「それじゃあ、お先に失礼します」
「はーい、ご苦労さまー!」
パン屋でバイトを始めて数日が経ち、ようやく体が慣れ始めて来た。心なしか、体調も良くなった気がする。もしかすると、生活リズムが夜型から朝型へと変わりつつあるのかも知れない。あの人との関わりを避け、怠惰な生活を送っていたあの頃と。
校内の自販機で飲み物を買い求め、教室へ向かう。時計の針は、まだ八時前。八時半登校の教室には、まだ人の姿はない。
誰も登校して来ていない静かな教室で、焼きたてのパンをほおばり、まったりと朝食を堪能する。バイトを始めてから、毎日の日課になっていた。
「って、何だよこれ......?」
妙な違和感を感じ、口に含んだ飲み物のラベルを確認すると、抹茶ソーダなる謎の商品名が刻まれていた。どうやら、隣の商品と間違えて、ボタンを押してしまったらしい。何とも形容し難い独創的な味が口の中に広がる。
今度、
新しく飲み物を買い直し、素早く朝食を済ませる。時刻が八時を回った辺りから、ちらほらと、クラスメイト達が登校して来た。
「おはようございまーすっ」
「おはよ。今日も、元気だな」
「元気が、私の取り柄ですから」
笑顔で言った
「予習か?」
「はい。実は私、姉妹で一番のおバカなんです。えへへ」
「そっか」
少し気合いを入れてやってみるか。今週、小テストもあるし。
自虐的に笑いながらも真っ直ぐ机に向かう
「おっ、朝から頑張ってるねぇ。お二人さん」
「
「あ、おはよございまーす」
「はよーす」
始業時間ギリギリに登校してきた
「意外と粘るな。記録更新じゃないか?」
「フッ、侮らないで貰いたいね。本気になれば、これくらいお茶の子さいさいさ!」
「何のお話しですか?」
「無遅刻・無欠席記録」
「えっと、まだ一週間も経ってませんよね?」
「最高何日だっけ?」
「三日くらいじゃないか」
「お二人は、どんな学校生活を送っていたんですか......?」
呆れを通り越して、真顔で疑いの目を向けられてしまった。
「まあ僕達は、バリバリのアウトローだったからね。夜な夜な校舎に忍び込んでは、当直の教師を相手に、スリリングなかくれんぼに興じたものだよ」
「一度たりともねーよ」
「冷たいねぇ。ちょっとくらい乗ってくれても罰は当たらないのにさ」
机に置きっぱなしにしていた、例の缶ジュースをかっ攫った。
「あ、おい、それ――」
「僕とお前の仲だろ? 別に、気にしな......ぶぅーっ!?」
口に含んだ瞬間、思い切り吹き出し、そのまま椅子から転げ落ちた。机と周辺の床に飛び散る。実に、ばっちい。そして、その床を大袈裟に転げ回った。
「甘い、苦い!? ど、毒盛られた!? 舌がピリピリするーッ!?」
「だ、大丈夫ですかっ!? 今、救急車を......あれ? 何番だっけ? どなたか、119番の電話番号を教えてくださーい!」
またしてもツッコミどころが満載だが、これ以上は本当に大騒ぎになってしまう。真相を話し、この場を落ち着かせる。ティッシュで机を拭いた
「お前、何か薄汚いぞ?」
「あなたのせいでしょっ!?」
「ハァ、何ともなくて良かったです」
「優しいねぇ、
「言いがかりはよせ。人の物を勝手に盗るからいけないんだぞ。良い教訓になったろ?」
それに、しれっと下の名前で呼んでるし。
「あ、それは構いませんよ。名前の方が呼ばれ慣れていますから。姉妹で居る時とかややこしいですし」
それは確かに。全員が反応した、先日の昼休みの出来事が頭に浮かんだ。
「でも、男の人からちゃん付けで呼ばれるのはちょっとむずむずします。あはは~」
「親しい女の子はちゃん付けで呼ぶ。僕なりの愛情表現なのさ」
「いちいち気持ち悪いな」
「ストレートに言わないでいただけませんか!」
「悪い。今度は、緩急をつける」
「そんな的外れな優しさ、求めていません!」
「そこ、静かにしろ。ホームルーム始めるぞー」
やって来た担任に制され、俺達は前を向き、朝のホームルームが始まった。
午前の授業。相変わらず、
「よっし、昼だ。学食行こーぜ」
「いや、パンがある」
バイト先のパン屋が今度、新商品を出すとのことで。感想を聞かせて欲しいと、何種類か試作品を貰ってきた。そんな訳で今日は、昼飯の分もある。
「何だよ。じゃあ購買で買ってくるから」
「コーヒー牛乳な」
「はいよ。って、パシリかよっ?」
「ジュース台無しにしただろ?」
「......あれ、本気で飲む気でいたんすか?」
結構、マジなトーンで聞かれた。
「冗談だ。俺も行く」
席を立ち、教室を出る。
「で。部活はどうなんだ?」
「部活ねぇ......」
表情が曇る、と言うか愁いでいる感じの顔だ。いつもおちゃらけの
「想像よりキツかったのか?」
「逆だよ」
なら、想像よりも緩いってことか。
それなら、本来の思惑通り部活でポイントを稼ぐには持って来いのはずだが、何やら勝手が違うらしい。
「良いパスが来ないんだよ」
「ああ~、そう言うことか」
呼吸が合わないってヤツだ。良いところへポジションを取っても、欲しい時、思ったところへパスが来ない。司令塔をやってみても結果は同じ、今度は、パスに味方の反応が追いつかない。
「いけ好かないことも多かったけどさ。やっぱり、強豪だったんだね」
「どうするんだ?」
「まあ、とりあえず続けるよ。みんな、本気みたいだからさ」
「そうかよ。なら、お前が強くすればいいんじゃないか?」
「おっ、それ面白いかもね! ストリートサックスってヤツ?」
「サクセスストーリーな。路上パフォーマーじゃないか」
「そう、それそれ。マジで救世主って呼ばれるかも!」
一年以上ツルんで初めて知った、
* * *
その日の放課後。俺は、図書室を訪れていた。
数日授業を受けて思ったことは、前が分からないから今を理解出来ないと言うこと。当たり前だ。一学期の授業はおろか、一年の授業も真面目に受けてこなかったんだから理解なんて出来るはずもない。基礎的な知識をと思って、図書室に来たのはいいが。
「広いな」
種別に管理されているとは言っても、目当ての本を探すだけでも苦労しそうだ。とりあえず、今度小テストがある日本史から当たってみることにした。しかし。
「あん?」
奇妙なことに、歴史関係の棚だけ空っぽだった。
「すみませーん」
「おおっ!」
図書委員と思われる数人の男女が、大量の本を持ってやって来た。横に逸れ、通り道を開ける。図書委員達は会釈をして、空っぽだった本棚に手際よく本を収納していく。本の点検でもしていたのだろうか。
「あのー、見させて貰っても?」
「あ、はい、どうぞー。あれ、
「ん? ああ、
誰かと思えば、クラスメイトの女子だった。掻い摘まんで事情を話すと、基礎知識から中間の範囲を含めたオススメの資料集を何冊かピックアップしてくれた。貸し出しの手続きも教えて貰い、礼を言って、図書室をあとにする。
「
「
ダンボール箱を抱えた
「何してるんだ?」
「先生のお手伝いで、資料室に運んでいるところです」
「そいつは、大変だな」
「これくらいへっちゃらですよ。
「ちょっとな。オススメの資料を借りてきたんだ」
「勤勉ですね。まるで――」
何かを言いかけた
「わお、
――
「すまん、
「はい?」
妙に深刻なトーンだ。
「お前のドッペルゲンガーがそこに居る。お前、死ぬぞ」
「え、ええぇ......!? し、死にたくないです~!」
思いもよらぬ、オカルティックな話しだった。
「あんまり脅かしてやるなよ」
「お前は......いや、本当なんだ! あいつを見てくれ!」
「あ、本当だ。あそこに居る。最期に食べるご飯は何にしよう......」
「俺も、お前のドッペルゲンガーを知ってるぞ。アイツ以外に、三人ほどな」
「ええっ、三人もっ?」
「他の姉妹のことだよ」
「他の姉妹......? そうか、入れ替わりか!」
指摘を受けた偽
「待て! お前、
偽
「ほっ、よかったです」
「お前、本当に疑うこと知らないのな。でだ、今の女子も姉妹なんだよな?」
「あ、あはは、どうでしょうか?」
全く、本当に嘘が下手な真っ直ぐなヤツだ。
* * *
学校を出て、バイト先のパン屋へ出向く。
「って、ここにもあるのかよ」
一応、需要はあるんだな。
事務所へ入り、パン作りをしない俺は、制服の上からエプロンだけを付けて、店内に立つ。
「試作品、どうだった?」
「普通に美味かったですよ」
「普通かぁ~」
お下げ髪の女性店長さんは、ガックリと肩を落とした。
ある程度の固定客は居るが、新規の客がなかなか増えないことが悩みのタネらしい。言われてみれば、夕方なのに客入りは多いとは言えない。向かいに看板を掲げるケーキ屋に持っていかれているそうだ。
「ビラとかは?」
「広告出すのも、そこそこお金が掛かるのよねぇ。あっ、そうだ。ちょっとお願いね」
接客を任されてしまった。レジ打ちは一応教わったし、何とかなるか。店長は、五分ほどで戻ってきた。
「はい。お手製の広告」
「客寄せに行けと?」
店長は、笑顔で頷いた。店名が書かれた厚紙が貼られたダンボールの広告を持って、店の外へ出る。だいぶ日が陰るのも早くなってはきたが、まだ、暑さは残っていた。
眩しい西日から顔を背けると、似た顔の三人組と目が合った。
「あなたは」
「キミ!」
「誰?」
三人の反応は、三者三様。話しの成り行きで、店に寄って貰うことになった。ともあれ、新規の客を三名ゲット。店内のテーブル席へ案内し、注文を伺う。
「ご注文は、いかがなさいますか?」
「アイスティー。ミルクとシロップも」
「私は、カフェモカのアイスを」
「うーん、抹茶ソーダ」
アレの需要は、ここにあったのか。
「って、そんなのないでしょっ」
「そうです。困らせてはいけません」
「冗談。言ってみただけ」
確かに、メニュー表には載っていない。ないのだが――。
「少し待っていてくれ」
「出来るのですかっ?」
二人の注文を店長に伝え、いったん店を出て、自販機でご所望の抹茶ソーダを買って戻る。グラスに注ぎ直し、コースターとストローを添えて、三人の注文品をテーブル席へ持っていく。
「お待たせしました」
「ホントに出てきたわ」
「出てきましたね」
「融通の利くお店」
トレイを下げ、三等分に切り分けた試作品を持って戻る。
「まさか、五つ子とは思わなかった。え~と、
無表情で抹茶ソーダを飲んでいた女子は顔を上げ、訝しげな目を向けてきた。
「私の名前、どうして知ってるの?」
「放課後、男子と追いかけっこしてただろ。
「そう。見られてたんだ」
「ちょっと。何で馴れ馴れしく下の名前で呼んでるのよ?」
「ややこしいから名前でいいって、本人が言ったんだよ。嫌なら123でも、ABCでもいいぞ」
「絶対イヤ! そんな量産型みたいなの! 口コミサイトで酷評してやるわっ」
「止めてくれ。生活に支障が出る」
「あはは......私たちも、下の名前で構いません」
「その方が呼ばれ慣れてる。フータローも名前で呼んでるし。
「別にいいけど! 見分けられるかしら?」
「
顔を見て、順番に言い当てる。
「合ってます。
「スゴい」
「まっ、まあまあね」
「さすがに五人全員が同じ髪形、同じ服装だと自信ないけどな」
軽く肩をすくめて答え、試作品が乗った皿をテーブル置く。
「試作品なんだけど。良かったら後で、店長に感想を聞かせてやってくれ。ごゆっくりどうぞ」
席を離れ、通常業務に戻る。
三人はそのまましばらくダベって、日が落ちる前に店を出て行った。
「五つ子!?」
「ああ」
夕食を食べながら、五人目の姉妹と遭遇したことを
「どんどん増えていくんですが。さすがに、もう増えないよね......?」
「さあな、六人目も居るかも知れないぞ。と言うことで、お茶」
「出ねーよ。どう言うことだよ?」
「パン、恵んでやってるだろ」
「三食全部パンは飽きるよ。はぁ、腹いっぱい肉食いたいねぇ~。よし! 月末は肉の日にしようぜ」
「んな余裕ねーよ。客入りが良くなれば、給料も上がるんだけどな」
そんなことを思っていたら、なぜか翌日から客の入りが良くなった。店長の話しによると、有名なレビュワーとやらが評価してくれたお陰だそうだ。
まさかの五つ子の姉妹といい。
この世の中、予想だにしない摩訶不思議のことが起きるものらしい。