、数歩歩いて振り返った。
「早くなさいよ。か弱い女の子を一人で帰らせるつもり?」
「......どこに居るんだよ? その、か弱い女子ってのは」
眩しいほどの笑顔で額に青筋を立て、三度英和辞典を構えた。
素直に従い、校門を出て、桜並木の長い坂道を並んで歩く。
「もうすっかり、葉桜になったわね」
「そりゃ春じゃないからな」
「あんたねぇ、もっと膨らませなさいよ。そんなんじゃ彼女できないわよ」
「大きなお世話だ。お前こそ、もっと――」
「なによ?」
「......なんでもねぇよ」
放たれる強烈なプレッシャー。この先は言葉にしてはいけないと、本能が警告している。話を逸らし、テキトーにダベりながら、町の商店街までやって来た。
「なあ。この辺りに、パン屋なかったか?」
「パン屋さん? ああ~、うん、あったはずよ。確か、公園の向かい側に。ちょっとガラの悪い店主が経営するパン屋さん」
「公園の、向かい?」
「そのはずだけど? それが、どうかしたの?」
「あ、いや、なんとなく」
どうしてだろうか、漠然とした不安を覚えていた。
この、住み慣れた嫌いな町が、酷く懐かしく感じていることに――。
「やっぱり、なんか変よ? 今日のあんた」
「何がだよ?」
「だってほら、また頭抑えてるし。病院、行った方がいいんじゃないの?」
「んな大袈裟な。少し目がチカチカするだけだ」
あとは、そうだな。寝起きの影響なのか、足下がおぼつかない、まるで浮いているような感じだ。たぶん目の方も、同じ理由だろう。今日は、早く寝ることにしよう。
「殴ったんじゃないだろうな?」
「お望みならやったげるけど......?」
「望んでないからやらないでほしい」
「まったく、バカなこと言ってないでさっさと帰るわよ」
両手を上げ立ち止まった俺に対し若干呆れ顔を見せ、再び歩き出した。しかし、どこから出してるんだ? あの辞書。
「だいたいねぇ――って、危ない!」
「――えっ?」
何かが、目の前に迫っていた。
ぶつかる、と思った次の瞬間、突然――目の前が、真っ暗になった。
* * *
「――ッ!? ここは......って、イテぇ~......」
頭が痛い。
痛みを堪えながら、状況を把握するために辺りを見回す。
どうやら、ベッドの上で横になっているらしい。
初めて見る天井、妙に清潔感のある部屋。
なぜここに居るのだろう、と疑問に思っていると。白衣をまとった男性が二人、部屋に入ってきた。身にまとう白衣と雰囲気から医者だと分かる。ここは、病院らしい。
「目が覚めたようだね」
「えっと......」
「頭を打っている、あまり動かないように。意識が戻ったと連絡を」
「はい」
メガネをかけた短髪の医師が携帯を持って、部屋を出て行く。部屋に残った、真ん中分けで無表情の医師は、ベッド脇の椅子に腰を降ろして、持っていたファイルを開いた。
「今、キミの知り合いに連絡を入れた。詳しい事情は、友人から聞いてくれたまえ。さて、診断結果を説明させてもらうよ」
頭部左部の打撲および、軽い脳しんとう。
「一時的に、視覚や意識に異変を感じることもあるだろうけど、脳や脊髄に異常は見当たらなかったから安心してくれたまえ。ただ、右肩の方は重症だね。この状態でバスケットボールとは、キミは無茶をする」
「まぁ、元々なんで......」
無表情を崩さず、小さく息を吐いた。
「今日は、このまま安静にしておくように。明日、診察して経過判断とさせてもらうよ」
「入院......」
「治療費・入院費の心配をする必要はないよ。市の制度で無償だからね」
医師がファイルを閉じたところで、騒がしい連中が、病室に入ってきた。最初に目に入ったのは、目立つ金髪のアイツ。
「
「......誰だ、お前?」
「マジかよ!? 僕のこと、忘れちまったのかよ......」
「ああ、そうなんだ。お前のことは、焼き肉奢ってもらう約束しか覚えてないんだ」
「そうか、じゃあせめて、その約束を果たして......って、んな約束してねぇーっての!」
「冗談だ」
「シャレにならないっての......」
「ずいぶん速かったな」
「近くのファミレスに居たんだよ。ちょうど夜飯時だったからさ」
「そっか。なあ、何が起きたんだ?」
「マジで覚えてないの?」
「ああ......」
「相手の肘が、額に入ったんだよ」
「カウンターでモロにな。結構ヤベー音がしたぞ」
話しを聞くうちに、徐々に思い出してきた。
思わぬ数の観客が居たことで急遽メンバーチェンジした準備不足の相手の油断と隙をついて、試合直後に速攻を決め、そのまま主導権を握った。
あと一本で、決定打と言う場面。調子に乗った
「わざとかと思ったけどよ。相手の
「サッカーでもあるんだよねー、振り向きざまに手が入ることって」
「つーか、元を辿れば、お前の無謀なプレーのせいじゃねーか」
横になったまま批難の視線を、
「アハハ......まあ、無事だったからよかったってことで」
「ったく。それで、どうなったんだ? 女バスは、
「まあ、とりあえずは解決したよ。男バスの連中も、僕達が一週間も練習してないことを知って感じるところがあったみたいだし。陸上部の方も、大会の参加だけで手を打ったって、
「そっか......」
――なら、いいや。とりあえず、借りは返せた......でいいよな。
「いいや、まだ終わってはいないよ」
医師と話していた
「早く退院しないと負い目に感じさせてしまうから、ね」
「......そうだな。試験まで、あと三日しかないし」
「何、ボケたこと言ってんだよ。期末は、明後日だぞ」
明後日――ってことは今日は、土曜日。時計を見る。17時を指していた。
「まる一日以上寝てたのかよ......」
「そう言うことだよ。さあ、僕達はおいとましよう。安静にしていないと、良くなるものも良くならないからね」
「それもそうだねぇ。じゃあな、
「さっさと復活しろよ」
三人が出て行く。病室内に静寂が戻った。
気が抜けたのか、ズキッと痛みが走った。
「イテぇな......」
額に触れると、コブになっていた。
あと二日で、腫れが引けばいいんだけど。まあ、最悪前髪で隠せばいいか。
ゆっくり目を閉じる。
そう言えば、あの時の声の主は、いったい誰だったんだろう。
* * *
翌朝の診察。
「目まいはないかい?」
「大丈夫です」
痛みは残ってるけど、耐えられないほどの痛みではない。
「では、いくつか質問させてもらうよ」
意識の確認。氏名、年齢、生年月日と順番に聞かれ、最後の質問を終えた。
「受け答えも、特に問題はなさそうだね。念のため、昼にもう一度診察して問題がなければ退院と言うならびで話しを進めさせてもらうよ」
「はい」
最短で昼か。負傷場所があれだけに仕方ないか。
「それと、キミの友人からこれを預かっていた」
「あ、どうもです」
受け取ったものは、
「試験前に部活動かい?」
「そうじゃないですけど、ちょっと事情があって」
いくら主治医といえど赤の他人だ。別に話すことでもない。
「感心できないな」
「はぁ?」
「少なくとも重要な試験を前にするようなことではないね」
「......別に、関係ないでしょ」
何だ、この医者? ケンカ売ってるのか。
「そうだね。これは、個人的な興味の話しだよ。なぜ、それ程のケガを抱えながら、なおかつ更にケガを負うほどのことをするのか、ね」
「――ねぇよ」
「ん? なんだい?」
「......
挑発的な言葉に、思わず感情的になってしまった。
しかし、医者のまとっていた威圧感にも似た雰囲気も若干変わった。
「......友人か、なるほど。逆撫でする言い方をしてすまなかったね。娘のことで、迷惑をかけてしまった」
「あん? 娘? 娘......む、娘って、まさか!」
「
――そうだ。
「それほどの啖呵をきれる元気があれば、大丈夫そうだね。昼には、退院できるよ。期末試験しっかり励みたまえ。問題集を作成してくれた“友人”のためにもね」
ポーカーフェイスを崩さず、静かに席を立った。
まさかの衝撃的な出来事に、ただただ、病室を出て行く背中を見つめることしか出来なかった。