鎬紅葉にとって目前の老人とはパンドラの箱のようなものだ。つまりこの人と会うという事は少々の喜ばしい事と同時に多大なる厄介を引き合うことになるという事でもある。
瀕死の愚地克己や花山薫の治療しかり、徳川翁の紹介でしたジャックの骨延長手術しかり。並みの医者では到底不可能であろう手術もこなしてきた。彼のたくましい筋肉、美しい肉体こそが彼のグラップラーとしての素質も如実に表しているだろう。
それは都会にそびえたつ高層ビルの一室であった。そのビル全体は病院となっており、各地上階にて患者はふさわしい治療を受けることができると評判の良い病院であった。内科、小児科、外科、耳鼻咽喉科…etc。
だがこの階層は違った。そのビルの地下に設けられたVIPルームにて現在、鎬紅葉と徳川翁は会話を広げているのであった。
名医である彼ですら初めて遭遇したそれに言葉もでなかったのは無理もない。なぜならその生物はおよそこれまでの常識からあまりにかけ離れた生命体だったのだから。そっとついたため息が病院の処置室に響く。
「随分とまぁ…奇妙な姿をしておるなァ…」
徳川翁の言葉に鎬紅葉は思わず苦笑で答えてしまう。ここまで奇妙なものはこれまでの生涯で見たことも想像したこともない。これならばまだグレイ型宇宙人の方が信じられるという物だ。
自身の目前でストレッチャーに乗せられた深海棲艦ツ級の遺体を眺めながらこの世界有数の腕を持つ名医でもある鎬紅葉はため息をこぼした。コーヒーが入ったマグカップをそっとデスクの上に置く。
「神心会の方々がこの貴重なサンプルを確保してくれたとの事でしたが」
「おぉそうとも!なんでも加藤と末藤が頑張ってくれたらしいぞ」
「加藤…あのデンジャラスライオンの?」
「克己の奴が嬉しそうに言っていたよ。せっかくの技が盗まれちまったとな」
クククと嬉しそうに笑みを浮かべる御老公。彼は杖を突きながら楽しそうに愚地克己の報告を思い返していた。
そんな老人のそばで鎬紅葉が手元のファイルをめくりながら答えた。ぺらぺらと紙をめくる音が病室に響く。
「神心会のメンバーは7名が軽傷。例の加藤清澄もまた腕が骨折しましたが無事復帰が可能です」
「うむ、そしてやはりというべきか」
「この生物…ですよね」
徳川光成と紅葉は眼下の生命を見下ろした。身長165㎝程度の少女のような遺体であった。全身の肌が病的なまでに青白く、頭部には巨大なフェイスヘルメットが接着されている。その頭部からはケーブルのようなもんが出ており彼女の尾てい骨と両腕の武器に対して極太のケーブルが工業機械のように溶接されているのだ。
なによりも目を引くのはやはり両腕であろう。このボディ以上に巨大な二つの腕がまぎれもなくこの生命体の腕であるのは間違いない。巨大CTスキャンにかけたところ人体の上腕骨にあたる部分が存在せず、代わりにこの巨大な武器が取り付けられていたのだ。
それは形容しがたき歪さであった。生命体の皮膚に金属を違和感なく付け替える事の恐ろしさとは。まるでつぎはぎだらけの人形のようではないか。皮膚と金属面の断面をそっと撫でながら徳川は渋面の表情をした。
「生物兵器という可能性は…」
「米国にも中国にも確認したが関与していないと。とある役人など鼻で笑っておったわ、日本人がタチの悪いジョークを話しているとな」
「…まぁ例え関与していたとしても」
「馬鹿正直に答えるとも思えんがな。率直に聞きたい、専門家の目から見てこれはなんだ?」
徳川の鋭い眼光と問いかけであった。そんな彼の問いかけに対して紅葉は押し黙る。2秒、3秒、たっぷりと時間をかけてようやく紅葉は口を開いた。
「わかりません」
「ほう」
「ただ言えることはこの生物はもとから‘このような構造’をしていたとしか思えない点。そしてこの生物は船としての特徴を備えているという事です」
「…うん?ふ、船?」
予想外の言葉に思わず徳川翁は聞き返す。それは想定外の言葉であったからだ。
「この足裏の部分を見てください…細かなスクリューがびっしりと敷き詰められています。さらに踵部分にはプロペラが…」
「む…なんというか
「えぇ
「……船の燃料か?」
「私は船の専門家ではありませんが…これだけは言えます。この生命体は船の特徴を引き継いだきわめて特殊な生命体です。現代の科学では作成する事のできない、ね」
そう告げた紅葉。彼は額に浮かんだ汗をぬぐいながらそっとコーヒーカップへと手を伸ばす。穏やかな空調の音だけが病室へとこだました。