俺に恋愛なんてあり得ない   作:詩野聡一郎

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混信

 

 昼休み。

 俺はいつも通りに教室を出て、そのまま学園も出て、適当な場所で昼食のパンを食べるために席を立つ。

 すると、いつもとは違い、今日は俺の席を塞ぐように人影があった。

 

「よ、桜井」

「え……滝川、何か用?」

「まあまあ」

「え、ちょ――」

 

 質問することに気を取られて油断していた俺の身体を、滝川は簡単に羽交い絞めにしてしまった。

 こいつ、前より力が強くなってる。もうちょっと部活動に手を抜いてくれていればよかったのに。

 

「悪い、瀬戸の頼みだからさ」

「……あっそ」

 

 そういや滝川は瀬戸が好きだったな。だからといって、俺を巻き込まないで欲しい。

 恨めしく隣の席を見ると、その主である瀬戸は俺に目もくれず、俺の後ろの席に顔を向けていた。

 

「ごめん、紗花の桜井借りてくから」

「え………? う、うん…………」

 

 俺はすっかり人権を失ってしまったようで、完全にモノとして貸し借りされているらしい。

 どうして紗花に許可を取るのかはわからないが、そのままズルズルと階段前まで連れていかれてしまう。

 球技大会の時といい、どうも滝川は俺を連れ去る技術に長けている。将来はレスキュー隊員になるかも。

 

「なんで俺は連れ去られてるんだ?」

「そんぐらいわかるでしょ?」

「さあ。さっぱりわからないな」

「どうせ、それも本気で言ってるんでしょ?」

「本気で言ってるよ」

 

 今回ばかりは本当に心当たりがない。何かあったっけ。

 村上経由で連絡先を入手したらしい瀬戸が連日連夜連絡を取ろうとしてくるので、火曜日の夜辺りから金曜日の今日まで電源をずっと切っていたことぐらいしか覚えがない。

 でも別に学園で話せるんだし、そもそも隣の席なんだから火急の用事があれば空いた時間に伝えてくれればいいのに。

 まあ、その空いた時間を作らないように立ち回って逃げ回ってるんだけどな。

 瀬戸と話すことに、とてつもなく嫌な予感がするから。

 

「どこに向かってるんだ?」

 

 ふとした疑問を、先を行く瀬戸の背中に投げてみる。

 視界の斜め上でスカートがチラチラ揺れていて、結構嫌な気分になった。

 

「屋上」

「え?」

 

 確かに強制的に階段を上らされているけど、この季節って屋上は開いてなかったよな?

 屋上の前で話をするって意味か? 普通に響くぞ、それ。

 

「ほら、これ」

 

 瀬戸がポケットから鈍色の物体を取り出す。

 それは、まるで鍵のように見えた。

 

「合鍵」

「え……」

 

 なんでそんなものがあるのか、なんでそんなものを持っているのかといった疑問は湧いたけれど、そんなものはすぐに枯渇してしまった。

 頭の中を占めるのは、紗花が母さんからもらった合鍵で俺の家に入ってきていたことと、あの日に紗花の気持ちを取りこぼしたという事実だけだ。

 そのせいでどうにも思考が乱れて、抵抗しようという意志も零れ落ちてしまう。

 

「あんたのためだけに手に入れたんだから、感謝してよね」

「…………」

「これ、見つかったらやばいんだから」

「…………」

「――ほら、桜井。着いたぞ」

 

 滝川の言葉と同時に、瀬戸が屋上の扉を違法的に開き、そのまま俺は寒空の下に投げ捨てられてしまう。

 ちょっと擦りむいたかな。まあ、いいか。大したことじゃない。

 

「それで、何の用?」

「桜井。あんたさ、いい加減にしなよ?」

「え、なにを?」

「そんなこともわかんなくなっちゃったの?」

「いや、本当にわからないんだけど」

「あーっ! もう! あんたって意外と馬鹿なんだね」

「えぇ…………」

 

 結構勉強頑張ってるし、結構考えてるつもりなんだけどなぁ。

 と言って、説得できる状況じゃないんだろうなあということぐらいは、さすがにわかる。

 

「紗花のことに決まってるでしょ」

「……ああ、まあ……」

 

 そんなことだろうなとは、確かに思ってたけどさ。

 でも、何を言われたって、どうしようもないだろ。

 

「あんたが紗花と仲直りしてくれないと、私らの雰囲気最悪なの」

「はぁ……そうですか」

「村上も滝川も責任、感じちゃってさ。私も、やっぱ悪いことしたなって思ってるし」

「……そう」

 

 正直に言えば、遅かれ早かれ俺と紗花はこうなっていただろうから、三人に責任を感じてもらう必要はないと思っている。

 でもまあ、さすがにこの流れで否定すると瀬戸に身ぐるみ全部剥がされて寒空の下で吊るされそうだ。それ生き地獄だな。

 

「だからさ、早く仲直りしてくれない?」

「……そんなこと言われてもなぁ」

「あんた達の問題が終わらないと、三年になっても進路に集中できないしさ」

「……そりゃ悪かったな」

「あんたが一言謝ればいいんだからさ。それで、全部解決するから」

「いや、それならもう――」

 

 瀬戸の言葉に従い、俺は先週末に紗花に謝罪したことを伝えた。

 謝罪した事実を伝えるだけでは瀬戸は不満なようで、詳細な言葉を要求するものだから、順を追って説明するのは中々に大変だった。

 あまり、思い出したくないことだし。

 

「――は?」

「え」

 

 ただ、核心の言葉を伝えた途端、瀬戸の目が今まで見たことないほどに鋭くなった。

 たぶん、母さんに呪詛を吐かれた時と同じぐらいの感情密度がそこにあったと思う。

 

「いや、ちょっと頭、痛くなってきた」

「え…………」

「あんた、本当にそれ紗花に言ったの?」

「まあ……言ったけど……」

「最悪。ここまで馬鹿だと思わなかった」

「…………すみません」

 

 瀬戸がまとう負の感情があまりにも母親と被るものだから、思わず心が閉じてしまう。

 ちょっとトラウマが蘇りそうで、心がザワついてきた。

 

「滝川はどう思う?」

「いや……まあ……」

「遠慮しなくていいからさ」

「…………さすがに桜井、ヤバいかなと」

「だよね」

「俺が言えたことじゃないけど…………」

「いいよ、それは」

 

 さっきまで責任を感じていると言ってくれた二人は、すっかり俺のことを見捨ててしまったらしい。

 母さんに見捨てられた時のことが頭の中で重なって、心の振動数が高まっていく。

 

「桜井、なんでそんなこと言ったの?」

「……なんでって言われてもな……」

「紗花があんたのこと傷つけようとするわけないじゃん」

「いや、俺もそう思いたいけどさ……」

「そう思いたいけど、なに?」

「でも、浜田が」

「――――は?」

 

 浜田の名前を出した途端、瀬戸は負の感情を倍増させてきた。

 いや、ちょっとさすがにキツイ。状況が母親に似すぎている。

 どうせいつも通り俺が悪いんだろうけど、吐き気がしてきた。

 

「浜田が? なんだって?」

「……七瀬が、浜田に」

「紗花」

「え」

「七瀬じゃなくて、紗花」

「…………」

「わかるよね? このぐらい」

「……紗花が、浜田に俺のこと話してるらしくて」

「だから?」

「それで、浜田が俺に話しかけてくるんだよ」

「で?」

「いや……その……わかるだろ?」

「ぜんっぜんわかんないんだけど」

 

 頭が痛くてちょっと頭が回らなくなってきた。

 耳の中で母さんの声が反復して耳鳴りがする。

 

「さっきも言ったけど……俺……紗花のこと裏切っちゃってさ……」

「そうだね」

「だから……紗花は……俺のこと恨んで……」

「は?」

「恨んで……浜田に……言ってるのかなと……」

「そんなわけないでしょ」

 

 かろうじて振り絞った言葉を、瀬戸は容易く無に帰してしまう。

 母さんに反論すら許されずに人格を全部否定された記憶が蘇る。

 

「紗花がそんなことする子じゃないって、桜井が一番よくわかってるよね?」

「いや……そうだけどさ……」

「そうだけど? なに?」

「でも……毎朝……話してるじゃないか……」

「え?」

「いや……すごく仲良さそうだから……そういうのもあるのかな……と……」

「え、どういう意味?」

「いや……だって浜田ってさ……紗花の……」

「え? 嘘でしょ? まさか」

 

 瀬戸が、信じられないものを見たという目で俺を見る。

 母親が、信じられないものを見るという目で俺を見た。

 

「まさか、信じてるの?」

「え…………なにを……」

「噂、信じてるの?」

「え……?」

「紗花と浜田が付き合ってるって、信じてるの?」

「え…………違う……の……?」

「嘘でしょ。信じらんない」

 

 もう、瀬戸の表情を見る余裕もない。

 頭の中の母さんの表情しか見えない。

 

「噂が噂にしか過ぎないって、あんたが一番よくわかってたんじゃないの?」

「…………」

「あんたがくだらない噂を気にしたせいでこんなことになってるんだよ?」

「…………」

「だってあんた、紗花と付き合ってあげてなかったんでしょ?」

「…………」

「付き合わない癖に、紗花の時間を浪費させてたんでしょ?」

「…………」

「紗花の気持ちも考えないでさ」

「…………」

「紗花のことなんだと思ってるの?」

「…………」

「紗花は、あんたの母親じゃないんだよ?」

「…………うるせぇ……」

「なに? なんなの」

「うるせぇんだよくそが! 何も知らねぇくせに!!」

「え――――」

 

 まずい。瀬戸。殴りそう。

 やばい。自分。殴っとく。

 

「いいんだよもう俺は頭がおかしいんだよどうせ犯罪者の息子なんだよどうせダメなんだよ何もわかってねえんだよ!!」

「いや、なに」

「お前に何がわかるんだよふざけやがって俺が紗花に近づいたらどうなるかわかって言ってんのか?」

「なにいってんの……?」

「俺はなあ! 俺は、盗撮とか浮気とかとにかくやばいことするんだよそうに決まってんだよ!!」

「いや、桜井――」

「――触んじゃねぇ!!」

 

 近づく。手を。振り払った。

 ごめん。痛いよな。ごめん。

 

「俺が紗花の近くにいたらさあ、絶対ろくでもないことになるんだよ!!」

「…………」

「滝川! お前ならわかんだろうが!!」

「桜井、ちょっと」

「女に暴力振るうとか最低最悪の人間のやることだよなあ! 今の俺とかなあ!!」

「――――」

「こんな人間が紗花の傍にいていいはずないよなあ? お前もそう思うよなあ!?」

「…………」

「なんか言えよクソがっ!!」

 

 思わず、無抵抗な滝川を、蹴り飛ばしてしまった。

 滝川は、きっと優しさで、わざと受けてくれたな。

 そのおかげで、急速に頭が、冷えてきた。

 自分のしでかしたことが、気持ち悪いな。

 本当に俺は、母さんが言っていた男に、よく似ている。

 

「…………ほらな、やっぱりこうなるんだ……」

 

 瀬戸と滝川は、なにか気持ち悪いものを見る目で俺を見ていた。

 やっぱりそれは、母さんが俺に向けた目と、同じように見えた。

 

「……悪い……紗花と浜田によろしく言っておいてくれ……」

 

 吐き気が吐き気が吐き気が吐き気が吐き気が止まらない。

 あーやっぱりこうなっちゃうんだよなあ。そうだよなあ。

 終わってんな、俺。

 

「……桜井、ちょっと待って」

 

 すごいな、瀬戸は。俺に暴力振るわれたのに、まだ声をかけてくるんだから。

 

「…………なに」

「私さ。私、あんたのこと好きかもなって思ったこともあったけど」

「…………」

「今のあんたじゃみっともなさすぎて、役不足だわ」

「…………なんだよ、それ」

 

 役不足じゃなくて、役者不足か力不足じゃないのか。

 

「桜井は、紗花のところに行くべきだよ」

「…………」

「紗花は、今でもあんたのこと待ってるからさ」

「…………」

 

 そんなこと、あり得るわけないだろ。

 無理だよ。もう、何もかも手遅れだ。

 終わってんだよ。俺の人生なんてさ。

 

「だからさ――」

「…………ごめん」

 

 もう、何も聞きたくない。

 だから、瀬戸の言葉も、滝川の優しさも投げ捨てて、俺は屋上を後にした。

 そして、そのまま午後の授業も全て投げ捨てて――

 

 

 

 独りぼっちの家で、自分の惨めさを感じながら、泣いた。

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