歴史の闇に埋もれた物語   作:書いてみたかった

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曹操、曹孟徳、華琳といふ英雄

 洛陽の街の一角。

 大きな屋敷の一室で天を見上げ、睨むように目を細める少女がいた。陽光を受けて錦糸のように輝く金髪は両サイドでカールされており、髑髏をモチーフにした髪留めが苛立たしそうに僅かに震えている。

 

「……不甲斐ない」

 

 その端正な顔をくしゃりと顰め、少女は憤る。

 それは視線の先に居るであろう()へと向けられた言葉か、あるいは現状に甘んじる()()()()へと向けられた怒りだろうか。

 

 

 曹操という人間の半生は、屈辱に塗れたものだった。

 

 

 宦官の最高位たる大長秋を務める曹騰(そうとう)を祖父にもつという恵まれた家柄に生まれ、幼少期より何不自由のない生活を送ってきた。

 文武に秀で、何をさせても一流と評されるほどの才気にあふれ、本人も貪欲にその才能を磨き、知識を深め、見識を広めていった。

 

 自信があった。己なら不可能はないと、確信がった。

 それは傲りでも自惚れでも慢心でもなくて、純然たる事実として、曹操は自らの才能に全幅の信頼を寄せていた。

 

 自分のこの才能はきっと、崩壊しかけた漢帝国を救うために天が授けたものだと信じて疑わなかった。

 

 若くして孝廉に推挙された。

 洛陽北部尉に抜擢された。

 相手が誰であろうと容赦はしなかった。

 

 五色棒を手に、禁令を犯す者がいればこれを断罪し、躊躇なく刑を執行する姿は洛陽の治安回復という目に見える形となってすぐに現れた。

 

 役人たちはそんな曹操を恐れた。

 曹操は自分を冷酷だと非難する声には耳を貸さなかった。

 自分は間違っていないと、天はきちんと我が行いを見ていると、そう信じていた。

 

 暫くして、そんな曹操を嘲笑うように兗州は東郡の頓丘県令へと任命された。

 任命を伝えられ、茫然とする曹操の後ろで宦官たちが愉悦の嗤みを浮かべていた。

 栄転というカタチをとってはいたが、それは誰がどう見ても左遷であった。

 

 失意のままに頓丘へと赴任した曹操に更なる追い打ちがかけられた。

 

 宦官の讒言を受けた霊帝が宋皇后を廃したことで、宋一族と遠い縁戚関係にあった曹操も連座となって県令を罷免された。

 その後、古学に精通しているからと再び朝廷へ召し出され、議郎として任命された曹操だったが一度目の上奏はあっさりと無視された。

 二度目の上奏こそ受け入れられたものの、朝廷の腐敗は改善されず、そのすべては徒労に終わった。

 

 曹操といふ俊傑の中で、ナニかが音を立てて罅割れた。

 曹孟徳といふ英傑の中で、ナニかが色を変えて渦巻いた。

 華琳といふ稀代の英雄の中で、ナニかが声を荒げて咆哮した。

 

「それが天の意だと言うのなら、もはや是非もない。我が天命は、私自身の手によって掴み取るまで」

 

 そうして少女は見切りをつけた。

 朝廷を、帝を、漢という国を、彼女は──そのすべてを見限った。

 

 そんな曹操の内心の変容など露知らず、朝廷はまたしても彼女を呼び出す。近頃頻出するようになった賊の討伐を命じたのだ。

 

「謹んで拝命します」 

 

 膝を折り、静かに頭を下げた曹操は騎都尉を拝命する。

 その双眸は、燃えていた。蒼天の瞳に大いなる野心と大望を宿し、少女はまるで宣誓するように天へと言い放った。

 

 

「すべては、この曹孟徳にお任せあれ!」

 

 

 見る者を圧倒するような覇気を纏い、凛とした眼差しで宣言する覇王────華琳。

 

 

 

 彼女が本当の意味で覇道を歩み始めた瞬間だった。

 

 

 

  *  *  *

 

 

 

 私室の戸が開かれ、窓辺で忌々しそうに空を睨みつけていた少女へと声が掛けられた。

 

「……華琳様。よろしいでしょうか?」

「あら、秋蘭」

 

 静かに頭を下げるアクアマリンのような髪色の麗人。

 彼女の片腕であり、同時に愛人でもある夏侯淵が少し困ったような表情で佇んでいた。

 

「どうかした?」

「いえ、少し……苛立っているように思えましたので」

 

 そう言われ、「あぁ」と得心いったように頷く曹操。

 この夏侯淵はクールそうな外見とは裏腹に、常に最愛である主と姉を気遣い、どんな些細な変化も見逃さない。実によくできた部下である。

 

「……少し、ね。ここ最近のことを振り返っていたのよ」

「……そう、でしたか」

「ねぇ、秋蘭」

 

 少しだけ逡巡した曹操は、からかうように、試すように、僅かに口の端を持ち上げて口を開く。

 

「もう、この漢という国に未来(さき)は無いわ」

「っ……!」

「私が騎都尉に任じられたのがその証拠。この国はね、もはや自力で野盗の討伐すら満足にできる力が残っていないのよ」

 

 そう言って曹操は嘲笑するように薄く嗤うと、ゆっくりと夏侯淵に歩み寄る。

 そして、冷たいアイスブルーの瞳で夏侯淵を見据え、彼女の前で腕を組むと曹操は感情の無い声で問い掛けた。

 

「……秋蘭。もし私がこの国を滅ぼすと言ったら、貴女はどうする?」

「我が身命、その全ては既に華琳様へと捧げております。華琳様が天を討てと仰せなら、この夏侯妙才、我が弓と矢に誓い、必ずや射抜いてみせましょう」

 

 それはノータイムでの宣誓であった。

 儒教の教えが浸透しているこの時代。仕える主が朝廷を裏切り謀反を企てていると打ち明けたのに、そこに一切の動揺も狼狽も躊躇もなく夏侯淵は即座に曹操へ恭順の意を示してみせた。

 

「……まさか即答するとはね」

「おや? 華琳様は私の忠節をお疑いで?」

「そんなつもりはなかったのだけど……。でも、そう。そうね。強いて言えば驚いた秋蘭の顔を愛でたかったと言っておきましょうか」

「ふふっ。それは残念。それならば驚いておけば良かったですな」

 

 クスクスと澄ましたように笑う夏侯淵に、曹操も毒気が抜けたように苦笑する。

 

「……ふぅ。それで? 私に何か用があったのでしょう?」

「あぁ、そうでした。実は、此度の募兵の件で華琳様に御裁可を仰ぎたく参上しました」

 

 夏侯淵は場を仕切り直すように畏まると、恭しく曹操へと頭を下げる。

 

「その件は春蘭と秋蘭に一任していたはずだけど……。厄介な者でもやって来たかしら?」

「はっ。その…少々判断に困りまして」

「いいわ。そういうことであれば、私自らが対応しましょう」

 

 思案顔で訊ねた曹操に、夏侯淵は申し訳なさそうに応えた。

 大抵のことなら器用にそつなくこなす夏侯淵。そんな彼女が困ったように言葉を詰まらせると言うことは、よっぽどの厄介事なのだろう。そう判断して曹操は鷹揚に首肯する。

 

 このたび朝廷より騎都尉を拝命した曹操。しかし、彼女には両腕となる頼もしい武将はいても、その指示に従い戦場に立って戦う精兵がいなかった。

 なので一応官軍より兵が貸与されたのだが、そのほとんどが新兵同然であり、指揮官クラスの兵ですら曹操が要求する最低ラインを満たしていないという有様。ついでに言えば装備も何故か異様にボロい。ろくに手入れもされていなかったであろう剣は錆と刃こぼれだらけで戦う前からボロボロ。防具に至っては鎧も兜も無く、辛うじて極限まで使い古されたペラッペラの胸当てが支給されているのみと、いっそ野盗共の方が上等なものを装備してるんじゃないかと思えるほどだった。いくら惰弱な官軍と言えど、ものには限度がある。あまりのお粗末さに頭を抱えた曹操が部隊長らしき兵に事情を問い質せば、その答えは今の漢帝国の現状を象徴するようなものだった。

 

 相次ぐ政争に巻き込まれ、経験ある歴戦の将はその悉くが辺境に左遷されるか蟄居か、あるいは暗殺されたということ。

 残った者達は自衛のために派閥を作りはじめ、それが軍内部での派閥争いとなって軍全体が疲弊。その混乱に乗じて武器や兵糧といった兵站を担当する役人たちの不正が横行し、横領・転売・水増し等が相次いだ。現場に配給される装備の品質はどんどんと劣化していき、終いには行軍に必要な糧食すら事欠く始末。

 現状の改善を訴えても指揮官たちは自分の出世にしか興味がなく、才ある者や有能な者が現れれば一致団結して上から叩かれ潰された。仕方なく身を守るために派閥に属せば反対派閥の人間に狙われ、面倒事を避けようと派閥から距離をとれば不穏分子として全ての派閥から疎まれる。そんな状況で兵士たちのモチベーションが上がるはずもなく、日々の練兵など有って無いようなものだったという。

 

 そんな話を頭痛を堪えながら聞いていた曹操は、想定以上に機能不全に陥っている官軍の現状に眩暈を覚える。だが、兵士が語る話にはまだ続きがあった。

 

 曰く、今回官軍から曹操へと兵を貸し与えることが決まった際、曹操の噂を聞きつけ、現状に不満を抱く若手が中心となってかなりの数が派遣部隊へと志願したらしかった。

 しかし、その状況を危惧したのが軍の上役たち。自分たちの地位や利権を曹操に奪われると恐慌した彼らはかつて彼女に煮え湯を飲まされた官僚や宦官たちを味方につけ、方々に手を回した。部隊の編成や配給される兵站に横槍を入れ、事ある毎に難癖をつけ、最終的には洛陽防衛のためという大義名分の下に曹操へと派遣される兵はそのほとんどが練度もやる気も低い者らへと挿げ替えられたという。

 

 そのあまりの愚かしさに、然しもの曹操も唖然として開いた口が塞がらなかった。

 

 そんな彼女へと追い打ちをかけるように、部隊長の男がどこか申し訳なさそうな顔で一本の竹簡を差し出す。訝しそうな表情で受け取った曹操が竹簡を広げてみれば、それは曹操へ宛てた()()からのメッセージであった。

 

 

 意訳:

  曹操たんへ

 

  デュフフww 騎都尉就任おめ! せっかく任せてやったんだからしっかり働くといいお!

  あ、そうそう(洒落ではないw)。なんか勘違いしてイキってた馬鹿共が騒いでたのでこちらで対処しておいたお! 感謝してほしいお!

 

  だってYouなら賊討伐とか余裕だしょ? あーんな大見得切ってたもんねェ……「すべては、この曹孟徳にお任せあれ!(キリッ」

 

  なら官軍の精鋭なんて不要だよねwww だから優秀な曹操たんのために相応しい兵を見繕ってあげたYo! 泣いて喜んでくれてもいいんだからね!(チラッチラッ

  まぁ、その代りと言っては何だけど、ついでにそいつらの練兵もシクよろDE-ス! あっ、そうそう(二回目)。曹操たん家ってお金持ちですよねー? じゃあ、装備も糧食も最低限用意しとけば無問題ですよねー? ほらー、官軍って貧乏じゃないですかー。民から集めた貴重な血税を無駄遣いとかできないんですよねー(笑)。だから足りない分は自分で調達する感じでオナシャス! ちなみに装備を壊したら弁償Death! 思う存分戦ってもらって、どうぞ。

 でもでも、たかが賊討伐に天下の官軍の兵を貸してあげたんだから、そのくらいして当然だもんね。仕方ないね。(ハナ ホジホジ

 

  ……え? もしかして、できないとか言わないよね? あの天才(笑)と名高い曹操たんが? まっさかーw そんな事あるわけナッシングwww まぁ? 優しい優しい僕ちんだし? どうしてもできないなら、土下座しながら泣いて謝って脇汗ペロペロさせてくれたら許してあげないこともないかもよ? フヒヒwww

  じゃ、吉報を期待してるから精々がんばってねー!!

 

 

 

  P.S.

  大事な大事な天子様の兵なんで一人でも死なせたらテメェ処すから。そこんとこシクよろ!

 

  

曹操絶対許さないマン より

 

 

 

…………コロス

「か、華琳様?」

心ノ臓、止メテクレル…!!

 

 夏侯淵に先導されて現場へと向かっていた曹操は、ふと私兵を集めるに至った経緯を思い出して殺意の波動に目覚めかけていた。

 敬愛する主から垂れ流される濃厚な殺気に普段は冷静沈着な夏侯淵も狼狽気味で冷や汗がタラリ。無意識のうちに腰元の餓狼爪へと手が伸びそうになっていた利き手を慌てて逆の手で押さえ、得物である大鎌・絶を構えて呪詛を紡ぐ曹操の姿に、焦ったように声を掛ける。

 

「華琳様ッ!」

「──! ふぅー……。大丈夫、落ち着いたわ」

「その、ご気分が優れないようでしたら日を改めますが……」

「そうしたいのは山々だけれど、残念ながらそうも言ってられないわ。一日でも早く賊を討伐してあのボンクラどもを黙らせないといけないもの……」

 

 そう言って俯きながら「フフフ……」と不気味に笑う曹操。軽い恐怖である。

 ちなみに曹操が構えていた方向には官軍の庁舎があるらしいけど、たぶんきっとおそらく偶然なので気にしてはいけない。

 

 若干怯えながらも「そんな主も凛々しいなぁ……」と思うことにして思考放棄した夏侯淵に促されて、曹操も再び歩き始める。

 

「……そういえば、その判断に悩む者というのはどういった輩なのかしら?」

「はっ。それが──」

 

 ようやく平常モードに戻ってきた曹操。今さらながら相手の素性を何も聞いていないと思い至り、夏侯淵に訊ねてみた。

 しかし、その問いに夏侯淵が答えるよりも前に、屋敷中に響き渡るような大喝でその疑問は解消されることとなる。

 

 

「何度言えばわかるのだ! 貴様らのような乞食風情に曹孟徳様の兵が務まるものかっ!! 出ていけっっっ!」

 

 

 夏侯淵と並び、曹操が最も信頼を寄せる武将。

 彼女の従姉妹であり、夏侯淵が愛してやまない姉でもある夏候惇の一喝に状況を察した曹操は疲れたように溜息を一つ。

 

「……このままじゃマズいわね。行くわよ、秋蘭」

「はっ!」

 

 申し訳なさそうに頭を下げる夏侯淵を伴い、声の方へと足を向ける曹操。

 冷静に、気品に満ちた足取りを心掛けながら、それでいてなるべく早足で現地へと向かいながら曹操は独りごちる。

 

「まさかこれも奴らの嫌がらせじゃないでしょうね?」

 

 軽く頬を引き攣らせながら歩く彼女は、まだ知らない。

 

 

 

 これが、自らの覇道に多大な影響を及ぼすことになる存在との邂逅になることを────。

 

 

 




プロローグの段階で書き溜めのストックが切れた…だと……?

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