俺に恋愛なんてあり得ない   作:詩野聡一郎

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最悪

 

 まだ午前中とはいえ、さすがにこの季節は寒いので、今日はジーパンとシャツというわけにはいかず、上にパーカーを着る羽目になる。

 もはや慣れ親しんだどころか住んでいるんじゃないかという気分で、俺はいつも通りに噴水前のベンチに座っていた。

 色々と嫌な思い出が頭をよぎるから、できれば他の待ち合わせ場所にして欲しかったけど、なんだかんだ便利なここに落ち着いてしまうのはしょうがない。

 別に村上が悪いわけじゃないさ。そう自分に言い聞かせて、スマホをいじる。

 

「…………」

 

 通知は特になし。待ち合わせの時間までもう五分もないはずだけど、誰も来ていない。

 少なくとも「一時間前には来るもんでしょ」と言っていた瀬戸ぐらいは来てそうなものなんだけどな。

 まあ、今のめんどくさい俺とはなるべく話したくないのかもしれないな。

 所詮、俺の人生なんてそんなもんだ。

 そう諦めて、時間と悲しさを潰すためだけにゲームアプリを起動する。

 

「…………ん」

 

 ゲームを少し操作しはじめた辺りで、視界の隅に白い布がチラチラと見えた。

 なんか見覚えあるな……ああ、そうか。瀬戸のワンピースの裾に似てるんだ。

 まさか、この寒い中で白いワンピース着てきたのか? 正気じゃないな、あいつ。

 まあ、どうでもいい。俺には関係ないし。

 

「あの…………」

「ああ、瀬戸――」

 

 女性の声に反射的に立ち上がり、スマホから目を外す。

 前を見る。目を疑う。前を見る。

 花柄の白いワンピースを着た――見慣れたストレートロングで――

 

「…………桜井、くん」

「――――――――――」

 

 一番会いたくない人が、そこにいた。

 

「すみません、人違いでした」

 

 なんだよなんでだよなんでだよなんだよなんでだよ。

 なんでいるんだ? なんで声をかけてきた? やめてくれやめてくれやめてくれ。

 二度と会いたくないのにもう絶対に会いたくないのに顔も見たくないのに見せないでくれ。

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌いだ嫌いだ嫌いだお前なんか大っ嫌いだ。

 

「――待って!」

 

 触るんじゃねぇよ思い出すだろうが!!!!!!!!

 お前の感触を思い出しちまうからやめろ!!!!!!

 お前の温かさなんて俺は思い出したくないんだよ!!

 

「お願い…………」

「…………」

「お願い……します……」

 

 はぁ。

 あれだけ逃げようとしていたのに、結局俺は、背中から抱きしめられたという、ただそれだけのことで動けなくなってしまった。

 初めて好意を受けたその日と同じ感触が、俺の身体を包んで、意識と身体を石像のように膠着させてしまっていた。

 でも、こんなのは不健全だ。

 いくら相手を止めるために仕方がないとはいえ、交際相手のいる女性がすることじゃない。

 だから、振りほどかないといけない。

 

「触んなよ」

「あっ――」

 

 強引に振りほどいた腕が、不自然に沈んでいく気配があった。

 え? と思って振り向くと、そこには、地面に向かって沈んでいく姿があった。

 だからつい、手を伸ばしてしまって。

 抱きかかえるように、支えに行ってしまう。

 本当に、いつまで経ってもどんくさい奴だな。

 

「……ありがとう」

「…………」

「桜井くん」

「……七瀬」

 

 もう絶対に会いたくなかったのに。

 もう絶対に話したくなかったのに。

 もう絶対に触れたくなかったのに。

 俺は、七瀬紗花に再会してしまった。

 

「……な、なんで?」

「なにが」

「どうして……名前で呼んでくれないの?」

「………」

「……紗花……って……」

「……もう、呼ばない」

 

 永遠に。

 呼ぶ必要も、機会もない。

 

「……ひどいよ…………」

「……どっちがだよ」

 

 浜田にあれこれ話して間接的に嫌がらせをしておいてどの口が言ってるんだ。

 あの日、俺たちの関係は何もかも始まらないままに、何もかも終わっただろ。

 でも、言わない。さっさと帰りたい。

 

「じゃあな」

「――待って!」

 

 姿勢を戻してやってさっさと帰ろうとする俺のパーカーが、掴まれる。

 その指はすがるようにも見えるけれど、どうせ俺を騙して良いように使おうとしてるんだろう。

 そうであってくれたら、いいなと思う。

 

「なんで?」

「…………」

「浜田と来てるんじゃないのか?」

「………え?」

「あれ? まあいいや」

 

 俺が交際相手を知ってるのが意外だったか? 隠そうともしてないくせに。

 まあいいや。パーカーを脱いで、くれてやれば逃げられる。

 スルスル。スルスル。はい、さようなら。

 

「ま、待って!」

 

 いや、なんでシャツを掴むんだよ。伸びるだろ。

 そうまでして引き留める意味がわからないな。

 せっかくできた彼氏に誤解されてもいいのか?

 そこら辺にいるんだろ、どうせ。

 

「なんだよ」

「…………」

「用がないなら離してくれないか」

「…………離れたら、叫ぶ」

「……は?」

「この人痴漢ですって、叫ぶから」

「……はあ?」

 

 それで浜田を呼び出して公開リンチってか?

 そこまで俺のことが嫌いか? シャバにいたら気持ち悪い、同じ空気も吸いたくないってか?

 本当にめんどくさくって、最低の奴だな。

 

「…………」

「で、どうすればいいんだ?」

「…………」

「どーすれば冤罪回避できんのかって聞いてんだけどー?」

「……つ……ついてきて……ください」

「はあ?」

「あの……その……」

「なんで?」

「き、今日は……桜井くんと村上くん……愛美ちゃんと、私の四人で買い物、だから……」

「は? 聞いてないんだけど」

 

 なんだよ村上、嫌がらせのつもりか?

 俺は村上のこと親友だと思ってたけど、やっぱり村上も俺なんかに愛想尽きてたんだろうか。

 ああ、もういいよ。俺なんてそんなもんだし。

 でも文句の一つぐらいは言っておきたいもんだな。

 

「で、二人は?」

「…………」

「二人はどこにいんだって聞いてんだけどー?」

「……来ない」

「は?」

「……体調不良で……来ない、です……」

「はあ?」

 

 連絡きてねーんだけど。そんな出来すぎたことが早々あるかよ。

 あーもう最悪だあいつもこいつも俺に嫌がらせをしてきやがる。

 別に俺と仲直りしなくたっていいだろ。もう彼氏いるんだから。

 御守はその彼氏にやってもらえよ。知ったこっちゃねぇよもう。

 

「めんどくさ。帰るわ」

 

 もうシャツが伸びてもいいし、上半身裸で帰ることになったっていい。

 叫びたいなら叫べよ。どうせろくでもない人生なんだし痛くも痒くもねーよ。

 もう進路のこと考えないで済むしな。お前の顔も見なくて済むし。

 お前に叫ぶ覚悟があんのか? やれるもんならやってみろよ。ほらほら。

 

「待って」

「…………」

「待って……ください……」

「…………」

「お願い……だから……」

「…………」

「お願い……します……」

「…………」

「今日だけ……今日だけ、時間をください……」

「…………」

「今日だけ……お願い……」

「…………」

「お願い……桜井くん……」

「…………はぁ」

 

 これが惚れた弱みというやつだろうか。

 こんなことなら惚れなければよかった。

 彼氏がいる女性にまで機能してしまうなんて、男に生まれなきゃよかった。

 本当に最悪だ。自分が惨めすぎて、今すぐに消えてなくなりたい。

 

「わかった」

「……うん…………」

 

 久しぶりにきちんと顔を合わせても、ニコリともしてくれなかった。

 結局のところ、これが今の俺たちの距離感と関係性ってことだ。

 もう、お互いに普通の知り合いには戻れない。知り合い未満にすら、満足になれない。

 何もかも中途半端で、何もかも曖昧で、何もかも面倒な関係でしかない。

 

「で、どこに行くんだ?」

「えっと……その……」

「どうせ参考書ってのも嘘なんだろ?」

「……はい」

 

 やっぱり、今日は俺たちが仲直りするためにお膳立てされていたらしい。

 まあ、村上と瀬戸には悪いけど、たぶん良い報告はできないと思う。

 今のこんな俺たちが、仲直りすることなんて、到底できそうにない。

 ちょっと話すだけで、こんなにもすれ違ってしまって、わかり合えないんだから。

 

「まあ、とりあえず」

「…………え」

 

 他人の女とはいえ、薄着で寒そうにしてるのを見ているのは心が痛む。

 それが、好きになってしまった相手ならなおさらだった。

 しかも、こいつは案外寒がりだったから、こんな寒さじゃきっとすぐに風邪をひいてしまう。

 だから、俺がパーカーを貸してあげるのは、何もおかしなことじゃないはず。

 別に気を惹こうとか、そんなんじゃない。これは、父親みたいじゃないはずだ。

 大丈夫。大丈夫な行動のはずだ。他人の交際相手に手を出すわけじゃない。

 

「上着、買いに行かないとな」

「……うん」

 

 だけど、パーカーを大事そうに触りながら頷く紗花の笑顔を見ただけ、ただそれだけのことで、俺はどうしようもなくときめいてしまった。

 

 それが、錯覚であったら、良かったけれど。

 

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