俺に恋愛なんてあり得ない   作:詩野聡一郎

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英語

 

 食べ物を残してはいけないという、もったいない精神に身を委ねた俺は、見事にピザを食べ切って見せることができた。

 ただし、その代償として集合場所であったベンチに座っておよそ三十分は消化液の仕事を待つ羽目になった。

 瀬戸とただ駄弁るだけという、無意味なようで有意味なコミュニケーションを済ませていると、瀬戸は参考書選びの手伝いを要求してきた。

 英文法がややこしくて困っているらしい。気持ちはよくわかる。

 日本語と英語は文法が全然違っていて、主語や「ある・ない」といった肯定否定を日本語は最後の最後まで焦らしがちなのに対して、英語は最初からいきなりストレートに主語と肯定否定を明言してくる。

 英語の文法は、現代文よりは古文、古文よりは漢文に近いと思う。

 瀬戸曰「あんなの将来使わないでしょ。」

 世間では色々な英語検定が流行っているし、社会もそれを要求しがちのようだが、瀬戸を中心とする宇宙の行く末はそうではないようだ。

 まあ、なんだかんだ英語ができる人材は無数にいるだろうから、たとえ海外旅行をしようが何とかなるかもしれない。

 

「お、着いたね」

 

 瀬戸の言葉と共にエスカレーターの足場が途切れ、もはや馴染みになったと言ってもいい落ち着いた空間が目に入る。

 七瀬御用達の大型書店。その三階だ。

 エスカレーターを降りた瀬戸の気配を背後に感じながら、目的の英語コーナーを目指す。

 すると、その前にある国語コーナーで見間違いようのない、見慣れた長身が目に留まった。

 

「もしかして、村上か?」

「え、桜井?」

 

 俺の声に反応して振り返ったその男性は、思った通り、俺の親友である村上努だった。

 前から面と向かって話したいとは思っていたが、なかなか糸口が掴めないままだったので、今日ばかりは神の悪戯に感謝したくなってくる。

 

「久しぶりだなー」

「毎日、挨拶はしてるけどね」

 

 そう言って、村上は俺と笑い合わせてくれる。

 毎日繰り返していた行動に込められた意味を、確かに相手と共有できている実感に、俺は嬉しくなってくる。

 村上とは前にもこの書店で会っていて、今日もまた会うなんて何だかできすぎかもしれない。

 でも、そんなことはどうでもよかった。

 村上の元気な姿を間近で見られたんだから、どんなに「できすぎ」でも構わない。

 

「よ、桜井」

「滝川……!」

 

 村上の長身の陰から、頭一つ分小さい滝川が出てくる。

 さすがの滝川といえど、この暑さではファッションのしようがないらしい。

 結果的に、ジーンズにシャツという出で立ちの男子が三人揃うという事態になってしまった。

 まあ、滝川のシャツだけはなんだか丈が長くって、ポーズ取ったらカッコ付きそうだけどな。

 

「そっちは、瀬戸かな?」

「え、マジで?」

 

 村上はすぐに俺の後ろにいる瀬戸に気づいたようだが、滝川の方はそうではなかったようだ。

 

「イメージと違ったから全然気づかなかったわ……」

「うっさいなぁ」

 

 本日二度目の失礼発言を受けて、瀬戸が苦笑いをしている。

 瀬戸曰く、ファッションは自分のためにする、と滝川に後で伝えておこう。

 

「もしかして……二人でデートしてんの?」

「はぁ?」

 

 どうしてすぐそんな思考になるんだよ。男と女が一緒に出かけたらデートってか?

 だったら俺と七瀬は中学の頃に一年間毎週のようにデートしてたってことになるだろ。

 それだけデートしてカップルになってないなんて、一般論的にあり得なさすぎて笑えてくる。

 だから、あれはデートに入らないし、これもデートに入らないと思う。

 

「違う違う。そんなんじゃないよ」

「単に借りを返してるだけだ」

「ふーん……」

 

 瀬戸と俺の説明を受けても、滝川は疑うような目を向けてくる。

 前から思っていたのだが、こいつは俺の言うことを信じてくれなさすぎると思う。

 

「七瀬さんは誘わなかったの?」

「あー……」

 

 当然の疑問をあげる村上に対して、瀬戸はお決まりで目を泳がせる。

 

「紗花も誘ったら、私がハブられちゃうでしょ」

「あー」

「確かにね」

「なにがだよ」

 

 まあ、楽しいお出かけがいじめの現場に変わってしまうという意味では、間違ってないかも。

 

「それで、二人はどうしてここに?」

「瀬戸が英語の参考書探してるんだと」

 

 後ろの瀬戸に目をやると、小刻みに二度ほど頷いていた。

 

「村上は?」

「僕も桜井と同じようなものかな」

「え?」

「滝川の付き添い。古文だってさ」

「ああ」

 

 どうやら俺と村上の役割は同じだったらしい。今感じているのは、まるで保育園の親御さん同士のような気持ちだと思う。

 勉強が苦手な子供がいると大変よねぇ。いえいえ~そちらこそ~。

 ……いや、そんなやり取りをしにきたわけではない。

 

「じゃ、お互い頑張ろうや」

「そうだね」

「じゃあなー」

「ばいばーい」

 

 四人で示し合わせたように手をあげて挨拶を交わし、俺と瀬戸は国語コーナーの奥にある英語コーナーまで歩く。

 英単語、長文読解、英文法、リスニングから発音記号に関するものまで、様々な参考書が並んでいた。

 内容も基礎から解説するものもあれば、ドリル形式や問題集もあるし、果ては難関大向けのハイレベルなものまである。

 これだけの膨大な情報源の中から、人ひとりに合った物を探すのは一苦労だったりする。

 

「瀬戸」

「なに?」

「英文法、どのぐらいわかる?」

「さっぱり」

 

 さっぱりってどのぐらいだよ、と思わないでもないが、俺の聞き方も曖昧だったのでおあいこだな。

 何より、そもそも英文法という概念自体、範囲が広すぎてよくわからないし。

 

「第一文型から第五文型まではわかる?」

「第一……第五……?」

「SVとかSVOとか、SVCとか」

「エス……ブイ……?」

 

 嘘だろ、と思わず言いたいところだが、ここでそんなことを言っては瀬戸の意欲を損なうし、普通に失礼だ。

 まあ俺も、昔はこんなこと意識して英語を勉強していなかったから、英文法にはじめて触れた時は驚いたし。

 

「わかった。英単語の方は大丈夫だっけ?」

「あ、そっちはたぶんそこまで悪くないと思う」

「熟語は?」

「えーっと、二つで一つの動詞になったりするやつ?」

「大体そう」

「たぶん大丈夫かなあ」

 

 瀬戸の英語スキルは小中の基本教育からそこまで離れていなさそうなので、おおよその実態が把握できたと思う。

 となれば、瀬戸に合った参考書もおおよそ見当がついてくる。

 

「じゃあ、これ」

「あ、うん」

 

 棚から一冊の本を抜き取り、瀬戸に手渡す。

 語り口調で書かれた英文法の参考書で、基礎から上級まである程度使っていける代物だ。

 他には、学術書かと思うぐらいに基礎の基礎から緻密に書いた英文法バイブルもあるが、一ページに詰め込まれた情報量があまりに多いとどこから読めばいいのかパニックになりそうだし、合計ページ数が多いと「勉強が進んでいる」という達成感も生まれ辛いと思う。

 だから、まずは読みやすくて力にもなるところから始めていくべきだと判断した。

 

「自分に合うかどうか、目を通してみて」

「……桜井、こういうの手慣れてる?」

「あー」

 

 まあ、これに関しては心当たりがありすぎるし、思い当たる節がないなんてあり得ないぐらいだ。

 

「中学の頃、七瀬に教えてた」

「え、勉強?」

「そう」

「英語だけ?」

「いや、国数英理社。全部」

「全部!?」

 

 そんなに驚くことだろうか。

 まあ、一年の頃の七瀬は教える側だったらしいから、教えられる側だったというのは意外なのかもしれない。

 

「受験勉強も?」

「まあ、そうだな」

「北雪の?」

「当たり前だろ」

「…………そこまでするかあ」

 

 そこまでするかと言われても、七瀬がしつこく泣きついてくるんだからしょうがない。

 とはいえ、七瀬に教える過程で俺も自分の理解不足を何度も確認できたし、これについてはウィンウィンの関係だと思う。

 まさか七瀬が北雪学園を受験すると言い出すとは思わなかったけど。

 俺が教えなかったらどうするつもりだったんだろう。

 

「いやー、やっぱ紗花って怖いなぁ」

「まあ、たまに怖いこと言ってくるのはあるよな」

「そうじゃなくてさ……まあいいや」

 

 瀬戸は諦めたように参考書をパラパラとめくり始めた。

 俺はというと、中途半端に話が途切れたことに居心地の悪さを感じながら、その光景をだらだらと眺めるぐらいしかやることがない。

 

「うん、じゃあこれ買ってみる」

 

 瀬戸が、ぱたんと参考書を閉じる。

 

「合わなかったらまた呼んでくれ」

「んー……次は紗花の意見も聞いてみようかな」

「そっか」

 

 レジに向かって歩き出す瀬戸の後姿を追いかけながら、俺は国語コーナーで未だに苦悶の表情を浮かべる滝川へと視線を向けて、思わず笑ってしまった。

 

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