レーセル帝国物語 皇女リディアはタメグチ近衛兵に恋しています。 作:日暮ミミ
――その船が海賊船だと分かった瞬間、いつもは冷静で落ち着いているはずのリディアも、さすがに混乱せずにはいられなかった。
(プレナを荒らしている海賊が、どうして海を渡ってこの町まで……?)
想像すらしていなかった光景に、青ざめている
「リディア、落ち着け! 姫であるお前がしっかりしなくてどうするんだよ!」
「リディア様、俺達はどうすれば? ご指示をお願い致します」
二人の頼もしい幼なじみの声で、彼女はいつもの落ち着きを取り戻した。
船から、一〇人近い
もしも、この男達が町の住民達に危害を加えるようなことになったら……。もはや、深く考えている時間はなさそうだ。
「ああ、そうね……。じゃあ二人とも、外に出ている住民に、建物の中に
「了解っ!」
「分かりました」
二人は町中を駆け回り、外を歩いている人々に、大声で海賊が現れたことを伝えて回った。自分達は帝国の兵士だ、と。
「この町はどうなってしまうの?」と
二人がリディアの元に戻ると、海賊の頭が「この町の町長を呼べ」と
「私が町長ですが……」
現れた町長は、見るからに気弱そうな、小柄で線の細い男だ。頭の前に立った時点で、既に足がすくんでしまっている。
「よう! アンタが町長か? 俺達ゃアンタに頼みがあるんだがよ」
「な、何でしょう? 頼みとは……」
「いやなに、俺達ゃこの先、この町を
(これじゃ、|脅《おど)しと同じだわ)
リディアは近くで聞いていて、
「も、もしお断りしたら……?」
「フン! そん時ゃ、力ずくで手に入れるまでよ!」
頭が乱暴に、町長の服の襟に掴みかかったその時――。
「おやめなさい!」
海賊の
その声に気を取られて、頭の手が町長の襟から離れる。持ち上げられる形になっていた小柄な町長は尻もちをつきそうになったところを、ジョンに受け止められた。
「大丈夫ですか? おケガは?」
「ああ、大丈夫だよ。ありがとう」
町長は「あー、
一方、声の
「この俺に
頭の命令で、頭以上の大男がリディアを
デニスから教わっていた武術が、こんなところで役に立つなんて……!
「なっ、何だ!? 何が起きたんだ!?」
事態が
「これ以上悪さしたら、お前ら命ねえぜ? 帝国法じゃ、海賊は
「それに、相手が悪かったようね」
捻り上げた相手をポイっと手放しながら、リディアも肩をすくめる。
「デニス、もう剣を下ろしてあげたら?」
彼は素直に頷き、
先ほどまでの威勢のよさはどこへやら、すっかり大人しくなった頭は、ジョンを含めた三人を見比べ、信じられないというように訊ねる。
「一体なんだ!? お前ら一体、何
「教えてやろうか、おっさん。ビビんなよ」
デニスが
「この方はレーセル帝国の次期皇帝、皇女リディア様だ」
「そしてオレ達は、リディア姫の護衛をしてる帝国の兵士ってわけだ、おっさんよ」
彼女が
中央に立つリディアの両側に
「なるほどなあ、そういうことかい」
「我が国レーセルの庇護国・プレナでのあなた方の
リディアはジョンと同じくらいの背丈の海賊
彼女だって、本当は怖いのだ。頼もしい幼なじみ二人がついていなければ、ここから逃げ出してしまっていたかもしれない。
けれど、一晩世話になった宿のおかみや、プレナの国民の想いを背負い、帝国の皇女として懸命に自分を
「――姫さんよ、俺達への要求は何だ?」
「え?」
「ここは、
「パーレイ? ――もし断ったら?」
〝パーレイ〟という言葉の意味は、リディアも知っている。確か昔、何かの
「そうさな。そん時ゃ、剣で勝負をつけようや。アンタ、腕が立ちそうだしな」
「わたしもパーレイより、剣での勝負を選ぶわ。――交渉は不成立かしら?」
不敵に笑う主に、ジョンが「姫様!」と鋭く声を上げた。デニスが彼の肩をポンポン叩きながら、彼を宥める。
「ジョン、大丈夫だって。リディアは負けねえよ。何たって、オレの一番弟子なんだからな」
彼女の剣捌きは、今や実戦向きだ。海賊ごときに負けるわけがない。
「――いや、いいだろう。で、姫さんの要求は何だ?」
兵士二人をよそに、リディアと海賊の頭とのやり取りは続いていた。
「こちらの要求は、わたしが勝ったら、この町やプレナから
リディアが問うと、頭はニヤリと笑った。
「そうしようと思ったが、気が変わった。一つ追加させてもらう。アンタはいい女だからな、俺が勝った時には、俺の女になってもらおうか」
「お前! 何を大それたことを……!」
それを聞いたジョンは逆上したが、リディアの答えにさらに
「いいわ。その話、乗った!」
「ひっ、姫様っ!?」
血相を変えるジョンに、デニスはまたもや「大丈夫だから」と言った。
リディアは自分が負けない自信があるからこそ、あの男との勝負に乗ったのだ。――デニスはそう思った。
けれど、彼女は剣を持ってきていない。どうするのだろうかと、ジョンが心配していると――。
「リディア、オレの剣を使えよ」
デニスが自分の腰に装備していた剣を、鞘ごと彼女に手渡した。
「オレが使ってる剣は、近衛兵専用に
なるほど、リディアが受け取った剣は、普段彼女が使用している剣よりもズシリと重みを感じる。それは、こういう理由からだったのか。
彼の厚意と、この剣を打った「
「ありがとう、デニス。これ、遠慮なく借りるわね!」
デニスは大きく頷く。この町の、そしてプレナの運命は皇女リディアに託された。
「準備はいいかい? 姫さんよ」
「ええ、こちらはいつでも」
そう言って、リディアは
頭も刀身を抜いた。こちらは
「フン。では、こっちから行くぜ!」
先方から斬りかかってきたが、太刀筋はメチャクチャだ。ただ剣を乱暴に振り回しているだけに過ぎない。
こうなると、リディアが相手の攻撃を受け流すのは簡単だ。彼女は元々、相手の太刀筋を読むことが得意なのである。
カキーン! カキーン!……
リディアは
そして、一瞬の
……カッキーーーンッ!
相手の手から、カットラスを弾き飛ばした。カットラスはクルクル回ると、持ち主の足元にカランと音を立てて落下した。
「――勝負あったようね、海賊さん?」
リディアは丸腰になった頭の前にツカツカと歩いていくと,足元のカットラスをブーツの
「すごい……」
主の勇姿に絶句するジョンの肩に手をかけながら、デニスは得意げに言った。
「だから言ったろ? 大丈夫だって」
ジョンはただ、コクコクと頷くしかできなかった。
「さて、わたしが勝ったんだから、こちらの要求を飲んでもらおうかしら」
「ま、待て! 待ってくれ! もう一度、パーレイを要求――」
「パーレイは、先ほど断ったはずよ?」
〝待った〟をかける頭の言葉を
「あなた方には
皇女――いや、次期皇帝の威厳と剣幕を前に、ついに海賊の頭は
「わ、分かった! 俺達が悪かった! おい! お前ら、今すぐ撤退だ!」
命じられた子分からは「えっ!? しかしお
「いいから撤退だ! 処刑されてえのか!?」と頭に怒鳴られれば、子分達も従うしかない。みんな命は
港から海賊船が見えなくなると、シェスタの町は嵐が過ぎ去ったように静かになった。
――いや、別の意味で賑やかになった、というべきか。
「姫様、ありがとうございました!」
「いやー、女だてらに海賊と勝負して勝っちまうなんて、姫様は強くて頼もしいなあ」
「姫様がいてくれたら、この国は
などなど、リディアへの感謝や
「デニス、これ返すわ。貸してくれてありがとう」
リディアは借りていた剣を返しながら、デニスに礼を言った。
「ああ。リディアなら勝てるって、オレは信じてたぜ」
リディアは嬉しそうに頷く。やっぱり、恋人に信頼してもらえるのは喜ばしい。そして少し照れ臭い。……ので。
「そ、そういえば刀身と鞘、
慌てて話題を変えるように、彼女はデニスに訊いた。自分の剣ならともかく、彼に借りた大事な剣である。もし刃こぼれでもしていたら、何だか申し訳ない。
「大丈夫だ。傷んでたら、また鍛冶屋のおっさんに叩き直してもらうからさ。それより、お前が無傷で本当によかった」
デニスはどっぷり二人だけの世界に
「デニス……、ジョンが」
「えっ? ――うわ、やべっ!」
リディアが指差した先を見たデニスは、何やら複雑そうな表情で立ち
二人はジョンの存在をすっかり忘れて、恋人同士の雰囲気を漂わせていたようだ。
――これは、完全にバレた。いずれ気づかれるとは思っていたけれど、まさかこんなに早くバレてしまうなんて!
(
リディアはデニスをチラッと見る。彼はまだとぼけられると思っているようだが、リディア自身はこれ以上ジョンを
「あの、姫様? 姫様とデニスとは、本当に昨夜、何もなかったのですか?」
「あのな、ジョン。実はさ――」
「待ってデニス! わたしから話すわ」
口を開きかけたデニスを遮り、リディア自ら本当のことを話し始めた。
「わたしとデニスは昨夜、想いが通じ合ったの。口づけはしたけど、それだけよ。黙っていてごめんなさいね。ショックだった?」
もしかしたら、ジョンを傷付けてしまったかもしれない。彼もまた、自分に好意を抱いているかもしれないのだ。まだハッキリとそう伝えられてはいないけれど。
「……そうでしたか。俺も何となくは、そうじゃないかと思っていました。お二人はずっと昔から、
ジョンの言い方は、何とか自らを納得させようとしているように、リディアには聞こえた。
彼にとってはどちらも大切な人だから。二人のために身を引こうとしているような気がして、彼女はチクリと痛む胸を押さえる。
「姫様、俺のことは気にしないで下さい。俺は、大丈夫ですから」
「ジョン……」
「俺のあなたへの忠誠心は、こんなことくらいでは揺らぎませんから」
(本当に、忠誠心だけの問題なの? あなた自身の気持ちは?)
リディアは心の中でこそそう思ったが、声に出して訊ねることはできなかった。
彼はきっと言わないから。それなら、あえてリディアの方から問うのは野暮だ。
「分かったわ。これからも、我が国のためにわたしに忠誠を尽くしてちょうだいね」
「はい、姫様!」
「――あの、姫様」
不意に、すぐ側から中年女性の声がした。
「まあ、おかみさん! どうなさったの?」
声の主は、昨日から泊っている宿のおかみだった。
「ええ。実は、この町と故郷を救って頂いたお礼にと、ごちそうを用意したんです。まだお帰りにならないんでしたら、昼食に召し上がって行って下さいな」
「えっ、いいんですか?」と目を輝かせたのは、言うまでもなくデニスである。
リディアとジョンも彼を
****
――海の
「お城に着く頃には、お父さまはもうお帰りになっているかしらね?」
「だろうな。陛下の方が,オレ達より先にお着きになってるはずだ」
懐中時計を覗きながら呟くリディアに、デニスが答える。
「それにしても、お父さまは一体どんなご用でスラバットまで出向いたのかしら?」
父が隣国へ旅立った理由を、彼女は聞かされていない。大臣も侍女も、城の使用人達も誰も教えてくれなかった。ただの「外交」だとしか。
「さあ? オレも聞いてないなあ。もしかすると、お前には話せない理由だったのかもな。たとえば再婚話とか、お前の縁談話とか」
「ええっ!?」
どちらにしても、リディアには嬉しくない理由である。デニスと両想いになった今、もう縁談の話は聞きたくないし、父イヴァンは亡くなった母をそれはそれは愛していた。なので、皇后亡き後の十三年間で、再婚話は一度も出たことがない。リディアも、父が
「たとえばの話だって。まあ、陛下が直接話して下さるんじゃないかな」
「そうね」
自分達だけで色々
「――それはともかく、ジョン。お前のその大剣、結局何の役にも立たなかったな」
デニスは先頭を走っているジョンの背負っている大剣に苦笑い。
「使う場面があればと思って、持ってきただけだ。使わないに越したことはないだろ?」
これを使う事態にならずに済んだのは、むしろ喜ばしいこと。リディアもそう思う。
――日が完全に沈んだ頃、三人はレーセル城に帰り着いた。
厩舎に馬を戻しに行ったところで、リディアは顔色を変えた。
「あら、やっぱり……」
厩舎では既に、父の愛馬である
「陛下、お帰りになっているようですね。では、俺はこれで失礼します」
ジョンは皇女にペコリと頭を下げ、宿舎の方へと引き上げていった。
「――リディアよ、今帰ったのか」
そこへ、よく通る中年男性の声がして、威厳たっぷりのガッシリ体型の男性が現れた。