レーセル帝国物語 皇女リディアはタメグチ近衛兵に恋しています。   作:日暮ミミ

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5・権力を持つ者、奪おうとする者⑴

 ――その翌朝。自室で早く目を覚ましたリディアは、ベッドから出てライティングデスクに向かっていた。彼女はインクを浸した羽根ペンの先を便箋に走らせ、せっせと一通の手紙を(したた)めているところである。

 

「――よし、これでいいかしらね。さて、あとは……」

 

 彼女は書き終えた手紙を四つ折りにしたところで、机の上の呼び鈴を鳴らした。

 

 

 チリンチリン……

 

 

「エマはいる?」

 

 すると、ドアが開いて、侍女のエマが入室してきた。

 

「はい。姫様、おはようございます。――何かご用でしょうか?」

 

「おはよう、エマ。朝早くに申し訳ないのだけど、この手紙を、兵士の宿舎にいるジョンに届けてきてほしいの。頼めるかしら?」

 

「ジョン様に? お急ぎでございますか?」

 

「ええ。お願い」

 

 エマはジョンとも面識(めんしき)がある。実は実家がご近所らしいと、リディアも聞いた。

 

(かしこ)まりました。早速行って参りますっ!」

 

 エマはすぐに了承し、(きびす)を返すと急いで廊下を進んで行った。

 

「エマ、お願いね……」

 

 

 ――あの手紙の文面はこうだ。

 

 

『ジョン、おはよう。こんな朝早くにごめんなさい。

 

 実はスラバットのカルロス王子に関して、あなたに急ぎの用があるの。用件はわたしの部屋で伝えるから、急いで部屋に来てもらえないかしら?

 

 ジョン、お願い。人ひとりの命がかかっているの。あなたが来てくれると信じて待っています。 リディア』……

 

 

 リディアは、カルロスの身を案じていた。

 

 彼は今日、従者を(ともな)って港町シェスタへ出かけると言っていた。けれど、伯父であるサルディーノ宰相は迎賓館に残るらしい。

 

 彼はスラバットの王の座を虎視(こし)耽々(たんたん)と狙っているのだ。そのために、自らの甥を手にかけることも(いと)わないだろう。

 

 彼は狡猾(こうかつ)な男だ。自らの手を汚さずとも、シェスタまで刺客(しかく)を放つ可能性も充分考えられる。

 

 リディアは万が一の事態に備え、ジョンにカルロスの護衛を頼むつもりでいた。

 

「護衛」といえば、一番の適任者はデニスだが、彼はリディアから離れられない(もちろんここでは、「任務上」という意味で、である)。帝都に残ったサルディーノが、甥より先にリディアに(きば)をむく可能性も()()るのだ。

 

 そこで、リディアがデニスの次に「適任者だ」と考えたのが、ジョンだった。

 

 彼はデニスと同じく、リディアが心許せる幼なじみで腕も立つ。さらに生真面目で、口も堅い。まさしく、国賓を護衛するにはうってつけの人材といえる。

 

 ――しばらくして、ドア越しにエマの声が聞こえた。

 

「姫様、ジョン様をお連れしました。失礼致します」

 

「エマ、ありがとう。二人とも、どうぞ」

 

 リディアが促すと、ジョンとエマが入室してきた。エマは小柄なので、大柄なジョンの後ろにすっぽり隠れてしまっている。

 

「ジョン、わざわざ呼び出してゴメンなさいね。それも、こんなに朝早くに」

 

「いえ、俺は構いませんが。――それで、姫様。王子に関して急ぎの用とは?」

 

 リディアはジョンを真っすぐ見据え、呼び出した用件を話し始めた。

 

「あのね、ジョン。単刀直入に言います。あなたに、スラバットのカルロス王子を守ってもらいたいの」

 

 彼女は、昨日から抱いているサルディーノ宰相への懸念について、ジョンに話した。

 

「――というわけで、あなたには、今日シェスタへ行く王子の護衛をお願いしたいの」

 

「はあ、なるほど。ですが姫様、俺のような帝国の兵が護衛につけば、サルディーノが不審に思うのでは?」

 

 ジョンの疑問に、リディアは答えた。

 

「だから、表向きは〝案内役〟という形で同行して、陰ながらお(まも)りすることにすればいいんじゃないかしら。王子にだけは、本当のことを伝えておけばいいわ」

 

 昨夜の晩餐会の席で、「案内役の兵士を同行させる」とカルロス王子に言ったのだと、リディアはジョンにも話した。そして、それをサルディーノも聞いていただろうということも……。

 

「王子は、いつ頃出発されると?」

 

「わたしが聞いた話では、朝食後に()たれるそうよ」

 

「では、俺も朝食が済みましたら、王子と合流することにします」

 

 それは事実上、彼が王子の護衛を引き受けてくれた、ということだが……。

 

「じゃあ、引き受けてくれるのね?」

 

「はい。姫様の頼みとあれば」

 

 彼はキチンと言葉でも、意思表示をしてくれた。

 

「ありがとう、ジョン! お願いね!」

 

 やっぱり、自分の人選は間違っていなかった、とリディアは胸を撫で下ろす。

 

「この分のお礼は、今月分の給金に上乗せしておくわね」

 

「いえ、姫様! お礼を頂く気はありません。――で、俺はどこで合流しましょう?」

 

「そうねえ……、厩舎の前でいいんじゃないかしら」

 

「了解しました」と言って、ジョンは一旦宿舎に引き上げていった。彼はこれからまた仮眠をとり、朝食を済ませなければならない。

 

 それにしても、こんなに早い時間から呼び出しても機嫌を損ねないジョンは、人間ができているなあとリディアも感心せずにはいられない。

 

「ふぁ~あ……」

 

 まだ日も昇っていない。思いっきり早起きをしたリディアは、あまり上品とはいえないけれど、大欠伸をした。

 

「眠そうでいらっしゃいますね、姫様」

 

「ええ。安心したら眠くなってきちゃった。今からもう一眠りするわ。朝食の時間になったら起こしてちょうだい」

 

「畏まりました。おやすみなさいませ、姫様。私はひとまず、これで失礼致します」

 

 寝間着姿のままだったリディアは、エマが退室した後に再びベッドに入ったのだった。

 

 

****

 

 

 その後()一時間ぐっすり眠ったリディアは、エマに選んでもらったクリーム色のドレスに着替え、髪を一つに束ねて食堂に向かっていた。

 

 ポニーテールに着けたのは、愛しいデニスからもらった宝物の髪留めである。今まではドレスを着る時は使わずにいたけれど、いざ着けてみると思っていた以上にドレスとも合っていて、リディアも嬉しかった。

 

 食堂のテーブルに着き、給仕係が朝食の支度をしているのを待つ間に、父であるイヴァン皇帝が食堂に到着した。

 

「おはようございます、お父さま」

 

「おはよう、リディア。昨夜はデニスとお楽しみだったのかね?」

 

 父の言葉を聞いた途端、リディアの顔が真っ赤になる。

 

「おっ……、お父さまっ! 食事の席で下世話(げせわ)な話はおやめ下さい! わたしとデニスは、まだそのような関係ではございませんわ!」

 

「ハッハッハ! 冗談だよ」

 

 娘の反応を楽しんだイヴァンは、豪快(ごうかい)に笑い飛ばす。その一方で、リディアは笑う余裕がない。自分が今言ったことの、ある部分が引っかかっていた。

 

(「まだ」は余計だったかも……)

 

 ――自分は果たして、デニスとそうなりたいと思っているのだろうか? もちろん、彼のことは愛しているけれど……。

 

 婚約を公にしてからなら、そうなっても構わない。でも、今はまだ早い。まだ当面は、このままでいい。

 

「――ところでリディアよ。カルロス王子は今日、シェスタへ行くと言っていたな」

 

「ええ。もう()たれる頃だと思いますわ。案内役として、ジョンに同行するよう頼みましたけれど」

 

「ジョンに?」

 

 リディアの人選に、父は目を瞠った。

 

「はい。表向きは案内役ですが、密かに王子をお守りするように、と。あの方に何かあっては、スラバットの国民が困りますもの」

 

 そう言って、リディアはコンソメスープをスプーンで一口すくい、口に運ぶ。

 

「『何か』とは、サルディーノ宰相絡みのことかね? だが、彼は同行しないのではなかったか?」

 

「ええ、そう聞いています。ですが、彼が直接手を下さなくても、刺客を差し向けることも考えられますから。念のために」

 

 娘の言葉に、イヴァンはパンを食べる手を止め、「ふーむ……」と(あご)に手を遣りながら(うな)った。

 

「とすると、今度はそなたの身が危ないのではないか?」

 

「大丈夫ですわ、お父さま。わたしには、デニスがついていてくれますもの!」

 

 リディアは胸を張って断言する。それに、彼女自身も充分に強い。二人でかかれば、サルディーノなど恐れる必要はない。

 

「それは惚気(ノロケ)か?」

 

「……ゴホッ」

 

 父の予期せぬ一言に、パンを食べている最中のリディアは思いっきりむせた。

 

「まあ大変! 姫様、お水をどうぞ!」

 

 給仕係の女性が水差しからグラスに(そそ)いでくれた水を半分くらい一気に飲んで、リディアはやっと落ち着いた。

 

「ちっ……、違いますっ!」

 

「だから、冗談だと言っておろう」

 

 澄まし顔でのたまう父に、リディアは(うら)みがましく抗議する。

 

「お父さまが仰ると、冗談に聞こえませんから! 似合わないことはやめて下さい!」

 

「そんなに似合わぬか?」

 

 イヴァン皇帝は傷付いた顔をし、それからすぐに真剣な表情をリディアに向けて言った。

 

「まあ、冗談はこのくらいにしておいてだな。――本当に、身辺(しんぺん)には気をつけよ。デニスがついているからといって、くれぐれも油断(ゆだん)するでないぞ。よいな?」

 

「はい、分かっています」

 

 リディアは深く頷く。サルディーノは、おそらく策士(さくし)だ。どんな手を使ってくるか分からない。

 

 少しでも隙を見せたら、あの男は容赦なく牙をむいてくるだろう。

 

「お父さまに(やいば)を向けることは、おそらくないと思いますが。念のため、お父さまも身辺にはご注意下さいませ」

 

「ああ、分かっている」

 

 帝国の権力(ちから)()ぎ落とすことが彼の狙いだとすれば、まずは目下(もっか)の君主である父の命を狙ってくる可能性も考えられる。

 

 とはいえ、元は有能な軍人であるイヴァン皇帝ならば、そう易々とやられることもないだろうけれど。

 

「――ごちそうさまでした」

 

 少々重苦しい空気にはなったが、朝食は済んだ。

 

「わたしは先に、部屋に戻っています。午前の謁見は、一〇時からでしたわね?」

 

「ああ、そうだ」

 

「では、その頃にまた降りて参ります」

 

 リディアは父に一礼して、食堂を出た。

 

 階段に向かう廊下の途中で、すれ違いざまに彼女に声をかけてくる者が……。

 

 

「や、これはリディア殿下。おはようございます。今日もお美しいですなあ」

 

 

(……! サルディーノ・アドレ!)

 

 つい先ほどまで、食堂で話題に(のぼ)っていた要注意人物との遭遇に、リディアは動揺を禁じ()ない。けれど、それを悟られてはいけないと思い、あえて平静を装った。

 

「おはようございます、サルディーノ様。カルロス様は、もうお発ちになりまして?」

 

「はい、つい先ほど。私は港町で美しい海を眺めるよりも、ここに美しい姫様と残った方が楽しいのですがねえ」

 

(よく言うわよ、白々(しらじら)しい!)

 

 サルディーノに内心毒づきながら、リディアはにこやかに相槌を打つ。

 

 彼が自分(もしくは父)の命を狙っているらしいことは、既に知っているというのに。この男は、まだシラを切り通すつもりだろうか?

 

「――そういえば、リディア殿下。あなたはカルロスとの縁談をお断りになったそうですな?」

 

「……ええ、そうですが。それが何か?」

 

 唐突に話題を変えたサルディーノに、リディアは一瞬たじろいだ。――この男は一体、何が言いたいのだろうか?

 

「いや、カルロスから聞きましてな。何でも他に想う相手がいるとか。――そう、近衛兵の。名前は確か、デ……、デ……」

 

「デニス……ですか?」

 

 誘導(ゆうどう)尋問(じんもん)に引っかかってしまったことは、リディアも分かっていた。が、彼の言わんとすることを知るためには、それも致し方ない。

 

「そうそう、デニスどのだ! 聞けば、殿下とその若者とは幼なじみなのだとか。子供の頃から親しかったそうで」

 

「ええ。……それが何か?」

 

 リディアは苛立ちを隠しながら、サルディーノに問い返す。いい加減、彼の回りくどい言い方にはウンザリしてきていた。

 

「あなたがデニスどのに抱いている感情は、本当に男女間の愛情なのでしょうか? 幼なじみへの情愛(じょうあい)を、愛と勘違(かんちが)いなさってはいませんかな?」

 

「……!」

 

(彼が言いたかったのは、これだったの!?)

 

 彼女はハッと息を呑んだ。いつかは誰かに言われると思っていた。そして、自分でも何となく思っていたことだ。「自分のデニスへの想いは、本当に恋なのか?」と。

 

 迷いはあったけれど、必死にそう思い込もうとしていた。でも、彼によく似たカルロスと対面した瞬間、自信が揺らいでしまったのだ。カルロスの、吸い込まれそうなくらい澄み切った瞳に見入ってしまったことで。

 

「そんなこと……、あるわけないでしょう!? わたしの彼への想いは、恋心で間違いございませんわ!」

 

 リディアは怒りを(あら)わにして、サルディーノに反論した。

 

「幼なじみへの情愛」というのなら、ジョンに対してもその感情は抱いている。けれど、デニスに対しての感情は、それとは明らかに違っていた。これだけは自信があるのだ。

 

 愛する人とでなければ、口づけなんてできない。現に、ジョンやカルロスとそういう仲になることを、リディアは望んでいない。

 

「お話はそれだけですか? でしたら、わたしは忙しいので、これで失礼致します」

 

 去り際、リディアはサルディーノに忠告した。

 

「サルディーノ様、これだけは申し上げておきますわ。権力に(おぼ)れる者は、いずれ自らの権力に(ほろぼ)されるでしょう。お気をつけ下さいませ」

 

 不敵な笑みを浮かべ、彼女は階段を上がっていく。サルディーノは苦虫を()(つぶ)したような顔をした。

 

 

****

 

 

 ――これで、リディアのサルディーノ宰相への怒りや敗北(はいぼく)感が収まったかと思いきや。

 

 

「もう! 何なのよ、あの人!? 頭に来るわ!」

 

 

 自室の中の執務(づくえ)に座った途端、彼女は彼女らしくない口調で怒りを吐き出した。

 

「リディア、どうしたんだよ?」

 

 これには、昔から彼女のことをよく知っているデニスも、目を丸くした。

 

 侍女であるエマも、めったに見ることのない主の取り乱しように茫然(ぼうぜん)としている。

 

「ひっ、姫様? 何があったのですか? 『あの人』とはどなたでございましょう?」

 

「サルディーノ宰相よ! サルディーノ・アドレ! わたしのデニスへの恋心を、『幼なじみへの情愛を勘違いしているんじゃないか』って言ったのよ、あのハゲオヤジ! あ~もう、腹立つ!」

 

 ここまでくると、もはや暴言である。デニスも、さすがにこれには「ハゲオヤジって……」と苦笑いするしかなかった。

 

 リディアは自分がこんなにも腹を立てている理由を自覚している。そして、デニスに言えないでいる。

 

 サルディーノ(あの男)に、痛いところをつかれたから。デニスへの恋心に自信がないことを見()かされて。

 

 彼には確か、警戒(けいかい)心を抱いていたはずなのだが。恐れというか。その感情は、()を越すと〝怒り〟に変わるのだろうか?

 

「――エマ、悪いけど紅茶をお願い」

 

「畏まりました」

 

 謁見までは、まだ充分に時間がある。お茶を楽しむくらいの時間的余裕はあるだろう。

 

「――そういや、ジョンは今日、あの王子の警護だって?」

 

 紅茶を待っている間、レーセル帝国の分厚(ぶあつ)い歴史書を広げ始めたリディアに、デニスが訊いた。

 

「ええ、そうだけど。どうしてあなたが知っているの?」

 

「朝メシの後、本人(アイツ)から聞いたんだよ。『姫様から直々に頼まれたんだ』ってな。――あれ? ひょっとして、オレが知ってたらマズかったか?」

 

「ううん。あなたが知っていても、別にわたしに不都合はないわ」

 

 ジョンならば、必ず友人であるデニスには話すだろうと、リディアも思っていたのだ。

 

 不都合があるとすれば、サルディーノの方だろう。リディアへの(まも)りが厳重(げんじゅう)になる分、暗殺がやりにくくなるのだから。

 

「あの男は、わたしの命を狙ってくるかもしれないの。だからデニス。わたしのこと、ちゃんと守ってね。お願い」

 

「当たり前だろ。そのためにオレがいるんだからさ。いざって時には、オレが盾になってやるよ」

 

「……そんな悲しいこと言わないで」

 

 デニスの言ってくれたことは、とても嬉しくて頼もしいことのはずなのに。リディアは表情を曇らせた。

 

「盾になる」ということは、彼が自分の代わりに犠牲(ぎせい)になるということだ。――そう思うと、素直に喜べなかった。

 

「分かった分かった! オレの言い方が悪かった! オレは簡単に()られたりしねえから! だから安心しろ、なっ?」

 

「……本当に?」

 

「ああ、本当だって」

 

 泣き出しそうな顔をしていたリディアは、デニスの返事を聞いて安堵した。

 

 彼のいない未来なんて考えられない。彼を失ってしまったら、もう永遠に立ち直ることはできないだろう。――そう思うと、リディアは改めて自分の気持ちに自信を持つことができた。

 

 デニスへの想いは紛れもなく、正真(しょうしん)正銘(しょうめい)の恋心だ、と。

 

「――ところでそれ、何を読んでるんだ?」

 

 デニスに問われ、ページから顔を上げたリディアは答えた。

 

「これは、この国の歴史書よ。わたし、昔から時間が空くとね、こうして少しずつ目を通すようにしているのよ」

 

 そして彼女はまた、読んでいたページに視線を落とす。

 

 

 ――このレーセル帝国には、建国(けんこく)から実に四〇〇年の歴史がある。

 

 建国して二〇〇年ほどの間は、(いくさ)によって皇帝が決められていたという。そのため、短命で王朝がコロコロ変わり、政権が安定しなかった。

 

 レーセルが国として安定するようになったのは、二〇〇年前にリディアの先祖であるエルヴァ―ト家の当主・ピエール一世(いっせい)が政権を取ってからだ。以降、この国は代々エルヴァ―ト一族が治めており、女帝が君臨するようになったのもこの二〇〇年の間のことである。

 

 

「――姫様、お待たせ致しました。どうぞ」

 

 エマが()いでくれた紅茶のカップに口をつけてから、リディアは再び口を開いた。

 

「うん、美味しい。――でも、女性の皇帝はもう何代も誕生していないのよ。わたしが即位すれば、八〇年ぶりになるんですって」

 

「だったら、尚更リディアは死ぬわけにいかないよな」

 

「ええ……」

 

 自分は死ぬわけにいかない。そしてデニスも、ジョンも、カルロス王子も死なせたくない。

 

 まして、カルロスはスラバット王国という国の未来を背負っているのだ。彼が死ぬことはすなわち、国が滅びることを意味する。

 

 そのためにも、ジョンが護衛の任務を遂行(すいこう)し無事に戻ってきてくれることを、リディアもデニスも(せつ)に願っているのだが……。

 

「ジョン、大丈夫かしら……?」

 

 南の方角(ほうがく)にある窓の向こうを眺めながら、リディアはもう一人の大切な幼なじみの身を案じていた。

 

 

****

 

 

 ――父・イヴァン皇帝とともに午前の謁見を済ませたリディアは、部屋に戻ろうとしているところを大臣に呼び止められた。

 

「姫様。午後は昼食も兼ねて、レムルの城下町へ視察に行くので同行してほしい、と陛下が仰っておりました」

 

「お父さまが? ――そういえば、謁見が終わってすぐにお部屋へお戻りになったわね」

 

 いつもなら、謁見が終わってもしばらくは玉座の間に残るのに。リディアもそれは不思議に思っていた。

 

 彼女もこの一,二年は、父の視察によく同行するようになった。そのため、今日の父の頼みも大して疑問に思わなかったのだが。

 

「それがですね、姫様。……サルディーノ様も、その視察に同行されたいと仰られましてですね……」

 

「何ですって!? それで……、お父さまもそれを了承なさったの?」

 

 彼はリディア(もしくはイヴァン皇帝、最悪の場合は父娘(おやこ)二人とも)の暗殺を画策(かくさく)しているかもしれない要注意人物なのだ。そのことを、父も知っているはずなのに……。

 

「はい。だからこそ、姫様に同行してほしいのだと陛下は仰っておりました」

 

(お父さまは、あの男の()けの皮を()がそうとしているのかもしれないわ)

 

 父がむざむざ殺されに行くわけがない。ならば、サルディーノを()めようとしているのではないかと、リディアは察した。

 

 どうでもいいが、「サルディーノが同行したがっている」と言った時の言い方といい、大臣もあの男が危険だと知っているのだろうか?

 

「――分かりました。それじゃあ、デニスにも同行してもらうわ。着替える必要はないのね?」

 

「はい。お()しものはそのままでよろしいかと存じます」

 

 リディアは少し心配になった。いつものお忍びの姿ならともかく、ドレスのままでは剣を隠し持つことができないのである。

 

 こうなるともう、デニスだけが頼りだ。

 

「デニス、わたしのこと、しっかり守ってちょうだいね」

 

 彼女は側に控えている恋人に、そっと囁いた。デニスもしっかりと頷く。

 

「ああ、分かってるって」

 

 リディアはその返事に安心しつつも、一抹(いちまつ)の不安を拭いきれなかった。

 

(デニス、お願いだから死なないで)

 

「しっかり守って」と言っておきながら、そんなことを願うのは矛盾(むじゅん)している。けれど、矛盾していると分かっていても、愛している人には死んでほしくない。

 

 愛とは、時に矛盾を伴うものなのかもしれない。

 

 

「――姫様、陛下が参られました」

 

 

 大臣の声で、リディアはハッとした。一階奥から、侍従や兵士をズラズラ連れた父が歩いてくる。その風格は、堂々たるものだ。

 

「君主とはこうあるべきだ」というお手本のように、リディアには見えた。

 

 そしてその集団の中には、スラバット王国の宰相・サルディーノの姿もある。

 

 彼がどのような思惑(おもわく)で、この視察に同行したいと言い出したのか定かではないため、油断ならない。が、逆に言えば、彼もイヴァン皇帝の本当の狙いを知らないのだ。それは父娘にとって、かえって好都合だとも言える。

 

「リディアよ、大臣から聞いているな? 今日これからの視察には、このサルディーノどのも同行する。よいな?」

 

「ええ、伺っておりますわ。――お父さま、ちょっとよろしいですか?」

 

 リディアは後半部分を小声で言い、父をサルディーノの視界に入らない死角(しかく)(さそ)った。

 

「お父さまはもしかして、あの男を嵌めようとなさっているのではございませんか?」

 

 娘の問いかけに、イヴァンは「ああ、その通りだ」と頷く。

 

「やっぱり……、そうでしたの。それを聞いて、わたしも安心致しました。お父さまが、わざわざ命を奪われるためだけに、危険人物を同行させるはずがありませんものね」

 

「うむ。あの男が帝国の未来を握ろうとしているのを知っていながら、何も策を(こう)じぬわけにはいかぬからな」

 

「そうですわね……」

 

 リディアは父の言葉に舌を巻いた。サルディーノもなかなかの策士だと思っていたが、父はそのさらに上をいく策士のようだ。

 

(そうでなきゃ、この巨大な帝国を治める皇帝なんて務まらないわよね)

 

 今はどの国とも戦争状態にはないレーセル帝国だが、領地内ではあちらこちらで内紛(ないふん)が起きており、皇帝はそれを収めに行かなければならないのだ。いかに上手く(いさか)いを収拾(しゅうしゅう)するかは、皇帝の策にかかっている。

 

「デニスが同行するのなら、そなたも安心であろう? 案ずるな。誰一人死にはせぬ」

 

「……はい」

 

 父の言葉が、リディアにはとても心強かった。何も怯えることはない。

 

「では、参ろうか」

 

「はい!」

 

 父親に促されたリディアは待たせていたデニス、サルディーノや兵士達と合流し、城下町の視察に向かったのだった。

 

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