真斗が佐久衆融和作戦を進めている間、晴信と山本勘助は村上義清との対決に向けて準備を進めていた。信濃侵攻に勢いが増している武田に迂闊に手を出せないと感じたのか、村上家の同盟相手である守護の小笠原長時は静観を維持している。
小笠原の援軍に頼ることができなくなった村上義清は小県郡(現在の長野県上田市、小諸市の一部、東御市の一部)にある最重要拠点、砥石城に籠る、と勘助は予想。晴信の率いる本体と信繁率いる別働隊でを挟み撃ちにするという作戦を立てた。
しかし、村上義清は勘助の予想を裏切り、砥石城に篭らず、自ら率いて出陣し、千曲川北岸の岩鼻を通り過ぎ須々貴山に陣を敷いた。総数五千人。この行動こそ、村上義清が勇猛果敢な人物だということを物語っていた。
武田は五千の兵を率いて甲府を出発し、上原城で待っていた板垣信方が率いる諏訪衆、小山田信有が率いる郡内衆と合流し、南岸の上田原に着陣した。数は八千に膨れ上がった。
お互い、浦野川と産川の合流点付近で対峙することとなった。
上田原は広大な平地であり、奇襲や挟み撃ちにすることすら難しい戦場だった。その結果、策を弄すことなどできない。ここからは互いの持てる力をぶつけ合う真っ向勝負となった。
〈武田軍本陣〉
「信濃最強の村上義清を破れば、小笠原などは戦わずして武田に降る。これが信濃統一のための最後の合戦となる。勝てば、宿老の板垣信方と甘利虎泰にはそれぞれ信濃の一城を知行地として与える。手柄を立てたそれぞれの武将にも、知行を約束しよう。信濃全域を手に入れれば武田の国力は三倍に増す。越後にも東海道にも侵出することができる。海に出られるぞ。甲斐は、豊国へと一変する。佐久の領民も、苦役から解放できる」
「戦に勝つ前に大盤振る舞いをするのは不吉でございます。論功行賞は、勝ち戦の前に行うもの」
板垣信方は晴信に諫言する。晴信の言っていることは勝ちを前提としている。今の状態は危ういと感じ取っていた。
「城など要らぬ。わしはただ甲斐に武田晴信あり、と天下に示すことができればそれでいい。駿河の大殿、晴信様のご活躍をなにとぞご覧あれ! うおおおおん!」
甘利虎泰は褒美の有無に関係なく、この戦に対してやる気が満ち溢れている。
志賀城陥落以降、佐久の地は荒れた。真斗が融和策を取っていたものの、それは金山に送られた者だけの話であり、佐久郡の国人達は金山に送り強制労働させた武田に対して反旗を翻した。その度に鎮圧してきたが、度重なる連戦によって兵達は疲れていた。
「御屋形様。こたびの戦、正面から衝突して押し切れればよろしいのですが、我らの軍は連戦続きで疲弊しております。数で圧倒しているとはいえ村上軍を侮ってはなりませんぞ」
「板垣は心配性だな。焦ってはいない。今更に村上義清個人の武勇で覆せるような戦力差ではなかろう。なにも問題はない」
「それは違う」
晴信の言うことに異を唱えたものがいた。白井真斗だった。
「真斗、どういうことだ?」
「御屋形様。村上義清は個人の武勇だけにあらず、このような場面の真っ向勝負で戦ってきた経験は御屋形様と比べるまでもなく多い。そして、志賀城から逃げ延びた者、我らに反旗を翻した者たちが村上に集結し、士気は高くなっている。村上義清はただ単に兵力差だけで勝てると考えてはいけない」
真斗は知っている。この合戦で武田は敗北を喫することに。だからこそ、勝利のことしか見ていない晴信に板垣と重ねて諫言した。
「……真斗よ。お前も板垣と同じで心配性だな。何も心配することはない。この戦、兵力差では我らが有利なのだ。これは誰が見てもわかることだ」
「そうだぞ、真斗。お前、なんだか板垣に似てきているな。もしかして本当は親子なんじゃないのか?」
飯富兵部が真斗と板垣を揶揄う。
「いやいや、それこそどう見たって違うだろ」と真斗は否定するが、「確かに性格が似とるな……」と甘利が二人を見ながら呟いた。
「んん……。それよりも勘助。そちはどんな考えだ?」
話が逸れかけた所を板垣が咳払いし、勘助に今の状況を聞いた。まず、物見をさせた兵が帰ってこないため、敵がどのような戦法を取ろうとするか掴めないということ。そこには加藤段蔵が率いている
そこで多くの忍びを抱えている真田幸隆を雇おうとしているが、上野から動く様子はなく、武田に本当につくべきか見定めているのではないかと予測していた。
「じゃあ、武田につかせるためにはどうすれば良い?」
真斗は真田幸隆が武田に味方する条件を聞く。
「そこまで難しい条件はござらん。我らが村上と敵対する姿勢を見せれば、真田は甲斐に来ることは間違いない」
信虎時代の武田は村上と結び真田幸隆の主家である海野棟綱を上野へ追い出し、また真田幸隆も真田の庄を失ってしまった。信虎から晴信に当主が変わったとしても村上と再度結ぶ可能性があるのなら、領地を取り戻すことができない可能性もあるため、中々甲斐に来る決断ができなかったのだ。
「真田を帰順させたのちに村上との決戦に及ぶべきだと拙者は考えておったが、そういうことであれば村上とこの場で戦うべきであろうな」
今回の村上義清という相手を一番知っているのは他でもない真田幸隆だ。だが、村上と戦わない限り幸隆が武田に味方しないのであれば、多少のリスクを取らなければならない。今回の上田原での合戦がまさにそれだった。
これには真斗は納得するしかなかった。これからの後に真田幸隆を始め、真田一族の活躍が武田家の領土拡大に大きな影響を与える。
「(板垣様と甘利様を助けることができないのか……!)」
真斗は奥歯を噛み締めた。
しかし、これで未来が確定したわけではない。戦が始まる前に何かできることはあるはず。
真斗は深呼吸をして、心を落ち着かせた。
「きゃっ? 太郎? お前、今あたしの胸を触らなかったか?」
「え? 触ってねえよ? だいいち、お前に胸なんてあったか?」
そんな時、兵部の問いかけに対して太郎は疑惑を否定する。真斗は太郎と兵部と一緒に稽古をしていたこともあり、気づいていたが、偶にこういうラブコメっぽいトラブルが起きていた。そして、今はその頻度が多くなっている。
「あるよっ! あたしだってもう子供じゃないんだ。ガキの頃みたいに勝手に冗談半分であたしの胸をまさぐったりしたら、殺すぞ」
「こらこら兵部。主筋の太郎さまに『殺すぞ』はいかん。まるっきり子供の言いぐさではないか」
胸を触られてキレる飯富に甘利が仲裁に入る。
「だってこいつ、相変わらずあたしを女だと思ってないんだ!」
(もう、さっさと結ばれて、そして爆ぜてくれ。糖分はこれ以上いらん)
真斗は心の中でつぶやく。
「そうか。飯富兵部は、女だったっけか」
今度は横田備中が飯富をいじり出す。
「横田。あんたまでそれを言うのか?」
「俺は神頼みはしねえが、験を担ぐんだ。お前のような豪傑の姫武将が急に色気づいて『あたしは女だ』と言いだしたり、俺のような独り身を貫いてきた戦争屋が『この合戦が終わったら俺はあの女に祝言を申し込む』と恋話を吹きはじめたらそいつは戦で死ぬ予兆だぜ。やめておけ」
「おいこら横田。やせっぽちのあたしがいつ張飛みたいな豪傑になったよ?」
「今だってそうやって、イナゴを食い散らかしている」
兵部はいつもイナゴを食っている。河東へ出陣する時もイナゴを食べていた。イナゴは兵部のソウルフードになっているのかもしれない。
「伊那ではみんな食ってるよっ! 栄養あるんだぜ、これ。毎日食えば少しは胸も膨らむかもな、姫さまみたいに。っていうか横田。あんたみたいな男の口から祝言なんて言葉が飛びだすとはな。あんたこそ死にそうだな、はははっ」
「そうだな。俺が戦場で強いのは、なにも背負っていないからだ。いつ討ち死にしようが、どうでもいい。ただ目先の敵の首さえ落とせれば俺はそれで満足だ。いちど守る者を背負っちまうと、俺のような闘犬は弱くなるものさ。だが……それはそれで犬の死に様としては、幸せなものかもな」
「……横田?」
横田が言ったことに甘利が説教を始める。この和やかな雰囲気は信虎時代にはなかった。家族のように接し合うことこそ、晴信が求めていた家臣団だった。
「とはいえこの決戦、無傷では勝てますまい。これは武田が戦国大名として生まれ変わるための産みの苦しみと言ってもいいでしょうな。みなの衆、よろしく頼み申す」
「いや勘助。あたしは強引な戦で四天王たちを失いたくはない。四天王は父上が甲斐に残してくれた貴重な財産だ。万が一にも形勢不利とみれば、退こう。もっとも、この戦力差があれば万が一はないはずだが」
その万が一が起こりうるのが戦国の世である。
晴信は真斗の言っていた事を思い出すが、不安を振り払おうとするかのように首を横に振った。
(ううん、大丈夫。今のあたし達なら勝てる絶対に勝てる!)
◆
軍議が始まる。勘助の策略が通らないこの現状、村上義清と戦ったことのある板垣信方と甘利虎泰の意見が重宝された。二人の経験によると、村上義清は武田信虎と同じように真っ直ぐに突進する武将ということだ。
戦術は実に単純にして明解である。ただ、真斗の中で懸念点があった。戸隠忍群の存在である。偵察させた兵が帰ってきていないことから、何か戦術を隠しているに違いない。そう考えていた。当然、その事を頭に入れていない晴信と勘助ではなかった。
様子見として弓矢での揺さぶりする考えも出てきていたが、あの村上義清の性格からして戦術を変えるとは思えないという板垣、甘利の意見があったため、晴信と勘助はその意見に同意した。
真斗は村上義清という人物像を知っているわけではないため、軍議で意見を出すことができなかった。
先鋒は板垣、甘利、諏訪衆。中備えに太郎と飯富、横田備中。そして、後衛に晴信と旗本近衛軍。真斗は板垣隊の配属となった。
そして、決戦前夜、真斗と板垣は今の状況について話し合っていた。
「真斗」
「どうされましたか。板垣様」
「この戦、どう思う?」
「そうですね……。決して、板垣様や甘利様を疑ってはいませんが、この戦何かあります。あの加藤段蔵達が村上義清の戦術を隠しているように見えるんです」
「うむ……。しかし、かといって退くわけにもいくまい。退けば諏訪と佐久の支配が揺らぎ、信濃統一が遠のいてしまう」
「はい」
「何、心配することはない!!村上がどのような戦法を用いようが、蹴散らすのみ!!」
二人に向かって甘利虎泰が言い放つ。
「甘利様、いつの間に……」
「真斗よ。お前のその慎重さも大切だが、お主がこのままでは兵の士気にも関わるぞ」
「っ……!」
甘利の言葉に真斗は「はっ」と気がついた。兵たちは自分たちを信じて前に進む。しかし、その指揮官が迷っていては兵も迷うのは必然だった。
真斗はこの戦の敗因を自ら作るところだったのだ。
「ありがとうございます、甘利様。おかげで目が覚めました」
「うむ!ならばよし!」
甘利は「ははははっ!!」と笑いながら満足げに持ち場へ戻っていった。
◆
夜が明け、朝日が登る。本当にこの先どうなるのかわからない。今の武田軍ができることは、目の前の敵の戦法を見てその場で対応することだ。かなり難しいことだが、やるしかなかった。
法螺貝を吹き、戦が始まる。開戦してすぐに村上勢が板垣隊に向けて射掛ける。この時点から今まで村上義清が使っていた戦法と明らかに違っていた。
「怯むな!攻め込め!村上は腰が引けているぞ!!」
板垣が兵に檄を入れ、千曲川を渡らせ、村上軍に向けて突撃をかける。しかし、それこそが村上義清が狙っていたことだった。
「なに!?これは……」
板垣隊を待ち構えていたのは、隙間なく密集し、長い槍を構えた足軽たちだった。
「かかれぇぇぇえ!!」
村上義清の号令と共に足軽たちは板垣信方に向かって突撃をかけた。
長槍を持たせた歩兵たちを密集させて突撃をかける。この戦法は紀元前から使われていた戦法だ。あのマケドニア帝国のアレキサンダー大王もこの戦法を得意としていた。現代では「ファランクス」という名で呼ばれている。
この戦法の大きな利点は槍の扱いに長けていなくとも容易に敵を倒すことができるということだ。武田軍は個人の武勇に頼るところがとても大きく、それは信虎から晴信に変わってもこの態勢は変わることはなかった。今の武田にとって、最も相性の悪い戦法といえる。
「申し上げます!初鹿伝右衛門様、お討死!」
そして、板垣隊の中で最強と呼ばれた初鹿伝右衛門が討死した。
「なんと……。そうか。村上義清と直接戦った経験がある拙者や甘利ら老臣から得た情報を、御屋形さまも勘助も鵜吞みにしていた。あの二人には村上戦の経験がなく、拙者たちにはあった。それゆえにわれらの意見が尊重された。だが、それが過ちだったか……。」
戦法による相性差、晴信と勘助の戦の経験不足。この二つが上田原の戦いの勝敗を分けた。
「──その通りだ。板垣信方。貴様は武田信虎の重臣ではあったが、武田晴信が造ろうとしている新しき甲斐、新しき武田軍にとっては時代遅れの老将よ」
村上の本陣から黒馬に乗った男が姿を表す。武田信虎を彷彿させるような殺気と獣臭。そして、獲物を狙う狼のような目で板垣を見ていた。
真斗はこの男の正体が一瞬でわかった。
「こいつが村上義清……!」
「この千曲川が、貴様らの三途の川だ。武田家中興を果たした名将板垣駿河守信方よ。最期は、この俺の手で冥土へ送ってやろう」
「くっ、板垣様をお守りせよ!」
真斗の指示で兵たちは村上義清に向かうが、次々となぎ倒されていく。
「だめだ。このままじゃ……」
大将の首を取れずとも、大きな傷を負わせれば戦は終わる。今、目の前にいる村上義清を討ち取らなくても相討ち覚悟でいけば、負けたとしても損害を小さくできるかもしれない。
そう考え、真斗は村上軍に突撃しようとしたが、板垣に肩を掴まれ止められた。
「……真斗。ここはわしに任せ、御屋形様の護衛に行け!」
「な…何を言ってるんですか!!俺が村上義清をここで食い止めます!」
「ならぬ!!」
「そんな!?俺はこんなところで板垣様をここで死なせるわけにはいきません!」
「まだ分からぬか、戯け者!!!!」
板垣信方の大声が戦場に響き渡る。味方だけでなく、敵の兵も一瞬怯んだ。
「よく聞け。この戦の勝敗はすでに決した。悔しいが、わしは時代遅れの老将じゃ。しかし、お主は違う。武田の未来を切り拓く力を持っておる。力のあるお主を死なせるわけにはいかぬ!」
「……。」
「もうわかるな」
真斗は震えながら頷く。
「これから御屋形様のところへ向かう。着いて来い」
真斗は兵達そう告げて急いで晴信のいる本陣へ向かった。
「……行ったか。む、お前たちは」
「板垣様。わしはここに残りますだぁ!」
しかし、板垣隊に残る兵達も数多くいた。皆、信虎の時から板垣に仕え、最後まで自分の主君について行くと決めていた者達だった。
「お前達……。そうか、わしと共に冥府へ行ってくれるか」
板垣の言葉に兵達は頷く。士気は今までになく高い。
「全軍、川岸へ戻れ!川岸へ戻り、首実験を行う!」
兵士達が陣を敷き、人と馬で壁を築き始めた。
江戸時代に作られた甲陽軍鑑によると、板垣信方は上田原の合戦の際、油断して首実験を行ったと言われている。しかし、合戦当時の資料はないため、明確な理由は定かではない。戦の結果が伝えられるのはいつの時でも
後方から板垣を救おうと甘利虎泰が慌てて駆けつける。
「甘利よ。拙者とともに死ぬつもりか」
「うおおおっ!板垣!ここで死ぬことは許さんぞ!!」
甘利の言ったことに「フッ……」と板垣は笑う。
「安心せよ。わしは死なぬ。武田の未来に繋げるためにあの小さな背中にわしの意志を託した。その者が託した意志を忘れぬ限り決して死ぬことはない」
板垣は武田本陣の方へ向きながら言った。その方向には晴信、信繁、勘助、飯富、横田、そして真斗がいる。
「何を弱気なことを!」
「弱気ではない。むしろ強気だ。心残りがあれば死んでも死にきれん」
「ううむ……、そうか。ならば……」
甘利は渋々納得し、迫る村上軍の方へ向いた。
「我らは御先代様の時から数十年仕えてきた仲だ。お主と共に冥府へ参ろう」
「板垣信方に、甘利虎泰か。悪いが時間は稼がせぬ。俺の流儀ではないが、一瞬で終わらせる。天の時がわが頭上に輝いているならば、まもなく晴信は死ぬ。だが天の時が晴信のもとにあるならば、俺は武田晴信率いる武田軍を新たに生まれ変わらせるという大仕事を手伝ってやったということになろう──」
「そうとも。今日の勝ちはそなたのものだ。しかし御屋形さまはこの経験によって、お強くなられる。日ノ本一の武将になられる」
「いや、まだだ。まだひよっこだ。女は、武将にはなりきれん。なりきる前に、俺がその首を落とす」
「ならねばならぬ、御屋形さまはな」
村上義清が馬に鞭を入れ、板垣信方に目掛けて突進する。しかし、甘利虎泰も同時に馬に鞭を入れ、村上義清へと迫った。
(わしも老いた、この狼には勝てぬ! 一撃で討たれる! 板垣、この一騎討ちの隙を摑め! 卑劣であろうがなんであろうが村上義清をここで止めよ!)
甘利虎泰が心の中で板垣に向けて訴える。板垣は頷き、刀を取り、義清目掛けて刀を抜いた。
しかし、義清は切られなかった。板垣が持っていた刀が突如、消えたのだ。
「なんと!?」
何を隠そう、加藤段蔵が率いる戸隠忍群が動きだしており、板垣の刀を奪っていた。刀が無い板垣にはもはやなす術はない。
甘利虎泰の首は既になく、村上義清の槍は板垣の首を捉えていた。
『板垣!』
板垣は幼い晴信が笑顔で自分を呼ぶ姿を思い出す。守役を務め始めた頃の温かい一時の瞬間。
「姫様……」
板垣信方は義清によって貫かれた。
◆
「板垣信方様、甘利虎泰様お討死!」
本陣に向かう真斗に伝令が二人の死を伝える。
「……。」
「白井様……」
「……わかってる。板垣様と甘利様の死を無駄にするな!絶対に御屋形様のお命をお守りしろ!」
「「「はっ!」」」
真斗は兵達に配置を伝え、晴信のところへ向かった。
「真斗!」
「御屋形様……。勘助さんは」
「勘助は信繁のところへ向かった」
「なら、勘助さんから聞いたと思うが、早く撤退の指示を」
「……だが、村上義清がそんな猶予を与えてはくれなかったようだ」
幔幕が破られ、巨大な黒馬に跨がった武者が現れる。村上義清だ。
晴信は村上義清の姿を見て硬直した。狼の如く自分を睨むその姿は武田信虎を彷彿させたからだ。
「武田晴信、その首をいただく。葛尾城主村上義清、参る」
「(体が動かない……!)」
「……。」
真斗は晴信を一瞬見た後、一度頷き、村上義清の前に立ち塞がる。晴信は何故か安心感を感じた。
「お前は板垣信方のところにいた小僧か」
「悪いがここは通させねぇ。板垣様に託されたんだ俺は!」
「ならば、貴様ごと晴信を叩くまでだ!」
義清は真斗ごと晴信に向けて槍を振り下ろす。
キンッ!
真斗の槍と義清の槍が擦れ合う音が響く。振り下ろされた槍は真斗によって受け流される。
「くっ!」
義清は馬上から何度も槍を振り下ろすが、真斗の正確な槍捌きによって弾かれる。
「(力も速さもこちらが上!しかし、何故だ!?何故此奴を討ち取れない……!)」
「(流石、村上義清だ!力も速さも俺とは比べ物にならない。敵討ちしたいっていうのに、受け流すのが精一杯だ!)」
力と技が拮抗し続ける。しかし、お互い、隙を作ってしまえば、討ち取られるのは明白。村上義清は真斗を相手にしている限り、晴信を討ち取る機会を失うこととなった。
「……そうか。なるほど、巧さは貴様が上か。巧さだけで我が槍をこうも受け流すとはな。名は」
「白井真斗」
「そうか、加藤段蔵が言っていた……だが白井真斗。我らの目的は武田晴信を殺すことだ。悪いが手段は選ばんぞ」
「……!」
「……『鳶加藤』、参る。武田晴信。女を殺すのは俺の性に合わんが、貴様は別だ。貴様が人を束ねて死地へと送り込むその才気は、男女の別などを超越している」
そう言った時に鳶ノ術を使った加藤段蔵が晴信の背後を取られていた。既に刀は抜かれており、晴信には逃げ場はない。
「ああ…。知ってたさ。そんなことは」
ドコォ!!!
真斗の後ろで誰かが吹き飛ばされた。それは晴信ではなく、段蔵の方だった。
「何が起こった!?」
村上義清は今起こった事に対して収拾がつかなかった。
「いや、何が起こったも何も。『殴られて吹き飛ばされた』それだけさ。」
段蔵を吹き飛ばした正体は拳を突き出した構えを取った工藤祐長だった。
「本当にできちゃった……」
段蔵を吹き飛ばしたことに驚きを隠せない工藤。この方法を教えたのは何を隠そう真斗である。
〜〜〜回想〜〜〜
「工藤ちゃん」
「どうしました。真斗さん」
勘助の軍法の講義が終わり、家へ帰る工藤を真斗が引き止める。
「俺は君や源四郎ちゃん達に体術を教えている。これは自分や御屋形様を守るためのものなのはわかってる?」
「ええ、それはもう当然」
「それでだ。これから工藤ちゃんにだけ少し先のことを教えようと思って」
「え、それはどうして?源四郎や信房じゃなくて?」
「お前だけだ。後でみんなにも教えるけど、工藤ちゃんだけには早めに教える。なぜなら……」
「私の存在感の薄さは御屋形様を守るための武器に繋がる……!ありがとうございます、真斗さん。私、少し自分のことが好きになれた気がします!」
工藤の身体能力は真斗や他の2代目四天王達と比べると、そこまで力はない。しかし、体全体を動かし、腕に力を集中させれば話が変わる。そこまで力はなくとも、大人でも大きなダメージを与えられることができる。
「いつのまに、伏兵を……!」
段蔵は腹を押さえながら工藤を睨みつける。
「あなたが気づかなかっただけですよ。まあ、私達も気づきませんでしたが……」
段蔵の周りには馬場信房、飯富源四郎、春日源五郎が囲んでいた。
「姫武将三人でこの俺を抑えられると思うな!」
段蔵は再び鳶ノ術を使う。しかし、ここまでが限度。これ以上鳶ノ術を使っては体がもたない。この戦での最後の賭けだった。
「加藤は上空から来るぞ、妹よ!」
武田の間者として男装した娘がそう叫ぶが、戦の喧噪によってかき消えてしまう。その声を聞くには距離が足りなかった。
「(よくぞ見抜いた!だが、遠い!)」
工藤は晴信の側にいたが、先程は奇襲のようなもの。二度も通じない。
「応! 鳶ノ術、捉えたぞ姉者! 行け佐助!」
「なに!?」
いつの間にか、晴信の側に見知らぬ二人の姫小姓が侍っていたのだ。一人は肌が青白く、酷く痩せていた。そして、もう一人は。
「ウキッ。心うきうきでござるな! 鳶加藤殿、お命頂戴いたす!」
「貴様ッ、猿飛!? なぜここに?」
加藤段蔵と同じく鳶ノ術を使う忍びである猿飛佐助だった。
「村上義清の突撃に紛れてあんたがこの本陣に来ると読んで、軍師どのと口裏を合わせていたでござるよ!」
「日和見は噓か! 真田の者どもが武田方に参戦していたか!」
「当主の幸隆どのはほんとうに日和見しているでござる! 参戦した者はあんたがたに気取られぬように、ごく少数に絞ったでござるよ!」
鳶ノ術術を破ったのは同じ戸隠の御神体である「石」の力を浴び、能力を会得した者であるということ、真田の者で姉妹であるということ。この二つの条件で段蔵は一つの結論を導きだす。
「(そうか、噂には聞いていたが実在したのか。真田の「双子」か……! )」
真田一族は戸隠の「石」に挑戦する者が後を絶たず、かつて真田幸隆の双子の娘が奇跡的に生き延び、「力」を得たという。そして、双子同士が、はるかに離れた位置からお互いの声を聞きあい会話できるという異様な術を会得した。
「くっ、ここまでか!」
段蔵は煙幕を使い撤退した。
「鳶加藤が退いたか。義清殿。今回はここまでにした方が良いと思うが」
「……そのようだな」
真斗と義清は息切れしながら言葉を交わす。そして、義清は兵達に指示を出し、本陣へと戻った。
こうして、上田原の戦いは終結した。戦死者は村上軍300人、武田は700人の戦死者を出した。そして、その戦死者の中には武田の宿老である板垣信方、甘利虎泰、村上家の家臣である屋代基綱・小島権兵衛・雨宮正利がいた。
両者、「痛み分け」という結果となったが、武田方は有力な家臣を二人も失ったことを見れば「敗戦」であることは間違い無く、武田晴信にとって初めての負け戦となった。
ただ、史実として違う点があるとすれば、晴信は負傷することがなかった。その点のみである。
布陣図初めて描いてみましたが、中々難しいですね(⌒-⌒; )
次の塩尻峠の戦いはもっと上手く描いてみたいです。