「姉が欲しい」
栄転はない。現実逃避に精を出す休日に絶え間なく流れる雲を眺めていた。機能を奪われた人間は希望すら億劫に感じる。上空何千メートルでは飛行機に追い着きそうなスピードで雲が流れていた。此処とあそこでは体感の、又は理屈の速さが違うんだな。私はリズムゲームのバーを操るタイミングを、あの空に当てはめていた。ポンポンと人差し指と中指を重ねる。架空の、例えば架空の通過点を設定して、亀だとか猫だとかそれらしく見える雲の先端が合流した時、人差し指と中指をくっつけ、重なりが終わる頃に離した。ボーナスポイントとして素早い鳥を捉えることができれば10億ポイント。段ボールを仕分けていた動きが、ベルトコンベアーの間隔が、独特なリズムとなって染み込んでいる。無価値、無意味な技術だけを身に付けて、この競争社会をどう立ち回れば良いのか。私は上空の雲、飛行機、鳥、そして自分の高度を、社会の階級へと落とし込む。奴隷はシステムに上手く組み込まれ円滑に狡猾に車輪を回して行く。知らぬ間にそのパッケージはエモく装飾されるしかなかった。抵抗できない雲と風、私は胴震いした。流れはこんなにも気付けないものなのか。近くにあるものがこんなにも大きく見えてしまうのか。歩き疲れるはずもないーー仕事もせずにダラダラする生活が自分をここまで疲労させるとは思わなかったーー太腿には引っ掻いた後が無数にある。赤く充血するまで拳を握る癖が転移したのだった。砂利を蹴った。段ボールが空を泳いでいる。遂にベルトコンベアーに運ばれる自分の姿を、空に映すことが出来た。何メートル先の未来を見渡せないのだからこれで良いのだ。あぁ、ああぁ……あぁ。
ポロッと懐中時計が落ちた所から記憶が始まった。ハッとなって上体を屈める。土色と砂色の大地に散乱した硝子片は二度と戻らないジグソーパズルのようだった。透明な粒は不気味な光を放っている。せめて貰い物なのだから大切に使わなければ。遅い罪悪感が押し寄せる。私は何をしているのだろうというのは遅いことだろう。もう、半分は惰性で拾い上げたそれはパラパラと硝子片と砂を落とした。もう私自身を見なくて済む。この手鏡は何の意味もない。そう思ったのだが、私はここで初めて、これは懐中時計であると知ったのだった。ガラス鏡の裏に隠されていた文字盤がカチカチと音を鳴らしている。それは余りにも小さな音だった。笑えた。無情にも午後2時を差す長針。動き続ける短針。もしかしたらこれは値打ち物なのではないかと思ってしまった自分。私はもう少しだけ笑い続ける事にした。