彼女に連れられ辿り着いた場所は大きな複合施設だった。駅からの無料送迎バスで10分。バスがロータリーに着いた時、窓から見える大きな駐車場とドームのような外観に驚いた。車を持たない学生には不便な立地だが、その広さから内側の豪華さが窺える。このドームの中なら飲食やショッピング、アクティビティも済ませられるだろうから、アクセスの悪さというマイナス面も、きっと帳消しになる。バスを降り、重力に従ったままコンクリートの硬さを知った。僕達はバスが吐き出した人並みに、押される形で入り口へと向かう。彼女もせかせかと躓かない様に歩いていた。それは僕も同じで、歩幅が合わない苛立ちと彼女の様子に当てられて、指で左側を指差し、その波から抜け出した。
「混んでるね」
「はい……早く来ればいいという訳じゃないんですね。勉強になりました……」
「日曜日だから、しょうがないよ」
しばらく話をすると、人並みは途絶え凪がそこに訪れた。身の前に聳えるモールが、近くではさらに存在を主張している。横幅も長い。遠くには遊具があり、ここからでも子供たちの声が聞こえてくる。耳を意識すると、少しツンとした痛みがあった。もう、冬が目の前にある。貴重な冬の寒さが、二人の防寒具を掻い潜り、施設内へと催促する。
「先輩。今回は私がリードしますね」
暖かさが空気の塊となっている場所へ踏み込んだ時、彼女は楽しそうに言った。
「私と先輩は、言わば恋人の手前です。どちらも爛熟した想いを抱えながら、相手の心に踏み込めないもどかしさを感じています。でも、先輩の好きな方は別にいるんです。向きが違っている先輩を、あれやこれやで振り向かせるんです。簡単に言えば、私が片想い……という設定です」
「これはビデオ映像とは違う台本だね」
「はい。来年の新入生歓迎会で行う"雨に当たる"の練習です」
「そっか。もうそこまで」
「春休みには詰めるので、もう平行で練習を始めてるんです。演劇部、人数が少ないですから」
「大変だね」
「もう慣れっこですよ」
「じゃあ……どうしよっかな」
「先輩は普段通りに居てくれれば、それっぽくなりますよ」
「あぁ、そうなの?」
「はい。だって先輩には別の思い人がいるという話ですから」
「確かにそうだね」
「それに、お世辞にも嘘は得意じゃないですよね」
「あ、失礼だぞ」
「先輩は役者向きではありません」
「おいおい」
「ふふふ。失言でしたね」
インフォメーションを過ぎ、この施設の中核へと歩いた。その道中も大型の店舗が数々並び、僕の脚を何度か止めそうになった。人をダメにするビーズ入りのクッション屋に、さまざまなハーブの匂いが漂うお店、フライパンの専門店など、最後に関してはいったいどれほどのフライパンなのか、興味は尽きない。
「今日はこことここに行き、昼食、そしてここやここでどうでしょうか」
タッチパネルの案内板を触りながら、彼女は僕の様子を伺った。
「いいと思うよ」
「じゃあ、早く行きましょう!」
「あ、でもペット屋さんと電気屋さんは、もう買うものが決まってるんでしょ?」
「はい、そうですけど」
「だったら、最後の方にしよう。荷物になって歩くのは疲れるでしょ」
「先輩が男性らしく持ってくれるんじゃないんですか?」
「嫌だよ」
彼女は「ぶー」と頬を膨らませて反抗したが、先程の台本には自分らしくいて良いとのことだったので、しっかりと拒否をした。
「むー……わかりました。それでは雑貨屋さんに」
エスカレーターで一つ上がりレディースの洋服店をいくつか過ぎた。洋服店ごとに雰囲気も系統も違うそれは、僕の興味を惹き彼女も少なからずそうだったらしくチラチラと視線を送っていた。
「見たかったら見てもいいんだよ」
「えっ、だっ大丈夫ですよ」
彼女は簡単に平静を保とうとしたが失敗した。不器用な感じだった。
「私のプランがあるので……」
彼女に似合いそうな洋服店を通り過ぎ雑貨屋へと向かった。その雑貨屋の内装は白を基調にウッドを散りばめていた。雰囲気はまるで地方の住宅街に紛れた一戸建て。そこでかくれんぼをしたカフェのようだった。
「とても綺麗ですよね」
るんるんと擬音が鳴りそうな軽快な歩みで、店内へと入っていく。今日はリボンをつけていないせいか、髪がよく揺れた。それは頻繁に彼女がダンスを踊っているかのように錯覚させ、僕の視線を盗んでいった。
「加湿器も置いてるんだね」
「手帳やマグカップもありますよ」
高価ではないが、ヨーロッパ調のアンティークが多数あり、西洋に憧れる女性が喜ぶ的を得ていると感じた。
「鎌倉もこのお店のような西洋の建築が多いイメージがあるよ」
「そうですね。古我邸や鎌倉文学館とかでしょうか」
「そうそう、行ったことはないんだけどね。あ、これ面白いね」
「なら、今度行ってみたりしますか?」
「いいね。鎌倉に住んでいる人に鎌倉を紹介してもらうのはすごくいい」
「大丈夫かなぁ……ハードルが上がってる気がします」
「そんなことないよ」
「現地の人が現地のこと詳しいなんて、そうそうないですよ」
「そうなの?」
「そうですよ。東京の人が東京タワーに行ったことがなかったり、そういうものです」
「確かに、一理ある」
用途が全く分からない茶色の土器を眺めて二人で笑い、薄紅色の小皿を手に取った彼女は難しい顔をして考えていた。結局、それは買わずに別の棚へと向かった。
「これ、女性の方なら喜ぶのではないでしょうか。ほら、先輩の彼女さんも、お似合いだと思いますし、プレゼントにどうでしょう」
イヤリングとピアス、そしてリングが置かれたエリアで彼女は一つのイヤリングを指さして言った。
「う〜ん。確かにそうかも。こういうプレゼントって思いつかないから助かるよ」
彼女は一つ微笑む。
「でも、誕生日やクリスマスでもないからプレゼントって、あれじゃないの?」
「何気ない日の、何気ない贈り物って、素敵だと思いますよ。少なくとも私は嬉しいです。もしもいただけるのなら」
「そっか、なるほどね」
僕は悩み彼女の助言をまたいくつか受けた後、一つのイヤリングを手に取ってレジへと向かった。簡単な包みでプレゼント用にデコレーションされたそれは、包みの中で嬉しそうにシャカシャカ音を立てていた。僕はそれを背負っていたカバンにしまう。
「先輩、頬が緩んでますよ」
彼女に軽くジャブでからかわれた後、CDショップへと足を進めた。途中に、先程諦めた洋服屋さんがあり、躊躇する彼女を無理矢理店内へと引っ張った。しぶしぶ、不満を露わにしていたが、一点、二点と衣類を見ていくうちに表情が晴れていった。終いには「右と左どっちが似合うと思いますか」と女性視点の質問を繰り出し、僕を困らせた。
「いつ頃でしたっけ、先輩とは」
春に着るであろうワンピースが、袋の中で畳まれている。このCDショップに着くまでに、彼女は何度か、チラチラと袋の隙間へと目をやった。
「中学二年かなぁ。もう五年は経つのか」
「ふふ。そうですね。長いようであっという間でした」
一枚のアルバムを手に取り、彼女はそれを眺めた。アメリカ映画のサウンドトラックだということは話の中で理解は出来たが、それ以外はちんぷんかんぷんだった。
「そうかな。俺は長い長い高校生活だったよ」
「先輩らしいです」
「そう?」
「はい。先輩はずっと先輩のままですね」
「あはは。仲良くいれたら、ずっとそうかもしれないね」
「……」
CDショップでは何も買わず、少し早いランチを取ることになった。どうやらこれも計画通りらしく、彼女は上機嫌に僕を連れて行く。食欲をゆするお肉の匂いが、魚の香りが、簡単にお腹を鳴らした。レストランは主に三階、つまり最上階に揃えられていた。その中央付近のエレベーター前にあるパスタ屋が、彼女のプラン中間地点であった。が、そのお店は臨時休業と看板を掲げ、僕たちの前に立ち塞がった。表情は見えない。彼女の背中がプルプルと震えているのが、よく分かった。まずい。これは直感ではなく経験による予測だ。
「うぅうぅー どうして、どうしてなんですか!」
彼女は軽く片足で地団駄を踏んだ。まるでダンスでリズムをとるように両手も付けて。
「ここだけは絶対に行きたかったのに、皆んなで精一杯考えた場所なのに、先輩に美味しいって言って欲しかったのに!」
「まぁ、落ち着こうよ、向こうにもイタリアンの料理はあったみたいだから」
「……うぅ」
しばらくして落ち着いた彼女は、背中で語っていた。まだ納得はしていないと。
「決めました。私、ここが開くまで待ちます」
「えっ?」
この臨時休業がいつまで続くのか。その期限が看板に記載されていない以上、この我慢比べに勝敗なんてありはしない。彼女は頭に血が昇ってしまって、状況の識別と判断の基準が鈍っている。看板を見つめて、ガラスケースに押し込まれた商品サンプルを眺める。そしてまた看板を眺め、睨みつけた。
「おれさ、お腹すいたよ」
「先輩はこのままでもいいんですか」
「良いも何もさぁ」
むくれたままぷんぷんしている彼女の腕を掴み、引きずって他店へと向かいたかった。嫌気に似た感情が差し掛かっていたが、入口のドアがガラスになっていて、怒る彼女が上手い具合に反射していた。それを見ていると、おかしく感じてしまうのだった。
「やっぱり、昔から頑固なところは変わらないね」
「なんですか、先輩もかすみさんと同じようなことを言うんですかっ」
「かすみさんって誰だか存じ上げないんだけど、きっとその子も手を焼いているんだろうなぁって」
「どういうことですか、詳しく教えてください。私のどういうところが大変で、そういうところがいっぱいあるってことですか!?」
「落ち着けって落ち着きなさい。はい……ね。まず、まずだよ。めちゃくちゃ頑固。はい。あと、人にちょっかい出すのが好きでしょ。それから」
「えっ?」
「天真爛漫なところがあって、こことかさ、ちょっと運がなくて、それで絶対に手に入れようとする悪魔も驚くくらい強欲」
目をぱちくりさせて彼女は固まった。ほんの数秒。いったい頭の中で何がどうしたのか僕には分からなかった。いきなり軽く笑い出したかと思うと、さっと僕の手を引いた。行き先はイタリアンのお店だった。もうその背中は色彩で言えばピンクのように弾んでいて、つまり彼女は上機嫌な状態に戻っていた。昼時にしてはそのイタリアンのお店は列を作らず、静かな佇まいのまま僕たちを待ち構えていた。その堂々たる姿は、常連さんだけを受け入れているように思わせたが、彼女はお構いなしに人数を告げた。スタッフに通された席に座ると、一言「キノコのパスタが食べたかったんです」と、またもや無愛想な風貌になった。彼女というのは、変面のようにコロコロ変わる定まらない感情の持ち主であると同時に、その特性故に女優の素質も持ち合わせていると感じた。そして僕は「キノコを頼みなよ」と言い終わった後、少しだけブルーな気持ちになってしまった。