俺に恋愛なんてあり得ない   作:詩野聡一郎

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春が来て、僕らのポストクレジット (Fin)

 

「――――ん」

 

 気が付くと、そこは俺の部屋だった。

 どうやら眠っていたらしい。随分と穏やかな夢だったな。

 昔は毎晩のように母さんの呪詛を受けていたというのに、こんな夢を見ることができるなんて、俺の呪いも少しは弱まってくれたのかもしれない。

 いつかは、そんな呪詛も祝詞に変わって欲しいものだ。

 

「あ、おはよう。桜井くん」

「え」

 

 寝たきりのまま、スマホを確認していた辺りで、聞き慣れた声が聞こえた。

 夢見心地でそのまま首から上を少し傾けると、そこにはあるはずのある姿が見える。

 

「おはよう、紗花」

 

 紗花は髪を一つに束ね、昔みたいに眼鏡をかけた姿でこちらを見ていた。

 その顔は、いつの日にか見たように暢気で、無防備で、可愛らしかった。

 

「あのさ」

「なーに?」

「まさか、ずっと見てたのか?」

 

 紗花は当然のように俺のベッドの端に腰掛けており、俺を見下ろしていた。

 あまりにドラマティックな状況なので、思わず疑問に思って聞いてしまう。

 

「違うよ」

 

 さすがに違うか。安心した。

 

「一時間ぐらいかな」

 

 ……やっぱり怖いな。こいつ。

 

「桜井くんは、私に見られるの、嫌?」

「いや、まあ……」

「え、今“いや”って」

「違う違う」

 

 起きて早々に言葉狩りか? 本当に最低な奴だな。

 

「さすがに恥ずかしいだろ。寝顔見られるの」

「せっかく彼女にしてくれたのに?」

「本当に男心がわからないんだな、お前」

「本当に女心がわからないんだね、て前」

「は?」

「あはは」

 

 ポエムかラップでバトルしてるわけじゃないんだぞ、俺は。

 まあいい。それもこれも、紗花の気分と機嫌の問題だから。

 

「あのさ」

「なーに?」

「早くどいてくれないか?」

「やだ」

「早くのいてくれないか?」

「やだ」

「あーわかったわかった」

 

 言えばいいんだろ、言えば。

 いつもいつも恥ずかしいんだけどな、これ。

 

「紗花」

「うん」

「可愛い」

「えへへ」

「好きだ」

「よろしい」

 

 さすがに恥ずかしいので程ほどにしか気持ちを込められなかったが、紗花は満足してくれたらしい。

 すっかり色恋づいてしまった紗花のせいで、俺のルーティーンは乱され、日々のルーチンワークは倍増した。

 まあ、それが彼氏の特権というやつかもしれない。

 

「お夕飯、できてるからね」

 

 廊下を歩く俺を逆ストーキングしながら、紗花が優しく囁いてくれた。

 

「ああ、いつもありがとう」

 

 この気持ちだけは、いつも欠かさずに最大限込めているつもりだ。

 脳がすっかり緑色の足湯に漬かってしまっている俺は、どうにも生活リズムが安定しない。

 来年に向けた受験勉強をしているというのもあるけれど、本当に最悪の場合は一日に六回は床に就く羽目になる。

 時々、寝起きに心臓がバクバクしていたりもするので、正直に言うと、紗花が傍にいるのは心強かった。

 もしかしたら、紗花はそんな俺の心を読んでいるのかもしれない。

 

「起きてすぐ傍に誰かがいると、心強いでしょ?」

「え、どうしてわかるんだ?」

 

 怖い。本当に心が読まれてる。本当に怖い。

 

「私もね。ちょこっとだけ通ってたこと、あるんだ」

「ああ」

 

 知らなかったな、そんなの。

 でもまあ、紗花も紗花で大変だったのはわかるから、そんなに驚くことでもないかな。

 

「驚かないんだ?」

 

 え、なんで読めるの? そんなに俺ってわかりやすいか?

 いや、さすがにこれは普通のコミュニケーションの範疇か。

 寝起きなものだから、自分がサイコなホラー映画のエキストラになっていたのかと混乱していた。

 

「まあ、驚くようなことじゃない」

 

 既に思いっきり脇道に逸れた上に、もはや獣道を越えて山道に入ってる人生の俺がこんなことで驚いてたら、わりと前からあるような、定期的に記憶喪失を起こす健忘ジャンルの登場人物にならないか?

 それなら、とりあえずタイムリープして記憶を上書きしないとな。

 まあ、紗花のおかげで最近は山道も小石が少なくなって歩きやすいけど。

 

「優しいんだね、桜井くんは」

「そうか?」

 

 むしろ「お揃いだね」って言う場面じゃないのか? ひっくり返らないけど。

 まあ実際に大したことじゃない。もっと本質的なことを散々言い合った後だし。

 

「優しいのは紗花の方だろ」

「どうして?」

「よくもまあ、いつ起きるかわからない奴のために飯を作っておけるよな」

「ふふ」

 

 俺なんて毎日起きて毎日食事して毎日勉強をして毎日歯磨きをして毎日風呂に入り毎日寝るだけでも手一杯だというのに、そこに家事までするというのだから凄いと思う。

 まあ、その辺りは母さんを見ていたから少しはわかっているつもりだ。

 それでも、言われて辛いものは辛いんだけどな。

 

「だって、私は桜井くんの彼女さんでしょ?」

「ははは」

 

 こんな言葉も、すっかり真実になってしまった。

 とはいえ、俺たちの関係性はあの日以来、全くと言っていいほど進展していない。

 手を繋ぐことぐらいで、キスもしていないし、その先にも進んでいない。

 そもそも未だに病院通いの俺の身体は反応しないし、今後反応するかもわからないので、進めるのかもわからない。

 でも、そんな俺でも紗花は好きだと言ってくれたから、紗花が傍にいてくれるうちは、出来る限り自惚れてみようかなと思っている。

 世間では偉大な哲学者の名前をもじって、なんだか高尚なのか低俗なのかよくわからない言葉で形容されてしまっているけれど、これが俺と紗花のありのままの関係性なのだから、しょうがない。

 世界の中心にいる人達はその人たちで、自由に愛を叫んでくれればいいと思う。

 俺たちは、この世界の片隅で生き続けるだけだから。

 

「ねぇ」

「え」

「手、繋ご?」

 

 食卓の椅子に座ると、当然のように紗花は隣の席に座り、必然のように手を差し出してきた。

 え、困るんだけど。食べながら手とか握るか? 普通。

 まあ、答えは決まりきっていた。

 

「いいよ」

 

 色々あったけれど、結局はこれが俺と紗花を繋ぐ確かな絆なようだ。

 一緒に住むようになってから喧嘩をすることはないけれど、もし喧嘩をしたって、きっとこうすれば仲直りできるって信じられる。

 あの日、俺たちはあんなにもすれ違っていたのに、こうして手を握って話すという、ただそれだけのことで、お互いの気持ちを通じ合わせることができた。

 それはとても心強い体験で、きっと紗花もそう思ってくれていると信じている。

 まあ、もしまた俺が錯乱して倒錯しそうになったら、紗花の蛮勇に頼ることになってしまうかもしれないけれど。

 世間ではそんなのカッコ悪いのかもしれないな。

 でも、今の俺がどれだけカッコつけたところで、どこまでいってもカッコつかないのだから、別に背伸びをすることもないと思っている。

 これは俺と紗花の問題で、ここは俺と紗花の空間なのだから。

 

「あのさ」

「うん」

「桜井くん、私のためにお勉強、頑張ってくれてるでしょ?」

「まあ、俺のためでもあるけどな」

「でもね」

「うん」

「このまま大学に行かずに、ずっと一緒にお家にいるのもいいんじゃないのかなって、思うんだ」

「え?」

「だめ?」

「いや、家賃とか色々あるしさ」

「うん」

「いつかは母さんの送金もなくなるかもしれないし」

「じゃあ、私のお家で暮らせばいいんじゃない?」

「えぇ」

 

 よく嫁姑がどうのこうのとは聞くが、彼女の実家にヒモで転がりこむのは閉塞感と罪悪感の鐘がカンカンと鳴り続けて夜も眠れなさそうだ。

 ストレス半端なさそうだな。適応できなさそう。

 

「さすがにちょっとご両親に申し訳ないな」

「でもね、お父さんもお母さんも桜井くんに感謝してるんだよ?」

「え、そうなの?」

「じゃないと、私が泊まるのを許してくれないと思わない?」

「まあ、それはそうだな」

 

 紗花は両親に溺愛されてるからなぁ。

 紗花が羊型怪獣と化してネエネエとゴリ推してたのかとも思ってはいたが、疑問といえば疑問だった。

 

「ほら、私、色々あったからね」

「色々あったな」

「それにほら、お喋りだから」

「お喋りだな」

「桜井くんとのこと、全部喋っちゃってるんだ」

「…………はぁ」

 

 あまりの恥ずかしさにもう二度と七瀬家にいけないかもしれない。

 何より知られた状態で去年支援されていたなんて今すぐ蒸発してしまいそうな気分だ。

 

「それで、その……」

「なに?」

「け、結婚してもいいんだよって、言われてて」

「はい?」

 

 就職どころか進学も決まっていない実質二浪受験生との婚約を許可するとか正気ではないと思う。

 いや、そもそもそんな男の家に娘が入り浸るのを容認している時点で何かがおかしいか……。

 

「気が早すぎないか?」

「そんなことないよ」

「え?」

「だって、時間はすぐに過ぎちゃうでしょ?」

「まあ、そうだな」

「桜井くんはすぐにおじさんになっちゃうし」

「そうだな」

「私もすぐにおばさんになっちゃうし」

「そうだな」

「じゃあ、早く結婚するしかないよ!」

「なんでだ?」

 

 俺としては紗花の将来に責任を持ちきれない現時点では、結婚とか選択肢にすら入れられそうにない。

 しかしまあ、俺と紗花では性別も将来設計の作図方法も違うだろうから、紗花を主人公としたノベルゲームではフラグが立っているのかもしれない。

 

「ね! 桜井くんもお父さんとお母さんの脛、かじっちゃってもいいからさ」

「いやあ……さすがに……」

「今でもお母様の脛かじってるでしょ」

「そうだけどさ。さすがに実の親じゃないとちょっとな」

「私と結婚したくないの?」

「いや……したくないとは言わないけど……」

 

 ちょっとまだ考えられないかなぁ、それは。

 何もかも不確定すぎる現状で決めるのは何かすごく後ろめたい気持ちになってしまう。

 

「いいの?」

「なにが?」

「このままだと子供部屋おじさんになっちゃうんだよ?」

「いや、お前も子供部屋おばさんになっちゃうだろ」

「あはは」

「いや、笑うところじゃないんだけど」

「ちょっと面白かった」

「はぁ」

 

 こいつの笑いのツボよくわかんねぇなぁ。

 だって紗花の家で暮らしたってどうせ紗花の部屋に詰め込まれるんだから、どっちにしろ子供部屋おじさんか子供部屋おばさんは確定してるだろ。

 俺たちはどっちも一人っ子だから、おじとおばの字を漢字にして誤魔化すことだってできそうにないしな。

 

「でもね、本当はね」

「うん」

「お父さんとお母さんの脛をかじり尽くしちゃってでも、桜井くんと一緒になりたいんだ」

「それは……まあ……ありがとう」

「でも、やっぱり桜井くんは気になっちゃうかな?」

「なにを?」

「世間の目とかさ」

「ああ……まあ」

 

 散々くだらない噂を気にして紗花の気持ちをないがしろにしてしまった俺が言うのもなんだけど、さすがに気になる。

 この多様性の時代で男が働いて女が家事とか、そんなことを思ってはいないし、働く母さんを見て育てばそんな観念を持つ機会すらなかった。

 とはいえ、最高法規に記載されている義務すら果たせないというのは、やはり後ろめたさは否めない。

 

「本当はさ」

「うん」

「生きてるだけで偉いと思うんだよね、私たち」

「まあ、それはそうかも」

「ほら、私、大変だったでしょ?」

「うん」

「桜井くんも、いま大変だよね?」

「まあ」

「じゃあ、結婚するしかないね」

「は?」

「共依存ってやつだよ」

「なに言ってるんだ?」

 

 まあ、否定はしないけど。

 

「はい、これで私の勝ちだね」

「それハマってるのか?」

「おかしいなぁ、完璧な理屈だったと思うんだけど」

「どこがだよ」

 

 三段論法にすらなってなかっただろ、絶対。

 

「うーん、困ったなぁ」

「そうか」

「――じゃあ、勝負しようよ」

「え?」

 

 紗花は、突然何かを閃いたようにそう言った。

 

「桜井くんが合格できたら、桜井くんの部屋で暮らして」

「はい?」

「桜井くんが合格できなかったら、私の部屋で暮らすの」

「なんで?」

「どっちが子供部屋の主として世間に白い目で見られるか、勝負だよ」

「はぁ…………」

 

 思わずため息が出る俺を、紗花はいじめるようにニコニコして眺めている。

 どうせ一緒に暮らすんだから意味なくないか?

 まあ、どっちを弾避けにするのかって話か。

 ジェントルマンファーストはもう忘れたのか?

 いちいち何でも勝負にするなんて、本当にめんどくさいわ、お前。

 

「…………ふふ」

 

 でも、まあ。そうだな。

 今の俺と紗花に未来なんてわからないし、紗花と俺の関係性の行き着く先もわからない。

 俺が大学に行けるようになるのかもわからないのに、いまだに小学生みたいで不毛な勝負を続けているんだから。

 それでも、まあ、かろうじて、ほんの少し、そう、小指の先ほどには。

 

「ははは」

 

 これからの紗花との人生について、俺は考え始めていた。

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