うたかたの夢、うたかたの現実
冬の大勢力も衰え始め、徐々に春の新興勢力が力を付け始める、3月。お正月特有の緩んだ空気も今は昔。町の至る所で鳴り響くひな祭りの歌に釣られたのか、お由宇の神社は去年にもまして大賑わいであった。
『性愛の加護』を司る神社にお参りとか、どうよ、と思う人もいるだろう。いくら何でも気が早すぎるだろうと思う人もいるだろう。実際、女児を連れて来た母親側の半分はどこか憮然とした面持ちであった。
だが、これが意外や意外な話。父親側がどうかと言えば、渋る母親側と内訳はだいたい同じの半分であった。残った両方の半分はとりあえず近くだからお参りにきたという程度だが、とにかく父親側の半分はしっかりお賽銭をし、御祈りを捧げていた。
何故、積極的なのか。
それは、境内入口の鳥居傍に立て掛けられた看板に答えがあった。その看板を目にした者はまず、書かれている表題に目を剥いた。そこに書かれている表題は黒字で、明瞭で簡潔だった。
“『性愛』は『美しさ』である! ”
この、一言であった。次いで、その下に続けられている文に目を通し……先述のいずれかへと別れ、境内に入ってゆく。それの繰り返しであった。
そこに何が書かれているのか。何を見てお参りを決めたのか。それを説明すると少しばかり長くなるので省くが、おそらく神社の事情を知る者がいれば、こう呟いていたことだろう。
これって嘘じゃないか、と。
まあ、そう思うのは無理もないことである。というか、そう思って当然である。実際、公的記録において、お由宇の神社は『性愛に関する神様』と記載されているし、調べれば調べる程、『性愛』に関する事柄しか出てこないのだから。
だが、しかし。
参拝客に確かめる術はないのだが、事実、この看板には一切の偽りはなかった。そう、目から鱗と捉える人がいるかもしれないが、『性愛』とは見方を変えれば、『美』なのであって……まあつまり、何が言いたいかと言えば、だ。
お由宇の与える加護は思いのほか守備範囲が広いということ。そして、相手が初経以前の女児であってもしっかり効く。むしろ、子供の内に加護を与えた方が将来的な影響が大きくなる分、子供の内にした方が良い。
それが、父母たちの参拝欲を駆り立てる要因であった。『今の内にしないと~』という言葉がもたらす焦燥感も相まって、口コミを通じて続々と集まり続ける近所の父母たち。神社から放たれる荘厳な空気によって妙に落ち着かない子供たち。人混みでごった返し始めた境内の喧騒が、徐々に神社全体へと広がり始めている……その中で。
『祓いたまえ・清めたまえ・奉りたまえ──』
隙間無く閉じられた御扉の向こう、神官社の中。明かり一つ差しこまない暗闇の中で、何時になく真剣な面持ちで祝詞を唱え続け、やってくる参拝客に加護を与え続けるお由宇がいて。
「おみくじ~、おみくじ~、昔懐かし綿あめ製造機もごぜえますよ~、セピア色の思い出に浸って小銭を落としましょうねえ~」
境内の中で(無許可)商売を始めている、お面を被ったソフィアの姿と出店があった。いったいどこから用意してきたのかは定かではないが、ソフィアの出店は一般的な出店とそう変わらない見た目をしていた。
……前者は良いとして、後者はどうよ……ていうか、大丈夫なのか?
事情を知っている人でも、全く知らない人でも、ソフィアのやっていることを見た者の大半は、そう思ったことだろう。神社に出店は珍しくは……中には、そう思った者もいた。というか、大半の初見さんたちはそう思っていた。だがしかし、それを表だって指摘する者は一人もいなかった。
何故かといえば、答えは幾つかある。
神社で店をやっているのだから、許可は取っているのだろうという先入観。お面で隠しても分かるソフィアの歳若さがもたらす、『一時的に店を変わっているのだろう』という錯覚。
加えて、ソフィアは己が術を用いて周囲の認識を緩和していた。すなわち、『そういうこともあるだろう』と曖昧な納得をさせていたのである。そして極め付けはソフィアの売り出しているおみくじであった。
その名も、『助平くじ』。
四十八本のくじ棒によって判別する占いだが、その内容があまりに具体的で明け透けていることもあって、まさか勝手に商売しているとは、この場に居る参拝客の誰もが考えすらしなかった。
普段であれば一人ぐらい疑問視する者が出ただろうが、物珍しさも相まってけっこうな勢いでくじが売れているせいだろう。それが逆に不思議な信頼感をソフィアにもたらし、誰もソフィアに疑いの目を向ける者はいなかった。
というのも、それを売り出しているソフィアの口上がといえば、だ。
「ハズレなしのちょいエロおみくじ~、一回300円ですよ~、もしかしたら御利益で童貞卒業しちゃうかもしれませんよ~、リア充は適当に綿あめ作って堪能して、その後家に帰って適当にパコパコしていてくださいね~」
「シコッた時の気持ち良さが1.2倍になったり、我慢強くなったり、トラブルっちゃう場所が書かれていたり色々ですよ~、
「今なら10連おみくじセットでプラス一回~、10連やれば11連ですよ~300円が無料になっちゃう10連おみくじありますよ~、残されたお年玉をここで絞り出していきましょうねえ~」
という、下品を通り越して頭が極まり過ぎた接客を顔色一つ変えずに行っている。あまりに酷い口上なのも相まって、今の所誰一人警察等に連絡をしようと動き出す者は現れていなかった。
……。
……。
…………そんな、色々な意味で猫の手も借りたい程に忙しない有様となっているお由宇の神社とは裏腹に、鬼姫の神社では。すっかり人足も途絶えて小銭よりも葉っぱの方が多く入っている賽銭箱の上に……その神社の主である鬼姫が、腰を下ろしていた。
それは、変なことであった。週6.4日分ぐらいの割合でお由宇の神社に入り浸る鬼姫が、己の神社にいる。言葉にすれば何ら可笑しい所が見当たらないのが可笑しな話だが、鬼姫の日常を知る者が見ればそれは、変なことであった。
そのようにして失礼な感想を三次元的存在から抱かれているなど知る由もない(当たり前の話だが)鬼姫は、一つ、二つ、欠伸を零す。その顔は、遠目から見てもやる気の感じられない、何とも締まりのない顔であった。
お由宇が、猫の手も借りたいぐらいに忙しない状況になっているのは知っているはずである。なのに、何をするでもなく、鬼姫は境内へとの境目となっている鳥居の向こうを見つめている。霊体なので一般人の目に映ることはないが、その姿、実に暇そうであった。
何ゆえ、鬼姫は手助けに向かうわけでもなくこうして油を売っているのか。
『面倒なやつ』が現れた……違う。その手のやつが出現するのは大体にして夜だ。加えて、何度か『本気状態』になった余波によって今の鬼姫の神社には、並大抵の悪霊は近寄れない状態となってい。
では、神社に重大な何かが起こったか何かをされた……それも違う。
鬼姫の
ならば何故……その答えは単純明快。
鬼姫がいると場合によってはソフィアの術に干渉してしまうとか、場合によってはお由宇の加護に干渉してしまうとか、場合によっては鬼姫から放たれる『力』を感じ取れてしまう者が出るとか色々あるが、一番は何と言っても。
──たまには、御自身の神社をちゃーんと見ねぇと駄目なんす。
と、いう具合に投げかけられたお由宇からの心配事。その言葉こそが鬼姫をここに縛り付ける理由であり、鬼姫が暇を享受することになる原因であり、そういえばとこれまでを振り返る切っ掛けとなる答えであった。
(考えてみれば、こうして己の神社で暇を享受するのは久方ぶりじゃのう)
ぽつりと、胸中を過る言葉。三度欠伸を零した鬼姫は、さんさんと降り注ぐ太陽の光に目を細めると、大きく伸びをする。深々とため息を零して脱力した鬼姫は、次いで、己が神社へと振り返り……何とも感慨深い気持ちになった。
かつては荒れ放題の寂れ放題であった社は建て替えられ、見違える程に美しくなった。
錆びてボロボロに朽ち果てた神具も用意され、虫やら何やらが跋扈することもなくなった。人の気配こそ途絶えたものの供えは定期的に行われ、かつてと比べて鬼姫の日々の質は格段に向上した。10年前の己が見たら、さぞ驚いたことだろう。
(数えてみれば、最近までワシはずっとここで一人ぼっちじゃったなあ)
そうして過去に思いを馳せ、ふと。お由宇の神社にて寝泊まりするようになってからこれまで、己の神社でゆっくりするのは数えるぐらいしかないという事実に思い至る。
その何度かも、酔って戻ったとか、供え
(まさか、暇を楽しむ時が再び訪れようとはのう……何とも、不思議な縁よな)
残酷でありながらも時に優しく顔を変えるその気紛れさに目を細めた鬼姫は、ひとたび大きな欠伸を零す。次いで、ぽん、と賽銭箱の上から御扉前へと移動すると、ごろりと横になった。
……以前のように参拝客でごった返していた時ならいざ知らず、今はすっかり閑古鳥。出店が来なくなって久しく、あれほど賑わいを見せていた境内は今や面影もなく、あるのは点々と降り積もっている落ち葉ぐらい。
人影が目に見えて減り始めた頃は多少なりとも頭を悩ませたりしたが、今ではそんな気持ちもない。主として構えるにしても、参拝客はおろか見物客すらいない中で気を張っていられるだけのやる気がもう、鬼姫にはない。
(それにしても、良い天気じゃな)
さんさんと輝く太陽に目を細めると、鬼姫は再び欠伸を零す。誰かが来るとしても、ソフィアぐらいのもの。そのソフィアも今はお由宇の神社にて商売に忙しく、こちらに来られるのは日が暮れてからだろう。
そんなことを考えているから、自然と鬼姫の瞼も重力に負ける。日向でうたた寝をするその姿はもはや、怨霊のそれではない。数百年前の鬼姫を知る者がいれば、さぞ驚きに目を剥いたことだろう……が。
現在、この場にそれを知る者はいない。かつては帝すら震え上がらせた大怨霊は今、日向ぼっこをする猫のようにそのまま大の字にて脱力すると、しばしの間を置いて……寝息を立て始めたのであった。