道中で瀬戸と別れた俺は、家まで七瀬を送り届けるために、二人で歩いていた。
「あ、流れ星だ!」
七瀬が空を仰ぎながら、声をあげる。
夕方なのか夕暮れなのかも曖昧な、不思議で幻想的な空に、一筋の白い線が通っていた。
生まれてこの方、流れ星なんて見た覚えがないのだが、七瀬が言うならたぶんそうなんだろう。
こんな時間でも見えるもんなんだな。
「桜井くんと仲直りできますよーに」
「なんだよそれ」
「お願い事」
そう言って、七瀬は悪戯っぽく笑いかけてくる。
でも、それは叶わないだろうな。
流れ星で願いを叶えるなら、三回は唱えないといけないから。
「懐かしいね」
「……何が?」
「ここ、歩くの」
「……そうだな」
あまり昔話は好きじゃないが、こればかりは七瀬に同意する。
中学の頃は、よく七瀬とこの道を歩いていた。一年ぐらいなもんだったけど。
くだらない話をしたり、いじめられてた日は七瀬を慰めたり、色々あったな。
一つだけ笑えるのは、この話題を毎日のように話して、毎度のごとく懐かしんでいることだ。
「こうして話せるのも、久しぶりな感じ」
「…………」
「だって、桜井くんがいじわるなんだもんなー」
「…………」
笑って流してやりたいところだが、今日は生憎とそんな気分にもなれない。
七瀬にとっては軽いことなのかもしれないけど、俺は今も罪悪感を刺激されている。
わざとやってるんだったら、こいつは学園のアクジョだな。
「ねぇ、桜井くん」
「……なに?」
「何か言ってよ」
「……何か」
「あはは」
こんなくだらないやり取りで笑えるのも、久しぶりに感じる。
でも実際は、あんまり話すと感情が動きそうなので、どうでもいいことを言って時間稼ぎしているだけに過ぎない。
逃げて逃げて、流して流して、七瀬の家に着くまで無駄な時間を引き延ばす。
そして、到着。
明らかに裕福で幸福そうな家がそこにある。
しっかりした門がある家なんて、俺は生まれてこのかた七瀬家以外に見たことがない。
「じゃあな」
「ちょっと待って」
毎日のように去ろうとする俺に、今日に限って七瀬が声をかけて引き留めてくる。
いつかのように肩を掴んではこないが、今の俺たちの距離感では、これで十分になってしまった。
つい立ち止まってしまう心身については、不本意ではあるが。
「なんだよ」
「あがっていかない?」
「え?」
「家」
「いや、それはわかってるけど」
どうしてそんなことを言うのかがわからない。
今の俺たちの関係は、朝の迎えと放課後の送りまでの時限式だろ。
それ以外は自由時間。完全なプライベートでプライバシーだ。
「だめ……かな?」
「だめだな」
「どうしても?」
「どうしてもだめだ」
「お母さんとお父さんも、久しぶりに桜井くんに会いたいって言ってるんだけど」
なんだよそれ。そんな他人にも優しい家庭があるのかよ。
確かに何度も遊びに行ったし、挨拶もしたけど、今の俺は娘に近づく悪い虫じゃないのか。
今お邪魔したらそのまま七瀬の部屋に詰め込まれるのは目に見えてるし、こんな時間だから押し切られて晩飯を食べさせられそうで、御免だな。
まともな飯にありつけるのは魅力的だが、俺は一分でも一秒でも短く七瀬と二人きりになりたいんだ。
なにより、幸せな家庭を見せつけられるとますます行きたくなくなる。
「七瀬からよろしく言っておいてくれ」
「…………うーん、残念」
七瀬は全身で落胆を表現するという迫真の演技で、俺の罪悪感に追い討ちをかけてくる。
よろしく言っておくという言葉で実際に何を言うのかは以前から疑問なのだが、七瀬なら上手いこと言ってくれると思う。
よろしく。
「じゃあな」
「うん、ばいばい」
ようやく手を振って別れて、帰路につく。
雪の夜に喧嘩した時なんかは、帰るためにこの「じゃあな」を何度済ませたかわからない。
こんなに単純な挨拶なのに、どうしてあんなに上手くいかなかったのか。
そう思うと、少し笑えてきてしまう。
「……ん」
歩行運動とは別の振動を、太ももの辺りに感じる。
めんどくさいな。一分ぐらい無視してもいいか。
というか永遠に無視してしまいたい。金輪際未来永劫来世になっても。
「――はい」
昼食からずっと共感回路に刺激を受け続けていた俺は、結局は罪悪感に勝てずに対応してしまう。
この先に続く長期的な苦しみよりも、目先の苦しみを取り除くことを優先してしまう。
随分と数学が下手糞になったもんだ。
『おかえり! 桜井くん』
「まだ帰ってないんだけど」
『あはは』
通話越しとはいえ、既に帰り着いた人間に言われると皮肉にしか聞こえない。
どうして俺が帰り着いていないか、わかってて言ってるんだよな?
まあ、いいけれど。
「かけてくるの、早くないか?」
『……そう?』
「ちゃんと手洗いうがいしたか?」
『あはは。今日はサボってダッシュで部屋に入っちゃった』
「おいおい」
それこの間も言ってなかったか? さすがに心配になってくる。
「そろそろ流行り出すから気をつけろよ」
『うん! ちゃんと気をつけるねー』
この返事前も言ってなかったか? 本当に気をつけてるのかよ。
まあ、いいか。俺は七瀬の親じゃないから、矯正する義理もなければ、強制する権利もない。
これ以上は、他所の家族の問題だ。
『あ、飛行機雲だ!』
「え?」
『あっちあっち!』
突然大きくなった七瀬の声に驚いて空を見てみるが、どっちを見ても俺にはどうにも見当たらない。
昼間なら簡単に見つかるのに、こんな夜闇の中じゃあ、あの幻想的な存在感も埋没してしまう。
まあ、俺には見えないけれど、七瀬が言うならたぶんそうなんだろう。
俺の目のフィルターは、近しい人の変化にも気づけないぐらいにぼやけているからな。
『桜井くんと仲直りできますよーに』
「なんだよそれ」
『お願い事』
そう言って、七瀬の悪戯っぽい笑い声が聞こえてくる。
でも、やっぱりそれは叶わないだろうな。
飛行機雲は、流れ星じゃないから。
『ねぇ、桜井くん』
「なに?」
『今、幸せ?』
こんなところで急に哲学的命題を出されても困ってしまうな。
定義も範囲も対象も、何もかもが曖昧過ぎて、何も断言できそうにない。
昼間の圧迫面接とは違うようでいて、正答が思い当たらず嫌な気持ちになるのはよく似ている。
しかしまあ……そうだな……うん、とりあえずは………………………………
「まあ、少しは楽しんでる」
『…………うーん』
「お祈りか?」
『まだまだ桜井くんと仲直りできるのは遠そうだなって』
「なんだよそれ」
言いながら、笑ってしまう。そりゃそうだろう。
飛行機雲は流星よりも長く空に残ってるのに、一回しかお願いしていないんだから。
二つ合わせても二回。願い事を叶えるのにはあと一回足りない。
まあ、七瀬の言ってるお願いなんていうのはそのぐらいなもんだ。
あまり真に受けちゃいけない。
『そろそろかな』
「そうだな」
七瀬の声とほぼ同時に、俺の家が見えてくる。
この距離を何度も往復したとはいえ、よく覚えているもんだなと感心する。
その記憶力と学習能力を、勉強にも向けて欲しい。
そろそろ、将来を選択しなければいけない時期なんだし。
「じゃあな」
『うん。シャワー終わったら、また』
「は?」
『だめ?』
そんなに甘えられても困る。俺はお前の親じゃない。
さすがに家の中の時間まで拘束されると困るな。
「その調子で寝るまで通話するつもりだろ?」
『…………バレちゃった?』
「さすがに何度も寝不足に追い込まれたから俺も学習してる」
これが七瀬のお決まりのパターン。
七瀬に付き合うと自分の時間がどんどん削られて、ろくなことにならない。
将来の彼氏と旦那さんは気の毒だと思う。
そんなことを思いながら、家の前の階段を登る。
「これで本当に終わりだ」
『うーん、残念』
「じゃあな」
『うん。また明日、学園で』
こんなわけのわからなかった挨拶も、すっかり現実のものになってしまった。
あの頃は、絶対にもう面と向かって話さないと思ってたんだけどな。
そこから翌日の朝に会って、休日に喧嘩して、公園でまた喧嘩して。
運命っていうのは皮肉なもんだ。
「ああ。また明日、学園で」
その挨拶を最後に通話を切り、俺は家のドアを開けた。