俺に恋愛なんてあり得ない   作:詩野聡一郎

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喧騒

 瀬戸が英語の参考書を買ったことで、本日の俺はお役御免となったらしい。

 さすがに疲れたので、一足先にエスカレーターを降りる。

 一階分を降りて、文庫本が置かれた二階に着いた時、俺は時間が止まったかのような思いを味わった。

 七瀬が、そこにいたから。

 

「あっ――」

 

 七瀬は、確かシフォンだかジプシーだかと言う長めのスカートに、少し緩そうなブラウスという出で立ちでそこに立っていた。

 少しでもタイミングがズレてくれさえいれば、俺はこのままもう一階分のエスカレーターに乗って脱出できていたというのに、よりにもよってお互い同時にエスカレーターを目指して目が合ってしまうとはバツが悪すぎる。

 今日、七瀬に会うことなんて想定していなかったものだから、どうしたらいいのかもわからない。

 

「あー……」

「えっと……」

 

 それは七瀬も同じだったようで、お互いに斜め上の天を仰ぎながら、手始めの言葉を頭の中で手探る。

 

「――あれ、桜井なんで止まってんの?」

 

 そこに、エスカレーターを降りてきた瀬戸が居合わせる。

 居合わせてしまう。

 

「え、嘘」

 

 そして、こんなところでいつもの三人が揃ってしまう。

 まずいな、これは。なんかすごく気まずい感じがする。

 

「二人でお出かけしてたの?」

「あー……っと……」

 

 先日、七瀬が浮気だとかなんだとか言うものだから、なんだか今の自分が不貞をしている気分になってきた。

 よりにもよって俺の頭に「浮気」というキーワードをぶち込んでいるんだから、こいつは本当に最低な奴だ。

 俺が、顔も知らない父親と同じ類の人間だって、思い知らせたいのか? 勘弁してくれ。

 

「いや、別に七瀬を仲間外れにしようってわけじゃなくってさ」

「いいよ、それは」

 

 論理展開を先回りして繰り出した俺の言葉を、七瀬はいとも簡単に切り捨ててしまう。

 てっきり誘われなかったことでこんなに気まずい空気になっていると思ったのだが、見当違いだったらしい。

 

「あー……とりあえず脇行こ?」

「そうだね」

「……わかった」

 

 膠着状態の俺と七瀬に対して、瀬戸は最もな提案をする。

 ここで言う「脇」とは、エスカレーターにおける動線の外側という意味だ。

 ひとまず移動しながら、俺は「これが修羅場ってやつなのか?」と思いを馳せていた。

 

「…………」

「…………」

 

 移動したはいいものの、結局俺と七瀬は無駄な時間をかけてしまう習性にあるようだ。

 そして、この状況を見かねた瀬戸が口を開いた。

 

「ごめん、紗花」

「え…………?」

「…………え?」

 

 突然頭を下げて謝る瀬戸に、俺はその意図が理解できずに困惑してしまう。

 とっさに七瀬の方を見るが、七瀬もよくわからないといった表情でこっちを見ていた。

 

「え……? どうして……?」

「紗花の桜井、ちょっと借りてた」

 

 いつの間にか動物ですらない物扱いを受けているのは不満だが、さすがにこの状況でそれを言えるわけがない。

 ただ、瀬戸の言っている意味はよくわからない。

 俺は、別に七瀬の所有物ではない。

 

「桜井くんは別に私のじゃないよ?」

 

 俺の認識は独りよがりなものではなく、七瀬と共有できていたらしいので少し安心した。

 ただ、どうにも瀬戸は譲れないものがあるようで、顔をあげても納得の表情をしてくれていない。

 

「いや、だってさあ……」

 

 瀬戸が俺の方を見てくるが、俺にはその意味がさっぱりわからない。

 目と目が合っても何も伝わってこないし、何も忖度できないようだ。

 

「ね、わかるでしょ?」

 

 瀬戸が七瀬の方を見ているが、そちらも上手く伝わっていないようだ。

 ここにいる誰一人として、どうやらこの空気の理由を客観的に説明できないらしい。

 

「あーっ、もう」

 

 瀬戸が、らしくなく頭の後ろを掻いている。

 その異様な光景に、俺も七瀬もただただ圧されるだけで、どうにも喋ることができない。

 

「なんなの? あんたたち」

「はぁ…………」

「…………うーん」

 

 なんなの、と言われてもなぁ。

 今のところは何者でもないけれど。

 

「なんか私一人で考えてばっかで、馬鹿らしくなってきちゃった」

「らしいぞ」

「そうなんだ」

 

 瀬戸の話す言葉の意味はよくわからないので、瀬戸の話す言葉自体をネタにして会話することしかできない。

 

「ほんっとめんどくさいなぁ」

「だってよ、七瀬」

「ひどくない?」

「桜井もだよ」

「えぇ?」

 

 七瀬がめんどくさい奴だという共通理解を瀬戸と共有できたと思ったら、すぐさま梯子を外されてしまった。

 俺まで七瀬と同レベルのめんどくささというのは、ほんの少し心外だけども。

 

「あーもういいや」

 

 めんどくささから来るストレスに耐えかねたのか、瀬戸の声は荒れていた。

 

「紗花、このあと時間ある?」

「あるけど……」

「桜井は?」

「まあ、今日は一日フリーだな」

 

 実は今日“も”なんだけどな。基本的にフリーじゃない日はほとんどない。

 俺を叱ってくれそうな母親も家にはいないし。

 

「よし、じゃあ三人で遊びに行こう」

「はぁ」

「あっ、楽しそう」

 

 また街中で五感を破壊されるのかと思うと気が滅入ってくるが、さっきの瀬戸の尋常ならざる様子を見て拒否できるわけもない。

 

 

 

 そのあと、俺はとにかくうるさい場所に連れ回され続け、三回ほど奢らされた。

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