年の瀬、大晦日の前日の早朝。
家を出るための準備を済ませた
「じゃあ行ってくるよ」
「ああ、元気でな」
開かれた玄関のドアが、ゆっくりと閉じられる。
そして――。
「――って、来ないのかよ!?」
閉じられたドアが勢いよく開き、
「別に、今生の別れって訳でもないだろ」
「いや、それはそうだけどさ。ほら、あるだろ? 遠距離になる恋人との別れを、駅のホームで惜しむみたいな感じのやつ?」
「誰と誰がだ......身の毛がよだつことを言うな。まぁ、改札までなら行ってやる。餞別に、飲み物でも奢ってくれよ」
「......それ、普通逆ですよね?」
厚手の上着をはおり、駅の改札の前で改めて見送る。
「じゃあ、ちょっと行ってくるよ。面倒だけどさ」
その理由は、つい先日のこと。
「成績表とか、写真とか持っていくから納得すると思うけどさ。たぶん戻ってくるのは、早くて年明けになる」
「ゆっくりでいいぞ。たまには親孝行して来いよ」
「そんなツレないこと言ってさぁ、本当は寂しいんじゃないの? 僕のことが恋しくなったら、いつでも電話してくれていいからねっ。アハハッ!」
「布団の下の本、古紙回収に出していいか」
「......マジ勘弁してください」
指先まで伸ばし、体を直角に折り曲げて、必死に懇願して来た。呆れ果てて、思わず大きなタメ息が漏れる。そもそも、連絡手段もない。
「アホやってると乗り遅れるぞ。ほら」
「おっ、サンキュー! じゃあな」
放り投げた缶コーヒーを受け取った
「里帰り、ねぇ......」
みんな、何かしらの予定が組まれている。
それに比べて俺は、俺には――帰る場所も、帰る理由もない。
年末年始は、バイト先のパン屋は休業。唯一予定と言えることは、病院への通院くらい。内出血の跡も消えつつあるのに、なぜか未だ、完治の診断をもらえないでいる。
このまま病院へ行ってしまおうとも思ったが、診察までまだ時間がある。そんな訳で、朝飯を調達して、一度家に戻ることにした。
その帰り道、何の因果か。お隣さんの
「
「ああ。しばらくの間、実家の方に滞在することになるらしい」
「へぇ、そうなんだね。だけど、駅まで見送りなんて仲良いね。もしかして、アレかな......」
からかおうといたずらっ子のような笑顔になった
「それ以上言ってくれるな。せっかくの朝飯が台無しになる」
「ノリ悪いよ? もう少しノってくれてもいいと思うけどなぁ」
「誰が得をするのか教えてくれ。納得できる答えならノってやってもいい」
「私の笑顔が見られるよ」
「却下」
「わぉ、即答だね。自信あったんだけどなぁ」
「答えか? それとも、笑顔か?」
「両方だよ」
「笑顔だけにしておけ。もらって嫌な気分になるヤツは少ないだろ」
「あははっ! うん、そうしとくよっ」
少し可笑しそうに笑う
「えーと、何の話し?」
「笑顔の私たちが、大好きなんだって!」
「え......えぇ~っ? そ、そうだったんですかーっ!」
結局、イジりの方向性が変わっただけだった。
玄関の前に居た
これほどまでに静かな食事は、本当に久しぶりだった。
容器を片付け、コタツに戻って横になる。このまま目を閉じれば、気持ちよく寝られそうだ。惰眠むさぼろうと思ったところへ、眠りを妨げる呼び鈴が鳴った。
「誰だよ......」
居留守を使おうと決意した直後、もう一度呼び鈴が鳴り、更には直接ノックまでされた。どうやら、なかなか根性のある相手のようだ。どちらが先に折れるかの根比べ、持久戦へ持ち込んでもよかったが。あまりにも生産性が低いため、さっさと追っ払った方が賢明と判断し、仕方なく応対へ向かう。
「新聞ならいらないぞ。テレビもないからな」
「ん? 何のことでしょーか?」
訪問者は、お隣さんだった。
目立つ緑色の大きなリボンが頭の上でそよいでいる。
「
「お掃除に来ました!」
「はぁ?」
「ふっふっふ、
「それで?」
「お掃除に来ました!」
話しが振り出しに戻った。
「ダメですよ。今年の汚れは今年のうちに落とさないと、気持ちよく新年を迎えられません。と言うことで、お掃除に来ました!」
「どう言うことだ? 掃除くらい自分で出来る」
「いえいえ、遠慮なさらずに」
これはたぶん、アレと同じだ。「はい」と答えない限り、永久にストーリーが進まないゲーム的な選択肢。
「......はい」
「ししし。お邪魔しまーすっ」
「一通り、ゴミは片付きましたね。次は、掃除機ですよー。先ずは、おコタとお布団を片して――」
「ああ......あっ、ちょっと待て!」
「はい?」
布団に手をつけようとしていた
「先に、こっちの部屋にしないか? 何もないから、今すぐに掃除機をかけられる。その間に、コタツと布団を片付けておくから。その方が効率がいい」
「なるほど! じゃあ奥の部屋からやっちゃいますね」
「ああ、是非とも頼む」
「はい、任されましたっ」
掃除機を持った
――高い貸しだぞ、
コタツと、布団を例のブツもろとも片付けて、奥の部屋へ入る。
「あ、
「もう? ずいぶん手際が良いな」
「お掃除は得意なんです。実は、姉妹の中に片付けが苦手な子がいまして。それに元々、片付いていましたから。このお部屋は、
「寝るためだけだからな。向こうも片付いた。掃除機、貸してもらえるか?」
「いえ、私にお任せください」
そこまで甘えるは、さすがに気が引ける。
「ところで
「いや、しないけど。どうして?」
「荷物がまとまっていたので。里帰りされるのかな、と」
「元々、持ち物が少ないだけ。お前たちこそ、帰らなくていいのか? 年末年始なんだから、多忙な親父さんも、少しは時間を作れるだろ」
「えっと、それはどうなんでしょう。今までも、一緒に年を越した記憶はありませんので。年末年始は毎年会食で、家を空けることが殆どでしたし。あはは......」
そう言った
そもそもの話し、良好な関係なら家出なんてしていないか。
「
「さも当たり前のように入ってきたな」
「別にいいでしょ?
「アイツと同列にしてくれるな」
「まぁ、いいわ。朝ご飯にしましょ」
「先に食べててー。終わったら行くから」
「もういいって。俺も今から、用事があるから出ないといけないからさ。掃除機は、出掛けに返せばいいよな?」
「う~ん......半ばで終えてしまうのは心残りですが、そう言う理由でしたらお任せします」
難しい顔で思案していた
「ありがとな」
「いえいえ、どういたしまして。それではー」
「用事って?」
「通院」
「えっ? まだ通院してるの?」
「お前たちの親父さんが、完治の診断を下してくれないんだ」
「そう、平気なの?」
「見ての通りな。ところで
「朝ご飯ができるのを待つ間、手持ち無沙汰だからって。料理作ってる横で掃除されると埃が立つでしょ」
そう言う理由だったのか。
構わずに、冬休みの課題をやっておけばよかったのに。
「課題なんて、もう終わってるわよ」
「マジか。早いな」
姉妹に習って片付けておくことにしよう。騒がしいヤツが戻ってくる前に。
「ちょっとした意地みたいなものよ。またね」
* * *
「内出血の跡も薄くなってきたね」
中野姉妹の父親は、いつもと変わらずポーカーフェイスを崩さず、カルテにペンを走らせている。
「後遺症の類いはないかな? 目まいがするとか、視覚に違和感を感じるとか」
「特に、これと言って何も」
診察を受ける度に、同じことを聞かれる。
そして、このあとに続くであろう言葉は――。
「なるほど。ところで、娘たちの様子はどうかな?」
思った通りの言葉だった。
「元気ですよ。冬休みの課題も終わらせたと聞きました」
「そうかい。それは何よりだ」
「話したら、どうですか?」
「以前話した通り、忙しい身でね。それに――」
ペンを止めずに話しを続ける。
「知らぬ間に、マンションを出て行ってしまった。困ったことにね」
知っている、お隣さんだ。
「忠告を真摯に受け止めなかった報いかな。正しかったのは、キミの方だったようだね」
「直接話せないなら、携帯で話せばいいんじゃないですか? 結論を出すには、早すぎですよ」
なんで俺、励ましているんだろうか。立場が逆になっているみたいで、自分でもよく分からない立ち位置になってしまっている。
「しかし、何故だろう。キミの言葉が、これ程までに重く感じるのは」
それは間違いなく、経験の差。
俺と、あの人――父親との関係は、修復不可能な状態。
でも、姉妹と彼女たちの父親は違う。まだやり直せるチャンスは幾らでもある。話そうと思えば、いつでも話せるんだから。
「あのー」
「なんだい?」
「いつまで通院すればいいんですか?」
「もちろん僕が、いいと言うまでだよ。診察料の心配はいらない」
それも聞いた。けど、通院に必要な交通費の方は結構バカにならない。
「定期的に連絡を取れる状態であれば、話しは変わるけどね」
つまり、連絡手段を持って欲しいと言うことなのだろう。
もしかしたら良い機会なのかも知れない。バイト先とか、学校への連絡にも必要ではある。
「では、次回の診察の予定を決めよう。年明けの――」
あの眼を、迫力の中に自虐と自覚が混ざったような眼を見た時から、薄々気付いてはいたけど。
この人――親バカだ。