「はよ~......」
休日だというのに、
「本当に早いな」
「......騒々しくて目が覚めたっての。お前、何してたんだよ?」
コタツに入った
「俺じゃない。表で何かやってるみたいだ。業者らしき車が停まってるし、水道かガスの工事かもな」
「マジっすか、こっちはまだ眠いってのに。重機でコンクリ削られた日にはシャレになんないよ。よーし、ここは眠気覚ましに一曲聞きますか!」
部屋の隅で埃を被っていたラジカセを持って、コタツに戻ってきた。引っ越し初日に話したことを忘れたのだろうか。しかし
「
「どう言う意味だよ?」
「どうして、もっと早く気がつかなかったのかな......。このラジカセは、乾電池でも動くってことにね!」
思わず言葉を失っていたが。お構いなしに再生ボタンは押され、使い古された年代物の黒いラジカセのスピーカーから、一昔前のヒップホップ歌謡曲が流れる。
テレビすらないこの部屋は、どうやら時代が20世紀末で止まっていたみたいだ。
「やっぱ最高だねっ!」
「......もう少し音を絞れよ。隣からクレーム来るぞ」
「隣空き部屋じゃん?」
「ひと部屋はな。もう片方は、俺達より前に入居者が居るだろ。じゃあ俺は、バイトと病院に行ってくる。洗濯物頼むぞ」
「はいよー、いってらっさーい。さーて僕は、久しぶりにボンバヘッを堪能させてもらうことにするよっ。アハハッ!」
朝っぱらハイテンションになった
「傘、持ってった方がいいかな......まぁ、いいか」
バイト先は遠い距離じゃないし、病院へはバスで直通。少しくらいの降雨・降雪なら、フードを被れば大丈夫だろう。
階段を半分ほど下ったところで、下から上がって来た、品良くスーツを着こなす初老の男性と目が合った。
左側へ避けると、老人はどこか嬉しそうに微笑んだ。
「お心遣い。どうもありがとう」
「あ、いえ」
「こちらに、お住まいの方ですかな?」
「はぁ、そうっすけど」
「それはそれは。実は、近くここへ越してくることになっておりましてな。また、改めてご挨拶にお伺い立てたいのですが。ご都合のほどは?」
表に停まっていた車は、引っ越しの関連業者か。
今なら、
「昼過ぎなら、基本的に家に居ますけど」
「そうでしたか。では、その頃にお伺いさせていただきたいと思います。お引き留めして申し訳ない」
「いえ。じゃあ俺は、これで――」
老人に別れを告げ、バイト先のパン屋へと向かった。
朝の仕出しを手伝い、開店から一時間の忙しい時間帯を過ぎ、病院で診察を受けて、昼前にアパートに帰宅。
昼飯を食べながら朝の出来事を、
「引っ越しぃ? それで、騒がしかったんだねぇ。納得したよ」
「昼過ぎに、改めて挨拶に来るってさ」
「なぁ、
「いや、
「何だよ、ジイさんかよ。期待させるなよなぁ」
「期待させるようなことは、ひと言も言っていないからな」
面白くなさ気に横になった
俺は、再び昼食を食べ進めながら、病院での出来事を思い返していた。
* * *
「まだアザは残っているが、腫れは完全に引いたようだね。痛みはあるかい?」
「いえ、大丈夫です」
無表情で頷いた医師......
「ところで、娘たちの様子はどうかな?」
「話さないんですか?」
「この通り忙しくて、なかなか顔を合わせて話せる機会を作れなくてね」
土日も祝日も関係なく、毎日フル稼働している大病院の経営者。忙しくて当然と言えば、当たり前か。
「
「いつも元気です、ありあまるくらいに。お陰でクラスも明るいですし。まぁ、ちょっと無理している時もありますけど」
「そうか。気苦労をかけるね」
無表情は変わらないけど、姉妹のことを気にかけていることは伝わって来る。だけど、それ以前に引っかかることがある。
――この人も、あの人と同じか......。
「どうかしたのかい? 痛みが出たかな」
「あ、いえ。ちょっと気になったって言うか」
「何がだい? 話してくれて構わないよ」
「......他人の家庭のことなんで、俺が言うようなことじゃないですけど。ろくなことないですよ、他人行儀な言葉使いは――家族なのに」
俺は、そのことを身をもって知っている。
本気でぶつかってくれたのなら、本気で怒ってくれたのなら、本気で心配してくれたのなら、どれだけ良かっただろうか......。
「確かに、他人に言われるような事柄ではないね」
変わらない無表情だったが、迫力のある眼をしている。
だけど、それ以上に、あの人の眼からは――。
突然鳴った呼び鈴の音に、引き戻された。
「おっ、誰か来た」
「あ、ああ......」
コタツの天板に置いてある、目覚まし時計を見ると、時刻は十三時を回ったところだった。どうやら、引っ越しの挨拶に来たらしい。
「はーい。今、居留守でーす」
「アホか」
返事をしたら居留守を使う意味がないじゃないか、と心の中でツッコミを入れつつ、訪問者の応対へ向かう。
玄関の近くにいくと、ドアの向こうから話し声が漏れ聞こえてきた。
『今、留守って聞こえた気がしたけど。出かけてるのかな?』
『返事があったんだから居るでしょ』
『留守じゃなくて、居留守じゃなかった? どうするの』
『取り込み中なのかもしれませんね、一度出直しましょうか?』
『う~ん、とりあえずもう一回押してみよ』
気のせいだろうか。何だか、聞いたことのあるような声の気がした。それもごく最近、とても身近で。
ドアスコープを覗く。特徴的な大きな緑色のリボンが風に揺れていた。
「どったの?」
「いや、なんでもねーよ」
ロックを外して、ドアを開ける。
冷たい外気と共に、目に飛び込んできたのは、とても驚いた
* * *
「どうしてこうなった......?」
コタツには今、突然尋ねて来た
「......汚いわね。掃除なさいよ。この雑誌なんて去年のじゃない」
「
「本当ですね。不自然に片付いています」
「ついでにしてくれればいいのにね。二人も、そう思うでしょ?」
「自分でなさいよ」
「全くだ。それで、これは、どう言うことなんだ?」
「さっき話した通りです。隣に引っ越して来たんです」
「なぁ、
「俺も、そう思ってた」
と言うより、実際に会って話した。
俺が話しをしたあの初老の男性は、いったいなんだったのだろうか。寒すぎて、幻覚でも見ていたのだろうか。
「
「未成年だと、賃貸契約とかいろいろ制限があるでしょ?」
「ふむふむ、つまりアレだ。要するに、壮大な家出ってことだよね」
直球ずぎて身も蓋もないが、
「うっ、別にいいでしょ!」
「で、ですが。やはり、同級生の男子と隣同士というのは、どうなのでしょうか......?」
「そんなこと言ったって敷金、礼金も入れちゃったし。今さら、どうしようもないでしょ」
「僕は、大歓迎だけどねっ!」
下心満載の言葉に、二人の目が据わった。
「あんたたちが出て行けば解決するわ」
「そうですね。それが一番の解決策だと思います」
理不尽にもほどがある解決策だった。
「まぁ、決まったことは仕方ないだろ。親御さんには、ちゃんと報告してあるのか?」
「家出なんだから、普通話さなくない?」
「警察沙汰になったら、さすがにヤバいだろ」
「......そうね。そこはちゃんとしておかないと、ワガママを聞いてくれた
「はい。事後報告のカタチになりますが、本引っ越しが済み次第報告しましょう。みんなにも伝えます」
「
「ラジカセがあるっての」
「今時、カセットテープって......」
「分かってないなぁ。アナログだからこその味があるんだよ。その耳で聴いてみろよ」
「ダサ、趣味悪いわ」
「ボンバへッをバカにするなよ! くそっ、毎日大音量でリピートしてやるからな!」
「騒音で訴えて強制退去にしてもらうわ。キミの部屋は?」
「別に、何もないぞ」
寝具と、テーブルと、目覚まし時計くらいしかない。
「
「それは、お前の布団の下だろ」
「なんで知ってるんだよ!? あっ......」
「ハァ、洗濯物取りにいったのか?」
「あ、やべっ」
「お前なぁ。ったく、取りに行くから番号教えろ」
「あ、いや、その......久しぶりにボンバへッを堪能してて持っていくの忘れてた。アハハ」
受け取った雑誌を丸めて、脳天を軽く引っぱたく。
「イテっ!」
「行ってくる。端数は、お前持ちな。ほら、ジャンプしろよ。まだ小銭残ってんだろ?」
「初っぱなからカツアゲ二回戦ですか!?」
「あはは......賑やかになりそうですね」
「はぁ、憂鬱だわ」
脱衣場から洗濯物が入った大袋を担いで、部屋を出る。
近所のコインランドリーの洗濯機に、洗濯ネットをふたつ放り込んで店を出る。
「洗濯はいつも、コインランドリーを使うのですか?」
「ああ、一週間分まとめてな。洗濯機を買うより安上がりで、乾燥もしてくれるし、突然のにわか雨の心配もしないで済む。ついでに待っている間に用事を済ませられる」
「なるほど、参考になります」
仕上がりを待つ間に、いつもの商店街まで足を運んだ。
「ここまで来れば、学校までの道は分かるよな?」
「はい。ありがとうございました」
「じゃあ戻るか」
「――あっ!」
踵を返した時、
人混みの中、年に一度子供たちにプレゼントを配る物好きな爺さんと同じ赤服を着た男子――
「声、かけないのか?」
「......今は、やめておきます。ちゃんと準備を整えてから、みんなで真意を伺いにいきます」
「そっか。じゃあ行ってくる。その辺で待ってろ」
「えっ? ちょっ......」
「ビラ、貰えるか?」
「あ、はい。どうぞ......って、お前か」
「なんだ? ずいぶんと無愛想な店員だな。クレーム入れるぞ」
冗談で軽く悪態をつきつつ、ビラを受け取る。
「面接決まったんだな」
「ああ。まだこれくらいしか出来ないから薄給だけど」
「じゃあ、決まった祝いに貢献してやるよ」
「マジか!」
「一番安いのな」
「ケチ」
「男二人で、デカいホールケーキなんて食えてたまるか」
「それはそうだな。そのビラ持っていけば割引いてくれるから」
「ほい、戦利品」
「これは......クリスマスケーキの広告ですね」
「その店でバイトが決まったそうだ。クリスマス当日までシフト入ってるってさ。一週間もあれば、少し落ち着くだろ」
「このために?」
「引っ越しの品のお返しとでも思ってくれ」
こっちは、タダだけど。
「つか明日、駅伝大会の当日だろ?
「体を動かしていないと逆に落ち着かないそうです」
「ふーん」
話題を逸らし、テキトーに話しながら帰宅の途についた。
翌日の駅伝大会は、
そして、迎えたクリスマスイヴは、昼過ぎから雪になった。
「ホワイトクリスマスってヤツだねぇ」
「ああ......」
バイトから帰ってきた俺は、コタツに入って、冷えた体を温めてながら生返事を返した。テーブルの上には、スーパーで買ったチキンと、
「寒いっての。窓閉めろよ」
「いいじゃん、風情あってさ。おい、サンタが居るぞ」
「はぁ?」
コタツを出て、窓の外を見る。
橋の上に見える六つの人影が街頭に照らされ、サンタの衣装を着た男子が、女子五人と一緒に歩いていた。
「
「五つ子ちゃんたち、今日、仕掛けたんだね。お、立ち止まった」
「これ以上は、野暮だぞ」
「ここからが面白いところじゃん?」
「悪趣味なヤツだな」
コタツに戻ろうとした時、大きな水音が聞こえた。
「マジかよ!? 川に落ちたぞ!」
「はあ!?」
急いで、部屋を飛び出たのとほぼ時を同じくして再び水が跳ねた音を六つ捉えた瞬間、俺たちは考える間もなく駆け出していた。街灯の明かりだけが頼りの、白い雪が舞う冬の寒空。救助を要請する手段は待ち合わせていないことの無力さを痛感しながらも、見過ごす選択肢はほんの僅かも頭を過ることはなかった。それは、同じタイミングで駆け出した
「何ごともなかったみたいだねぇ」
「取り越し苦労で済んでよかったな。戻るぞ」
「分かってるって。僕も、そこまで野暮じゃないっての。よーし、ケーキ食おうぜ。男同士で寂しくさ!」
「そうだな。コーヒー淹れるか」
部屋に戻って、コタツに入ると呼び鈴が鳴った。
ドアの向こうに立っていたのは、びしょ濡れのサンタクロース。
「悪い、服貸してくれ。風邪引きそうだ」
「知ってるか? 人って、生涯で100種類以上の風邪にかかるそうだぞ」
「ああ、知ってるさ。よーくな」
今年のクリスマスは、びしょ濡れのサンタクロースに、風呂と服を貸してやるという異色のクリスマスになった。