レーセル帝国物語 皇女リディアはタメグチ近衛兵に恋しています。 作:日暮ミミ
リディアは首をブンブンと横に振って、ニッコリ笑って見せたが、「あー、わたしってば可愛くない!」と内心では激しく
(どうしてここで、「心配してくれてありがとう」の一言が言えないのかしら?)
理由はきっと、照れ臭いから、である。
デニスの方だって、特に気を悪くした様子はなさそうだし。幼い頃から一緒にいて、言葉にしなくても彼女の言いたいことは手に取るように分かるからだろう。多分。
「――あ、この髪留め、今も大事に使ってくれてるんだな。ありがとう」
デニスがリディアの
「ええ、もちろんよ。だってこの髪留めは、わたしの一番大切な宝物なんだもの!」
リディアは幼なじみの仕草にドキッとしながらも、
この髪留めは、デニスからの初めての贈り物。城下町の雑貨店で売られている、決して高価ではない品だけれど。当時十二歳だった彼女にとって、これをデニスが自分のために買ってくれたということが、どんな高価な装飾品よりも
以来彼女は、この町娘の姿で彼と出かける時には必ず、この髪留めを着けるようにしている。
「ただね、ドレスの時には着けられないの。何だか合わない気がして……」
リディアは申し訳なさそうに、肩をすくめた。本当は、
「どうしてだ? 着ければいいのに。リディアの髪に
デニスはそう怒った様子もなく、リディアに言った。
表面に可愛らしい花の模様が浮き彫りにされているだけの、茶褐色の髪留めは、確かに彼女の蜂蜜色の髪によく映える。けれど、
「そうかしら?」
「ああ。オレとしては、いつも使ってくれる方が嬉しい」
「……一応、考えておくわ」
――二人が厩舎の前に着くと、白のチュニックにネズミ色のベスト・茶色の革の下衣に革のブーツに着替えたジョンが先に来て、馬の毛並みを撫でていた。
「あら、ジョン。早かったのね」
リディアは思わず目を丸くする。自分達はそんなにダラダラ歩いていただろうかと、デニスと二人で首を
「はい。姫様をお待たせするわけにはいかないと思い、城内の近道を使用人の方に教わったんです。お二人よりも早く、ここに着けるように」
(近道? そんなものが、この城にあったなんて!)
リディアは
「それはいいけど。ジョン、お前の荷物も
デニスはデニスで、ジョンの大荷物に呆れていた。
リディアは女性なので、旅の荷物が多いのもまあ分かる。が、男のお前がなぜ!?
……いや、
「それ……、持って行ってどうするの?」
リディアも首を傾げた。デニスは近衛兵という彼の職務上、武器の
邪魔になるのはもちろん、町中で振り回せば大
「まあ、『
「はあ……、そう」
何だかわけの分からないジョンの言葉に、リディアは引きつった笑顔で曖昧に頷くしかなかった。本人がどうしても「持って行きたい」と言うなら、「ダメです」と止めることはできない。いくら主でも。
(まあいいわ。わたしもデニスも、別に困らないし)
「――さて、そろそろ出発致しましょう。あまり出るのが遅くなると、着く頃には夜になってしまいますよ」
ねえ姫様、と言うジョンに、リディアは懇願した。
「そうね。――ところでジョン、一つお願いがあるんだけど。この旅の間は、わたしのことを名前で呼んでほしいの。昔みたいに」
「はあ。では、『リディア様』と?」
「うーん……。まあ、それでいいかしら」
一応は名前で呼んでもらえたので、リディアは納得した。けれど、内心では「〝様〟はいらないのに……」ともどかしく思う。
(ジョンも、もう少し砕けた態度で接してくれたらいいのに。デニスみたいに)
……いや、デニスの場合は砕けすぎか。あまり
(まあ、ジョンの場合は仕方ないわよね。家柄が家柄だし、彼自身もカタブツだから)
そんなわけで、「姫様」と呼ばれないだけでもよしとしよう、とリディアは思った。
****
――三人はそれぞれ、三頭の別々の馬に
馬術は男女問わず、皇族や貴族の
レムルにあるレーセル城から二時間ほど馬を走らせ、標高がそれほど高くない丘の頂上にさしかかると、そこからシェスタの港が見えた。町まではあと数分というところ。
「――ところでデニス。あなたが『シェスタに行こう』って言った理由、そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
馬を
「俺も聞きたい。『今回の旅は
ジョンも彼女に同意した。出発前にデニスが、「それは後で話す」と言っていたことを覚えていたからである。
「――実は今日の午後、プレナからの使者が城を訪ねて来てたんだよ。国の中で、荒くれ者達がのさばってる、って。そうだったな、リディア?」
「ええ。その対処のために、帝国の力を貸してほしい、という話だったわ」
デニスに念を押され、リディアは頷いた。ついでに補足もしておく。
「ああ、なるほど。……で?」
「シェスタとプレナは、目と鼻の先だ。それに、
続きを
「今、お父さまは留守でしょう? だから軍は動かせないけれど、わたし達にできることを何かしたいと、わたし自身も思っているの。動くなら、早い方がいいと思って」
実際に話を聞いたのは、父のイヴァン皇帝ではなく彼女だ。責任感と使命感の強い彼女が、話を聞いただけであとは父に丸投げ……なんてことが、できるはずもなかった。
「姫様……じゃなかった、リディア様とデニスのお考えは分かりました。プレナで起きていることは、帝国軍の力を借りなければならないほど深刻な事態なのですか?」
ジョンは納得したうえで、さらに首を傾げる。小国とはいえ、軍を
リディアは静かに首を横に振った。
「詳しいことは、わたしにもよく分からないの。ただ、プレナは元々は都市国家で、軍の
「そういうことですか……」
その説明で、とりあえずジョンは納得してくれたようだった。 ――丘を下りきってしばらく歩くと、シェスタの
「さて、まずは宿を見つけないとな。――おいジョン。オレが戻るまで、ここでリディアと一緒に待っててくれ」
デニスがやたら張り切って、この旅を仕切り始めた。
「どうしてあなたが残らないの?」
「そうだよ。宿なら、俺が見つけてくるから……」
リディアとジョンが抗議するが、デニスはあっけらかんと言ってのける。
「いや、お前が残った方がいいんだって。お前の方がデカいし迫力あるし、
「「はあ!?」」
彼の言葉に、リディアとジョンの二人は面食らった。リディアは心の中でツッコむ。
(一体,何に対しての威嚇よ)
……ああ、そうか。この町とプレナは、船での行き来ができるのだ。万が一、プレナの荒くれ者達がここに渡って来た場合のことを考えて、デニスはああ言ったのだろう。
「じゃあジョン、頼んだぞ!」
ジョンが頷いたので、デニスはさっさと宿探しに言ってしまった。
「「……………………」」
リディアとジョンが二人っきりになることはほとんどないので、二人の間には気まずい空気が流れていた。――いや、この日はいつもに
(んもう! デニスがあんなこと言うから)
ジョンのことをどう思うか、なんて! あんなことを言われたら、意識しない方がムリというものだ。
(わたしが好きなのは、デニスの方なのに)
ジョンのことだって、何とも思っていないわけではない。彼もデニスと同じく、大切な幼なじみだ。それは決して変わらない。けれど。
彼が自分のことを「姫様」と呼ぶようになった頃から、彼と自分の間に越えられることのない線が引かれているのだと、リディアは思うようになったのだ。もう、昔のような関係に戻ることはないのだと。
――
「あら? ジョンがいないわ」
彼が乗ってきた馬だけがそこにいて、
ちなみに、デニスが乗ってきた馬もリディアが預かっているのだが、それはさておき。
「ジョン、どこに行ったのかしら……?」
しばらくキョロキョロと
「すみません、リディア様。お声もかけず、離れてしまって」
「本当だわ。心配してたんだから。どこへ行ってたの?」
リディアが問うと、彼は手にしていた包みをスッと彼女に差し出した。
「これを、リディア様のために買いに行っていたんです。あちらの露店で見つけたので」
ジョンは自分が来た方向を指さしながら、そう答える。
リディアが受け取った包みを開くと、そこにあったのは小さな髪留めだった。木製で、港町らしく可愛らしい魚などの絵が、絵の具で
「ステキねえ……。これ、いくらしたの?」
金額を訊くのも
「三ガレです。高いものではありませんが、俺からあなたに何かを贈ったことが、今まで一度もなかったもので……」
ちなみに、レーセル帝国の通貨では銅貨が一ガレ、
「リディア様によくお似合いだろう、と思って。――ほら、リディア様は、こういう時のための髪飾りをお一つしかお持ちではなかったので……」
頬を染めながら弁解するジョンは、さながら思春期の少年のようで。照れはたちまち、リディアにも
「それがデニスから贈られた、あなたの宝物だということは分かっています。ですが、俺が贈ったものも、時々で構わないので使って頂けないでしょうか?」
「ジョン……」
はにかみながら手を取ってくるジョンに、リディアは言葉を詰まらせる。――知らなかった。ジョンが、自分に好意を抱いていたなんて……。デニスの気持ちすら知らないというのに。
「ありがとう、ジョン。これ、大切に使わせてもらうわ」
彼からの好意をどう受け止めればいいのかは分からないが、思いもよらない贈り物に対しては、リディアは素直に礼を言った。
――そこへ、デニスが戻ってきた。
「おーい、お待たせ! 宿決めてきたぞ……、お?」
彼はリディア達に声をかけたけれど、そのままその場を動けなくなる。
自分がいない間に何やらいい
「あ、デニス! ご苦労さま」
すると、彼の声がちゃんと聞こえていたリディアの方が、デニスに気づいてくれた。
「あ、ああ……。えっと、南の宿のおかみがプレナの出身なんだってさ。だから、そこに泊まることにした」
「でかした、デニス! ――ではリディア様、参りましょう」
「ええ」
リディアとジョンの間の
「なあ、リディア。――オレが離れてる間に
「え? 何かって……。ステキな髪留めを買ってくれたから、嬉しかっただけよ」
変な
「は? それだけで嬉しいのか?」
「嬉しいわよ。だってわたし、淋しかったんだもの。ジョンには何だか距離を置かれているみたいに思ってたから」
そんな彼からの思いがけない贈り物。嬉しくないはずがない。
「リディア、まさかジョンのこと……」
「――え?」
「いや、何でもない。ああ、馬、預かっててくれてありがとな」
デニスの様子が何か変だ。馬の手綱を引きながら宿に向かう途中、リディアはずっと、首を傾げていたのだった――。