俺に恋愛なんてあり得ない   作:詩野聡一郎

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貸借

 

 七瀬は機嫌と気分のどちらも良くしてくれたようで、その日はいつも通りにお喋りをして、無事に家まで送り届けることができた。

 前はあれだけ鬱陶しいぐらいに束縛を感じていたのに、いざ元通りになると、不思議と安心感を得てしまう。

 日課、すなわちルーチンワークのような不自由さのレールに乗っかることは、時にノイズとなる思考と感情を排してくれる。

 それは、俺の中に溜まって濁り切った罪悪感も例外ではなかった。

 

「……ん」

 

 シャワーと食事を終え、ベッドの上で横になってぼーっとする俺の意識を引き寄せたのは、いつものようにスマホの振動音だった。

 すっかり慣れ親しんでしまったメッセージアプリに、通知は二つ。

 一つは、「紗花」から。こちらは大した内容ではなく、スタンプで感情表現をしているだけだ。

 もう一つは、「瀬戸」から。

 

『お詫びに今週末一緒に出かけない?』

 

 あまりにも意外な申し出に、その裏の意図もこの表の意味もイマイチ汲み取ることができない。

 だから、ひとまずは最も違和感のある部分を突くことから始める。

 

『詫びられるようなことをされた覚えがない』

 

 むしろ、瀬戸は俺に巻き込まれた側であって、もし詫びなければいけないなら、それをするのは俺の方だ。

 

『桜井と紗花に迷惑かけちゃったでしょ』

 

 続いて送られてきた瀬戸の返信も、俺にはイマイチ理解できないものだった。

 

『むしろ俺の方が七瀬と瀬戸を気まずくさせてしまったと思うんだけど』

『というと?』

『いや、だから詫びるとするなら、俺が瀬戸にすべきだ』

『じゃあそれでいいや』

『は?』

 

 先ほどとは主体と客体が真逆になっているというのに、瀬戸にとってはどうでもいいようだ。

 この分だと、どうしても俺を外に駆り出したいらしい。

 

『遊びに行こうよ』

『どこに?』

『んー、とりあえず街中?』

『パス』

『えー』

 

 近所でお茶をするぐらいならまだいいが、街中には絶対に行きたくない。

 俺の全感覚器官が、統計的に想定される被害を根拠に拒否を示している。

 

『じゃあ借り、返してよ』

『はあ?』

『このあいだ借り二って言ってたっしょ?』

『まあ』

 

 確かに言っていた。ただ、こんなことでそのカードを切られるとは思っていなかった。

 単に目的地を変えてくれればいいだけなのだが、瀬戸は街中にこだわりがあるらしい。

 ここまで食い下がるとなれば、瀬戸の意図に関して、色々と可能性は思いついてくる。

 

『だからさ。これで返して?』

『二つ分に換算してくれないか?』

『何言ってんの。一つだけだよ』

『はあ』

 

 街中に行くなんて、俺にとっては借り二つ分は積まれないとやりたくはない。

 しかし、貸し手はあっちなわけだから、借り手の俺は文句を言えないだろう。

 こんな友達間の曖昧な概念の貸し借りに、司法なんてものは関係がない。

 そして司法が不在ということは、自主的にどちらかが妥協するか、どちらも妥協するかしかあり得ない。

 きっと、ここは俺が妥協して折れるべき場面だ。

 

『わかったわかった』

『おっけ。じゃあ十一時に噴水前ね』

 

 瀬戸の指定してきた時刻と待ち合わせ場所のせいで、七瀬と喧嘩をした日が思い出されてしまう。

 せっかくレールの上で心地よくしていたというのに、偶然にもレールの上に小石が乗ってしまっていたかのようだ。

 このままでは意識が脱線して感情線を走り出してしまいそうなので、慌てて脳内の制御を利かせる。

 

『了解』

 

 簡潔な返信を送り、瀬戸の意図に論理的思考を働かせることで、俺の中から小石を弾き出す。

 これまでろくに学園外で関わってこなかったのに、急に瀬戸は強引な手で俺を呼び出してきた。

 その行動に無意味を見出すよりも、何らかの意味を見出す方が、自然だ。

 思いつくのは、今日あった七瀬との件。反省会を開くつもりかもしれない。

 あるいは別件かもしれないが、わざわざ会おうとするということは、二人だけで顔をつき合わせないといけないほどに深刻な相談事かもしれない。

 内容に関しては相手が女子だから全く予測不可能だが、まあ、話を聞くぐらいはできるかもな。

 別に気分転換で俺を使って遊びたいというのなら、それでもいい。それこそ借りを返すに値する。

 そんなことを考えていると、スマホが振動した。

 瀬戸からの返信か追伸かと思ったが、どうやらそうではなかったようだ。

 画面には、「紗花」の文字があった。

 

『どうして既読スルーするの?』

「うわ、めんどくさ」

 

 思わず感情がそのまま声になってしまった。

 既読スルーとか、そう思われないために未読にするとか、はたまた機内モードを利用して誤魔化すとか、なんて面倒な文化なのだろう。

 相手が考え中かもしれないし、忙しい中チラっと見ただけかもしれないし、返信しようとしてタイミングを逃して返信し辛くなってしまったのかもしれないのに。

 この文化が明らかに面倒そうで、他人と連絡先を交換しなかったというのも大きかった。

 まあ、「紗花」とだけは交換してしまっていたので、中学の頃から洗礼を受けていたのだが。

 

『このスタンプ、可愛いでしょ?』

 

 七瀬が言っているのは、先ほど送られてきた熊のスタンプの事だと思うのだが、そのスタンプが意味することが全くわからなかったのでこちらとしてはどう返信したらいいのかがわからなかったというのが、正直なところだ。

 なんだろう。「可愛いね」って返したら良かったのか?

 なんだか典型的なナンパ男の口調みたいで抵抗があるんだけど。

 とはいえ、ここまで誘導されたらさすがに答えはわかってる。

 

『可愛いな』

『だよね~』

 

 もしかしてスタンプの起源はロールシャッハなのではないかと思いながら、ひとまず満足してくれたらしい七瀬の返信を見て、口からはため息がこぼれていた。

 

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