「ヒーローショーがあってさ。桜坂、熱が入っちゃったんだよ」
シーンの休憩中、僕はこないだ起きた出来事を、演劇部の部長に語っていた。部長は僕の拙いトークを子どもにする傾聴のように、熱心に聴いてくれた。部長とは二年生からの知り合いで、彼女が演劇部に加入した事がきっかけだった。
「スイッチが切り替わったんじゃない?」
「そう、まさにそれだよ」
先日のデートに類似したそれで、入口から一番奥のファミリーモールでは、今話題の戦隊ヒーローが公演を行っていた。あれはお昼過ぎの午後。次の目的地へ向かっている時に中央広場のざわめきを聞いたのだった。ふと眺めると、広場を囲むように家族連れが何層にも列を成し、子ども達の声援が可愛らしく飛び交っていた。
「しばらくは観てたんだよね。面白そうだってさ」
公演が終盤に差し掛かってくると、怪人が暴れ出し客席にも踏み込み始めた。そして人質を一人連れ去るという流れに入った。
「ここで桜坂が選ばれたんだよ」
「へー 珍しいね」
「仮説なんだけど、ファスナーを開けたらさ、中身は男性でしょ。たぶん、可愛い女の子に触れたかったんじゃないかな」
「子どもは怯えて泣いちゃうかもしれないし、妥当な判断をしたんじゃない?」
怪人が彼女の手を掴み、ステージに引っ張った。僕は唖然としてなすがままを眺めていた。ステージに立った彼女に、もう一度怪人達が煽りを加えた時、彼女は綺麗な悲鳴を上げた。「きあああやゃぁぁあああぁ!!」と。
「あ、スイッチが入ったと思ったよ。カチッとさ」
部長はお腹を抱えて笑い出した。その状況を簡単に頭の中で描けたのだろう。手で僕の話を静止しようと顔の前に出した。その場に居た登場人物としては含羞に打ちのめされそうになり、酷い朦朧にさいなまれそうになった辛い出来事だったが、確かに、当事者ではなく第三者から僕も聞いていたら、床をバンバン叩いて笑い転げていたかもしれない。
「怪人もタジタジになってたよ」
しばらく部長のツボに追い討ちをかけ、本当のストップがかかるまでそれを続けた。終わった時には部長は涙を拭く仕草をしていた。
「はー 四半世紀くらい笑った」
「大袈裟だって」
「いやいや。大袈裟じゃないよ。きっと、何十年とか経って演劇部の仲間や同級生と会う。その時、何度も掘り返したこの話がツボに入っちゃうんだよ。それくらい、この学校での思い出は記念になるんだと思うんだよね。これは先で、掘り返しても笑える笑い話」
さらりと言った部長の考え深いその思考は、的を得ていて、僕はそっと目を閉じた。こういう時の風はいつも冷たい。ざぁざぁと音を立てる大きな杉の木に、撮影を続けている台本を思い起こされた。彼女たちの"卒業生を送る会"で発表する映像作品は、あらかた撮影を終えていた。編集などの細かい作業を省けば、このワンシーンで撮影のブロックは終了になる。大きな杉の下で後輩が先輩に想いを告げるシーン。二人の出会いから紆余曲折があり最後は迷信、いや夢の中で告白をするドラマチックな展開だ。作品の肝となる部分だけあって、スタッフの緊張感が伝わってくる。あの三船さんも額に汗を浮かべ、真剣な眼差しを崩さなかった。カメラマンと照明を持つ人と共に、杉をどう映そうか迷っているようだった。彼女はそれを横目に、台本の確認を行っていた。僕は確実に緊張していた。
「ひとみとはうまくやってるの?」
「あ、うーん。普通だとは思うんだよね。良くも悪くもって感じで。大変なのは卒業してからだと思うんだよ。大学が違うから」
部長はそんな僕の心情などお構いなしに、ずけずけと質問した。もしかしたら緊張を解こうとした優しさかもしれない。
「あんた達って、お似合いじゃないと思うんだけどなぁ」
「本人の前での発言だぞ」
実際、いま僕が付き合っている女性は、部長の友人であり、部長が僕の元へ連れて来た為、その発言には疑問が残る。だが、僕の元に連れて来ただけで、その後は何一つ関与していない。僕達は順当にデートを重ね、付き合う為の契約を結び、もう一年以上は経った。ドラマのような劇的な展開は起こらないが、適度な幸せを与えてくれる安らかな時間だった。出会いはありきたりで、誰かが羨むものじゃない。が、容姿端麗でこの高校生活だけで指の数に収まらないほど告白される女性。文武両道で県大会準優勝の成績を収める女性。そう、僕にはもったいないくらいの素晴らしい女性だ。本当に僕にはもったいないくらいの。
「先輩。先程まで、部長と何をお話ししてたんですか?」
「何でもないことだよ」
「むぅ、何ですかそれ。余計に気になりますよ」
「台本に集中してたんじゃないの?」
「してましたけど、部長の笑い声に掻き乱されたんです」
「部長ー! 桜坂が文句を言ってますー!」
「卑怯です! その口を閉じてー!」
彼女は手を伸ばし、僕の口の前へその手で通せんぼした。あまり背の高くない彼女は、僕に身体を預けないように、ぎりぎりぶつからない距離感で腕を伸ばしていた。踵は器用に浮いていた。
「私がなんだって?」
「部長の笑い声が邪魔なんだと」
「そんなこと言っていませんよ! 盛ってる! インチキです!」
「あはは。桜坂は彼といると、いつも幼く見えるね」
「ぶっ、部長もバカにしてるんですかー」
必要のないような雑談を幾度も繰り返す日々は、若い時ほど顕著に現れる。大人になればなるほど、社会人に染まれば染まるほど、人は意味を求めそれだけを追求するようになる。僕は何処かで読んだ一節を、ふと思い出した。
「先輩! それは言わない約束じゃないですか!」
「えっ?」
「聞きましたよ、部長から。ヒーローショーのお話してしまったんですね!」
「あー こんなに面白い話を言わないわけにはいかないから」
「もう!」
部長と僕は、彼女が全身を使って反論する姿を見て、また互いに顔を見合わせて笑った。誰かに伝えても、きっと「何が面白いの?」と言われてしまいそうで、僕もいつか大人になり冷めてしまったまま思い出せば、何があんなに面白かったんだろうという瞬間を、今、確かに感じていた。
「しず子〜 見に来ちゃいましたよ〜」
とても身軽に軽い口調で、笑いが絶えない輪に加わったのは、彼女の友人であった。
「なに、しず子は暴れてるの?」
「かすみさん! かすみさんは私の味方だよね! そうだよね!」
「ふぇ? えぇふぁ! しっしず子〜 離して〜」
友人の肩を掴み、ロデオのように首を振らせる彼女の力強さは、どれだけ狼狽えているかを示す指標となった。
「わ、わかんないけどー 全然、わかんないけどー かすみんはしずっしず子の、みかたたたただよー」
カクンカクンと揺れる友人はその場に溶け込もうと、とりあえず彼女に同意した。
「はぁはぁ……」
「しずく。それはやりすぎだよ」
部長に諭された彼女は、少し落ち着いた。
「……ごめんなさい。かすみさん」
この場に来て間もない彼女の友人は、100メートル走を終えた選手のように肩で息をしていた。
「あの……盛り上がっているところ、申し訳ないのですが……撮影を」
気がついたらその場に居た三船さんの存在に僕は驚いた。それは僕だけではなく、皆も同じようだった。
「ごめん。私もつい盛り上がってしまって、すぐに始めようか」
「もー かすみんは訳がわからない状況ですぅ」
「ごめんね、かすみさん。お話聞いてあげるから」
「そうじゃなくて! 私はしず子のお芝居を応援しに来たのー!」
部長を先頭に彼女達は、大きな杉の木の下へと向かっていった。あそこにはカメラマンや他のスタッフの方が、静かに待っているようだった。
「貴方も早く向かってください。また風が強く吹いてしまいます」
三船さんに催促され僕もそこへと歩き出した。
『もう……一年が経つんだ。桜並木が誰にも捕まらず、ただ涼しげに佇んでいたのも、遠いあの頃のよう』
スイッチの切り替わった彼女は、何か壁の向こう側、別の世界にいるように思わせた。たった数メートルの距離にいったいどれ程の隔たりがあるのか。彼女の友人も先程までの柔らかい表情はなく、唾を呑むような硬い表情を崩さなかった。佇むまま、演者としての彼女を一瞬も見逃さないようにしているようにも見える。それは衣装係やメイク担当も変わらないようだった。僕は色々考えながら、視線をあたりに漂わせていた。
『……私は今日、想いを伝える。このピンク色の純情を、あの人に」
ふわりと髪が横へ流れた。どうやら風も彼女の味方をしているように見える。ひとつ。ここで場面が変わって、とうとう僕の出番となった。いくつかシーンを重ねてきてはいるが、実際に彼女と一つの画角に収まるのは初めてだった。一人で廊下を歩くシーンや部活動に励む姿、受験に取り組む姿勢など、殆どが淡々とこなせるものだった。きっと初心者な僕にも難しくないように台本などをしっかりと練ってくれたのだろう。いつ撮り終わったか分からないような自然体を撮影してくれたこともあった。
僕にとってのtake 1。
『今日は風が冷たいね、待たせたかな』
卒業式の前日。暮れる放課後。こんな日でも校舎に残る生徒。物足りない寂しさを抱えたまま、お互いの時間を埋める友人。学校の雰囲気は摩訶不思議に包まれていた。僕も彼女も、そして他の生徒もこの気持ちの正体を知らない。
『いいえ。待っている時間も名残惜しくて』
『……そっか』
友人達と馬鹿騒ぎもから騒ぎも、いや、そこまではしない別れを終えた僕は、昨日メールで受け取った待ち合わせ場所に向かった。校舎から校庭に出て、大きな杉の木の下にいる彼女を見た時、正体のわからない気持ちがざわざわと音を立てた。
『別に永遠の別れって訳じゃないんだけどさ。家も近いし、親も仲良いし、でもなんだろうね。寂しいような気がしてさ』
これは僕自身も本当に感じていることだった。友人とも先生とも連絡さえ取ればいつだって会える時代に、僕は古い考え方に取り憑かれてしまったのかもしれない。
『先輩もですか。私もそんなことを考えていました』
想定された芝居の中で、僕の目の前には彼女しか存在しなかったが、時折、自身が付き合っている恋人の姿が瞬きを繰り返す瞳に映ったり消えたりした。夢を見ながら幻に惑わされる滑稽なかかしは、側にいる女を見つめるしかなかった。たが、瞼が開いている時と閉じている時で、ほぼ二人の異性を眺めている僕に、芝居と現実の境目を掴めるはずはなかった。僕はもう一度、彼女の瞳を見つめた。女の中心のそのまた中心は薄花色に光っていた。
『先輩。この木の下でのお話を、知っていますか?』
呼吸が合った時、彼女は言った。知っている。そう、この木の下に呼び出し、この木の下ですること、この木の下の話の内容から、鈍感な僕でも予測出来る答えは一つしかない。
『知ってるよ』
夕焼けが杉の木の後ろに赤くあり、空は絶妙に青を保っていた。彼女の瞳よりも少し濃い。遠くでカラスが一度だけ鳴いた。
『なら……あまり遠回りもいけませんね。ここに、この時期に呼んだことが、何よりも答えになっていますもんね。でも……やっぱりちゃんとお伝えしたくて。この気持ちを……この想いを……』
少し潤んだような印象を与えた。鼻をすする音もなく、ただ両手を胸の前で握った。ぎゅっと握っている。今すぐにでも僕に飛び込んできそうなこの風格は、彼女が最後の演技をお願いしたあの日の似ている。
『先輩。私、わたしはあなたのことが好きです。ずっと大好きです』
これは綺麗な台詞だった。本当に、本当にいとも簡単に僕の体内で溶けたそれは、純白な涙となって表に逃げてしまいそうなくらい、とても綺麗な台詞だった。僕は狼狽えて少しテンポが遅れる。だが急に生まれたその間は、悪いものではなかった。彼女はゆっくりと待ち、僕もそれを信じて呟く。
『なぁ。この木の下での夢って知ってる?』
彼女も呟く。
『知ってますよ、少し恥ずかしいですけど』
彼女の背後に聳える大きな杉の木が、シャカシャカとうねりをあげた。僕の背後にはカメラを構える人やキャスト、その他諸々がこの光景を眺めているに違いない。まるで、その場のキャストやスタッフの努力が背中を押すように、僕の足は彼女に近づいた。夢を信じている名前も顔も知らない生徒達の想いも、僕の背中を押したような気がした。
「……いきますよ」
彼女は僕にしか聴こえない声で確認した。つま先をあげ、そこに体重を乗せる。この距離にこの台本の二人は恋をしていた。健気な、真剣な彼女の顔が近づいてくる。もう少しで、二人はキスをしているアングルになり、カメラに最後が収められる。口や鼻やまつ毛、そして瞳。この距離で女性を見ることに僕はまだ慣れていない。ふと、彼女は目を瞑った。耐えきれなくなって、僕も目を瞑った。その瞑った瞬間。唇にグミで突かれたような感覚が走った。僕は思わず硬直する。それは確かな感触だった。彼女の気配を感じて、僕は目を開けた。目が合う。彼女は僕を見つめていた。まだ、絶妙な間合いを保っている。彼女はまたそれを行える距離にいた。僕が身構えていると、彼女は一時僕の視線を奪っていたグミを開いて言った。これもきっと僕だけにしか聴こえてはいない。
「ここから先は台本にありませんよ」
無自覚に迫る、そして秋波を送られた僕は、大きな杉の下で追われるような感覚になった。過去や未来、そのどれもが現在に集約され、彼女の瞳に吸い込まれる。薄花色の瞳に何が蓄えられ何が芽生え何が育まれたのか、僕には見当もつかない。昔に出会った、今まで共にいた彼女は、もう既に大人になっていた。その理由は分からない。分からなかった。僕は彼女の思惑も想いも純情も、何も知らない。僕はきっと彼女のほとんどを知らないまま、この撮影を終えて卒業していくのだろう。そして、何も知らないまま大学生になり、休みの日に遊びに行ったりするのだろう。だが、その観測も不確かで分からないに落ち着いてしまう。分からないことは分からないままなのだが、ただ、ただ一つ確かなことは、通過していく風に乗らず、僕の体内に居座り続けるそれは、ギラギラと音を立てて、弾み出していた。
虹が咲のアニメを拝見し、思わず筆を走らせてしまいました。
今回は桜坂しずくさんでしたが、次回(いつになるかわかりませんが)は別の同好会メンバーで描いてみたいと思います。
虹が咲のアニメ、とても面白かったです。
さて、私はもう一つ書き進めているサンシャインに戻りたいと思います。
最後まで読んでくれた方々、ありがとうございました。