三学期最初のイベント、球技大会が幕を閉じ、月日がひとつ巡った二月上旬。寒さは一段と増して、季節は真冬の様相。加えて今年は、寒冬だそうで、既に例年より降雪を記録した日が多いそうだ。
そのことを物語るように、窓の外には、積もらない程度の雪がチラついていた。
「特に異常もなさそうだね。もう、大丈夫だよ」
「あ、はい」
肘打ちを貰ってから約三ヶ月。主治医である姉妹の父親から遂に、完治の診断を貰えた。
これでようやく、通院も終わり、と思ったのだが――。
「さて。では、こちらの話しをさせてもらうよ」
球技大会で再度痛めた、右肩の診察へ移行。ボードに貼った二枚のレントゲン写真を、いつものポーカーフェイスで見比べていた姉妹の父親は、小さくタメ息をついた。
「また無茶をしたそうだね。この状態で動き回れば、痛みが出るのは道理だよ」
「はは......」
自覚があるだけに、苦笑いで誤魔化すことしか出来ない。
「しかし、幸い悪化はしていないようだ。どうかな?」
「大丈夫です」
あの痛みも一時的なもので、今はもう、痛みも違和感も感じていない。今までと同じ、肩から上に上がらないだけだ。
「なるほど」
軽く頷いて、カルテにペンを走らせる。
「それで、どうだったかな? 球技大会は」
「みんな、真面目に参加してました」
「それは何よりだよ」
「見ないんですか?」
カルテの横に置かれた、フォトブックに顔を向けて尋ねる。
バイト終わり、病院を訪れる前に、商店街で偶然出くわした
「勤務中は、公私混同をしない主義でね」
今までナチュラルに、姉妹たちの様子を聞いてきたことは公私混同には該当しないのだろうか。
「会話も立派な診察だよ。患者の声色、顔色、呂律、その他もろもろ様々な情報を得られる」
「共通の話題の方が話しやすいだろう」と、もっともらしいことを言っていたけど。間違いなく、本音は別。何せ、健康状態を報告するメッセージでのやり取りの最中に、姉妹たちの様子を伺う話を、唐突にぶち込んで来るような人だ。正に、不器用な上に親バカ。
「少なくとも、
「そうかい」
「勉強も頑張ってる。真面目に授業も受けてるし、放課後も毎日勉強会をしているみたいで――」
授業中唸ったり、首を傾げたりしてるけど。家に帰ったあとも、姉妹同士で勉強を教え合う声だったりが、壁の向こう側から漏れ聞こえてくることもままある。特に、
「ふむ、どうだろうか。彼女たちは、合格ラインを無事に越えられると思うかい?」
「さあ? それは、家庭教師の
「生憎僕は、彼の連絡先を知らなくてね」
元雇い主と元雇われ主、どうやってやり取りをしていたのだろうか。謎は深まるばかりだ。
「ところで、何かあったかな?」
「は?」
「以前の診察の時と微妙な差異を感じてね」
会話も立派な診察。
満更、口から出任せではなかったらしい。
「まぁ、ちょっと。少し考え方が変わったって言うか、なんというか......」
左手で軽く、右肩に触れる。
「吐き出して楽になることなら話してくれて構わないよ、と言っても、僕は専門医ではないから、期待に答えられるかは解らないけどね」
「じゃあ、ひとつだけ。ちゃんと話した方が良いですよ」
空気が変わった。
まるで張り詰めるような空気が、診察室内を覆う。
「気にせず続けてくれたまえ」
威圧感を発しながら言うセリフじゃないな。
けど、こうなると分かっていて切り出したのは、俺の方だ。
「俺は――俺も、親父から逃げてきたから」
ペンの動きが止まり、こちらに顔を向けた。
忘れもしない、二年前の夏。
あの日から、俺と親父は、他人になった。
きっかけは、些細なことだった。正直、思い出せないくらいだから、本当にくだらない理由だったんだろうと思う。
中学最後の大会、勝てば全国大会進出が決まる試合前夜。親父と取っ組み合いのケンカになって、右肩を強打した。意地を張り、血の気の引いた青ざめた顔で「病院へ行こう」と言った親父の手を払いのけ、部屋に閉じこもった翌朝、耐えられないほどの激痛で目覚め時にはもう手遅れで、右肩は上がらなくなっていた。
あの日から、同じ屋根の下、他人として生活してきた。
まるで、古い友人との再会を懐かしむような他人行儀な言葉使い、腫れ物を触るような接し方に嫌気が差し、逃げるように、転校の話しを受け入れた。
「なるほど。キミの言葉が重く感じていたのは、そういう理由か。真摯に心に留めておこう。しかし――」
「所詮他人の家庭、口を挟むことじゃないし、権利も筋合いもない。けど、アイツらは
思春期、性別の違い、ましてや五つ子。簡単にはいかないんだろう。
正直俺自身、偉そうにものを言えるような立場じゃない。だけど。
それでも、俺と同じ過ちを、同じ想いを、あとから後悔するようなことにはなって欲しくない。ただ、それだけ。だから――。
姉妹の父親から目を逸らさずに、正直な想いを伝えた。
* * *
病院帰り、預かり物を届けるため、
「キレイに撮れてるわ。さすが、カメラマンね。イケメンだったし」
「あっ、
「ああ、あの時のか。いつも持ち歩いてるのか?」
「何かと便利だから」
「ええ、そうね。ホテルに不法侵入する時とかね!」
若干目を細めて批難めいた視線を送る
「因みに今、
「別に深い意味はないわ。こっちのリボンの方が、長さのバランスがちょうど良かっただけよ」
「何も言ってないぞ?」
「
「違うわよ、勘違いされるような言い方しないで!」
「ね?」
これが、本物のツンデレってヤツか。
「それで、俺に頼みたいことってのは?」
「そうだった」
「ちょっと待ってて」と言って、席を立った
「球技大会優勝おめでとう記念手作りチョコレート」
「罰ゲームか?」
「はっきり言われると、さすがに落ち込む」
「冗談だって。味見だろ」
「うん。感想聞かせて欲しい」
甘いのは、取り立てて得意って訳じゃないけど。
ひとまず、皿に乗ったチョコを改めて見る。
「しゃれこうべらしき模様が浮かんで見えるんだが、気のせいか?」
「これは、大丈夫なドクロマーク」
何をもって大丈夫なのだろうか。400字詰めの原稿用紙に根拠を書き綴って提出して貰いたい。
「ま、まぁ、私も手伝ったし、大丈夫よ。たぶん......」
「たぶんを付けるなよ、不安になるだろ。言っておくけど、好みは違うからな」
「分かってる」
作り立てなのか、夏場に放置されていたように軟らかい。意を決して、口に放り込む。俺が食べたのを確認してから、
「どう?」
「普通に食える」
「ん、まあまあね。ちょっとくどさがあるけど、冷えて固まれば締まるはずよ。この線で詰めていきましょ」
「うんっ」
嬉しそうに頷いた
「
「なに? もしかして欲しいの?」
「十円チョコでも泣いて喜ぶぞ。
「後々面倒そうだから止めておくわ」
今、
「親父さんにはあげないのか? 喜ぶぞ、きっと」
「......喜ばないわよ。てゆーか、何で急にそんな話しになるのよっ?」
「このフォトブックを預かった時、
「まぁ、そういう家もあるけど。あんたの
「いや、母親いねーし」
「えっ? ご、ごめん......」
気を遣わせてしまった。
「気にするなって。居ないのが当たり前だったから」
「そうだったんだ」
湯飲みを載せたおぼんを持った
「私達も、お母さん居ないから同じだね」
「マジか」
「聞いてもいい? どんなお母さんだった?」
「さあな。物心がついた時にはもう居なかったから、顔も知らない」
子どもの頃、一度だけ、親父に聞いたことがある。
その時、もの凄く辛そうな
「私達は、大きかったから覚えてる。手作りのパンケーキが美味しかったわ」
「もしかして、
「......そうよ。初めて挑戦した料理だったわ。でも、全然上手く作れなくて。だから、美味しく作れるようになりたいって想ったのがきっかけだったかもしれないわね」
「今日は、本当に素直。あ、だから、雪が降ってるのかな?」
「あ、あんたねぇ、もう手伝ってあげないわよ!」
腕を組んで、ぷいっと顔を背けてしまった。
「おいおい、いいのか?」
「大丈夫。
「ふ、ふんっ、今さら調子良いこと言ったって許さないわっ。容赦なくダメ出ししてあげるから覚悟なさい!」
結局、手伝ってやるのか。正しく、ツンデレってヤツだった。
もし、こんな冗談を言い合える兄弟や姉妹がいれば――いや、関係ないな。いずれにしても、こうなっていた。
肩が壊れたのと同時に、関係も壊れてしまったのだから。
「さて、そろそろ帰る」
「味見、ありがとう」
「ああ」
フォトブックを届けるだけのつもりが、思ったより長居してしまった。お暇して、外に出る。
いつの間にか雪は止んでいて、雲の隙間から差すオレンジ色の夕焼け空に、少し目が眩んだ。
つい先日まで短かった日も、だいぶ長くなった。
手で日差しを遮りながら、振り返る。
「お邪魔しました、と。じゃあな」
「ええ。あっ、そういえば今日、病院に行ったんでしょ?」
「ようやく、完治の診断をもらえた。けど今度は、
ぽんぽんっと軽く右肩に触れる。
「前に言ってた理由って、それだったのね」
「まぁな。じゃあな」
「またね」
「ばいばい」
二人に別れを告げ、歩いて数歩の隣の部屋へ。
ドアには、カギがかかっていた。
――本気で向き合わないと、絶対に後悔する。
思わずタメ息が漏れる。
全く、自分のことを棚に上げて、どの口が言うんだってんだよな。説得力の欠片もない。お節介も良いところ。だけど、そうなって欲しくないのは本心。
たぶん、今までの俺なら、他人の家族のことに首を突っ込んだり、進んで面倒事を抱えるようなまねはしなかった。
そんな俺が、こんなことを想えるようになったのは、きっと。
「メッセージ?」
差出人は、
内容を見て、またタメ息が漏れた。
――次の通院って、いつ? お願いしたいことがあるんだけど。
メッセージを返して、スマホを置く。
今の俺なら、向き合えるのだろうか。
あの日からずっと、嫌悪感しか抱けなかった、あの人と――。