意識を取り戻すとーーその捉え方が果たして正しいのかどうかすら、今の私には理解は出来ないがーー知らない空き地にいた。草木が膝まで伸び、手入れが行き届いていない。スカートで表に出たふくらはぎは、それに撫でられていた。しかし不思議とぞわぞわする感覚はなかった。辺りを見渡す。他に目新しい物は何もない。殺風景な空き地だった。ただ遠くに白い高層ビルが三つだけ並んでいた。あそこまで歩けば人に会えるのかもしれないけれど、そんな気持ちにはしばらくなりそうもない。じっとしていようか、でもーー深呼吸を繰り返す。興味はないが、辺りを散策しようと思った。
「どうしてかすみんが目の前にいるの?」
邪魔な草木を蹴飛ばして進もうとした時、不意に声を掛けられた。私はさっきまでの記憶が鮮明に記憶にこべり付いているため身構えてしまった。振り返るとそこに居たのは、摩訶不思議な人物だった。
「……かすみん?」
私は恐る恐る尋ねた。
「かすみんはかすみんだけど」
彼女はさも当たり前のように言った。そして、訝しげな眼差しを私に向けた。きっと私も同じような眼差しをしていたに違いない。
「確か、彼方先輩のお膝でうとうとしてて……」
「あなたは誰?」
「えっ、それはこっちの台詞だよ」
急に返された言葉にムッとした。同族嫌悪に似た太古の感情。見様見真似で合わせたレベルを遥かに超えている。
「どうして私と同じなの!?」
目の前に立っていたのは自分だった。まるっきり姿が同じの人間。ドッペルゲンガーのような恐怖心はまるでなく、気色悪さだけが心に沈澱していた。私と私に似たその子は同時に声をあげた。
「中須さん……中須さん!」
聴き慣れた声で目を覚ますと、蛹が成虫になる過程を体験したような生新しい感覚が残っていた。まだ全然開かない瞼が起床の邪魔をする。私は今、何歳なのかすら思い出せないくらい脳の活動が休止していた。
「授業は起きないとダメだよ」
言葉を話されていることは分かっていた。ただ意味を理解するのには、幾分時間が掛かった。
「あのね、修学旅行の行き先のプリント、まだ提出してないよ?」
数秒沈黙した。目の前にいた委員長は、先日終えた話をもう一度蒸し返してきたと分かった。頭痛が酷い。ガンガンと頭の中で鉄を叩いているみたいだ。また時間が掛かって私は答えた。
「委員長……たしか、私は行かないって言ったような気がするけど」
「そんな話は聞いてないよ?」
委員長はすぐ答える。
「先週聞かれた時に答えたでしょ」
私は遅れる。
「ううん。先週は聞いてないよ」
絶対に伝えたはずだった。でも委員長は聞いていないと言う。頭痛が鳴り止まないため、記憶を巡るのが億劫になる。そして噛み合わない会話に嫌気が差した。どうせ私は行かないんだ、さっさと終わらせてしまおう。
「まぁ、でも私は行かないからそういう事で通して下さい」
「ダメだよ! 一生に一度しかない学生、一緒に行けば楽しいはずだよ?」
責任感が強い委員長は声を張り上げた。普段の穏和な姿とは違う様子に、クラスの何人かが此方に視線をやった。どうして分かってくれないのか。私は行きたくないんだって前にも伝えたはずなのに。これは新しい八つ当たりなのか。
「あのさー 行きたくないって言ってるんだから別に良くない? こっちで話進めちゃおうよ」
退屈そうでめんどくさそうに、バスケ部の主将が発言した。他のクラスメイトは仲が悪い二人の空気を読み取り固唾を呑んだ。
「宮下さん、クラスっていうのは、誰一人かけちゃいけないと思うの」
「エマは分かってないんだよ。そういうのはもう古いって」
「古い新しいの話じゃないと思うな、大切なのは良いか悪かでしょ?」
「だから、本人は行きたい方向じゃないじゃん。それを強制させるのは悪いことじゃないの?」
あれ。疑問に思う事自体が夢のような気がした。一度見たような、体験したようなーー頭が痛い。突貫工事みたいだ。深呼吸をして、すぐさま思考を巡る。私はまた物事を複雑にしてしまっている。そしてすぐに自己嫌悪に向かう。割れそうな頭がそれを加速させる。この性格が悪いんだ。この脳みそが悪いんだと。自分が自分を知っていない。そうだ、そうだ。私は、私はーーそこで授業を開始するチャイムが響いた。私は動きもしなかった椅子の上で姿勢を正せなかった。考える人のように俯いて、頭を抱えている。頭が痛い。もう、前を向くことすら出来ないくらいに。複雑に広がっていた不安や自己嫌悪が小さくなっていく。同時に視界も狭く狭くなり、次の授業を受けたかどうか、ハッキリと思い出せなくなった。
『わたし! 魔法使いでアイドルでヒーローなの!』
モニターに流されていたのは、小さい頃の私だった。杖を持ちマイクを持ち、マントとベルトをつけて、ダンスに夢中になっている。母の笑い声も時々映り込んでいた。
「これって貴方のでしょ?」
「うん。4歳の頃の忘れてた記憶」
突然背後から声を掛けられても、私は何故だか狼狽えなかった。
「かすみんは知らないから、きっとそういうことなんだね」
「……あの頃はなんでもできる気がしてたの」
ここでもう一度出会う予感があって、彼女もそう思っている気もしていて、話しかけられるのは当然だと断言できた。
『おにぃちゃ、おねぇちゃ、敵ファン老婆やって〜」
モニターの映像は進んでいく。幼い頃のおにぃと歩夢お姉ちゃんが仲良く手を繋いで走り回っていた。小さな私はそれに駆け寄って、お願いをしている。
「あの男の人は?」
「私の兄貴」
「兄……かぁ」
彼女は私と同じ顔をしていたけど、表情の変化が大きく、感情を読み取るのが容易だった。
「あ、もしかして、歩夢先輩……?」
兄を知らないらしいが、どうやら歩夢お姉ちゃんの事は知っているようだった。でも認識の誤差は明らかにあった。
「歩夢お姉ちゃんは……昔から優しくて、勉強も出来て、女性らしくて、コツコツ努力してて、綺麗で……ずっとこの人みたいになりたいって思ってた。でも、なれなかった。私にはいろいろなものが足りなかった」
私がそこまで言うと、彼女は「私も」と消えそうな声で呟いた。それで良かった。彼女は私の目をじっと見た。私もそれに応えた。私達は互いを自分だと理解している。だからこそ、私達は互いに笑った。