俺に恋愛なんてあり得ない   作:詩野聡一郎

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交信

 

「ごめん」

「…………え?」

「俺、馬鹿だったよ」

「…………」

「紗花があれだけ優しくしてくれたのにさ」

「――――」

「なにもかも、ちゃんと受け取れなくてさ」

「……うん」

「本当は、毎日弁当もらって嬉しかったよ」

「うん」

「毎日ちょっかいかけられて、楽しかった」

「うん」

「一緒に帰るのも、すごく懐かしかったよ」

「うん」

「楽しかったなぁ。いつも幸せだったなぁ」

「……」

「本当は……幸せだったのになぁ」

「……うん」

「もう取り返しがつかないけどさ」

「…………」

「本当にさ。本当に……ごめん」

「……いいよ、もう…………」

「だからさ、だから……」

「…………っ」

「もう――勘弁してくれないか?」

「え…………」

「俺が七瀬を傷つけたのは、もう痛いほどにわかってるからさ」

「…………なんで?」

「そろそろやめてくれないと、ちょっと俺、ダメになりそうだ」

「…………なんで、そうなるの……?」

「え――――」

 

 どうして気持ちが伝わってないんだろう。何かおかしかったかな。

 やっぱり、俺みたいな奴が頼んでも、もう許してくれないのかな。

 結局どこまでいっても、俺なんて一生苦しみ続ける運命なのかな。

 

「……おかしいと、思ってたんだ」

「え、なにが?」

「ずっと浜田くん浜田くんって言っててさ」

「はあ?」

 

 ずっと浜田くん浜田くんって言ってるのはお前の方だろうが。

 俺はときどき浜田って言ってるだけだっての。惚気てる方は自覚ないってやつ?

 ふざけんなよ。それで何人の男子を泣かせれば気が済むんだ。

 

「桜井くん……信じてるの……?」

「え、何を?」

「そっか……信じてるんだ……」

「いや、わからないんだけど」

 

 なんで一人で質問して一人で勝手に納得してるんだ、こいつは。

 必要十分に言ってくれなきゃ俺は到底微塵もわからないんだよ。

 

「信じてたのに……」

「え…………」

「桜井くんだけは、わかってくれるって信じてたのに!」

「いや……何をだよ……」

「桜井くんだけは、ちゃんと私を見てくれてるって、信じてたのに!」

「はぁ…………?」

 

 お前のことをわかっていられたらこんなことになってないんだよ。

 お前のことをきちんと見ていたらあんなことになってないんだよ。

 何も見えてない。何もわかってない。何もかも意味不明なんだよ。

 わけわかんないことを言うなよ。もう勘弁してくれ。赦してくれ。

 

「わかってるとか見てるとか、わけわかんないけどさあ!」

「…………」

「俺がお前のことわかってたらこんなことになってないだろ!」

「…………」

「そんぐらいわかるだろ? 子どもじゃないんだからさあ!」

「…………わかんない……」

「はぁ?」

「子どもだから……わかんない……です……」

「うっわ」

 

 そうやって弱いフリしてぶりっ子ぶりっ子すれば男が優しくしてくれるとでも思ってるのか?

 開き直りは罵倒語に対する最強のバリアーだからな。

 

「めんどくさいわ、お前」

 

 最低限の倫理的な懲役は果たしたし、悪口の一つぐらいは言うからな。

 もういい加減に愛想も、恋愛感情も尽き果てただろうし。

 

「……見捨てるの?」

「は……?」

「桜井くんまで、私のこと……見捨てるの……?」

「はあ……?」

 

 勘弁してくれ。お前には彼氏の浜田がいるだろーが。

 そんな捨てられた子羊みたいに俺を見ないでくれよ。

 彼氏が一人いれば、他の男なんていらねーだろって。

 俺を、これ以上お前の強欲に付き合わせないでくれ。

 

「どういう意味だよ、それ」

「……だって、繋いでもくれないし……」

「え?」

「ゆっくり歩いても、手……繋いでくれないし……」

「何言ってんの?」

 

 手なんて一年以上繋いでないだろ。

 いや、もうそろそろ二年になるか。

 つまりさ。太古の昔だっつーこと。

 あり得ねーんだよ。今の俺達じゃ。

 

「指も……嫌そうだし……」

「は?」

「私と指が触れたら、嫌そうにしてるでしょ……?」

「ああ、まあ」

 

 だって触れたらお前のことしか考えられないんだもんな。

 授業にも注意できないし、ゲームにも散漫できないしさ。

 だからもう二度と触れたくないんだよ。お前の指なんて。

 

「昔は……あんなに手のひらで触れられたのに……」

「…………」

「今じゃ……指先で触れることだって……全然できなくて……」

「…………やめてくれよ」

 

 そんな懐かしいだけの昔話は。

 俺なんかとしなくていいだろ。

 浜田と未来の話でもしてろよ。

 

「プリントが、回ってくるたびに……」

「――――」

「わざと……してるのに……」

「――――ああああああああああもううっぜぇな」

「――」

「なんなのお前? 何が楽しいの?」

「いや、その」

「そうやって俺をいじめてさ。心の中で見下してんのか?」

「そんなんじゃ――」

「――触んなって!」

 

 俺に対する嫌がらせの化身となった紗花の手が伸びてくるので、腕の遠心力で振り払う。

 手と手で触れたくないから。

 

「俺が触られるの嫌だってわかっててやってるんだよな?」

「……」

「なんでそういうことするんだよ? そんなに俺が嫌いなのか?」

「…………」

「あーもう最悪だ。今日来るんじゃなかったわ」

「……ひどい…………」

「酷いのはどっちだよ。お前といるとろくなことにならねぇ」

「…………違うのに……」

「は? 何が違うわけ?」

「…………」

「言ってみろよ。ほら」

「…………」

「言えって」

「…………」

「…………」

「…………うぅ……」

「――――」

「なんっ……でっ……」

「えぇ…………」

 

 もはやオブラートに包む気すらも起きない悪口で、紗花は泣きだしてしまった。

 いじめられた日に何度も見たその涙を、今度は俺が流してしまった罪悪感が、俺の心から染み出して、足を縫い留めてしまう。

 

「なんっ……で……いじめるっ……の……」

「いや……いじめられてるのはこっちなんだけど……」

 

 いいよな、女って。困った時は泣けばいいと思ってるんだからさ。

 泣きたいのはこっちだっての。さっきからずっと堪えてんだけど。

 でもまあ、今回ばかりは合ってるかも。俺はお前に惚れてるから。

 だから、そうやって泣かれるとさすがに心が痛むよ。

 

「ハンカチ、あるか?」

「…………」

「…………」

「…………」

「……わかった。ほら」

「…………う……ん」

「嫌だったら、ごめん」

「……だい……じょぶ」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……あー、とりあえずベンチに座らない?」

「わか…………た……」

 

 差し出した俺のハンカチを受け取り、目元を拭う紗花は、了承の返事をしたのに何故だか動いてくれない。

 

「…………」

「……はぁ」

 

 仕方ないので、紗花の腕を掴んで強引に引っ張ってみる。

 さすがにこんな状況とはいえ、手を引きたくはない。

 まあ、腕はトレンチコートの布地越しのおかげであまり指先が熱くならないことも、ついさっき振りほどいた時にわかったし。

 

「ついてきて」

「…………うん」

 

 紗花は、一歩一歩を踏みしめるかのように物凄くゆっくり歩くので、俺もそれに合わせて普段しないぐらいにゆったりと歩くしかない。

 なんだこれ。畏まった儀式か儀礼みたいな気分になってくるな。今なら何でもできそうな万能感が不思議と湧いてくるぞ。

 

「え――――」

「…………」

 

 神々しい雰囲気を味わっていると、引いている腕が不意に鉄棒みたいに硬くなった気がした。

 驚くのも束の間で、完全に片足を踏み下ろす瞬間だったものだから、俺の意識は捻じれそうな足首のバランスに向かってしまう。

 

「あっ……ぶなかった……」

「…………」

 

 何が何だかよくわからないけど、なんとかバランスを取れたらしい。

 誰かにリードされてる時に急に立ち止まるとか危なすぎるだろ。さすがに一言文句を言ってやりたい。

 そう思って、自分の手の先を見て――

 

「――――え」

「…………」

「困るんだけど」

 

 いつの間にか、俺の手の中には紗花の手があった。

 驚いて顔を見ようとするけど、俯きがちにハンカチを当てていて、よく見えなかった。

 

「なんで?」

「…………」

「いじめか?」

「…………」

 

 問い詰める俺をさらにいじめるように、紗花が指を絡めてくる。

 いや、なんで恋人繋ぎなの? 俺たちには一番あり得ないだろ。

 ていうかこの繋ぎ方って堅いし痛いしでさ、歩きづらくないか。

 昔に母さんと遊びでやった時のこと思い出すし、嫌なんだけど。

 

「やめてくれない?」

「…………今だけ」

「えぇ…………」

「今だけ……だから……」

「なんだよそれ」

「お願い……」

「いやさ」

「お願い……します……」

「…………はぁ」

 

 やはりこいつは「お願い」に「お願いします」を被せれば俺が言うことを聞くと学習しているらしい。

 過学習か未学習だぞって教えてやりたいけど、さすがに俺も少しは空気が読めるので、この状況でそれはできそうもない。

 まあ、少しは紗花も心配だしな。少し。少しだけ。

 

「じゃあ、行くよ」

「…………」

 

 紗花は答える気力もなくしてしまったのか、ハンカチで顔を覆ったまま黙ってついてくる。

 でも、結局は歩く速度を上げてはくれないので、目と鼻の先にあるはずのベンチに辿り着くまで十五分はかかった気がした。

 

「…………」

「…………」

「……なに、してるの?」

「連絡」

 

 隣に座っている紗花は、いつの間にやらハンカチを顔から外して、俺の手元を覗き見ていたらしい。

 片手だとスマホを操作し辛いから手を離してくれると助かるんだけど、何故だかさっきよりもやけに強い力で握りしめてくる。

 

「……どこに?」

「え、わかるだろ?」

「…………」

 

 ああ。子どもだからわかんないですってか。

 お前で子どもなら俺も子どもなんだけどな。

 

「村上」

「え……どうして?」

「いや、瀬戸の連絡先知らないしさ」

「そ、そうじゃなくて」

「迎えに来てもらわなきゃいけないだろ」

「え? え?」

「いや、だから」

 

 どうしてこいつはここぞって時に物分かりが悪いんだ?

 ライトノベルの難聴系主人公か何かかよ。めんどくさ。

 

「瀬戸の連絡先わからないから、村上経由で連絡してるんだって」

「え……どうして……?」

「え、さっき言っただろ。迎えに来てもらわなきゃって」

「…………桜井くん、送ってくれないの?」

「は? 俺はボディーガードじゃないんだけど」

 

 痛い痛い痛い。なんで手の力を強めるんだよ。

 さっきちゃんと謝っただろ。やっぱりだめか?

 何もかも俺のせいだしなぁ。恨むか、そりゃ。

 だけど、できれば藁人形相手にして欲しい。

 呪いを受ける覚悟はあるけど、直接やられるとやっぱり辛いし。

 好きなお前が相手ならなおさらだよ。

 もう、お前には手が届かないけどさ。

 

「よかった。滝川も一緒に来てくれるってさ」

「…………」

「一時間で着くって」

「…………」

 

 いや、だからなんで手の力を強めるんだよ。

 身体的な痛みは精神的な痛みよりは治りが早いけどさぁ。それにしても限度がある。

 まあいいか。この痛みも温かさも、あと一時間だけだしさ。

 どうせ浜田と喧嘩でもして、ワンナイトラブならぬワンデイライクみたいなことしてみたかったんだろ。

 悪いな、少しもご期待に沿えなくて。でも、それだけはできないからさ。

 もうこんなにも間違ってしまった人生だけど、たとえ真似事でも父親の浮気みたいなことだけはできないからさ。

 盗撮もしてないし――ああ、ごめん。触れたくないからって、少し暴力は振るっちゃったな。

 せっかく会ってしまったんだから、諦めて大事に過ごせばいいのに、暴言もたくさん吐いてしまった。

 ただでさえ他人と上手く付き合えないのに、母さん以外に初めて好きになった女性だから、どうしたらいいかよくわからなかったよ。

 本当は誰よりも大切にしたいのに、なんでかいつも最後は喧嘩になってしまう。こんな不器用な自分が、大嫌いでしょうがない。

 ずっと言いたかったことを、ようやく口に出して謝れたのになぁ。

 やっぱり俺、とっくにダメになってしまっていたみたいだ。

 

「ごめん」

「…………え?」

「いや……」

 

 別に、わかってくれなくたっていい。

 わかってもらえたって、何も変わらないし。

 

「私も……」

「……え」

「私も、ごめんなさい」

「……よくわかんないな」

「…………」

 

 

 結局その言葉を最後に紗花は何も言ってくれず、意味もなく手は強く握られたままだった。

 だけど、今までで一番身近に感じる紗花の体温はとても心地よくて、一時間はあっという間に過ぎ去ってしまった。

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