俺に恋愛なんてあり得ない   作:詩野聡一郎

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不律

 

 完全に蘇ってしまった母さんの残像から逃げるための感情表出は、金曜日だけでは到底足りずに、土曜日と日曜日を丸々捧げてようやく終わってくれた。

 ろくに飯も食べず、眠ることも満足にできず、ただただ頭の中をグルグル回る数多の出来事に襲われ続けるという感情の供給過剰は、俺から生のエネルギーの一切を奪い取っていった。

 

「はぁ…………」

 

 ようやく眠れたというのに、目が覚めれば最悪な気分にさせられる。

 まあ、今まで毎晩のように母さんに責められる夢を見ていたわけだから、こんなものは日常茶飯事だ。

 慣れたものだから、さっさとシャワーを浴びて、ろくでもない飯を食べて、制服に袖を通してしまう。

 紗花だけでなく、瀬戸や滝川まで俺の都合に巻き込んでしまったことはとても申し訳なくて、顔を合わせるのも気まずいけれど、今日はどうしても学園に行かなければいけない理由があった。

 担任の吉田が、わざわざ俺のスマホに連絡をくれたからだ。

 

『今日の放課後、三者面談をするぞ』

 

 どうやら母さんと連絡が取れたらしい。まだスマホを変えていなくて良かった。

 昨日の今日で母さんの実像と相見えるのは憂鬱を越えて躁鬱の域に達しそうな気がするけれど、まあ、仕方がない。

 恨んだってしょうがない。何もかもどうしようもない。どうせ俺が悪いんだろうし。

 

「……よし」

 

 まあ、授業に出られなかったとしても、保健室登校で放課後だけ顔出したっていいんだ。

 そうだな。久しぶりに図書室に行くのもいいかもしれない。紗花と出会ってしまう可能性を考えて、北雪の図書室には行かなかったし。

 どんな本があるんだろう。結構時間を潰せるといいな。

 読書っていいよな。辛い現実を忘れさせてくれるから。

 

「……あっ」

 

 玄関でいつも通りに靴を履こうとして、ふと寝起きで窓から見た光景が頭をよぎった。

 そうだ。今日は雪が降ったんだったな。しかも厄介なことに、積もっている。

 ということはだ。冬靴を出さなきゃいけないわけ。

 

「ああ、これか」

 

 独り暮らしの靴なんてものは、わざわざ靴箱に入れないでそこら辺に放ってしまう。

 まあ、基本的に夏と冬合わせて四足しかないわけだけど、捨て方がよくわからないのでゴミになったはずの靴がいくらか置いてある。

 そのせいで、きちんと機能する冬靴を見つけるのにも、少しだけ苦労した。

 

「あー、はいはい」

 

 そして、当然のことながら靴紐は緩んでいる。

 そりゃそうだ。シーズンをまたぐと大体はこうなっている。

 だから、座り込んで靴紐を結び直してやらないといけない。

 ……よし、こんなもんかな。まあ、歩けるだろう。

 それじゃあリュックを背負って、立ち上が――

 

「――――え」

 

 上がらない。

 あれ、なんだろう。身体に上手く力が入らないな。

 

「…………ん?」

 

 足腰だけでなく、手をついて立ち上がろうとしても、立ち上がれない。

 なんだ、腰を悪くしてしまっているのだろうか。勉強のやりすぎか?

 わりとベッドで横になってる時間も長い気がするんだけどな。あ、寝すぎか。

 仕方ない仕方ない。どうせ今回も何もかも俺が悪い。

 じゃあ、とりあえず身体をうつ伏せにして、腕の力で立ち上がってみよう。

 

「…………あれ?」

 

 足腰に加えて腕の力を入れても、立ち上がれない。

 どうしたんだ? 俺の身体、何か悪くなってるのか?

 日頃の不摂生がたたってる? よりによってこのタイミングで?

 そりゃあさすがに運が悪すぎるな。今日ぐらいは上手くいってくれよ。

 どうしたもんかな。とりあえず、やたらと喉が渇いてきた。

 さてと、キッチンに――

 

「………ん? ちょっと待てよ」

 

 どうして今、立ち上がれたんだ?

 え? 体調不良じゃなかったのか?

 生存本能が水を欲しすぎていたのか?

 まあいいか。あとはこのまま座ることなく歩けばいいんだから。

 よし、それじゃあ――

 

「――――え」

 

 足が進まない。

 え、なんで?

 わけがわからないんだけど。

 動いてくれよ。あと数歩だろ。

 どうした? 見えない空気の壁でもあるのか?

 いや、でもさすがに窓から飛び降りられないぞ。帰りどうするんだよ。

 うーん、困ったな。このぶんだと遅刻確定だ。

 まあしょうがない。この遅刻だって俺のせい。

 俺の身体を動かせない俺のせい。何もかもが俺のせい。

 とりあえず、一限の遅刻は確定してしまったので、二限から行くか。

 

 

 三十分後。

 動かない。

 

 一時間後。

 動かない。

 

 二時間後。

 動けない。

 

 三時間後

 動けない。

 

 

 まずいな。放課後には間に合わせないと。

 また母さんに怒られてしまう。怖いなぁ。

 

 

 四時間後。

 行かない。

 

 五時間後

 行きたい。

 

 放課後。

 行けない。

 

 

 結局一日中行けなかった。

 怒られてしまうのはもう確定だろうけど、せめて明日、きちんと吉田先生から話を聞かないとな。

 

 

 火曜日。

 行けない。

 

 水曜日。

 行けない。

 

 木曜日。

 行けない。

 

 金曜日。

 歩けない。

 

 土曜日。

 起きられない。

 

 日曜日。

 起き上がれない。

 

 

 また月曜日になってしまった。

 さすがに行けないとまずいかもしれない。

 あーでも怖いなぁ。吉田怒ってるかなぁ。

 これでも毎日頑張って動こうとしてるんだけどなぁ。

 

 

 一週間後。

 行けない。

 

 二週間後。

 行けない。

 

 三週間後。

 行けない。

 

 四週間後。

 行けない。

 

 

 行けない。行けない。行けない。

 行かなきゃ。行かなきゃ。行かなきゃ。行かなきゃ。

 行けないといけないのに行かないといけないのに行かないと行けないのに。

 行けない。いけない。行けない。いけない。行けない。いけない。行けない。

 いけない。行けない。いけない。行けない。いけない。行けない。いけない。

 行けない。行けない。行けない。行けない。行けない。行けない。行けない。

 行けない。行けない。行けない。行けない。行けない。行けない。行けない。

 行けない。行けない。行けない。行けない。行けない。行けない。行けない。

 

 

 

 結局。

 俺は。

 一度も登校できないまま。

 三年生になってしまった。

 

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