レーセル帝国物語 皇女リディアはタメグチ近衛兵に恋しています。 作:日暮ミミ
すっかり日が暮れ、聴衆達が広場から帰っていく。城から出てきた面々も、そろそろ引き揚げようとしていた。
「――お父さま、先に戻っていて下さい。わたしはもう少しの間、ここに残ります」
リディアが一人「残る」と言えば、一緒に残りたがる男が約一名。デニスである。
「じゃあ、オレも残るよ」
「デニス、あなたも先に戻ってて。
最後の「お願い」にあえて
引き揚げていく一団に目を
「ジョン、待って! あなたと話したいの」
「……姫様? お一人ですか?」
珍しくデニス抜きでリディアと向き合ったジョンは、目を丸くした。
自分と二人で話したいこととは何ぞや? と彼は首を捻る。が、まずは一言、リディアに言わなければならないことがあった。
「姫様。この度はデニスとの婚約、まことにおめでとうございます。アイツと幸せになって下さい」
「ありがとう、ジョン。――でもね、話したいのはそのことじゃないのよ」
「えっ?」
ジョンは
「あなたの、わたしへの気持ちを確かめたくて。聞く機会は、これで最後だと思うから」
この先
「はあ。では申し上げます。――俺は、初めてお会いした時から、ずっと姫様に好意を抱いていました」
「いました、って?」
リディアは首を傾げた。既に過去形になっているのに、先ほどまであんなに複雑そうな表情を浮かべていたのはなぜだろう?
「デニスと両想いになったと聞かされた時、俺は姫様への恋心を封印したつもりでした。姫様のアイツへの想いには気づいていましたし、結ばれるべきは
そうして姫様のことはデニスに譲り、自分の想いは過去形にしたのだと、彼は言った。
「それでも諦めきれなかったんでしょう? さっきの表情を見ていたら分かるわ」
「その通りです。姫様は鋭いですね。俺の想いは、封印した後もずっと
ジョンは
「自分に嘘をつき続けて、苦しかったでしょう?」
「……はい、苦しかったです。だから今日、こうしてお話しできてスッキリしました。これでやっと、胸のつかえが下りました。姫様、ありがとうございます」
彼は苦しみからやっと解放されたようで、リディアに久しぶりに心からの笑顔を見せてくれた。幼い頃によく見せてくれた、
「いいえ、わたしは別に感謝されるようなことはしていないけど」
とはいえ、感謝されても悪い気はしない。彼女も微笑みで返した。
そして、どうせなら今ここで、彼に軍の人事に対する意志確認をしておくのも悪くないと思った。
「――あのね、ジョン。わたしは新皇帝として、軍の人事をお父さまから任されたの。あなたにも、何か地位や役職を
喜んで受けてくれるか、それとも謙虚に断られるか? 思案顔のジョンからは、判断がつかない。
「ジョン、どうかしら?」
再び彼女は返事を促す。ややして、決意を固めたらしいジョンが口を開いた。
「もちろん、喜んでお受けします。断るなんてとんでもない! これからも、姫様の忠実な
「ありがとう! これからもよろしくね、ジョン」
子供の頃から、自分とデニス、ジョンの三人の関係はすっかり変わってしまった。けれど、ずっと三人で一緒にいられるのだ。それがとても嬉しくて、リディアは自然と笑顔になったのだった――。
****
――その日の夜。夕食も入浴も済ませた寝間着姿のリディアが、ベッドの上で歴史書のページをめくっていると、コンコンと寝室のドアがノックされた。
(こんなに夜遅く、誰かしら? エマはさっき下がらせたし……)
他の侍女? ――リディアは首を捻りつつ、ドアの向こうに「どうぞ」と声をかける。
「リディア、入るぞ」
よく聞き慣れた
「デニス!? 一体どうしたのよ?」
「よう、リディア。――いや、『姫様との婚約が公になったんだから、姫様の部屋に行ってこい!』って先輩兵士達に
「まあ……」
照れ臭そうに頬をポリポリ掻く彼に、リディアは絶句した。それはつまり、
(ああ、なんてこと……)
まだ婚約発表されてから数時間が経過しただけで、彼女は心構えができていないというのに。――ところが。
「んー、でもオレは今日は、お前に手出しするつもりはないんだ。そういうことは、
「初夜、ってねえ……」
「……まあ、夫婦になるんだから、自然な流れよね」
しかも、愛し合って結ばれるのだ。愛してもいない男が相手ならともかく、愛するデニスが相手なら、もう何の抵抗も感じない。心構えができてからなら、の話だが。
「でもいいの? それだと、あと一月
「ああ、いいんだ。オレは構わない」
「……そう」
デニスが「いい」と言うなら、ここは引き下がるしかない。リディアの方から押すのも違う気がするし……。
「――お前、またそれ読んでるのか」
デニスはリディアのベッドの縁に腰かけ、彼女の手にある分厚い歴史書を覗き込んだ。
「ええ。もうすぐわたしも、ここに名前が刻まれるんだと思ったら、何だか嬉しくて」
答えるリディアの声が弾んでいる。何たって、彼女は一月後に、八〇年ぶりとなる女性皇帝になるのだ。歴史に名を残す瞬間が近づいていると思うと、そりゃあワクワクするだろう。
「昨夜の約束、一月後には果たせるんだな」
リディアが即位する時には、夫として側にいてずっと支えていく。デニスが彼女と交わした約束も、間もなく果たされるのだ。
「ええ。それまではお互いに忙しくなるから初夜はお預け、ってことでしょう?」
「ああ、まあな」
リディアの解釈に、デニスは曖昧に頷く。
「――ところでさ、リディア。夕方、広場でジョンと二人で
唐突に、彼は話題を変えた。
「えっ、どうして知ってるの?」
「さっき、本人から聞いた。けど、内容までは教えてくれなかったからさ」
ブスッとしながらデニスは答える。それは自分がのけ者にされたことが面白くないからなのか、ジョンに嫉妬しているからなのか。
「どんな、って。彼の気持ちを、最後に確かめたの。今日を
リディアはそこで一旦言葉を切り、ジョンが恋心を認めたことをデニスに話した。
「……で? お前はどうするんだ?」
「どうもしないわ。ジョンはこれから先も、わたしの大事な幼なじみで忠実な臣下。ただそれだけよ」
片眉を上げて問うデニスに、彼女は
「あ、それとね。ジョンには軍の人事を
「軍の人事?」
「ええ。昨夜あなたが下がった後にね、お父さまから頼まれたの。新皇帝として、軍の幹部を任命してほしいって。人選は任せる、って。でね、あなたにもジョンにも、それ相応の地位や役職を与えようと思ってるの」
「へえ……。で、ジョンにはどんな役職を与えようと思ってるんだ?」
デニスも
「それはまだ考え中だけど。あなたには、近衛軍団長をやってもらうつもりよ」
「はあ!? なんでオレが」
デニスの声が大きくなる。今は夜中だ。これでは近所迷惑……もとい城内迷惑になってしまう。
「しっ! 声が大きいわよ! ……これは、お父さまのご希望でもあるのよ。皇帝の夫になるんだから、あなたにも相応の役職を与えるべきだってね。受けてくれるでしょう?」
リディアは彼をたしなめてから、声をひそめて理由を説明し、意志確認をした。
「もちろん、受けさせてもらいます」
デニスは快諾した。が、こんなに軽い調子でいいのだろうか?
「他に、決めなきゃならない役職ってどんなのがあるんだ?」
「そうねえ。軍は今、将軍不在でしょう? だから、まずはそれね。そうなると、
人選は全面的にリディアに任されているのだ。なら、いま現在任に
「で、まずは将軍よ。あなたのお父様のガルシアどのか、ジョンのお父様のステファンどのかで迷っているんだけど。あなたはどう思う?」
義理で選ぶなら皇帝の義父となるガルシアで、実力で選ぶなら
「うーん……、オレなら父さんじゃなく、ステファン様を選ぶかな。バイラル家は代々、エルヴァ―ト一族に仕える名家だし。父さんが将軍になったら、『〝
まあ、息子の立場なら、自分の父親が「お情けで将軍にしてもらったのだ」と言われることが我慢ならないのだろう。
それに、ジョンも父親のステファンも、代々将軍を務めてきた名家に育ち、幼い頃から
「そうよね。となると、副将軍は必然的にジョンってことになるわね。――どう?」
彼が父親を補佐することになるのは、まあ自然の流れだろう。
「
「決定ね。じゃ、とりあえずこれで、お父さまに任命状を書いて渡しておくわ。あとは、議会がどう判断するかだけど。まあ大丈夫でしょう」
「……その根拠のない自信はどこから来るんだよ」
デニスは呆れるが、彼女が「大丈夫だ」と言えば何となく本当に大丈夫だと思えるから不思議だ。それこそが、彼女の一番の魅力なのかもしれない。
「まあいいや。――じゃ、オレはそろそろ宿舎に戻るよ」
「本当にいいの? 初夜までお預けで」
こうもあっさり引き下がられるのは、何だか彼らしくない気がするが……。
「いいんだって。結婚すれば、いつでもそうなれるんだからさ。あと一月我慢すれば済むことだし」
「そうね……」
赤面するリディアにキスをし、デニスはベッドから腰を上げる。
「おやすみ、リディア」
「……おやすみなさい」
まだ
こうして、一月後までのドキドキを秘めたまま、若い二人の婚約発表初日の夜は
****
――リディアが提案した軍の人事案は、ものの数日の議論の
リディアはその任命状を手に、軍の屋外
もうすぐ初夏だ。春のうららかな陽気より少し「暑い」と感じるようになってきた。
「――姫様、今日はどうされたのですか?」
真っ先にリディアを出迎えた
彼と
「帝国議会より、軍の新たな幹部の任命が
コホンと一つ咳をして、彼女は手にしている巻き紙を広げ、声に出して内容を読み上げた。
「『任命状。新皇帝リディア・エルヴァ―トの命により、以下のように任を与える。ステファン・バイラルに将軍、その子息ジョン・バイラルに副将軍、皇帝の
……以上です」
読み上げた後、リディアは一同を見回して訊ねる。
「どうかしら? みんな、受けてくれる?」
デニスは言わずもがな、ジョンにも受諾の意志があると確認済みだが、ステファンは果たして受けてくれるだろうか? そして、ガルシアから不満は出ないだろうか?
「
「二人には既に、受ける旨は聞いているけれど。ね、二人とも?」
「父上、俺も受け入れます」
「オレだって」
若者二人は頷き合う。ここで改めて断られたらどうしようかとリディアは心配したが、それは
そもそも、ジョンが今までに彼女の頼みを断ったことなんて、一度もなかったのだ。
「――ガルシアどのは……、どう?」
彼にも将軍になる資格はあったのに、何の役職も与えられなかった。何か不満が出るのではないかと、リディアは想定していたのだが……。
「異論はございません。まあ、
「ありがとう、お
リディアは
彼となら損得なく、姻戚関係を築いていける気がする。
「――では、我々はそろそろ演習に戻らせて頂きます、姫様。――『姫様』とお呼びするのも、あと数週間ほどですね」
ジョンがしみじみと言った。
「ええ、そうね」
リディアは数週間後、正式に皇帝として即位する。そうなれば彼女は『姫様』ではなく『陛下』お呼ばれることになるのだ。
「俺に立派な任を与えて下さって、ありがとうございます。これからも父を全力で支え、リディア様のため、そしてこの国のために働かせて頂きます! ――では、失礼致します」
ステファン新将軍を始めとする兵士達が、演習に戻っていく。それを見届けてから、リディアとデニスも城に戻ることにした。
「あなたのお父様には、悪いことしちゃったわね……」
その道すがら、リディアはデニスに申し訳なさそうにポツリと漏らした。
「ああ、軍の幹部人事のことか? それなら、父さんは
「うん。だけど……」
しがらみや慣習に捉われることなく、忖度なしで幹部を選んだつもりだが、実際はどうだろう? 自分の人選が果たして正しかったのかと、リディアは悩み始めたのだ。
「ガルシアどのったら、恨み節の一つも言わないであっさり引き下がるんだもの。余計に申し訳なくて」
「なに? 思いっきり
「そういうわけじゃないけど」
ガルシアだって、まだ
「父さんはさ、オレとリディアの結婚が決まっただけで嬉しんだよ。初めてオレをお前に引き合わせた時からずっと、お前のこと娘みたいに思ってたらしいからさ」
「そっか……」
デニスもジョンも、リディアと同じくひとりっ子である。女の子に恵まれなかったから余計に、義理の娘ができることが嬉しくて仕方ないのだろう。――ただし、同時に自分が仕えるべき主にもなるのだが。
三人が初めて出会った頃はまだ幼く、三人とも名前で呼び合う「友人」の関係だった。身分も関係なく、一緒に遊んでいた。
一〇歳の頃からジョンとデニスは本格的に剣術を習い始め、思春期にさしかかった頃にはジョンから「姫様」と呼ばれるようになり、
リディアがデニスを異性として意識するようになったのも、ちょうどその頃だ。だからこそ、彼女はジョンではなくデニスから剣術と武術の特訓を受けることにしたのだ。
そして成人した今――。三人の関係は大きく変わった。主と臣下であり、恋人同士であり、友人でもある。デニスとジョンは、リディアを巡ってのライバル同士でもあった。
けれど、
「……リディア? どうしたんだ、黙りこくって」
デニスが隣りから、心配そうにリディアの顔を覗き込んだ。
「うん、ちょっとね。あなたとジョンと出会ってからの、十三年間のことを想い返していたの」
リディアははにかみながら、しみじみと語り始める。
「わたし達も成長して、三人の関係もすっかり変わったわ。でもね、根っこの部分はずっと変わってない。これからも形を変えながら、わたし達の関係はずっと続いていくんだなあ、と思って」
「父さんや陛下達みたいに、ってことか?」
「そう」
イヴァン、ガルシア、ステファンの三人のように、自分達も。立場や地位を越え、子供の代まで交流を続けていけたら……。
「ジョンにも、いい結婚相手が見つかるといいよな」
「あら、案外早く見つかるかもよ? 何たって彼は色男なんだから」
確か同じような会話を、少し前にもしたような気がする。まだそんなに経っていないのに、今となっては懐かしく感じる。
戴冠式の準備も、婚礼の準備もほぼ終わった。あとは式典当日を残すのみ。
その日、リディア・エルヴァ―トはこのレーセル帝国に新たな歴史を刻む――。