グラスフィート Demons Makeover   作:ユキヤマツモル

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ーー原作者、木崎アオコさんに最大の賛辞と敬意を込めて。


序章

グラスフィート Demons Makeover

 

序章

 

都市とは精神にとっての砂漠だ。

ヴィルキンズーーこの都市はどうしようもない渇きに満ちている。

人口増に伴う都市開発によって中心街に接続された幾重にも渡る幹線道路が整備され、安定した物資の供給環境が市民にもたらされた。

なに不自由ない生活様式。衣食住に関して物質的に充足し得ないことなど、もはやこの街においては考えるにも及ばないというものだ。

だが、モノの充実の代わりに都市部の人々に背負わされたものーーそれは心の飢えだ。精神の渇きと言い換えてもいい。

会社での終わらない仕事、無理難題を押しつける上司、使えない部下、近隣トラブル、人災事故、家族関係、そして犯罪。都市という密集した人間たちの坩堝では、精神は熱射に晒されるように渇き、磨耗し、崩れ、そして砂になって消えていく。心を維持できなくなったものは大抵が自ら死を選ぶ。都市での自殺率は郊外と比べるまでもない。

だからこそ、人は捌け口を求める。心に潤いを求める。

都市という大衆社会の砂漠が、労働の時間である昼に極熱の渇きを与えるならば、自由を謳歌できる夜にオアシスを求めるのは当然だ。生命の泉の在り方は人によっては様々であるがーー、しかし、精神の潤いというものはすべからく快楽であると言って差し支えはないだろう。

酒、風俗、そして麻薬。夜の都市は、欲望の街となる。

膨れ上がった人口で溢れかえる海洋都市ーー「ヴィルキンズ」もその例に漏れない。

とりわけ麻薬による犯罪の増加は著しいものがあった。

夜は売人とシャブ中たちの時間だ。

「待て!!」

褐色の肌を汗で濡らしたオーウェン刑事は夜の帳を突き破って叫んだ。

「クソ! こんなことならトレンチコートを脱いでくるべきだった!」

季節は秋の終盤も間近だが、照り返しの強いアスファルトに残った昼の暑さの残滓は、かれこれ三十分近く、しかもほぼ全力で走り続けているオーウェンには強烈と言う他なかった。だが、丈の長いトレンチコートは自分のポリシーでもある。足に着けたホルスターを隠さなければ、市民に威圧感を与えてしまうからだ。たとえ犯罪都市と呼ばれる場所であろうと、無辜の民衆に日頃からこの街の危険を匂わせることはしたくない。

せめて平時は誰もが安心して暮らせる街にしたい。

自分の大切な人ーー、サラがそう願ったように。

聖リーアナ病院で安らかに眠る妻の寝顔が脳裏を過ぎった。

自分の中途半端な優しさが心の底から嫌になる。もっと厳しく、もっと強くいられれば、サラを守れたかもしれないのに。

だから、逃がすわけにはいかないのだ。

「待つんだ! マッドJ!」

路地裏での鬼ごっこだ。打ち捨てられた段ボールを蹴り上げると、中からネズミが一斉に走り出す。

「うるせぇ! 警察に待てと言われて待つ売人がどこにいる!」

「お、お前、今自分で売人だって認めたな!? 絶対捕まえてやるから覚悟しておけ!!」

言質を取らせようが逃げ切る自信があるということか。完全に舐められている。クソッタレが!

追う背中はスーツ姿の男ーーマッドJはこの北区では噂に聞くヤクの売人であった。とはいえ、以前までは観光客にちょっとした”葉っぱ”を売りつける程度の小物であり、警察でも存在は知っているが、別に泳がせておいても問題はない……、というか泳がせておいた方がその上にいるであろう元締めや大物への足がかりになるであろうということで、事実上放任されていたという、まあ、なんとも言い難い立場の小悪党であった。

しかし、ここ数ヶ月というもの、質の悪いメタンフェタミンーーいわゆる覚醒剤が北区で出回っており、その原因がマッドJだというところまで警察の捜査は進展していた。

そしてついに、それまではマッドJを冷蔵庫の裏にいる小蠅程度の認識であった警察も、ゴキブリ並みの害虫であると認めざるを得なくなり、駆除に乗り出したというわけである。

「いい加減に諦めろ! それに俺はお前のためを思って言ってやっているんだぞ! このままだと取り返しのつかないことになるんだ!」

「知るかボケェ! そうやってお前ら警察はあたかも『逮捕された方がお前のためになる』みたいな、いかにも教会の神父みたいなことを言ってくるけどよお! 所詮、お前だって検挙数を稼いで出世したいだけだろうが、この偽善者が! ヴィルキンズの刑事はロクな奴がいねえのはムショ生活で学んでんだよ!」

息も絶え絶えだというのによく口が回るものだ。売人というものはセールストークが命だと言うが、もっと真っ当な使い道はなかったのかと思えてくる。オーウェンも肩で息をしながら、

「たしかに警察にもロクな奴がいないのは事実だが、お前も悪行のレベルで言えば相当なロクデナシだぞ! とにかく、今は俺の言うことを聞くんだ! お前の身に危険が迫ってるんだよ!」

「そんなこと言われたって、騙されねぇぞオレはよぉ!!」

マッドJはベタ打ちされたコンクリにぶちまけられた吐瀉物も気にせず、路地裏を駆け抜けていく。せっかく買ったばかりのラルフローレンのスラックスがゲロで汚れて、アイツを捕まえたら一発殴りたいという衝動でオーウェンの眉がピクピクと震えた。もういっそのこと足に一発、鉛玉をぶち込むぐらいは許されるだろうか。

距離は15ヤード程度。オーウェンの腕前ならば間違いなく一発で抜ける距離だ。だが、それはできない選択肢だった。

北区はそもそもオーウェンの管轄ではない。最近は区画整理を進めている未開発のーー、つまり貧困層が多く、治安が最悪の南区や、凶悪なマフィアたちが群雄割拠する東区への応援が主な仕事だ。しかし、現行犯では話は別なのと、他にも彼を追うまったく別の理由があった。

アイツが来る気配は背中に感じていた。

「そんなことでは朝になってしまうぞ、刑事」

熱した夜気に、一陣の寒風が過ぎる。

路地裏からネオン街に抜けるための、少し幅広の道路に抜けたところだった。マッドJはそのまま歓楽街の喧噪の中に逃げ込み、オーウェンを撒こうとしたのだろう。だが、その企みは突如現れた黒い影によって遮られることとなった。

「ぐえぁッ!!」

いや、蹴り飛ばされたという表現がやはり適切か。

悲鳴を上げて、マッドJは灰色の地面をごろごろとサッカーボールもかくやというように転がった。

「ふむ。やはり、この程度の低級クソ雑魚悪魔では他愛もないな」

痛がる売人を尻目に、黒い男は蹴り上げた足を優雅に地に落とす。

月明かりがその男の透明な義足を金色に濡らした。

ガラスの靴。と言えばメルヘンチックなおとぎ話をオーウェンは最初に思い浮かべるが、この男にはそんなものは微塵も感じない。

ガラスの義足(グラスフィート)。美しい装飾と意匠で形作られたそれは、まるで、この世の物でないような冷たく鈍い輝きを放っていた。そう、それは事実、”この世”のものではない。

「遅いぞ、ミド神父」

「遅いとはなんだ刑事。お前があれほど屋根の上を走るなと言うから、ちゃんと道路を走ってきてやっただけだ。感謝されこそすれ、批判される覚えはないな」

「お前の走る時速だと地上を走られた方が目立ちそうな気もするが……、まあ、いいか」

諦めの表情を浮かべる。

たしかに、かつて屋根づたいを走ってくるなと叱責したのは事実だった。

ミド神父と呼ばれた男は黒いタイトな僧服を纏った美丈夫であった。端正な顔立ちにどことなく神秘的な雰囲気を感じさせるのは、隻眼ゆえであろうか。失っている片目は美しくも奇妙な孔雀を模した眼帯で覆われている。

「こいつか。例の売人っていうのは」

「ああ。見ての通り、それほど大した犯罪者ではなかった。ーー最近まではな」

ウジ虫を見るような氷の目をしている神父に、オーウェンはハンカチで汗を拭いながら答えた。

「あいつの名前はマッドJ。以前まではハッパを転がす程度の売人に過ぎなかった。だが、つい先日のことだ。こいつが売ったとされるメスーーいわゆるスピードとかシャブと呼ばれるクスリなんだが、キメた客が問題行動を起こしすぎてるのが警察の目に付いた」

「シャブ中が問題を起こすのは普通だろう? 特にこの街では」

なにを当たり前のことを、と神父が付け加える。

「それが、度を超してる」

オーウェンはホルスターから銃を引き抜いた。その表情は硬い。

「コイツが売ったメタンフェタミンを買った人間は警察の調べでは12人いる。その12人のうち殺人のあった件数が12件だ。これ、言ってる意味が分かるか?」

「分からないが、一人一殺なのだとすれば現代の”逆”十二使徒とでも名付けたいところだな。次で数え役満だ。ユダ役は誰かな?」

「冗談を言っている場合じゃない。同じクスリを打った中毒者とはいえ、全員が全員殺人を犯すなんて、はっきり言って異常すぎる。これがもし、お前が言うところのーー」

「怪奇だとしたら?」

蹴り飛ばされた衝撃で舞った粉塵の向こう側で、獣のようなうなり声が上がる。まるで手負いの猛獣が放ったような咆哮に、オーウェンは言葉を継ぐのも忘れて、息を飲んだ。

対して、ミドは好戦的な笑みを浮かべた。彫像のような美貌に浮かぶそれは、見る者を虜にする蠱惑的で、ブラックホールのような引力を持つ、悪魔の微笑。

「ジャックポッドだ、刑事。やつは悪魔に取り憑かれている。これは俺が処理する案件だ」

闇の暗幕の下から、マッドJが姿を現す。

いや、それはマッドJと呼ばれる小悪党の姿ではなかった。

顔立ちだけは変わらないものの、目は充血しきっており黒目が見えない。髪は逆鱗に触れた動物のように逆立ち、筋骨隆々とした腕がスーツを破くほどに膨張している。もともとクスリの影響で痩身であった肉体が、ボディビルダーが裸足で逃げ出すのではないかと思えるほどの体格に変貌を遂げていた。

そして頭には、山羊を連想させる巨大な角が生えている。

「な、なんなんだ!? あいつはッ!」

「山羊頭。デーモンの一種だな」

「取り憑かれてるだけなのに、肉体も変化するのか?」

未知の事態に冷や汗を隠しきれないオーウェンとは対照的に、ミドは腕組みをしながら冷静に分析を始めた。

「まあ、見たところ下級の悪魔だ。デーモンは知性は人並みだから、それほど大したことができる奴ではない」

「……なるほど。じゃあ俺にも対処はできるってことか?」

遠雷に匹敵する叫声で夜気を震わせ、異形のデーモンと化したマッドJが迫る。

「お、れ、の、邪魔、を、ーーするな!!」

その走りはチーターかジャッカルか、そういった種類の野獣を想起させる。とてもではないが、人間の出せる速度ではない。踏み込んだ足がコンクリートを豪快に削り、塵芥が宙を舞う。

「本性を現したな」

不敵な表情で微動だにしないミド。

「なんて速さだ!」

銃把を握る手に力が入る。銃星の先には猛進する悪魔。

だが、直線的な動きであれば捉えられなくはない。

オーウェンは一点を狙うウィーバースタンスで構え、M29リボルバーのトリガーを迷いなく引いた。こういったとき、躊躇いなく銃を撃てる判断の早さと、殺意のある犯罪者に対してどこまでも現実的に対処できる能力こそオーウェンの底力であり、今までの彼の昇進に役立ってきた。

守りたいもののために、悪には容赦しない。

それがたとえ、怪奇と呼ばれる異形の存在であっても。

だが、しかしーー、

「なにッ!?」

並の人間ならば一発でも貰えば致命傷を避け得ない44マグナム弾は、放たれた3発すべてが胴体に命中したのに、いともあっさりと弾かれてしまったのだ。ありえない。

「下級の悪魔に銃は効くんじゃなかったのか!?」

オーウェンは隣で悠然と構えている神父に怒声をぶつける。

神父は無力な子羊を諫める口調で言う。

「知性”は”人間並みと言っただろう。肉体は怪物のそれだ」

「説明が絶妙に足りないんだよエセ神父! うわッ!」

猪突猛進してくる山羊頭の怪物。その鋭く伸びた右手の爪がオーウェンの持つリボルバーの銃身を紙のように容易く切り裂いた。

そして空いた左手が上から迫る。鋭利な刃物のように街灯の光を鈍く反射したその長い爪が、オーウェンに明瞭な死を予兆させた。狙いはオーウェンの頭部か、顔面か、それとも首の頸動脈か。

ーーやられる!

時間が止まる。

世界が凍る。

危機の最中、アドレナリンの過剰分泌のせいか、身体は反応できないのに、これまでの思い出だけが目の前を高速で過ぎ去っていく。

こんなとき、オーウェンの脳裏に最後に浮かぶのはいつもーー、

「……サラ、俺は」

 

「まあ、それでも……」

彼の怜悧な声が、オーウェンを現実に引き戻す。

ミド神父は凄絶に笑っていた。

振り上げたガラスの義足が月明かりに煌めく。

それは遙か遠い地底に眠る、永劫に消えることのない罪の氷塊。

「俺にとっては低級クソ雑魚悪魔だ」

かかと落とし。

デーモンの大角に突き刺さった義足が、隕石ような威力で堅牢な角を粉々に打ち砕いた。そのまま頭部に墜落した義足は勢いを殺さぬまま直下へと振り抜かれ、マッドJは顔面から地面に激突した。コンクリートにはマッドJの落ちた頭部を中心に円形に亀裂が走っている。

明らかに頭蓋骨が発したと思われるヤバい音を聞いたオーウェンは、さきまで自分が殺される寸前だったというのに、同情の眼差しをマッドJに向けた。

「……死んだのか? いや、死んだな、これは……」

死因は脳挫滅で疑う余地なし。

怪訝な表情で神父を見据えるオーウェンに、ミドは義足をマッドJの後頭部に突き立てたまま告げる。

「杞憂だな、刑事。デーモンに取り憑かれた人間はこの程度では死なない。せいぜい、半年入院といったところだ」

「重傷であることは変わりなしか。それでも……、生きているならまだ良かった」

半分焦り、半分安堵のため息がこぼれる。

「相変わらず甘いな。躊躇いなく銃を撃っていたさっきの気概はパフォーマンスかなにかか?」

呆れた声で皮肉を言う神父はしたり顔だ。

オーウェンは嘆息して、

「そうじゃない。こいつには聞きたいことが山ほどあるからな」

ピクリとも動かないマッドJを後ろ手にし、手錠をかけた。

巷を賑わせている麻薬中毒者による殺人事件。

その中心にマッドJの存在があった。そしてこの男が怪奇に関わっているという事実も今ここで詳らかになった。

「正直、ただの偶然の可能性も考えていた。たまたま中毒者たちがコイツからヤクを買っただけだろうと。しかし、コイツが怪奇に影響されていたとなると、一筋縄ではいかない事件になってくるな」

「つまり、マッドJがばらまいていたクスリは、ただのドラッグではないという可能性か。いいぞ、俄然やる気が出てきた」

先行きの見えない展開に不安を積もらせるオーウェンに対して、ミドは挑戦的な微笑で口角をつり上げた。

そして天を仰ぎ、手を組んで、

「ああ! 神よ! このわたくしめに新たなる試練をご用意いただき、感謝の思いを禁じ得ません! また私に悪魔を倒せという啓示ですね!」

祈りを捧げ始めた。この神父の奇行ーー、いや、神父だからこそ祈るのは当たり前なのだが、そのオーバーリアクションといい、神への狂信に近い物言いといい、そしてなにより、この男の存在そのものが天国から一番

遠いところにいること自体が、まさに奇行というふさわしい行動だとオーウェンは思わざるを得ないのであった。

「まあ、そうなることには間違いなさそうなんだが……、ん?」

足下から響く、荒い息使い。

「ーーおのれ、おのれ、おのれ、おのれーーッ!!」

それはコンクリートに埋まっているマッドJの口から発せられていた。

「こ、コイツ!」

「ほう。まだ意識があったとは。下級クソ雑魚悪魔もあながち捨てたものではないな」

「そんな悠長なことを言っている場合か! なんとかしろ!」

蒸気機関のような振動と熱量が伝導するのを感じる。

地面が揺れる。地鳴りのような怒りが伝播する。

まるでミドの足が栓になっているかのようだ。おそらく、一瞬でも気を緩めて足の力を抜けば、堰を切ったようにその抑圧されたエネルギーは爆発し、二人を襲うだろう。

そう予期できるほどに、煮えたぎる殺意が波動となって息づいていた。

「おのれ、七大罪め! なぜお前が人間に与する?」

蠢く溶岩のように低い怒声が漏れ出る。

オーウェンは効かないと理解しつつも、予備のグロックを構えた。

ミドは、少し考えるようなそぶりを見せて答えた。

「人間に味方しているわけではない。俺は神の意志に従っているだけだ。ーーだからさっさと改心しろ、デーモン」

「はッ! 笑わせるな同族。悪魔が悪魔狩りとは笑わせる!」

ピクリ、とほんの少し神父の眉が顰められるのを、オーウェンは見逃さなかった。

ミドは冷徹に言った。

「誰が悪魔だと? 俺は神に最も愛されし男だぞ? その俺が」

「知っているとも。我も地獄にいた悪魔のはしくれ。お前が元天使であるということもな」

白々しく話すミドの言葉を遮って、デーモンは続ける。

「お前ほどの力があれば悪魔の王になることさえできたであろう。まだ間に合うぞ。お前を見限った神に復讐し、共に人間を隷属し、傀儡し、魂を食らって悦に浸ろうではないか」

「み、見限った……?」

ミド神父の顔から血の気がサーッと引いていく。

そのまま膝から崩れ落ちた。

「お、おいミド神父! しっかりしろ!」

この男、神に見捨てられていると自覚すると、とたんに鬱状態になる。

その隙をついて山羊頭のデーモンはミドの足を払いのけ、猛烈な威圧感を放ちながら立ち上がった。

気のせいか、さきほどよりも巨漢になっている。上半身のスーツはすべて破け、筋肉からは蒸気が立ち上っている。

見上げるオーウェンは足が若干竦むのを、歯ぎしりで堪えた。

「そうだとも! 自身が悪魔であるにも関わらず、聞こえるはずもない神の意志に従い悪魔を倒すなど矛盾しているだろう! そこに気づかないのか! お前はその矛盾すら気づかないほどの慢心と自尊心、すなわち"傲慢"さゆえに神に見限られたのだ!」

「ご、傲慢……?」

わなわなと震える神父に、オーウェンは肩を竦めた。

やってしまったな、と。

次の言葉が出てこないミドに、デーモンは矢継ぎ早に嘯く。

「お前のような傲慢を極めし者が神の元へ戻ろうなどと笑止千万! 諦めて他の”七大罪”のように悪魔として自由に生きようではないか! なあ! 傲慢の大罪、”ルシファー”よ!」

「お、おまえ……」

若干、いつもの楽園追放鬱モードになっていたミドの表情に、冷たい怒りの感情が呼び戻される。

禁句。タブー。

ミド神父には言ってはいけない言葉がある。

ガラスの義足(グラスフィート)が冷気の波動を放つ。

「こっちが黙っていれば、三回も”傲慢”と言ったな!!」

その瞬間、世界に永遠の冬が訪れた。

デーモンの足下、両腕が一気に凍り付く。身動きがとれなくなった山羊頭の隆盛した筋組織は瞬く間に収縮し、巨大化した身体が小さくなる。

「な、なんだこれは! 寒い! 寒い!!」

動揺しきった声で叫ぶ。

オーウェンにはこの寒さは感じない。だが、デーモンの身体がバキバキと音を立てて氷結していく。あまりの気温差に皮膚が木炭の爆跳のように裂け、鮮血が溢れる間もなく凝固する。

「やめろ! やめてくれ! こ、凍る……!」

もはや口先しか動けなくなったデーモンにミドは告げる。

「神はたしかに俺を極寒の地獄に落とした! だが、すべての罪は悔い改めれば許される! 善行を積めば、いつかは、きっと……!」

ミドの義足は、永遠に春の訪れない地獄の氷塊で作られた。

かつて大天使長の地位に上り詰め、神の右腕、夜明けの明星とさえ歌われた、天使の中の天使。

それにもかかわらず、傲慢の罪を咎められ、天より失墜した男。

「お前ら悪魔を全員倒し、俺は天国に帰るんだ!!」

永久凍土地獄に墜ちて、彼は両足、翼、そして片目を失った。

だが、失われた両足の代わりに、彼は美しきガラスの輝きを持つ氷の義足を苦境の最中に創り上げた。

グラスフィートの凍てつく光輝は闇夜を照らし、そこに潜む者をすべからく氷結させる。

それはまさに、すべての悪魔が恐れ慄き、すべての悪鬼が誅を下され、すべての悪が捕らえられ、そして永久に逃げること適わぬ、贖罪なき永久凍土地獄ーーコキュートスの顕現。

「神は、俺を見捨ててなんかない!!」

デーモンの全身が氷結し、厚い氷塊となり、そして粉々に砕け散った。

山羊頭は消え去り、マッドJの姿に戻った男がうつぶせに倒れ込む。

今度こそ、オーウェンはマッドJに手錠をかけた。

「よし、俺はコイツを連れて警察署に戻る。ミド、お前は……」

先に教会に戻っていてくれ、と帰りを促そうと振り返ると、

「……神ぃ~~。許してくれますよねぇ~~……。私の罪は、善行で相殺されるのですよね~~……。聞いておられますか、神ぃ~~……」

地面に突っ伏して謎の祈りを捧げていた。

例のごとく恒例の鬱モードになっている。

「そんなに私の勤務態度が悪かったんですかぁ。どうかお許しください。悔い改める機会を下さい。お願いしますどうか……」

「……帰ろ」

ぐにゃぐにゃと地面をのたうち回って祈祷する神父を余所に、気絶したマッドJを背負ってオーウェンは警察署への道程を歩き始めた。

気づけば、マッドJを追走しているときは汗だくだったのに、夜が深まってきたのか寒くなってきた。

片手でコートの襟を正す。千切れたリボルバーは懐にしまった。

ネオンの光が猥雑に散逸する喧々囂々とした歓楽街に出ると、街の明かりでもう月は見えなくなった。人通りの中では、男一人を背に負っていようと、気に止める人間などいない。

「天国に帰る、か……」

人知を超える怪奇による犯罪で溢れかえった、地上の楽園。

悪魔が潜む都市、ヴィルキンズは今日も呆れるほどに華々しく、おぞましいほどに盛況だ。




久しぶりに執筆しました。
導入は原作オマージュです。
これから本筋を書いていく予定です。

グラスフィートが少しでも盛り上がってくれることを祈って!
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