お節介な転生TS鬼巫女ロリババァの話の外伝   作:葛城

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前編

 ……。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………。

 

 ……。

 

 ……。

 

 ………………ん? 

 

 どれぐらいの間、目を閉じていたかは鬼姫にも分からない。しかし、何時からだろうか。ふと、鬼姫が気付いた時にはもう、ウーウーと、サイレンにも似た何かが四方八方から聞こえて来ていた。

 

 夢などの類ではないのは、すぐに思い至った。あまりに現実的過ぎる。しばしそれに耳を澄ませていると、それが甲高い騒音であることを認識して……眉根を顰めた鬼姫は、眠気で歪む瞼をこじ開けた。

 

(……うん?)

 

 途端、鬼姫の眠気は吹っ飛んだ。

 

 というのも、鬼姫の視界に飛び込んで来たのは青空……ではなく、等間隔で取り付けられた、照明の点いていない天井。

 

 何処となく漂う真新しいニスの臭いは消え、鬼姫の周囲にあるのは無機質なコンクリートの壁。その一つには扉が付いていた。

 

 ここは何処かの部屋、なのだろうか。ウーウーと聞こえていた何かはどうやら、部屋の外から聞こえて来る。鳴り止む気配は、まるでない。

 

 眠気は冷めたが上手く動いてくれない頭を何とか働かせながら、どこかから響き渡っている騒音へ静かに耳を澄ませていた……と。

 

 ──って、何処じゃここは!? 

 

 しばらく、して。ようやく事態に気付いた鬼姫は素早く地を蹴って立ち上がり、改めて周囲を見回す。

 

 安っぽいパイプ椅子と折り畳み式の机、隅にて纏められた……鎖束の数々。見やれば太さは様々で、一番太いのだと鬼姫の手首ぐらいにもなった。

 

 他にも三角形だとか円錐形だとか色々と用途不明なのも含めて、鬼姫には検討も付かない物が大量に置かれている。

 

 パッと見た限りでも数えるのが面倒に思えてくるそれらから視線を逸らした鬼姫は、天井へと視線を向ける。

 

 室内は……おおよそ畳20畳分ぐらいだろうか。天井の広さから、室内の広さを想像する。

 

 無造作とまではいかなくとも乱雑に放り込まれているという印象を受けるせいか、それよりも幾らか狭いように思え──そこまで考えた辺りで、あることに気付いた鬼姫は慌てて胸に手を当て……次いで、絶句した。

 

(どういうことじゃ!? 『刀』の気配がまるで感じられぬ!?)

 

 何故かといえば、答えはそれであった。

 

 そして、その答えは鬼姫を驚かせるには十分で、鬼姫を戦慄させるのにも十分な破壊力を有していた。というのも、その『刀』だが、普通の刀ではないからだ。

 

 鬼姫の言う『刀』とは、自らを祭る(ように、かつて仕向けた)神社にある御神体のことである。

 

 怨霊である鬼姫にとって所詮は神具でもない紛い物でしかないのだがら、本来なら気に留めるべきことではないのだが……そう出来ない事情が鬼姫にはある。

 

 簡潔に述べるなら、その『刀』は鬼姫と強い繋がりを有している特別な刀なのである。

 

 その『刀』が破壊されたとしても鬼姫が滅びるようなことはないが、それでも無視できない影響が鬼姫に及ぶのは確実。それに付け加えてもう一つ、『刀』には他とは違う特徴がある。

 

 それは、強い繋がりを持つ『刀』と鬼姫は、文字通り離れられない状態にあるということ。

 

 距離や時間など様々な要因によって多少なりとも違いはあるものの、鬼姫は『刀』の力が及ぶ範囲から出ることが出来ない。無理をすれば短時間は動けるが、すぐに戻らないと強制的に『刀』の下へと召喚されてしまうのである。

 

 しかも、しばらく動けなくなる程に消耗してしまうというおまけ付で。

 

 そしてそれは、時の帝すら恐れさせる鬼姫をも震え上がらせる程に、鬼姫にとっては避けねばならない事態。身を持ってその恐ろしさを知っているからこそ、鬼姫は心の底から焦らざるを得なかった。

 

(ど、何処じゃ!? 早くせねば引きずり戻されてしまうのじゃ!)

 

 焦りつつも急いで『刀』の気配を探る。一心同体とまではいかないが、『刀』は鬼姫の核ともいえる部分と密接に繋がっている。

 

 今のように、例えある日突然見知らぬ場所で目覚めたとしても、どれだけ距離があったとしても、どんな状態であったとしても、『刀』の所在は手に取るように分かる。

 

(──ない! ないぞ、何処にもないのじゃ! 有り得ん、そんなことが起こり得るというのか!?)

 

 ……はずであったのに、分からなかった。

 

 その事実が、鬼姫に更なる混乱をもたらした。何故なら、居場所が分からないということ事態が本来、有り得ない事態であるからだ。

 

 言うなれば鬼姫と『刀』の繋がりとは、見えも触れもしない有線が常に繋がっていて、常に互いの状態を確認し合っているようなものだ。

 

 刀に何かがあれば鬼姫には分かるし、鬼姫に何か致命的なことが起これば刀にも変化が起こる。それぐらい、密接に繋がっているのである。

 

 故に、有り得ないのだ。例え地球と太陽程の距離があった(まあ、そこまで離れる前に引きずり戻されるが)としても、鬼姫には分かる。正確な位置はつかめなくとも、何処にあるのかという大雑把な方向ぐらいはすぐに掴める……はずなのに。

 

(……っ! ど、どうやっても『刀』の位置が掴めぬ……何が起こっておるのじゃ!? もしや、何者かが『刀』を封印したとでも……いや)

 

 それも、有り得ない。鬼姫は内心、首を横に振った。

 

『刀』を封印出来るだけの力を有している者が近づけば、それこそ情事の最中であっても鬼姫が気付く。察知能力を掻い潜れる程の力を持つ者となれば、おそらく神話クラスに匹敵する存在に限定される……だから、尚更有り得ないのだ。

 

 加えて、仮に封印が成されていたら鬼姫もタダでは済まない。

 

 どうなるかは断定できないが、少なくとも今、このように焦ることも考えることも出来ない状態に陥っているだろう。しかし今、そのような気配は微塵もない。

 

 引き戻される感覚はおろか、それによって消耗する感覚もない。もしやと思って己の中に渦巻く『力』を探るも……変化はない。

 

 いったいこれはどういうことなのか……何もかもが不確かな状況に鬼姫は、ええい、と地団太を踏んだ。

 

 何であれ、このままココで大人しくしていても埒が明かない。

 

 何もかもが分からない時は、闇雲であっても行動して事態を動かす。

 

 それがあらゆる疑念を晴らす近道であると判断した鬼姫は、さっそく扉へと向かい……すり抜け、外へ出た。

 

 “──っ! ──っ! ”

 

『ふお!? お、思っていたよりも喧しいのう』

 

 途端、うゎんうゎん、と。上下左右を反響して増幅したサイレンが、雷鳴のように耳をつんざく。鬼姫には分からなかったが、どうやらスピーカーが取り付けられた真下に出てしまったようだ。

 

 思わず押さえていた手を離した鬼姫は、顔をしかめて辺りを見回し……はて、と首を傾げた。

 

 鬼姫の眼前に広がっているのは、一言でいえば無機質であった。

 

 照明によって照らされた上下左右、全てがコンクリートと鋼鉄で出来た武骨な作りである。

 

 頭上からみれば、ちょうど鬼姫は十字路の一端(にある部屋)より出てきた状態だ。鬼姫の目の前には三方の道があって、覗き込めばその三方全てが鋼鉄の扉によって閉ざされているのが見えた。

 

 ここは、座敷牢か何かなのだろうか。

 

 率直な感想を抱きつつ、とりあえず右手側の扉をすり抜ける。その先に広がっていたのは……また、十字路だ。

 

 ……先ほどと同じく道は三方あり、そのどれもが鋼鉄の扉で閉ざされている。

 

 首を傾げながらも、今度はまっすぐじゃなと扉をすり抜けた先に広がっていたのは……またもや、十字路であった。

 

 その先も、その先も、その先も、その先も、その先も。

 

 右に曲がっても左に曲がってもまっすぐ行っても戻ってみても、上下にすり抜けてみても十字路。

 

 そして、どこまで行っても変わらず延々と鳴り響くサイレン。

 

 部屋を出て5分と経っていないのに、既に鬼姫は自分がどこを歩いているのかが分からなくなっていた。

 

(……何とも、珍妙な場所じゃな。これだけ方角を見失う作りになっておるのに、ワシを閉じ込める為の霊的な作用が全く感じ取れぬ)

 

 これでは、何時でも逃げ出せられるではないか。

 

 そう思いつつも、とりあえずは歩を進めながら鬼姫は考える。自然と、その注意は周囲の景色から、未だに延々と鳴り響いているサイレンへと向けられた。

 

 “──っ! ──っ! ”

 

(先ほどから聞こえているこの音じゃが……)

 

 “──っ! ──っ! ”

 

(これは……もしかすればただの警報ではなく、『警告』なのかのう?)

 

 耳を澄ませてしばらくして、ようやく鬼姫はその可能性に気付く。

 

 何を言っているのかは分からないが、サイレンにしては途切れ途切れで、その音の調子が不規則だから……おそらくは、これは何かしらの警告を放送しているのだろう。

 

(ということは……?)

 

 いや待てよ、と鬼姫は考える。仮にこれが警告なのだとしたら、いったい何を伝えようとしているのだろうか。少なくとも、鬼姫に対してではないのは確かだが、それが気にかかる。

 

 その証拠に、この『警告』は鬼姫が居ない場所からも聞こえて来る。

 

 もしも鬼姫に対してであったなら、わざわざこうまで大音量で流す必要はない。不必要な騒音は、場合によっては鬼姫をここに連れて来た存在に対しても悪影響を及ぼすからだ。

 

 それを差し引いてでも、『警告』を発しなければならない事態が今、起きている。鬼姫の存在を一時的に無視してでも対応しなければならない状況に陥っている……その可能性に思い至った鬼姫は。

 

(ちと、気を引き締めて事に当たらねばならぬのう)

 

 褌を締め直さねばと認識を改めた鬼姫は、既に二桁後半へとなる鋼鉄の扉をすり抜けた──直後、おや、と鬼姫は目を瞬かせた。何故かと言えば、初めて扉の向こうに変化が起こったからである。

 

 言うなればそれは、広々とした部屋に置かれた巨大な鋼鉄の箱であった。

 

 ぐるりと鬼姫が見やった感じでは、その箱の大きさは縦横高さ畳4.5畳分ぐらい。箱全体の形は正方形で、隙間一つ穴ひとつ箱には見当たらなかった。

 

 箱が鎮座する部屋には、人影はない。いや、人影どころか、人が居た形跡すらない。

 

 有るのは箱を囲うようにして取り付けられた、鬼姫の頭では用途不明としか言いようがない機械の数々だけであった。

 

 ──次から次へと不可解なことだらけじゃ。

 

 そうため息を零しつつ、鬼姫は軽く箱の中の気配を探り……はて、と困惑気味に鬼姫は首を傾げた。

 

(希薄ではあるが、気配はある。じゃが、これはいったい……人ではないのは確かじゃ。そして、獣でもない。かといって死者の気配でもないし、『異界の者ども』とも違う……?)

 

 少なくとも、生者、死者を問わず、鬼姫が出会ってきた様々な存在から感じ取れる気配とは全く違う。

 

 異質……そう、『異質』だ。異質としか言い表しようがない気配を、箱の中から感じ取ることが出来た。

 

 いったい、この中に何がいるのだろうか? 

 

 感じ取れる範囲では、この『箱』からは何もない。ただの分厚い鋼鉄製の箱というだけで、霊的な『力』は何もない。少なくとも、この中に居るのが霊的な存在でないのは確かだ。

 

 そして、周囲から見回した限りではこの箱に出口はない……いや、出口どころか空気穴一つ見当たらない。

 

 つまり、この箱の中にいる何かは、光どころか空気一つ差しこまない完全な密閉空間の中に封印されているということだ。

 

 生物であれば間違いなく長くは生きられないし、鬼姫のような死者であるならば、これでは何の意味もない。

 

 霊的な存在にも色々あるが、『面倒なやつ』なら、こんなのは『分厚いだけ』でしかなく、こんなのを用意するだけ金の無駄だ。

 

 ……入ってみるべきなのだろうか。

 

 そんな考えが脳裏を過る。迂闊といえば迂闊な選択だが、箱から感じ取れる何かの気配は希薄で、既に鬼姫は自身の位置すらも正確につかめていない。下手にここを離れれば、次にここへ戻って来られる保証もない。

 

 それらを踏まえた上で、しばし頭を悩ませた鬼姫は……箱の中に入ることに決めた。

 

 この際、危険は承知の上だ。

 

 最悪、周囲への影響を出来うる限り抑える程度の気持ちでいようと覚悟を固めた鬼姫は、えいや、と箱の中へとすり抜けた。

 

 

 

 

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………箱の中は、真っ暗であった。文字通り、一寸先は闇。まあ、それは想像していたというか想定していたので特に驚きはしなかった。

 

 光など無くても霊体である鬼姫には関係ない……その鬼姫の視線は(ここでは、室内か)の隅にて壁にもたれ掛っている白い塊へと向けられた。

 

 一見したばかりでは、それは白い塊のように見えた。

 

 だが、よくよく見てみればそれが異様な腕の長さを持つ人型で、こちらに背を向ける形で蹲っているのが分かる。こんな場所だからか、衣服を身に纏っていないその肌は青白く、背骨が浮き出て見えた。

 

 当然といえば当然だが、鬼姫の侵入に気付いていないそいつは鬼姫の方へと振り返る気配はない。こんな場所に閉じ込められて気が触れている(あるいは最初からか)のか……そいつはため息にも似た呟きを吐きながら蹲っているだけで、攻撃の気配は感じられなかった。

 

(これは……)

 

 だが、しかし。知らず知らずの内に拳に力が入るのを、鬼姫は抑えられなかった。

 

(……何じゃ?)

 

 その姿を見て、鬼姫が最初に抱いた印象は……異質。そう、鬼姫が抱いた感想は、箱の外側にて抱いた感想と、全く同じで……いや、その時以上に強く、鬼姫は眼前の存在から強い異質性を感じ取った。

 

 背中越しではあるが、改めて間近で確認してみて分かる。

 

 こいつは……眼前にて蹲っているコイツは、違う。

 

 直感的に……直感という不確定な言葉を思い浮かべたのは、いったい何時振りだろうか。数百年ぶり……もしかすれば、それ以上ともなる『全くの未知』を前に、鬼姫はしばしの間絶句する他なかった。

 

(生き物でもなく、死者でもなく、『神』でもなく、『面倒な奴』でもなく、『異界の者ども』ですらない……いったい、どういう存在なのか言葉にすら言い表せられぬとは……)

 

 鬼姫の語彙では、おおよそ説明出来ない存在。『異界』の存在を知り、怨霊というデタラメな存在である鬼姫ですら、理解が全く及ばない存在。

 

 初めて『異界』の姿を目にした時と……いや、それ以上の驚きを持って、鬼姫は眼前の白い人型を見つめる他なかった──と。

 

『──あっ』

 

 それは、不意の出来事であった。攻撃されたわけではない。ただ、それまで蹲っていた白い人型が立ち上がり、前触れもなく鬼姫の方へと降り返ったのだ。

 

 そこにあったのは鬼姫が想像していた通りの、おおよそ普通の人間とは違う。

 

 人の頭を呑み込めそうな程に巨大な口と、真っ黒に窪んだ瞳。『異界の者ども』程ではないが、一目で人間ではないことが分かる造形で──。

 

 ──ウアァァァァ!!! 

 

『おぅあ──な、何じゃいきなり、吃驚するではないか!』

 

 振り返ったのも突然なら、反応を見せるのも突然であった。突然の事に思わず怒鳴る鬼姫を他所に、眼前のソイツはいきなり叫び出したのだ。

 

 まるで、恐ろしい何かを見てしまったかのように、見たくもない何かを見てしまったかのように両手で(その掌も、常人よりも巨大だ)顔を覆うと、鬼姫の視線から逃れる様に蹲ってしまったのである。

 

 その悲鳴たるや、凄まじいの一言である。

 

 鬼姫が霊体でなかったら、鼓膜すら傷ついていたかもしれない程の爆音。苦悶という言葉に満ちたその悲鳴が箱の中を反響し、さしものの鬼姫も思わず両手で耳を塞がずにはいられないぐらいであった。

 

 こ、これは堪らぬ! や、止むおえぬ、一旦ここを出ねば──ん? 

 

 撤退しようとした途端、ぴたり、と。苦悶の悲鳴が、止まった。

 

 あまりに唐突な変化に足を止めた鬼姫が見たのは、相も変わらず蹲ったままの、そいつの背中であった。

 

 ……何ともまあ……不気味なやつだ。

 

 率直に、鬼姫はそう思う。何が引き金を引いたのかが分からなければ、何が撃鉄を抑えたのかも分からな──む? 

 

 むくり、と。そいつは立ち上がった。

 

 今度は何だと思わず身構える鬼姫を他所に、そいつは残った声を振り絞るかのように、アァ、アァ、と数回呻き声を上げると、再び鬼姫の方へと振り返った。

 

 再び露わになったその顔に鬼姫は目を瞬かせた──と同時に、そいつは鬼姫の方へといきなり走り出した。

 

 ──ウアァァァ!! 

 

『おわぁ!』

 

 驚きはしたが、身構えていたおかげであった。

 

 自らの背丈以上に長い両腕を掻い潜った鬼姫は、たんたん、と床を蹴ってソイツの背後に逃れた。

 

 まあ、霊体だからすり抜けるのだけれども……瞬間、鬼姫の脳裏を過ったのは、壁に勢いよくぶつかるソイツの姿であった……のだが。

 

『──何じゃと?』

 

 驚いたことに、ソイツはぐるりと方向転換をしたのである。

 

 その方向は鬼姫の方で……嫌な予感を覚えた鬼姫は、再び伸ばされたソイツの腕を避けると今度は、ソイツの斜め後方へと回った──直後、ソイツは再び……鬼姫が居る方向へと向きを変えたのだ。

 

 ──こ、こやつ、ワシの姿が見えておるのか!? 

 

 霊的な『力』は、今もなおソイツから感じ取れない。気配だけなら感じ取れるかもしれないが、その姿を捕らえるなど鬼姫の常識ではありえないことだ。まさかと思って、今度は床を蹴って天井へと飛んだ。

 

 ただの偶然であればソイツは再び壁の方へと向かう……はずだが、違った。ソイツは真下にて立ち止まると、その長い両腕を伸ばして鬼姫へと飛んだのだ。その指先こそすり抜けるものの、その手は確実に鬼姫へと伸ばされていた。

 

 これで、確信した。

 

 迫る腕を避けて床へと着地した鬼姫は、素早くそのまま駆け出して……壁をすり抜けると、箱の外へと脱出した。

 

 直後、ずどん、と分厚い鋼鉄の向こうから振動が響き、それが連続しているのを確認した鬼姫は……深々とため息を零した。

 

『まさか、かのような存在がワシの前に現れる日が来ようとはな。長生き……いや、長く幽霊をやってみるものじゃな』

 

 信じられないことであったが、『力』を持たないソイツは鬼姫を確かに認識している。

 

 それでいて、ソイツは鬼姫から放たれている『力』を前にしても跳ね除けて向かってきた。それは、危惧しなければならない事実であった……と。

 

 ──そこまで考えた辺りで、ひと際強い振動が箱から響いた。

 

 一息も休まずに壁をひたすら叩いているのは分かっていたが、よほど激しく叩いているのか。だんだん、と壁を叩く音は、外側にいる鬼姫からもはっきり分かる程であった。

 

 ……申し訳ないことをしたのかもしれない。

 

 そう、思った鬼姫はソイツが居る箱へと頭を下げた。結局、ソイツがどのような存在で、鬼姫をここに連れて来たやつらと繋がりが有るのかどうかすら分からないままであった。

 

 だが、それが何であれ、鬼姫がソイツにとっては招かざる存在であったのは想像するまでも──その、瞬間であった。

 

 べきり、と。あるいは、めきょり、か。

 

 そんな異音と共にこれまでで一番強く箱が震えた瞬間、箱が内側から盛り上がったのだ。分厚い鋼鉄で出来ている箱が、だ。『──ぬぉ!?』あまりに想定外の事態に、さすがの鬼姫も飛び退いて距離を取った。

 

 言葉を失くす鬼姫を他所に、振動は連続する。その度に箱は内側から盛り上がり、変形し、歪になり始める。そして、ものの一分と経たずに箱の一部に亀裂が走り……中から顔を覗かせたソイツの視線が、鬼姫を捕らえた。

 

 ──ウアァァァ!! 

 

 その瞬間、ソイツは悲鳴にも似た叫び声をあげた。

 

 次いで、僅かに開かれた隙間に指を差し入れ──驚くべきことに、分厚い鋼鉄の亀裂が開かれ始めたのだ。女かと見間違うぐらいに細い指先が、めりめりと鋼鉄を捻じ曲げてゆく。

 

『──むん!』

 

 驚愕の光景であったが、鬼姫の復帰は早かった。拳二個分まで開かれた辺りで、鬼姫は両袖から飛び出した幾重もの『黒蛇』が、開かれた亀裂からソイツへと絡み付いた……のだが。

 

(……これでは駄目か)

 

 ソイツは全く堪えた様子を見せなかった。『黒蛇』では無理だと判断した鬼姫は、次いで、両手で印を組む。

 

 練り上げる『力』と共に鬼姫の黒髪がざわざわと逆立ち始め……『──破ァ!』ソイツへと、不可視の『呪い』が放たれる。呪いは、寸分の狂いもなくソイツへと直撃した。

 

『──なんとまあ、吃驚仰天じゃな』

 

 だが、それでも駄目であった。一瞬ばかり怯みはしたが、ソイツの挙動は止められない。相も変わらず悲鳴をあげて鋼鉄を捻じ曲げ、外へと……鬼姫の下へと向かおうとするままであった。

 

(どうやらワシは、起こしてはならぬやつを起こしてしまったようじゃな)

 

 ここに来て、ようやく鬼姫は理解した。

 

 こいつは、己とはまた別の意味で触れてはならぬ存在なのだと言う事を。

 

 経緯は分からないが、ここに封印されていた……己の不用意な行動が、こいつを呼び覚ましてしまったのだ。

 

 それならば……鬼姫が取らねばならない行動は、ただ一つ。

 

『──仕方あるまい。こうなれば、ワシ自らの手で引導を渡してくれようぞ!』

 

 決断した後の鬼姫の行動は、早かった。

 

 再び印を組んだ鬼姫は、『力』を込めた指先を床に向けた。途端、指先から放たれたのは、『青い炎』。それは、一般人の目にも視認することが出来る程の『力』が込められた、必殺の呪いであった。

 

 一度浴びれば二度と消えず、二度浴びれば魂すらも燃え尽きる。

 

『面倒なやつ』すらも退ける黒蛇よりも、さらに凶悪な『力』が込められた、凍てついた炎。中々に使い所が難しいそれが、導火線のように地を這い、舐めるように箱の表面を乗り上げ……ソイツへと浴びせられた。

 

 ──ウアァァァ!! 

 

 凍てついた炎は、ソイツを一瞬にして火だるまへと変えた。『呪い』によって焼かれるので、普通の炎とは違う。さすがにこれは効いたのか、ソイツは亀裂から手を離してぶんぶんと身を捩った。

 

『ぐぬぬ、これでも駄目か!』

 

 しかし、それでもソイツは止まらない。

 

 すぐに、自らが燃えているにも関わらず亀裂をこじ開け始めた。『青い炎』は多少なりともソイツにダメージを与えているようだが、それでも仕留めるまでには至らない。

 

 それならば、と。『──ふん!』鬼姫は掌を合わせた。

 

 途端、亀裂の一部がぐにゃりと変形し、ソイツを貫く。鋼鉄の剣山にて貼り付けにされたソイツは、悲鳴をあげて体液を噴き出した……だが、それだけであった。

 

 そのまま鬼姫が『力』を込めれば、亀裂はさらに変形して刃の罠へと変わり、ソイツをズタズタに切り刻む。加えて、刃の一部を鉄格子へと捻じ曲げ、亀裂の封鎖に取り掛か──ろうとしたが、出来なかった。

 

 ──ウアァァァ!! 

 

 それよりも速く、ソイツが鉄格子を引き千切ったからだ。既に、その身体には何本もの鉄柱が突き刺さっている。

 

 なのに、ソイツは負傷していることすら気に留める様子もない。

 

 途中から攻撃を止めて、亀裂の封鎖に『力』を注ぐが……信じがたい毎に、鬼姫が亀裂を塞ぐよりも、ソイツが壁をこじ開ける方が速いようだ。

 

(な、何というやつじゃ……! このワシとの力比べに打ち勝つじゃと!?)

 

 久方ぶりとなる、焦燥感。このままでは、いずれ破られて外に出て来るだろう。それだけは、何としてでも防がなければならない。

 

『力』を持たないコイツは鬼姫に触れることは出来ないから、鬼姫自身は安全だが……それ以外が、危険に晒されてしまう。

 

 ……生半可な攻撃は、時間稼ぎにしかならない。それならば、本気でもって……『本気状態』になる他……それしか、ない! 

 

 そう判断した鬼姫は、亀裂へと向けていた『力』を解いた。途端、ソイツは瞬く間に亀裂を広げ始める。

 

 しかし、ソイツが出て来るよりも鬼姫の方が速い。

 

 かはぁ、と瘴気に満ちた溜息を零した鬼姫は、『本気状態』になるべく気合を入れ直し……不意に、その視線が天井へと向けられた。

 

(いかん、この感じ……誰かが近づいてきておる! しまった、ここの騒動に気付いて様子を見にきおったか!)

 

 思わず、鬼姫は舌打ちをした。さすがに正確な位置は分からないが、感じ取れる場所は、『本気状態』になった時に影響を受けてしまう位置だ。

 

 後少し、後5分遅ければさっさと話を終えられるのだが、こうなっては仕方あるまい。こいつによる負傷者を出さない為に死人を出すのは、本末転倒もいいとこである。

 

 しかし……どうしたらいい? 

 

 既に亀裂(もはや、亀裂は穴だ)は童程度なら怪我を考慮しなければ通れる広さになりつつある。このまま亀裂の封鎖に戻ったとしても、こじ開けられるのは確実。

 

 かといって、攻撃に映ったとしても今の鬼姫では致命傷を与えることが……ん、致命傷? 

 

(そうか、そうじゃ)

 

 それは、まさしく閃きであった。

 

(こいつはワシを狙っている。つまり、こいつはワシへと向かってくる──っ!)

 

 悩む暇など、ない。

 

 決断した鬼姫は、すぐさま準備に取り掛かった。この術は、準備に時間を要する。再び印を組んだ鬼姫は、これまで以上に『力』を練り上げ──変化は、すぐに訪れた。

 

 それはまるで、黒いヘドロのよう。どろり、と、音も無く鬼姫の眼球そのものが黒く濁り……黒い涙を滴り始めたのが変化の始まりであった。

 

 夜の闇よりも黒くなった眼球に、血の赤が浮かぶ。それに一拍遅れて、組み合わせていた鬼姫の両腕が瞳と同じく真っ黒に染まり始め、二の腕の辺りまでその境目は止まった。

 

 ……もし仮に、今のこの部屋を覗いた一般人がいたなら、箱よりもまず鬼姫の居る辺りを見て驚きに声を上げていたことだろう。

 

 何故なら、何もない空間に真っ黒な腕が浮いていて、その下には黒い何かが広がってゆくのが見えるからだ。

 

 足元の黒い何かは、頬を伝って顎先より滴り落ちた黒い液体である。当然だが、それは涙ではない。

 

 秒を得るたびに増大してゆく『呪いの力』が、形となって具現化したもの。

 

 そして、鬼姫が『黒い涙』を流し始める時、それは、とある術が発動する前触れでもあった。

 

 ──ウアァァァ!! 

 

 しかし、術が発動する前に、ついに箱が破られた。中から悲鳴をあげて飛び出してきたソイツは鬼姫へと迫る。だが、『力』を持たぬソイツの指先は、鬼姫に届かない。

 

 例え鋼鉄を捻じ曲げる剛腕であろうとも、どれだけ早くとも。届きさえしなければ、それは蚊の羽音よりもか弱い。少なくとも、ソイツが鬼姫を狙っている間は、周囲にソイツの被害が及びはしない。

 

『──見るがよい、かつて時の帝が恐れ、幾千の陰陽師共が恐れ、幾万の民草たちが恐れた、ワシの抱擁を』

 

 そしてそれは、鬼姫にとって……これ以上ないぐらいの好都合であった。ふわりと舞い上がる、鬼姫の腕。術の完成と共に伸ばされたその両手が……迫り来るソイツを静かに抱き留めた。

 

死手(して)の──』

 

 瞬間、鬼姫の『呪い』が発動した。

 

『──(いざな)い』

 

 直後の変化は、微細なものであった。黒い眼の中に浮かぶ赤い光がソイツを捕らえ、鬼姫の黒い腕がソイツを抱き留める。文字にすればたったそれだけのことだが……効果は劇的であった。

 

 ……ソイツは、抵抗らしい抵抗をしなかった。

 

 それまで上げていた悲鳴もピタリと止み、しばしの間、ソイツは何か恐ろしいモノを見たかのように激しくその身を震わせた後。

 

 そっと、抱き留めた鬼姫の腕が外されれば、その身体は崩れ落ちる様に、その場に倒れてしまった。

 

 ……。

 

 ……。

 

 …………静かであった。物音一つ、しない。ソイツはもう、呻き声一つ出さない。開かれた亀裂から中に戻ろうとも、鬼姫へと襲い掛かろうともしない。ただただ静かに……物言わぬ亡骸のままであった。

 

『……、ふぅぅぅぅ』

 

 その中で、唯一。音を発したのは鬼姫であった。

 

 深々と、それはもう大きくため息を吐くと共に、力を抜く。途端、変化はすぐに現れる。身体から滴り落ちた『黒い涙』は瞬く間に蒸発して跡形もなく消え、黒い腕も徐々に元に戻ってゆく。

 

 ──『死手の誘い』。

 

 それは、『本気状態になっていない時にだけ』放てる術。鬼姫が持つ数々の術の中でも、最強最悪の殺傷能力を誇る『呪い』である。

 

 その威力は本気状態の時でも出せない程に強く、直撃すればどんな結界や防壁をも貫通し、名の知れた神々すら一撃で仕留める、まさしく最凶の術であった。

 

 その原理は説明すると長くなるが、要約すれば『初めから相手を死した後にする』というもの。

 

 つまり、相手を殺すのではない。

 

 相手が既に死んでいる状態に因果そのものを捻じ曲げ、霊魂ですら消滅させるという反則的な術なのである。

 

(やれやれ、この術を使うのは何時以来かのう……上手くいって良かったのじゃ)

 

 腕の色合いが元に戻り、瞳の色も元に戻ったのを感覚で察した鬼姫は、改めて亡骸となっているソイツを見下ろした。

 

 ……鬼姫が安堵するのも、ある意味当然であった。

 

 何故なら、この術はその絶大な効力の代償に様々な弱点を抱えている、いわば博打のような術であるからだ。

 

 というのも、この術。発動の為にかなり『力』を消耗するのもそうだが、まず、発動の準備にえらく時間を要する。『黒蛇』や『青い炎』のようにすぐに放てる代物ではなく、鬼姫の力量を持ってしても長い溜めが必要なのだ。

 

 そして何よりも、この術が発動する直前。『黒い涙』を流し、黒い腕となった辺り。言うなればその時は撃鉄を起こした状態なのだが、その状態になると……鬼姫はその場よりほとんど動けなくなるのである。

 

 何とか動けても、せいぜいが老人がゆっくり歩く程度の速度。術を発動する為に精神と『力』を極限まで集中している為であり、それ以上の速さで動くと今度は術を維持できなくなるからだ。

 

 加えて、この術は『黒蛇』のように離れた敵には放てない。超至近距離……『呪いの力』が込められた腕で相手を捕らえ、瞳で術を掛ける。そこまで近づかなければならないのだ。

 

 なのに、術の準備が整うと、肝心要である鬼姫はほとんど動けなくなる。相手に直撃すればその時点で勝てるのだが、相手が至近距離まで近寄ってくれないとぶっちゃけ無駄撃ちに終わる……そういう術なのである。

 

 故に、この術は博打なのである。当たれば勝ちで、外れれば負け。

 

 溜めをしている間は無防備になるし、一旦術を解除すればまた最初からやり直し。上手くいって良かったと安堵したわけが、それなのであった。

 

 

 

 ……だからこそ。

 

 

 

 アァ……アァ……。

 

『──っ!?』

 

 もぞもぞ、と。のたうつようにではあるものの、息を吹き返して亀裂の向こう……今しがた己がこじ開けた箱の中へと戻ってゆくソイツに、鬼姫は言葉を失くしてしまう程に驚いたのであった。

 

 確かに、そう、確かに、だ。

 

 術は確かに発動して、確かにソイツへと直撃した。

 

 因果を捻じ曲げた手応えもあって、その存在を死へと誘った手応えもあった。

 

 何度思い返しても、確かであったと……鬼姫は胸中で断言した。

 

 ……だが、目の前のソイツはまだ動いている。

 

 死したはずのソイツは、ナメクジのような動きで箱の中へと潜り込むと、それっきり出て来る様子はない。

 

 慌てて気配を探れば、最初の時と同じく箱の奥側の壁にて動きを止めたのが分かった。限りなく消耗しているのは分かるが、死んではいないのも、すぐに分かった。

 

(ありえぬ……! 『死手の誘い』をまともに受けて、生きておるはずがない。何故じゃ……何故、こやつは生きておるのじゃ……?)

 

 不可解な現象に幾つもの疑問符を浮かべた鬼姫は、再び穴に格子を掛けながらも困惑する他ない。

 

 殺そうと思っても殺せないやつなら心当たりあるが、因果そのものを死へと塗り替えたのに死なない存在を見るのは、これが初めてであった……と。

 

 “──っ! ──っ! ──っ! ”

 

 “──っ! ──っ! ”

 

 “──っ! ──っ! ──っ! ──っ! ”

 

 そこまで考えた辺りで、時間切れとなった。

 

 鬼姫をすり抜けて部屋に入って来たのは、鉄砲やら何やらを装備した、鬼姫の知らない言語を喋る人間たちであった。

 

 彼らは皆一様にどデカいゴーグルを掛け、その上で何故か手で目元を隠しながら杖を使って……壁やら床やらを何度も突いている。慎重に、それでいて迅速であった。

 

 その意図は鬼姫には分からないが、何かしらの意味はあるのだろう。ゴーグルのせいで表情は伺えなかったが、謎の言葉を離す者たちは皆、真剣な様子で、その内の一人が“──っ! ”何かを叫べば、彼らの後ろから分厚い鉄板と、溶接道具を抱えた者たちが部屋に入って来た。

 

『……後は、こやつらに任せるほかあるまいな』

 

 どうやら、この者たちはソイツの対処法を知っているようだ。そう判断した鬼姫は、彼ら(あるいは、彼女らか)の邪魔をしないようにそっと部屋を出る。そして、この者たちがやって来た方角へと顔をあげると……天井をすり抜け、そちらの方向へと向かった。

 

 ……。

 

 ……

 

 …………そうして、意気揚々とまではいかなくとも、だ。『死手の誘い』を用いても仕留めきれなかったことに軽く自信を失いつつも、気持ちを切り替えて探索を再開させた鬼姫であったのだが。

 

『なんとまあ、ただの歯車もこうも出鱈目な数が組み合わされると、見ごたえがあるのじゃ』

 

 大きさにして、鬼姫が優に十人は入るかもしれない二つの鉄の箱を繋ぐ、幾重もの歯車で構成された機械。数千、数万、数十万にも達しているかもしれない膨大な数の歯車が見せる、複雑な連結。

 

 使い方はおろか、その用途すら見当もつかない鋼鉄の塊。それを前にしてすっかり興味を持って行かれた鬼姫は、木製やらガラス製やらが混じるそれらへと、ただただ感心の眼差しを向けるばかりであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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