俺に恋愛なんてあり得ない   作:詩野聡一郎

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雪夜

「――うっわ、まじか」

 

 警察署から出た俺を出迎えたのは、季節外れの雪が地面を薄く覆っている夜景だった。

 事の経緯について根掘り葉掘り聞かれるのに対して、なるべく私情を切り離して答えるのは骨が折れたが、頑張ったぶんだけ解放されるのも早かった。

 学校に連絡が行ってしまったことはなるべく考えたくない。

 まあそれは脇に置いておくとして、このぶんなら何とか今日の晩飯にはありつけそうだ。

 明日以降も衣食住さえ確保できれば、停学になってもかろうじて生活はできるだろうとこのまま楽観視してしまいたくなる。

 

「――――」

「うーん…………でも、ダメかもな…………」

 

 学校に連絡が行った以上に怖いのは、母さんに連絡が行ってしまったこと。

 これだけは、大失敗という言葉では済まされない。

 母さんがへそを曲げて仕送りをしてくれなくなったら、文字通り致命的な問題になる。

 貯金はたいしてしていないから、これはなかなかに厳しい……。

 

「――――――――」

「まあ、何とかなるか」

 

 人間、二日ぐらいは何も食べなくても何とかなるもんなのは自分の身体で実証済み。

 幸いにも、今月の送金はもう受け取っている。

 それならいっそ二日絶食、一日三食、二日絶食のループを続ければ、半年ぐらいは何とかなるんじゃないだろうか。

 しかし、まあ……正直これは現実的ではない。

 現に……今も空腹で、どうにも……思考が…………まとまら…………まとま…………ま…………

 

「痛っ」

 

 何かが頭にぶつかって、非効率的に引き延ばされた俺の思考を揺さぶり、冷やす。

 いや、冷たいな。なんだこれ。

 警察署を少し離れた途端に、もうなんらかの犯行現場に迷いこんでしまったらしい。

 

「痛っ」

 

 また、震盪と冷却。

 二度目の犯行ともなると、さすがにその犯人にも見当がついてくる。

 犯人はその身を隠すこともなく、目の前に広がっていた。

 雪。

 俺の頭に触れた感触は、たしかに雪のものだった。

 でも、雪は自分で犯行を行うことはできない。

 雪の犯行は、そもそも被害者の自業自得であったり、雪自身の意志を無視して背中を押した人物が必ずいるものだ。

 ということは、近くに雪の犯行を幇助した人間がいるわけで。

 

「………………」

「よ、久しぶり」

 

 いつかの反実仮想は、意地悪なことに何もかも捻じ曲がった状態で、ほんのわずかにその挨拶の言葉だけを実現した。

 七瀬がそこにいたから。

 

「…………」

「――痛っ」

 

 七瀬は、既に予備動作を終えて得ていた勢いを捨てることなく、圧縮した雪を俺に投げつけてきた。

 しかも、目論見通りに俺が痛い思いをしても、笑ったりすることなくほとんど無表情で俺を見ているだけだ。

 こんなにわかりやすいディスコミュニケーションじゃ、目と目で話すなんて到底あり得そうにはない。

 

「なんでいるんだ?」

「…………」

「あんなに怖がってたのに、夜遅くこんなところにいて怖くないのかよ」

 

 交信が途絶えている今、七瀬の行動は俺には全く不可解で、論理が倒錯しているように思える。

 でも、七瀬の情報が全く届いてこないのであれば、俺の思索なんかが七瀬の真理に到達するなんて到底思えない。

 はじめて会った時から、そうだったのだから。

 

「ここが、一番安全な場所だから」

「は……?」

「…………」

「一番安全なのは、親のいるお前の家だろ」

 

 そもそもお前の家の門限とっくに過ぎてなかったっけ、なんて当然の疑問を、目の前の親不孝者に言うことはない。

 昔話は、一夜限りの夢の中で済ませるものであって、今の俺たちには縁のないものだ。

 

「……あれ」

「…………」

「髪、切ったんだな」

「――――」

 

 漠然としたフィルターしか持ち合わせていない俺の感覚器官は、ようやくその情報を取得した。

 先週は散々知覚させられた七瀬のストレートロングが、今はない。

 七瀬は髪をバッサリ切り落としてしまっていて、俺の目にはぼやけて見えるけどたぶんこれは普通のショートカットだ。

 

「…………」

「……ごめんなさい」

「……なんで?」

「黙って、切っちゃったから」

 

 村上といい七瀬といい、どうして俺に謝るのかがさっぱりわからない。

 むしろ、七瀬が髪を切ってくれたおかげで、そこに母さんの面影を見なくて済んで、お礼を言いたいぐらいだ。

 いや……そんなものは、俺に都合が良いだけの考え方だな。

 

「桜井くんが、私に似合うって言ってくれてたのに」

「…………やめてくれよ」

 

 そんな懐かしいだけの昔話は。

 現実でまでしなくたっていいだろ。

 ただただ、お互いの感情は根っこの方しかもう残っていないって、確認するだけに決まってるんだから。

 それも髪型の研究なんていう、子供同士の幼稚なおままごとの話なんて俺は金輪際御免だね。

 まあ、そもそも話すのはこれで最後だろうけど。

 

「じゃあ、もう俺行くから」

「…………」

「気をつけて帰れよ」

 

 今の俺たちでは、何を話そうとしてもお互いの過去に行き着くしかなさそうで、このままじゃ息ができなくて溺れそうだ。

 だから、俺は七瀬を置いて先に帰る。

 七瀬から、自分自身を遠ざける。

 ああ……でも、心配だな。

 こんなに暗くて。足元も悪くて。どんくさいし。

 俺にはわからないだけで、今も怖くて震えていたのかもしれない。

 そりゃあそうだよな。村上は悪い奴じゃないけど、人間同士がすれ違っちゃったらこういうこともあるよな。

 それじゃあ、とお節介にもスマホを取り出して、七瀬の家に連絡をしようとして――

 

「――痛っ」

 

 もはや慣れ親しんだと言ってもいい、雪の感触をまた受ける。

 振り返る。思ったより近く。目の前。

 

「…………ん」

 

 七瀬が、唸るような拗ねるような声を出して、右手を突き出してくる。

 

「差し入れ」

 

 そして、何もかも見落としてしまいがちな俺の目は、七瀬の持つビニール袋に釘付けになった。

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