俺に恋愛なんてあり得ない   作:詩野聡一郎

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恋愛

 近くにあった小さな公園で年甲斐もなく滑り台を使う七瀬を眺めながら、俺は小さなブランコに座り、ただなんとなく身体を揺らしていた。

 本当は七瀬と一秒でも早く一歩でも遠く離れたかったのに、結局はこうしてほどほどの距離のまま、中途半端な広さの空間を共有してしまう。

 その実は、体調不良からの全力疾走、感情的な大喧嘩からの理性的な重労働、それに伴う空腹に、これから苦学生になるリスクを意識した頭では、目先の快楽に対する生理的欲求に勝ち目がなかっただけなのだが。

 それだけだ。ただ、それだけのこと。

 

「…………うめぇ」

 

 天からの恵みであるおにぎりを、ほとんど噛まずに呑み込み、大量の飲料水で流し込む。

 疲れ切った身体は想像以上に動力源を欲していたようで、あっという間にペットボトル一本を飲み切ってしまった。

 手元のビニール袋を開けば、そこにはまだ二個のおにぎりと、二本のペットボトルが残されている。

 一つは緑茶で、一つはほうじ茶。

 この二つなら、俺はほうじ茶の方が好みだ。

 

「あ、一個ちょうだい」

「え…………」

 

 食事に夢中になっているあいだに、いつの間にか天は俺の隣のブランコに降りてきていたらしい。

 天である七瀬がそう言うのであれば、施されている側の俺は逆らうことができない。

 言われるがままにビニール袋を開いて見せて、そこから七瀬はおにぎり一個と緑茶一本を取り出す。

 よりによって、最後の楽しみに取っておいた俺の好きなツナマヨ。

 まあ、文句は言えない。

 一個とは言ったけど一本とは言ってなかっただろ、と思いつつも。

 

「いやー、久しぶりにやってみるのも楽しいね」

「あっそ……」

 

 滑り台を、だいたい四回前後は使った七瀬は、少なくとも俺の目には明るくなっているように見えた。

 もちろん、そんなのは見間違いに決まっているけれど。

 

「…………」

「…………」

 

 お互い無言で咀嚼して、お互い無言でお茶を飲む。

 たとえ明日からも俺が村上と友達でいられたとしても、七瀬とではあり得ない。

 だからこれは、今の俺と七瀬にとっては限りなく無駄な時間。

 でも、そんな無意味も精々このおにぎりを食べ終わるまで。

 今の俺では生理的欲求には勝てないから、七瀬が残り時間を半分にしてくれたのは、正直助かった。

 欲を言えば、このロスタイムで足元の雪が溶けてくれていたなら、もっとよかったな。

 

「――よし」

 

 男子の食欲というのは恐ろしいもので、二個目になってもおにぎりのおいしさは全然逓減しなかった。

 つまり、あっという間に食べ終わってしまった。滝川みたいに。

 これで、おしまい。

 俺は立ち上がる。

 

「じゃあ、もう俺行くから」

 

 さっきと全く同じ感情、全く同じ言葉で、俺は七瀬から離れようとする。

 七瀬が滑り台に夢中になっていた間に、家に連絡をしておいたから、少しすれば迎えが来るだろう。

 俺なんかとは違って、七瀬は親に溺愛されているからな。

 

「気をつけて帰れよ」

 

 ここはどこで、この時間はどうやって帰ればいいのだろうか。

 そんなことを考えながら去ろうとする俺の背中と肩、そして腕に、何か柔らかいものが触れた。

 これが恋愛小説なら、これはヒロインが主人公に抱き着いてくるシーン。

 でも、そんなわけがない。ただの布切れだ。

 

「これ、返す」

 

 七瀬が俺にかけてきたのは、日曜日に七瀬に一度返して、その後みっともなく取り上げようとしたカーディガンだった。

 あれ、どこにあった? さっきまで着てたっけ?

 全然記憶にないな。

 というかお前、返さないとか言ってただろ。わけがわかんねぇ。

 でもまあ、そういうこともあるか。

 人は、わからないからな。

 

「いらねーよ」

 

 大きすぎる主語の一般論を悟りながら、俺はカーディガンを投げつける。

 そして、投げ返される。足元に落ちる。

 拾って投げる。

 投げ返される。

 投げる。

 投げ返。

 

 めんどくさい。ああもうめんどくさい。こいつは本当にめんどくさい。

 

 本当の本当にめんどくさくて、金輪際もう永遠に未来永劫来世になっても関わりたくない。

 一体全体何を考えてるのか必要十分に言ってくれなきゃ俺は到底微塵もわからないんだよ。

 

 

「もともと桜井くんの物でしょ? ちゃんと回収してよ」

「は……?」

 

 で、いつも通りにこいつは不十分な表現を使って俺の社交性を試してきやがる。

 これが俺の物であったことなんて一度もないし、そもそも俺は回収業者じゃねーっての。

 

「桜井くんが買ったものじゃん」

「はあ……?」

 

 そりゃろくに着込んでこなかった癖にお前が寒い寒いってうるせーし十分な金も持ってきてねーしで仕方なしに金出してやったけど買ったのはお前だろ。

 お前が忘れたからせっかく返してやったのにいちいちうるせ――――ああ、そうか。急にわかった。

 こんなクソ野郎の金で買ったもんなんて穢らわしいから処分したいって、そういう事だな。

 はいはい、汚い物の処理は汚い俺の仕事ですよ。

 

「わかったわかった。もういい。じゃあな」

 

 ロスタイムの中でロスタイムが発生するという、面倒な試合の会場からはさっさと退散したい。

 だから、俺はすっかり濡れてしまったカーディガンを拾い上げて、改めて七瀬に背を向ける。

 片足を上げたところで、また背後に何かの感触がある。

 今度はなんだよ、めんどくせーな。

 そろそろお前の親が来るんだからいい加減に――――

 

 

 

「好き」

 

 

 

 こんな世界で、一番聞きたくない言葉が聞こえた。

 

 

 

「――は?」

 

 だから俺は、踏み出す足を無様に踏み外して。

 身体を縛り付ける何かを、必死に振り払って。

 闘争することもなく、その場から遁走しようとして。

 なんとか一歩、二歩、ステップを踏めたのに……なにかが怖くて。

 つい、振り返ってしまう。

 

「あっ……」

 

 そこには七瀬がいて。

 何かに腕を振り払われたような体勢をしていて。

 何かに拒絶されたような顔をしていて。

 何かに追いすがりそうな雰囲気があって。

 

「は……はは……」

 

 これが愛想笑いか乾いた笑いか、自分でもよくわからない。

 それでも、一歩、二歩と後ろに下がる。

 それでも、一歩、二歩と七瀬が上がる。

 なんとか開いた距離が、絶対数に上書きされる。

 

「悪い……なんだか、今…………幻聴が……」

「桜井くんが、好き」

 

 やめてくれ。動詞を目的語で補強しないでくれ。

 俺が村上に言ったことを誤りにしないでくれ。

 

「ははは、ははは」

「私は、桜井くんが、好き」

 

 理解不能のフラストレーションを笑い声に変換しようとしても、七瀬は必要十分すぎる言葉で表現してくる。

 だから俺にさえ、その言葉がわかってしまう。

 

「……なんだよそれ」

 

 だけど、意味の理解だけは拒絶する。

 そうして時間を稼いで、七瀬から距離を取る。

 

「いや……さ……やばい意味じゃないよな……?」

 

 意味が理解できそうもない時は、とりあえず相手に質問をすると意外と誤解が解消したりする、というのが俺の経験則だ。

 だけど、今回ばかりはさすがに怖いので、曖昧な言葉で相手が意味不明の時間を稼ぐ。

 今の俺が振り絞れる、最大限に曖昧な言葉でしかないけれど。

 

「もちろん、恋愛的な意味だよ」

 

 かろうじて振り絞った俺の言葉を、七瀬はすぐに握りつぶしてしまう。

 俺は、続く言葉を、思い浮かべることが、できない。

 わずかも、思い、つかない。

 

「あ…………ああ…………」

 

 そして、無様な声をあげることしかできない俺は、それでもなんとかその場を去ろうとする。

 なのに、さっきまではろくに意識していなかったベンチが後ろに存在していたようで。

 太ももがぶつかってしまったようで。

 そのまま、全身の力を失ってしまい。

 そして、ベンチに座り込んでしまう。

 

「あぁぁあああああああああああああああ」

 

 全てのフラストレーションを叫び声に変換する俺の横に、七瀬が座ってくる。

 汚い俺の手から零れ落ちてしまっていた汚い物を拾い上げて、払って、それが相応しい場所にかけてくる。

 それは湿っていたけれど、そのせいで、俺が振り払った感触に似てしまっていた。

 俺の脳内では勝手に動画作成がはじまって、俺は、七瀬が俺を後ろから抱きしめるシーンを、神の視点から、見させられる。

 見たくない…………こんなの…………。

 

「なん…………で…………」

「今なら、言えると思ったから」

 

 涙が流れている俺に、七瀬は慰めるような表情を見せてくる。

 

「明日になったら、もう言えないと思った」

 

 なのに七瀬は、ちっとも俺の気持ちを汲んで答えてはくれない。

 俺が聞いているのは、なんでそんなことを言ってるのかってことで……。

 いや…………どちらにせよ言葉は同じか…………。

 

「私を見てくれたから」

「…………は…………?」

「桜井くんが私を見つけてくれて、ずっと見ていてくれたから、好きになった」

 

 七瀬は、勝手に俺の気持ちを汲んで答えてくれる。

 でもそんな曖昧な理由じゃ、やっぱり七瀬も村上と同じ、普通の人達だ。

 そんなものは、俺が全力で否定すれば、すぐに反対側の感情に変わってしまう程度のものだ。

 

「俺は……嫌いだ」

「…………そっか」

「だから……さ」

「…………うん」

 

 よかった。これでわかって――

 

「来週から、毎朝言うね」

「――――は?」

「朝、登校時間に。桜井くんの家の前で、待ち伏せて」

「――――え?」

 

 いつかと同じように、七瀬はわかってくれなかった。

 それどころか、堂々とストーカーのようなことを言って、俺を脅迫してくる。

 やめてくれよ、もう。どうしてお前はそんなめんどくさいんだ。

 だから嫌いなんだよ。頭がおかしくなりそうだ。

 最低の奴。

 

「私、最低の人間だから」

 

 なんなんだよお前は。

 どうしてそんなにタイミングが良いんだよ。

 俺って、そんなにわかりやすいか?

 俺はお前のことなんて全然わからないのに。

 こんな時だけ一方的にわかられてるなんて、気持ち悪すぎるんだよ。

 お前なんて…………俺のこと、本当は何も知らない癖に。

 

 

 

「もう、いいよ」

 

 もう、疲れた。

 終わりだ、終わり。

 理性も敵わない感情も敵わない。

 降参。もう完全に降参。

 逃げ回るのに、もう飽き果てちまった。

 全部話せばいいんだろ、全部。

 

 俺が生まれた時から間違えた人間だってことを。

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